言語

2014年10月 5日 (日)

弱いんぼ・・・・を耳にして

 一昨日の朝のことである。いつものように早朝ウオーキングに出かけ、家の近くまで戻って来たら、見かけない女性が小さな愛玩犬を連れて歩いていた。最近は小さい愛玩犬を散歩させている人をよく見かけるようになった。大きい犬を連れている人はほとんど見かけない。

  その女性が散歩させている犬がどんな種類なのか、犬のことはあまり知らないので分からなかったが、テリヤに近い感じの小さな犬であった。

  我が家の近くに、玄関の登り口の階段に、高さ20cmぐらいの可愛い陶器製の小犬を最近になって置いた家がある。その家の前に来ると、女性はそれを見つけて、連れている小犬に見せるために近づいた。すると子犬は怖がって尻ごみをした。

  その時女性は小犬に「よわいんぼさんだね」と言ったのだ。それを耳にして私は「弱いんぼ?」・・・・そんな言葉があったかな?と思った。

  すぐに浮かんだのは、最近騒がれた「美味しんぼ」である。「美味しんぼ」は漫画家の造語だと思うから、おそらく「弱いんぼ」もその女性の造語だろうと思った。

  他に似たような言葉がないか思いめぐらして出てきたのが、「けちんぼ」、「くいしんぼ」であった。後は思いつかなかった。ネットで調べたらやはりそういうことを気にする人がいるらしく「・・・んぼ」と語尾につく言葉の考察をしているサイトがあった。

  どうやら「・・・ぼ」というのは、可愛さを込めて呼んだ「坊」と関係があるらしいと分かった。夕方になって「甘えん坊」「きかん坊」を思い出した。他には「しゃべりんぼ」「おこりんぼ」「笑いんぼ」などがありそうだ。

  「・・・・んぼ」とつく言葉は、「さくらんぼ」「あめんぼ」「くろんぼ」などいろいろあり、「赤んぼ」「田んぼ」もその仲間だという。

 「舟を編む」を読んだとき、辞書を編纂する人は絶えず人の言葉に耳をそばだてて、新しい言葉を採集していると書いてあった。言葉に気を付けることは大事だし面白いと思う。

  ※下記のURLを参照

http://homepage2.nifty.com/osiete/seito146.htm

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2014年9月27日 (土)

国語世論調査を見て

 25日の朝刊に「国語世論調査」の記事が出ていた。文化庁が今年3月に、2013年度の国語世論調査というのを実施したのだという。対象は16歳以上の男女で回答は2028人だった。

 名詞や外来語に「る」や「する」をつけて動詞にする言い方を調べた結果であった。それによると、よく知られているのは「チンする」で、使うことがあると答えた人は90.4%であった。この使い方は、テレビの番組でもよく使われるし、完全に現代日本語になっている。

 日本語教室で今教えている学習者に「日本では電子レンジで温めることを『チンする』という」と教えたことがある。短くて分かりやすいよい表現だと思う。

 「サボる」は昔から使われている。学校でも「こら、掃除をサボるな」「宿題をサボるな」のようによく使われていた。

 「お茶する」は我々高齢の男性は使わないと思うが、若い女性はよく使うし、高齢の女性でも使うようだ。いつのころからか女性に使われ出したようだ。

 「事故る」はかなり前に聞いたとき、「えっつ、そんな言い方があるのか?」と驚いたものだ。「事故」に「る」をつけて動詞化するのは巧みではあるが。

 「パニクる」も最初は変な感じがしたが、今では慣れてしまった。「愚痴る」は自然に使える違和感がない表現だと思う。

「告る」(告白する)はどう発音するのか、コクルだろうか。初めて知った。「タクる」も初めて知ったがタクシー利用だとか。「ディスる」はけなすという意味だそうだが、英語のdisrespectectから生まれた表現だそうだ。いったい誰が言いだしたのかとおもうが若い人だけが使っているらしい。最後の3つは聞いただけでは意の見当がつかない。隠語みたいに聞こえる。

 日本語は「する」を名詞につけて動詞化するのは簡単だし、そのように使われている例は枚挙にいとまがない。便利といえば便利な点である。

その他に、慣用句の使い方についても調べたそうで、慣用句本来の意味からずれてしまっているのが面白い。

 「世間ずれ」は「世の中の考えからはずれている」という意味に取っている人が55.2%もいるというので驚いた。

「まんじりともせず」を「じっと動かないで」だと思っている人が51.5%もいるのも驚きだが、この言葉はあまり使われなくなったのかもしれない。

 「煮詰まる」が「(議論が行き詰まり)結論が出ない状態」と解釈している人が40%もいる。

 以前「情けは人のためならず」を文字通り「情けを掛けた相手の人のためにならない」と取る人が多いと評判になったが、こうした調査結果を見ると、時代とともに言葉が変わって行く様子が窺えて面白い。

