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教育・生涯学習

2024年3月 4日 (月)

ベトナムのミンさんのメッセージ

 ベトナムのミンさんが書いたメッセージ。ミンさんは私が教えている学習者で昨年日本語検定N1に合格した。その後もさらに日本語の上達を目指して頑張っている。

 このメッセージはAIを使って書いたというが内容も日本語も素晴らしい。

 

はじめに

 この度は、日本の方々に私の日本語学習における経験をお話しし、皆様からのご協力を頂戴したくお願い申し上げます。

日本語学習の重要性

 私たち外国人にとって、日本で生活するためには日本語は非常に重要なツールです。しかし、日本語は複雑で難解な言語であり、記憶も難しいため、常に向上心を持って学習し続ける必要があります。

学習方法

 私は、日本語学習を始めた当初、日本語教材や日本語教師、ベトナム語教師から学びました。ある程度のレベルに達した後、漫画を読んだり、動画や映画、ニュースを見たりと、教材以外にも様々な方法で学習を続けました。

 会話による学習、そして私にとって最も効果的な学習方法と感じているのが、日本人の方との会話です。

それぞれの学習方法のメリットとデメリット

 教材を使った学習は、短期間で多くの単語を覚えることができますが、すぐに忘れてしまうというデメリットがあります。一方、映画などを通して学習する場合は、同じ時間内に覚えられる単語は少なくなりますが、記憶に残りやすいというメリットがあります。

記憶に残りやすい学習方法

 単語を記憶するには、定期的な復習だけでなく、その単語がどのように印象付けられたかが重要であると私は考えています。

日本人の言葉から学ぶ

 日本に来たばかりの頃、私は「入力」という漢字を「入か」と間違えて発音したことがありました。すると、日本人の友人が「ミンさん、これは『入力』ですよ」と教えてくれました。そのおかげで、私はその漢字を二度と忘れることはありませんでした。

 その後も、このように直接的に間違いを指摘して頂いた経験は、教材を使った学習よりも記憶に残りやすく、日本語学習の大きな助けとなりました。

日本人へのお願い

 私にとって、出会う日本人の方々との会話は、常に日本語学習の機会です。しかし、会話の目的は情報交換であり、互いを理解することであるため、必ずしも正しい文法や完全な文章で話す必要はありません。

 日本人の方々は、文脈から私の伝えたいことをすぐに理解し、話が途切れないように、たとえ私が文法的に間違っていたり、中途半端にしか話せなくても、正しい意味で理解し、話を続けてくださいます。

 そのため、私は自分の文法の間違いに気づかず、中途半端に話す癖がついてしまいました。これが、私の日本語がなかなか上達しない原因の一つだと考えています。

具体的なお願い

 そこで、日本人の方々にお願いがあります。外国人との会話の中で、文法的な間違いを見つけた場合は、優しく正しい文法で言い換えて頂けると幸いです。

 そうすることで、私たち外国人はすぐに間違いに気づき、しっかりと記憶することができ、皆様の温かいご指導に感謝することでしょう。

 長い目で見て、そのようなご協力が、私たち外国人の日本語上達に大きく貢献すると信じています。皆様のご理解とご協力を、心よりお願い申し上げます。

 

2023年4月 7日 (金)

日本の大学の世界ランキングが低迷

 4日の朝日新聞に「沈む日本の大学順位」という記事があった。実際の順位は載っていなかったのでネットで検索したら、39位が東京大学、63位が京都大学、201~250東北大学、251~300大阪大学、301~350名古屋大学(2022年10月12日)とあった。ずいぶん低いのだなあと思った。

 記事には3人の人が意見を述べていた。千葉大工学部出身のトレーラー運転手の佐藤さんは「研究したくても金銭の壁」、鈴鹿医療科学大学の豊田学長は「教員減り 停滞するろんぶんすう」と言い、ランキングは教育や研究、論文がどれだけほかの論文に引用されたかで評価するが、日本はその量と質、ともに低迷しているのが現状だという。前国連大学学長のディビット・マーロンさんは「大学数多すぎ 役割再考を」と言っている。

 ネットで大学数を調べたら、2021年に前年より8校増えて803校と出ていた。2022年は790校と減っていた。資料によっても違いがでるし、学生募集を停止していても剤先者がいる大学、大学院ののみの大学が含まれるという。

