生き方

2020年1月 2日 (木)

NHK「偉人たちの健康診断 ベートーベン、第九誕生 難聴との闘い」がよかった

 70歳のときに合唱を始めて、合唱団の指揮者の紹介で、中川区制70周年の第九合唱団に加わって、初めて第九を歌って以来、第九を歌うのが楽しみになった。交響曲第九を作曲したベートーベンが、音楽家として致命的と思われる難聴に苦しみながら作曲を続け、第九を作って3年後に亡くなった。偉大なる作曲家ベートーベンの難聴について取り上げたのがNHKの「偉人の健康診断 ベートーベン、第九誕生 難聴との闘い」であった。

 ベートーベンは宮廷音楽家の父ヨハンの子としてドイツのボンで生まれた。父親の英才教育により13歳の時宮廷オルガニストになった。当時宮廷音楽家は貴族たちのために貴族の望む音楽を作り演奏する職人であった。その地位は低くコックなどと同じ使用人であったそうだ。

 ベートーベンはそんな音楽家に疑問を抱くようになった。ベートーベンが18歳の時フランス革命が起きた。それに触発されて「僕の芸術は僕と同じ貧しい人々の運命の改善に捧げなければならない」(親友ヴェーゲラーへの手紙)と考えた。そこでオーストリアのウイーンに行った。

 そして出版社と契約して楽譜を売るというやり方をにした。また、コンサートを開き、入場券を売って音楽を市民に開放した。コンサートでは5万円もする高い席もあったが、ほとんどは安い席で最低は3500円であったという。演奏会に革命をもたらしたのだ。貴族のための音楽から市民のための音樂へと転換させたのである。

 ベートーベンが難聴を発症したのは20歳代であった。将来を嘱望された演奏家であったが、作曲家として生きることにしたのであった。彼は難聴と闘わなければならなかった。ボンの彼の生家の博物館には、ベートーベンが使った金属製の補聴器が残っているが、難聴が進むにつれて大きく重くなった。

 ウイーンの隠れ家だった博物館にはピアノが残されているが、鍵盤の前に蓋がなく、直接音が聴けるようになっていて、その上を大きな反響板が覆っている。そこに頭を入れて音を聴いたのだ。

 難聴を治すために良いと言われたことはいろいろと試したそうだが、どれも役に立たなかった。ベートーベンは自殺を考えたが、踏みとどまった。弟に当てた手紙(1802年)で「僕は自分に課せられている使命を果たすまではこの世を去ることはできない」と書いている。

 難聴は年と共に悪化したが、それと共に高音を避け聞き取りやすい低音と中音を使うようになった。彼は「人の話し声は聞こえるが意味がさっぱりわからない」と言っていた。それを現代医学で検討すると「内耳の高音を聞き取る部分が壊れたからだ」という。病名は若年発症型両側性感音難聴ではないかと言われる。日本には約4000人いると言われる。

 その彼が最後の交響曲第九では超高音を使っている。どうしてそうなったのか。ベートーベンは第九の第4楽章に「合唱」を入れた。合唱の言葉によって音だけでは表せないメッセージを伝えたかったのだという。彼はシラーの詩を使った。

 その中に「時の流れが厳しく分かつものを喜びの神秘的な力が再び結ぶ」という1節がある。「時の流れが厳しく分かつもの」とは「身分や階級の差別のこと」だという。「喜び」とは「自由」のことで「自由」を使うと権力ににらまれるので「喜び」(Freude)を使っているのだという。

 第九の合唱の中で非常に高音の部分があり、ソプラノ泣かせでもあるが、バスでも高くて私など出せ音がある。それほどの高音を使ったのは全世界に呼びかけるためにあえて使ったのだという。さらにベートーベン自身が聴くことができなかったので理想とする音を使えたのだと解説していた。

