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2023年11月14日 (火)

賀寿のこと

 スマートニュースを見ていたら、賀寿についての記事があった。人生の節目を祝う長寿のお祝いを賀寿というあった。

 長生きの時代になって、今は満60歳の還暦から長寿の祝いととらえるのが一般的だという。最近は満年齢で歳を数えるが伝統的な行事では数え年を基準にするという。私は昨年数えの88歳で名古屋市から3000円の祝い金をもらった。

 還暦は数え年の61歳だという。それで満60歳が還暦になるのだが、どうして61歳なのだろう?

 由来は十干(甲、乙、丙・・・)十二支(子,丑、寅・・・)60年が一巡し、61年目に生まれた年と同じ「暦」に「還(もど)」ることからだそうだ。赤い頭巾やちゃんちゃんこなどを着るのは「赤ちゃんに戻る」という意味だという。今は紅い花束とか装飾品が使われるという。

古稀 数え年70歳、杜甫の詩「曲江」の一節、「人生70,古来稀なり」から来ている。私が若い頃はよく言われていた言  葉だ。昔は人生50年と言われていたから。色は紫

喜寿 草書体の「喜」が七十七に見えるから。色は紫

傘寿 数え年80歳、色は金茶、傘の略字仐が八十に見えるから。  

半寿 数え年81歳、「半」が八十一に見えるから。 色は金茶。
   半寿走らなかった。初めて聞いた。

米寿 数え年88歳、 色は金茶、米の字八と十と八に分解できるから。
   私もあっという間に米寿を過ぎ、来年は卒寿である。

卒寿 数え年90歳、色は白、卒の略字卆が九と十に見えるから。

白寿 数え年99歳、色は白、百の字から上の一をとると白になるから。

百寿 数え年100歳、色は白、世紀から紀寿とも。

これ以後は108歳=茶寿、110歳=珍寿、111歳=皇寿、121歳=大還暦(2度目の還暦)、100歳以上が年々増え9万人を超えたのでこういう賀寿の人も増えるだろう。 

2023年8月25日 (金)

石川佳純選手に学ぶ外国語上達法

 8月17日の朝日新聞に1ページにわたり卓球の石川佳純選手の中国語についての記事があった。

 「長年にわたり日本の卓球界を引っ張って来た石川佳純さん(30)は、流暢な中国語を話せることでも知られています。5月の引退会見では、中国メディアからの質問に中国語で的確に答え、日本語通訳まで自らこなす姿が話題となりました。『学校で中国語を学んだことはない』という石川さんは一体どのようにして中国語を身につけたのでしょうか」と始まっていた。

 私は石川佳純選手が中国語ができることを初めて知った。私も長年英語会話を勉強し、テレビで中国語も勉強した。でも、中国語は話せないし、英語も海外旅行程度である。

 石川選手は最後の部分で、「中国語を学ぶ人にアドバイスをお願いします。」という要望に応えて次のように述べている。

 「日本語をしゃべれない中国人の友達を作るのが一番ですね。私は、チームでの練習相手のトレーナーは、以前は日本語が話せる中国人の方だったんですけど、2018年に日本語が全くしゃべれない中国の女性に来てもらいました。そうすると、食事の時も休みの時もすべて中国語ということになり、恥ずかしいとか思う前に中国語を使わなければならなくて、中国語の力が大いに伸びました。もし中国人の友だちが日本語ができるんだったら、日本語は絶対にしゃべらないでねとお願いして交流するのもありじゃないでしょうか。まずは、税日中国人の友だちを作ってみてください。」

 私は石川選手のアドバイスに全面的に賛成である。私自身を振り返ってみると、中国語を使う場面が全くなかった。英語に関しては英語を話す場面を作るために英会話クラブをつくったのだが、指導者にはネイティブスピーカーを頼んだが、話す相手は日本人ばかりなので日本的発想の英語になってしまうのであった。英語を話す機会は日常では全くなくて海外旅行の時ぐらいであった。

