生き方

2015年9月23日 (水)

NHKスペシャル「老衰死 穏やかな最期を迎えるために」を観て

 NHKスペシャル「老衰死 穏やかな最期を迎えるために」を録画しておいた観た。私も高齢者だし人生の終わりについては関心があるので観るのが楽しみであった。

  番組は東京の特別養護老人ホーム「芦花」でのドキュメンタリが中心であった。そのホームに入居している2人の女性を追ってどのように死を迎えたかを撮ったものであった。

  特別養護老人ホームの医師は石飛幸三さんで、この人はかなり前に「平穏死という選択」という本を幻冬舎から出版されたので私も買って読んだことがある。

  芦花ホームでは、経管治療などの延命治療はやらず、老衰による自然な死を目指している。「老衰死」という自然な死に方が一番良いものであることを映像を通して知ってもらおうというものであった。

  私は養親を自宅で看取ったが、今から思えば、2人とも老衰による自然死であった。養父は死の1週間前から布団の上に静かに寝たきりで何も食べなかった。苦しむこともなく90歳の人生を大往生で終えた。理想的な死に方であった。

  養母は養父の死後半年ほどして、これも老衰のため85歳でなくなった。当時はこの歳まで生きるとおめでたいと言われたものであった。

 私は二人の死の際にいたので、老衰で死ぬということはどういうものかよく分かった。私も死ぬときは老衰で死にたいと思ったものだ。

 それから長い年月が経って母がやはり老衰で亡くなったが、その時も私は傍に付き添っていた。穏やかに息を引き取るのを見た。93歳であった。

 年を取ると次第に細胞の分裂が弱まるとアメリカの研究者が話していた。炎症性サイトカインが増えることによって身体の機能が低下するのだそうだ。細胞の分裂が弱まると臓器などが弱まり、腸などの消化器官が委縮し食が少なくなる。また心肺等の器官も委縮し働きが衰えるのだ。

 死のだいぶ前からカロリーの摂取は一定量あっても、BMIが減るという現象が見られるという。生命の維持ができにくくなるのだ。そして1週間ぐらい前から双方とも急激に低下していくという。その時期は食べられなくなるのである。

 老衰はゆっくりと進みゆるやかに死にむかうのだという。イギリスではQuolity Of Deathという考え方が行われ終末期ケアの推進機関があり、安らかな死を迎えるのでは世界一だそうだ。

 エディンバラ大学のマクルーリッチ教授は、死ぬときには不快感は少なくなっていると言っている。痛みを脳に伝えられないようになるのだそうだ。そういえば先日のためしてガッテンで腰痛の痛みは実は脳の痛みだと言っていたが、痛みを脳につたえられなくなれば痛いとは感じないわけで、それが自然の摂理なのかもしれないと思う。

 死が近くなると呼吸が速くなり、口を大きく開けて呼吸をするので傍で見ていると大変辛そうに見えるが、当人はそういう自覚はないようなのだ。

 英国の終末期ケア推進機関の人が、「死は負けではない。安らかに死ねないことが負けなのだ。死に向き合うことで人生は豊かになる。穏やかに人生を閉じる力を人は持っていることを先に逝く人が教えてくれているのだ」と言っていた。

 私が若いころまでは、私の養父母のように自宅で死を迎えることが普通であった。だから大人だけでなく子どもでも死を観ることができた。そして死とはどんなものか、実は穏やかなものであることを知ることができたのであった。

 昨今は病院に入院をして管につながれて延命治療を受ける人も多い。その状態は決して安楽ではない。無理に生かされることで苦痛があるだろうと推察される。

 米国のある学会では経管医療の効果はないことが分かったと発表したそうだ。遺漏やカテーテルや点滴などの延命治療は必要ないのだ。

 芦花ホームでは石飛医師の指導でもうずっと前から自然死を実践してきているそうだ。

 

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2015年7月27日 (月)

