人権問題

2017年3月 8日 (水)

米、安倍政権の報道圧力に懸念 - 2016年度人権報告書

 アメリカ国務省が3日に発表した約200カ国・地域を対象にした2016年版の人権報告書で、「日本の報道機関に対する政府の圧力強化」についての懸念が示された。

  「報道の自由」については、日本政府は一般的には尊重しているとしながらも、「いくつかの事例が、政府によるメディアへの圧力の高まりについて懸念を生じさせている」と指摘。昨年2月、番組の政治的公平性を理由に、放送局に「電波停止」を命じる可能性に言及した高市早苗総務相の発言を示した。

  また昨年4月に来日した特定秘密保護法も報道機関への圧力を強めているという国連特別報告者の発言にもふれ「日本の報道機関の独立性は、深刻な危機にひんしている」と意見を述べたとも記されている。

   過労死については、電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24)が15年12月に自殺した事件に言及。「karoshi」という日本語を使い、遺族から厚生労働省への訴えが続いている中で「特筆すべき事例」として挙げた。1カ月に130時間に及ぶ時間外労働と、睡眠時間が週にわずか10時間だったという記録を示し、「過労がもたらす深刻な結果に、新たな関心を引きつけた」とした。

  若い女性が「モデル業」などと偽の勧誘を受けて、AVに無理やり出演させられる被害が広がっていることにも触れた。

  米人権報告書が懸念するように、安倍政権はさまざまな形で日本の報道機関に圧力や懐柔策で、政権や政策批判を封じ込めてきた。

  また特別秘密保護法も国民の知る権利を奪ってしまった。メディアが取材をしようにもこの法律を盾にブラックボックスの中である。「深刻な危機」というのはその通りである。

  安倍政権の報道対策については度々取り上げて来たが、悪くなるばかりである。米メディアが政府広報機関と呼ぶ読売・産経ばかりでなく、「みなさまのNHK」も「安倍政権のNHK」となっている。週刊誌から叩かれる朝日新聞も権力批判を弱めてしまった。

 トランプ大統領がメディア批判を繰り返しているが、米国では自国をどのように見るのか2017年度の人権報告が見ものである。

 この人権報告に関して、次のような見方のサイトがあった。「この報告書は、国連特別報告者の時と同様に、現政権を批判しようというグループに格好の材料を与えるだろう。政府は日本の放送法制について、米国を含め、国際的にきちんと説明するべきだ。」

 

 

 

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年2月12日 (日)

話題の「福島県民お断り」という作文

 友人が送ってくれたもので、「福島県民お断り」というタイトルの作文がネット上で話題になっているそうだ。

 下記に紹介するのは「第36回全国中学生人権作文コンテスト」に応募した宮城県女川町の中学3年生「門馬瑠々 (もんまるる)」さんの作品で、仙台法務局長賞を受賞している。

「福島県民お断り」。

 それは、福島県民の私に大きなショックを与えるものでした。小学校三年生まで、私は福島県南相馬市で生まれ育ちました。南相馬といえば野馬追が有名で、昔からの歴史を大切にしてる町です、私は、そんな南相馬の町や人が大好きでした。

 しかし、五年前、東日本大震災の影響で原子力発電所が爆発し、全てが変わりました。放射能の影響から、南相馬市は一夜にして人の住めない町になってしまいました。

 この事故の影響で、私は家族と一緒に、親戚がいる栃木県に避難することになりました。ところが、その途中に寄った店で、とても衝撃的なものを見てしまいました。

 それは、駐車場に停めてあった車に、

「福島県民お断り」

と書かれたステッカーを貼った車があったのです。

 私はそれを見て、これからのことが不安だったこともあり、「え?」とただただパニックになり、意味を理解したとき、悲しい気持ちになりました。

 震災から5年が経過した現在でも、福島県に対する偏見はまだまだ消えていません。それは、祖母の知人が熊本地震の際に、支援物資を届けに行ったときのことでした。

 決して近いとはいえない熊本に、福島から行ったのにも関わらず、「福島の物資はいらない」と現地の方々に拒否されたそうです。

 現地の方々も、放射能の被害を恐れての発言だったのでしょう。しかし、被災した方々のために、直接届けてにきてくれた人に向かってどうしてそのような心ない言葉が言えるのだろうとむなしさがこみ上げてきました。

