言語

2019年7月17日 (水)

NIHONかNIPPONか

 朝日新聞土曜日の「歴史探偵覚書」で、半藤一利氏が日本をどう発音するのかという考察をしていた。結論からいうと、2009年の麻生内閣のとき、「どちらかに統一する必要はない」と閣議決定されたそうだ。

 その前に1970年に郵政省の日本万国博覧会記念切手に「NIPPON」と表記されて議論となったそうだ。佐藤内閣のときの閣議で、大臣が赫赫の議論を戦わせ、佐藤総理のツルの一声で「NIPPON」とすると決まったそうだ。その時のメンバーには、後の首相を務める中曽根、宮沢、橋本、福田なと錚々たるメンバーであったそうだ。

 半藤氏によると、「日本」という国名がいつできたかについて定説がないという。奈良時代(720年)に「日本書紀」ができているから、日本はあったのだろう。最初は「NIHON」だったと推察している。

 「NIPPON」についても確証はないとしながらも、室町時代に謡曲の「白楽天」の中で神国日本の権威を海外に示すものとして使われているそうだ。

 キリシタン関係の書物には「NIPPON」の表記が多いそうだ。外国との関係で見るとき、「にっぽん」と威勢よくいうのだろうと考察している。

 半藤氏は同じ字で読み方が二つある国名は日本だけだろうと言っている。私はこれまで気にせずに「NIHON」と言ったり、ときには「NIPPON」と言ってきた。

 私がボランティアに行く日本語教室では「NIHON」と発音している。戦前は「NIPPON」が多かったのではないかと推察するのだがどうだろう。「大日本帝国憲法」とか「日本軍」など。でも、唱歌では「日の丸」は「にほんの旗」で、「富士はにっぽん一の山」と両方ある。

 我々が普段使う場合は「NIHON」と発音することが多いと思われる。発音が二つあってよかったと思う。日本に外国人観光客が多く来るようになった。英語でJAPANという場合はよいが日本語ではどう発音するのだろう。

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2019年2月 7日 (木)

英語が世界共通語になると思考も奪われる?!

 朝日新聞2月3日の朝刊「日曜に想う」欄に「バベルの塔 ふたたび?」という大野博人論説委員の記事があった。

  バベルの塔は知っていたが、その塔の建設を阻むために神はそれまで一つであった言語をバラバラにした。それで共同作業が無理になり建設は挫折したと旧約聖書に書いてあるというのだ。

  もともと人間の言語は一つだったというのは神話の世界の話しで、人間の世界の発達からみればそんなことはあり得ないということが分かる。

  ところが21世紀になって英語が世界共通言語のような役割を果たすようになり、日本でも中国でもその他の国でも幼少の頃から英語を学ばせるようになり、学校教育の大事な学習項目と位置付けられるようになった。

  人類は「英語」という一つの言語に収れんしていくかのようである。つまり、神の怒りを買う以前の状態に戻ろうとしているかのようだ。

  「言語伝達手段説」というのがあり、言語の一番の働きは「意思の通達」だというのだ。しかし、この考えは大事な点を忘れさせている。それは言語は「思考・判断・認識」を担うということだ。

  我々の脳の中では絶えず無意識のうちにも思考し、判断が下され、認識されるが、それは言語を使って行われるということである。その結果を伝達するのも言語である。大事なのは思考・判断がさきにあり、伝達は後だということだけで、両方の働きが大事なのだ。

 記事では、お東京大学副学長の石井洋二郎氏の次の言葉を引用している。

  「言葉はコミュニケーションツールであるとともに思考そのものです。日本語なら考えられることが、英語では考えられないということがあります。外国語なら日本語と違うことを考えることもできます」