「中日春秋」で知った画家松本竣介氏の言葉

 病院の待合室で中日新聞の「中日春秋」を読んだらすごい言葉を見つけた。松本竣介氏という画家が戦時中に語ったという言葉である。

 先の大戦中日本は戦争遂行のために、言論統制をし総動員をした。画家も例外ではなく、藤田嗣治画伯をはじめ戦意高揚のための絵筆を執らされた。「言うことを聞かない画家には、配給を禁止する」と軍部は圧力をかけたのだ。

 その時代に画家の松本が言った言葉が次の言葉である。

「今、沈黙することは賢い、けれど今ただ沈黙する事が全てに於いて正しい、のではないと信じる」

との一文を公にしたのだそうだ。

 そして1942年に、灰色の街にすっくと立つ自画像を「立てる像」を発表したというのだ。春秋子は「あらゆるものが国家と戦争の論理によって立つ時代にも、自分自身の足で立とうとした。」と書いている。

 私は松本竣介という画家を知らないが、あのものを言えない戦争の時代にはっきりと上のような言葉を述べたこと、信念として揺るがなかったことに感銘を受けた。彼は1948年に36歳の若さで世を去った。

 戦後70年の平和の後、日本は大きな歴史的岐路に立っている。もし松本氏がいたらどう思うであろうか。

 私は自由に発言を続けているが、もしあの戦争中のような時代が再び来たら、その中で毅然として自己の意見を述べられるかどうか自信がない。松本氏の信念に敬服する。

 今は沈黙していてはいけない時なのだ。学者も法律家も技術者も主婦も学生も・・・・さまざまな人々が安保法制反対に声をあげ、行動し始めている。それは主義主張や支持政党に関係なく、自民・公明でつくる安倍政権が勝手な憲法解釈をして、きちんと説明できない安保法を国会での多数をたのんで強行採決で成立させようとしていることに反対をしているのだ。

「松本俊介 画家」の画像検索結果

 自画像 立てる像

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2015年3月11日 (水)

シニアパワー発揮の「シニアコーラス コンサート」

 3月4日に、金山の日本特殊陶業文化会館フォレストホールで「第7回シニアコーラス コンサート」が開催された。主催は名古屋市文化事業団であった。

  シニアコンサートも今年で7回目を迎えた。参加団体はこれまで最高の28団体となった。今年も知多半島の武豊とか、三河地方の合唱団の参加があった。

  コーラスグループも我が昭和男爵コーラスのような10数名規模のものから、白河A,Bのように100数十名規模のものまでさまざまであった。

  昭和男爵コーラスは、シニアコーラスの第一回から出演している。今年は発表会直前に2名の団員が体調を崩したので12名の参加で頑張った。我が合唱団も一時は20名近くまで団員があったのだが、介護とか体調不良で休団者が増えたのが残念である。

  今年の最高齢は、90歳の男性だったそうで、鯱城コーラスのように平均年齢78歳というグループもあった。合唱団によっては杖を突いたり、朋輩の介助で歩行している人もいた。

 しかし、どの合唱団も年々レベルが向上しており、最後まで聴いていたが楽しく聴くことができた。男声合唱団は我がグループの他に4グループで、混声合唱団や女声合唱団が多く、混声も圧倒的に女性が多かった。

 高齢者が年に一度集って発表をして、他の合唱団のコーラスを聴くのは大変良いことである。高年パワーここにありという感じであった。

 昭和男爵コーラスは、今年は大久保指揮者の指揮で、女性指揮者の加藤先生のソプラノソロで4部合唱の「落葉松」を歌った。とてもいい曲なのだが難しかった。もう一曲も4部合唱で「銭形平次」という威勢のいい曲を歌った。

  第1回の出演の時は全くの素人集団であったが、加藤先生の指導で少しずつ進歩して、今回は人数は少ないが4部合唱を歌うまでになった。年は年々取っていくが、よい指導者の下で続けることにより向上するものである。

 現在は正指揮者の加藤先生の他に、若手の男性指揮者大久保先生もいて、ピアニストも女性の富田先生と男性の大森先生を擁している贅沢な合唱団である。せめて団員が20名いるといいと思っているので合唱を経験したい人は参加してほしい。

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                      昭和男爵コーラス

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                       ホットスルーズ

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                     加木屋混声合唱団ポポロ