 それにしても日本の大学の数が多いのに驚いたし、名前を知らない大学がいっぱいある。

 5日の新聞には、「市大の新設抑制へ 審査厳格化」という記事があった。2025年以降の私立大学新設の設置基準を厳格化するというのだ。18歳人口が減少しているためという。今でも私立大学を新設するというのも驚きであった。

 こうしたなか5日の新聞には「世界トップレベルの研究力を目指す大学を作る「国際卓越研究大学」の初めての公募に、東京大学や早稲田大学など10校が応募したとあった。今後数校にしぼり、1校当たり年に数百億円の支援をするという。

2023年1月22日 (日)

教員になり手がなくなっているという

 教員は戦前から戦後しばらくの間は「聖職」と言われていた。私が教員になった昭和37年頃でもまだ「聖職」とみる人が父母の中にいたように思う。

 「聖職」というと聞こえはよいが、詮ずる所安い給料で働かせるための言い草であったように思う。「聖職」だから金のことなど言うべきではないという雰囲気があった。

 教員は教職員給与特措法によって残業手当を出さないという仕組みになっていて、私はその中で働いてきたが、それが今も続いている。政府はこの四月の新年度に見直しを始めるという。

 見直しをするのは教員のなり手が年々少なくなっているからだ。教職員採用試験の受験者の減少が続いているのだ。驚いたのは大分県では23年度公立小学校採用試験で、採用見込み数200人に対し、受験者数は198人と定員割れとなったという。合格者数は159人と採用見込み数を大きく下回ったそうだ。

 大分県の公立小の女性教員は「人が足りず、現場はぎりぎり、長時間労働で何とかまわしている。みんなが定時で帰れるぐらいの仕事量にならないと、なり手は増えないのでは」と朝日新聞にあった。

 教員の仕事が多岐に渡り、部活や事務などが問題視された。部活については外部委託が見当されるようになったと聞くが、実態はどうなのか。事務については現職の頃がら大変だと言われてきた。何とかそれをこなしてきたが大変であった。

 成績処理などを家に持ち帰っていたが、通勤の電車の中でもテストの〇付けをしていた。通知表も家でやっていたが、今と違って問題視されなかった。それは当たり前であったのだ。

 授業の準備や研究もすべて時間外であった。それに驚くべきことだが有給休暇も取らせてもらえなかった。組合はそれを黙認していたので、名古屋では有志が有給休暇を取らせろという闘争をした。私が有給休暇を取ったのは退職直前の夏休みにカナダ旅行をしたときであった。

 今の教育現場を知らないが、新聞等で見ると私の頃よりもっとひどくなっているようだ。だから教員という仕事に魅力がなくなって教員のなり手がなくなっているのだ。

 教育は大事である。国の将来に関わると思うのだ。明治政府は日本の将来を見据えて教育政策を土台に据えた。今また見直すべき時に来たと思う。

2022年5月 8日 (日)

教員の多忙さの生々しい現状

 現役のころずっと続けて来た児童言語研究会(略称 児言研)の名古屋支部の便り5月号が届いた。私の退職後26年、その間も後輩たちがずっと研究を続け、会を維持してくれているのだ。その便りにSさんのメッセージが載っていた。教員の生々しい実情を伝えているので以下にコピペする。
 

 ”現役の皆さんは超多忙な日々と思います。私の知り合いのT先生は「泣きたいほどの忙しさ」と。校務分掌で情報担当となり、新学期には子どもたちのタブレットの更新作業に大変な時間がかかるそうです。
 

 更新作業に加えて、タブレットの過不足、修理の必要はあるかなど、とても面倒なのだそうです。ICT支援員をきちんと配置して欲しいものです。
 

 非正規を長く経験し、念願の正規採用となって7年目くらいのY先生は、「今担任している6年生を卒業させたら退職し、転職する」と言って、私は衝撃を受けてしまいました。真面目で誠実なY先生は2年ほど前から校務分掌の仕事が多く、忙殺されていると言ってはいたのですが、「今は耳鳴りもするようになったのでもう転職を決意した」とのことでしが。
 

 学級の子どもたちとは楽しくやれていて、保護者とも問題はないのに、転職の決意にまで至ったことは本当に辛いのだろうと、気の毒でなりません。
 教員不足がテレビや新聞でほうどうされるようになりましたが、一刻も早く改善 して、多忙化解消をしてほしいと切に願います。”
 