 結局、その場所では物資は受け取ってもらえず、別の場所で受け取ってもらったそうです。

 この話を聞き福島県の風評被害は今なお続いているのだと恐ろしい気持ちになりました。

 同じ日本人なのに、どうして福島県から来ただけで、このような酷い言葉をかけられなければならないのでしょうか。

 私が育った町や人が否定されるならば、私の今までの人生までも否定されている気がしました。

 震災後、私は自分の気持ちを人に話すことが苦手になっていました。「福島県民だ」という周りの人達の視線がとても気になったからです。しかし、そんな私の心を新たな出会いが変えてくれました。

 小学校五年生の時、私は宮城県の女川町に引っ越してきました。見知らぬ土地での生活はとても不安で、これからどんなことが待っているのか心配でたまりませんでした。

 また「福島県民だ」と悪者扱いでもされるのかと思っていました。自己紹介を終えて指定された席に着くと、周りは男の子達でした。

 するとその中の一人が、私に「福島から来たんでしょ?」と聞いてきました。私はその質問にひどく動揺し、この後何か言われるのだろうかと思いました。

 しかし、聞こえてきたのは私の想像するものではなく「大変だったね」という気づかいの言葉でした。

 他の子達も「友達にならない?」「一緒に遊ぼう」などと、とても優しく接してくれました。

 女川町もまた、震災で大変な被害を受けました。友人の中にも、津波で家や家族を亡くした人がたくさんいました。それでも、明るく毎日を過ごしている友人を見て、女川の人たちの力強さを感じました。

 同時に、苦しい思いをしているのは自分だとばかり主張して、ふさぎ込んでいたのが「なんだこの人達の方が辛かったんじゃないか」と思い、自分が情けなくなりました。女川町の人達は、本当に強い人ばかりで、何度も助けられました。

 私がここまでの体験で感じたこと、それは「偏見」と「共感」です。「偏見」とは、自分の勝手なものさしで周りのものを判断することです。相手の気持ちを無視した、とても自分勝手な行動だと思います。

 みなさんは、人と関わるとき、偏見を持って接することはないでしょうか?「あの人はテストの点数が悪いから頭が悪い」や「あの人は口数が少ない人だから暗い人だ」など、ちょっとした偏見で他人を見ることは誰にでもあることだと思います。

 しかし、その偏見が無意識のうちに人を傷つけるということを忘れてはならないと思います。

 逆に「共感」とは、相手のことを思いやり、相手の立場に立って行動することです。私が女川に来てから、私の心に寄り添ってくれた友人たち。

 私の痛みを自分の痛みとして捉え共に乗り越えようとしてくれたことにとても感謝しています。だからこそ、自分もまた、傷ついている人がいたら共感し、手を差し伸べることができる人間になりたいと思うようになりました。

 私は将来、自分を救ってくれた人達のように、苦しむ人の助けになりたいです。

 
"

| | コメント (0)

2015年3月10日 (火)

外国人技能実習生の逃亡数に驚く

 先日、ベトナム人たちがヤギを盗んで食べ、捕まって裁判になった事件について取り上げたとき、背景には過酷な労働を強いる雇用主がいることが問題だと指摘した。そのとき手元に資料がなかったので、どのくらいの人数の技能実習生が逃亡したかは分からなかった。

 3月7日のネットで、産経新聞が報じた記事を見つけた。記事の見出しは、「過酷労働の悲劇! 外国人の技能実習生2万5千人が失踪 入管「深刻な問題」 過去10年間、平成26年は最多4800人」となっている。

