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マジック

2016年4月 7日 (木)

マジック世界一決定戦キングオブキングを観たが

 4月2日夜にCBCで放映された「マジック世界一決定戦キングオブキング」を観た。MCが第1回と言っていたからこれからも年に1度やるのであろう。番組のキャッチフレーズには下のように書いてある。

 「この番組は、生放送という極限の舞台の中で世界一のマジシャンを決める、真剣勝負のマジックショー。厳選された9つの国と地域の一流マジシャンたちが珠玉のマジックを披露し、その中からスタジオゲストと一般の審査員が審査をして、合計得点が一番高いマジシャンがキングの栄冠に輝くという、前代未聞の大型特番だ。」

 生放送という「極限の舞台」というナレーションは、番組中に何度か流された。生放送だから失敗してもそのまま放送されるという怖さのことであろう。

 出演するマジシャンをどのように選んだのかは分からないが、7か国と1地域から一流と評価されているマジシャンを選抜したようだ。いうなれば、「選抜マジック世界一決定戦」である。一般審査員をどのようにしてえ選んだのかは不明だが、スタジオの特別審査員は全部日本人であった。(外国人ぽい女性も1人いたが)つまりTBS主催のマジック世界一決定戦ということになる。


  出演マジシャン
    ・メイガス・ユートピア(オランダ代表/マジック界のオリンピック「FISM」2012      年ステージイリュージョン部門チャンピオン)
    ・ミルコ(アルゼンチン代表/「FISM」2003年ジェネラルマジック部門第3位)
    ・原 大樹(日本代表/世界ジュニア大会「World Magic Seminar Teens c  ontest」にて、日本人初のグランプリを受賞)
    ・ヴラッドレン(ウクライナ代表/19 歳でスカンジナビアの RAIKIN 杯優勝)
    ・ザビエ・モルティメール(アメリカ代表/多数のコンテストに出場し賞を総なめ)
    ・ミス カタリン(ハンガリー代表/アメリカの「World Magic Awards」で最優秀キャバレーマジシャン(女性部門)受賞)
    ・ふじい あきら(日本代表/1993年から活動開始。1996年箱根クロースアップ祭人気投票第1位。2001年からテレビに出演し、注目を浴びる。
    ・マキシム・ミネルベ(フランス代表/フランスのマジックの聖地にて生まれ育ち、2009年から2010年にかけて700回以上のパフォーマンスを経験)
    ・シン・リム(カナダ代表/「FISM」2015年カードマジック部門チャンピオン)

      けがで出場辞退した。
    ・ホレット・ウー(台湾/「FISM」2015年でカードマジック部門チャンピオン。シン・リムと同率1位)


 2番目に出演のジャンボカードを使う台湾のホレット・ウーが91点で暫定王座の椅子に座っていたが、日本のふじいあきらのカードマジックも91点で同率一位となり、特別審査員7人の投票で4:3でふじいあきらが暫定王座に坐った。

 

 ウーのカードマジックは、ジャンボカードを普通のカードに変えていくというのがメインであった。ふじいあきらは通常のカードでデザイン面を変えたり、2人のゲストの選んだカードを当てるものなどであった。二人とも素晴らしいテクニックであった。

 

 ふじいのあと美人のミス カタリンとマキシム・ミルべの17スピード変身があったが、結局ふじいが優勝をして、総取り方式の650万円の賞金を手にした。

 

 ふじいあきらはコンテストには出場したことがないと言っていたが、たしかにそのカードテクニックは素晴らしい。でも、気になったのはふじいが1位になるという想定のもとで、番組が作られていたふしがうかがえることであった。番組の途中でふじいのことが何度も取り上げられ期待を持たせていたからだ。

 

 もう一つこの「マジック世界一決定戦」で納得できないのは、選抜で参加者を決め、その上部門別でなく総合で1位を決めるものであったことだ。

 

 あの有名な世界で権威のあるFISMは、部門別で順位を決めている。マジックはイリュージョンとかカードとかジャンルががいろいろある。それをいっしょくたにして世界一というのは比較が難しいと思うのだ。

 

