戦争と平和

2021年5月19日 (水)

ハマスとイスラエルの停戦を!

 イスラエル軍とパレスチナ自治区ガザの武装勢力との軍事衝突が始まって1週間以上たった。テレビでイスラエル軍の空爆によって大きなビルが崩壊する様子をみたが恐ろしい光景であった。

 イスラエル側はハマスの武装勢力の拠点を狙ったと言っているが、報道では外国のメディアも被害を受けたようだ。

 ガザの市街地への空爆で死者が200人になり、そのうち子どもが59人、女性が35人だという。負傷者は1305人である。(17日昼現在)何とも痛ましいことである。

 天声人語によると、ガザは種子島より小さい面積なのに200万人も住んでいるという。世界でも有数の人口密集地だそうだ。

 イスラエルはそんな市街地をねらって空爆を繰り返しているのだ。ガザ地区からはハマスなどが約3100発のロケット弾をイスラエルに発射したという。被害はイスラエルにもあるがガザの比ではない。

 一日も早く停戦が望まれるが、米国やアラブ諸国の動きも鈍い。国連安全保障理事会では停戦問題が協議されたが、イスラエル寄りの米国によって決議はできなかった。議長の王中国外相は米国が障害だと述べたがその通りだと思う。

 トランプの時はトランプの身内にユダヤ教の人がいて、イスラエルを強固に応援していたが、バイデン大統領はどうして中立的な立場をとれないのだろう。米国内のイスラエル関係の人口が多いとはいえ、人道的な観点に立って対処してほしい。テレビに映るガザの子どものいたいけな顔を見るのがつらい。

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2020年10月31日 (土)

人類には核廃絶の責務がある

  核兵器禁止条約の批准国が50か国に達し、来年1月22日に発効することになった。広島・長崎に原爆が投下されてから75年の歳月が経った。長い時間を要したが、大変うれしいニュースである。

  この条約が50か国の批准で発効という要件が分からない。いろいろ調べたがどうして50か国だけの批准でよいのか。国連加盟国の1/3にも満たないと思うのだが。

  批准をした国はほとんどが小国で、大きいのはメキシコぐらいである。ヨーロッパでは永世中立国のスイスも北欧諸国も批准せず、わずかにオーストリアだけだ。

  核保有国や開発を進めようとしている国は批准していないし、世界で唯一の被爆国である日本も日米安保条約で米国の核抑止力に頼るので批准ていない。

  本来なら日本こそが先頭に立って世界の国々をリードすべきなのだ。それをしないというのは恥ずべきことである。

  核兵器禁止条約の中身は素晴らしいものである。核兵器の開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵、移転、受領、使用、威嚇などを禁止している。自国領域、管理地域での核兵器の配置、設置、配備の許可も禁止している。

  これまで世界で様々な核兵器廃絶の運動が行われてきたその成果が実ったのだが、この条約が本当の実効性を持つにはまだやっとスタート地点に立ったというしかない。

  私も高校生の頃「原爆許すまじ」を友達と歌い、原爆禁止を願った。その後も大学でもセミナーなどで原爆禁止を討論したりした。職に就いてからは毎年夏に開かれた原爆禁止の集会に参加をした。常に核の廃絶には関心を持ち、自分でできることをしてきた。

  今年1月24日には「世界終末時計」は100秒まで縮まった。核兵器禁止条約が発効してどうなったのかネットで調べたが分からなかった。

 とにかく一人一人が核廃絶に関心を持ち地球上から核をなくすように行動することが大事なのだ。人類が作り出した悪魔の核兵器をなくせるのは人類しかないのだ。

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2020年10月11日 (日)

予科練の歌(若鷲の歌)

 先週連続テレビ小説「エール」で描かれたのは古山裕一が、映画「決戦の大空へ」主題歌作曲のエピソードであった。裕一(古関裕而)は霞が関の予科練に1日体験入隊をして作曲したことになっているが、実際は詩を書いた西条八十と一緒に入隊したのだそうだ。