 第九の合唱は体力がいるが、歌った後は気持ちがよい。自由と平等と愛のメッセージを自分自身や聴く人に訴える素晴らしい合唱である。

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2019年12月30日 (月)

長生きは運でなく習慣で決まるという広告

 26日の朝日新聞に、101歳の現役医師が書いた本の広告が載っていた。そこに「長生きは『運』でなく『習慣』で決まる」というキャプションがついていた。この医師は現役でバリバリと働ける「秘策」をすべて解説したとあった。その内容の一部が紹介されていた。

 ◎毎日30分の散歩で歩ける体を保つ。→私は毎朝70分ほど歩いている。以前より15分以上遅くなった。

 ◎太陽の光を1日15分浴びる。→多分OKであろう。

 ◎短時間の昼寝をする→夜はよく寝ているのに、最近眠くなって昼寝を体が要求するようになった。

 ◎毎朝、足腰の柔軟体操をする→ウオーキングのあと風呂かシャワー、その後に自己流ストレッチをしている。

 ◎猫背にならないよう、意識する→「猫背は治る」という本を読んだり、「ガッテン」でやった猫背を治す運動をしている。

 ◎毎日15種類以上の野菜をとる→野菜はとっているが、15種類はとても。

 ◎粗食ではなく、肉をしっかり食べる→肉もそれなりに食べている。

 ◎ヨーグルト、チーズなどの発酵食品を欠かさない→カスピ海ヨーグルトを作って食べている。味噌汁も毎日飲む。

 ◎果物は少量でも毎日食べる→1日2回必ず果物を食べている。

 ◎体の土台となるカルシュウムをたくさんとる→海藻やシラスなどカルシュウムの多い食物を食べ、サプルメントも摂っている。

 ◎老化を防ぐオリーブオイルをとる→エゴマオイルを摂っている。

 ◎緑茶を飲んで活性酸素を減らす→お茶かほうじ茶をのんでいる。

 ◎甘いものを食べない→餡の饅頭程度。

 ◎玄米や白米を適度に食べる→白米だがご飯は食べている。

 ◎塩分を減らして素材を味わう→OK

 ◎トランス脂肪酸を含むパン、お菓子、インスタントラーメンを食べない→心がけている。

 ◎加工食品を口にしない→妻が作ったものを食べているが味噌、醤油などは仕方がない。

 ◎薬は必要最低限におさえる→ビタミンや酵素以外は気を付けている。

 ◎ちょっとした体の変化に気づく→OK

 ◎笑顔を作ると楽しい気分になる→心がけている

 ◎一番のボケ防止は会話→人と交わるようにしている。

 ◎死ぬまで未知のことに挑戦する→好奇心は失っていない。

 ◇「イライラしない」→安倍政治やトランプ政治には腹が立つ。

 ◇「できない」ことより「できる」ことに目を向ける→心がけたい。

 ▼水1日に2リットル飲んで血行をよくする→NO

 ▼週1の薬膳スープで生命力アップ→薬膳スープそのものを知らない。

 ▼「今日からあと10年はがんばる」と毎日決意する→それほど生には拘っていない。

 この医師のチェックリストは以上のような結果である。長生きについては成り行き任せである。ただ健康を保つように気を付けてはいるがどうしようもないこともある。私は「運」だと思っている。

 

 

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2019年9月 7日 (土)

池澤夏樹氏の「身に染みる衰え 老いては若きに席を譲ろう」を読んで

 朝日新聞9月4日朝刊の「終わりと始まり」欄に、池澤夏樹氏のエッセイが載った。タイトルは「身に染みる衰え 老いては若きに席を譲ろう」であった。私自身衰えを身に染みて感じているので 、「身に染みる衰え」が興味を誘った。読んでみると、大半がどれほど衰えてきたかについての列挙であった。そのほとんどがわが身に照らして頷けるものであった。

