戦争と平和

2017年9月 1日 (金)

国民の不安を煽り思考停止に導くミサイル避難訓練

 北朝鮮がまたまたミサイルを発射した。それに対して落下に備えた避難訓練が全国各地で実施されている。朝日新聞によると、26日には津市でも行われた。

  「参加者たちは、訓練開始と共に、体育館に避難し、身をかがめた」という説明がついた写真が掲載されていた。

  この訓練は津市が消防庁の呼びかけに応えて実施したもので、住民たちが草刈で集まることになっていた市立榊原小学校が会場となったそうだ。

  三重県の担当者は「災害とは違い、『Jアラート』による防災無線放送など不慣れなことが多い。まずはどんなものかを知り、万が一の事態に備えることが必要だ」と、訓練の意義を話したという。

  もし北朝鮮のミサイルが飛んで来たとして、その場合はおそらく最も効果的な地域がターゲットとされるであろう。米軍基地なのか首都東京の霞が関付近なのか、あるいは原子力発電所なのか・・・・。北朝鮮はすでにシュミレーションをしているだろうが、それを知ることはできない。

  ターゲットを目がけて打ち込んで来るのだから、おそらく事前に察知して撃ち落とすということなど不可能であろう。仮に察知できたとしてもJアラートが間に合うのかどうか確かではない。

  ミサイルが撃ち込まれれば、逃げるなどということは不可能だし、仮に運よくビルの中に逃げたとしても無事でいられるかは分からない。ましてや学校体育館など、地震や台風ならともかくナンセンスだ。

  29日の朝のNHKは、ミサイルの発射関連のニュースばかりを繰り返した。ここには明らかに政府に協力して危機感を煽るという役割を果たし行くという忖度が働いているのだ。

  各地で避難訓練を実施するとか、ミサイルの飛来を殊更に強調するのは、国民の不安を煽り、冷静で合理的な思考・判断力を弱めようということにつながるのだ。

 素直に体育館に伏せる訓練を受けることで、北朝鮮は本当に日本を攻撃するのか、するとすればその理由は何か?そういうことを考えることを止めてしまうことになる。

 

 戦時中鬼畜米英とか竹槍で重装備の米軍に向かう訓練とかバケツリレーなどを思い起こさせる。あの時は危機意識を煽られ、試され、ナンセンスと分かっていても、それに抗することはできなかったのだ。

 ミサイル避難訓練は戦時中と同じくらい馬鹿げたことであることに気付くべきである。

 

 金正恩は、日本が北朝鮮攻撃の危機を煽って防衛予算増額に利用していると批判したが、それは当たっていると思う。あまり抵抗なく受け入れられるからだ。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月20日 (日)

NHKスペシャル「731部隊の真実」を観て

 8月13日に放映されたNHKスペシャル「731部隊の真実」を観た。以前に組曲「悪魔の飽食」のことを書いたが、そのときネットで調べたら、731部隊は作られたものだとかウソだとかいうサイトがたくさんあり、森村誠一の「悪魔の飽食」もでっち上げだというような批判がされていた。

 今回のNHK「731部隊の真実」では、731部隊がでっちあげではなくて「真実」として取り上げられていた。もとにした資料は旧ソ連によるハバロフスク裁判を記録したテープであった。このテープの存在が72年ぶりに発見されたのだ。

 その他に京都大学や北海道大学に残されていた資料を発掘したり、731部隊に14歳の少年兵として徴用されていた三角氏の証言なども交えて作られていた。

 731部隊は旧満州国のハルピンの広い敷地に置かれていた。その建物とか物品等は8月9日のソ連参戦により、証拠を隠滅するために破壊したのであった。現在残っているのはビルの残骸だけである。

 三角氏は、731部隊に関係した医者や科学者たちが帰国したあと、他の少年兵と共にガソリンで囚人を焼き骨も拾って始末をさせられたという。

 731部隊には全国から医者などの優秀な科学者が集められて研究に参加していた。京都大学の11名、東京大学の6名の他に全国の大学から多くの研究者が集められていた。

 派遣した大学には巨額の研究費が政府から支給された。また731部隊の研究者にも多額の金が支給されたのだ。

 テープに録音された証言によると、チフス菌やペスト菌などを囚人に食べ物と一緒に食させたり、身体に振りかけたりして発病させていた。

 囚人というのは「匪賊」と呼ばれた中国人たちである。戦争がはげしくなるに連れて「匪賊」がどんなに凶悪なものであるかを人々に刷り込ませる情報が新聞やラジオでばらまかれた。日本人はそんな奴らは徹底的にやっつけてしまえと思うようになったのだ。私は子どもの頃読み物などで「匪賊」というのが満州にいることを知り、とんでもない怖い連中だと思いこんでいた。