 裕一は長調の曲と短調の曲の2曲を用意し、幹部は長調の曲を選んだが、予科練生たちが短調の曲を選んだのでそれに決まったということになっている。不自然さを感じたのは予科練生たちがすぐに暗譜で「若鷲の歌」を歌ったことであった。練習もなしに歌えるはずがないのに。

 それはともかく、私はこの歌を「予科練の歌」という題名だと思っていた。なぜならいつも「予科練の歌」と言って歌っていたからだ。「若鷲の歌」と知ったのは初めてであった。

 この歌ができたのは昭和18年だというから、国民学校2年生の時であった。私たちはこの歌をよく歌ったので体にしみこんでいて、今でも1番の歌詞は覚えている。
 

 国民学校の頃この歌を歌いながら「7つボタン」に憧れていた。将来は予科練の海軍士官になるのが夢であった。紺色の服に7つボタンは格好良く魅力的であったのだ。もし予科練を受けられる年ごろになったとして、私の運動神経では全く無理であったはずだが、子どもの頃はそんなことはおかまいなしであった。

 「エール」では裕一の妻の音が教えていた男の子が予科練に合格して挨拶に来るシーンがあった。予科練は花形であったのだ。
 

 4番の歌詞の最後は「見事轟沈 した敵艦を 母へ写真で 送りたい」となっているが、戦争が激しくなり特攻隊に駆り出されるようになると自らの命と引き換えだから、轟沈させた写真を母に送ることなどできるはずはなかったのだ。

    若鷲の歌(別名予科練の歌)
    

    若い血潮の予科練の
    七つボタンは 桜に錨(いかり)
    今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ
    でっかい希望の 雲が湧く

    燃える元気な 予科練の
    腕はくろがね 心は火玉
    さっと巣立てば 荒海越えて
    行くぞ敵陣 なぐり込み

    仰ぐ先輩 予科練の
    手柄聞くたび 血潮が疼く
    ぐんと練れ練れ 攻撃精神
    大和魂にゃ 敵はない

    生命惜しまぬ 予科練の
    意気の翼は 勝利の翼
    見事轟沈 した敵艦を
    母へ写真で 送りたい

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2020年9月17日 (木)

14回 昭和区平和の集い

 12日(土)午後1時から名古屋市公会堂4階で開かれた「第14回昭和区平和のつどい」に参加した。記念講演がサンデーモーニングのコメンテーター、安田菜津紀さんだったので生の姿を見たいと思ったのだ。

 新型コロナウイルス対策として、検温、アルコール消毒、マスク着用が求められ、座席はソーシャルぢスタンスを保つようになっていた。

 プログラムは2部に分かれ、
 第一部 平和の文化交流
  ☆開会あいさつ
  ☆マジックとバルーンアート     桜花学園インターアクトクラブ
  ☆群読「♪なのだソング」      いのこ福与さんと共に
  ☆「活動紹介・つなぐ子ども食堂」  安藤綾乃さん

 第二部記念講演
   講師  安田菜津紀さん
   演題 「紛争地、被災地から平和を伝える」
 

 安田さんの講演は中央の大きなスクリーンにフォトジャーナリストである安田さんが撮った写真が写され、話が進められた。
 

 彼女がフォトジャーナリストになったいきさつや米国のイラク侵入、シリアの内乱、そして東日本大地震・大津波により壊滅的破壊を受けた岩手県陸前高田のことなどを話された。

 シリアは人口2200万ぐらいの国だそうだが、IS(イスラム国)とシリア政府との戦いで半分近くの1000万人が国外に逃れたという。新型コロナウイルスから命を守るために我々は「移動しない」でいるが、紛争地では「移動」によらなければならないのことを頭に止めて欲しいと話された。

