宗教

2018年2月15日 (木)

葬儀って、何だ―⑧―補遺

 朝日新聞に2月4日、2月11日の日曜日に「弔いのあり方」という記事が掲載された。まだあと2回続くようだ。

  葬儀は「こじんまり」とやりたいというのが多い。やはり費用がかかることとへの不満があると考えられる。

  2月4日付の記事では「経済産業省の特定サービス産業動態統計調査から算出した2000年以降の葬儀1件当たりの平均費用は140万7千円~152万1千円の範囲で推移している。」という。非常に高額な費用が要ることが分かる。

  私の母は13年前に亡くなったが、生存中に自分の葬儀費用として300万円を用意していた。母はどこにも旅行に行かず、美味しい物を食べに行くことをせず、つましい生活をして貯めたのであった。母の唯一の見栄?は葬儀に世間並の費用を使うことであり、もう一つの配慮は私たち子どもに葬儀費用で迷惑をかけないということであった。

  記事によると「定産業実態調査によると、14年の葬儀業者の年間売上高は推計1兆3700億円にのぼる」という。大変旨みのあるビジネスであるようだ。

  また、「お布施を除いた葬儀の費用について、15年に全日本冠婚葬祭互助協会がネットアンケートで調べたら、101万円~150万円が最多であった」という。残念ながらお布施については記載がない。是非調査をしてほしいものだ。

  葬儀をこじんまりとやりたいということで、家族葬が増えていて2/3は家族葬だと記事は書いている。新聞に出る訃報をみていても「近親者で営んだ」というのが多く、私たちの周りでもそういう人が多い。

  11日の記事では、明朗会計を謳う「イオンのお葬式」とユニクエスト・オンラインの「小さなお葬式」が紹介されている。

  イオンのお葬式で一番依頼が多いのは、49万8000円の「家族葬」で通夜、告別式、初七日などが含まれるという。その他に「1日葬」が34万8000円で、「火葬式(直葬)」が19万8000円である。

 「小さなお葬式」は「イオンのお葬式」よりそれぞれ5000円安くなっている。それにしても私の見るところではまだ高いと思う。もっともっと安くやれないものかと思う。

 ちなみに「イオンのお葬式」が紹介するお寺のお布施は、「火葬式」が4万5千円、「一日葬」が7万5千円、「家族葬」が15万円だそうだ。家族葬の場合、通夜、告別式、火葬場、初七日を含むのだろう。おそらく戒名料も含むと思われる。詳細はイオンに聞かなければ分からない。

 ただこれで見ても、私の妙心寺派の檀那寺はべらぼうであることが分かる。それは導師の坊さんから55万円と言われたことと、金額が余りにも高額であることだ。本願寺の坊さんでやった知人のKさんのように10万円なら納得がいく。

 とにかく人の不幸で金を儲けようという葬儀ビジネスの魂胆はいかにも浅ましい。

 

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2018年1月20日 (土)

葬儀って、何だ?―⑧―

 Yahooニュースを見ようとしたら、「小さな葬式」という広告が目に入った。NHKで紹介されたと謳っているので、中を覗いて見た。

  一般的に葬儀をすると全国平均で122万円かかると言われていると書いてあった。私の母が7年ほど前に亡くなったとき、実際は弟が仕切ったので詳細はわからないが、そのくらい掛かったと思う。

  その他にいろいろな費用が派生して総計では1000万円以上かかる場合があるという。説明によると、どうしてそんなに高いのか。お棺代は3万円~8万円ぐらいと言われるが、実質費用はたった8000円だというのだ。適正な価格を何も知らないのをいいことに高額な費用を要求されるのだという。

  その葬儀社では、適正な価格として19万3000円として、さらにそれ以上の料金が派生しないようにしているそうだ。

  そこに含まれているのは、寝台車、役所手続き、お棺、骨壺、自宅飾り、安置料、ドライアイス、枕飾り、着物、お棺用布団、霊柩車、お別れ用花、火葬料、スタッフだという。これらは必須のものと言える。

  上記の料金は「小さな火葬式」の場合で、搬送→火ご安置→火葬となっている。つまり、通夜や葬式は行わない最もシンプルなやり方である。これでも費用は19万3千円だが、早割を申し込むと17万8000円になると宣伝している。50%の人がこのやり方の葬儀を選んで好評だと言っている。