 参加した8人はみな選りすぐりで、それぞれ素晴らしいマジックを披露し、さすがは世界的プロのマジシャンだと感嘆させられた。プロとアマの違いは歴然としていた。エンターテイメントとしては楽しいものであった。

 

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2014年7月 3日 (木)

第14回中部奇術連合会・講習会

 6月29日に中部奇術連合会のマジックショーとレクチャーが西文化小劇場であった。2000円の前売り券を買ってあったので、早めに出かけた。マジックやレクチャーは前の方の席がよいからだ。


 11時半より前に会場に着いたが、すでに30人ぐらい並んでいた。地下3階に劇場がある変わった構造である。それで並ぶ人は階段を1階に向けて並ぶのだ。でも階段なので腰かけることができた。

 会場まで1時間以上もありiphoneでニュースでも見ようと思ったら圏外で見ることができなかった。しばし思案をして、図書館が併設されているのを思い出した。それで1階の図書館に行き本を借りてきた。名古屋市の図書館はどこで借りてもよいし、どこへ返してもよいから便利である。

 本を読んでいたら予定より早く開場したので助かった。左側の前列から3列目に席を取った。この位置は以前にあさひのホールでのマジックショーで試し済みであった。

 観客は意外にも少なく、後から来た同じクラブのOさんたち3人が後ろの列に座った。前はWさんであった。

 12時45分にショーが始まり、第1部は3分程度の短いマジックで4つ玉、衣装チェンジ、CD,ボールなど6つのマジックが加盟クラブの人によって演じられた。

 第2部は、7分~10分位の長めの演技で、衣装チェンジ、パラソルが二つ、マニュピレ―ション、夫婦引き出しなど6種目であった。特によかったのは三重県久居マジッククラブの女子高校生のカードのマニュピレ―ションと三重県津奇術グループの女性のパラソルプロダクションであった。

 15分の休憩の後14時20分から、ゲストの「都々師」のクロスアップマジックが演じられた。都々師は銀座でマジックバーをやっておられるそうで実に鮮やかな手さばきでトークも面白かった。

 お札を使ったマジックや携帯電話とカードを組み合わせたマジックなどで後ろの席の女性たちが「不思議、不思議、いったいどうなっているのだろう?」と話していた。カードが動いて出てきたり、グラスに閉じ込めたカードが出てきたりするのだ。

都々師のマジックは、BGMを用意し、さらにビデオカメラで演技をアップしてスクリーンに映して後ろの席の人たちにも見えるように配慮していた。ただ残念ながら画面が暗かったのでどのぐらい見られたかは分からないが。

 15時15分からは、レクチャーがあった。ショーで見せたビル・チェンジのレクチャーであった。

 ビル・チェンジでは、浦部粂米子が愛したものがよく知られているが、今回のものは、客から1枚の札を借りてそれを折りたたんで広げると1万円札などに変るというものであった。話では都々師のオリジナルだということであった。

 そのマジックを演技の仕方まで含めて丁寧に解説してくれた。それで時間が来たのでレクチャーは1つだけであったが、全員がマスターして帰ったと思う。

 もう一つ、選んだカードを見せる時にカードを左右に動かすと見えにくくなるから動かさないようにというアドバイスがあった。

 次回の中部奇術連合主催のショーは、「第11回ワンデーコンベンション」で、12月12日(日)に小牧市民会館で開催される。



http://www.toto-office.com/magician_toto.html

2014年5月14日 (水)

第7回アマチュア マジック フェスチバルを見に行った

5月11日(日曜日)に尾張旭市文化会館あさひのホールで、第7回アマチュア マジック フェスチバルが開かれた。

 私は尾張旭市へ行くのは初めてなので、最初は、栄駅から瀬戸電で行けばよいと思っていた。ところが調べていると大曽根駅から乗ってもよいことが分かった。それで地下鉄で大曽根駅まで行くことにした。それで片道100円安くなった。

