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面白い話題

2022年9月24日 (土)

晩酌は日本の飲酒文化

 Yahooニュースを見ていたら、Presidennt onlineの記事で「『毎晩1人で酒を飲む』なんてあり得ない…日本の『晩酌文化』が海外から不思議がられるワケ」というのがあった。
 

 日本と海外の飲酒習慣は大きく異なる。一橋大学名誉教授の都留康さんは「海外ではお酒はパーティなどの『特別な日』に飲むものだが、日本では日常的に家でも飲む。1人で、または配偶者と飲むというのもあまり海外では見かけない」と書いてあった。
 

 内容は、都留康『お酒はこれからどうなるか』(平凡社新書)の一部を再編集したものだとあった。

  流行語にもなった「家飲み」というコトバは、コロナ禍の感染拡大で飲食店などで酒類を飲めなくなったので家で飲む人が増えたことでできたという。
 

 「家飲み」とは、本来は「家での飲み会」の略であり、家に友人・知人が集まってお酒を飲むことを意味していたそうだ(注:「日本語俗語辞書」)。家での飲み会だったというのは知らなかった。
 

 日本にはもともと「晩酌」というコトバがあった。「酒を飲むか」と尋ねられると「僕は晩酌している」などと返事をする。自宅で1人または家族とお酒を嗜むことをのが「晩酌」だが、新型コロナウイルスの感染拡大によって、「晩酌」は「家飲み」に包含させられてしまった。今では、1人でも、家族とでも、友人・知人とでも、自宅で飲む場合には「家飲み」というようになっているというのだ。
 

 海外では、ホームパーティや「特別の日」以外に、1人でまたは家族と夕食時に頻繁に家飲みする文化は存在しないようだという。

 「アルコール消費量が多いと言われるロシアでも、お酒はお祝いの日に飲むもので、理由も無くお酒を飲むことはありません。」というロシア人のコトバを紹介している。
 

 隣の中国でも、「中国人の飲酒目的は、社交、お祝い、接待などである。つまり、お酒を飲むには何らかの特別の理由や目的がある。これを行うのは飲食店においてであり、このため外飲みが主体となるわけだ。」という。
 

 大手食品メーカーのマルハニチロ株式会社によるアンケート調査(2014年実施)によると、「週に1日以上お酒を飲む人の『外飲み』が20.9パーセントなのに対して、『自宅飲み』が88.9パーセントと圧倒的に多い。しかも、『自宅飲み』の頻度は、『ほぼ毎日』が30.6パーセントを占め、週に2~3日以上まで含めると、67パーセントにも達している。」という。
 

 この調査はコロナ禍以前だから今はもっと増えているものと思われる。
 

 私は若い頃から「晩酌派」である。高齢になった今は酒量は減らしているが毎晩夕食時に嗜んでいる。晩酌は日本の文化なのだ。飲酒についてはそれぞれの国や民族に固有の文化があるのは当然のことである。海外から不思議がられるというが、逆に日本から見ると、海外の飲み方が不思議である。「晩酌文化に乾杯!!」

 蛇足 いつの頃からか「飲みニケーション」というコトバができたが、酒はコミュニケーションツールでもあるのだ。

 

2022年9月 7日 (水)

ジムの利用アンケート

 3日の朝日新聞「be」に「スポーツジムを利用していますか」という調査記事があった。それによると、「はい」が18%で「いいえ」が82%であった。
 

 知人にはスポーツジムを利用している人が多いので、ジムを利用している人はもっと多いと思っていた。この数字は意外であった。

 私はというとジムを見たこともない。一度もジムに行きたいと思ったこともない。ジムを利用していない人の理由は「お金をはらいたくない」が48%で一番多い。私もジムに行こうと思ったことがない理由は「お金をはらいたくない」である。毎日ウオーキングを続けて来たのもジムに行かなくてもウオーキングをしていればよいと思ったからである。

 ジムを利用する人の理由の一番は「運動不足の解消」でこれもダントツである。ジムに行けばいろいろな設備かあり、ウオーキングだけよりも筋力を鍛えるなどの運動ができるとは思う。私の場合筋力がないので、ジムに行って鍛えるのもよいと思うがこれまでウオーキングだけで41年間過ごしてきた。

 ジムに行っている人の理由の中に「ダイエット」と「仲間ができる」があった。確かにダイエットを目指すならジムでそのためのメニューをこなすのがよいだろう。「仲間ができる」というのはそれも理解できる。実際ジムに行っている知人たちも仲間を作っている。

 ジムに行かない理由の中に「感染が怖い」というのがあったが、コロナ禍の中での調査なのでそういう答えがでてきたのだが面白い。

 ジムに行かないと答えた人がやっている運動は近くを散歩が一番多い。私と同じである。手軽な運動としてはウオーキングがいいのだ。「近くをジョギング」「仲間とスポーツ」は少ない。