 情報化時代で児童や生徒たちに一人1台のタブレットが貸与されるようになったと聞く。宿題などもタブレットでやるようだ。便利にはなったが、それを管理するのが大変な業務だということは知らなかった。事務員を増やすなどして対応すべきであろう。
 

 憧れの教員になったのに、超多忙な教員の仕事に体を壊して心も耐えられなくなり辞めなければならないとは何という悲劇であろう。26年前に退職した私には想像もつかないことである。

2021年12月 3日 (金)

朝日新聞連載「いま先生は」に期待すること

 60歳で定年退職をして26年。学校現場のことは全くわからない。新聞やテレビで教員の仕事が大変だと報じられるので知る程度である。

 今度朝日新聞では「いま先生は」という特集を始めた。その理由として、「定額働かせ放題」とも言われる教員の長時間労働。その実態を伝えるためにこの連載を始めたと述べている。期待を持たせる連載である。

 今の学校現場では毎日事務作業に追われて、教員本来の仕事である授業の準備をする時間が取れないという。本末転倒もいいところだが、なぜそうなってしまったのだろうか。

 私が現職で勤めていたときも、教員の仕事は多岐に渡り大変だと言われていた。学校の各種行事の、運動会、学芸会、展覧会、入学式、卒業式、修了式、保健指導、給食指導、給食費集金、清掃指導、生活指導、家庭訪問、競技会、テストと成績、通知表、指導要録作成・・・。

 長い間印刷物は全てガリ版によって作り、謄写版印刷をしていた。それが普通の紙にペンなどで書き、複写機で印刷できるようになってかなり楽になった。退職近くなってワープロ機ができ少し便利になった。

 今はパソコンで事務処理をし、メールやLINEなども活用しているのだろうと想像するが、便利になったように見えて却って事務量が増えたのであろうか。

 以前にも書いたことがあるが、学校や教育委員会などによる研修の他に、自分で研鑽しようという教員たちは民間教育研究会で研鑽した。

 私の場合は、児童言語研究会、作文の会に所属をして国語をメインに勉強をした。その他に数教協の算数指導法、科教協の理科の指導、学校体育研究会の体育指導、生活指導研究会なども勉強をした。そうした自主研究は授業後や土日や帰宅後のことであった。

 夜遅くまで学校に残ってやる教員もいたが、私は自宅で夜遅くまでやった。今の教員のことは分からないが、授業の準備を自宅でやるにしても、自らがやるので苦痛ではなかった。それに研究会には大勢ん仲間たちがいて学び合い、励まし合うことができた。

 研修というのは強制されてやるのではなく、自主的にやるもので、それができる環境が大事だと思っている。

 今の学校現場は事務的な仕事や本来の業務ではない仕事で追われているというのはあるべき姿ではない。

「いま先生は」の連載では、やりがいのある、必要なことだけをやれる学校を作る手助けをして欲しい。

2021年7月19日 (月)

IT時代で手狭になった教室

 16日の朝日新聞に「教室『もっと広く』文科省が通知へ」という記事があった。今春から小中学生に原則1人1台の情報端末が配備され、より大きな机が必要になり、教室が手狭になっているからだという。

 多くの学校で必要になる老朽化対策と一体で教室の拡大を行うことを提案するという。直ちに対策が必要な築40年以上の公立小中学校は、昨年時点で約46%に上るという。

 これまでの机の面積は60cm×40cmだったが、新規格では65cm×45cmにするそうだ。その他に電子黒板や保管庫を置くスペースも必要だ。

 この記事を読んで、二つのことを思った。その一つは60年ほど前に教員になった時のことだ。知多の田舎の学校で最初の年は児童数が35人ぐらいだったが、次の年には49人を受け持ったことを思い出す。教室の前から後ろまでぎっしり机がならんだ。

 児童数が増えた理由は愛知用水の工事であった。工事関係人が家族連れできたので一気に増えたのであった。

 その後も学級定員はずっと40人以上で、名古屋に転勤しても退職するまで定員は変わらなかったように思う。

 もう一つは、パソコンのことだ。退職まじかになって学校にパソコンが入った。まだWindowsの初期のパソコンであった。パソコンのために教室が1つ用意され、週に1回ずつ児童がパソコンに触ったが、パソコンは確か2台ぐらいで、グループで交代にパソコンに触れた。パソコンを操作すると言っても、起動したり、ソフトを立ち上げたりすることであった。パソコンが1台50万円もしていた時代である。教員の中でもまだワープロが全盛時代であった。