 足元がおぼつかない。その通りである。駅の階段の上り下り、特に降りるときは慎重である。なるべく手すりの傍を下りたり上ったりする。おない年の知人で階段を降りるとき滑って大けがをした者がいる。歩道のわずかなくぼみも躓くと大変だ。一度つまずいて足をしたたかいたtメタことがある。立つとふらつくことがある。

 キーボードの入力が遅くなったのも同じだ。スマホでは音声入力を使うからずいぶん助かっている。池澤氏は小さな字が書けないと言っているが、私は書けないことはないが字を書くこと自体が面倒に感じるのだ。相続に関する手続きで住所や名前を書かされることが重なったが、億劫で嫌になってしまった。

 池澤氏は「身体能力が足りないからエネルギーを節約する。つまり、すべたが横着になる」と言っているが、その通りである。何かをすることが面倒なのだ。だから机の上も乱雑に積み上げられていく。断捨離をしなければと思い始めてかれこれ5年以上なにもできていない。

 池澤氏は視力の衰えを嘆いているが、私は白内障の手術をしてからとてもよく見え、眼鏡を外せば小さなルビでも読むことができる。新しいことが覚えられないのは同じだ。本を読んでもテレビを見てもすぐに忘れてしまう。カレンダーが頭に入っていないと池澤氏は言うが、私も若いときはすべて頭に記憶していて手帳などは使ったことがなかったのに、今ではカレンダーやスマホのカレンダーに予定を書いておく。困ったことにそれでも約束を忘れてしまうことがよくある。

 池澤氏のエッセイを読んでいて、一体何歳なのだろうと気になっていたが、文中に74歳と2か月と書いてあった。何だ、そんなに若いのかと驚いた。75歳を超えて後期高齢者になった時、だんだんと衰えを自覚するようになり、80歳を超えてさらに衰えがひどいと感じるようになった。

 毎朝ウオーキングをしているが、前にも書いたように、後から来たおばあさんやおじいさんにも追い抜かれることが多くなった。普通に歩いているおじさん以下の人には絶対抜かれてしまう。

 老いは人それぞれだが受け入れていくしかないことである。いろんな有名人が90歳台、100歳台で年を取ることについて本を書いている私は1冊も読んだことがない。自分で老いの道を探って生きてきたし、これからもそうするつもりだ。

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2019年6月30日 (日)

良寛の詩「余生」

 我が家の近くにCafe VitaというCafeがあったとき、毎週日曜日に「モーニングサービス」を食べに行っていた。仕切りが6つついた白い皿に6種類のおかずがついて、パンとコーヒーとこだわりのゆで卵もついて550円であった。コーヒーのお替りはじゆうであった。

 そのCafeにいつもモーニングを食べにくる常連が自然にできた。みな高齢者であった。自然にテーブルを囲むようになり、談笑しながらモーニングのひと時を楽しんでいた。一度テレビの取材があり放映されたことがあった。

 そのCafeは2年ぐらい前にやめてしまったので非常に残念であった。常連の内GさんとMさんとYさんは別のCafeでモーニングを食べるようになった。それで私も時々呼んでもらい参加している。

 先日、Gさんだデイサービスにカラオケがあると言ったので、「カラオケをやるの?」と尋ねたら、「私はやらない。私は詩吟をやる」と言った。詳しく聞いて驚いた。85歳のGさんは詩吟を長いやっていて師範の免許を持っているというのだ。

 そしてGさんはパス入れを出して、「いつもここに良寛の『余生』という詩を入れて持っている」と言って、見せてくれた。小さな紙切れに詩が書いてあって、吟ずるときの符牒が入っていた。その詩を小さな声で吟じてくれた。良寛の心境を表したとてもよい詩であった。私はスマホのカメラに収めた。