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                       白河合唱団
      

 

 

 

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2014年12月17日 (水)

NHKお早う日本、12月14日を見て

 12月14日のNHK「お早う日本」で100歳以上の高齢者の写真を撮り続けているプロの写真家が出ていた。

  その人が撮った高齢者の一人に後藤はつのさんという111歳の女性が紹介された。その方の紹介を聴いて非常に驚いた。73歳で油絵を習い始め、80歳以後は毎年100号の絵を描き、96歳の時現代日本童画展で文部大臣奨励賞を受賞したという。さらに90歳以後に詩吟を習い始めて、漢詩も作るようだ。

  とてもおしゃれな方で、カラフルな服装をして、お化粧も毎日自分でされるそうだ。それで驚いてネットで調べたら、前からネットに出ていることが分かった。

  103歳でロスアンジェルスへ行き、107歳でニューヨークに行ったという。恐るべきエネルギーを持った方だと知った。

  アメリカには80歳で絵の勉強を始めて、その後有名になり100歳を超えて生きられた女性画家がいるが、その人にも負けない方だと思った。

  日本には現在100歳以上の方が58800人ほどいるという。昭和38年にはたった126人しかいなかったのが、その後少しずつ増えて平成になってどんどん増えてきたようだ。

 102歳の日野原重明博士は有名であるが、100歳を超えてもなお矍鑠として生きておられる人が多いようだ。100歳以上の方をとり続けている写真家は100歳新時代だと言っていた。

  こういう話を聞くと、自分もまだまだこれからだと思った。健康年齢を維持できれば、年を取ってからでもやれることがあるのだ。

  後藤はつのさんは画家として99歳まで出展しておられたそうで、その絵はNHKテレビで初めて見たが、明るくてカラフルで素晴らしい絵である。

  次のURLをクリックすると、絵とおしゃれな姿を見ることができる。

http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/16698/CUSTOM/1669861116095718.html

http://from76.exblog.jp/23374955

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2013年9月25日 (水)

新しいことへの挑戦―iPhone5Cの購入

 先日iPhone5cを購入したことを書いたが、その時に書き忘れたことがある。それはiPhone5cを買った理由である。

 私は高齢になってからでも、いろいろと新しいことを始めてきた。カラオケ、マジック、男声合唱、blogなどである。そして今回スマートフォンに挑戦してみることにしたのだ。

 地下鉄の中で見る光景は、若い人たちがスマホに向かって何やらやっている姿である。スマホは面白いということも聞いたし、勧めてくれる人もいた。それで1年ほど考えた挙句、新しいPhone5cが発売されたのを機に思い切って買ったのであった。

 買ってはみたものの最初にやったApple IDの取得で大変な苦労をしたのであった。前回はそのことを書いた。

 買ってから3日、タイピングにもかなり慣れてきて、今はやりのLineに登録をしたり、blogを読めるようにしたり、blogを書けるようにしたりした。

 先ほどまでスマホでblogを書いていたのだが、想像していたより易しかったがやはり時間は掛かった。そしてある程度書いたところで、「保存」をしようと思って探していたら突然画面が変わり、書きかけのblogが消失してしまった。一瞬のことであった。 しかたなく、いつものようにパソコンからblogを書いている。

 スマホは凄いなと思ったのは、Lineの登録をしたときだ。登録をするとすぐに「お友だち」が入ってきた。東京にいる娘や婿はLineに入っているの簡単にリストに入り、すぐに通話をすることができた。

 娘たちは、先日ソフトバンクに替わったので、有料になってしまっていたのだが、これからは無料で通話できるようになった。

 日本語を教えている学習者のRさんも、iPhone5cを買ったばかりだが、中国の友人家族との通話にはLineを使っていると話していた。相手がLineに入っていれば通話は無料なので大変便利である。

 その他にも便利なことがありそうである。スマホは小さなパソコンだと思うのだが、あの小さな箱はブラックボックスである。その中にどんなものが隠れているのか、どうしたら見つけて引き出せるのか、それが楽しみである。でも、探せなければ毎月7000円もするただの箱である。