  言語にはそれぞれの文化的背景や世界観があると大野論説委員は書いているが、だからこそ英語民族と日本語民族はそれぞれ独自の思考・判断・認識をするのである。

  私のような英語がうまくない者は日本語で考えて英語に載せて話そうとする。英語的発想が苦手なのだ。

 旅行英語のような簡単なことなら伝達手段としてだけでよいが、ビジネスや政治や学問などが絡んで来るとそうは行かない。

 英語が世界共通語とされると英語的発想や思考や判断が求められることになろう。そのとき我々のアイデンティティそのものまで英語に支配されてしまうのではないかという危惧を感じるのである。

 神が罰として多様な言語を人間に与えたのは正解であったのではないか。英語に支配されないことを考えて英語を学ぶことが大事なのではないかと思うのだ。

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2019年2月 3日 (日)

愛知国際プラザボランティア研修会―④―

 英語では仮定法を使うことが大事だという。日本語には仮定法はあってもそれほど使われないが英語では意識して使われる。

  ・Do you like zebras?

   ・Yes,I like them very much. I think they look cute.

   ・No,I don't like them. In my opinion they look ugly.

  上記の会話はよくないと言うのだ。答えるとすれば、

  ・Yes,Ido. I ate zebra often when I lived in Afrika.

   ・Er,I don't know, because I'v never eaten zebra. Probably I would(not) like it if I had the chance to eat zebra.

 後のように仮定法を使って話すことが大事だと言うのだ。

  最後に、「知っている単語を使って話す」ことが大事だと言われた。

  例えば、「携帯電話」という単語を知らなかった場合、

  a small/lettle/baby telephone/phone in/for/from your pocket

 「おたまじゃくし」という単語を知らなかった場合、

  a baby frog/ a frog baby/ a forog's baby/ a baby of a frog

どのように、知っている単語を並べて話してみると、相手が察してその単語を教えてくれるというのだ。

  もう一つ大事なことは、紛らわしい発音の単語はシッカリと練習しておくことだ。

  ・Bard,bird     Shakespeare was the Bard of Avon.

  ・barn, buran        Help! The barn is burning!

   ・card,curd          Tofu is "bean curd" in English.

   ・Dart,dirt      These dart are covered with dirt.

  ・Far,fir,fur           They wear fur in the far north,under the fir trees.

   ・Hard,heard         I  heard you,but it was hard to understand.

   ・Par,per      Only ten per cent of the golfers scored under par.

   ・Star,sir             So many stars stir my heart.

   ・Yur dessrt will be served by the water.

  ・Please confirm that you have reserved a seat for Thursday.

 

 

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2019年2月 1日 (金)

愛知国際プラザボランティア研修会―③―

 会話を続けるためには途切れないようにすることが大事である。会話中に4秒間以上途切れると会話が続かなくなるという法則のようなものがあるという。

  そのため日本語の場合は、時間稼ぎで語尾を延ばす話し方をする人がいる。「先ほどおはなししましたように~、会話が途切れることを~、」のように「に~」「を~」の部分を延ばしてその間に話す言葉を選んでいるのだ。

  ①英語では「er」を入れて話すとよい。例えば、

    I, er, don't, er, remember your, er, name, er, I'm, er, afraid.のように。

  ②また、テニスのように相手に打ち返すことも大事である。

  ③「n+αのルール」と言って、相手が言ったことより少し多く返すことも大事だ。

  ④相手が使った言葉を直ぐに使う。

  Host mother : I'm your host mother. Please call me Mom.

   Student : Hellow,Mom. I'm happy to meet you.

   Host father : I'm your host father. Call me Jim or Pop.

   Student : How do you do,Pop.

   Host brother or sister : This is my pet dog,Porch.

   Student : Oh! I like dog very much!

   Host brother or sister : Aaaagh! Heeeelp!!!          