 多くの学者たちも、匪賊だから人体実験に使ってもよいと罪悪感をなくしていったようだ。陶器製の爆弾にチフス菌やペスト菌などを詰めて空中で破裂させばらまく爆弾が作られた。その爆弾は昭和16年から17年に3回使用されたという。また村にばらまくこともされた。 

 人体実験に使用された人の中には女性や子どもやソ連人も一部含まれていた。

 731部隊で人体実験に携わり研究をした関係の科学者は戦後罰せられることはなかった。それは731部隊で得られたデータを米軍に提供することと引き換え罪を問われなかったのだ。そして彼らはその後医学界などを引っ張る存在になった。多くの医者を送り込んだ和田正三京大医学部長は医学界の重鎮となった。チフス菌などの人体実験をした田部井氏は細菌学の権威をなった。

 凍傷の研究をした吉井寿人は死ぬまで自分は何も悪いことをしていないと言っていたそうだ。

 テープには柄井氏の話しが記録されていて、彼は痛切に反省をしている。残念なことに8年の刑期を終えると自殺をしてしまった。

 生き残った研究者たちは731部隊でした研究については何も語らず、研究の道を進んだ。本来なら歴史の貴重な証人として証言をしておく責任があったのに。ハバロフスク裁判のテープの証言はそうした医学者たちの下で働いた人たちが証言をしているのだ。

 ※次のサイトに詳しく出ている

   http://lite-ra.com/2017/08/post-3392.html

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年8月16日 (水)

戦時中の庶民の圧迫された暮らしをメディアに取り上げてほしい

 8月になると広島や長崎に原爆が投下された日や終戦の日があるので、メディアは原爆や戦争に関連した番組や記事を特集する。それはそれで大切なことだと思う。

 だが、戦争は他国への加害や自国の被害だけでなく、日本国民自身が当時の政府や軍部によって強制された生活によって、自由や人権が失われたり、圧縮されたということがある。

 戦争によって物資が不足し、配給に頼る貧しい暮らしや米国軍が日本に迫って来るにしたがって米軍機による爆撃など恐怖の日々が続いた。しかし、その他に天皇を現人神として崇めることを強制されたり、赤紙ひとつで徴兵されたり、学生が工場に動員されたり、小学生でも授業をやめて奉仕作業をさせられたり、皇国婦人会に組み入れられて、主婦もさまざまな勤労奉仕をさせられたりしたのであった。

 「一億火の玉」とか戦争末期には「一億玉砕」などということが叫ばれ、竹やりで米兵を殺すなどという馬鹿げた訓練が真面目に行われた。

 戦争の初めの頃は「欲しがりません勝つまでは」我慢を強いられ、「壁に耳あり、障子に目あり」など互いに監視する隣組組織も作られた。「とんとんとんからりと隣組、格子を開ければ顔なじみ、回してちょうだい回覧板 助けられたり助けたり」という明るいメロディの歌がある。今に残る回覧板は戦時中のものであったのかと思う。

 安倍首相の悲願は憲法を改悪し、できれば戦前に回帰することだと言われる。その点では小池東京都知事も全く同じである。それを支えるのか「日本会議」であり、その中心の1人桜井よし子氏は最近も第3次安倍内閣が一番だと言っている。

 天皇中心の大日本帝国憲法と富国強兵の明治に戻したいのだ。その点では維新の会も名前の通り同じであろう。安倍首相が言う経済最優先の裏にあるのは富国強兵なのだ。国民の生活の向上ではないのだ。

 メディアに扱ってもらいたいのは、戦時中の庶民の生活がどんなものであったのかということである。大東亜共栄圏建設のために中国や東南アジアを侵略しただけでなく、そのために協力させられた国民が、どんなに悲惨な目にあわされたのかということを、つぶさに掘り起こしてほしいのである。

