戦争と平和

2017年5月 3日 (水)

海上自衛艦の米艦防護の意味するもの

 朝日新聞によると、安全保障関連法に基づき、平時から自衛隊が米艦などを守る「武器等防護」が1日、初めて実施された。海上自衛隊の最大級の護衛艦「いづも」が米海軍の貨物弾薬補給艦の防護を房総半島沖で始めたのだ。

  2日にかけて四国沖まで一緒に航行し、「いづも」はシンガポールで15日開催される国際観艦式に向かうという。

  北朝鮮と米国の駆け引きが続く中とはいえ、この時期に安保関連法に基づく任務を実施したのは、日米の緊密な関係を誇示するためだと言われる。それなのに今回の実施については、政府は公式発表はしないというずるさだ。

 今回の出動は米軍の強い要請によるものというが、安倍政権にとって安心して米艦防護に踏み切る絶好のチャンスだったわけだ。太平洋を東京近辺から四国沖までという何事も起きない海上を航行するのだ。それでいて米艦防護日米協力の実績を積むことができる。また日本国民やアジアの国などにアレルギーを弱める効果も期待できるのだ。

 新聞によると、「いづも」という最大級の護衛艦を使ったことで大きなPRとなると防衛省幹部が語ったという。

 今回はいわばお披露目に過ぎないが、今後日本海などで米軍の要請があれば出動することになる。共産党の志位委員長は「米国が北朝鮮への軍事攻撃に踏み切った場合、自衛隊が自動的に参戦することになる」指摘したが、そうならないことを望む。

 安保法制によって、南スーダンへの自衛隊駆けつけ警護、そして今回の米艦防護と着々と自衛隊が戦争へ進む道を開きつつあるのだ。安倍首相は「圧倒的な数を持つ今、憲法改正を進める機が熟した」と発破をかけた。安倍政権によって平和と国民生活を守る外堀(9条解釈変更閣議決定、特別秘密保護法、安保法制、武器輸出3原則破棄、共謀罪法案など)は完全に埋められ、あとは本丸(憲法改悪)を残すのみとなったことは間違いない。

 

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2017年5月 1日 (月)

4月29日のNHKや一部鉄道の異常な対応

 4月29日といえば朝5時半ごろ北朝鮮がミサイルを1発発射したが失敗に終わった日である。NHK「おはよう日本」ではトップニュースとして伝えたが、それはいいとして、異常であったのは、地震や台風並みの繰り返し放送であったことだ。そしてその中には東京の地下鉄が運行をストップしたニュースと映像も繰り返された。北陸新幹線でも一時ストップしたようだ。

  ミサイルは日本に向かった訳ではなく、失敗したのだ。それなのに今回はこれまでにない対応がとられたのは何故だろう。ピンときたのは政府がやらせたのか「忖度」をしたのだろうということだ。

  金正恩の北朝鮮とトランプ米国は緊張を生み出していて、戦争になるかもしれないと危機感をしきりに煽っている。その流れの中にあるのだ。

  「この日本の騒ぎ方についてYahooニュースに韓国メディアは批判的に見ているという産経新聞の記事があった。

  北朝鮮の弾道ミサイル発射を受け、東京メトロが一時全路線で運転を見合わせたことに対し、韓国の聯合ニュースは29日、『過剰対応との批判が高まっている』と報じた。

 聯合ニュースは『初めての挑発でもなく、北朝鮮国内に落ちただけ』とした上で、『利用客の不便も顧みず運行を中止したことに(日本国内で)不満があふれている』と報道。日本政府が『戦争の恐怖を醸成することに熱を上げている』と表現した上で、運転見合わせについて『東京メトロは民間の会社だが、決定の背後には政府の存在があるといえる』とした。」

  連合ニュースの指摘は当を得ていると同感できる。

  Yahooニュースに、ジャーナリストの田中良紹氏が、次のように書いている。

 「北朝鮮と戦争状態にあるのは韓国である。その韓国では現在大統領選挙が行われている。危機が本物なら選挙などやっている場合ではないが、誰もそんなことを考えていない。だから普通に選挙を行っている。それが正常な感覚である。