  次は単数、複数を付けることが大事ということである。 私たちは単数でも複数でも意味は通じるからいいと曖昧にしてしまいがちである。それではいけないことを学んだ。       

 上記の例文で、Host brotherがなぜ驚いたか?それは、Studentが「dog」と言ったからである。ここでは「a dog」もしくは「dogs」と言うべきであったのだ。「dog」だと「犬の肉」と言う意味になるのだ。beef、pork,mutton meatのようによく食べるものには特有の言葉があるが、dogやcatなどの場合は単複を付けて言わないとその動物の「肉」になるのだ。

  スノーデン先生は日本に来たとき10枚の切手を買おうとして、複数形はどういうのかと戸惑ったそうだ。日本語には単複の区別はないが、欧米の言葉には単複の区別があり大事であるというのだ。

  いろいろな看板の写真を示して、ペットショップでは「犬・猫,dog&cat」とかタマゴ売り場ではegg、タオル売り場ではtowel、贈り物売り場ではgiftなど単複抜きでと表示されているので変に感じたそうだ。複数形でsを付けてあれば違和感がないと言う。

  運転手募集の広告に「I am happy driver」と書いてあって「a」が抜けていたそうだ。

 街の中の広告などを見て間違い探しをしてみると面白いかもしれない。次のはヤマダ電機天の大きな看板で見つけたそうだ。

 「FOR YOU →JUST」と書いてあった。意味が分からないので店に行って尋ねたら「あなただけのために」と言うことだと言ったそうだ。日本語をそのまま英語にしてあったのだ。ここは「JUST FOR YOU」とJUSTを先にすべきであったのだ。

 

 

 

 

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2019年1月31日 (木)

愛知国際プラザボランティア研修会―②―

 日本語にはない発音、難しい発音として、「B」と「V」を先ず取り上げた。Bは破裂音でビーではないこと、Vは下唇を噛むのでいくらでも長く伸ばせるという。

  練習のために次の例文を示された。

  ・Vans are banned in this area.

 ・I shall wear my best vest.

  ・livable

   ・available

  ・David Bowie

 次は、sとshである。

  ・She sells sea shells on the sea shore.

   ・The shells she sells are sea shells,I'm sure.

   先生は授業に遅れて来た学生に 「Take a seat.」もしくは「Take a sheet」と言うそうだ。罰として聞き分けられるかを試すのだという。 

  3番目は、sin,   sing 、     thin  thing である。「s」と「th」の発音が苦手な日本人が多いという。この二つのうち「ん」で終るものと「ing」で終るものの発音にも気を付けるようにと言った。

  「ing」は舌が上あごにつかないのだ。日本語の「案内」と同じである。「sin」「thin」は「安心」と同じである。

  4番目が日本人に苦手な「R」と「L」であった。LondonとParis

  例文は、「*」のところに「R]か「L]を入れて発音するのだ。

 ・Tu**y's Coffee 

  ・O*ANGES and *EMONS

  ・E*ephants and zeb*as.

   ・Auat*ia and New Zea*and。

  ・John *ennon and *ingo Starr.

 

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2019年1月30日 (水)

愛知国際プラザボランティア研修会―①―

 1月26日(土)午後に愛知県国際プラザのボランティア研修会があったので参加した。タイトルは「これでいいの?日本の英語~カタカナ英語を伝わる英語に~」であった。

  講師は杏林大学国際交流センター長のPaul Snowden教授で、とても流暢な日本語でユーモアを交えての講演で楽しく勉強できた。

  最初、バスのアナウンスを例にして話された。「次は、グローブライド本社入口でございます」というアナウンスの中にある「グローブライド本社」は英語圏の人にはどのように聞こえるかということであった。

  ・Globe Ride,   ・Glove Ride、・Globe Lied、  ・Glove Lied,    ・Glow Bride  ・  Grow Bride

   ・Grove Bride ・・・・etc.