 名鉄大曽根駅はJR大曽根駅と隣り合って高架になっていてすぐに分かった。運よく急行が来たのでそれに乗り、9時46分には尾張旭駅に着いた。

 文化会館へは道路標示があったので、それにしたがって歩いて行った。駅から6分としてあった通り9時前に文化会館に着いた。家を出る時、早くから並んでいることを想像して早めに出たのであったが、誰も並んでいなかった。9時半開場なのに、受付に行くとすぐに会場に入れてくれた。

 何と会場には数人しかいなかったので、席は舞台前も空いていたが、前列から3列目の左側に座った。理由は、その辺りからは演者の裏側の動きも見ることができるからだ。思った通り、その位置からは身体の後ろやテーブルの後ろから物を取る様子がよく分かった。

 10時開演まで1時間もあったので、外に出てパンでも買おうと思ったが、コンビニもなかった。たまたま通りかかった地元の人に尋ねてコンビニを教えてもらった。歩いて行くとコメダコーヒーがあったので入り時間を過ごした。

 会場に戻ると、開演10分前なのに50人ぐらいしか来ていなかったので拍子抜けがした。開演時にやっと80人ぐらいになった。

 このマジックフェスチバルには、14のマジッククラブが登録されているがこの日の参加は次のグループであった。
 
 中日文化センターの一宮教室と四日市教室、東海マジック同好会、ハットマジック瀬戸、レインボーマジック、ハッピースマイル、緑マジックサークル、トンマジッククラブ、グランパスマジックソサエティ

 これだけのマジッククラブが関係しているのなら、観客がもっと集められると思うのだが意外であった。

 10時から11時37分までは団体の出演ということであった。トップは、緑マジッククラブの10名が「平成浦島太郎物語」という構成の劇仕立てでマジックを演じ、面白いアイディアだと思った。

 次は、トンマジッククラブの7人がシルクやロープや鳩だし、ワインボトル、増える水などいろいろと演じた。

 3番目は、レインボーマジッククラブで14名が演じた。人体交換と人体浮揚のイリュージョンがあり、パラソルやお椀と玉などもあった。

 午後は12時25分から個人出演の部で、3部に分かれていた。第1部は、マジック歴2か月、6か月という人も一生懸命に演じていた。中華セイロ、四つ玉、タンバリン、小さくなるカードなどの他に南京玉すだれもあって面白かった。

 13時40分からの第2部は、人体交換のイリュージョンや浪曲手品、手袋、ケーンプロダクション、テーブル浮揚などもあった。自称ゼンジ―バイキンさんの演技はゼンジ―北京のパクリの感がないでもなかったが面白いトークで楽しいものであった。

 14時45分からの第3部は上手な人が揃っていた。ハト出しが2人、ゾンビ、リング、シルク、カード、CD,ミリオンフラワーなどがあった。大トリを演じた女性は見事なファウンテンシルクで魅了した。

 いろいろなクラブが出演しているので、演目にダブりが出るのはどうしようもない。新聞マジックが非常に多く、取り出し箱は5人もいた。シルクの結び、消失などは4人も同じであったが中でも若い女性のは見事であった。

 他にもロープと輪やロープ奇術にもダブりがあったが、同じマジックでも演じ方の比較ができるから良いかもしれない。

 固くなって必死に演じる人や仏頂面で演じる人や如何にも嫌だという感じで演じる人などもいて様々で勉強になった。でも、音楽に乗って、しかも素敵なスマイルで演じる女性も何人かいてさすがだと思った。

 ネタを落としたり、失敗したり、取り出しのネタの様子が見える人なども何人もいたがご愛嬌であった。

 朝10時から3時45分まで5時間も、たっぷりとさまざまなマジックを楽しませてもらった。スケジュールが分刻みで組まれていてずれることなく進行したのには驚いた。

 これだけのマジックショーだから無料で出入り自由なので一般の人が見に来るとよいと思った。ほとんどがマジック関係者で、しかも空席が目立ったのでもったいないと思った。

Asahi


2013年8月29日 (木)