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2014年4月23日 (水)

「英語はインド式で学べ」という考え方

 iphoneで週刊誌記事をブラウズしていたら、「従来の英語学習法5つのウソ、インド式英語学習法は非ネイティブに最適『英語はインド式で学べ!』」というのがあったので、興味を引かれて覗いてみた。

 安田正という人が提唱していて、同名の書籍がダイヤモンド社から刊行されているそうだ。

 世界には英語を喋る人口が20億人いて、その内ネイティブは3億人で、あとの17億人は非ネイティブだという。それで非ネイティブ同士の英語によるコミュニケーションを取りやすくするために、「世界標準の英語(グローバル・イングリッシュ」は、これまでの英語より10倍も簡単になっているというのだ。

 世界標準の英語(グローバル・イングリッシュ)という用語を初めて知った。誰がいつごろから言いだしたのであろうか。

 それはともかく、簡単な訳は4つだという。

①発音は気にしない

 20世紀までの英語はネイティブの真似をして受け身の英語であったが、21世紀からの英語は通じるための「道具」としての英語だというのだ。

 確かに、国際化が叫ばれるようになって、英語会話が重視される頃から、ネイティブに少しでも近づきたいと、日本人は一生懸命努力をしてきた。それまでは文法と読解と英語作文が大事だとされていたのが大きく変化したのであった。

②イディオム(慣用表現)は使わない

 私も英語会話の勉強を始めたころ、インストラクターから、イディオムを覚えることを強く勧められたのを思い出す。GETとGOとMAKEとTAKEでできたイディオムが大事だという本があったような気がする。

③新しい単語を覚える必要はない 

 英語を話すには最低3000語程度の単語を覚えることと言っていたっけ?

④英語が得意でない人でも使える

 日本人は英語が不得手だと言われ、英語がうまくならないのはどうしてかという議論がなされてきた。そして英語上達の本がゴマンと出版され、NHKは英語番組をずらりと並べて英語偏重の放送をしているくらいだ。

 しかし、世界には、ピジン・イングリッシュとか、インドネシア・イングリッシュとかアフリカン・イングリッシュとかいろいろあって、彼らの話す英語は確かに分かりやすい。アフリカに行ったときなど自分の英語がうまくなったと錯覚したくらいである。

  日本人で英語が喋れない人は99%もいると安田さんはいうが、何を根拠にしているのかは分からない。確かに、ネイティブを基準にして言えばそういうことになろう。

 私はグローバル化の時代になり、英語が世界共通語のようになったのは困ったことだと思う。理由は、ネイティブの3億人には非常にメリットがあるが、そうでない人には劣等感を抱かせるし、ビジネス等の交渉などでも大変不利になるからである。

 そんなとき、大丈夫何もネイティブのようにならなくても、非ネイティブの17億人とコミュニケーションがとれればいいのさ・・・・というメッセージはとても心強い。

 さて、従来の英語学習法には5つのウソがあると指摘している。

①英語の先生にはネイティブが1番

②たくさん聞き流せば英語は話せる

③単語をたくさん覚えれば話せる

④TOEICなどの英語のテストの点が良ければ話せる

⑤ネイティブの発音に近づければ話せる

こうしたウソに脅されて勉強してきたから英語ができないのは当然だという。

 英語で話したり聴いたりするとき、話のポイントがつかめればよいのだと言っている。その程度におさえて気楽に構えればよいというのだ。

 「英語はインド式で学べ」というが、英語を公用語とし、イギリス系の英語を話すインド人の英語の発音は大変聴きづらく、ネイティブでも聞きとれないという人もいるくらいだ。そのくらい堂々としていればよいということなのかと思う。

英語は「インド式」で学べ!