 8月10日の朝日新聞に「暮らしの手帖」が「戦争中の暮らしの記録」を単行本にしたのが売れていると出ていた。累計で20万部売れ、若い人にも人気があるという。花森安治編集長が68年の暮らしの手帖をまるごと「戦争中の暮らしの記録」にしたのだという。全国から集まった1736の投稿から139編を採用したのだ。

 私は読んだことがないので読もうと思うが、私のような戦時中の生活を知るものが読むのではなく、70歳以下の戦時中を知らない人たちにこそ読んでもらいたいと思う。メディアがこういう視点の特集をしてくれるとよいのだが・・・と切に願っている。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年8月15日 (火)

72年目の終戦の日

 8月15日は72回目の終戦の日である。私が小学校4年生の時に終戦になった。以前にも書いたとこがあるが、この日は太陽が照りつける大変暑い日であった。

 商業学校の教師をしていた父は学校に出かけて行った。父が帰宅すると遠くの山の中腹を開墾して作っていたちょっとした畑に行くことになっていた。私は長男なのでいつも家の手伝いをさせれれていた。

 暑いので畑に行くのは嫌だと思っていた。午後に父が帰宅したが、何も言わずに「今日は畑にはいかない」とだけ言った。家には4球式スーパーラジオ(その頃は英語は使えなかった。何と言っていたが忘れた。多分4球式放送受信機?)があったが、天皇の終戦の詔勅の放送があることは知らなかった。だから終戦を知ったのはその日の夜だったと思う。とにかく遠い山の畑に行くことは免れたのが嬉しかった。

 終戦になって何と言っても嬉しかったのは、もうアメリカのB29が飛来して、夜となく昼となく爆音を響かせて上空を飛んでいくのがなくなったことだ。それまでは田舎の街でもいつ空襲されるかとか機銃掃射をされるかと毎日心配であったからだ。

 平和という言葉があることを知ったのはずっと後のことで、戦争が終わった、もう殺されることはないという安心が一番であった。

 私たち子どもは、その日から外で安心して遊ぶことができたし、誰でもがやらなくてはなかった家の手伝いも安心してやれることになったのだ。

 夜の燈火管制もなくなった。夜になると小さな2燭豆電球の周りに黒い布で覆って光が漏れないようにしていた。それが布をはずして、今でいうと30Wぐらいの電球をつけることができたのだ。

 空襲警報が鳴るたびに防空壕に飛び込むこともなくなった。家の前の空き地に共同の防空壕があった。住んでいた新宮市の熊の地が焼夷弾で爆撃されたとき、その防空壕から顔を出して、そちらの空を見上げて、焼夷弾がキラキラと光りながら雨の様に落ちていくのを眺めながら、きれいだなあと不謹慎な感想を持ったことが忘れられない。その下で多くの家が焼かれ人々が殺されたり傷ついていたのに。

 終戦によって8月15日を境に戦争から平和へと劇的に切り替わったのであった。生活は非常に苦しく、父も母も必死であったし、私も畑仕事や松葉広いなどいろいろ手伝っていた。しかしそうしたことは、いつ殺されるか分からない恐怖の毎日に比べればどうということはないとも言えた。とにかく普通の日常生活が戻ったのだから。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年8月13日 (日)

特攻艇兵士の短歌

 8月12日の朝日新聞に載った「戦死と向き合う 戦後72年」の記事が目にとまった。太平洋祭竿戦争末期に日本の陸海軍が編成した「特別攻撃隊」。航空機による海軍の神風(しんぷう)特別攻撃隊はよく知られているが、他にも陸軍の「水上特攻隊」が広島県の江田島にあった。

  ボートは秘密のため連絡艇とされ「マルレ」の略称で呼ばれていた。資材が不足する中、薄いベニヤ板と自動車のエンジンで作られ、船尾に250キロの爆弾を積んだ。

  前線に赴いたのは計30戦隊3125人いた。その内1703人が亡くなったという。沖縄・慶良間諸島に派遣された秋田県出身の横山小一さんは19歳であった。「大義のために死ぬのなら悔いはない。笑って『神兵』になるという覚悟で入隊した。1945年3月に米軍から急襲されて戦死した。