 私はゲームはやらないので、それ以外でいろいろと楽しみたいと思っているが果たしてどうなることやら。

 

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2013年6月18日 (火)

90歳のスーパーレディ

 6月14日に放送された「探偵ナイトスクープ」で、広島県のスーパーおばあちゃんを取り上げていた。私はおばあちゃんと言いたくないのだが、番組でそう言っていたので使った。

 66歳の娘さんの依頼で取り上げられたものだ。その内容は、「クロールで25m完泳したい。できれば背泳ぎでも。」という母親の願いを実現するために助けて欲しいというものであった。

 この女性は89歳で初めて水泳を覚え、クロールができるようになったが、どうしても20mぐらいで足をついてしまって25mプールの最後までつけないというのだ。

 現在90歳の終わりで、この8月が来ると91歳になるという。映像で見ると大変若々しいおばあさんで、70歳の後半ぐらいにしか見えない。毎朝起きるとすぐに化粧をするそうできれいである。この女性は浜田峯子さんという。

 おしゃれで下着も赤やピンクを着用するという。さらに驚いたことに、今でも自分で自動車を運転して遠くの街のレストランへ行くのだそうだ。そういう女性だから話し方もしっかりしていて歳を感じさせない。ご主人は89歳で亡くなったのだが、それ以後は自由な生活を満喫しているそうだ。

 行きつけのスイミングプールへ行って、竹田探偵がサポートして泳いでもらった。何とクロールは1回で25m泳ぎ切ってしまった。みんなの声援があったからであろう。

 それで次の願いである、25mを背泳ぎで泳ぐというのに挑戦をしたが、こちらは簡単ではない。17mぐらいで進まなくなった。コーチの話では足の使い方が良くないからだという。それで特訓が始まった。

 そしていよいよ25mに挑戦の時が来た。コーチや探偵などの励ましで見事に25mを泳ぎ切った。浜田峯子さんはとても嬉しそうであった。

 90歳になって初めてのことに挑戦するというチャレンジ精神と好奇心が素晴らしい。これからも好奇心をもって新しいことに挑戦したいと話していた。

 水泳の後娘さんとその夫を車に乗せて帰ったというから驚くべきことだ。車の運転もまだまだ大丈夫だと言っていたそうだ。

 人それぞれの生き方があるが、高齢になっても浜田さんのようにいつまでも若い気持ちとチャレンジ精神をなくさないようにしたいものだと思った。

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2013年1月23日 (水)

水野青波書展で見たサミエル・ウルマンの詩、「青春」

 15日に中区役所にあるギャラリーへ展覧会を見にいって、たまたま見た「ようこそ せいはの部屋へ」 水野青波書展 で、サミエル・ウルマンの詩を書いてあるのを見た。

 この詩の一部については、以前にtoshiさんがコメントに引用してあった。今回そおの全文を書にしてあるのを読んで感銘を受けた。

 帰宅してインターネットで調べたらこの詩を紹介してあるサイトがたくさんあった。それでコピーをさせてもらった。

 

青  春

サミエル・ウルマン

岡田義夫    訳

 青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。

 年を重ねただけで人は老いない。

 理想を失う時に初めて老いがくる。

 歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。

 苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

 年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

 曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽仰、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味

人は信念と共に若く
人は自信と共に若く
希望ある限り若く 
   疑惑と共に老ゆる
恐怖と共に老ゆる
失望と共に老い朽ちる

 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。

 これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。

YOUTH

 Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

 No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

 Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.

you are yang as your faith, as old as doubt ;
as young as your self-confidence, as old as your fear;
as young as your hope, as old as your despair.

 So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.

 When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.