名古屋華マジカルグループ合宿―②One Ahead System

 将魔講師のレクチャーの重要テーマは、他に「ミスコール」と「One Ahead System」があった。

 ミスコールというのは、インターネットで調べると、超能力マジックで違うものを言うことを指すらしいが、将魔講師が話したのは、マジックの演技の途中でわざと間違ったことを言って観客を違った感覚に導くことであった。ミスター・マリックがこのミスコールが非常に上手だと言っていた。マリックは「コインを見せながら、穴が開いていませんね」と言って見せて、そこにタバコを通すというようなやり方をふんだんに使う。

 ミスコールをうまく使ってマジックを演技するのも大切なことだという。

 3点目は、「One Ahead System」についてであった。最初「head」聞いたので、どういう意味かなと思いながらレクチャーを聞いて、帰ってからインターネットで調べたが、「One Head System」で検索したら違うのが出てきた。調べて行くうちにheadではなく、Aheadだと分かった。

ワン・アヘッド・システム (One-Ahead System)

 メンタルマジックの手順の中で用いられる原理のひとつで、もともと秘かに封筒の中のメッセージを盗み見るために、イカサマ霊媒が編み出したテクニックだといわれている。基本的な手順は、複数の客に紙片を渡して何かを書かせたあと、封筒に入れてしっかりと封をさせる。そして演者は封を開けることなく封筒の中の紙片に何が書かれているかを当てる、というもの。本来はサクラ(協力者)を使わなければ演じられなかったが、後にセオドア・アネマンの改良により、サクラを使わなくても演じられるようになった。

 将魔講師は、「One Ahead System」の考え方が大変重要であるが、日本ではほとんど考慮されていなかったと言った。そのためFISMなどの世界のコンペティションでは日本人はなかなか賞を取れず、韓国など外国に負けてしまうという。

 例として、ハト出しをするとき、すぐにハトを出すのではなく、その前に他の物を見せてワンクッション置いてハトを出すというようなことだと言った。

 あるいはバッグからシルクを取り出すとき、同時にくす玉のリングに指を掛けておく、1つ目のくす玉を取り出すとき、2つ目に指を掛けておくというようなことも例として演技をしながら説明してくれた。

 One Ahead System以外にTwo AheadとかThree Aheadをやる人もいると言っていた。

 将魔講師のレクチャでは、以上の3点が私の眼を開かせてくれた。その後、実用的な手品用具の改良とかマジックテーブルの作り方の講義などがあり、有益であった。

 彼はホームセンターや百円ショップなどで安い商品を探して自作もするそうだ。

 1,500円のコートハンガーを利用したマジックテーブルとか、百円ショップの造花を利用した取り出し用薔薇の作り方、昔買って死蔵しているボトルを活かす方法などを教えてくれた。

2013年8月28日 (水)

名古屋華マジカルグループ合宿―①オフビート、オンビート

 名古屋華マジカルグループの恒例の合宿が24日と25日にヴィラ・マリーンであった。

 車を運転して行くか、電車で行くか、当日の朝まで迷っていた。結局電車で行くことにした。車を運転して知多半島の先まで行くのは疲れるし、事故が怖いしでためらったのであった。

 金山駅に行ってマナカをタッチして改札出ると声を掛けられた。見るとグループの女性が3人いた。プラットホームへ行くとさらに2人と外部からの参加者が1人来た。

 河和駅まで急行で48分。2時にはホテルから迎の車が来て、約20分でホテルに着いた。

 今年は同室は、同じクラブのMさんだった。Mさんはカラオケ大会でヴィラ・マリーンへは何度か来たことがあると言った。フロントの人たちとも顔見知りであった。部屋は5階で、師崎漁港や篠島が望見できる洋室でとても良い眺めであった。

 3時からは、会議室で手品屋の将魔さんのレクチャーであった。何か手品のやり方を教えるのかと思っていたら、理論から始まったので驚いた。「この話をすると半数の人は眠ってしまいます」と言って笑わせた。初めて聞いた将魔さんは話がうまくて笑いの取り方も心得ていた。