  平安会館のスタッフが10万円で葬儀をすると宣伝しているところもあると言っていたから、ネットで探せばもっと安いところもあるのだろう。

  この葬儀社では、通夜抜きの「小さな1日葬」で34万8000円、「小さな家族葬」なら49万8000円だそうだ。以上の葬儀にはお寺は含まれていないことに注意。

 以上はあくまでも参考のために取り上げたことで、平安会館や紫雲殿に見積もらせてみようと考えている。いずれにせよ予め元気なうちから準備をしておいてその場に立って誤魔化されないようにしておくことが大事だ。

 

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2018年1月17日 (水)

葬儀って、何だ?―⑦―

 日本人は主に仏教徒と言われるが、心から仏教を信じている敬虔な仏教徒はどのくらいいるだろうか。ほとんどいないのではないか。

  その証拠に、生まれるとお宮参りをし、七五三をやり、新年には神社へお参りに行く。だが初詣ではお寺も賑わう。また、二月の節分には観音様へお参りに行ったり、豆まきをしたりするが、最近で「恵方巻き」を恵方に向かって食べるなどということも出てきた。

 クリスマスやバレンタインデーやハロウインを楽しむかと思うと、結婚式はキリスト教会でという人も多い。そして死んだら仏教で葬儀をする。キリスト教徒でない限り教会ではやらないし、神道でもやる人は珍しい。

 要するに日本人は便利主義者であり、多神教なのだ。何しろ神様の数だって半端ではない。八百万(やおよろず)である。

  「葬式仏教」と言われるようになって久しく、最近では仏教による葬儀にも疑問を持つ人が増えてきている。そしてお寺離れも増えているのだ。

  私は訳の分からないお経で葬儀をするよりも、個人を身内で偲んで、個人のことを語り合ったり、もし個人が好きな音楽があったら、それを遺体の前でみんなで聴いて偲んだりするのがよいと思う。

  一番大事なことは「死」について、縁起でもないと忌み嫌うのではなく、自分が死んだ場合どうしてほしいかを家族に伝えておくことだと思う。

  有名人では「生前葬」をする人も現れたが、庶民は家族葬がよいと思うのだ。そのやり方も自分の好みでやってもらえばよい。

  亡くなった時最低限必要なことは、遺体をどうするかということである。病院で亡くなれば、運搬車が必要だ。遺体を安置する場所や遺体の処理も必要である。病院で亡くなれば看護師が遺体を清拭して寝巻を着せてくれるが、自宅の場合はどうするかだ。遺体を入れる棺桶も必須である。そして火葬場まで運ぶ手段も考えねばならない。

 葬儀をやってわかったことは、上に書いたような最低限必要なことは葬儀社に依頼するしかないことだ。

 そこで遺体の搬送車代は幾らか。棺桶は幾らか。納棺料は幾らか。安置する部屋の借り賃は幾らか。霊柩車は幾らか。遺影写真は幾らか。これらを葬儀社で調べておくのがよい。

 葬儀社は会員になると割り引き特典がありますよと宣伝しているが、本当に安くなるのかどうか。葬儀社によっては3000円で会員になれるところもあるし、当日でも会員になれるところもあるので調べておくことが大事だ。私の場合、平安会館に積み立てがあったのでそれを利用したが、そのために却って高くついたという印象があるのだ。

 どういう死に方をするかは死んでみなければ分からない。大地震などの大災害で死ねば個人での葬儀はできないかもしれない。だからあくまでも何事もなく普通に死に身内でやってもらえる場合ということになる。

 私は家族と、生きていて歩ける兄弟姉妹での家族葬でよいと考えている。そして、葬儀はよく歌った「第九の第4楽章」、大好きな「美しき青きドナウ」、カラオケでよく歌うフランク・シナトラの「マイウエイ」「エーデルワイス」岸洋子の「希望」越路吹雪の「愛の讃歌」、昭和男爵コーラスで歌った「遥かな友へ」「小雨の道」「贈る言葉」を録音したCDなどをかけて偲んで欲しい。宗教抜きの人前告別式がよい。私は結婚式も人前であったのだ。遺灰は太平洋の黒潮に散骨して貰えばよい。できれば故郷の新宮の海へ。

 

 

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2018年1月16日 (火)

