憲法問題

2017年5月 7日 (日)

憲法を考える「70年変わらない意味」を読んで―②―

 慶応義塾大学の駒村圭吾教授は、次のように語っている。

  日本国憲法の字数が少ないことについて、「そのことが『憲法』の規範としての密度の低さに直結するものではない」という。憲法は本来、理念や原理を定めるものだからだ。

  憲法に書かれている理念を制度化して、統治の仕組みを組み立てていくための制定法、つまり法律や条約などが必要だ。

  もう一つ必要なのが、理念の意味を明らかにする解釈法、すなわち最高裁判例や政府解釈だ。憲法典の下、制定法、解釈法が一体となって「憲法」が出来上がっているのだという。

 日本の場合、最高裁は、具体的な訴訟を起こされないと憲法解釈を示せないという。だから必然的に、政府が行う解釈が重要な位置を占めることになるのだ。あの忌まわしい集団的自衛権行使容認の閣議決定が改憲に匹敵するのはそのためだというのだ

 70年間、日本の憲法典は変わっていないが、「憲法」は細かいところで変動しているという。憲法9条は、PKO参加、集団的自衛権行使容認など、外装は変わったが、「必要最小限度の実力しかもたない」「戦力と自衛力を区別する」という最も革新的な部分は一貫して変わっていないという。

 本当にそうだろうか?南スーダンでも駆けつけ警護や米補給艦への「いづも」の防護などは戦争に引き込まれる危険性がなしとは言えない。

 最近では、内閣法制局など、解釈を担う機関が脆弱になっている。そうなると、解釈法が骨抜きになり、意味のない文言の変更でも、それこそ忖度を通じて、政権にとって都合のいい解釈が垂れ流されることになりかねないという。

 内閣法制局長官を任命するのは首相だから、安保法制のときでも政府に都合の良い解釈を示したではないか。垂れ流しもいいところである。

 憲法は「押しつけで正統性がない」と言われるが、日本国憲法の正統性とは、70年間生き延びてきた、そのことこの重みに求めるべきだと述べている。

 我々多くの国民が人権や平和に配慮した憲法をよしとして受け入れ、守ってきたという70年の年月をしっかりと振り返るべきであろう。

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2017年5月 6日 (土)

憲法を考える「70年変わらない意味」を読んで―①―

 5月2日の朝日新聞「憲法を考える 『70年変わらない意味』」は勉強になった。東京大学準教授のケネス・盛・マッケルウェインさんの話は面白かった。

 米シカゴ大学を中心にした「比較憲法プロジェクト」というデータがありそれを使って研究をいているという。米国憲法が施行された1798年以降に存在した約900の成文憲法を英訳し、データ化したものだという。

 まず、日本の憲法は、国際的に比較して全体の文章が短いという特徴があるという。英訳の単語数は4998語だ。最も長いインドは14万6千語もあるという。長さでいうと日本は下から6番目だそうだ。

 もう一つの特徴は世界で「最長寿」だということだ。制定後70年間一度も改正されていないのだ。

 日本の憲法が短いのは、基本的な理念が書いてあって、統治にかんすることは「法律で定める」としている場合が多いからだそうだ。ノルウエ―の憲法は選挙区まで憲法で定めているという。憲法に法律で定められるようなことまで入れてしまうとどうしても改正をする機会が多くなるのは目に見えている。

 日本国憲法は「人権」については、制定当時の国際水準からみて、多くの記述がなされていて、先進的であったという。だから憲法を改正するという必要性もなかったというのだ。

 つまり、「人権」に手厚く、「統治」は法律に任せていることが、改正する必要がなかった大きな理由だという。

 憲法9条をめぐって国論を2分して来たことも改正がされなかったことにつながっているという。

 改正されなかったのは、改正には衆参両院の2/3以上の発議が必要というのハードルが高いからで、自民党は1/2にせよと言っているが、日本と同じ2/3ルールの国は78%もあり、3/4が11%、3/5が3%で、1/2はたった6%だという。それでも多くの国で憲法が改正されていると指摘している。自民党に騙されてはいけないと思った。

 国の最高法規である憲法が長期にわたって改正されていないということは、その国の政治や経済が安定していることを示し、必ずしもマイナスとは言えないと述べている。

 安倍首相は憲法制定70周年になり、国会で2/3以上を持つ今こそ機は熟したと檄を飛ばした。何とかして悲願の憲法改正しようと目論んでいる。3日のNHK世論調査では憲法改正賛成が反対を大きく上回っていた。でも、この数字は操作されていると感じた。トランプ式に言えば「ウソだ」ということだ。

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2016年11月 6日 (日)