 安田さんの夫の実家が陸前高田にあるそうで、その関係で被災地陸前高田に関わって来られたのだ。義理のお父さんが、勤めておられた4階建ての病院の屋上から津波が押し寄せてくる様子を摂った4枚の写真を映された。それによると7万本の松があった松原が消えていき、街が完全に津波に襲われた様子がよくわかった。

 陸前高田の被災者たちはシリアの難民に救援物資を送ったそうだ。津波の被災によって世界から救援物資を受けた経験から、どんな物資をどのように分類して送ればよいかということが分かっていたと言う話がよかった。

 そして「恩贈り」というコトバを紹介された。またトラフィックチルドレンというコトバも紹介された。「売買された子どもたち」という意味だそうだ。これは東南アジアで起きているそうだ。

 紛争地のシリアとかイラクとかカンボジアや被災地などをまわって写真に収め映像によって現地の様子を伝えておられる安田さんの仕事は素晴らしいと思った。その安田さんは今はコロナのために動けないでいるという。

 安田さんは紛争地も被災地も一番恐ろしいのは「無関心」だと言われた。関心を持って自分にできることをしていくことが大事だ。

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2020年8月19日 (水)

さっぱり分からなかった「太陽の子」

 15日にNHKで19時半から放送された「太陽の子」を見た。番組表の説明には「特集ドラマ 太陽の子『戦後75年~いま改めて戦争の恐ろしさを描く~原爆開発に翻弄された若き科学者の物語、戦時下に輝いた青春』と書いてあって興味をひかれたのだ。終戦の日なのでそれにちなんだ番組のようであった。

 見始めてストーリーに展開がさっぱり分からなかった。建物の強制取り壊しで家を失った祖父と孫娘朝倉世津(有村架純)が京都のどこかの家を頼って行く。そこには田中裕子演じる母親と息子石村修(柳楽優弥)が住んでいた。

 その息子は大学生である研究室に所属して研究の手伝いをしているのだ。教授は国村隼が演じていた。教授は新型の爆弾つまり原子爆弾を作ろうとしているのであった。

 研究室ではガラス瓶に入った黄色い粉を遠心分離機で分離させようとするのだが、そのためには超高速の分離機が必要である。それを作ることから始めていろいろ試していくのだ。どうやらその粉はウランのようであった。ウランの瓶を手で掴んだり、机上においていたが放射物質をそんな扱いをしてよいのかと思った。

 実験室の様子が描かれるのだが、ごちゃごちゃとしていて何のことか分からなかった。この爆弾をつくれば戦争が終わると信じている人とそんな爆弾を科学者が作っていいものかという人がいるようであった。

 そのうち修の弟裕之(三浦春馬)が一時帰郷で軍隊から帰って来る。あとでわかったのだが弟は特攻隊員であった。弟はしばらく一緒に過ごすのだが、ある時海に行き入水しようとする、それに気づいた裕之と世津が助けに行くのだ。そのいきさつもさっぱり分からない。

 裕之がどこかへ希少物質のウランを手に入れに行くことが2度描かれたが、なぜ裕之が求めに行くのか、どういう商人なのかそれも分からなかった。

 やがて広島に新型爆弾を落とされた。米国の放送を聞いていた研究室ではそれが原子爆弾であることを知る。彼らが作ろうとしていた爆弾が先に使われてしまったのだ。米国の英語の放送を聞くことができたのは驚きであった。


 そんな時勢の中で世津は戦争が終わったら教員になるのだと夢を語る。 世津と兄弟の一人との恋があるのかと思ったら、そうでもなかった。裕之は世津を好きなようであったし、世津も同じであったようだが時局がそれをゆるさなかったのだろうか。 弟の裕之はもう少しで終戦というときに、特攻機で亡くなり、母親は悲嘆にくれる。

「太陽の子」はストーリーの展開が非常に分かりづらく、面白みも全くなかった。ただ亡くなった三浦春馬と有村架純と柳楽優弥という俳優を見せたというだけのものであった。

 日本でも仁科研究室が原爆を作ろうと研究していたことは知っているが、それを描こうとしたのかどうかさえ分からなかった。仮にそうだとしても、その過程を分かるように描いてほしかった。