  横山さんが残した短歌2首が紹介してあった。

   大君の 御盾となりて 捨つるみと 思えば軽き 我が命かな

   戦時中兵士の命は鴻毛の軽さと言われていた。天皇(昭和)を守る盾となって特攻艇に乗り、沖縄の米軍艦艇を沈めて命を捨てるのだが、考えてみれば自分の命は何とも軽いことかという気持ちをうたったのだと解釈する。19歳の若さで自らの命を引き換えに敵に損害を与えることを命じられたのだが、その心境はいかばかりかと思う。横山さんは残念なことに目的を果たせず戦死したのだ。

  弟さんは「どんな時代になろうとも、多くの犠牲を忘れてはならない」と、その歌碑を実家の庭に建てた。

  横山さんのもう一つの歌は次のようである。

   大君に 捧げまつりし 命なれ 無駄に死するな 時代来るまで

  「いのちなれ」の後にどんな助詞を加えるかで意味が変わってくる。「ば」を入れて考えると、大君に捧げた命だから、病気とか失敗とかで無駄死にするなという意味になる。

 「ど」を加えるとどうなるか。大君に捧げた命ではあるが、無駄死にしてはいけないとなる。そして最後の「時代来るまで」につながるのだ。おそらく戦争が終わって平和な時代がくることを予想していたのではないか。そのときまで生きぬきたいという気持ちの表れであろうと解釈する。しかしそれは叶わず米軍に殺されてしまったのだ。もし生きて生還していれば新しい時代を立派に生き抜いたことであろう。

 同じように特攻艇で慶良間諸島にいて、助かった人もいる。隠してあった特攻艇が米軍に焼かれて使えなくなったので命拾いをしたのである。その人は91歳でお元気である。

 もう2度と戦争で命を捧げる事態があってはならない。稲田元防衛相も安倍首相も小池都知事も戦前のような国家の仕組みに戻すことを念願としている。それをよく見なければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月10日 (木)

NHK ETV 「告白 満蒙開拓団の女たち」―お二人の感想

 以下に、友人から送られてきた「告白」を観たお二人の方の感想を記載させていただく

 (1) 敗戦による日本女性の犠牲。中でも敵兵(ソ連兵、国民党の兵士等)や日本の敗戦で今や勝利者側になった旧満州・朝鮮・ほかのアジアの男たちの性のはけ口にされた女性たち。その態様は様々でした。

 入局3年目に制作・放送した佐世保の「引き揚げの記録」(昭和4858日放送)の取材の過程で得た情報にも、そのような女性の姿が描かれていました。厚生省引き揚げ援護局がまとめた局史(佐世保引き揚げ援護局)に書かれていたと記憶しています。*佐世保にはアジアの広範囲の地域から復員兵・民間人140万人が引き揚げてきました。

 敗戦の混乱の中、祖国日本への引き揚げ船が出る中国遼寧省西南部の不凍港・コロ島に満州・北支など各地から列車で向うことの出来た人々がいました(私の両親と姉二人もその中にいました)。

 コロ島から佐世保に引き揚げてきた多くの女性たちの中で、一番荒れていたのが「性のはけ口にされた」女性たちでした。満州からコロ島に向う列車はしばしば中国の軍隊の国民党軍と八路軍(共産軍)に停車させられました。

 中でもアメリカが支援する国民党軍は車内の日本人女性を列車から降ろさせ、慰み者にしようとしたことが記録されています。その時、列車の中の団体がどのように対応したかは、引き揚げ列車の指導者層の判断次第でした。

 何とかお金で解決した列車、満州などで酌婦や女郎屋で暮らしを立てていた商売女に相手をさせ、素人日本女性を守ろうとした列車などなど。敵兵は差し出された女性たちを列車外に連れ出し、目的を達した後はまた列車に戻しました。この間、列車内に残り彼女らが戻るまでの間、特に同性の女性たちはどのような思いで列車内で過ごしていたのか。

 同じ敗戦国民として引き揚げる時、かつての玄人筋の女として敵兵に差し出された女性たちはコロ島に到着するまで、幾たびかこのような処遇を受けたことだろうと想像します。

 毛沢東率いる八路軍(共産軍)にこうした事例がほとんど聞かれないのは、国民党と熾烈な戦いのなかで中国国民の支持を得るために「強姦に対する厳罰」(露見すれば処刑)という規則を軍規としていたからでした。

