生き方

2009年9月28日 (月)

ひろさちやの「狂い」のすすめとポケットに仏さまを読んで

 書名が面白そうなのでひろさちやの著作を図書館で借りて読んだ。初めに「『狂い』のすすめ」を借りて読み、次いで「ポケットに仏さまを」を借りた。

 この2冊は、大体内容は同じである。同じ材料を使って見た目や味付けを変えた料理のようなものである。元になっているのは、仏教思想でそれにキリスト教や他の宗教をちょっスパイスとして入れてある感じだ。

 釈迦の教えをやさしく説いたものだと思えばいいのかもしれない。

 ひろさちやの書物の特徴は、やさしい文章である。前にも書いたが、文章をやさしく誰にでも分かりやすく読みやすく書くことが出来る人は素晴らしいと思う。

 ひろさちやもその1人に挙げることができよう。

 ところで、彼の幾つかの論点の中から「努力をするな」を取り上げたい。日本人は「努力」というコトバが大好きで、小さい頃から耳にタコが出来るくらいに教えられたきたに違いないと言う。その通りである。

 日本人は、「頑張れ。」「倒れるまで頑張れ。」「頑張れば誰にでも出来る。」などと言う。

 私も、仕事柄教え子たちに頑張ることを教えてきた。頑張る=努力する→よい結果が得られる。今売れっ子の茂木健一郎も勝間和代も努力することの大切さを説く。

 それに対し、ひろさちやは「努力なんていらない。仏もそう言っている。」というのだ。世間がどう言おうと気にするな、頑張る必要は無いと言う。

 これを読んでいて、ふと竹中平蔵のことを思い出した。彼は、小泉内閣の大臣になった頃、その著書(幻冬舎刊)の中で、「努力したものが報われるのは当然だ。」と言っていた。あのアメリカのウオール街の貪欲な連中と同じことを言ったのだ。「非正規社員やフリーターやアルバイターなどは努力が足りないからそうなってので自己責任である。」と言った。

 あの頃口を開けば、みんな「自己責任」と言っていた。そこでいう努力とは、頑張るとは、会社のために尽くし業績をあげるとか、高級公務員や研究者として業績をあげるとかいうことであって、一般の人がいくら頑張っても、努力をしても、それは努力や頑張りとは評価されないのであった。

 石川啄木の「働けど働けどなお我が暮らし楽にならざりじっと手を見る」に詠まれた働くことは頑張りとは評価されないのだ。

 ひろさちやは、努力は人それぞれにより異なるから世間で一律の物差しを使って測るべきではないと言っている。

 最近、香山リカの「しがみつかない生き方」という本が売れているようだ。本屋で立ち読みをしたら、どうやらひろさちやのような論点で書いているらしいことが分かった。キャッチフレーズは、「勝間和代になるな」であるが、自分らしく自分を大切にして生きなさいと言っているのだと思った。ひろさちやがいう世間の物差しで計らない生き方である。

 ひろにしろ香山にしろ、世間的な、大臣が偉いとか社長が偉いとか高級官僚が偉いとか、逆にフリーターや派遣社員などはダメ人間だとかいうような考えを持つなと言っているのだ。

 自民党・公明党内閣のときに、指導要領が改訂され、1~2割程度の指導的エリートとその他の労働層に分ける教育に変わった。8割以上の人間はどうでもよいとされたのだ。派遣社員などは人件費ではなく、資材などと同じ物として処理されていることからも明白である。

 努力や頑張りが認められるのは一部のエリートだけということの間違いに気がつき騙されないようにすることが大事である。

 「狂い」のすすめ(集英社)

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2009年8月11日 (火)

上司はみんな無能?ピ-ターの法則?