 前にも書いたことがあるが、30年前にカナダに行ったとき、若い日本人留学生たちから「あなたはどうして英語がしゃべれるのですか」と聞かれたことがある。留学生たちにどうしてしゃべれないのかと逆の質問をしたら、「いつも日本人同士で付き合っているから」と答えた。英語留学しても現地の人たちと付き合わなければダメなのだ。

 だから石川選手のアドバイスはその通りだとうなずけるのである。今はインターネットで外国の友人を作ることもできないことはない。英語、中国語など自分が習いたい言語の友人をつくって日本語を使わないで相手の言語で話すことだ。使う機会を作ることが外国語上達の要だと思う。

 

2023年7月18日 (火)

何とかならぬか、増えるカタカナ語

 新聞やインターネットの記事を見ると、インバウンド、クール、インテリジェンスのようなカタカナの外来語が目につく。その大部分は英語由来の物のように思う。日本人は英語コンプレックス(カタカナ英語を使ってしまった)を持っているからなのか、カタカナ英語で表現下ほうがカッコいいと思っているのだろうか。

 私は英語はある程度理解できるので支障はすくないが、それでも漢字を含めて日本語で表せないものかと思うことがよくある。

 明治になった文明開化したのち、西洋から学問や制度が輸入され、用語は漢字語に翻訳されて普及した。それらの言葉は中国から日本に留学してきた魯迅のような中国人によって中国に入った。それで近代の中国語には日本で翻訳された漢字語が900余りあると聞く。

 私が就職した時、研究文書に英語のカタカナ語を用いたら、校長や教頭から顰蹙を買ったことを覚えている。

 そんな時代もあったが、いまではカタカナ外来語(特に英語)が当然のように使われるようになった。

 IT分野や、グローバル化によってビジネス分野では、カタカナ語がよく使われる。スマートホンのように慣れてしまえばどうということはないが、知らないカタカナ語が出てくると戸惑う。

 ネットによると、国立国語研究所が、「アクセス=接続」など、漢字語に言い換える提案をしてはいるという。やはり気にしているのだ。日本語が浸食されないためにもその方がよいと私は思う。

2021年11月12日 (金)

何となく使っていた「町」と「街」の違い

 スマートニュースを見ていたら、「町と街の違いとは」という記事があった。ふだんブログを書くときは何となく町と街を使い分けて使っている。町は行政的区画の区切り、例えば昭和区長池町のような使い方をする。街は栄や大須の様な賑わいがあるところだと思って使っている。

 記事では、町の由来を説明していた。「町」という漢字は「田」と「丁」からできている。。そもそもは、田んぼを区切るあぜ道の意味があったというのだ。大和言葉の「まち」も元々は田んぼの区画を指していたので「町」の字が当てられたのだろう。

 一説には「まち」の語源は、「ま(間)」「ち(路)」 、つまり、田と田の間の道であったともいわれるそうだ。

 田んぼの区画とすると、日本の尺貫法で面積を表す「坪」「畝」「反」「町」の「町」もそこから来たのであろうか。

 「むら」の語源は「むれる(群れる)」で、人が集まるという意味がある。大勢が集まれば、土地を整理しなければならないのでそのときに役立ったのが、「町」という区画の概念だそうだ。

 歴史的には、平城京のような都城が築かれるようになると、行政区画の単位として「町」が使われるようになった。東西南北に走る大路に挟まれた四つの坊を「町」と呼んでいるという。

 「街」の字源は、「十字路」から来ているそうで、道が交差するところには多くの人が往来するから、大通りや街中(まちなか)を指すようになったそうだ。

 深く考えもせずに経験的に語感から使っていた「町」と「街」だが間違ってはいなかったことが分かった。

 ちなみに、「意見がひとによってまちまちだ」などというときの「まちまち」も、区画としての「町」から派生した言葉で、平安時代から使われているそうだ。

※記事の中での説明は小野正弘 先生(国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹)による。

 

2019年7月17日 (水)

NIHONかNIPPONか

 朝日新聞土曜日の「歴史探偵覚書」で、半藤一利氏が日本をどう発音するのかという考察をしていた。結論からいうと、2009年の麻生内閣のとき、「どちらかに統一する必要はない」と閣議決定されたそうだ。