昭和区平和のつどい、伊藤真弁護士の講演から―⑬―

 どんな国に変わろうとしていのか

  ~私たちは何をめざすか~

〈めざしてきた日本の形〉       →   〈こんな国にしたいのか〉

自由にものが言える国        →   萎縮してしまう国

メディアが権力批判できる国    →    権力賛美しかしない国

9条を活かし、戦争が出来ない国 →    戦争をしに行く国

敵を作らない国            →    敵を作る国

外交力で信頼関係を構築する国 →    軍事的抑止力で押さえ込む国

全世界の国民を考える国      →    同盟国のことだけ考える国

独立主義国家             →    究極の対米従属国家

    法の論理            →       力の論理

法でコントロールする国             力で押し通す国

     ⇓                         ⇓

    法の支配           →     人の支配

今後の国民投票や選挙で重要なこと

●想像力(イマジネーション)

 ー改憲の必要性が本当にあるのか。

  ・憲法は魔法の杖ではない。

 -戦争の悲惨さへの想像力

  ・慎重すぎるくらいがちょうどよい。

 -自分の生活がどう変わるかへの想像力

 -10年後、20年後への想像力

 -歴史を学ぶ勇気と誇り

 

最後に 皆さんへの期待

 1.明日の日本は今日の私たちが創る。

  →今を変えれば未来を変えられる。

  憲法の理想に現実を近づけることこそ必要

 2.今を生きる者としての責任を果たす。

  →憲法を知ってしまった者として今できることを。

   市民として主体的に行動する。

 3.Festina Lente (ゆっくりいそげ)

            慌てず、焦らず、諦めず、一歩一歩が大切。

 メディアがよい記事を書いたり、よい番組を作ったときはどんどん褒める声を送るとメディアはよくなると言っていた。

  以上で終わり。伊藤氏のレジメを了解のもとに記録して来た。また、閣議決定で南スーダン派遣自衛隊へ「駆けつけ警護」が賦与されることになった。憲法がどんどんなしくずしに壊されて行くのを黙って見ていてはいけない。一人ひとりが憲法について学び、考えて声をあげていくことが肝要である。

 

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2016年11月 5日 (土)

昭和区平和のつどい、伊藤真弁護士の講演から―⑫―

 災害対策と緊急権

・災害対策の基本は「事前に準備していないことはできない」であり、憲法の緊急権条項で救済されるわけではない。

・現場自治体の裁量が重要であり、内閣の権限強化などはかえって弊害が大きい。

・災害対策で必要な内容はすでに法律レベルで整備されている。

・必要なことは、政府の体制強化、関係省庁間の連携強化、地方自治体との連携強化、人材育成、研修・訓練の充実などであり、中央に権力を集中させる憲法の緊急条項ではない。

 国家緊急権の目的の再確認

・定義の確認

 -内乱・強行・大規模な自然災害など、平時の統治機構をもっては対処できない非常事態において、国家の存立を維持するために、国家権力が、立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限。

・軍隊が国家を守るものであり、国民を守るものではないことが軍事の常識であるのと同じく、国家緊急権は、国家を守るものであり、国民を守るものではない。←国民を守るのは警察である。

・国家緊急権を、災害時などに国民を守るためのものと誤解してはならない。

 自民党や公明党は「大規模災害時」のために必要だとして、憲法に緊急事態条項を入れることを第一にやろうとしている。それに誤魔化されてはならないのだ。彼らの目的は麻生氏が語った、ヒトラーに学んで、国家緊急事態によって憲法を停止し、一気に憲法を変えてしまうことなのだ。

 今、私たちに必要なこと

・この国をどんな国にしたいのか、私たち自身が覚悟を決めること。

 ー国は与えられるものではなく、私たちが創りあげるもの。

・憲法を知り、自立した市民として、それぞれに主体的に行動すること。

・おかしなことには、おかしいと声をあげること。

 マルチン・ニーメラー牧師の告白を聞け

 はじめにやつら(ナチス)は共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声をあげなかった。

 そして、やつらは社会主義者と労働組合員に襲いかかったが、私はそのどちらでもなかったから声をあげなかった。

 つぎにやつらはユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではなかったから声をあげなかった。

 そして、やつらが私に襲いかかったとき、私のために声をあげてくれる人はもう誰もいなかった。

 伊藤氏は、「気づいた者から声をあげよ。皆が言い始めたときは手遅れだ」と言う。 自分とは関係ないと無関心でいることがいけないと警告している。自分にふりかかって気づいたのでは遅いのだ。

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2016年11月 4日 (金)

昭和区平和のつどい、伊藤真弁護士の講演から―⑪―

 憲法改正に向けた自民党の考え(2012年Q&Aによる)

 「日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す」(平成22年「綱領」)

  「日本にふさわしい憲法草案とするために、まず、天賦人権説に基づく規定振りを全面的に

  見直した」→日本古来の歴史・伝統・文化・徳性を踏まえた憲法を制定する。

  「独立国家が、・・・・軍隊を保有することは、現代の世界では常識です」

  →国防軍を創設

 