 こうした女性たちの存在を、昭和26年に大ヒットした「上海帰りのリル」(作詞:東條寿三郎 作曲:渡久地政信 歌:津村 謙)を歌うときにいつも思い出します。

 一番の歌詞「船を見つめていた ハマのキャバレーにいた 風の噂はリル 上海帰りのリル リル あまい切ない 思い出だけを 胸にたぐって 探して歩く リル リル 何処に居るのかリル だれかリルを 知らないか」。

                                         (根本さん)

(2) いま、Eテレの「告白」を視聴しました。感動しました。

総括デイレクターを務めたNHKの塩田純さんからもみてくれと連絡が来ていました。期待にたがわない力作でした。

 接待という名目でソ連兵を「慰安」し、その犠牲の下で集団自決から開拓団の人々をまもった女性たちが居たのですね。驚きました。

 女性としてどんなにか辛かったか。そしてその周辺の人びとも苦悩した。その史実を明らかにしていったNHKならではの調査力を感じる作品でした。

 女性たちが名前も顔も出して、「生きて帰れたから、その後喜びも悲しみも体験できた。生きていて良かった。」とおっしゃっている姿は涙流さずにみることができませんでした。事情を呑み込んで彼女たちと結婚した男性たちも居たのですね。

 その一人、佐藤ハルさんの夫となった人はヒルしかすまない山奥の開拓に夫婦でとりくみ、戦後を二人で生き抜きました。

 その方を拝みました。立派なお二人です。また、子どもを産むことができなかった女性の、養子をめぐる話は哀切きわまりなく、しかし明るいものも感じさせ感動的でした。

 2年前に「集団事件の真実」(朗読劇)を演じてくださった方には、またさらなる思いが加わったのではないでしょうか。

 あの作品でも、ソ連や中国人の攻撃をうけながらの満州逃避行で弱い子どもたちが犠牲になったことを描きました。

 満州での集団自決は明治からの150年の日本の教育、洗脳の帰結です。

 「告白」は、その背景は語られていませんでしたが、それでも満州でたくさんの集団自決が起こったらしいことは想像させる「語り」でした。

また、あの舞台を再演したいですね。         (仲内さん)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月 9日 (水)

NHK ETV特集「告白~満蒙開拓団の女たち~」を観て 

 8月5日にNHK ETVで放送された「告白~満蒙開拓団の女たち~」を観た。戦前に日本が旧満州国を作り、そこへ日本の各県から国策として送り出された27万人の農民がいた。岐阜県の旧黒川村(現白川町)からは満州の吉林省陶頼昭に黒川開拓団として入植した。戦争で養蚕がなりたたなくなり、一家で入植したと佐藤さんは語った。

  1945年8月ソ連が参戦し日本はまもなく負けてしまった。その後中国人たちが黒山のように黒川開拓団に押し寄せ物品を略奪し始めた。隣の九州から来ていた開拓団は薬を飲んで集団自決をした。

  黒川開拓団でも集団自決をする議論がされた。そのとき3km先の駅を占拠していたソ連軍に中国人を追い払ってもらうことを頼んだ。ところがその見返りとしてソ連軍は女性の提供を求めて来たのだ。

  苦渋の策として黒川開拓団では15人の未婚の女性を提供することにした。接待所を設けてそこにずらりと布団を並べてしいて若い女性、21歳~17歳を送り込んだ。

  ソ連兵はまるで物体のように銃剣で女性をあしらい相手をさせたという。昼でも夜でもソ連兵は来たので、1日に何度も相手をしなければならなかったそうだ。

  聞くに堪えない惨い話しであるが、600人の開拓団を救うためにはどうしようもないことであったのだ。

  女性たちには性病やチフスなどの感染を防ぐために洗浄などの措置が取られたが、それでも感染をし4人が亡くなった。また帰国後福岡の港の病院で中絶の手術を受けた者もたくさんいた。600人いた開拓団で帰国できたのは400人余りであった。

 女性たちも開拓団の人たちも帰国後この接待について触れることはなかった。心の中に封じ込めていたのだ。

 ところが数年前に当時89歳の安江善子さんが当時の経験を大勢の人の前で告白した。その女性は91歳で亡くなってしまったが、接待をさせられた女性が94歳の佐藤ハルエさんを筆頭に山本ミチ子さんなど3人生存しており、当時の様子を語りはじめたのだ。