 その前に1970年に郵政省の日本万国博覧会記念切手に「NIPPON」と表記されて議論となったそうだ。佐藤内閣のときの閣議で、大臣が赫赫の議論を戦わせ、佐藤総理のツルの一声で「NIPPON」とすると決まったそうだ。その時のメンバーには、後の首相を務める中曽根、宮沢、橋本、福田なと錚々たるメンバーであったそうだ。

 半藤氏によると、「日本」という国名がいつできたかについて定説がないという。奈良時代(720年)に「日本書紀」ができているから、日本はあったのだろう。最初は「NIHON」だったと推察している。

 「NIPPON」についても確証はないとしながらも、室町時代に謡曲の「白楽天」の中で神国日本の権威を海外に示すものとして使われているそうだ。

 キリシタン関係の書物には「NIPPON」の表記が多いそうだ。外国との関係で見るとき、「にっぽん」と威勢よくいうのだろうと考察している。

 半藤氏は同じ字で読み方が二つある国名は日本だけだろうと言っている。私はこれまで気にせずに「NIHON」と言ったり、ときには「NIPPON」と言ってきた。

 私がボランティアに行く日本語教室では「NIHON」と発音している。戦前は「NIPPON」が多かったのではないかと推察するのだがどうだろう。「大日本帝国憲法」とか「日本軍」など。でも、唱歌では「日の丸」は「にほんの旗」で、「富士はにっぽん一の山」と両方ある。

 我々が普段使う場合は「NIHON」と発音することが多いと思われる。発音が二つあってよかったと思う。日本に外国人観光客が多く来るようになった。英語でJAPANという場合はよいが日本語ではどう発音するのだろう。

2019年2月 7日 (木)

英語が世界共通語になると思考も奪われる?!

 朝日新聞2月3日の朝刊「日曜に想う」欄に「バベルの塔 ふたたび?」という大野博人論説委員の記事があった。

  バベルの塔は知っていたが、その塔の建設を阻むために神はそれまで一つであった言語をバラバラにした。それで共同作業が無理になり建設は挫折したと旧約聖書に書いてあるというのだ。

  もともと人間の言語は一つだったというのは神話の世界の話しで、人間の世界の発達からみればそんなことはあり得ないということが分かる。

  ところが21世紀になって英語が世界共通言語のような役割を果たすようになり、日本でも中国でもその他の国でも幼少の頃から英語を学ばせるようになり、学校教育の大事な学習項目と位置付けられるようになった。

  人類は「英語」という一つの言語に収れんしていくかのようである。つまり、神の怒りを買う以前の状態に戻ろうとしているかのようだ。

  「言語伝達手段説」というのがあり、言語の一番の働きは「意思の通達」だというのだ。しかし、この考えは大事な点を忘れさせている。それは言語は「思考・判断・認識」を担うということだ。

  我々の脳の中では絶えず無意識のうちにも思考し、判断が下され、認識されるが、それは言語を使って行われるということである。その結果を伝達するのも言語である。大事なのは思考・判断がさきにあり、伝達は後だということだけで、両方の働きが大事なのだ。

 記事では、お東京大学副学長の石井洋二郎氏の次の言葉を引用している。

  「言葉はコミュニケーションツールであるとともに思考そのものです。日本語なら考えられることが、英語では考えられないということがあります。外国語なら日本語と違うことを考えることもできます」

  言語にはそれぞれの文化的背景や世界観があると大野論説委員は書いているが、だからこそ英語民族と日本語民族はそれぞれ独自の思考・判断・認識をするのである。

  私のような英語がうまくない者は日本語で考えて英語に載せて話そうとする。英語的発想が苦手なのだ。

 旅行英語のような簡単なことなら伝達手段としてだけでよいが、ビジネスや政治や学問などが絡んで来るとそうは行かない。

 英語が世界共通語とされると英語的発想や思考や判断が求められることになろう。そのとき我々のアイデンティティそのものまで英語に支配されてしまうのではないかという危惧を感じるのである。

 神が罰として多様な言語を人間に与えたのは正解であったのではないか。英語に支配されないことを考えて英語を学ぶことが大事なのではないかと思うのだ。

2019年2月 3日 (日)

愛知国際プラザボランティア研修会―④―

 英語では仮定法を使うことが大事だという。日本語には仮定法はあってもそれほど使われないが英語では意識して使われる。

  ・Do you like zebras?