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2020年8月18日 (火)

CBC「終戦の日スペシャル」から

 8月15日終戦の日にCBCが放送した「終戦75年スペシャル 『女性たちの8.15』と引き続いて放送された『綾瀬はるか戦争を聞く』」を観た。

 第一部の「女性たちの8.15」は、東京の跡見学園の講堂で、関口宏さんと作家の保阪正康氏が映像を見ながら対談し、時々女子高校生に感想を聞くというものであった。女子高校生は高1と高2から8人が選ばれていた。

 この中で、神風特攻隊後続隊というのがあって、当時の女子学生が志願していたのとを初めて知った。現在も生きている女性が当時の気持ちを話していたが、死ぬことを怖いとは思わなかったと言っていた。あの当時の日本の状況から少女たちはそのように洗脳されていたのだ。私もそうであったが。

 日本は追い詰められて、男子だけでなく、少女まで特攻に駆り立てるという状況にいたのだ。軍国少年という言葉はあるが、軍国少女と呼ばれていたのだ。

 第一部では、ひめゆり隊や国防婦人会なども取り上げていた。国防婦人会は戦争が激しくなると官制の自粛警察としての役割を負わされるようになった。

 第二部の「綾瀬はるか戦争を聞く」は、綾瀬はるかさんが、ずっと以前から戦争当時のことについて、経験をした女性を訪ね歩いて、収録したものから編成されたものであった。インタビューした女性の数は64人になると言っていた。

 彼女は、上皇后が言われたという、先の戦争で忘れてはならない4つの日に触れて、その日に関係した女性を取り上げていた。4つの日とは、終戦の日、広島に原爆が落とされた日、長崎に原爆が落とされた日、そして沖縄の日である。4人の女性の

 4人のエピソードが取り上げられたが、苦難に遭いながら、90歳以上になって今もなお元気で生きておられることに驚いた。

 どのエピソードにも感銘をうけたが、一番感銘を受けたのは、長崎の原爆資料館にある、「原爆廃墟に立つ少女」の写真にまつわるエピソードであった。

 足元に小さな焼け焦げた骸骨があり、傍に立つ少女がどこかを眺めている写真である。その少女を探して訪ねたのだ。少女は瀧智江子さんと言い、当時15歳であった。
 

 瀧さんの足元にあったのは母親で、眺めていたのは父親が防空壕から近所の7歳の少女を助け出すのを見ていたのだという。助け出された少女は菅原耐子さん7歳であった。
 

 この地は爆心からわずか300メートルの地点であった。そんな場所に瀧さんは立っていて、菅原さんはたった一人生き残ったのであった。
 

 菅原さんが生き残れたのは防空壕が奥深く、いくつも曲がりくねっていたからであった。そして瀧さんの父親に助けられたからであった。瀧さんは父親と母親を探しに来て廃墟に立っていたのであった。
 

 綾瀬はるかさんは瀧さんと会った後、瀧さんを伴って長崎まで菅原さんを探しに出かけた。そして菅原さんが生きていることを突き止め、面会をしたのであった。
 

 二人とも原爆のことは家族にもほとんど話していないと言った。被爆したことで学校などで言いようのない差別を受けて来たので、話したくないというのだ。
 

 爆心地の少女が二人とも生き延びて現在も生きておられるという奇跡に感動した。綾瀬はるかさんはいい仕事をして来たと思う。吉永小百合さんのように平和のためにこれからも戦争を語り継ぐ仕事を続けてもらいたい。
 

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2020年8月15日 (土)

終戦の日を忘れてはならない

 8月15日は「終戦の日」である。でも、カレンダーにはそのことが記されていない。どうして「終戦の日」がカレンダーに載っていないのだろう。「終戦の日」という言い方にも異論を唱える人がいるからだろうか。その人たちは「敗戦の日」というべきだと言っている。またあの戦争を美化する人たちは「終戦の日」を屈辱の日ととらえているからだろうか。