 勝間和代氏の「断る力」にこんなことが書いてあった。

「”上司というものは、あまり深く考えずに、あるいは考えられずに指示を出している”可能性が高いのです。企業の多くはそのような無能上司で埋められているのかもしれません。」

 そして、ローレンス・j・ピーター・レイモンド・ハル 渡辺伸也訳、『ピーターの法則』 ダイヤモンド社を読むとよいと書いてある

「この本のエッセンスは大変シンプルで、要は私たちは無能のレベルに達するまで出世を続けるので、組織において多くの人は無能のレベルに達して出世が止まった人たちである。したがって、上司の大半は無能であり、組織はまだ無能レベルに達していない出世途中の人たちによってのみ、運営されているという考えかたです。」

 有能とか無能とかをどのように見ているのかはこの本を読まなければわからないが、私は、出世を目指さなかったので、ある意味で快哉を叫びたい感じだ。

 教育界では、校長先生になることが大体において頂点である。だから校長になるために多くの人はストレスある努力をし、学閥をつくって少しでも有利に事を運ぼうとする。

 私は校長にはならなかったが、どうすれば校長になれるかは何となく理解できた。だから校長になるよりも、生涯平教員でいようと決めたのであった。

 校長になる前に校務主任、教務主任、教頭とヒエラルキーがあって、将来を目指す人々は30歳前から頃からいろいろと道を探る。大きく言って官製研究会ルートと組合ルートがあった。

 出世をする人間は何故無能になるのか?それは出世するための努力に金を使い、時間を使い、自分を捨てるからである。

 その点で、教育界のいいところは、逆の道をとれば、ストレスも少なく、児童生徒のためになることに専念でき、自分を見失わずに進めることであった。

 高級官僚を見るがよい。彼らは官僚である間は、自分たちの利益のために仕事をし、定年近くになれば、更に有利な収入を目指して天下りをし、次々に転職して退職金や給料を貪っている。だから自分たちに不利になるような改革には抵抗をしている。その意味では、有能なのだ。所詮は金の亡者でしかない。

 私たち下っ端には、天下り先もなく、僅かな年金があるだけだが、それでも昨今の世界的経済恐慌の中では、年金があるだけでありがたいと感じている。私たちには、心の自由がある。

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2009年7月14日 (火)

木村秋則さんの奇跡のリンゴの強さ

 1991年の青森県を台風が直撃し、リンゴ農家は壊滅的被害を蒙った。そのとき、木村さんのリンゴの木には8割もリンゴが残っていたという。

 それは、リンゴの木が普通の木の何倍も深く根をはっていたことと、実と枝をつなぐリンゴの軸が太くて丈夫であったからだ。

 それに2000年ごろからは畑に虫が少なくなったり、いなくなったものもあるという。また、病気も少なくなって軽くなった。

 農薬を使わないのになぜそうなったのか?

 木村さんは、おそらく畑に余分な栄養分が存在していないからだと考えている。

 肥料はどんな肥料であれ、リンゴの木に余分な栄養を与え、害虫を集める原因になることを彼は発見したのだ。

 栄養を与えられ過ぎたリンゴは、地中に深く根をはらなくても栄養がとれるので根が浅くなるのだ。

 肥料を与え過ぎたリンゴの木は、自然の抵抗力を失い、農薬なしには害虫や病気に勝てなくなるのではないかと木村さんは言う。

 畑に雑草をはびこらせ、肥料を与えていない木村さんのリンゴの木の根は20m以上にもなるという。そのことと害虫や病気が少なくなったこととは関係があるのだ。

 木村さんがやったことは、肥料はやらない、根をいためる器械は入れない。雑草を囃す、窒素が不足すれば大豆を播く、秋に1回だけ草刈をする、病気の兆候を早く見つけ酢を撒く、害虫が増え始めたら発酵リンゴ汁を木に下げる・・・。

 私は、カナダのノーヴァスコーシャに行ったとき、る時、知人のアマンだが「秘密の基地に連れて行ってあげる。」と言って雑草の茂った荒地に行った。そこには野生のリンゴの木かあった。地面には落ちたリンゴが散乱していたが、木にはまだたくさんの実が残っていた。