 産経が法務省へ取材したところ、昨年度平成26年の技能実習生の失踪は、480人と過去最高となったというのだ。過去10年間では2万5000人に上るという。

  ベトナム人のヤギ捕食でも失踪した理由は、早朝から深夜までの過酷な労働と低賃金、寝るところの劣悪さであった。産経新聞も、「多くの実習生が最低賃金水準で稼働しているが、残業代の未払いなど労働関連法違反は後を絶たない。労働条件の厳しさが失踪増加の背景にあるとみられる。」と指摘している。

  その通りであって、それ以外の理由は考えられない。以前から技能実習生が搾取されていることは何度もマスコミで報じられてきたが、対策がとられなかったのだ。「平成25年度には前年比84・2%増の2822人が行方不明となっている。国籍別では中国が60・6%を占め、ベトナムの26・6%が続く。」と書いているように25年、26年度と急激に増加しているのである。

  昨年6月現在で16万2000人の技能実習生がいるが、今も多くの実習生は、農村や中小企業などで安い労働力としてこき使われているのだ。

  発展途上国の人材が最長3年の期限で、働きながら日本の技術を学ぶ仕組みで、政府は途上国の経済発展に資する国際貢献と位置付けているが、真っ赤なウソである。

 記事によると、「実習生は勝手に転職できず、国内にとどまっている失踪者の大半は不法就労・不法在留状態にある可能性が高い。法務省入国管理局の担当者は「深刻な問題と理解している」と話し、実態把握を急ぐ方針だ。」という。

 ベトナム人の事件に見るように不法就労・不法在留そのものである。この問題は、入国管理局だけでなく、実習生を雇う側を厳しく監督・指導する部局を設置するべきで、厚生労働省も責任を持つべきである。

 技能実習生が楽しく働いて本当に技能を身に着けて、日本に感謝して帰国できるようにすることが喫緊の課題である。

 中国人観光客が日本に来て「日本はよいところがたくさんある。見直した」と言っているが、こういう暗い恥ずべき実態は知られていないのだろう。「日本の恥」と知るべきである。

 政府広報機関と揶揄される産経新聞だが、今回は拍手を送りたい。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2015年2月18日 (水)

人種隔離の考えを批判されている曾野綾子氏のコラム

 産経新聞の「曾野綾子の透明な歳月の光」というコラムの2月11日のものが、海外でもマスコミなどで大きく取り上げられ、批判されている。また、南アフリカ駐日大使が抗議をし、日本アフリカ協会も「居住区を分けることはアパルトヘイトだ」と抗議をした。

  曾野綾子氏は、日本の労働力が減少しているので移民の受け入れの必要性を述べた。その上で、かつて南アフリカに滞在した経験から、「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というように分けて住むのがよい」と言った。それがアパルトヘイトだとして問題視されているのだ。

  また、コラムでは「特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒をみるのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなけらばならないとかいうことは全くないのだ。」

 そこには単なる労働力として使い、要らなくなったらポイ捨てする考えが透けて見える。何の知識もない、言葉も話せない人に誰が介護をしてもらいたいだろうか。曾野氏は高級有料ホームに入れるからいいが、自分でそういう外国人の介護を体験してみるといい。

  日本に稼ぎに来たい人はいくらでもいるのだからどんどん来させればよい。ただ移民としての法的身分は厳重にして守らせるべきだと言い、それは非人道的なことではないと述べている。そして、問題の「人種隔離」の記述が続くだのだ。

 江戸時代には、日本人同士でも差別があり、士農工商の身分の下に穢多というアンタッチャブルの身分が作られた。それが戦後も後を引いていて、部落解放問題は大きな人権問題となっている。

 私が子供の頃、街の真ん中に大きな丘があり、その丘がいわゆる部落となっていた。先祖代々隔離されて住んできたのである。

 先日オーストラリアに行ったとき、アボリジニ居住区を通った。塀で囲まれていた。地域を守るためだと聞いたが、白人居住区はオープンなのに奇異な感じを受けた。白人たちはアボリジニたちをいろいろ悪く思っているようであった。