           余 生        良寛

        雨晴れ 雲晴れて 気もまた晴れる

        心清ければ 偏界 物 皆清し

        身を捨て 世を捨て 閑人となり

        初めて月と花とに 余生を送る

 良寛は47歳より新潟出雲崎の五合庵に住み、質素で無欲の自由人として過ごした。お椀1個と錫杖で托鉢をし、子どもたちと日が暮れるのを忘れて遊ぶこともあったようだ。

 この里に 手毬つきつつ 子どもらと 遊ぶ春日は暮れずともよし

 悟りの境地にあったことをうかがわせる。良寛がもし今の世の中を見たらどう思うであろうか。

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2019年6月27日 (木)

「直葬」が増えて、弔いの形が変ってきたという

  Yahooニュースを見ていたら、「増える”直葬”変わる弔いの形」という記事があった。「直葬」は身寄りのない人が亡くなった場合、公的機関などで直接火葬場に運ぶことだと思っていたら違っていた。
  

 直葬は、通夜や告別式などの儀式を行わない、火葬のみの葬儀形式である。法律で死後24時間以内の火葬、埋葬は禁じられているため、それまで遺体は自宅や病院などに安置する必要がある。それで、近親者が故人の顔を見ながらお別れすることも、納棺に立ち会って送り出すこともできるというのだ。身内だけで通夜や告別式を営む家族葬よりさらにシンプルな形だそうだ。
 

 火葬までの最低24時間の猶予の時間にお別れができるのだ。それを知らなかった。だから以前に葬儀についてblogで取り上げたとき、自分は「家族葬」でやってもらうと書いた。その必要がない訳だ。
 

 記事は次のように書いている。「2017年に公正取引委員会が発表した『葬儀の取引に関する実態調査報告書』によれば、葬儀の種類別での年間取扱件数で『増加傾向』にある葬儀の種類を葬儀業者に尋ねたところ、直葬は26.2%と家族葬(51.1%)に次いで高い数値となった。また、葬祭の業界団体が設立した冠婚葬祭総合研究所のアンケート調査で、世代別の消費者に直葬の意向を尋ねたところ、800人ほどの団塊世代(65〜69歳、2016年)では『自分の葬儀は直葬でいい』と答えた人は、『そう思う』『ややそう思う』が53%と半数以上を占めた。直葬は広がりつつあることが見てとれる。」

 日本消費者協会の2016年の調査によると、葬儀一式や通夜での飲食接待費、寺院への布施などを総合した費用は、平均195.7万円だという。

 直葬は通常の告別式や葬儀と比べて費用も安い。ある葬儀場は「火葬のみの直葬」(12万8000円)だ。直葬の費用には、棺代のほかに、搬送車(50キロまで)の利用料、安置所(2泊3日)の利用料、火葬場への搬送料、火葬料、骨壺代が含まれている。僧侶の読経や戒名も、別料金のオプションでつけられる。その他に香典返しや参列者に食事を提供する通夜振る舞いなどを省くこともできる。
 

 記事によると、直葬が増える背景について、現代のお葬式事情に詳しいシニア生活文化研究所所長の小谷みどりさんは「死亡年齢の上昇が与えたインパクトは大きい」と分析している。

 「これまでのお葬式は、見栄と世間体で成り立っていました。だから、子どもが59歳のときに親が亡くなると、葬儀は最も盛大になります。もし大手企業の役員や部長の地位に就いていたらなおさらです。ところが現在は、子どもが現役を退いたあとで親が亡くなるケースが増えています」
 

 厚生労働省の「人口動態統計」によると、2000年には80歳を超えて死亡する人の割合は44%だった。それが2017年には64%に上昇し、さらに90歳以上で亡くなる人の割合も27%に達しているという。たしかに新聞の訃報を見ていても昔と違って高齢で亡くなる人が多い。盛大に葬儀を営んで見栄を張る必要もないわけだ。 
 

 先の小谷さんは「地域社会の希薄化や核家族化の進展も直葬が受け入れられる背景だ」と指摘している。その通りだと思う。地域とも関係が薄いから町内の回覧板で死亡したことを告知するだけである。我が町内ではそれで済んでいる。
 