 アマンダは地面に落ちていたリンゴのよさそうなのを袋に詰めた。一緒に行った友人は背が高いので木のリンゴを取った。

 リンゴの大きさは、アメリカやカナダで売られている小さいサイズで赤い色をして健康な感じであった。

 かじっていると甘くてちょっとすっぱいリンゴの味が口の中に広がった。

 アマンダは、「子どもの頃いつもここに来てとってたべていたのよ。」と言った。

 野生のリンゴの木はその後も、ノーバスコーシャをドライブしたときに海岸の荒地にもあった。

 その時には、全く気にも留めなかったが、今度「奇跡のリンゴ」を読んで、野生のリンゴを食べたことが思い出された。今ならもっと気をつけて観察したであろうと思う。

本 奇跡のリンゴ

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2009年7月12日 (日)

リンゴ農家木村秋則さんが知ったこと―②―

 木村秋則さんは次のように言っている。

  「人間にできることなんて、そんな大したことじゃないんだよ。みんなは木村はよく頑張ったって言うけどさ、私じゃない、リンゴの木が頑張ったんだよ。それは謙遜なんかではないよ。本気でそう思っているの。

  だってさ、人間はどんなに頑張っても自分ではリンゴの花を一つも咲かせることができないんだよ。手の先にだって、足の先にだって、リンゴの花は咲かせられないのよ。

  そんなこと当たり前だって思うかもしれない。そう思う人は、そのことの本当の意味がわかってないのな。畑を埋め尽くした満開の花を見て、私はつくづくそのことを思い知ったの。

  この花を咲かせたのは私ではない。リンゴの木なんだとな。主人公は人間じゃなくリンゴの木なんだってことが、骨身にしみてわかった。

  それがわからなかったんだよ。自分がリンゴをつくっていると思い込んでいたの。自分がリンゴの木を管理しているのだとな。

  私にできることは、リンゴの木の手伝いでしかないんだよ。失敗に失敗を積み重ねて、ようやくそのことがわかった。それがわかるまで、ほんとうに長い時間がかかったな。」    (奇跡のりんご P.167)

 木村さんは、9年目にやっとリンゴ畑の木が一面に白い花を咲かせたのを見てそう悟ったのだった。

 それにしても何と謙虚な含蓄のあるコトバであろうか。

 木村さんのコトバは大変に示唆に富み子どもを育てる親や教師にも味わってもらいたいと思う。

Lingonomikimura

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2009年7月 7日 (火)

「奇跡のリンゴ」木村秋則さんが知ったこと―①―

 木村秋則さんは、農薬を使わなくなって分かったことがあるという。その部分を「奇跡のリンゴ」(石川拓治著 幻冬舎 P.156、157)から引用する。

「農薬を使わなくなってわかったことがあるのな。農薬を使っていると、リンゴの木が病気や虫と戦う力を衰えさせてしまうのさ。楽するから行けないんだと思う。

車にばっかり乗っていると、足腰が弱くなるでしょう。同じことが起きるわけ。

それでな、リンゴの木だけじゃなくて、農薬を使っている人間まで病気や虫に弱くなるんだよ。病気や虫のことがよく分からなくなてしまうの。農薬さえ撒けばいいから、病気や虫をちゃんと見る必要がなくなるわけだ。人のことを言っているのじゃなく、この私がそうだった。

 害虫の卵は保護色だと言ったでしょう。小さいし、枝でも葉でも、産みつける場所と同じ色をしているから、なかなか見つからないのよ。

 おまけに、卵からどの虫が孵るか分からないから、害虫のそばのテントウムシの卵をとってしまったりな。テントウムシの卵は、オレンジ色をしているからむしろ見分けがつきやすいんだ。

 害虫を目の敵にして無我夢中で虫取りをしているうちは、そんなことすら気がつかなかったわけだ。落ち着いて虫たちのことを眺めるようになって、ようやくいろんなことがわかるようになったのな。」

 木村さんは、リンゴの木につく虫のことを観察をし、調べて、どんな虫がどんな時期に卵を産んだり、成虫になったりするか、またリンゴの木のどの部分に卵を産むかなどを、まるで昆虫学者のように知るのだ。その結果、どの害虫をどの時期に駆除すればよいかがわかり効率よく仕事ができるようになるのである。