 この日のレクチャーのメーンテーマは、現代マジックで重要だと考えられている3点についてであった。

 最初に「オンビート、オフビート」について話した。ビートは英語のbeatであるがそれがマジックとどういう関係があるのかと興味を引かれた。

 帰ってから調べたら、もともとは音楽用語のようであった。オンビートはリズムの表の拍のことでオフビートは裏の拍のことであった。ドン、タン・・・という時、強いところがオン、弱いところがオフなのだ。

 調べたらマジックでは「オフビートマジック」という用語があった。それについては後で触れることにして、話を戻そう。

 将魔講師は、この命題について分かりやすくするために手品のグッズをプレゼントしてくれた。コインを使ってやる手品である。

 テーブルの上にシルクハットが置いてあり、将魔講師は百円玉を右手に持ち、それを見せて左の手に移した。左手を開けると確かにコインがあるのが分かった。

 それを右手に投げて取り、もう一度先ほどと同じ仕草をした。そして左手でシルクハットの中のコップを取り出した。

 プレゼントしてくれたコースターと同じ物を客に渡して、その上にコップを載せてもらった。それを貰って右手の上に置き、左手でコップの底を叩いた。すると手の中の百円玉がコップを貫通して中に入ったのだ。

 では、それがオンビートとオフビートとどういう関係があるかということを将魔講師が説明した。

 もともとはスライディーンがレクチャーで強調していたそうで、大変重要な演技であるという。

 右手のコインを左手に移したとき、身体の格好はコインを握った左手が頭ぐらいの高さにあり、術者は左手の握りこぶしを見ている。右手はお尻の辺りに自然に下がった状態になっている。 

 この時の左手が「オンビート」であり、右手が「オフビート」であるというのだ。そして重要なのは、オフビートを如何に自然な形で作るかだというのである。右手が如何にも握っていますという形になっていたり、中途半端な位置で止まっていたりするのはよくないのだ。インターネットで調べると、「リラックスした状態」と書いてある。

 マジックをやる人はなぜ右手のオフビートが大切であるかが理解できる思う。

 マジックを演じる一連の動作の中で、必ずオンビートとオフビートがあるのだが、オフビートに留意して演じることが重要なのだ。インターネットでは、「オンビート」で調べてもマジックに関してはヒットしないのを見ても、「オフビート」が大事だということが分かるだろう。

 将魔講師は、「オフビート」を作るのが大変難しいと話した。これは意識して練習をする中で自然体としてやれるようになるしかないであろう。

 後のURLの「たかむらしのぶの虚構の里」というブログに詳しく出ているので見て頂きたい。

 それによると、「ミスディレクション」との違いを次のように書いている。

「二つの違いを簡単に言うと、ミスディレクションが『観客の視線や思考をある場所に誘導しておき、それとは別の場所でトリックを行なう』という要素が強いのに対し、オフビートは『観客をリラックスさせたり油断させている間にトリックを行なう』という要素が強いものです。

 そもそもミスディレクションは「~だと思わせていて実は・・・」という感じが強いので観客を考えさせたり緊張状態にさせたりする場合が多いのですが、オフビートはその反対で、何にも考えない漠然とした時間や緊張が緩んだタイミングを使うので、リラックスな状態を促すものなのです。」

http://www.geocities.jp/eldevol/ohubi-to.htm

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2013年8月 2日 (金)

安部元章著「手品」から―②―

 安部元章著「手品」は昭和31年虹有社刊で、昭和28年からNTVで放送された「テレビ手品教室」という番組をもとに書かれたということは前回書いた。定価240円となっているが、絶版本のため中古本でも500円以上するようだ。

 それはともかく、安倍氏が序章に書いておられることが、当時の世相や手品について興味深いので取り上げる。なお、著作権は切れていることを断っておく。

 「盛んになった素人の手品研究」

 ここ数年来、紳士芸としての素人手品の研究が盛んになったことは誠に喜ぶべき現象だと思います。

 これは一つには手品が智的な健全娯楽だということが一般に認識され、また、生活をより明るく楽しくしようという風潮が一般にしみこんで来た結果と考えられます。

 現在(1956年)の日本は、曲がりなりにも、とに角経済的にも精神的にもある程度の安定を得てきたことが、素人の手品熱をあおる一つの大きな原動力になったのも事実です。