  これほど騒いでいるのはおそらく世界中で日本だけ。なぜそんなことになるか、日本人は立ち止まってよく考えてみた方が良い。いかに自分たちが戦争の現実から目を背けてきたかに思いを致し、平和憲法を守っていれば平和でいられるという幻想から目を覚ますべきなのだ。

  北朝鮮危機を煽っているのは米国のトランプ政権だが、トランプ大統領はやることなすことうまくいかないので国民の目を外にそらせたい。そのためシリアを爆撃し、アフガニスタンに新型爆弾を落とし、北朝鮮危機を煽っている。目をそらせたいだけだからただのこけおどしで戦争する気があるわけではない。」

  「平和憲法を守っていれば平和でいられるというげんそうから目を覚ますべきなのだ」という部分には反対だが、その他は賛成できる。

安倍政権は国会で2/3以上の多数を誇り、党内に反対をする者が見当たらず、支持率も安定していて盤石のように見える。しかし、森友問題を始め閣僚などの失言が相次ぎ、国民の目を外にそらさなければ足元がぐらつくこともあり得る。だから北朝鮮問題で必要以上の危機感を煽っているのだ。それに騙されてはならない。

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2017年1月 3日 (火)

安倍首相の真珠湾所感演説をめぐって

 昨年12月27日の安倍首相の真珠湾所感に関して、友人が送ってくれた沢藤統一郎弁護士のblogが鋭い指摘をしているのでその一部を取り上げた。

  「『戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、アメリカ国民の皆さまに、世界の人々に、固いその決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。』

 『日本国総理大臣として』の部分を除けば、このように演説のできる人、このような演説を口にして違和感のない人物は、保守革新の立場を問わず、日本に少なからずいる。しかし、そのような人は、アベ政権とその周囲にはいない。『不戦の誓いを貫いてまいりました』と言える人は、例外なくアベ晋三の批判者である。政敵であるといってもよい。」

  その通りで、私も全く同感である。私たちは政権が毛嫌いする日教組の一員として「教え子を再び戦場に送らない」というスローガンで憲法9条を守り、世界の平和を希求して来た。そのことを誇りに思っている。

 『戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない』とは日本国憲法の根幹の理念である。一貫して憲法を敵視し、とりわけ九条改憲に執着してきたアベの口から出れば、デマゴギーである。あるいはマヌーバーなのだ。教育基本法を改悪し、特定秘密保護法や戦争法の制定を強行し、日本を戦争のできる国にしたばかりか、非核三原則や武器輸出三原則をないがしろにして、防衛予算だけを聖域化してきたアベではないか。どの口からどの舌をもって『平和国家としての歩みに静かな誇りを感じ、この不動の方針をこれからも貫いてまいります』などと言えるのか。」

  私もNHKの中継を聞きながら、所感のこの部分同様の印象を持ちよくも言えたものだと思ったのであった。

  もう一つは「和解」についてである。この点については、朝日新聞の社説の次の部分が鋭い。「首相がハワイに出発した翌日、安倍政権は沖縄県の反対を振り切って、名護市辺野古での埋め立て工事を再開した。

  全国の米軍専用施設の7割が沖縄に集中する現状も、真珠湾攻撃に端を発した米国との戦争のひとつの帰結である。

  演説で首相は日米同盟を『希望の同盟』と自賛したが、沖縄には触れなかった。

  日米の『和解』は強調するのに、過重な基地負担にあえぐ沖縄との和解には背を向ける。そんな首相の姿勢は、納得できるものではない。」

  日米の和解の一方で、沖縄県民の気持ちを無視して、強権的に日米軍事同盟強化のために基地建設を進めているのだ。「歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国となりました」と述べたが、それは沖縄の犠牲の上にあることに頬かむりをしている。

