サンマが大不漁とは!!
「公海 サンマがいない?」という記事が朝日新聞に載っていたので「エッつ?」とびっくりした。サンマは大好物の魚で子どもの時から食べてきた。育ったのが南紀新宮市なので大平洋でサンマが獲れ、漁港のある勝浦などから行商のお婆さんがサンマを売りに来ていた。また行きつけのハマノ鮮魚店でサンマを買うこともあった。
あの辺りは「サンマ寿司」が名物で、正月の欠かせない料理であった。土地の人たちは年末にサンマを仕入れて甕に入れて寿司用のサンマを用意した。ときどきスーパーなどでサンマ寿司を買うことがあるが1匹分で700円前後はする。
サンマは煮たり焼いたりして食べ、その他に干物のサンマが丸干しと開きと2種類あった。それでシーズンにはサンマを朝食に食べて夕食時にまた食べることもあった。
三陸の方からサンマは太平洋を南下してきて南紀で秋の終わりごろから獲れるようになるのだ。サンマ寿司にできるのは油が少ないからだと言われる。あの目黒のサンマのように油が滴るのは北の方のサンマである。
その大好きなサンマが大不漁だというのでがっかりである。サンマのことを英語でsauryというが、発音はソーリーでsorryと同じだ。サンマが獲れないなんてソーリーである。
サンマが獲れなくなってきたのは以前から言われていたことだが、年々漁獲が減り今シーズンは最悪だというのだ。太平洋の公海で台湾や中国の漁船が獲れるだけ獲ってしまうのだ。サンマが夏から秋にかけて、公海から南下して日本近海にやってくる。その前に彼らは獲ってしまうのだ。記事によると日本に来るサンマがいるはずの公海にサンマの姿が少なくなったという。何とかならないものかと思う。
新宮市出身の文豪佐藤春夫は有名な「秋刀魚の歌」という詩を書いた。
あはれ
秋風よ
情〔こころ〕あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり
さんまを食〔くら〕ひて
思ひにふける と。
さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は
小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
汝〔なれ〕こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証〔あかし〕せよ かの一ときの団欒ゆめに非〔あら〕ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
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