 この記事を見て「直葬」についての見方が変わった。自分や妻の場合もよく考えておかなければと思う。なお、「直葬」を生前に予約して置くことができるところもあるそうだ。世の中は急速に変わってきた。

 

 

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2019年6月 6日 (木)

NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」を見て

 6月2日に放送されたNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」を見た。生と死の選択という重いテーマを、多系統委縮症の二人の女性を対比させることで、安楽死と生について考えさせるドキュメンタリーであった。

 小島ミナさんという51歳の女性が安楽死を望んでいるのを知って、カメラで亡くなるまでを追ったものであった。彼女には年の離れた姉が二人と妹がいて、姉たちが面倒を見ていた。

 多系統委縮症という病気は急速に進行するものらしく、発症を宣告されたのが48歳のときで、3年ほどで自分で動けなくなり、会話はできるがロレツがおかしくなっていた。パソコンを使ってblogを書いたりインターネットを利用していたが、指の動きが不自由になってきた。

 彼女は何度か自殺を試みたが失敗に終わった。病気が進行するとベッドで寝たきりで、人工呼吸や胃瘻などで生きなければならない。そういう状態で生きることを望まなかったのだ。

 彼女はスイスに安楽死を受け入れる団体があることを知り、安楽死について選択肢として考えるようになる。二人の姉は悩みながらも受け入れようとするが、妹は断固反対していた。

 スイスの団体には安楽死の希望者が1700人以上申し込んで来ていて、日本からも8人の希望者がいる。安楽死希望者は増え続けているという。それで早く受け入れてもらえなければ人工呼吸器をつけなければならなくなりスイスへ行けなくなることを恐れていた。

 2018年の11月にスイスから受け入れるという通知が届いた。それで姉二人が付き添ってスイスに行った。

 病院では安楽死の意思が固いかどうか確かめ、2日間の考慮の時間を与え、やめたければやめてよいと言った。その間別の医師が本当に安楽死が必要な病気であるかを調べた。もしダメなら日本に帰されるのだ。

 彼女は必要と認められた。その晩ホテルで最後の晩餐を姉妹で摂り、その夜は夜通し語り明かした。朝が来ると郊外の病院に移された。そこではすぐに誓約書を書かされてベッドに横たわる。腕に点滴がつけられ、点滴開始は自分で操作するのだ。点滴に薬が投入されると30秒で眠りに入り、5分ほどで命が絶えると告げられる。その一部始終は警察に報告するためのビデオに撮られる。

 点滴をつけるときも、スイッチを操作するときも、その後も、穏やかな表情であった。涅槃という言葉がるがそういう悟りの境地にいたのだと思う。二人の姉たちに付き添われてお互いに有難うと感謝の言葉を述べ合い、30秒ほどで眼が閉じた。5分後に医師が死亡を確認した。52歳であった。

 亡骸は日本に持って帰れないので、スイスで灰にされスイスの川に流された。スイスは山国だから川に散骨してもいいのだ。

 NHKのカメラは彼女の了解のもとに、亡くなるまでの様子を収めたのだ。観る者に考えさせられるすぐれた番組であった。安楽死の問題を提起するために録画を承諾した小島ミナさんに感動した。生と死をどう考えるか自問しながら見たが結論はまだ出ていない。

 もう一人の鈴木道代さんも同じ病気で、年齢も50歳でほぼ同年齢である。彼女は母親と娘に身近で世話をしてもらっているが、ベッドの上に寝たきりである。話を聞くことはできるが、自分からは話せないので、YESかNOかを瞼の動きで答える。目をつぶるとYESである。

 そんな状態でも人工呼吸器をつけて生きるという選択をした。家族と一緒にいるの生きる喜びだというのだ。彼女はスイスで安楽死という選択ができることを、知っているのかどうかは不明だが、人工呼吸で生きる道を選んだのだ。