 アメリカは宣戦布告なき卑怯な真珠湾攻撃への報復として、徹底的な日本の各都市への無差別爆撃と原爆投下を行ったと言われる。これはイーブンとは言えないものである。戦争とはいえ暴虐非道の極みである。

 それと同時に、日本軍がアジアの多くの国々に侵略をして人的物的な被害を与えたことも同様に暴虐非道であった。歴史的認識の欠如した演説であった。

 

 

 

 

 

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2016年11月 9日 (水)

三笠宮のお考えに感動

 三笠宮が逝去されて新聞やテレビで戦時中や終戦後の三笠宮のことが記事になった。それを読んで初めて宮様がすぐれた感性とお考えを持っておられる方であることを知った。

 

  特に日中戦争の頃中国に軍の参謀として行かれて見聞きされたことを元に当時の軍のあり方を批判されたことに感動した。それで改めてこのblogにも記録しておきたいと思った。ネットで探して次のLIVEDOORニュースが一番良いと思うので一部をコピペした。

  三笠宮は陸軍士官学校に進み、軍人となり、日中戦争時の1943年1月から1年間、「若杉参謀」の名で参謀として中国・南京に派遣された。このとき崇仁親王は「支那派遣軍総司令部」で「支那事変に対する日本人としての内省」という文書を書き、日本の侵略主義を批判したのだが、その文書が発見された1994年には、月刊誌のインタビューで"南京大虐殺はなかった"という論についてどう思うか聞かれ、このように述べている。

  「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(読売新聞社「This is 読売」94年8月号)

  この記事が読売新聞社の雑誌に掲載されたというのが皮肉である。今の読売なら無視したであろうと思われるからだ。

 このインタビューが収録された当時は、羽田内閣の永野茂門法相が毎日新聞のインタビューで「南京大虐殺はでっち上げだと思う」「太平洋戦争を侵略戦争というのは間違っている」などと発言するなど、戦中日本の戦争犯罪を公然と否定する流れが、すでに一部の右派だけでなくかなりの勢いを持ち始めていた時期である。

 とくに、日中戦争初期の1937年12月の首都・南京陥落以降に日本軍が行った捕虜や民間人の殺害行為については、論者・研究者によってその人数に20万人から数百人、そして「そもそも虐殺は存在しなかった」といういわゆる"マボロシ論"まで論じられていた。その"数字"をとりたてる流れは現在も続き、現日本政府もまた「被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難である」としている。

 だが、崇仁親王はこうした"数字"の論に対して"むごたらしく殺せば人数は関係ありません"と、はっきりと批判したのだ。さらに同インタビューでは、自身の南京での従軍経験としてこうも述べている。

「また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう」

 言うまでもなく、崇仁親王が戦争犯罪を正視し、歴史修正主義をけん制したのは、再びこの国が戦争をすることがないようにという強い思いがあったからだ。1956年の著書『帝王と墓と民衆』(光文社)に付した「わが思い出の記」のなかでも、南京に配属された当時を振り返り、こう記している。

〈わたしの信念が根底から揺りうごかされたのは、じつにこの一年間であった。いわば「聖戦」というものの実態に驚きはてたのである。罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいつかない結果を招いてしまった〉
〈わたしがここで言いたいのは、聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであったこと、そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないかということである〉

 これまで右派は「赤い宮様」などと揶揄し、「左翼」と批判してきた。前述した著書の一部が新聞で紹介されたときには、"これは日本軍を傷つけるものだ"という趣旨の脅迫まがいの手紙が当時品川区にあった三笠宮邸に届いたこともあったという。

 しかし、崇仁親王はイデオロギーから発言したわけではない。崇仁親王がオリエント史などの歴史研究を愛し、大学の教壇にも立ったことはよく知られているが、その根本には、たとえそれがどれほど自分にとって正視し難い事実であったとしても、歴史には真摯に向き合わなければならないという覚悟があった。そしてなにより、崇仁親王自身が皇族という極めて特殊な立場にありながら、"権威"が大衆を惑わすこと、そして、自由な言論が封鎖されることこそ、民主主義にとって一番の障壁であると、60年以上前から指摘してきた。