葬儀って、何だ―⑥―

 今回久しぶりに葬儀を主宰してつくづく考えさせられた。いったい「葬儀って、何だ?」ということだ。

  おそらく自分や身内の葬儀について予め考えて計画を立てている人はほとんどいないであろう。昔は部落には講があったが、現代では私のようにどこかの葬儀社の会員になっていて、突然訪れる「死」に対して葬儀社の言うがままに葬儀を進めるのではないだろうか。

  経を挙げてもらう僧侶については、檀那寺がある人はそこに頼むであろうし、ない人は葬儀社などに紹介してもらうであろう。私の妻の両親のときはそうであった。

  私は神道の葬儀については、母の実家が神道なので3回経験したことがある。神道は大変簡潔である。神主さんんが祝詞(のりと)を用意してきてあげるのだが、戒名はなく本名で故人について述べ、御幣を振ってお祓いをする。参列者は霊前に榊をあげるのだ。

  神主さんへのお礼も大変少額であったと記憶する。私は神道がいいと思ったものだ。

  私はこれまで一度もキリスト教や他宗教の葬儀に出合ったことがないのでさっぱり分からないが、友人の話によるとキリスト教は多額の寄付を要求されると聞く。

  話しを元に戻して、葬儀について考えると、葬儀とは故人を送る儀式である。その送り方には民族によってもいろいろあるようだが、要するに故人のことを偲び遺体を土葬とか火葬などにすることである。同じ仏教でもチベットでは「鳥葬」で山の鳥に供すると聞いた。

  ゴビ砂漠へ行ったとき、砂漠に土盛りがいくつか見られたが、砂漠へ持って行ってそこに埋めるのだと思った。土盛りはやがては風によりなくなるのだろうが、それについてどうするのかは知らない。

  葬儀についても、私の母方の祖父のときは、身内は白い衣を着て、額に幽霊が付けているような三角の白い形をつけて、葬列を作って歩いて火葬場まで行った。いつのまにかそういうやり方はなくなった。葬儀のやり方も時代を反映して変わって行くのだ。

  この頃では「直葬」と言って、遺体を直接火葬場まで運ぶというやり方もある。主に身寄りのない孤独死の人を役場などがそのようにして弔うのだが、私の知人は、「俺が死んだら直葬にして、遺灰は海に撒くように家族に言ってある」と話していた。

  遺灰の扱い方も海に散骨するとか、樹木葬にするとかいろいろあるようだ。中国の「改革・開放」経済政策を進め、現在のような中国の発展のもとを築いた鄧小平は、葬儀は行わず遺灰は中国の領海に散布された。彼は唯物論者だから魂の存在などは信じなかったものと思われる。

  前にも書いたように、釈迦の時代は「輪廻転生」が一般的に信じられていたが、佛教の創始者「釈迦」は霊の存在とか輪廻転生とかはないと考えていた。また仏教による葬儀についても考えていなかった。釈迦が亡くなってその死を悲しむ弟子たちがたくさんいたであろうが、釈迦自身は悲しむではないと教えた。また偶像崇拝も説かなかった。釈迦は「生老病死」を超越した思想を説いたのであった。

 極楽浄土とか輪廻転生とか霊の存在などについて仏教に取りいれられたのは、佛教が伝播する中で、後世の僧侶によってなされたのだ。同じ仏教でも宗派がいろいろあり、国によっても同じ国の中でも異なるのはそのためである。

 経典は膨大なものがあるが、それは釈迦の後の世の高僧によって付加され伝承されたからである。宗派は自分に都合の良い経典をもとにしているのだ。

 

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2018年1月15日 (月)

葬儀って、何だ?―⑤―

 家に来た葬儀社のスタッフのAさんにお布施の件を話したら、面白い話を聞かせてくれた。Aさんのお兄さんが亡くなったとき、檀那寺に頼むとお布施は高いしお経の声がよくないので、平安会館に頼んで、声がよくて高くないお坊さんを紹介してもらったというのだ。

  そのお坊さんは声がよくて読経が栄えて、しかも、人柄が非常に良い人であったそうだ。お布施も20万円ですべてやってもらえたという。

  その後、お父さんが亡くなったので、またそのお坊さんにやってもらったというのだ。Aさんは1人になったので、そのお寺で葬儀をしたそうだ。お寺のお庫里さんがいろいろ世話をしてくれたという。でも、寺はお経以外はみんな無料でやってくれたのだという。