 NHKは同じ病気の人を探して対比して描いたが、カメラに収まることを承諾した鈴木さんも立派だと感心した。お二人のお蔭で多くの人たちが安楽死か生きるかを考える資料を貰うことができたのだ。

 

 

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2019年2月16日 (土)

とても真似ができない尾畠春夫さんの生き方

 ニフティニュースを見ていたらスーパーボランティア尾畠春夫さんの年金5.5万円で生活するという記事があった。

  尾畠さんは貯金もなく国民年金の5.5万円だけで生活をして災害地へボランティアに出かけているのだ。自宅は大分にあるそうで、固定資産税などは払わなければならないだろう。健康保険料や介護保険料などの公課はどうしているのだろう。

  遠くのボランティアに出かけるとガソリン代は1万円とか掛かるという。寝泊まりは軽自動車の中だそうで宿泊費は要らないという。

  食糧はインスタントのご飯とかカップラーメンのような物を用意しているという。それと飴玉だ。飴は他のボランティアにもあげるのだという。

  自宅に帰ることは少ないので水道代や電気代などは少なくて済むという。驚いたのは公園や道端などのシロツメクサのような雑草を食べることもあることだ。私も食べられる雑草は少しは知っているが戦争中や戦後の時にヨメナやツワブキやフキなどを食べただけで、後はセリとかツクシとかフキや山菜を食べるぐらいである。

  尾畠さんは東北大震災の後ボランティアに行ったとき酒を断って、以後は全く飲んでいないという。東北地震の被災者がみんな元の生活に戻るまでは飲まないそうだ。

  それまでは浴びるように酒を飲んでいたというから即断即決で断酒する意志の強さに感動する。酒だけでなくタバコもお孫さんから身体に悪いと言われて即座にやめたのだそうだ。それもあってこの10年は病気もしていないというから大したものだ。

  尾畠さんがボランティアを始めるきっかけになったのは、四国のお遍路さんをやったことだったという。それまで旅行が好きでいろんなところに出かけていたそうだが、四国のお遍路をしたとき、おもてなしを受け、お礼のないおもてなしに感動したことだという。 

 尾畠さんはストイックなところがあって、お礼は一切受け取らないようだ。そういう徹底したところがスーパーボランティアたるゆえんであろう。

 年金5.5万円でボランティアの費用も賄い生活しているその生き方は素晴らしいと思うが私にはとても真似ができないというのが偽らざるところである。

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2018年8月20日 (月)

ボランティアの鑑 2歳児を救助した尾畠春夫さん

 山口県で行方不明になっていた2歳の男児が3日目に発見されてよかったと胸を撫で下ろした。この子供を発見したのは、大分県からやって来た尾畠春夫さんという76歳の男性であった。

  多くの人々が捜索に当たった中で、尾畠さんが発見できたのは、それまでの経験を活かした感であった、子どもは高い方に行くと思ってそちらを探したと言っていた。魚屋をやっていたときに鍛えた大声で「よしくーん」と呼んだのが通じたという。

  尾畠さんが救助した後、どんな人であるかがネットや新聞などでいろいろ報じられた。それを読んで、「凄いボランティアだ」と感銘を受けた。

  朝日新聞の見出しには「人助けこそわが人生」と書いてあったが、尾畠さんは65歳で店をたたんで以後、ボランティアに励んで来たのだ。

  「学歴も何もない自分がここまでやってこられた。社会に恩返しがしたい」ということで始めたボランティアだそうだが、その範囲と費やした時間がそれこそ半端ないのだ。

  尾畠さんはいつでもすぐに出かけられるように、衣服が几帳面にロール状に丸めておいてあるそうだ。現場で着るつなぎやヘルメットも置かれ、ヘルメットには「朝は必ず来る」と励ましの言葉が書いてあるという。