 さらに1966年の「女性自身」(光文社)のインタビューでは、皇室の民主化の停滞を嘆きながら、侵略戦争の認識についてこう述べている。

「太平洋戦争が終わったときには、もうこれで地球上から悲惨な戦争はいっさいなくなったのだと思いましたが、現状をみると、まことにあさはかな考えだったことがわかります。
 どんな大義名分をつけても、しょせん戦争は殺人です。人を殺すことは最大の罪悪です。戦争放棄を明記した新憲法の精神は、いつまでも大切にしなければなりません」

 上のような素晴らしいお考えをお持ちの三笠宮が100歳までの長寿を全うされたことは日本にとっても本当にありがたいことであった。宮様の発言は貴重な歴史証言として後世に伝えられるべきものである。

 

 集団的自衛権行使容認や駆けつけ警護などをどんな思いで見ておられたのであろう。きっと日本の将来を憂えておられたのではないかと拝察する。

 

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2016年9月22日 (木)

安保法制強行採決から1年、

 昨年の9月19日に憲法違反の安保法制が強行採決されて1年経った。東京の国会議事堂周辺では、2万数千人の人々が雨の中にもかかわらず集まって集会を開いた。

 このニュースは、NHKニュースでも小さく放送された。朝日新聞も社会面で小さく取り上げた。どちらも安倍政権に気を使ってのことであろう。本当は1年経って大々的にこの問題を取り上げてほしかった。

 安保法制が違憲であるとは大多数の憲法学者が述べていることである。心ある弁護士や学者は今もなお立憲主義を破壊して決定した安保法制を止めさせることを訴えている。

 そんな中、安倍政権は11月からの国連平和維持活動(PKO)に第11次自衛隊を南スーダンに派遣する。その中心の部隊は陸上自衛隊第九師団普通科連隊である。そして新しい任務を与えよういうのだ。それは安保法制で出来ることにした「駆けつけ警護」と「宿営地の共同防護」の命令である。

 これは戦う自衛隊のスタートである。これまではイラクへの自衛隊の派遣でも、PKO活動が中心で、命が危険になるやむを得ざる場合のみ発砲を認められた、いわば個別自衛であった。

 ところが今度は、他国の部隊やNGO(非政府組織)職員が攻撃されたときに、自衛隊が駆けつけて戦闘をするのである。いわば集団的自衛権行使である。それにより相手を殺すことになり、更には自分たちも殺される危険があるということだ。戦争である以上それは当然起こりうることである。そのために自衛隊はモンゴルまで出かけて多国間共同訓練をするなどして訓練を続けている。

 南スーダンは政権を担うスーダン人民解放運動が分裂し、キール大統領派とマーシャル副大統領派が武力対立する内戦状態だと言われる。停戦合意は何度も結ばれても破られてしまっている。

 「PKO参加5原則」によると、そんな危険な状態のところには自衛隊を派遣しないことになっていたのだが、安倍政権は第11次隊を派遣し、武器使用をさせようというのだ。

 安保法制が成立後それがいつになるかいろいろ言われていたが、ここに来て11月の派遣からということがはっきりしたのだ。

 紛争地で活動するNPOやボランティアからは、もし自衛隊が発砲するようになれば、かえって危険になり、活動する民間人は活動ができなくなると指摘されてきた。イラクに自衛隊を派遣したときでさえ、何人もの日本人が殺されたり、誘拐されたりしたのだ。これからは日本人は敵とみなされるのだ。

 安保法制成立から1年。マスコミはもっともっと大きくこの問題を取り上げるべきである。これで発砲して相手と戦闘した時や戦死者が出たときにはどのように報道するつもりなのだろうか。まさか「敵一個小隊殲滅」とか「名誉の戦死第1号」などと書かないだろうね。

 

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2016年8月25日 (木)

むのたけじさんが亡くなった今

 むのたけじさんが101歳で亡くなられた。朝日新聞によると、今年5月3日に東京都江東区での憲法集会で「日本国憲法があったおかげで戦後71年間、日本人は1人も戦死せず、相手も戦死させなかった」と話された。