 私は「終戦の日」でもよいと思うが、大事なことは歴史的事実を忘却の彼方に送らないことである。時が経つのは速いもので、今年は戦後75年である。昔戦争があったことを経験している人は年々少なくなっていく。

 広島・長崎の原爆の日の新聞記事には、被爆者が少なくなっていて、原爆について、次へ引き継いでいくことが難しくなってきていると書いてあった。あの戦争についても同じことが言える。

 私は終戦の日は国民学校4年生であった。だから戦争の記憶と言っても,戦場に行った経験はない。南紀新宮という田舎に住んでいたので、大都会に住んでいて爆撃されたという悲惨な経験はない。

 だが、わが街も連日連夜B29が上空を飛んでいき、生きた心地がしなかった。あのB29の唸るようなプロペラの音を聞くと恐怖に包まれた。B29が近づいて来ると防空壕に入るのだが、防空壕が直撃されたらひとたまりもないと想像すると、爆音が早く通り過ぎていくのを祈っていた。

 ある晩焼夷弾が雨あられの様に投下されるのを、防空壕の入り口から顔を出して見ていた。キラキラと光って、言葉は悪いがとてもきれいであった。花火と違ってその下では我が街の熊野地という地域が焼かれていたのであった。

 こんな田舎でもB29は無差別に焼夷弾を落とし、一般市民の生活を破壊するという暴挙をしたのであった。

 あの戦争は「鬼畜米英」との戦いであると叩き込まれ、日本は大東亜共栄圏のために正義の戦いをしているのだと思い込まされていた。

 大東亜共栄圏なのに、中国人のことを「チャンコロ」と蔑視し、朝鮮人も「チョーセン、チョーセン、パカにすんな。オナチ飯くて、トコチガウ?」などと蔑視していた。

 ラジオで「中部軍管区発表」という戦果の発表を聞いて胸をわくわくさせていた。新聞にはいつも大本営発表の日本軍の赫赫たる戦果が報じられた。負けた戦いも「玉砕」という美名で報じられた。大人はどう思っていたか知らないが、子どもはみな日本が勝つと信じていた。

 それが1945年8月15日の、敗戦を認めた天皇の勅語によって歴史的転回をしたのであったが、それを自覚するのはずっと後のことであった。

 あの日は天気が良い日であった。職場から帰って来た父は気を落としていて、遠くの山の開墾地に行くのをやめたと言って家に引っ込んでいた。父が戦争をどう見ていたかは全く知らなかった。ただ教員だったので、多くの生徒を鼓舞し戦場に送ったに違いなかった。

 私はその晩から安心して寝られるのでほっとしていた。

 戦争は2度とやってはいけない。戦後は戦争が間違いだったことを学び、戦争に反対し、平和を守ることが大切だと行動してきた。

 8月15日は、子どもや若い人たちも含めて、あの戦争について、さらに今でも世界のどこかで存在する戦争について考える日にしたいものだ。その意味でも、カレンダーに載せるべきである。

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2020年8月11日 (火)

安倍首相の長崎記念式典挨拶のいい加減さ

 安倍首相は長崎の平和記念式典で挨拶を述べた。その中で、「広島と長崎で起きた惨禍。それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に進めていくことは、我が国の変わらぬ使命です」と述べている。

 この部分を読んで違和感を覚えた。その一つは広島と長崎で「起きた惨禍」という部分だが、まるで天災事変のような表現である。広島と長崎では米軍によって原爆を落とされたのだ。しかも、開発した原爆の威力を試す実験として広島と長崎の2か所に落とされた。