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2014年4月 8日 (火)

日本語の文末決定性について阿川佐和子さんの見方から

 阿川佐和子さんの「聞く力」P.151に次のような文章がある。

 大学時代、言語学の授業で習ったところによると、日本語の肯定か否定かは、欧米の言語などとは異なり、文章の最後に決定されるのですね。

 すなわち、英語の場合なら、「この料理はおいしくないねえ」という場合、「This dish is not so good」という具合に、主語の直後に肯定か否定かを決定しなければならないのに比べ、日本語だと、「この料理はおいし・・・・」まで、肯定否定を表明しなくてもいい。

 「おいしくないなあ」と心の中で思っていても、「おいし」まで言ってみて、目の前にいる上司の顔色を見たら、「ずいぶんおいしそうな顔をしている」ので急遽、「いですよね」と自分の主張を引っ込めることができる。

 つまり、相手の反応を窺いながら、自分の言うことを決められるという、まことに便利な言語のつくりになっているというわけです。

 こうした言語のつくりのせいか、日本人はとかく、自分の主張より、とりあえず相手やまわりの状況をみてから自分の意見を決める傾向にあるように思われます。

 日本語は、阿川さんが書いているように、文の最後に述語がきて、そこで初めて肯定か否定かなど、話者の判断が分かる構造になっている。このことを「文末決定性」という。

 日本語の文末決定性は大事なことなので、国語の読み取りのときにも注意をして読むように指導した。また、外国人に日本語を教えるときにも文末できまることを話している。

 韓国語は日本語と文法が似ているらしいから、やはり文末決定性をもつのだろうか。中国語は英語のように肯定か否定かは主語の後に来る。

 欧米語や中国語のような言語は、話者の判断が初めに示されるので分かりやすいといえる。

 阿川さんの説明を読んで気づいたのは、日本語を話すときに、話者は文の最後で意味(話者の判断)を変えることが可能だということである。

 相手の顔色や反応を見て、はっきり言うとかあいまいに言うとか否定するとか変えることができるのでビジネスや政治の場面で活用されている。

 日本人は態度をあいまいにぼかすのを好むと言われるが、日本語もそれに適した言語になっているから興味深い。日本人の民族性からそういう日本語を育てて来たのか、それとも、日本語の言語構造があいまい好みの日本人を作ってきたのか、どちらなのであろうか。

 英語や中国語で話すと意志や判断をはっきりと伝えやすいが、日本語ではストレートな表現は好まれない。日本では言外の意を察知することが大事だとされてき た。これからも日本語の構造は変わらないだろうが、態度の面では判断をはっきりと述べるように向かうのかも知れないと思う。

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2014年1月 6日 (月)

我がblogの原点―書くという行為

 私が所属している児童言語研究会に参加した頃、当時東京都立大学の教授であった大久保忠利先生が理論的な指導者であった。

 大久保教授は国語学者として有名でNHKなどのマスコミにもよく出ていた方である。その大久保先生を、私は勝手に師だと思っている。

 毎年夏の夏季アカデミーや熱海で行われた合宿研究会でいつも一緒で、親しく教えて頂くことができたからである。

 大久保先生が、いつも言っておられたことの一つに、「書き慣れノート」というのがある。とに角書くことが大事で、書くことに慣れることだという意味だ。

 先生の字は、大変な乱筆で、葉書を頂いても判読に苦しむほどであったが、とにかく書くのは速く、いつでも、どこでも・・・という感じであった。

 熱海の温泉で一緒に風呂に入ったとき、ペンと葉書を持っておられた。私が驚くのを見て、「君、風呂の中でも書くんだよ」と言われたことを鮮明に思い出す。

 鋭く深い思索で日本文法についても理論化したものを持っておられ、”大久保文法”と言われていた。

 先生から直接聞いたことで「国連に登録されている日本語文法は400以上ある」ということがある。それを聞いたとき、そんなにも文法の説があるのかと驚いたものである。当時私が知っていたのは、学校文法、橋本文法、時枝文法ぐらいのものであったからだ。

 先生は、文章が書けるようになるには書くことだと言われた。昨日も書いたように、私は作文が苦手であったが、高校ぐらいから書く機会が増えて自然に書くことが苦痛で無くなり、教員になってからは、研究物、学級通信など毎日何か書いてきた。

 もちろん読むことも大事で、書く、読むは車輪の両輪のようなものだと思う。児童言語研究会では、読むことの研究を続けているが、先生はその理論的支柱でもあった。

 私が書くことで大きな影響を受けたのは、日本作文の会の作文教育からである。この会は戦前から綴り方教育で知られた伝統ある会である。愛知にある作文の会にも所属して指導法の研究を続けた。

 その中で学んだことは、対象をよく見るということである。そして詳しく叙述するという書き方だ。それで私の書き方にその影響が残っていると今でも思うことがある。

 もう1つ大事にしていることは、誰にでも分かる文章を書くということだ。学級通信を書く場合、読み手である親の学力はピンからキリまである。だから子どもが読んでも分かる文章を書くように心がけてきた。

 blogでは時には難しい言葉も使うことがあるが、それは文章のレトリックとしてである。(使ってしまった!)有体に言えば、恰好をつけるためと言ってもよい。

 blogを書くときに、先ず、新聞のように、結論とか大事なポイントを述べてから、書いていくとよいと言われる。確かにそれは大切だが、私は、日記のように継時的に書くことも多い。