 ※この詩の説明  http://home.h03.itscom.net/abe0005/ikoi/seishunn/seishunn.htm

※言葉の意味
怯懦(きょうだ) :臆病で気の弱いこと 
孤疑(こぎ)   :疑ってためらうこと 
星辰(せいしん) :星のこと、辰は天体のこと
欽仰(きんぎょう):つつしみあおぐこと

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2013年1月20日 (日)

指揮者イタイ・タルガムのリーダー論

 毎週月曜日夜にEテレで放送される「スーパープレゼンテーション」はいつ見ても興味深い。これはTEDトークからPICKUPしたものである。これまでにも何度か取り上げたが、今回は「優れたリーダー」についてプレゼンをした、イスラエルの指揮者イタイ・タルガムの「Lead Like The Great Conductor」を取り上げる。

 彼は優れたオーケストラ指揮者であると同時に、経営コンサルタントとしても世界各地の一流企業から呼ばれて活躍している。

 彼は実在したオーケストラ指揮者の指揮振りをビデオで見せて話を進める。

 最初に取り上げたのは、クライバーがウイーンフィルのニューイヤーコンサートでラデツキー行進曲を振った映像であった。ウイーンの謹厳な聴衆をリラックスさせ楽しく聴かせている。指揮者自身も楽しそうに指揮している。

 指揮者は、カオスから秩序を作り出すのであって、物語を作って行くのだという。演奏者だけでなく、楽器を作った人やホールを作った人など全てにそれぞれの物語があり、それが重なり合うのが醍醐味だという。

 次に紹介したのは、ムーティで、ドンジョバンニを指揮するところであった。彼の指揮は支配するやり方だという。身振りは大きく分かりやすい。明確だが威圧的だという。彼は作曲者モーツアルトに対して責任を持って振っていると説明した。

 ムーティはスカラ座の700名からついていけないと言われて指揮者を辞任したそうだ。一方的に使われるだけでは楽団員が成長できないと言われたのだ。イタイ・タルガムは「独裁的だったのが良くない」と評した。

 3番目はシュトラウスで、彼は30歳の時指揮者の10箇条を作ったが、その1は「汗をかくのはダメ」 その4は「トロンボーン奏者を見るな」であった。どういうことかというと「干渉しないのが一番いい」ということなのだそうだ。

 楽譜通りに演奏せよとか、解釈をすることも支配的なやり方になると話した。

 次は、カラヤンの映像が紹介された。手を柔らかく動かし目を閉じて指揮をしている。TEDの会場でイタイ・タルガムは実際にムーティ流の振り方とカラヤン流の振り方で「拍手」をさせたが、カラヤン流では拍手はバラバラになった。ベルリンフィルのメンバーでも分かり難いそうだ。

 カラヤンは「オーケストラに明確な指示をするのはよくない。お互いの音を聴くという大切なことを忘れるから」と考えていた。カラヤンの頭の中を想像して演奏しろということだが、精神的な支配になるという。

 ここでもう一度クライバーの映像を出した。そして、クライバーは指示をしていない。自由な余地を残している。指示がなくても自分がすることが分かっているのだ。楽団員は演奏に参加して創り上げて行っている。一番いいやり方だという。

 指揮者のクライバーは、楽団員が自分なりの表現をできる空気をつくっている。そうすることで自由に、楽しく、自信を持って演奏できる。支配、被支配ではなく、共同で最高のものを作るということだ。共同作業に内容が加われば意味が生まれるのだ。

 最後は、イタイ・タルガムの恩師であるバーンスタインの映像であった。彼はいつも意味を中心に考えていたという。音楽がバーンスタインの表情に現れている。演奏者が語り手となってそこにいる者みなが物語に聞き入るのだ。

 今日の話を総合すれば”動かず”に”動かす”ことができるのだと結論ずけた。

 秘蔵のものといって見せた最後の映像は、バーンスタインが顔の表情だけで指揮をしているもので大変驚いた。

 伊藤譲氏のまとめは、これからのリーダーは中央管理型からボトムアップ型に向かうべきであろうということであった。

 独裁型のリーダーは政治の世界だけでなく企業においてもその他の社会においても民主主義とは相いれないものだ。やはり構成員の自由な発想があり、衆知を集めてともに作り上げて行くというリーダーシップが望ましい。

http://www.ted.com/talks/lang/ja/itay_talgam_lead_like_the_great_conductors.html

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2012年10月 9日 (火)