 曾野氏は、差別をして住居を隔離するとどういうことになるか想像しないのであろうか。曾野氏は差別ではなく、「区別」だというであろう。仮に区別としても、それが差別になっていくのだ。

 曾野綾子氏は、第2次安倍内閣の首相の私的諮問機関である教育再生実行会議のメンバーであった。安倍首相が進める道徳教育の教科化にも関係したはずだ。

 そういう人物が、アパルトヘイトを推奨するというのだから開いた口がふさがらない。道徳教育にも人種隔離を入れるのであろうか。

 世界中から批判されるのも当然である。日本ではネットでは問題視された。これについて曾野氏は、「今回、間違った情報にもとづいて興奮している人々を知った」と述べている。私もその一人ということになる。

 残念ながら主要メディアは簡単に報じただけである。(と思っていたら、17日朝刊で朝日新聞が取り上げた。)

 ヘイトスピーチといい、今回の人種隔離発言といい、人種民族の違いを越えて仲良くしていこうという方向とは逆の動きが目につくのが恐ろしい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014年6月 1日 (日)

北朝鮮は拉致問題の調査を約束したが

 5月29日の7時のニュースで、安倍首相の緊急記者会見が放映され、スエーデンで行われた北朝鮮との2国間協議で北朝鮮は拉致問題の再調査を承諾したと言った。


 安倍政権にとって拉致問題は最重要課題の一つと位置づけるだけに首相自らが発表をしたことに意気込みを感じる。

 そもそも拉致は北朝鮮がしたことである。しかも、日本だけでなく、調べてみると12か国にも及ぶと言われる。拉致という非人道的な酷いことをしておきながら前回は調査をしたが、いい加減な回答で誤魔化してしまい、挙句の果てに日本の政権が代わったからと調査の打ち切りをした。

 いくら北朝鮮の秘密機関がやったこととはいえ、調査は難しいことではないはずである。他国の人間だから言葉や態度は違うし、外国人ということは分かるはずで、しかも、政府がどこに誰がいるかをきちんと把握しているはずなのだ。拉致して行っておっぽり出したのではないのだ。

 それを調査しましたが分からないとか再調査しますとか言っても信用できない。拉致問題は家族がどんどん高齢化していくので1日も早い解決が望まれる。北朝鮮はいつまでも知らぬ存ぜぬと言わずに正直に過去を謝り、直ちに解決してもらいたいものである。

 それにしても腑に落ちないのは、北朝鮮はどうして拉致をしたのかということだ。ネットにはそういう疑問がいくつも出ていた。その回答は、完璧に日本人に成りきる工作員を訓練するために必要であったというものだ。工作員は韓国に送り込むのが目的だという。

 その典型例が、金賢姫が蜂谷真由美を名乗ってバーレーン空港で逮捕された事件だ。彼女の日本語を指導したのが田口八重子さんだという。

 日本政府が認定した拉致被害者は12名だが、実際には80名もいると想定されている。それほど多くの日本人を、金を使い危険を冒してまで拉致した本当の理由を知りたい。
 
 拉致された人たちが北朝鮮でそれなりの暮らしを保障されているのならまだよいが、知らぬ間に消されているのかもしれない。前回の調査で8名が死亡というのはどう見ても消されたとしか考えられない。

 しかし、送られてきた灰などはDNA検査で別人のものと分かったというから、そこに生きている希望を持つのである。北朝鮮は直ちに本当の事実を伝えてほしい。すぐにできるはずである。
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年3月30日 (日)

袴田さん、釈放されてよかった!