 ジムを利用する頻度は「週に3日程度」が37%、「週に1回程度」が27%「ほぼ毎日」が19%であった。

 ジムに行かない理由では2番が「時間がない」で3番が「近くにない」であった。「運動が嫌い」というのも15%いるので驚いた。

 

2022年9月 3日 (土)

良妻賢母という思想

 「良妻賢母」というコトバは昔はよく見たり聞いたりしたが、いつの頃からかあまり見聞きしなくなった。

 8月28日の朝日新聞の「1920s~2020s」という記事の中で、京都大学の落合恵美子教授(家族社会学)が「家事と育児を担い、家庭を守るのが女性の最も大切な役割だとする良妻賢母思想は、明治期に西洋から入っていた『ハイカラ』な考えだったのです」というコトバが引用されていた。久しぶりに見るコトバであった。

 良妻賢母という思想が西洋から移入されたものであることは知らなかった。日本の儒教から来たものだと思っていた。

 ネットには別の解説もあった。(ソフトブレーン)
「実はこの『良妻賢母』こそ、大いなる誤解です。皆さんはご存じないと思いますが、この『良妻賢母』のもとは中国にあり、語源は『賢妻良母』なのです。なぜか日本では都合よく逆に変えられたのです。」とあった。

 さらに「中国では奥さんとは夫、子供、そして家族や親戚との関係を上手く処理し、孟母三遷が示すように教育にも深い理解があり、旦那の良き理解者でありながら耳に痛いアドバイスも上手くできる人のことです。このような役割は企業の副社長や専務と同じであり、自分の価値観をしっかり持ちながらも矛盾やトラブルを解決する賢い人でなればとても勤まりません。」と続けてあった。

 良妻賢母は中国とも関係がありそうだとわかったが、この思想は女子が尋常小学校卒業後に進んだ高等女学校の教育目的になった。

 文部大臣の樺山資紀が明治32(1899)年の地方視学官会議において,「高等女学校ノ教育ハ其生徒ヲシテ他日中人以上ノ家二嫁シ,賢母良妻タラシムルノ素養ヲ為ス二在リ」と述べており,高等女学校には,良妻賢母の育成が期待されていたことがわかる。
ここでは「賢母良妻」と「賢母」が先に使われている。「良妻賢母」なる言葉はいつどのようにして広まったのであろうか。

 私の母はまさに高等女学校で良妻賢母の教育を受けた最初の頃の世代であった。主婦として家事の切り盛りをし、私たち子どもを教育した。戦時中は良妻賢母は忠君愛国のように大切な女性のモラルであった。

 戦後は新憲法によって男女平等がうたわれたが、真の意味の男女平等の思想が普及するには長い時間を要している。その時間の中で「良妻賢母」はフェイドアウトして行った。

 

2022年7月28日 (木)

セミの抜け殻、「空蝉」

  戻り梅雨?が明けて、どこへ行ってもセミがうるさく鳴いている。アブラゼミかクマゼミか両方が一緒に鳴いているのか。セミの鳴き声は真夏の風物詩だ。
 

 我が家の庭に出たらそこここにセミの抜け殻があった。庭にはたくさんの穴があいている。
 

 面白いと思ったのは、セミの抜け殻がとまっている位置である。一番低いのは50cmもない葉っぱにとまっている。高いのは3mほどの所にとまっている。
 

 蝉の幼虫は夕方に穴から抜け出して殻を脱ぐところまで登っていくと聞いたが、穴から抜け出すところを見たことはない。
 

 我が家の庭のセミはアブラゼミとクマゼミだと思うが、抜け殻かはわからない。夜庭に出て観察すれば殻を脱ぐところを見ることができるのだろうが一度も試みたことはない。
 

 いろいろな高さのところで殻を脱いだ写真を撮った。どういう訳か金柑の木に多い。登りやすいのだろうか。
 

 今日知人の書道展を見に行ったら「空蝉」という作品があった。意味はセミの抜け殻だという。このコトバは高校時代に源氏物語に出て来るので習ったがセミの抜け殻だということは知らなかった。
 

 ネットで調べたら、蝉の抜け殻の様子から、古来よりむなしいさま、はかないさまの例えとして使われてきたという。形はあっても、中が空っぽなのでそのように感じ取られてきたのだろうという。
 

 語源は『現(うつ)し人(おみ)』とされているという。つまり、現実世界に生きる人間のことである。
 

 仏教の思想では、人間の生は、とてもはかなくむなしいものだと捉えられてきた。それゆえ、『うつしおみ』の発音が変化した『うつせみ』という言葉が、抜け殻となって空洞である『空蝉』の文字があてられたのだそうだ。

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          一番低いところの空蝉

 

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       これも低いとこトロの空蝉

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          2mぐらいの所にたくさん

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      金木犀にとまった一番高い空蝉

 

 

2022年6月25日 (土)

「勘考」は名古屋弁?