  お寺によってもいろいろあることがよく分かる。Aさんは檀那寺がよくなければかわればよいのだと言った。

  確かにその通りである。檀那寺というのは江戸時代に統治をするために作られたものである。強制的にどこかの宗派に属させられたのだ。キリスト教を排除することも重要な狙いであった。

  しかし、明治以後は宗教を選ぶのは自由になった。私の父方の祖先はキリスト教に宗旨替えをしたし、母は実家が神道であったが、結婚して浄土宗になり、その後墓を曹洞宗の寺に造ったので曹洞宗になった。我が家でもたまたま妙心寺系だったのでそのまま引き継いでいるだけである。

  お布施の話しに戻して、知人のKさんが夫を亡くし本願寺で葬儀をしたが、お坊さんにお布施のことを聞いたらいくらでもよいと言ったので、10万円でいいですかと聞いたらお寺はそれで結構ですと言ったので1万円プラスして渡したそうだ。

  お布施は喜捨とも言い、釈迦の時代からあったが、釈迦の時代は喜捨はどんなものでも喜んで受けた。現代でも京都などでは、お坊さんが修行の一環として托鉢に出かけることがあるが、たとえ僅かな米でも有難く受け取る。良寛は托鉢を持って里に出かけ喜捨を乞うて生活をした。

  本来は僧というのはそうあるべきなのだ。布施の多寡を問題にしてはならないのだ。清貧に甘んじることができなければ、ビジネスにすればよい。

  枕経○○分何円、通夜○○分何円、葬式の読経は会葬者の数や時間で何円、鐘を鳴らしたら何円、火葬場読経何円、初七日何円・・・・・などと見積もりを明記して提示すべきである。そして施主と話し合って納得したところで、契約するのだ。

  私の知人でお経のテープで法事を自分たちでやっている人がいるという話しをしたら、葬儀社のAさんは、平安会館でもいろいろなお経のCDを扱っていると言った。CDを買って月経や法事をやる人が増えているというのだ。それを聞いて私も納得した。何も高い金を払って坊さんのライブをやってもらわなくてもCDとか自分の読経でもいいのだ。

 そもそも訳の分からないお経を唱えてもらって何のご利益があるというのか?ただ形式で儀式としてやっているだけである。

 

 

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2018年1月14日 (日)

葬儀って、何だ?―④―

 葬儀の翌日、お布施を持って寺を訪ねた。普通、寺というのは門が開いていて誰でも境内に入れるものだが、門が閉じていた。

  中に入り和尚さんと会ってお布施を渡した。領収書はもらえないと思っていたが、ちゃんとくれた。49日の法事は4万円だと言った。土日は1年中予定が詰まっていると言ったので檀家はどのぐらいあるのか尋ねたら400軒余りと言ったので驚いた。

  昔、檀家が300軒ある寺は経済的に問題がないと聞いたことがあったが、檀家が多い寺なのだと知った。本堂を建て替えたとき私も応分の寄付をしたが立派な本堂であった。

  その次の日、平安会館のスタッフが諸経費の説明にやってきた。また別の職員であった。見積もりは聞いていたが、実際に掛かった費用の説明であった。

 無利子で積み立ててあったのが24万円だが、それをつかうのに消費税を12000円取られたので驚いた。説明を聞いても理解できなかった。

  積み立てを使ってできる祭壇セットが34万円であった。祭壇脇花、装飾花、供物並、プリント棺、遺影写真(着せ替え料2000円別途)、額並、枕飾り(机、布団、位牌、具足)、納棺用品並、遺体保冷用品、お骨箱、焼香用品、クラウン霊柩車。

  会葬礼状や記録帖、告別式案内状、忌中紙などは会葬礼状5枚、案内状5枚だけ使っただけで後は使わなかったが値引きはなかった。

  追加として支払ったのは夜間搬送29000円、保管料3日で15000円、霊安室使用料30000円、中陰台15000円、お寿司7000円、出立ち割子4800円、奉仕料30000円。 奉仕料まで取るのは知らなかった。 

  会員割引は、祭壇が-100000円、搬送値引き―29000円、保管料値引き―5000円。合計134000円の会員値引きであった。

  結局葬儀社に支払ったのは358704円で、寺に払ったのが350000円、合計708704円であった。

  葬儀社の料金が妥当なものか、高いのか、安いのかは素人にはさっぱりわからない。葬儀は結婚式と違って、予め準備をしたり、見積もりをとったりはできないのだ。突然のことであたふたしている中で葬儀社に任せるしかないのだ。