 あれから28年ぐらい、今やタブレットパソコンを1人1台という時代になったのだ。今の学校の現状は全く知らないが、今の子どもたちはパソコンやスマホを扱う子が多いと思うし、インターネットも自由に使えるのであろう。まさに隔世の感がある。

 IT時代になって、それに応じて教室の広さも変わっていくのだ。

2021年6月 1日 (火)

教員免許更新は即刻廃止ずべし

 30日の朝日新聞に教員免許についての特集記事があった。安倍政権時代の2009年から教員免許は10年ごとの更新を義務付けられてきた。更新するためには一定期間の講習を受けなければならない。

 忘れていて更新をしないと免許を失い教員をできなくなる。しかしうっかり失効で免許を失う教員がけっこういるという。

 その講習だが、教育委員会が行う研修と内容が重なることがあるという。また講習は土日や夏休みなどに自費で受けなければならず教員の負担が非常に大きい。

 免許の更新が必要なのは運転免許と教員免許だけで、医師、弁護士、保育士などは更新がない。

 どうして教員免許だけ更新が必要なのだろうか。しかも10年ごとにやらなくてはならないのだ。日本以外では米国だけが更新制度があるがその他の国ではない。

 私が教員をしていた頃は教員になると4月すぐに新任教員の研修が行われた。その後も年に何回か教育委員会などの研修会があった。

 そういう研修会を官制研究会と呼んでいた。それに対し、自主的な研究組織があり、民間教育と呼んでいた。児童言語研究会、作文の会などや社会、理科、算数、音楽、体育、英語などさまざまな全国的な民間研究グループがいろいろあった。

 それぞれの民間研究グループは、児童生徒を大事にする教育について日夜研究を重ね、研究成果をまとめた雑誌や書籍や夏休みを利用して開く全国的研究大会などで一般にも広げていた。

 私は国語の研究をする児童言語研究会と作文の会に属して研究をした。それ以外に算数は遠山啓先生の指導法、水泳はドル平泳法・・・というように、属していない研究会の指導法を自分で学んだ。

 また、日教組は指導法研究会を持ち全国的に研究を進めていたが、文部省などからは嫌われていた。

 教員の多くは官制研究会、民間の自主的研究会、組合の研究会などそれぞれが自分で選んで指導法の研鑽をしたのであった。

 記事では、早稲田大学の由布佐和子教授が「制度を廃止し自主的な学びを」とコメントしているが、その通りである。教員は自主的に研修することが大事なのだ。それを安倍政権は免許更新という名目で一律に押し付けの講習を義務付けたのだ。狙いは安倍政権が望むヒラメ教員を造成し、いつかは戦前のような教育にしたいという深慮遠謀があるのではないかと勘繰るのだ。

 教員免許更新制度はすぐにでも廃止すべきである。

2021年4月20日 (火)

日本語教室が再開してすぐキャンセルに

 17日の土曜日、愛知国際プラザの日本語教室が久しぶりに再開されるというので、1日中雨が降るという天候であったが出かけた。会場について手の消毒をし検温をした。新学期なので受付をすませた学習者が8人いた。

 そこへ日本語教室の課長がやってきて、「20日から愛知県にまん延防止等重点措置が適用されることになったので、来週からの日本語教室は中止になるだろう」と言った。詳しくはホームページで知らせるのでそれを見るように来た学習者に伝えて欲しいと言った。それで私が英語でその旨を伝えた。

 ただせっかく来たのでその日は授業をすることは構わないということであった。私が教えていた学習者のINさんも来ていた。11人来た学習者をボランティアが分担して授業をした。

 私の教えるINさんは、国際プラザで開催する日本語教室に火、水、金、土の午前午後も申し込んでいた。どうしてそんなにやるのかと尋ねたら早く日本語が上手になりたいからだと答えた。

 授業後ボランティアの打ち合わせがあった。課長が参加して、対面の日本語教室ができなければONLINEでやるつもりだと話した。これまでに5回、ZOOMの勉強会を持って希望するボランティアでONLINEでやれるように準備をして来た。
金曜日の午後にやる予定が決まっていたが、我が土曜午前のクラスでは土曜日にやりたいと希望を出し、OKとなった。

 新型コロナウイルスはいつ終息するか全く見当がつかないので、対面式の従来の授業は今年中は無理だろうという。今年はONLINEでの授業にトライすることになりそうだ。

2021年2月23日 (火)