  また、22日の社説では、若い方々に申しあげたいと、「戦場では従軍記者も兵士と同じ心境になる。それは死にたくなければ相手を殺せ。正気を保てるのはせいぜい3日。それからは道徳観が崩れ、女性に乱暴したり、物を盗んだり、証拠を消すために火をつけたりする。こういう戦争で社会の正義が実現できるでしょうか。できるわけありません。だからこそ、戦争は決して許されない。それを私たち古い世代は許してしまった」と熱く訴えたことを引用している。 

  その同じ日の下段の社説では「南スーダン 人道危機を食い止めよ」という見出しで次のように書いている。

  「アフリカの南スーダンで7月、大統領派と副大統領はの武力衝突が起きた。慄然とさせられるのは、国連機関や人権団体が現地から伝える民間人の被害である。

  両派の戦闘に住民が巻き込まれただけではない。大勢が避難した国連の避難施設を狙った銃撃や砲撃。対立民族出身と判明した住民の殺害。未成年を含む女性に対する性的暴行。商店や倉庫の略奪―。蛮行の数々が国民を守るべき兵士によってくり広げられているという」

  まさにむのたけじしさんが訴えた、戦争による人間の狂気が今も行われているのである。

  むのたけじさんは、戦時中従軍記者として戦地を取材しながら、真実を伝えられなかった自責の念から、終戦の日に朝日新聞を退社したという。この日に即刻退社したことを凄い決断だと思う。花森安治氏がその日に筆を折ったのと同じである。

 その後故郷の秋田県に戻り、48年に「たいまつ」を創刊し、地方を拠点に反戦、平和、民主主義を守る執筆と運動を続けたのだ。

  社説ではこう書いている。「むのさんはかつて、戦時中の朝日新聞社の空気をこう振り返っている。検閲官が社に来た記憶はない。軍部におもねる記者は1割に満たなかった。残る9割は自己規制で筆を曲げた。」

  私は朝日などマスコミは、厳しい検閲下に置かれて、社には検閲官が来たと思っていた。NHKは放送原稿を事前にチェックされていたことをNHKの朝ドラ「花子とアン」でやっていた。

 しかし、むのさんの話では自主規制を徹底していたのだ。彼は「権力と問題を起こすまいと自分たちの原稿に自分たちで検閲を加える。検閲よりはるかに有害であった」と言ってる。まさにその通りである。

  現在多くの良識ある人たちは、昨今の安倍政権によるマスコミへの圧力とNHKに見るような介入で自主規制が強まっていることを憂慮している。またマスコミの自殺行為が始まったのだ。

  朝日新聞の社説は「戦火を交えるのは、戦争の最後の段階である。報道が真実を伝えることをためらい、民衆がものを言いにくくなった時、戦争は静かに始まる」と書く。

 そして、「だから、権力の過ちを見逃さない目と、抑圧される者の声を聞き逃さない耳を持ち、時代の空気に抗して声をあげ続けねばならない」と結んでいる。

 朝日新聞よ、その言やよし。決して忘れるなと言いたい。そして他のマスコミにも権力に屈しない、おもねない、反骨のジャーナリズムであってほしいと切に願う。むのたけじ氏も最後までそれを訴え続けられたのだ。

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2016年8月15日 (月)

71回終戦の日に思う

 今日8月15日は71回目の終戦の日である。この日が日本にとって特別な日であるにもかかわらず、普通の日と同じ扱いになっているのが不思議でならない。

  私は戦中、戦後を通して南紀新宮市で育った。前にもこのblogで書いたが、米軍がサイパン島やグアム島を占領して以後、毎日B29が日本を空襲するようになった。新宮の上空は大阪方面や名古屋方面に空襲に向かうB29の通り道となっており、昼間であれば銀色に光る機体が見えた。夜は嫌な爆音がゆうゆうと空を飛んで行った。