 昔(明治から昭和中ごろ)の人が書いた文章には、大事なことが最後の方に来ることが多かった。高校までに習ったこともそのような文章構成法であったと思う。いわゆる「起・承・転・結」という書き方である。戦後、外国の影響で今のような書き方がよいと言われるようになったのだ。

 blogは随筆だし、公開日記のような側面もあるから、書き方に拘る必要はないと思う。気ままに、気楽に書けばよい。

 

 

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2013年2月25日 (月)

外来語は物事を単純化してしまうという指摘

 昨日取り上げた井上やすしさんの「日本語教室」(新潮新書)の28ページで、「外来語は物事を単純化してしまう」と述べている。

 日本語にはいったいどのくらい外来語があるのか、手元に外来語辞典がないので分からないし、インターネットで調べたが分からなかった。中でも英語由来の外来語は和製英語も含めて一番多いだろうと想像される。多分20000以上あるのではないだろうか?

 新聞を見ると、やたら英語由来の外来語が目につく。2月24日の朝日新聞朝刊一面だけで、以下のようである。

 TPP,センシティビティ、ミサイル、フォーラム、USTR,トラック、サッカー、シェールガス、コラム、メヂア、vote×board、テーマ、プラス・シー、コンテナ、リサイクル、ジャージー、プリペイド、マネー、スポーツ、TV,ラジオ、チョコレート、アンケート、シャワー、ゴルフ、ジャパン・イズ・バック、アジア、アベノミクス、モダン、ライフ、マスター、ベストセラー、ノミネート、プレッテル、フィールドワーク、ベース、ペーパークラフト、

 中でも一番難解なのが「センシティビティ」である。かっこして、1回目には(重要項目)としてあり、2回目には(すぐには関税を撤廃しにくい品目)と注が付いている。

 つまりこの単語は二つの意味に使われているということだが、それを一語のセンシティビティで表しているのだ。

 井上さんはP.29で、次のような例を挙げている。

 「このたんすにをリフォームした大津市の骨とう店」という新聞記事の見出しを、骨とう店でリフォームということはないでしょうに(笑)と書いている。文章を書く専門の新聞記者でさえ、このありさまだと嘆く。

 それに続く説明が大事で、「リフォームはたくさんの意味があります。再生とか、改良とか、仕立て直しとか、改築、増築、改装。僕は英語はよく知りませんけど、外国の、たとえば英語を使う人たちにリフォームと言っても分からないでしょう。

 これは日本独特の使い方ですから。つまり、日本語では、再生とか、改良とか、仕立て直し、改築、増築、改装と、たくさん言葉があって、それぞれに微妙に違います。その違いを全部無視してリフォームにしてしまう。

 一見便利なようですが、今まで言い分けてきた日本人の脳の働き、正確さをいうのを、リフォームの一言で、非常に単純にしてしまうのです。こういうことが積み重なっていくと、悲劇的なことが起こるのではないでしょうか。」

 私はこれを読んだとき、衝撃を受けた。私自身何の気もなくリフォームという言葉を使ってきたからだ。

 家の改造をしたとき、服の仕立て直しをしたとき、店やが改装したとき・・・・全部リフォームですましてきた。昔からある日本の言葉をなぜ使わなくなったのだろう。この文章を読んで初めて反省をした。

 日本語には、英語では表せない、日本の文化にもとづく言葉があるのだ。それを英語に単純化してしまうことの恐さを再認識すべきである。

 私が、就職したての頃、レポートに英語由来の外来語をたくさん使ったことがある。そのとき上司にたしなめられたことを思い出す。大学を出たばかりで、外来語を使うと教養があるという錯覚に陥っていたのだ。

 しかし、時がたつにつれてマスコミには外来語(特に英語)が溢れて行った。

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2013年2月24日 (日)

日本語の母音

 BOOKOFFでたまたま井上ひさしが著した「日本語教室」(新潮新書)をつけて買ってきた。井上さんが母校の上智大学で行った4回の連続講義をそのまま文字化したものである。受講者が面白いと思ったところで(笑)というものも入っている。読みやすくて興味深い本である。

 「日本と日本語、母語と脳の関係、カタカナ語の弊害、東北弁標準語説、やまとことばの強み、駄洒落の快感・・・・」(本の帯)など、彼一流の皮肉やユーモアがあってスーッと読めた。