  昔は「講」があって田舎では近所の人たちが集まってすべてを取り仕切ってくれた。今は葬儀社に頼むしかないのだ。

 我が家の場合、4人だけの家族葬であった。もっと安くやれるような気がするが、ついつい葬儀社の言うがままに事を運んでしまった。

 ダイヤモンドオンラインの「はれのひ事件」に関する論評の中に、次のような部分があった。

 「まずはセレモニービジネスの問題点からご説明しよう。

 『明朗会計』が謳われ、数万円程度の家族葬などが普及した今でも、葬儀にまつわる消費者トラブルは後を絶たないのはご存じのとおりだ。筆者も十年ほど前、悪質な葬儀会社や、その被害者によく取材をしたものだが、悪質業者がなくならない理由は、葬儀が『一生に一度のセレモニーだから』という一点に尽きる。

 葬儀サービスを何度も利用するわけではないので、質の良し悪しや、価格の相場がわからない。契約や支払いなど、何もかもが初めてなので、業者側に言われるまま。どのあたりがそんなに高いのかと尋ねても、『普通はそれくらいしますよ』と説明されると、納得せざるを得ない。

 優良業者ならばそれでもまったく問題ないが、世の中には必ず、こういう構造を悪用する業者が現れる。要するに、悪意さえあれば簡単に消費者を「カモ」にすることができてしまう業態なのだ。」

 全く同感である。

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2018年1月13日 (土)

葬儀って、何だ?―③―

 この会場では葬儀は私たちのだけであった。葬儀の当日は会館で頼んでおいた出立ちの朝食を摂った。仕出しであった。その後棺の上に花束を置いた。 

 10時過ぎに導師が来て、10時30分に告別式が始まった。お経は30分ほど続いたが、例によって木魚と鐘の音と読経の音声が響き渡るだけで何を言っているのかはさっぱりわからなかった。禅宗なのでときどき「ナムカラヤーノトラヤノヤー」とか「般若波羅多」が耳に残るだけであった。

 お焼香も4人だけなので簡単に終わった。最後の方で導師が大声で「喝!」と言った。読経が終わると導師は退場し、棺が引き出されて花を入れて最後の別れをした。3日たつのに今にも生き返りそうな表情をしていた。

 火葬場まではクラウンの霊柩車で行った。私と妻は霊柩車に乗り、婿が運転する車が続いた。

  八事の火葬場に着くと、この日は少ないらしくすぐに火葬に入った。導師が簡単な経をあげて納められた。

  外のテラスで待っている人たちがいたが、私たちは休憩室に入った。平安会館の部屋でたった4人だが広い和室であった。若い人は灰になるまで時間がかかるそうで、1時間15分ぐらいで呼び出しがあった。

行くと棺を載せた台が引き出されて骨がのっていた。大きい骨は係りの人が骨壺に入れてくれ、私たちは二人一組になって小さい骨を入れた。

  「喉仏がきれいに出ていますよ」と言ったので、見ると仏様の形をしたお舎利があった。「こんなにきれいなのは珍しいです」と言っていた。喉仏を安置する箱は無料であった。

  我が家ではこれまでに喉仏がいくつかでた。生前の行いがよいと出ると言われるので嬉しかった。

  会館にもどると時ごろから初七日の法要をした。そのあと導師から話があると呼び出された。部屋に行くとお布施のことであった。代理の僧から伝わっていたのだ。

  婿が私たちの気持ちを説明した。導師は「お宅より収入が低い檀家でも55万円だしてくれますよ」と言った。お互いに気持ちを述べ合い、35万円で納得してもらった。その時分かったのだが、5万円は代理の僧に払われる金額だということだ。ということは50万円は導師の収入ということである。

 精進落としは自宅で家族4人で行った。

 

 

 

 

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2018年1月12日 (金)

葬儀って、何だ?―②―

 11時ごろお寺さんが枕経をあげにやってきた。型どおりに20分ぐらいお経をあげた。その後椅子に座ると、すぐに「信士で55頂きます」と言った。「55」とは55万円のことだと思ったが、こちらが尋ねもしないのにいきなりそう言われたので一瞬たじろいだ。55万円はいくらなんでも高いと思ったが、その場では「そうですか」と言った。「高いですね。まけてもらえませんか」などとは言えなかった。