←日本はまだまだ貧しかったことを思い出す。うどんが1玉10円、コロッケが5円だったと思う。

 ふた昔も前の(昭和の初め)話です。手品の好きな貴族院議員の某男爵に対して、「手品の好きなのはよいが人前でやるのだけはやめてほしい。さもなくば議員を辞職せよ。」という強硬な意見と忠告がなされたという伝説があります。当時としては、いやしくも華族たる者がいやしい芸人風情の真似をするとは何事かというような考え方が一般に行われていました。

 女優になっただけで同窓会名簿から削られ、大女優になってから再び同窓生の待遇が与えられたというような夢のような話があった日本です。

 他人事ではありません。私は子どもの頃から、親にかくれて手品の練習をやりましたが、これも両親が極端に手品をやることを嫌っていたからです。

 父親は昭和19年に許可をしてくれましたが、母親はなかなか許可をしてくれず、「お前は痩せても枯れても女学校の校長であり、経営者なんだ。そのお前が他人の眼を誤魔化すような手品などをやるのは寒気がするほど嫌だからやめてくれ。」と何度も苦言を頂戴したものです。

 ←お母さんが、他人の眼をごまかすような・・・・と言っているのが面白いし、当時は手品と言っていたのだ。今はマジックというほうがかっこよいと思われているが。ちなみに私は「手品」という言い方が好きである。

 戦前は「手品」は下等な芸だと一般的にも思われていたことがわかる。

 

2013年7月29日 (月)

古い手品の本から―①―

 知人が身辺整理をするというので古い手品の本をくれた。2冊になっていて、「手品」という本と「トランプ手品」という本である。どちらもしっかりとした造りの本だ。著者は、安部元章(ペンネーム)氏である。安部氏は元東京アマチュアマジシャンズクラブの会員であった。明治40年生まれだから私の父と同い年だ。

 この2冊の本は、序文によると、昭和28年8月にN・T・V(日本テレビ)が開局してすぐに企画された「テレビ手品教室」という番組で放送したものをまとめたものである。出版は昭和31年5月(1956年)である。

 昭和28年(1953年)は今から60年前のことだ。その頃民間テレビが開局したのだ。私はまだ高校生で、家には古い4球式のラジオがあるだけであった。田舎だからテレビの電波は届いていなかったはずだ。

 そんな時代に、健全な娯楽として、手品番組を連続的に放送するという企画があったのだ。その番組の講師を安部元章氏が務めたのである。

 毎週初歩的な手品を解説して放送した。非常に好評で視聴率も高かったそうで、2年余り続いたという。局内でも多くの手品ファンができたようだ。

 この本の序文を書いたのはN・T・V編成局長の久住悌三氏である。その一部には次のように書いてある。

 「今まで私は手品というものは下品とまでは思っていなかったが、さりとて上品な芸だとも思ってはいなかった。子どもの時分から手品というものは不思議なものだ、面白いものだと思って好きで見ていたが、自分でやってみようと思ったことはなかった。ところが安部君の放送を毎週見ているうちに、だんだんと手品というものは上品なものだと思うようになり、「テレビ手品教室」の視聴率の高い理由もわかった。」

 手品は寄席では色物に分類される。落語などよりちょっと低く見られているように思うのだがどうであろうか。上品、下品という表現にはそんな気持ちが含まれているように感じる。

 ともあれ、手品を低く見ていてのが、そうでなくて立派な芸能であると見るようになったというのが興味深い。

 この番組を見ることができたのは全国でどのくらいの人たちであろうか。テレビが街頭テレビとかごく一部の金持ちの家にしかなかった時代であるから、視聴率が高いとは言ってもごく限られていたであろう。

 生放送の時代だから、手品は格好の材料ではなかったかと思われる。

                  ―つづく―

 

2013年2月17日 (日)