 というように、いろいろに聞こえるというのだ。カタカナで書くと「グローブライド」だが、英語に直そうとするとどう言っているのか分からなくなるという。この場合は、「Globe Ride」だったそうだ。

  カタカナで表記された場合、「ト」と「ド」に気を付けることが大事だという。

  フロント、アウト、コンサート、トランプ、ポスト・イットなどの「ト」を「to」と母音を入れて発音する人がいるがこれらは英語にはない発音である。 

  ブランド、ドナルド、ドラマ、コードシェアなどの「ド」を「do」と母音を入れると間違いである。

  ただ、トロント→Torontoは最初と最後に「to」があるが、後の方は「to」と発音する。また、 manifestoは政権公約だがmanifestは乗客名簿などになるそうだ。

  イギリスの通貨ポンドはPOUNDでPONDと発音すると池になる。

  「コ」は「CO」の場合と「KO」の場合がある。concertは「co」で韓国はKoreaである。

  興味深かったのは、英語圏の人には同じ母音がいくつか入ると聞き取りが難しいそうで、例えばtakayama、hayakawa、fukuokaのように「a」とか「u」とかが2つ以上入る言葉は難しいのだという。 

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2014年10月 5日 (日)

弱いんぼ・・・・を耳にして

 一昨日の朝のことである。いつものように早朝ウオーキングに出かけ、家の近くまで戻って来たら、見かけない女性が小さな愛玩犬を連れて歩いていた。最近は小さい愛玩犬を散歩させている人をよく見かけるようになった。大きい犬を連れている人はほとんど見かけない。

  その女性が散歩させている犬がどんな種類なのか、犬のことはあまり知らないので分からなかったが、テリヤに近い感じの小さな犬であった。

  我が家の近くに、玄関の登り口の階段に、高さ20cmぐらいの可愛い陶器製の小犬を最近になって置いた家がある。その家の前に来ると、女性はそれを見つけて、連れている小犬に見せるために近づいた。すると子犬は怖がって尻ごみをした。

  その時女性は小犬に「よわいんぼさんだね」と言ったのだ。それを耳にして私は「弱いんぼ?」・・・・そんな言葉があったかな?と思った。

  すぐに浮かんだのは、最近騒がれた「美味しんぼ」である。「美味しんぼ」は漫画家の造語だと思うから、おそらく「弱いんぼ」もその女性の造語だろうと思った。

  他に似たような言葉がないか思いめぐらして出てきたのが、「けちんぼ」、「くいしんぼ」であった。後は思いつかなかった。ネットで調べたらやはりそういうことを気にする人がいるらしく「・・・んぼ」と語尾につく言葉の考察をしているサイトがあった。

  どうやら「・・・ぼ」というのは、可愛さを込めて呼んだ「坊」と関係があるらしいと分かった。夕方になって「甘えん坊」「きかん坊」を思い出した。他には「しゃべりんぼ」「おこりんぼ」「笑いんぼ」などがありそうだ。

  「・・・・んぼ」とつく言葉は、「さくらんぼ」「あめんぼ」「くろんぼ」などいろいろあり、「赤んぼ」「田んぼ」もその仲間だという。

 「舟を編む」を読んだとき、辞書を編纂する人は絶えず人の言葉に耳をそばだてて、新しい言葉を採集していると書いてあった。言葉に気を付けることは大事だし面白いと思う。

  ※下記のURLを参照

http://homepage2.nifty.com/osiete/seito146.htm

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2014年9月27日 (土)

国語世論調査を見て

 25日の朝刊に「国語世論調査」の記事が出ていた。文化庁が今年3月に、2013年度の国語世論調査というのを実施したのだという。対象は16歳以上の男女で回答は2028人だった。

 名詞や外来語に「る」や「する」をつけて動詞にする言い方を調べた結果であった。それによると、よく知られているのは「チンする」で、使うことがあると答えた人は90.4%であった。この使い方は、テレビの番組でもよく使われるし、完全に現代日本語になっている。