 そして、自然の不思議さ、摂理に感動し、謙虚に自然と向き合うようになる。

 

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録

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2009年7月 5日 (日)

リンゴ農家・木村秋則さんが見つけたこと―土の大切さ―

 リンゴ農家の木村さんは、無農薬自然農法でリンゴを栽培することを目指して8年にわたりリンゴの木につく害虫をとることや堆肥を作ることなどでいろいろな方法を試している。

 ところがどれもうまくいかず、800本のリンゴの木は葉を落とし、花を咲かせず、ついには枯れるものまで出てくる。

 自慢のトラクターや自動車やオートバイを売り払い、大事な田畑も一部を手放してしまう。生活が困窮を極める中であくまでも追及する姿勢はすごい。

 しかし、万策尽きて、遂に自殺を決意し山に登る。そしてまさに死のうとしてロープを樹にかけようと投げたとき、ロープは飛んでいってしまう。その方向に野生のドングリの木があったのだ。

 神がかりとしか言いようがない不思議なドラマティックな展開である。

 彼は、ドングリの木が元気に葉をつけているのを見て、「農薬を使わないのになぜ自然の植物が育つことを不思議に思わなかったのか」と思う。

 そして、その理由に気がつくのだ。

 それは、だった。

 ドングリの木の周りには、雑草が生え放題で土は足が沈むくらいふかふかだった。土は素手で掘ることができた。

 「それと同じ土を作ればいい。」と彼は直感した。

 ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見した。木村さんは、ドングリの木をみて土の大切さに気づいた。どちらも一つのことを追求してきてのひらめきである。

 彼はそれまで土の上のことばかりを考えてきたが、土については堆肥を肥料としてやることぐらいしか考えなかったことに気がついた。リンゴの木が根を張る土がどんなに大事であるかに気がついたのだ。

 ドングリの木の土はどこまで掘っても温度が一定だったという。リンゴ園の土は10cm掘るだけで極端に低くなっていた。さまざまな生物や微生物が存在してドングリの木の土をふかふかにし豊かにしていたのだ。まさに「土は生きている」のだ。山の土が温かいのは微生物がいて活動をしているからだと気づく。

 その大事な土を農薬で生物や微生物を殺してしまうことで生態系を駄目にしてしまっていたのだと知る。

 木村さんは、リンゴ園の土を山の土と同じような土にしようと考えて実行する。

 小学校6年生の国語の教科書に、「生きている土」という教材があって、原生林の土はさまざまな生物や微生物の生態系で成り立っており、大変豊かであること、従って土を豊かにする生物や微生物が大事であることを教えるものであった。

 木村さんは、リンゴの自然栽培を目指す中でそのことに気づいたのだ。私は、「生きている土」を木村さんの実践を加えて改定するといいと思う。

 ※つづく

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2009年7月 4日 (土)

奇跡のりんご―絶対不可能を覆した農家木村秋則の記録を読んで

 2006年12月7日に放送されたNHKの「プロフェショナル 仕事の流儀」でりんご農家木村秋則さんが取り上げられた。それを見終わったとき、何と凄いい人がいるものかと感動した。

 「プロフェショナル」では、いろいろな分野の凄い人が取り上げられているが、中でも木村さんの印象は強く心に残った。

 その木村さんのことが「奇跡のりんご」という本になり、爆発的に売れていると聞いた。それで是非読みたいと思い図書館に予約をした。2月初め頃のことである。そのとき、50数人の予約待ちがあった。

 昨日、図書館に行くと「予約本が来ていますよ。」という。待望の「奇跡のりんご」であった。

 著者は、ルポライターの石川拓治さんで幻冬舎から出版されていた。

 家に帰ると一気に読んだ。大変読みやすく書いてあり、本の構成もよくできているし、記述も大変優れている。さすがはルポライターだと感心しながら読んだ。

 この本の題名は「奇跡のりんご」で、副題が「絶対不可能を覆した農家木村秋則の記録」である。

 なぜ、”happy01”奇跡のりんご”かというと、りんご栽培は大変難しくて農薬散布や施肥や袋掛けなど大変に手間のかかるものなのに、無謀にも、”絶対不可能と思われた無農薬自然栽培”を目指して、最終的には成功したからである。