「南京玉すだれ」の形の作り方がどこにもないのが不思議

 「南京玉すだれ」という芸がある。竹で編んだ筆巻きのようなものを使って、歌いながらいろいろな形を作っていくというものである。

   ア サテ サテ 

   サテも南京玉すだれ ちょいと伸ばせば

   浦島太郎の 魚釣り竿にさも似たり

 と唄って、釣り竿状に伸ばすのだ。

   魚釣り竿が お目に留まれば 元へと直す

   ア サテ サテ 

   サテも南京玉すだれ ちょいとひねって ちょいと伸ばせば

   富士のお山は日本一

 ここで富士の形を作ってみせる。

 ユーモアに溢れた面白い芸である。

 この南京玉すだれは、発祥が合掌造りで有名な富山県の五箇山だという。ここには、「こきりこ節」という民謡がある。小学校の音楽の教科書にも採用されている有名な唄である。その伴奏に使われたのが「ささら」という楽器だ。この「ささら」を使っての「網竹踊り」が南京玉すだれの原型である。

 平安時代に伴奏として使われてきた「ささら」が、江戸時代に独立して一つの芸となった。旅芸人や富山の薬売りが客寄せとして道端で歌ったのが南京玉すだれだと言われる

 「南京玉すだれ」の呼称は、放浪芸人が口上の中で、「唐人阿蘭陀南京無双玉すだれ」と言っていたのが、いつのまにか省略されて南京玉すだれとなったのだ。だから、中国の南京とは何の関係もないのである。(南京玉すだれ入門 花丘奈果著 鳥影社刊)

 この鳥影社の本は南京玉すだれと腹話術について書いてあるが、中には唄と写真が載っているだけで、どこにも南京玉すだれの形の作り方の説明がない問いまことに間の抜けた、人を馬鹿にした本である。それなのに名古屋市の図書館には4冊も購入されている。 

 南京玉すだれの「形の作り方」を知りたいと思って、インターネットでいろいろ調べたがyoutubeにも演技の動画はたくさんあるが、形の作り方の動画はない。また、書籍にも作り方が載っているのはない。

 富山県立図書館が南京玉すだれの文献調査をしたPDFがあるが、それによると「形の作り方」についてはどの文献にもないそうだ。

 南京玉すだれのような有名な芸は何も秘密にする必要もないはずだがどうして形の作り方を紹介しないのか不思議でならない。

2013年2月12日 (火)

オールジャパン・マジシャンズ・フェスチバルin御園座

 「オールジャパン・マジック・フェスチバル in 御園座」という凄いタイトルのマジックショーが、建国記念日に名古屋の御園座で開催された。

 新聞によると、御園座は近く解体され、積水ハウスが買い取りマンションと劇場に建て直されるという。松平健と川中美幸のショーの間の休みの1日を貰ってマジックショーをやることになったのであった。御園座のような名古屋きっての劇場ではマジックショーはやらないらしいがそれが実現したのだ。

 いったいどんなマジックショーになるのか興味津々で、当日は開演2時間15分前には会場の入り口に並んだ。それでも既に30人ぐらい並んでいた。私から券を買ってくれた人はみなマジックには関係がない人たちばかりであった。当日券の人も含めて12人の人に券を買ってもらったので、その人たちのためにもと思って早めに並んだのであった。12時半ごろにはかなり長い列ができていた。入口には「満員御礼」と書いた札が立っていた。

 13時15分に開場したので、ラッシュして会場の右側の前の方に行った。会場の花道に挟まれた部分は15列まで指定席であった。花道の外側の席を確保した。

 マジックショーは第1部と第2部に分かれていて、16名の出演であった。全国から優秀なマジシャンを集めたということであった。

 舞台は黒幕の背景にアーチ型の大きな飾り幕が下がっていた。

 第1部では、イリュージョンの「夢の中から」や鳩とゾンビの「夢へのいざない」、シャボンを使った「A Big Dream in Small Hand」、花道のせり上がりから始まった「浮世絵」が印象に残った。ハト出しは見事であったが、ゾンビはちょっとくどい感じがした。「浮世絵」は衣装を始めとして改良のあとが見られ、演技にも大舞台を意識したものが感じられた。

 第2部の幕開きは、タップダンスショーで、若者たちが元気よくタップを踏んでいた。SKE48が出ればもっとよかったかも?