   ・Yes,I like them very much. I think they look cute.

   ・No,I don't like them. In my opinion they look ugly.

  上記の会話はよくないと言うのだ。答えるとすれば、

  ・Yes,Ido. I ate zebra often when I lived in Afrika.

   ・Er,I don't know, because I'v never eaten zebra. Probably I would(not) like it if I had the chance to eat zebra.

 後のように仮定法を使って話すことが大事だと言うのだ。

  最後に、「知っている単語を使って話す」ことが大事だと言われた。

  例えば、「携帯電話」という単語を知らなかった場合、

  a small/lettle/baby telephone/phone in/for/from your pocket

 「おたまじゃくし」という単語を知らなかった場合、

  a baby frog/ a frog baby/ a forog's baby/ a baby of a frog

どのように、知っている単語を並べて話してみると、相手が察してその単語を教えてくれるというのだ。

  もう一つ大事なことは、紛らわしい発音の単語はシッカリと練習しておくことだ。

  ・Bard,bird     Shakespeare was the Bard of Avon.

  ・barn, buran        Help! The barn is burning!

   ・card,curd          Tofu is "bean curd" in English.

   ・Dart,dirt      These dart are covered with dirt.

  ・Far,fir,fur           They wear fur in the far north,under the fir trees.

   ・Hard,heard         I  heard you,but it was hard to understand.

   ・Par,per      Only ten per cent of the golfers scored under par.

   ・Star,sir             So many stars stir my heart.

   ・Yur dessrt will be served by the water.

  ・Please confirm that you have reserved a seat for Thursday.

 

 

2019年2月 1日 (金)

愛知国際プラザボランティア研修会―③―

 会話を続けるためには途切れないようにすることが大事である。会話中に4秒間以上途切れると会話が続かなくなるという法則のようなものがあるという。

  そのため日本語の場合は、時間稼ぎで語尾を延ばす話し方をする人がいる。「先ほどおはなししましたように~、会話が途切れることを~、」のように「に~」「を~」の部分を延ばしてその間に話す言葉を選んでいるのだ。

  ①英語では「er」を入れて話すとよい。例えば、

    I, er, don't, er, remember your, er, name, er, I'm, er, afraid.のように。

  ②また、テニスのように相手に打ち返すことも大事である。

  ③「n+αのルール」と言って、相手が言ったことより少し多く返すことも大事だ。

  ④相手が使った言葉を直ぐに使う。

  Host mother : I'm your host mother. Please call me Mom.

   Student : Hellow,Mom. I'm happy to meet you.

   Host father : I'm your host father. Call me Jim or Pop.

   Student : How do you do,Pop.

   Host brother or sister : This is my pet dog,Porch.

   Student : Oh! I like dog very much!

   Host brother or sister : Aaaagh! Heeeelp!!!          

  次は単数、複数を付けることが大事ということである。 私たちは単数でも複数でも意味は通じるからいいと曖昧にしてしまいがちである。それではいけないことを学んだ。       

 上記の例文で、Host brotherがなぜ驚いたか?それは、Studentが「dog」と言ったからである。ここでは「a dog」もしくは「dogs」と言うべきであったのだ。「dog」だと「犬の肉」と言う意味になるのだ。beef、pork,mutton meatのようによく食べるものには特有の言葉があるが、dogやcatなどの場合は単複を付けて言わないとその動物の「肉」になるのだ。

  スノーデン先生は日本に来たとき10枚の切手を買おうとして、複数形はどういうのかと戸惑ったそうだ。日本語には単複の区別はないが、欧米の言葉には単複の区別があり大事であるというのだ。

  いろいろな看板の写真を示して、ペットショップでは「犬・猫,dog&cat」とかタマゴ売り場ではegg、タオル売り場ではtowel、贈り物売り場ではgiftなど単複抜きでと表示されているので変に感じたそうだ。複数形でsを付けてあれば違和感がないと言う。