 日本語教室で今教えている学習者に「日本では電子レンジで温めることを『チンする』という」と教えたことがある。短くて分かりやすいよい表現だと思う。

 「サボる」は昔から使われている。学校でも「こら、掃除をサボるな」「宿題をサボるな」のようによく使われていた。

 「お茶する」は我々高齢の男性は使わないと思うが、若い女性はよく使うし、高齢の女性でも使うようだ。いつのころからか女性に使われ出したようだ。

 「事故る」はかなり前に聞いたとき、「えっつ、そんな言い方があるのか?」と驚いたものだ。「事故」に「る」をつけて動詞化するのは巧みではあるが。

 「パニクる」も最初は変な感じがしたが、今では慣れてしまった。「愚痴る」は自然に使える違和感がない表現だと思う。

「告る」(告白する)はどう発音するのか、コクルだろうか。初めて知った。「タクる」も初めて知ったがタクシー利用だとか。「ディスる」はけなすという意味だそうだが、英語のdisrespectectから生まれた表現だそうだ。いったい誰が言いだしたのかとおもうが若い人だけが使っているらしい。最後の3つは聞いただけでは意の見当がつかない。隠語みたいに聞こえる。

 日本語は「する」を名詞につけて動詞化するのは簡単だし、そのように使われている例は枚挙にいとまがない。便利といえば便利な点である。

その他に、慣用句の使い方についても調べたそうで、慣用句本来の意味からずれてしまっているのが面白い。

 「世間ずれ」は「世の中の考えからはずれている」という意味に取っている人が55.2%もいるというので驚いた。

「まんじりともせず」を「じっと動かないで」だと思っている人が51.5%もいるのも驚きだが、この言葉はあまり使われなくなったのかもしれない。

 「煮詰まる」が「(議論が行き詰まり)結論が出ない状態」と解釈している人が40%もいる。

 以前「情けは人のためならず」を文字通り「情けを掛けた相手の人のためにならない」と取る人が多いと評判になったが、こうした調査結果を見ると、時代とともに言葉が変わって行く様子が窺えて面白い。

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2014年4月23日 (水)

「英語はインド式で学べ」という考え方

 iphoneで週刊誌記事をブラウズしていたら、「従来の英語学習法5つのウソ、インド式英語学習法は非ネイティブに最適『英語はインド式で学べ!』」というのがあったので、興味を引かれて覗いてみた。

 安田正という人が提唱していて、同名の書籍がダイヤモンド社から刊行されているそうだ。

 世界には英語を喋る人口が20億人いて、その内ネイティブは3億人で、あとの17億人は非ネイティブだという。それで非ネイティブ同士の英語によるコミュニケーションを取りやすくするために、「世界標準の英語(グローバル・イングリッシュ」は、これまでの英語より10倍も簡単になっているというのだ。

 世界標準の英語(グローバル・イングリッシュ)という用語を初めて知った。誰がいつごろから言いだしたのであろうか。

 それはともかく、簡単な訳は4つだという。

①発音は気にしない

 20世紀までの英語はネイティブの真似をして受け身の英語であったが、21世紀からの英語は通じるための「道具」としての英語だというのだ。

 確かに、国際化が叫ばれるようになって、英語会話が重視される頃から、ネイティブに少しでも近づきたいと、日本人は一生懸命努力をしてきた。それまでは文法と読解と英語作文が大事だとされていたのが大きく変化したのであった。

②イディオム(慣用表現)は使わない

 私も英語会話の勉強を始めたころ、インストラクターから、イディオムを覚えることを強く勧められたのを思い出す。GETとGOとMAKEとTAKEでできたイディオムが大事だという本があったような気がする。

③新しい単語を覚える必要はない 

 英語を話すには最低3000語程度の単語を覚えることと言っていたっけ?

④英語が得意でない人でも使える

 日本人は英語が不得手だと言われ、英語がうまくならないのはどうしてかという議論がなされてきた。そして英語上達の本がゴマンと出版され、NHKは英語番組をずらりと並べて英語偏重の放送をしているくらいだ。

 しかし、世界には、ピジン・イングリッシュとか、インドネシア・イングリッシュとかアフリカン・イングリッシュとかいろいろあって、彼らの話す英語は確かに分かりやすい。アフリカに行ったときなど自分の英語がうまくなったと錯覚したくらいである。