「平穏死」という選択―幻冬舎ルネッサンス新書から―

 以前に「大往生したけりゃ医者にかかわるな」(幻冬舎新書)を買って読み、大変参考になった。それ以来自然死に関心をもつようになった。

 最近、同じ幻冬舎から「『平穏死』という選択」(石飛幸三著、ルネッサンス新書)という本が出版された。新聞広告で、先の本の中村仁一医師が推薦しているので買うことにした。

 まだ、読み始めたばかりだが、最初のページに「安らかに死ねない時代」という見出しで、その理由が書いてある。

 腹部に穴を開けて管を入れ栄養を摂る「胃ろう」という処置をされた人が全国に30万人とも40万人とも言われるほどいるのだそうだ。NHKでは確か40万人と言っていた。

 アンケートによると、ほとんどの人は寿命が来てもう先がないと分かったら、胃瘻のような延命治療は要らないと答えている。これは朝日新聞の記事にも同じ結果が書いてあり、以前に取り上げたことがある。

 「それなのに、認知症の高齢者が誤嚥性肺炎を起こすと、判で押したように胃ろうを勧められます。もはや口から食べられない状態だと判断され、認知症高齢者の場合、約7割の方に胃ろうがつけられています。自然な天命を待つのではなく、人工的に栄養を摂取させられて、生かされるのです。

 こんな国は、我が国だけです。

 その措置が本人のためになるのか、人生の終末期に、そのような”治療”が必要なのか、一番よく分かるのは医師のはずです。どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか。」(P.18)

 その理由を延命治療法が進歩したのに、法律が延命治療法がなかった時代のままで、延命治療をしないと、「不作為の殺人」になることを医師は恐れているのだという。

 老化に伴う病態も病気と同じように考えられて、病院に回されて病気と同じように扱われ、高齢者は自然な形での最期を迎えられなくなっていると書いている。(P.19)

 医学の進歩が逆に人間を苦しめる結果になっている。それが日本の実情なのだ。私の知人の家族にも高齢で胃ろうを施されて生かされている例がある。本人も家族も大変な負担である。もし、法律を変えなければならないのなら早急に改正してもらいたいと思う。

 

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2012年9月 2日 (日)

人生の終焉もかくありたいもの

 毎朝ウオーキングをしている山崎川の道端に下の写真のようなトウモロコシが1本立っている。

 今年の4月だったかにトウモロコシが30cmほどに育っているのを見つけたが、その後ぐんぐんと背が高くなった。子どもの頃、忍者についての話を聞いたとき、忍者はトウモロコシを植えて育つとき毎日それを飛び越す練習をするのだということであった。

 トウモロコシは最初は背が低いので容易に飛び越せる。しかし、育つのが速いので飛び越す練習には丁度よいというのだ。

 確かに山崎川のトウモロコシも毎日ぐんぐん育ち、すぐに私の背より高くなってしまった。

 そしてある日気が付くと実をつけていた。実がまだ小さいときに誰かがいたずらで1つもぎ取って捨ててあった。 

 それでもトウモロコシは元気よく青々とした葉をつけて3つ、4つの実を大きくさせていた。

 その後は誰にもいたずらされることなく、今年の猛暑の中もものともせずそこに立っていた。

 8月も終わりに近づきさすがのトウモロコシも元気がなくなってきた。そして葉が茶色くなり枯れ始めた。

 その姿を見て、トウモロコシももう水や養分を吸い上げる力がなくなってきたのだなあと感じた。やがてさらに枯れていき、立ち枯れとなるのであろうと思った。

 そう思いながらトウモロコシは自然に死を迎えているのだと思った。水をすいあげる力、養分を摂る力が自然に衰えていくのだ。それが自然の姿である。

 かえりみて人間はどうか。最後の段階が来てもあの手この手で生を延ばそうと試みる。点滴はまだよいとして、鼻からの経管栄養、経静脈栄養さらには胃瘻、腸瘻など様々な現代医学の治療が試みられる。

 それはやってもらう本人にとって決して楽なものではない。ただ生かされているだけなのだ。

 植物も動物もそういう手当は一切しないから自然の摂理に従って生を終わる。トウモロコシは今そのことを私たちに教えてくれているのだ。生の終焉を迎えるときはかくありたいと思う。

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