 1966年に静岡県で起きた、いわゆる「袴田事件」で、再審開始を決定し、死刑が確定していた袴田巌さんが、即日釈放された。本当に良かったと思う。

 袴田さんは48年にわたる拘留生活で、精神に異常をきたしているといわれるが、犯していない罪で、しかも死刑囚として刑務所にいたのだから、正常な神経でいられる方が不思議である。

 今回の再審決定の決め手となったのは、着衣の血痕のDNA鑑定結果だという。科学の進歩でDNA鑑定技術が進んだので、以前にははっきりしなかった鑑定が今回はきちっとできたのだ。

 それにしても、着衣が1年2か月間後、現場近くの工場タンク内から、味噌漬け状態で発見されたという。これはどう見てもウソっぽい。警察の初期捜査が如何にずさんであったかを証明するものだ思う。

 弁護団は、血をつけた衣類を味噌漬けにする実験から、色がおかしいと指摘し、裁判官も「事件から相当期間経過してから、味噌漬けにされたと考えるのが最も合意理的」と判断した。この衣服が1年間余り味噌桶に入っていたにしては、汚れが少なく、不自然だとしている。また、証拠の一つとされたズボンも、袴田さんの物ではないと判断した。

 裁判官が証拠を捏造した疑いがあるとしたのもうなずける。とにかく犯人にしようと自白を強制し、あまつさえ物的証拠を捏造したとすれば、警察や検察の罪は重い。一人の罪なき市民を恐怖の陥れ、その人生を奪ってしまったのだ。

 袴田さんを支えた81歳のお姉さんの話も感動的であった。兄弟姉妹みなで袴田さんの無実を信じ、48年間支えてきたのだ。また袴田さん事件を担当した弁護団にも頭が下がる。

 戦後数々の冤罪事件があった。その人たちは人生を台無しにされた。こういうことが今でも続いていることに恐怖すら感じる。警察や検察は真実を究明するために真剣に努めてもらいたいと思う。

 なお、袴田さんの記事の扱いでは、朝日新聞より中日新聞の方がはるかによかった。特に中日の社説はこの事件について大事なことを要領よく伝えていた。朝日よ、たるむなと言いたい。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年8月12日 (月)

これだけ騒がれていてなぜ体罰がなくならないのか

 10日の朝日朝刊を見ると、一面に体罰をした教員は昨年度6721人という大きな見出しがあった。文部科学省が9日に発表した実態把握調査の結果である。国立、公立、私立も含めての数だ。愛知県は184人で、その内名古屋市は30人だという。

 公立学校教員ですでに処分されたのは2752人で、免職を含む懲戒処分は162人だという。

 戦後は体罰が禁止されていることは、教員なら知らないはずがない。それでも最初の頃は体罰が行われることもあり、私も教育技術の無い若い頃は体罰も必要な場合があると考えていた。しかし、仲間との研修をとおしてそれが間違っていると気づき、以後は体罰はしない教育を追及してきた。

 校内暴力が起きるようになり、学校が荒れだして、体罰が問題視されマスコミでも取り上げられるようになった。以来30年ぐらいたったであろうか。私が退職したのは学級崩壊が始まった頃であった。

 勤めている頃は、体罰はいけないという注意喚起はあったと思うが、私の周りでは問題になるような体罰は見聞きしなかった。

 退職してからは教育界のことは分からなくなり、友人やマスコミなどで児童生徒の指導が大変だということを知るくらいだ。

 これだけ騒がれても教員の体罰がなくならないというのはいったいなぜだろうと不思議である。児童生徒の状態が悪くなって、指導が難しくなっているという面はあろう。また、部活などで成績を上げなければということで体罰をする場合もあろう。

 愛知県教育委員会はこの1日に、「そもそも体罰によらない効果的な指導とは何か」を議論する研究会を立ち上げたというが、何を今頃・・・という感が否めない。

 岐阜県では、人権問題や生徒指導などをテーマに扱う研修への参加を義務付けたという。三重県では研修ビデオを作り全教員に配布したそうだ。

 来年度体罰教員の数がどうなっているか見ものである。

 私は、勤めている頃は、何事も子どもと一緒にやるようにしていた。学校では清掃が重要であるが、掃除の時間は子どもと共にやった。だから早くきれいに掃除をする子どもが育った。