 自由民主党改憲草案の目的

 ◎憲法改正に向けた自民党の考え

 ①日本古来の伝統を踏まえた自主憲法を制定したい。

 ②集団的自衛権を容認して国防軍を創設することにより日米同盟を強化し、米国

  の期待に応えたい。また、軍事力による国際貢献をしたい。

  【個人の尊重よりも、軍事的経済的に「強い国」づくり=戦前回帰・富国強兵】

 

 「戦争ができる国」(自民改憲案)へ

・第2章「戦争の放棄」から「安全保障」へ

・国民の国防義務(前文3項)、領土・資源確保義務(9条の3)

・平和的生存権と交戦権否認条項削除

・国防軍の創設(9条の2)

・集団的自衛権の容認(9条2項)

・国防軍の活動として、国際協力、治安維持活動の明記(9条の2第3項)

・軍事機密保持、軍事審判所設置(4項、5項)

・緊急事態条項の創設(93条以下)

  自民党の改憲草案は、まさに戦前回帰である。今一番やりたいことは「緊急事態条項」で、これこそが、麻生副総理が言った「ドイツのワイマール憲法もいつのまにかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかったあの手口に学んだらどうかね」誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」という独裁国家への近道なのだ。安倍首相がいう積極的平和主義は軍事力を以て平和に貢献するという危険な発想である。

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2016年11月 3日 (木)

昭和区平和のつどい、伊藤眞弁護士の講演から―⑩―

 「平和主義」とは何か

  日本国憲法の恒久平和主義

 徹底した恒久平和主義(第九条)

  1項・・「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

  これは世界標準である

  2項・・「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

  この2項こそ特に重要である

 平和的生存権(前文第2項)

  「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 全世界の国民がみな共通にという高邁な規定となっている。

  これまでの政府解釈

 ◎自衛戦争を含めたあらゆる戦争の放棄(9条)

   ・戦力の不保持(9条2項前段) 

   ・交戦権の否認(9条2項後段)

   →海外での武力行使はできない。

   →集団的自衛権は行使できない。

  つまり自衛の名目での海外での武力行使を否定する。

 自衛権はあるので、日本が攻撃されたときに国民を守るために必要最小限の実力行使(個別的自衛権)は認められる(政府見解)。

 《個別的自衛権と”自衛”の名目の武力行使を区別》 

  交戦権

 ・戦を交える権利という意味でなく、交戦国が国際法上有する種々の券臨お総

 称を意味するも の(政府答弁書1980.12.5)

 ・相手国兵力の殺傷及び破壊、船舶の臨検及び拿捕、占領地行政等にかんする

 う権利

  【自衛隊には交戦権がなく、海外で敵の殺傷ができない部隊であり、法的には通常の軍隊とは言えない】

   平和の作り方(平和構築法)

 軍事力(武力)によらない平和(憲法体系)

  ー平和的生存権による信頼関係構築(敵をつくらない)

  -軍事力以外の国際貢献(人を殺さない国)

 軍事力(武力)による平和(安保法体系)

  -日米同盟強化による抑止力向上(敵の存在を前提)

  -軍事力による国際貢献(平和のために人を”殺す”国)

 ◎戦後日本の平和の歴史はこの2つの体系のせめぎ合いであった。自衛隊と安

 保条約の存在はあったが、それでも憲法体系を無視できず、一定の歯止めをか

 けてきた。

  集団的自衛権とは

  ◎時刻と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されて

   い いにもかかわらず、実力をもって阻止する権利(1981年5月29日、政府

   答弁)

 ◎(2015.7.1閣議決定による解釈変更)他国に対する武力攻撃が発生し、これに

 よ り我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底 

 から覆される明白あ危険があること。

  ※明白な危険は、ときの政府が総合的に判断する

     ↓

  《自衛の措置として海外での武力行使容認

 

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2016年11月 2日 (水)

昭和区平和のつどい、伊藤真弁護士の講演から―⑨―

 人は皆違うということについて、下の図を見るとそれがよく解る。

 Img_2041


人は皆違う」のプラスとマイナス

 ○人類はその多様性ゆえに進歩し、発展してきた。

 ○人類はその多様性ゆえに憎しみ、破壊してきた。

  【特に他者への無知からくる恐れと不信感から他者を排斥してきた

 憲法13条(個人の尊重)と9条

・個人を戦争の道具にさせない 

 1人1人のかけがえのない個人の命を、国に戦争の道具として使わせない。

・個人の多様性尊重を国の多様性尊重へ

 -個人レベルで違いを認め合うのだから、その考えを国家レベルに引き上げたのが9条

 -日本の国と異なる価値観の国であっても”ならずもの国家”として武力によって排除する

   ことで解決しない。

 -武力行使以外の方法で共存の道を最大限に追求。

 【正義と悪の二分論で他国を排斥するのではなく、対話と協力による共存をめ

  ざすのが憲法9条

 戦前は臣民としての命で「鴻毛の軽さ」で扱われた。そうしたことは2度とあってはならないことだ。しかし、今自民・公明などによって、戦前的考え方に戻され始めている。

 ならず者国家として米国のブッシュ大統領はイラクと北朝鮮を名指し、正義の名の下にイラクという独立国家を破壊した。その結果が現在までのISなどによる中東不安やヨーロッパやアジアの国々の不安要因になっている。