形容動詞という呼び方

 中学校で初めて文法というものを習ったと記憶するが、様子を表すものを学校文法では形容詞と形容動詞という分け方をしていた。

 美しい、おいしい、楽しい…というような語句が形容詞の仲間で、きれいな、静かな、親切な…のような語句が形容動詞と呼ばれている。

 どうして形容動詞というのかは知らなかったが、習ったままにそういうものだと覚えていた。

 日本語教室で外国人に日本語を教えるようになって、外国人向けには語句の形で見分けられるように、イ形容詞,ナ形容詞と呼んでいることを知った。「美しい」は言い切りの形がイで終わっているのでイ形容詞で、「静かな」は言い切りの形がナで終わっているのでナ形容詞である。とても分かりやすい。どうして学校文法では難しい呼び方をするのだろうと思ったものである。

 「日本語びいき」(清水由美著 中公文庫)を読んでいて、その由来を知った。形容動詞はむかしナリ活用だった語句の仲間で、ナラズーナリーナルーナレバーナロウのようにラ行動詞の活用に似た変化をする。それで意味は形容詞だが変化が動詞みたいなので形容動詞と呼んだのだと説明してあった。

 外国人向けの日本語文法を考えた人は誰だか知らないが、イ形容詞,ナ形容詞と名付けたのは凄いと思った。

 50年ぐらい前に、国語学者の大久保忠利先生から、国連に登録されている日本語文法が当時400以上あるということを聞いたことがある。エッ、そんなにもあるのと驚いたので今でも覚えている。

 有名なのは橋本文法、時枝文法で、文部省は学校文法を使っていた。しかし、いずれも形容詞、形容動詞という品詞分類をしていた。せめて学校文法には、イ形容詞、ナ形容詞という呼び方を取り入れたらよいのにと思う。

2021年1月17日 (日)

中国人母親が見た日本の幼稚園のよいところ

 newspassを見ていたら「恐ろしい! 日本は『中国で軽視されがちなこと』を子どもにちゃんと教えていた」という記事があった。中国メディアの快資訊が載せたものだ。
 

 中国では「子どもの未来は祖国の未来」とよく言われ、多くの親が子どもの教育に力を入れている。しかし、中国と日本では幼児教育も大きな違いがあるという。
 

 この母親の見るところでは、日本の幼稚園は「生活力」を培わせている点が中国と大きく異なるという。生活力には、靴の履き方、整理整頓、手洗い、箸の使い方、トイレ、あいさつ、「ありがとう」や「ごめんなさい」と言うことの大切さなどが含まれると紹介している。

 確かに日本では靴の履き方、靴箱へのしまい方、身の回りの物の整理整頓、手洗い,箸の使い方、鉛筆の持ち方、トイレ、挨拶、、「ありがとう」や「ごめんなさい」・・・・もろもろのことを家庭も含めてきちんと教える。小学校でも低学年のときにさらに教える。

 こうしたことはいずれも中国の幼稚園では軽視されがちだという。私は中国の幼児教育は知らないので意外な感じを受けた。

 次に、日本の幼稚園における最も重要な学習は「遊ぶこと」だと指摘。遊びを通じて体力を養い、「人間関係や生活環境に溶け込み改善することの意識」、「言葉によるコミュニケーション」を学ぶことを紹介している。中国では国語や算数などが最も重要な学習と考えているという。
 

 このほか、幼稚園では雨の日を除いて毎日近くの公園へ散歩に行くと紹介。外で遊ぶことで自然に接する機会があると同時に、子どもは小さな怪我をよくするものだと指摘した。しかし、日本の保護者は子どもが「ちょっとした傷」を作ることに怒るどころか、「自分を守ることを学べるので良いことだ」と考えると伝えた。これは、子どもが傷を作ろうものなら激怒する親が多い中国とは大きな違いと言えるという。

 確かに買い物に行く途中で公園を通ると保育園児が保母さんに連れられてやってきて遊んでいる。日光を浴びて遊ぶことはとても大事なことだ。

 子どもの傷についての考え方の違いも面白い。日本では昔から遊んで傷を作ることで叱られることはなかった。
 

 公園に行くことで道路の横断の仕方など交通ルールを学ぶこともできると称賛。こうした教育のおかげで、小学校に入ると自分で登下校できるようになると感心している。中国には小学生の集団登校はないのだろうか。

 この母親は日本の幼稚園に子供を入れてよかったと思っているようだ。

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