 尾畠さんは、必ず軽ワゴン車に食糧や水、寝袋などの生活用具を積み込んで出動し、助ける相手側に負担を掛けないのが信条で、活動費は年金から捻出しているそうだ。何も欲しいものはないと言い、欲のない生活をしているようだ。

 毎日8km走って鍛錬をしているそうだが、顔は日焼けで黒い。力もあるようだ。これまで新潟中越地震以来、全国の地震、風水害などの被災地で活動してきたそうで、東日本大震災では南三陸町で計約500日間も活動したという。

 「何事も、対岸の火事だとは思わずに行動できる人が、もっと増えてほしい」と願っているそうだ。本当にボランティアの鑑で、こんな立派な無私の行動力のある人を他には知らない。今回のことで時の人となったが、天網恢恢疎にして漏らさずである。

 私など日本語ボランティアとマジックのボランティアでお茶を濁し、肉体的な、しかも人を助ける本格的なボランティアは一度もやったことがない。恥じ入るばかりである。

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2018年3月 7日 (水)

高齢になり人生の終わりをどう迎えるか

 ネットニュースを見ていたら、「死生観が変わるー『自然死急増の予兆」という記事があった。週刊朝日から取った記事のようだ。

 

 ―死を直前にした終末期に、延命措置などの医療や介護を「過剰だ」として望まないお年寄りが増えている。「亡くなり方の質」を追求し、穏やかな最期をめざす。その姿に死生観の変化を読み取り、日本の死の「スタンダード」が一変すると予想する声も出始めた。「自然死」が急増する、というのだ。―

 

 90歳以上の人たちは戦前・戦後の厳しい時代を生き抜いてきたので、「生きたい」という気持ちが強いそうだ。

 

 それに対して、80歳台の人たちは、過剰医療を見て来ているので点滴なのどにつながれたり、胃瘻をしたりしてまで生きたいとは思わないそうだ。

 

 在宅で延命治療をしないで自然に死にたいという人が増えているというが、現時点ではまだ病院で亡くなる人が7割以上だという。

 

 ―何らかの病気をきっかけに入院するなどで医療と関わり始め、治療やリハビリ、介護、入退院を繰り返しながら徐々に衰弱していき、最後は病院で亡くなる──これが、高齢者の亡くなり方のまだまだ多数派だ。―

 

1950年ごろは、ほとんどの人が自宅で、1980年でも50%の人は自宅で亡くなっていた。祖父母の時代は自宅で亡くなるのが普通で医者が自宅で看取ってくれていた。

 

 1973年に始まった老人医療費の無料化に伴って病院に入院する人が増え始めたのだという。私の父母の時代は病院であった。

 

 また、医者の方も1日でも生かすのが仕事と過剰医療に走るようになったというのだ。そしてチューブにつながれて延命するスパゲティ状態の人が増えたのだ。

 

 しかし、そういう状態を見て「そこまでして生きたくはない」という人が増えて来た。モノを食べられなくなって点滴もしなければ、個人差はあるが、3日から1週間で息を引き取っていくと言われる。そして楽な死に方だという。

 

 私は知らなかったが、国際医療福祉大学の高橋教授は「「欧米では、食べものを受け付けない高齢者に、食事介助をして無理やり食べさせるのは『虐待』と見なされます。口からモノを食べられなくなったらあきらめるのが一般的です」と指摘しているそうだ。日本の介護は過剰なのだろうか。

 

 また米国では「食事介助」や「オムツ交換」を意味する用語が介護のマニュアルに出てこないというのも面白い。

 

 自力でトイレに行けなくなり、自力で食べられなくなったら自然死に向かうのがよいという。私の養母は寝床の脇に小便をする容器を置いて用を足していた。そして最後は「ありがとう」と礼を言って、楽に息を引き取って行った。

 政府は在宅医療を広げようとしているようだが、在宅による自然死が増えて行けば医療費や介護費用の節減にもつながる。それには在宅医療に携わる医師や看護婦の確保が大事になるだろう。