 

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2016年11月 1日 (火)

昭和区平和のつどい、伊藤真弁護士の講演から―⑧―

 個人の尊重とは?ということで次の様に話された。

  日本国憲法の根本価値(立憲主義の根本目的)

 ◎憲法13条前段(個人の尊重)には、「すべて国民は個人として尊重される」と書いてある。

  一人ひとりの自由を保障し、誰もがにんげんとしての尊厳を持って個として尊重されて、生きることができるようにすることをめざす。つまり、分かりやすく言えば、一人ひとりを大切にするということである。

  個人の尊重と幸福追求権(憲法13条)

 ◎すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

  →誰にも価値があり、幸せになる権利を持つ。

  →自分の幸せは自分で決める(自己決定権)

  ・自己決定権の政治への現れが民主主義であり、選挙権、憲法制定権・改正権(96条)、そして地方自治

  自分が幸せになれる国づくりのために選挙に行く。

  選挙に行っても行かなくても変わらないという考えは間違い。選挙に行かなければジリジリ悪くなる。

  個人としての尊重(個人の尊厳)

 ◎人は皆同じ(人としての尊重)→包摂性

  →人間として生きる価値がある点では皆同じ

        ↑

  1人1人の個人の幸せのために国があるのであり、国のために個人があるのではない。

 ◎人は皆違う(個として尊重)→多様性

  →人と違うことはすばらしい

        ↓

  多様性を受け入れて共生できる社会をめざす

 自民党改憲案では、第13条

  全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

  憲法学者の小林節氏は、「個人」が消えてしまっているのが一番問題だと指摘し、樋口陽一氏も驚愕したと述べている。樋口氏は、「日本国憲法で一番肝心な条文を一つだけ言えと言われたら、13条だろう」。全ての国民が「個人」として尊重されるということが憲法の要なのですと語っている。(憲法改正の真実、集英社新書、P.67,68)

 

 

 

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2016年10月31日 (月)

昭和区平和のつどい、伊藤真弁護士の講演から―⑦―

 憲法と法律

 Img_2033 

 憲法は方だが「法律」ではない

               憲法  ←国をしばる

 法(軌範)

               法律その他の方 ←国民をしばる
   ルール

  《これが立憲主義》  どんなにすぐれた政策もすべて憲法の枠内で実現しなけ

                ればならない

 そうすると自衛隊の存在も集団的自衛権行使も憲法違反なのは明白

 憲法とは

◎憲法とは、国家権力を制限して国民の権利・自由を守る法

  《あくまでも人権保障が目的(近代国家共通)》

 【さらに戦争放棄も目的とした点に日本の立憲主義の特徴がある】

 自民党・公明党によって69年間続いてきた憲法解釈を閣議決定で変えてしまったのはとんでもないことである。

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2016年10月26日 (水)

昭和区平和のつどい、伊藤真弁護士の講演から―⑥―

 憲法の必要性

  多数意見が常に正しいわけではない

      ↓

  多数意見にも歯止めが必要

  多数意見でも(法律でも)奪えない価値があるはず

    ↓      ※価値→人権(特に少数者の)  平和

  これをあらかじめ決めておくのが憲法

 ◎十分な審議討論を経たうえの多数決という正しい手続きで決定されなければな

  らない。(正統性)―だから私たちは法律に従う。

 ◎しかも、数の力でやってはいけないことを守って法律は作られなければならな

  い(正当性)

◎ところが、政治家も人間なので数の力に任せて間違った法律を作ってしまうこと

 (権力を濫用する危険)がある。

◎だから、政治家が法律を作るときに守らなければいけないことを予め憲法で、国

  民が政治家に示して、憲法に従わせる。これが立憲主義。

 立憲主義と民主主義

 政治権力を憲法で縛るという考え方を、立憲主義という(憲法に基づく政治)。

 →国王の横暴に歯止めをかけるために生まれた(英国:マグナカルタ・1215年)

 →民主主義社会においては多数派による民意を反映した政治権力にも歯止め

   をかけるという意味をもつ。

   《民主主義vs立憲主義》 ←民主主義はアクセルであり、立憲主義はブレー 

                     キである。

 

 

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