 無農薬自然栽培によって出来たりんごは、素晴らしい味だという。是非食べてみたいと思うのだが、1年以上の予約待ちで手に入れるのは大変困難なようだ。

 この本を読んで、木村さんのターニングポイントは、3回あったことがわかった。

 一度目は、農家に養子に出たことである。彼は、幼少の頃から器械のメカニズムに興味を持ち玩具のロボットを解体したり、ラジオやアンプを作ったり、コンピューターやエンジンに興味を持っていた。一度興味を持つとトコトン追求するタイプでその技術をものにしてしまう。だから養子にいかなければ優秀なエンジニアになっていたかも知れない。

 二回目のターニングポイントは、たまたま書店で一冊の本を買う羽目になったことである。買うつもりがなく弁償のつもりで仕方なく買った本が、福岡正信という篤農家の書いた「自然農法」という本であった。その本を1年近くもほっておいてある日眼を通して釘付けになったのだ。

 それまではアメリカ式のトラクターによる機械式農業でトウモロコシの生産を目指していた。もし、その本に出会わなければ、大規模なトウモロコシ農家になっていたかもしれないのだ。

 彼は、「自然農法」を擦り切れるほど読み、自らも実践をする。そしてミカンでできるならりんごでもできるだろうと無謀にもりんごの栽培に取り入れようと考えたのだ。

 それからの彼の試行錯誤は悲惨なものであった。生活は困窮を極めた。そして7年目のある日、遂に彼は自殺を図ろうと山に登るのだ。

 まさに死のうとするそのとき彼は山に生えるりんごの幻想を見る。そして気がつくとそれは自然の中で実をつけているドングリの木であった。これが第3のターニングポイントである。

 偶然が人生を左右することがあるが、養子に入ったことと書物との出会いがそれである。

 そしてもう一つ、勝間和代風に言えば「フレームワーク」(関心をもって課題を追求すること)であり、茂木健一郎風に言えば「ひらめき」である。

 彼が「自然農法」に眼を向けたのは、彼の関心がそこにあったからキャッチできたのだ。また、ドングリの木を見て「これだ!」と悟ったのはひらめきがあったからである。まさにニュートンのリンゴである。

 私がもう一つ感心したのは、彼のひたむきな研究を家族みんなが支え続けたことである。彼は養子なのに、その家を貧窮のどん底に落としたにも関わらず、義父母も妻も3人の娘もひたすら彼を支持して我慢して助けたのだ。

 ―この本から学んだことはつづきとして書く― 

 

http://www.cheziguchi.com/kimura.htm

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2009年4月21日 (火)

安い物を買う心理と論理

 今朝のテレビ東京モーニングサテライトによると、ニューヨークでは、個人が不要になった食料品をに出品して売るフリーマーケットが人気になっているという。

 ほとんどは賞味期限切れの品物なのだが、安いので買いに行くのだそうだ。佐々木キャスターもジュースやマシュマロなど普通なら7000円分のものを半額程度で買えたと言って机上に一杯並べて見せていた。

 ニューヨーカーたちは期限切れなどについて気にしないそうである。金融・経済危機で人々の考え方も変わってきたのであろう。

 そういえば、ニューヨークではホームレスではないのに、スーパーやレストランが期限切れで捨てた食品を拾って来て食べる人たちが増えているということを以前に書いた。こちらは”食べられるものを捨てるのはもったいない”という考えの人たちの行動である。

 日本でも、中古品がよく売れるようになったり、修理に出して長く使うようにしたり、作り直しをして使うなどの傾向が出ていることは以前にも書いた。

 かつて高度成長期には、使い捨てが当たり前であったのに、バブルがはじけ、更に大恐慌に見舞われて、若い人々も含めて人々の意識が大きく変わったことを覗わせる。

 昨年9月のリーマンショック以前は、インフレが心配されていたが、ここにきてデフレが再び言われだした。

 安い商品を企画して何とか売り上げを伸ばそうといろいろと工夫をしているところが増えた。

 私は、昔から家族からは”安物買い”と言われてきた。「安物買い」には「安いけれど悪い」というニュアンスがある。高度成長期にはそのイメージが付きまとった。しかしバブルがはじけて人々の考え方が変わったように思う。