  日本人で英語が喋れない人は99%もいると安田さんはいうが、何を根拠にしているのかは分からない。確かに、ネイティブを基準にして言えばそういうことになろう。

 私はグローバル化の時代になり、英語が世界共通語のようになったのは困ったことだと思う。理由は、ネイティブの3億人には非常にメリットがあるが、そうでない人には劣等感を抱かせるし、ビジネス等の交渉などでも大変不利になるからである。

 そんなとき、大丈夫何もネイティブのようにならなくても、非ネイティブの17億人とコミュニケーションがとれればいいのさ・・・・というメッセージはとても心強い。

 さて、従来の英語学習法には5つのウソがあると指摘している。

①英語の先生にはネイティブが1番

②たくさん聞き流せば英語は話せる

③単語をたくさん覚えれば話せる

④TOEICなどの英語のテストの点が良ければ話せる

⑤ネイティブの発音に近づければ話せる

こうしたウソに脅されて勉強してきたから英語ができないのは当然だという。

 英語で話したり聴いたりするとき、話のポイントがつかめればよいのだと言っている。その程度におさえて気楽に構えればよいというのだ。

 「英語はインド式で学べ」というが、英語を公用語とし、イギリス系の英語を話すインド人の英語の発音は大変聴きづらく、ネイティブでも聞きとれないという人もいるくらいだ。そのくらい堂々としていればよいということなのかと思う。

英語は「インド式」で学べ!

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2014年4月 8日 (火)

日本語の文末決定性について阿川佐和子さんの見方から

 阿川佐和子さんの「聞く力」P.151に次のような文章がある。

 大学時代、言語学の授業で習ったところによると、日本語の肯定か否定かは、欧米の言語などとは異なり、文章の最後に決定されるのですね。

 すなわち、英語の場合なら、「この料理はおいしくないねえ」という場合、「This dish is not so good」という具合に、主語の直後に肯定か否定かを決定しなければならないのに比べ、日本語だと、「この料理はおいし・・・・」まで、肯定否定を表明しなくてもいい。

 「おいしくないなあ」と心の中で思っていても、「おいし」まで言ってみて、目の前にいる上司の顔色を見たら、「ずいぶんおいしそうな顔をしている」ので急遽、「いですよね」と自分の主張を引っ込めることができる。

 つまり、相手の反応を窺いながら、自分の言うことを決められるという、まことに便利な言語のつくりになっているというわけです。

 こうした言語のつくりのせいか、日本人はとかく、自分の主張より、とりあえず相手やまわりの状況をみてから自分の意見を決める傾向にあるように思われます。

 日本語は、阿川さんが書いているように、文の最後に述語がきて、そこで初めて肯定か否定かなど、話者の判断が分かる構造になっている。このことを「文末決定性」という。

 日本語の文末決定性は大事なことなので、国語の読み取りのときにも注意をして読むように指導した。また、外国人に日本語を教えるときにも文末できまることを話している。

 韓国語は日本語と文法が似ているらしいから、やはり文末決定性をもつのだろうか。中国語は英語のように肯定か否定かは主語の後に来る。

 欧米語や中国語のような言語は、話者の判断が初めに示されるので分かりやすいといえる。

 阿川さんの説明を読んで気づいたのは、日本語を話すときに、話者は文の最後で意味(話者の判断)を変えることが可能だということである。

 相手の顔色や反応を見て、はっきり言うとかあいまいに言うとか否定するとか変えることができるのでビジネスや政治の場面で活用されている。

 日本人は態度をあいまいにぼかすのを好むと言われるが、日本語もそれに適した言語になっているから興味深い。日本人の民族性からそういう日本語を育てて来たのか、それとも、日本語の言語構造があいまい好みの日本人を作ってきたのか、どちらなのであろうか。

 英語や中国語で話すと意志や判断をはっきりと伝えやすいが、日本語ではストレートな表現は好まれない。日本では言外の意を察知することが大事だとされてき た。これからも日本語の構造は変わらないだろうが、態度の面では判断をはっきりと述べるように向かうのかも知れないと思う。

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