  運転手募集の広告に「I am happy driver」と書いてあって「a」が抜けていたそうだ。

 街の中の広告などを見て間違い探しをしてみると面白いかもしれない。次のはヤマダ電機天の大きな看板で見つけたそうだ。

 「FOR YOU →JUST」と書いてあった。意味が分からないので店に行って尋ねたら「あなただけのために」と言うことだと言ったそうだ。日本語をそのまま英語にしてあったのだ。ここは「JUST FOR YOU」とJUSTを先にすべきであったのだ。

 

 

 

 

2019年1月31日 (木)

愛知国際プラザボランティア研修会―②―

 日本語にはない発音、難しい発音として、「B」と「V」を先ず取り上げた。Bは破裂音でビーではないこと、Vは下唇を噛むのでいくらでも長く伸ばせるという。

  練習のために次の例文を示された。

  ・Vans are banned in this area.

 ・I shall wear my best vest.

  ・livable

   ・available

  ・David Bowie

 次は、sとshである。

  ・She sells sea shells on the sea shore.

   ・The shells she sells are sea shells,I'm sure.

   先生は授業に遅れて来た学生に 「Take a seat.」もしくは「Take a sheet」と言うそうだ。罰として聞き分けられるかを試すのだという。 

  3番目は、sin,   sing 、     thin  thing である。「s」と「th」の発音が苦手な日本人が多いという。この二つのうち「ん」で終るものと「ing」で終るものの発音にも気を付けるようにと言った。

  「ing」は舌が上あごにつかないのだ。日本語の「案内」と同じである。「sin」「thin」は「安心」と同じである。

  4番目が日本人に苦手な「R」と「L」であった。LondonとParis

  例文は、「*」のところに「R]か「L]を入れて発音するのだ。

 ・Tu**y's Coffee 

  ・O*ANGES and *EMONS

  ・E*ephants and zeb*as.

   ・Auat*ia and New Zea*and。

  ・John *ennon and *ingo Starr.

 

2019年1月30日 (水)

愛知国際プラザボランティア研修会―①―

 1月26日(土)午後に愛知県国際プラザのボランティア研修会があったので参加した。タイトルは「これでいいの?日本の英語~カタカナ英語を伝わる英語に~」であった。

  講師は杏林大学国際交流センター長のPaul Snowden教授で、とても流暢な日本語でユーモアを交えての講演で楽しく勉強できた。

  最初、バスのアナウンスを例にして話された。「次は、グローブライド本社入口でございます」というアナウンスの中にある「グローブライド本社」は英語圏の人にはどのように聞こえるかということであった。

  ・Globe Ride,   ・Glove Ride、・Globe Lied、  ・Glove Lied,    ・Glow Bride  ・  Grow Bride

   ・Grove Bride ・・・・etc.

 というように、いろいろに聞こえるというのだ。カタカナで書くと「グローブライド」だが、英語に直そうとするとどう言っているのか分からなくなるという。この場合は、「Globe Ride」だったそうだ。

  カタカナで表記された場合、「ト」と「ド」に気を付けることが大事だという。

  フロント、アウト、コンサート、トランプ、ポスト・イットなどの「ト」を「to」と母音を入れて発音する人がいるがこれらは英語にはない発音である。 

  ブランド、ドナルド、ドラマ、コードシェアなどの「ド」を「do」と母音を入れると間違いである。

  ただ、トロント→Torontoは最初と最後に「to」があるが、後の方は「to」と発音する。また、 manifestoは政権公約だがmanifestは乗客名簿などになるそうだ。

  イギリスの通貨ポンドはPOUNDでPONDと発音すると池になる。

  「コ」は「CO」の場合と「KO」の場合がある。concertは「co」で韓国はKoreaである。

  興味深かったのは、英語圏の人には同じ母音がいくつか入ると聞き取りが難しいそうで、例えばtakayama、hayakawa、fukuokaのように「a」とか「u」とかが2つ以上入る言葉は難しいのだという。