  新宮市が空襲されたのは、ネットで調べたら昭和20年1月19日だと書いてあるblogがあった。南紀新聞によると、この夜、熊の地、大浜、三輪崎などに焼夷弾が投下され焼かれたとある。

  私はその空襲があった夜、防空壕の入り口から熊の地方面の空を見ていた。無数の焼夷弾がキラキラと輝いて落ちていくのを見た。その下で多くの市民が家を焼かれ逃げ惑っていたのだが、子どもの私にはそこまでは思いを巡らすことはなかった。ただ自分の方には落とさないようにと祈っていたのだ。

  2、3日後に熊の地を見に行ったら無残に焼かれていた。阿須賀神社など200余戸が焼かれ、死者31人、負傷者239人だったと南紀新聞は伝えている。

  熊の地には王子製紙の工場はあったが、それ以外は一般市民の住宅地であった。それなのに米軍のB29は焼夷弾で街を焼き、罪なき市民を犠牲にしたのだ。

  新宮が空襲されてから、米軍の空襲はますます激しくなり、名古屋、東京を始め全国の都市が焦土と化していったのであった。そして忌まわしい広島と長崎への原爆投下とソ連の卑怯な参戦が日本にとどめを刺すことになったのであった。

  新宮空襲後8月15日の終戦まで、それこそ気が休まる日はなかった。日中に学校への行き帰りは何時敵機が襲ってくるかもしれない恐怖感があり、警戒警報のなるたびに防空壕に飛び込んだ。夜は黒い布で覆った懐中電灯よりも暗い電燈の下で過ごした。

 我が家には格子をはめた窓があったが、父はその格子の一部を鋸で切り、いざというときには簡単に壊せるようにしていた。

 平和であればのんびりした、山紫水明の南紀の街なのだが、戦争の間は毎日がいつ死ぬか知れないと思って暮らしていたのである。

 終戦の昭和20年8月15日は天気がよく暑い日であった。前にも書いたが、その日は父は勤めていた商業学校に行った。帰ってきたらいつものように遠くの山に開墾した畑に行くことになっていた。

 私は玉音放送があるのを知らなかった。我が家にはラジオはあったのだが、母もラジオをつけなかった。田舎なので徹底していなかったのかも知れない。だから聞くことはなかった。

 父が帰宅して「今日は畑には行かない」と言って、部屋で力を落としたようにぐったりしていた。私は戦争に負けたことを知った。

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2016年8月 9日 (火)

NHKスペシャル「決断無き原爆投下」が伝える真実

 6日のヒロシマの日に放送された、NHKスペシャル「決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~」を見た。
 原爆投下はトルーマンが明確な意思のもとに決断したという説が、歴史家たちによって見直されようとしているという。

 トルーマン大統領は、ルーズベルト大統領が1945年4月に急死したのを受けて、副大統領から大統領になった。しかし、トルーマンはそれまでマンハッタン原爆計画について知らされていなかった。マンハッタン計画はルーズベルト大統領の下で、レスリー・グローブス准将が中心となって進められていたのだ。

 グローブス准将は、原爆計画を進めるため詳細は報告書を持ってトルーマン大統領に会った。が、トルーマンは「私は報告書を読むのは嫌いだ」と答えたという。それでグローブスは大統領が暗黙の了解を与えたのだと解釈した。その後ネバダでの核実験が成功した。

 グローブス准将らは日本の都市への原爆の投下を進言した。日本の都市が10ほど候補になり、その中から広島と京都に絞られた。まだ通常爆弾の被害がなく、原爆の効果がしっかりと出る都市ということであった。

 グローブスらは京都に拘ったが、ヘンリー・スチーブンスン陸軍長官は京都は文化都市だとして反対をした。トルーマン大統領は一般市民や子どもが犠牲になることを心配し、またナチスドイツのユダヤ人虐殺のような受け止めをされることを恐れた。それで結局軍関係や軍需施設が多くあるという牽強付会の論証によって広島に決まった。