 私は、外国人に日本語を教えているので日本語には当然関心がある。参考になるところもいろいろあった。その中から母音関係をとりあげる。

 日本語の母音(vowel)はアイウエオの五つしかないことは誰でも知っているところだと思う。世界の言語では、母音の数はまちまちで、この本で例として書いてあるのは、次のようである。

 米語→32、英語→31、(何故か米語の方が1つ多い。maryの発音は英語ではメリーだが米語ではメアリーとなるときの、エアがそれなのだという)

 一番少ないのは、アラビア語の3つである。フランス語13、スペイン語5、で同じラテン語系でも違いがあるのだ。ハワイ語も5、トルコ語は8だそうだ。

 日本語は「ン」以外の音は必ず母音で終わる。インドネシア語など東南アジアの語も同じだとは知らなかった。

 アイウエオを発音するとき、アは口を大きく開けて明るく発音される。しかし、音が作られる場所はイが一番入口で、イエアオウの順に奥になっていくのだという。だからアは3番目ということになる。

 ウは一番奥で出されるので、相当力を入れないと駄目だという。苦しむときは「うー」とか「うっ」とか発音される。「あー」とか「いー」とかで苦しみは表現できない。

 「住友銀行」のように「す」で始まる音は音が出てくるときに途中で消えてしまうので、どんな名優でも舞台では客席に届かないそうだ。だから井上さんは脚本を書くとき、そういう配慮もするのだ。銀行の名を使う時はいつも三菱銀行にするという。「イ」が3つ入っているからよくとどくのだそうだ。

 ふだん母音などに気を使ったことは一度もないが、脚本家はそういうことまで気を付けていることを知り感心した。

 私の合唱団の指揮者は、常々、「語頭に気を付けるように。特に子音のk、h、s、n、t・・など」と言われる。歌っていて子音(consonant)がはっきり発音されないと言葉が聞こえないのだという。日本語は語気が弱く発音されるからさもありなんと思う。

 日本語教室 (新潮新書)

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2013年2月13日 (水)

「中国語はじめの一歩」から―中国語は積み木(ブロック)?

 「中国語はじめの一歩」(木村英樹著、ちくま新書)という本をBOOK OFFで見つけて面白そうなので買ってきた。読んでみたら予想にたがわずいい本であった。

 「はじめの一歩」という題名だが、内容は全くの初心者から、ある程度勉強した者まで参考になる。説明が大学の授業形式で、その上分かりやすいのがいい。

 その中から、興味深かったのを取り上げた。第1章の17ページ前後に、中国語は積み木(ブロック)と考えると分かりやすいと書いてある。

「中国語は、一言で言えば、さまざまな色や形をした無数の硬い積み木(ブロック)の集合です。そこでは、意味を持つひとつひとつのことばが、あたかも硬質のブロックのように、どれも硬くて形の変わらない固形体をなしています。

 ブロックには、ひとつひとつに意味のラベルが貼り付けてあります。そのたくさんのブロックの中から例えば《ワタシ》、《アナタ》、《愛スル》と記されているブロックを選び出し、《ワタシ》《愛する》《アナタ》の順に並べ替えればそれだけで「私があなたを愛している」という意味になり、《アナタ》《愛する》《ワタシ》と並べ替えれば、それだけで「あなたが私を愛している」という意味になる;中国語とはおおまかに言えば、そんなイメージで捉えることができる言語なのです。」

 中国語は、格変化という形態の変化が起こらない言語なのだ。これが英語だとそうはいかない。

 I love you.   You love me.のように、主格なら「I」、目的格なら「me」というように格の変化が起きる。

 日本語も格変化は持たない言語だが、その代わり、「が」や「を」などの助詞によって主格や目的格を示すようになっている。

 私(は)あなた(を)愛する。 あなた(は)私(を)愛する。

 ただ、日本語は助詞で格を示すので、「愛する、私は、あなたを」のように語順が入れ替わっても意味は通じるという利点がある。

 中国語では、「我愛你」、「你愛我」 (你niは”あなた”だが2人称はこれと您ningしかない)

 他(彼)を使うと、我愛他、他愛我、你愛他、他愛你、となる。著者がいう積み木たる由縁である。気を付けるのは、SVO(主語、述語、目的語)という語順が英語と同じだということである。

 私が子どもの頃、中国人を「チャンコロ」と呼んでバカにしたことがあった。その時中国人を真似るのに「ワタシ、ニホン、クル」、「アナタ、ホン、ヨム」のような助詞抜きの言い方をしたものだった。今思うとこの言い方は、中国語なら少しも不思議なことではないのだ。

 ※この本は1996年初版。AMAZONなどで85円からある。BOOK OFFで350円。

中国語はじめの一歩 (ちくま新書)

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