 靴箱の整頓も点検係を作るのではなく、自覚を育てるようにした。集会に集まるのも自分たちで速く決まりよくやっていた。

 教科では分かること、できることを大事にした。例えば一輪車ではお互いに教え合って、最後にはクラスの全員が乗れるようになった。リコーダーでもそうだ。出来るようになった子が先生役となり、1年後には全員で程度の高い曲の合奏もできるようになった。

 あのゆとり教育が叫ばれたときも、基礎学力を重視して計算力や漢字力、語彙力を付けたし、話し合いの力も付けた。また、書くことにも力を入れてどの子も思いを込めた作文が書けるようになった。

 子どもの状態や到達点は親も含めて皆が共有できるようにした。そうすることで自主的な子どもが育ち、体罰など全く関係ないことであった。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年5月16日 (木)

人権を守る弁護士失格―橋下氏の慰安婦問題発言、米軍への風俗店利用の勧め

 橋下維新の会共同代表が、従軍慰安婦問題に関して「銃弾が飛び交う中で走って行くときに、どこかで休息をさせてあげようと思ったら、慰安婦制度は必要」(13.5.13)などと記者団に発言し、それに対して、維新の会共同代表の石原氏が「軍と売春はつきもので、歴史の原理。戦時中は売春婦を取り持つ施設を作る商売があった。」「お金を儲ける安易な手段として売春は昔からあった」などと述べて、橋下氏をかばった。

 さらに沖縄の米軍基地を訪問した際、司令官に、「米軍の街中での犯罪が問題になっている。独身の若い男のストレス発散はどうしているのか」と質問した。それに答えて司令官は「ジムやスキューバだ」と言った。橋下氏は「風俗は行かないのか」と尋ねると、「禁止している」と答えたという。(朝日新聞5.15)

橋本氏は、「法律の範囲内で認められている中で、性的なエネルギーを合法的に解消できる場所は日本にある訳だから、もっと真正面からそういうところ(風俗業)を活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをきちんとコントロールできないじゃないですか。もっと活用してほしい」と司令官に言ったのだ。

 いやしくも大阪府知事をやり、大阪市長を務め、しかも、弁護士である。その橋下氏がこのような恥ずべき行動をとったということは非常に残念である。政治家や弁護士としての資質を問われて然るべきだと考える。

 この一連の言動について、朝日新聞によると、維新の会の中からは批判は出ていないという。また、安倍政権内では戸惑いが見られるが正面からの批判はないようだ。

 NHKテレビで真っ向から批判したのは共産党書記長と民主党の海江田委員長だけであった。

 米国防総省は、「我々の方針や価値観、法律に反する。いかなる問題であれ、買春によって解決しようとは考えていない。馬鹿げている」と話したというが、当然のことである。

 慰安婦問題でも、アメリカはキリスト教の国であり、日本政府が「コムフォト・ウーマン」と訳しているのに対し、欧米では「セックス・スレイブ」と言っているそうだ。欧米の考え方の方がまともだと思う。

 第二次世界大戦以前はともかくとして、戦後は人権について憲法にも明記され、ことあるごとに人権問題が重視されてきた。戦後67年余、未だに橋下氏、石原氏のような人権無視の政治家が闊歩していることは恥ずかしいことだ。これはそういう人物を選んだ有権者の責任でもある。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2013年3月 1日 (金)

勤めている頃に書いた「罰考」―④―

 法則2 罰はエスカレートする。

 罰がないということを聞けないのなら罰がある方がよいのではないか?たいていの人がそう考えます。そういう考えが根強くあるから一方では罰が支持されるのです。

 でも、罰というものは、いったん行われるとどんどんエスカレートしていく傾向があります。その最たるものが「生徒管理規則」でしょう。

 罰を与えても言うことをきかないと、罰はもっときついものになっていきます。なぜなら効き目がないのは罰とは言えないからです。罰は効き目が大事なのです。管理規則でも生徒が言うことを聞かないから、どんどん細かく厳しくなっていったという側面があるように思います。