 午後1時ごろに東京から婿が来てくれた。婿にその話をするとやはり高いと言った。2時ごろから会場の担当者と通夜や葬儀についての話し合いがあった。平安会館は担当者が毎日かわるようであった。

 家族だけ4人でやるので通夜や葬儀で渡すものとか礼状などは要らないのだが、葬儀社は案内状と礼状は5部用意するといった。お坊さんへの食事や土産については出すかお金で渡すかどうすると聞かれたが、55万円のことがあるので出さないことにした。

 花輪は対で2万円ということであったが、祭壇には花が付いているので、花輪はなしにして花屋で好きな花を買ってくることにした。

 写真をどうするかであったが、家で探しても最近の写真は見つからなかった。ただオランダに行ったとき友人の両親と撮った写真がピンボケだがとてもよい表情をしていたのでそれを使うことにした。

 次の日はお通夜であった。娘が仕事を早めに切り上げて来ることになっていた。写真はきれいに出来上がって来た。シャツを着ていたが背広に直してもらった。修正代が2000円であったが上手にできていた。

 通夜の始まる前に会館で食事をした。寿司を頼んでおいたのだが、5人前で7560円であったがおいしくなかった。こんなことならスーパーで寿司を買って来た方が安くてよいと思った。

 7時から通夜をしたのだが、坊さんは代理の人であった。そして読経も含めて7時15分に終わってしまった。何とたった15分であった。私たちがこれまで参加した通夜ではどこでも30分ぐらいはやっていた。

 私と婿は代理の坊さんに私たちの気持ちを導師に伝えてもらうことにした。私は枕経が終わると向うから「55」と言われたことや、通夜に代理が来てしかもたった15分で終ったことなどを話した。会館はいろいろ世話をして部屋や祭壇や車や霊柩車など全部含めて40万円(見積もり)なのに、坊さんは枕経、通夜、本葬、火葬場、初七日で55万円はどう見てもおかしいし、元来お布施なのに請求されるのもおかしいと話した。

 婿はお寺離れが進んでいる現状で、お寺はもっと企業努力をすべきだと指摘した。こういうやり方をしているとますます檀家が離れていくだろうと言った。そして35万円を払うからそれを承知してほしいと言った。

 代理の坊さんは私たちが話すのをきちんと聞いてくれた。その方は遠く岐阜県から来たということであった。そして我が旦那寺の墓経などにもよく行くが、そこで檀家さんからの不平を頻繁に聞くと話した。やはり檀家の中に不満が広がっていることが分かった。その坊さんは導師に伝えると約束した。

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2018年1月11日 (木)

葬儀って、何だ?―①―

 NHKのITを扱った番組に「人間って、何だ?」というのがある。それにならって「葬儀って、何だ」と題して葬儀について書くことにした。

 昨年暮れに息子が急死した。人が死ぬとその直後からしなければならないことが襲ってくる。私は若い頃に葬式を取り仕切ったことが何度かあるが、そのときは自宅での葬儀であった。

 その後も妻の父や母が亡くなったとき、やはり私が中心で葬儀を取り仕切った。義父のときは市営住宅の集会所で、母の時は平安会館の一室を借りて執り行った。

 自分としては経験豊富だと思っていたが、いざその場面に直面すると戸惑ってしまう。私は平安会館の積み立てを10年前に終わっており、その後勧められて紫雲殿の会員にもなった。どちらでやるか迷ったが、平安会館には積立があるので今回はそちらでやることにした。

 息子は市大病院で亡くなったのだが、看護師さんが身体を清拭して寝巻を着せてくれたあと遺体を会館まで運ばなくてはならない。夜遅くであったが会館の担当者が来て手配をしてくれた。お寺の都合を聞かなければならないので、お寺への連絡は私が行った。

 会場は家の割合近くなので、途中我が家の前を通って送ってくれた。会場までの運び代は3万円であった。

 東京にいる娘と連絡を取ったが非常に忙しいので土曜日まで待ってほしいと言った。それで3日後に葬儀をすることになった。それまでドライアイスが必要である。会館に着いたのが0時を回ったので、安置料は1日分安くなったが、ドライアイスは3日分で1万5千円かかった。ドライアイスは30cm四方位の板状で4枚使った。