 私は、物を買うための努力は惜しまない。友人の中には、その時間がもったいないという人もいる。それは金があるか金を儲ける手段を持っている人の論理である。安い物を探す時間に儲けるというのも正論である。

 しかし、貧乏人には安い物を探すことも正論である。

 例えば、スーパーで100円の大根を別の八百屋で70円で買えるとしたら、例え多少遠くてもそちらに行って買う方が30%の節約になる。

 現在の金利は0.05%~0.17%ぐらいだから,それと比較してみるとどんなに高金利に相当するかがわかる。

 佐々木キャスターは50%安く買ったのだから、それだけで大変な金利を得たことになる。しかも、50%の残金は銀行に残っているとすれば、それにも僅かながら利子がつくわけだから、安い物を探すことはあながち時間の無駄とは言えないことになる。少なくとも貧乏人には唯一の高金利を得る手段となるのだ。

 安い店を探せば、魚でも野菜でも果物でも20%~30%ぐらいは安く買えることが多いし、衣料品でも大売出しとかディスカウントショップなどを利用すれば30%引き、50%引きさえある。

 安くて悪いものは買わないほうが利口だから、大事なことは品質を見分ける眼を養うことである。

 安くてよい物が値打ちな物である。低金利時代に生きる智恵として心がけたいと思っている。

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2009年4月19日 (日)

感動!光を失ってもミカンの木はみえるんだ

 17日の朝日新聞夕刊に「光を失ってもミカンの木は見えるんだ」という記事が載った。

 三重県南伊勢町のミカン栽培農家山川興一さん(68)という人の話である。ミカンの栽培にかかわって60年だが、19年前から眼が見えなくなったのだという。眼が見えにくくなって、それまで露地栽培をしていてミカンをハウス栽培に切り替えたという。ハウスなら道路に飛び出したり、斜面から落ちたりすることもないからだという。coldsweats01

 しかし、 眼が見えなくなれば、普通ミカン栽培などできなくなると誰でも考える。ところが山川さんは大変な努力をしてミカン栽培を続け、今では60本の木から、露地栽培並みの5万個のミカンを収穫するほどになったそうだ。収穫以外の作業はほとんど自分ひとりでこなすのだという。

 「眼で見えなくても、頭の中で木が1mm単位で見える。そうでなくては仕事にならん。」のだそうだ。

 それにしても信じられない。特に私などは目が見えても庭の植物さえ育てられない。生垣の剪定はするが、電気剪定鋏を使って大雑把に刈るだけである。

 いくら失明するまで30年間のミカン栽培の経験があるとは言っても考えられないことである。

 世の中にはいろいろな苦労を背負っている人が頑張っているが、山川さんもその中の最たる者の一人だと言えよう。

 NHKにプロフェショナルという番組があるが、山川さんもプロフェショナルの一人であると思う。朝日新聞がこういう人を取り上げたことに拍手をおくりたい。

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2009年3月23日 (月)

物を丁寧に作る精神

 今朝の中京テレビ、ウエークアップで、中谷巌氏が、バンパーの裏側まで磨く話を紹介していた。日本の自動車会社では、見えないバンパーの裏側までを磨くことに中国人留学生が驚いたというのだ。

 中谷氏は、それが日本人のよさで、結果的に故障のないメカに仕上がることにつながっていると言っていた。

 それで思い出したことがある。以前ベトナムに旅行したときのことである。ベトナムではバイクが洪水のように道路を走っている。その中で人気があるのは日本製だというのだ。

 ガイドに質問してわかったのだが、中国ではホンダのバイクにそっくりのバイクが作られていて、ベトナムにも輸入され販売されているという。外見も名前もそっくりで、価格は安いのだが、2年か3年で故障をしてしまうので、結局は中国製はよくないというのだ。