 

 

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2015年9月23日 (水)

NHKスペシャル「老衰死 穏やかな最期を迎えるために」を観て

 NHKスペシャル「老衰死 穏やかな最期を迎えるために」を録画しておいた観た。私も高齢者だし人生の終わりについては関心があるので観るのが楽しみであった。

  番組は東京の特別養護老人ホーム「芦花」でのドキュメンタリが中心であった。そのホームに入居している2人の女性を追ってどのように死を迎えたかを撮ったものであった。

  特別養護老人ホームの医師は石飛幸三さんで、この人はかなり前に「平穏死という選択」という本を幻冬舎から出版されたので私も買って読んだことがある。

  芦花ホームでは、経管治療などの延命治療はやらず、老衰による自然な死を目指している。「老衰死」という自然な死に方が一番良いものであることを映像を通して知ってもらおうというものであった。

  私は養親を自宅で看取ったが、今から思えば、2人とも老衰による自然死であった。養父は死の1週間前から布団の上に静かに寝たきりで何も食べなかった。苦しむこともなく90歳の人生を大往生で終えた。理想的な死に方であった。

  養母は養父の死後半年ほどして、これも老衰のため85歳でなくなった。当時はこの歳まで生きるとおめでたいと言われたものであった。

 私は二人の死の際にいたので、老衰で死ぬということはどういうものかよく分かった。私も死ぬときは老衰で死にたいと思ったものだ。

 それから長い年月が経って母がやはり老衰で亡くなったが、その時も私は傍に付き添っていた。穏やかに息を引き取るのを見た。93歳であった。

 年を取ると次第に細胞の分裂が弱まるとアメリカの研究者が話していた。炎症性サイトカインが増えることによって身体の機能が低下するのだそうだ。細胞の分裂が弱まると臓器などが弱まり、腸などの消化器官が委縮し食が少なくなる。また心肺等の器官も委縮し働きが衰えるのだ。

 死のだいぶ前からカロリーの摂取は一定量あっても、BMIが減るという現象が見られるという。生命の維持ができにくくなるのだ。そして1週間ぐらい前から双方とも急激に低下していくという。その時期は食べられなくなるのである。

 老衰はゆっくりと進みゆるやかに死にむかうのだという。イギリスではQuolity Of Deathという考え方が行われ終末期ケアの推進機関があり、安らかな死を迎えるのでは世界一だそうだ。

 エディンバラ大学のマクルーリッチ教授は、死ぬときには不快感は少なくなっていると言っている。痛みを脳に伝えられないようになるのだそうだ。そういえば先日のためしてガッテンで腰痛の痛みは実は脳の痛みだと言っていたが、痛みを脳につたえられなくなれば痛いとは感じないわけで、それが自然の摂理なのかもしれないと思う。

 死が近くなると呼吸が速くなり、口を大きく開けて呼吸をするので傍で見ていると大変辛そうに見えるが、当人はそういう自覚はないようなのだ。

 英国の終末期ケア推進機関の人が、「死は負けではない。安らかに死ねないことが負けなのだ。死に向き合うことで人生は豊かになる。穏やかに人生を閉じる力を人は持っていることを先に逝く人が教えてくれているのだ」と言っていた。

 私が若いころまでは、私の養父母のように自宅で死を迎えることが普通であった。だから大人だけでなく子どもでも死を観ることができた。そして死とはどんなものか、実は穏やかなものであることを知ることができたのであった。

 昨今は病院に入院をして管につながれて延命治療を受ける人も多い。その状態は決して安楽ではない。無理に生かされることで苦痛があるだろうと推察される。

 米国のある学会では経管医療の効果はないことが分かったと発表したそうだ。遺漏やカテーテルや点滴などの延命治療は必要ないのだ。

 芦花ホームでは石飛医師の指導でもうずっと前から自然死を実践してきているそうだ。

 

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