 最初に告白した安江さんは夫や家族にもその動機については何も話さなかったという。生きている内に証人として地獄の経験を明らかにしておきたいと思ったのであろう。

 それをドキュメンタリーとして描いたのが、今回のNHKの番組である。佐藤ハルエさんは、黒川村に帰ったが、接待をした女性とは結婚できないなどの中傷をされ、2年後に蛭川村に移り、山を開拓して何とか生計をたて、満蒙開拓戻りの男性と知り合って結婚して今に到っているという。安江さんも開拓団の男性と結婚された。でも、子どもを産めない身体になっていた。

 安江さんは妹を守るためにその分も接待をしたのであった。それで子どものいない姉のために次男を養子に上げたのだ。心温まる話である。

 佐藤さんのお父さんは生きることが大切だと接待の道を選ばれたそうで、佐藤さんは生きていてよかったと言っておられた。ただお父さんは残念なことに現地で亡くなられた。

 戦後72年近くなって長生きをして、やっと話す気になったのだ。佐藤さんは後世に残さなければならないと語っている。カメラの前で名前も明らかにして当時の様子を話した勇気に感動をした。毎晩思い出されて夢にも出てきてさいなまれるという。開拓団を救うためとはいえそれほどの屈辱の体験であったのだ。非常に大切な歴史的事実で決して忘れられてはならない。

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年8月 6日 (日)

原爆許すまじ!若い頃歌った「原爆の歌」

 広島に原爆が投下されて72回目の8月6日。今年は7月7日の国連総会で核兵器禁止条約が122か国の参加で採択された。しかし、核保有の米国など5か国や世界で唯一の被爆国日本は反対をしたのは残念でならない。

 毎年8月6日のヒロシマの日と9日のナガサキの日には世界から人々が集まってノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、核兵器禁止と廃棄を訴えるのに72年経ってもまだ全世界が一致できないのが現実である。

 私が高校生の頃「原爆の歌」が作られ日本中に広まった。素晴らしい歌詞でメロディーもよいので友人とよく歌った。その後もいろんな集会でも歌われたものであった。しかし月日が経つに連れてこの歌を聞かなくなったのは残念である。

 ビキニ環礁で焼津の漁船第五福竜丸が被爆した頃、東京・大井の町工場の工員・浅田石二が作った詞に、都立日比谷高校の社会科教師・木下航二が曲をつけ。発表は昭和29年7月28日。

 

作詞:浅田石二、作曲:木下航二

1 ふるさとの街焼かれ
  身よりの骨埋めし焼土
(やけつち)
  今は白い花咲く
  ああ許すまじ原爆を
  三度
(みたび)許すまじ原爆を
  われらの街に

2 ふるさとの海荒れて
  黒き雨喜びの日はなく
  今は舟に人もなし
  ああ許すまじ原爆を
  三度許すまじ原爆を
  われらの海に

3 ふるさとの空重く
  黒き雲今日も大地おおい
  今は空に陽もささず
  ああ許すまじ原爆を
  三度許すまじ原爆を
  われらの空に

4 はらからの絶え間なき
  労働に築きあぐ富と幸
  今はすべてついえ去らん
  ああ許すまじ原爆を
  三度許すまじ原爆を
  世界の上に

曲は下記のURLで:

http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_6629.html

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年5月 3日 (水)

海上自衛艦の米艦防護の意味するもの

 朝日新聞によると、安全保障関連法に基づき、平時から自衛隊が米艦などを守る「武器等防護」が1日、初めて実施された。海上自衛隊の最大級の護衛艦「いづも」が米海軍の貨物弾薬補給艦の防護を房総半島沖で始めたのだ。

  2日にかけて四国沖まで一緒に航行し、「いづも」はシンガポールで15日開催される国際観艦式に向かうという。

  北朝鮮と米国の駆け引きが続く中とはいえ、この時期に安保関連法に基づく任務を実施したのは、日米の緊密な関係を誇示するためだと言われる。それなのに今回の実施については、政府は公式発表はしないというずるさだ。

 今回の出動は米軍の強い要請によるものというが、安倍政権にとって安心して米艦防護に踏み切る絶好のチャンスだったわけだ。太平洋を東京近辺から四国沖までという何事も起きない海上を航行するのだ。それでいて米艦防護日米協力の実績を積むことができる。また日本国民やアジアの国などにアレルギーを弱める効果も期待できるのだ。