 長崎の場合は当初の目的は小倉であったが、当日の天候の悪化で成果が確かめられないので急遽長崎に変更されたという。

 米軍は意図的に原爆を投下したのだ。雨のように自然に原爆が落ちて来たのではない。長崎の場合、6日に広島に原爆を投下したことで、その被害がどんなに酷いものかを知っていて、また投下したのだ。

 戦争を終わらせるためには原爆投下はやむを得なかったと信じている米国人が多いと聞くが、それはきれいごとである。1発でどんな惨禍が引き起こされたか、被爆した広島、長崎の市民が体験したところであり、日本国民の知るところである。

 改めて言う。原爆の惨禍は米国によって意図的に引き起こされたもので、自然災害ではない。この部分は「米国の原爆投下によって引き起こされた」とすべきである。

 「唯一の戦争被爆国として」という部分もおかしい。たしかに日本は米国によって無差別の都市攻撃を受け、無数の爆弾や焼夷弾によって全国の都市が壊滅的被害を受けた。トータルでいえば原爆何個分もの被害である。

 しかし、日本は、広島、長崎は原爆による被爆なのだ。「原爆被爆国」というべきである。この辺にも安倍首相やこの挨拶を書いた官僚の原爆へのいい加減さが露呈している。

 「二度と繰り返してはなりません」。これは広島、長崎の被爆者だけでなく、日本国民全体の決意である。それを国際社会の訴えて、先頭に立って核兵器廃絶を進めていくべきなのだ。その覚悟のほどが首相の挨拶から伝わって来ない。「『核兵器のない世界』の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に進めていくことは、我が国の変わらぬ使命です」と述べているが、例によって抽象的にきれいごとを述べているだけだからである。

 目の前にある「核兵器禁止条約」は棚上げされたままである。世界に恥ずかしいことである。

 また首相は「被爆者の心に寄り添い」と言いながら、長崎原爆資料館訪問は無視したままである。原爆資料館を訪問することが首相にとってどんな不都合があるのだろう。GO TO 長崎原爆資料館!!

 長崎の式典挨拶が広島の挨拶のコピペであったと批判されている。原稿は官僚が書くのだから、長崎の特徴に言及した原稿をつくらせればよいのだ。小沢一郎氏は「どうせ読んだだけ」と評したが、安倍首相の心がこもっていないことを暴露したと言えよう。

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2020年8月 9日 (日)

核廃絶を唱えるペリー元米国務長官

 広島に原爆が投下された6日の朝日新聞に掲載された、クリントン政権のペリー元米国防長官の基調講演が分かりやすくて素晴らしい。この基調講演は、1日に長崎で開かれた国際平和シンポジウム「核兵器廃絶への道~世界の危機に、歩みを止めない~」でのものである。

 地球滅亡まで、あと100秒!米科学者らの「終末時計」の針の位置である。ペリー氏は今年は史上最悪の100秒前に設定されたと述べる。私は最悪の100秒前とは知らなかった。この記事の同じ面に「終末時計」の推移の表が載っていてよく分かった。

 ペリー氏は、大半の人は核戦争の危機は冷戦の終結とともに終わったと思っているが、実は今こそ核の大惨事が起きてもおかしくないのだという。

 冷戦期に米国とソ連は核による互いに奇襲攻撃をしようとしていると信じ、双方が3万発以上の核兵器を持つに至った。

 ソ連が崩壊して、90年代に米国とロシアは核兵器の解体を始めた。ペリー氏は3年間の在任中に8000発の核兵器を解体したそうだ。

 しかし、この10年間で米ロは「第二の冷戦」とも呼ばれる状況に陥っている。米国もロシアも核兵器を高度警戒態勢に置き、相手から攻撃があったとの警報を受ければ、数分のうちに核兵器を発射できるのだ。

 恐ろしいのは、誤警報で偶発的に核戦争が始まってしまうことだとペリー氏は指摘する。核搭載のミサイルを発射後、誤警報だったと判明しても、呼び戻したり、自爆させたりできないのだ。