 もともと自分たちで自覚してきまりよくやっていれば、規則も罰も要らないのです。それができないから規則が増え、罰が厳しくなるのです。

 このように罰は、それがいったん導入されるとどんどんエスカレートしていくものだということは、しっかり頭に入れておくべきでしょう。

 私が決まりよくやって欲しいと思っていることは、ほんの少しのことです。

 一言でいうと、「他の人に迷惑をかけるな」ということです。

 ・授業中廊下を歩くときは静かにあるこう。

 ・集合・整列は黙ってはやくしよう。

 ・朝の会、帰りの会は決まりよく静かにしよう。

 ・授業中は無駄話はしないように。

 ・掃除、給食当番、係は真面目にやろう。

 ・ゴミを拾おう。整頓しよう。

 ・いじめるな、仲良くしよう!

 やろうと思えばすぐにできることです。罰を作った方がいいのか、罰なしでも自律的にやれるのか、人間の値打ちの分かれ目です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月28日 (木)

勤めていた頃に書いた「罰考」―③―

 次に、精神的な苦痛を与えることについて書きます。これもいろいろなやり方があります。ほっぺたに墨やマジックペンでしるしを書くとか、首から看板を下げさせるというのはよく行われていました。

 子どもの楽しみを奪うのは効き目があるのでよく行われます。例えば、体育の授業を受けさせないというのは効き目があります。でも、子どもの好きでない科目では逆効果です。ある先生は、ことあるごとに子どもに顔を洗わせ、くどくどとお説教をしていました。それは効き目があるようで、その先生が担任したクラスは、その日のうちに子どもたちがしゅんとなってしまったものでした。

 特別な宿題をいっぱいやらせるとか、居残り勉強をさせるとかいうのもよくやられます。ただ、ある時間にやり残した課題を残ってやらせることは、これは当然のことで罰とは切り離して考えなければならないと思います。そうでなければ仕事の遅い子はほったらかしにするよりほかありません。

 勤め始めたばかりのころ、忘れ物をしたこどもの対策として取りに帰らせるのが一番だと言われていました。教頭や校長もそう言っていました。しかし、交通状況の悪い都会では事故が起きると大変ですがら行われなくなりました。

 説教をくどくどと長くするのは精神的な打撃を与えることになるでしょう。授業を受けさせないというのは学習権の侵害になりますからできません。給食を食べさせないというのも給食費を払っているのですから駄目です。

 体罰や精神的罰もいけないとなると罰というのはやれないことになります。罰がないと子どもたちは言うことをきかないのは目に見えています。大声で怒鳴ると一瞬子どもたちは静かになります。それは怒鳴り声の背後に何か罰をするかもしれないということを感じるからにほかなりません。

 ところで、罰がないことによって、子どもたちが自分勝手な行動をするなら、いっそのこと罰を与えていうことを聞かせた方がよいという考えも成り立ちます。私自身絶えずその考えて葛藤してきました。子どもたちに罰を与えてでもやるべきことはきちんとやらせる方が教育的なのではないか?いつも自問自答しながら、やれるところまでやってみようと挑戦してきたのです。

 私は、罰をしないと決めてそれを実践してきました。これまで最高のクラスは先生がいてもいなくても決まりよくやれるクラスでした。そういうクラスにはよいリーダーがいました。

 私は清掃の時間は必ず子どもたちと一緒にやりました。授業では子どもたちの発言の内容を瞬時に見分けて褒めたり取り上げたりしました。

 計算や漢字を覚えることは全員ができるようにしました。一輪車や3年生で習うリコーダーは1年の間で全員ができるようにしました。そうすることで子どもたちは自信を持てるようになるのです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)