 新聞によると、「いづも」という最大級の護衛艦を使ったことで大きなPRとなると防衛省幹部が語ったという。

 今回はいわばお披露目に過ぎないが、今後日本海などで米軍の要請があれば出動することになる。共産党の志位委員長は「米国が北朝鮮への軍事攻撃に踏み切った場合、自衛隊が自動的に参戦することになる」指摘したが、そうならないことを望む。

 安保法制によって、南スーダンへの自衛隊駆けつけ警護、そして今回の米艦防護と着々と自衛隊が戦争へ進む道を開きつつあるのだ。安倍首相は「圧倒的な数を持つ今、憲法改正を進める機が熟した」と発破をかけた。安倍政権によって平和と国民生活を守る外堀(9条解釈変更閣議決定、特別秘密保護法、安保法制、武器輸出3原則破棄、共謀罪法案など)は完全に埋められ、あとは本丸(憲法改悪)を残すのみとなったことは間違いない。

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年5月 1日 (月)

4月29日のNHKや一部鉄道の異常な対応

 4月29日といえば朝5時半ごろ北朝鮮がミサイルを1発発射したが失敗に終わった日である。NHK「おはよう日本」ではトップニュースとして伝えたが、それはいいとして、異常であったのは、地震や台風並みの繰り返し放送であったことだ。そしてその中には東京の地下鉄が運行をストップしたニュースと映像も繰り返された。北陸新幹線でも一時ストップしたようだ。

  ミサイルは日本に向かった訳ではなく、失敗したのだ。それなのに今回はこれまでにない対応がとられたのは何故だろう。ピンときたのは政府がやらせたのか「忖度」をしたのだろうということだ。

  金正恩の北朝鮮とトランプ米国は緊張を生み出していて、戦争になるかもしれないと危機感をしきりに煽っている。その流れの中にあるのだ。

  「この日本の騒ぎ方についてYahooニュースに韓国メディアは批判的に見ているという産経新聞の記事があった。

  北朝鮮の弾道ミサイル発射を受け、東京メトロが一時全路線で運転を見合わせたことに対し、韓国の聯合ニュースは29日、『過剰対応との批判が高まっている』と報じた。

 聯合ニュースは『初めての挑発でもなく、北朝鮮国内に落ちただけ』とした上で、『利用客の不便も顧みず運行を中止したことに(日本国内で)不満があふれている』と報道。日本政府が『戦争の恐怖を醸成することに熱を上げている』と表現した上で、運転見合わせについて『東京メトロは民間の会社だが、決定の背後には政府の存在があるといえる』とした。」

  連合ニュースの指摘は当を得ていると同感できる。

  Yahooニュースに、ジャーナリストの田中良紹氏が、次のように書いている。

 「北朝鮮と戦争状態にあるのは韓国である。その韓国では現在大統領選挙が行われている。危機が本物なら選挙などやっている場合ではないが、誰もそんなことを考えていない。だから普通に選挙を行っている。それが正常な感覚である。

  これほど騒いでいるのはおそらく世界中で日本だけ。なぜそんなことになるか、日本人は立ち止まってよく考えてみた方が良い。いかに自分たちが戦争の現実から目を背けてきたかに思いを致し、平和憲法を守っていれば平和でいられるという幻想から目を覚ますべきなのだ。

  北朝鮮危機を煽っているのは米国のトランプ政権だが、トランプ大統領はやることなすことうまくいかないので国民の目を外にそらせたい。そのためシリアを爆撃し、アフガニスタンに新型爆弾を落とし、北朝鮮危機を煽っている。目をそらせたいだけだからただのこけおどしで戦争する気があるわけではない。」

  「平和憲法を守っていれば平和でいられるというげんそうから目を覚ますべきなのだ」という部分には反対だが、その他は賛成できる。

安倍政権は国会で2/3以上の多数を誇り、党内に反対をする者が見当たらず、支持率も安定していて盤石のように見える。しかし、森友問題を始め閣僚などの失言が相次ぎ、国民の目を外にそらさなければ足元がぐらつくこともあり得る。だから北朝鮮問題で必要以上の危機感を煽っているのだ。それに騙されてはならない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