 グローブス准将らは巨額な費用を使いマンハッタン計画を進めてきて、その効果を確かめずに戦争が終わることを恐れていた。それで広島と長崎への投下を実行したのだ。3発目も用意されていたが、それはこれ以上の犠牲を出さないようにということで止めたのだという。

 トルーマン大統領は、投下後、「日本の市民やアメリカの兵士のこれ以上の犠牲を止めるために投下した」とラジオで放送した。それが原爆投下を正当化するアメリカ人の共通の理解となって今日に至っているのだ。

 グローブス准将の証言は2時間ものテープに残されている。准将はその証言の4か月後に亡くなったというから、非常にきわどいところで残された貴重な証言だと言える。

 「大統領には何も出来なかった」。NHKが独自に入手した、米軍の原爆計画責任者のインタビューテープは、赤裸々に原爆投下をめぐる事実を語っている。それらをもとに番組では日本人が知らない事実を、次々と明らかにしている。

 世界でただ2か所、広島と長崎に原爆が投下された。その後はどこにも原爆は使われることなく71年が過ぎた。原爆はこれからも未来永劫に地球上に使われてはならない。日本はこのことを世界に向けて訴え続けなければならない。それこそが真の「積極的平和主義」と言えるのだ。

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2016年8月 6日 (土)

NHK終戦の日スペシャルドラマ「百合子さんの絵本」がよかった

 7月30日にNHKで放送された終戦の日スペシャルドラマ「百合子さんの絵本」―陸軍武官小野寺夫婦の戦争―を見たが、とてもよかった。戦後71年、こういう戦時中の知られざる事実がまだあったということを知り、それを発掘してドラマ化したことを歓迎する。

 小野寺大佐は陸軍参謀本部ロシア課に所属した情報士官であった。参謀本部と意見が合わないことがあって、永世中立国のスエーデン大使館の武官にさせられる。彼はロシア語とドイツ語が堪能であった。当初単身赴任でスエーデンに行くのだが、上層部から奥さんを呼ぶように言われて、奥さんは末っ子だけを連れて夫の所に向かう。

 着いた日からすぐにやらされたことは、暗号の電報を送る仕事と、参謀本部から送られてきた暗号電文の解読であった。奥さんを送ったのは、一番信頼を置ける人物として、重要な暗号作業を担わさせるためであったのだ。

 暗号を解読するための乱数表の管理は厳重で、外出するときには肌に付けてでるのであった。また、武官は情報を集めるいわばスパイであるから、外に出てもいつも危険が隣り合わせであった。

 小野寺武官は誠実な人柄で、各国のスパイから信頼され、貴重な情報を手に入れることができたそうだ。小野寺武官を香川照之が好演した。

 小野寺大佐の奥さんが百合子さんで、祖父は陸軍大将という家系に育ち、語学も堪能であったようだ。原文の絵本を子どもたちに読み聞かせるシーンが出て来る。その役を薬師丸ひろ子が演じたがこれも好演であった。若い頃から年をとるまでを巧みに演じていた。

 小野寺はナチスドイツ追われたポーランド人のイワノフを雇っていた。イワノフはロシアの情報を手に入れ小野寺に渡していた。日本にドイツがロシアを攻めるなどの大事な情報を送り続けるのだが、ことごとく無視される。日本が真珠湾攻撃をし、アメリカが参戦したことを非常に憂えていた。戦況が不利になりやがて日本は負けると信じていた。

 そんなある日、小野寺武官は信頼するイワノフから連合国がヤルタ会談で交わした秘密を知る。それは「ソ連が対日戦に参加を決めた」というものであった。百合子は夫に従い、その情報を本部に送り続けた。本国が受け取れば必ず和平に動くと信じていたのだ。しかし、一億総玉砕さえ叫ぶ軍部は受け入れるはずはなく、その情報は活かされることなく、米国による原爆投下、ソ連の参戦となり、敗戦の日を迎えるのであった。

 日本がアメリカの圧倒的な物量と戦力の前に、米軍による沖縄上陸、B29による日本本土焦土作戦、原爆投下などで惨めな負け方をし、はかりしれない犠牲を出した。そうなる前になぜ戦争を終わらせることができなかったのか。