 ドイツ車でさえ故障が多く、イタリア車に到っては格好はよいが故障が頻発するそうだ。

 日本のバイクも車も故障が少ない。目の届かないところでもきちんと作ろうとする日本的発想の賜物であると思う。

 その日本的発想だが、それは長い日本の歴史の中で日本人に培われてきたものだと思うのだ。

 神代の昔から、自然を畏敬し、自然を大切にし、自然と共に生活してきた日本人は、物を大切にし、環境を簡素で清潔にする生活をしてきた。茶道、華道、書道、武芸、歌舞音曲、料理・・・・さまざまな分野で物を丁寧に扱い、大切にすることを心がけてきた。

 仏教では、便所の掃除を大切にする。学校教育でもトイレの掃除を生徒が行うし、教室や学校内の掃除も生徒が行う。

 昔、軍隊でも兵器の状態を最上に保つことや兵舎、艦内の清掃も強調されていた。

 こうした日本文化の伝統の延長線上に、バンパーの裏側まで磨くということがあるのだと思うのだ。

 こういう日本的精神はいつまでも大切にしたいものである。

 

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2009年3月20日 (金)

NHK番組プロフェショナルからー―中澤佑一に感動

  毎週火曜日の夜10時から、NHKプロフェショナルという大変興味深い番組が放送されている。脳科学者の茂木健一郎氏がキャスターを務めている。日本のさまざまな分野の優れた活動をしている人が取り上げられていていつも楽しみに観ている。

 最近放送された中から、幾つか取り上げたい。

 今週は、サッカー日本代表チーム主将の中澤佑一であった。彼は、「雑草から這い上がった選手」として紹介されていた。

 サッカーを始めたのが、小学校6年生のときだという。野球をやっていたのかどうかはわからないが、珍しくスタートが遅かったのだ。その上、サッカーが下手でいつも叱られていたそうだ。

 高等学校は公立でサッカーがそれほど強くも無いところを選んだ。レギュラーになれると考えたようだ。しかし、そこでも彼は下手な部類の選手であった。

 ただ、彼は自分が下手なことを克服するために人一倍の練習をしたのだという。高校時代の監督の話では、運動場での正規の練習が終わると、電灯がある体育館に行き、夜遅くまで練習を続けたそうだ。監督が音をあげて「俺にも家庭があるからせめて10時には帰らせてくれ。」と言ったというエピソードを披露していた。

 中澤は高等学校を卒業すると、自費でブラジルにサッカーの勉強に行ったが、そこでも1年で「下手だからもう練習しなくてもいい。」と追い出されたそうだ。

 彼自身が語ったところによると、高校の頃も含めて、ただ練習に明け暮れした。友だち連中が、遊びに行ったり、恋をしたり、カラオケをしたり・・・といったことをしているのにひたすら練習に打ち込んだそうだ。

 しまいには誰も彼を誘わなくなったという。

 そういう努力を重ねて”下手な選手”が20歳のときにJリーガーへのチャンスを掴んだのだ。

 以来、31歳の現在まで常に練習一筋でやってきた。練習場には誰よりも早くはいるそうだ。

 酒は一滴も飲まず、夜10時に床に就き、朝6時に起床するというストイックな生活を続けている。彼の風貌からは想像もつかないことだ。

 この番組を観て、彼のような人こそ、常人の鑑だと思った。それこそ文部科学省は道徳の教科書で取り上げるべきである。

 「雑草」つまり極普通の人が人知れず努力をして一つの位置をかちとったのだ。世の中には、人並み優れた才能を持っていてその上に人一倍の努力をして高い位置に至る人はいる。それは、常人には望み得ないことである。

 彼の場合、謂わば、喩えはよくないが、駄馬が中央競馬で優勝したのと同じである。(そういえば競馬の世界にもそういうことがあったなあ。)

 彼のこれまでの生き方は、普通の人に「やればできる」という勇気を与えると思うのだ。この世界的大恐慌の中で、職を失った数多の人々、とりわけ将来ある若い人たちにも希望を与えるものだと思う。

 

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