 第2部は、よい出し物が多かった。関西奇術連合のイリュージョン、「なにわのダンディズム」もよかったし、地元の将魔の「イリュージョンマジック」は、大掛かりなものも含めて4つも演じたので驚いた。これらのイリュージョンは箱などから人が出現、消失、交換するものであった。

 女性の「江戸の華」は司会者が言った通りの華やかで素晴らしいマジックであった。

 マスクが変わる「masquerade」は中国の変面とは別のもので大変よかった。私個人としては、「Shangiri-la」の3本リングが勉強になった。演じ方が工夫されていた。

 拍手が多かったのは、名古屋の天平のジャグリングで見事なテクニックでほぼ完ぺきな演技であった。

 最後の「青海波に桜散る」は和傘をこれでもかというほど出し、最後に大変大きな赤い和傘を出して驚かせてた。

 和傘のプロダクションは2つあり、どちらも見事な出し方をしていたし、ファウンテンフラワーも3つあったがこれは仕方がないことだ。御園座のような大舞台でマジックをやるには、イリュージョンとか長尺シルクや大きな花を使ったものや傘を使った派手な大掛かりなものが良いと思った。カードや玉などは見難くていけない。

 私の席はサイドの7列目であったがそれでもはっきりと見えないものもあった。指定席でも後ろの方は同じであっただろうと思う。

 司会はダジャレを頻繁に使っていたが、ちょっとくどいと思った。舞台の準備が整うまでの間を持たせなければならないので大変だと理解はするが。

 ゲストの紹介をしていたが、一般の観客にはどうでもよいことである。また、どういう訳か舞台や会場が煙っていたのが気になった。スポットライトを当てても効果が薄く煙が目ざわりであった。

 初めての大劇場でのマジックショーで主催者は大変なご苦労であったと察する。周りの観客の反応から見ると、最後の御園座公演は観客は満足をしていたと感じた。

 

 

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2013年1月 6日 (日)

名古屋華マジカルグループ新年会

 名古屋華マジカルグループの新年会が名古屋市女性会館で盛大に開かれた。結成5年半で会員も増えて、小学校から90歳近くの高齢者までがいる。こういうマジックグループは珍しいと会長が挨拶で述べていた。

 創設当時小学生であったI君は、今では高校生だ。昨年の関西奇術連合のコンテストで技術賞を獲得した。それに続くかと思われる中学生、小学生もいる。新年会には小学生のIさんだけが参加していた。

 会は昼食会から始まった。ワリゴのおかずの種類が豊富でいろいろな味を楽しめた。量も多いので食べきれない人もいたようだが、私はもったいないので全部食べた。

 昼食を取ながら、各自が抱負などを話した。それぞれマジックに対する抱負や関わり方などを話していた。

 昼食後は、会場の並べ方を変えて、それぞれがマジックを披露した。今年は予想外の素晴らしいマジックが次々と演じられた。

 松本から来たOさんの踊りを交えた創作的和妻、副会長のチャップリンに扮したマジックもよかった。ベテランのOさんの南京玉すだれには驚いた。彼女にそんな芸があるとは全く想像外であった。

 妖艶な装いのKさんは、成長の跡が著しく、新作をものにしていた。登山家でもあるOさんは、いつものように元気いっぱいのお金を使ったマジックを披露し楽しませた。

 小学生のIさんは、覚えたばかりのカードマジックを上手に演じて拍手をもらっていた。これからが楽しみである。ー

 ゲストのF氏は、4本リングや4つ玉などを巧みに演じてさすがの腕前であった。特別会員のIさんは、Ipodを使ったマジックを見せて新しいマジックの可能性を見せてもらえた。ゲストでは、Hさんのジュースの色変わりがとても不思議がられていた。

 その他にもそれぞれが楽しいマジックを演じて終了したのは4時40分ごろであった。いつもお手伝いをしてくださるHさんは、「とっても楽しく見させて頂きました」と話していた。

 マジックは数知れないぐらいあるし、自分が知らないマジックもいっぱいあるので見ることは楽しい。マジッククラブの新年会はエンターテイメントに溢れている。

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