 小野寺武官のような情報源もあったのにそれを無視して8月15日まで戦争を引きずった軍部の責任は極めて重大である。それにしてもあの戦時中に情報の正確な判断をして参謀本部に送り続けた軍人がいたことはすごいことだ。

 小野寺武官は戦後はそうしたことを語ろうとしなっかったが、最後に子どもたちに話すことにした。百合子さんは戦後、 「ムーミンパパの思い出」などムーミンシリーズや児童文学の翻訳をした。私はムーミンが大好きで娘と一緒にテレビを見たが、それを翻訳したのが小野寺百合子さんで、戦時中このドラマにあるような戦争の最前線で働いていたということも初めて知った。

 改めて戦争の非情な一面を知ることが出来、戦争の過酷さを、戦争を指導する連中の非道さを考えさせられた。

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2016年5月29日 (日)

オバマ大統領、原爆資料館を見てほしかった

 現職のアメリカ大統領が原爆投下71年にしてやっと広島を訪れた。ケリー国務長官の広島訪問の後、オバマ大統領の広島訪問が実現するかどうかいろいろ言われていただけに訪問が実現してよかった。

 来る前から原爆投下については謝罪をしないと言っていた通り、謝罪はなかった。原爆を広島と長崎に投下し一般の市民を巻き添えにして多大の被害を蒙らせたことは、酷いと思うが、酷いのは原爆投下だけではない。

 マッカーサー元帥は、原爆を投下しなくても戦争を終わらせることが出来たといったそうだが、アメリカのB29爆撃機などが大挙日本全土に襲来して、田舎の小都市まで破壊し焼け野原にした。無差別爆撃であったのだ。

 爆薬の規模が小さいというだけで、無差別爆撃は原爆より小さいからと免罪するわけには行かない。無差別爆撃という考えかたそのものが間違っているのだ。私は原爆投下だけでなく、アメリカのじゅうたん爆撃も非難されるべきであると思う。

 しかし日本も他国に対して同じような無辜の市民を殺し、或いは財産を破壊したのだ。だから日本も謝罪すべきである。

 オバマ大統領は、核兵器をなくすことだけでなく、戦争そのものについても言及したが、その点はよかったと思う。戦争がある限り人間は無慈悲になるのだ。核兵器を廃絶するだけでなく、戦争そのものもなくす努力をすべきである。

 日本はその点、憲法9条によって戦争を放棄したのだが、安倍政権によって戦争ができるように解釈で改憲されてしまった。

 安倍首相は広島で核をなくす努力をすることが大切だと述べたが、空々しい感じがする。世界で唯一の被爆国として、核の三原則を強力にすすめると誓って、その先頭に立って欲しかった。核をなくすと言いながら、一方では原子力発電設備を買ってもらうトップセールスをしているのは矛盾も甚だしい。原発もゼロにずべきなのだ。

 ところでNHKニュースによると、オバマ大統領の広島訪問は内外から好感をもって迎えられているようである。被爆者もアメリカの人たちも一応よかったと言っている。

 しかしながら、NHKのニュースによると、オバマ大統領は原爆資料館には入口付近を10分ほど見ただけだったという。せめて1時間ぐらいの時間をかけて、見てほしかった。そして感覚を通して原爆の悲惨さを感じ取ってほしかった。時間がないというのは言い訳に過ぎないと思う。

 また、原爆ドームは川のこちら側から眺めてだけだった。これも残念なことである。

 オバマ大統領の任期はあと8か月足らずである。大統領を退任した後は世界から核兵器と原発をなくす先頭にたって活動してもらいたいと思う。今度は広島と長崎にも来てゆっくりと原爆の惨状を見てもらいたい。

 就任早々にプラハでの演説だけでノーベル平和賞を貰ったが、その栄誉が本物であることを態度で示して欲しい。退任後もライフワークとして核と戦争を地球上からなくす旗振りをして欲しい。

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