 ペリー氏が国務次官の時にも誤警報があり、ソ連から米国に200発のミサイルが飛来していると、夜中にたたき起こされたことがあるという。

 コンピューターの誤作動や人的ミスは今後もあり得るという。その通りだと思う。科学や機械は万能ではないのだ。

 核戦争がひとたび起これば世界規模の環境破壊と文明の終わりにつながるだろうという。

 解決には核兵器の廃絶しかないと断言している。ペリー氏は現在92歳だが核廃絶を諦めないと言い、若者を中心とする教育プロジェクトを立ち上げ、出版や公園を通じて、核の危険性を訴え続けているそうだ。次期大統領や議会にも働きかけるつもりだと述べている。

 「地球滅亡まで、あと100秒!
『終末時計』の針を戻そう。孫たちが核の大惨事を恐れずに暮らせるよう、私は全力を尽くす」と結んでいる。私はペリー元国務長官がこんなに信念の硬い素晴しい人物だとは知らなかった。

 しかし、残念ながら米国もロシアも日本も核兵器禁止条約には背を向けたままである。現在40か国が批准しているが、発効に必要な50か国までは届いていない。仮に発効したとしても、米、ロ、中国などの保有国が参加していなければ、条約は絵にかいた餅であろう。

 唯一の被爆国の日本は、率先して批准し核廃絶のリーダーシップをとるべきなのに何とも残念なことである。

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2020年8月 6日 (木)

原爆の日にカナダ連邦議会で鳴らされる75回の鐘

 3日朝のNHKニュースで、核兵器廃絶を訴えているカナダ在住の被爆者、サーロー節子さんが、広島と長崎への原爆投下から75年となることし、カナダの連邦議会議事堂の鐘が75回、鳴らされると明らかにしたと伝えた。サーローさんはカナダでの核兵器反対の意識の高まりを表していると語っていた。

 このニュースを聞いて、核兵器廃絶に勇気を与えるものだと嬉しかった。映像で見るとカナダのオタワにある議事堂はイギリスロンドンの議事堂によく似ている。ロンドンの議事堂の鐘(ビッグベン)は有名であるが、カナダのことは知らなかった。おそらくよく似た音色なのであろう。75回鳴らされる鐘の音を聴いてみたいものだと思った。

 サーローさんは2日、原水爆禁止世界大会のオンライン会合に出席し、広島と長崎に原爆が投下された日にカナダの首都オタワにある連邦議会議事堂の平和の塔の鐘が鳴らされることになったと明らかにしたのだそうだ。

 この取り組みはカナダの市民団体が働きかけていたということで、サーロー節子さんたちの活動によるのであろう。

 ロンドンの議事堂の鐘や日本の寺院の梵鐘や世界各地の有名な鐘が原爆投下の日に一斉に鳴らされるとどんなにいいだろうと想像した。

 日本は世界で唯一の原爆被爆国であるにもかかわらず、安倍政権は核兵器廃絶条約を無視したままである。残念でならない。

 原爆がこの地球上に落とされることは絶対にあってはならない。核戦争の危機はかつてソ連と米国の冷戦の時期に頂点に達した。その後核時計は若干戻されたが、今また新たな危機に面しているとして時計の針を進められた。今度は北朝鮮と米国、中国と米国の間の冷戦だと言われている。残念なのは日本も安保条約によって米国の核の傘に入っていることだ。

 かつて地球上に君臨した恐竜は、一個の巨大隕石が地球に衝突したとき消滅した。人間は自分の力の核で地球を破滅させるかもしれないのだ。そんなことは絶対にあってはならない。地球そのもの、地球上の全生物が生き続ける権利を奪ってはならない。地球は人間だけのものではないのだ。

※サーロー節子さんは13歳の時、広島で被爆し、現在はカナダを拠点に核兵器廃絶を訴える活動を続けていて、2017年にICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンがノーベル平和賞を受賞した際には被爆者として初めて授賞式で演説した。

 

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