 普通は遺体の傍にいて上げるのだが、家が近いし疲れていたので家に帰って寝た。

 次の朝は会館に頼んで用意してもらった朝食を会館で食べた。その後区役所に行って死亡届を出し、火葬許可書をもらった。混んでいたので時間がかかった。

 私たちは妻と娘夫婦の4人だけで葬儀をすることにしたので親戚にも知らせなかった。息子の勤め先には会葬や供花などは要りませんと断った。本当の家族葬だが、会場は洋式の部屋で、これまでに納めた24万円の積み立てに入っているという部屋であった。祭壇と導師の椅子と参会者用に10脚の椅子があった。

 

 

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2016年11月19日 (土)

葬儀や法事でのお経はおまじないか?

 この頃葬儀と法事に出席する機会があった。いずれも曹洞宗であった。私は葬儀でも法事でも、僧侶の読経を聞いて、何を言っているか知ろうとするのだが、漢文のお経では摩訶般若波羅密多心経以外には全くチンプンカンプンである。先日の葬儀や法事では文語によるお経も読まれたが、99%ぐらいは分からなかった。

  法事のとき、たまたま僧が読んだメインの経の表紙を見ることが出来た。それには「神力品」と書いてあった。「神力品」とは何だろうと思いネットで調べたらあった。「じんりきぼん」と読むのだ。

  正式の名称は「妙法蓮華経如来神力品第二十一」と言うようだ。「妙法蓮華経」だから日蓮宗のお経かと思ったら、天台宗でも使われているらしい。曹洞宗開祖の道元禅師は、天台宗の延暦寺で修行したのでそこで学んだという。道元は死ぬ前日に神力品を静かに唱えていたそうだ。

  文語で書かれた神力品というお経であるが、やはり聞いていても、ところどころの単語以外サッパリ意味が分からない。

  いつも葬儀や法事の時に思うのだが、どうして誰にでも分かる現代語に翻訳した経を読まないのであろうか。おそらくそうした現代語訳の経典がないのであろう。

  中国では、インドまではるばるとシルクロードを通って行って、経典を長安まで運んできて漢訳をした。日本の経典は中国から持って来た漢語の経典をそのまま使っている。それは漢語を読めるのはごく一部の僧侶や貴族だけであったからで、僧侶は寺院で修行をしながら、ひたすら漢語の経典を読んで理解しようと努めたのだろう。

  思うに日本に伝来したその時点で、経典はごく一部の当時の知識層の独占物であったに違いない。難解な漢語の経典を読むことで、彼らに特権意識が働いたのだ。だからお経はなんだか分からないが有難い、ご利益のあるものとして、呪文のように唱えられたのだと思う。

  奈良・平安の時代は仏教は天皇や貴族のものであった。一般庶民はあずからぬところであた。国家安寧のために東大寺が建てられたり、病気の治癒を祈るとか、様々な災難を逃れるために多くの寺院が建立されたのだと思う。

  貴族たちは病気を治したり、悪霊災厄を追放するために僧を頼んでお経をあげさせた。そして極楽浄土に往生することを祈願した。

 そのお経の有難さを一般庶民にまで与えようとして念仏が作られたのだ。「南無阿弥陀仏」唱えれば極楽往生が叶うというのは、非常に単純化してしかも効果的な方法であった私は思う。鎌倉時代になって日蓮は法華経をもとに、「南無法蓮華経」を唱えることを説いた。これも浄土教と同じがり方である。

 日本で経典が日本語に訳されたのが、何時頃であったのかは知らないが、今日聞くものは文語訳で、その上漢字部分はそのまま使われているから、漢語の経典とあまり変わらない。多少読みやすくなっただけである。聞いて意味が分かることは絶無である。

 仏事でサッパリわからないお経を有難そうに聞くというのは、呪文を聞くのと同じである。意味も分からずにただ音を聞いているだけである。一種の単調な音楽である。

 葬式や法事で読むお経を何時、誰が決めたのかは知らないが、そのやり方が何百年も続いて来て今日でも行われているのが不思議である。しかし、この10年ほどで急速に葬儀のやり方が変わってきているのは、従来の葬儀への疑問が広がっているからであり、お寺離れが広がているのも軌を一にしている。

 長い間の日本仏教の怠慢が、21世紀になって指弾され始めたのだといってもよいと思う。

 

 

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