 ハガキを交換している旧友から来たハガキに、奥さんが料理を作りながら「勘考、勘考」と独り言を言っていると書いてあった。それを読んだとき「勘考」というコトバを聞くのは久しぶりだと思った。おそらく何十年ぶりだと思う。

 子どもの頃父母は使っていたように思うし、夏休みに母方の祖父母の家に行くと親戚の人もみな使っていた。だから「勘考」は自分にとってなじみの深いコトバである。

 「勘考」というのはよく考えるということだから標準語だと思っていたが、ネットで調べたら愛知県西部を中心として岐阜県や三重県の一部でしか使われていない方言だという。愛知県以外の人には分からないだろうと書いている人もいた。

 「ちゃんと勘考して作るんだよ」
 「よう勘考してやりゃあよ」
などと使う。

 旧友の奥さんは80歳だが「勘考」を使っているのは珍しい。でも、「勘考」は短いコトバなので使うには便利だと思う。

 私の父母は名古屋地方出身なので和歌山県に住んでも家では「勘考」を使っていたのだ。

 ちなみに、便所のことを「勘考場」と言っていた。面白い表現だと思う。トイレで用を足している間いろいろ考えることがあるからだろう。

2022年6月22日 (水)

叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな

 「叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな」という俳句が頭に浮かんだ。誰がつくった俳句か知らなかったのでネットで調べたらなんと夏目漱石だと分かった。
 

 ちょっと滑稽なところがあり、小林一茶なら作りそうな俳句である。家庭にある小さな木魚では中に蚊は入らないだろうと思っていたら、解説にはお寺の法要の時のことを詠んだものらしい。お寺の木魚なら大きいから中に蚊が入るかも知れない。
 

 僧侶がお経を読みながらポクポクと木魚を叩いたら中にいた蚊が飛び出してきたというのだが漱石はそれを目撃したのだろう。そうでなければ想像だけでは詠めない。そう思っていたら、やはり漱石が法要で見た情景を洒落を込めて詠んだとあった。漱石は落語が好きだったので、ユーモアのある俳句になったそうだ。
 

 ところで江戸時代に大田南畝(蜀山人)が「叩かれて蚊を吐く昼の木魚かな」というのがあるそうで,発想はそっくりである。漱石がその句を知っていたのかどうかは分からないが、偶然にしたら奇跡的なものだ。
 

 ちなみに、漱石の句は「昼の蚊」に焦点があり、蜀山人の句は「蚊を吐く木魚」に焦点があるという解説があった。その通りだと思う。
 

 江戸時代にも法要で目撃されているのだから、お寺の木魚には蚊が潜むことがよくあったのかもしれない。
 

 お寺の周りはたいてい藪や木に囲まれているし、池もあるから水もあちこちにあり蚊が繁殖するには好適地である。蚊は気温が25度を超えると、卵から成虫まで10日で成長するものもあるという。また、少しでも水たまりがあれば、卵を一度に100個も産卵するそうだ。だから蚊が本堂に入り木魚に隠れたとしてもおかしくはない。

2022年6月14日 (火)

日本人がお辞儀をするのは・・・チコちゃん

 11日の「チコちゃんに叱られる」で「日本人は何故お辞儀をする?」というのがあった。
 

 「チコちゃん」によると、世界中でお辞儀をするのは日本人だけだそうだ。では、なぜ日本人はお辞儀をするのかについて、チコちゃんは「学校教育に武士の作法を取り入れたから」と言った。

 明治時代になると、現代のおじぎにつながる大きな変化が起きた。それまで畳中心だった生活が、イスを使うようになり、武士の作法であったおじぎが、庶民の生活にも取り入れられていったのだという。
 

 明治15年、学校教育の礼儀を記した「小学諸礼式」には、座った礼を立った礼にする「立礼(りゅうれい)」の作法が書かれている。

 「立礼」には 最敬礼 及び 敬礼の二つあって、最敬礼は帽を脱して 左の脇に挟み 腰をかがめ 右手を膝に当て 拝す。
 帽を着せざる時は 腰をかがめ 両手を腰の上に当て 拝す。
 

 敬礼は 帽を脱して 少し傾く。帽を着せざる時は それ 頭を傾くのみ。とある。
 

 江戸時代に200以上あった藩を 1つの近代国家にまとめる際、全国民共通のあいさつとして学校で教えられたのが「おじぎ」だった。それで日本人は挨拶にお辞儀をすることを叩き込まれたのだろう。
 

 「最敬礼」というコトバを久々に聞いた。子どもの頃は戦時中だったので、学校で「最敬礼」という号令があった。記憶があやふやだが、御真影(天皇の写真)に礼をする時だったと思う。
 

 教室で授業の前に、「起立」「礼」「着席」というのは必ず行われ、それは戦後も続き、今でも行われているのではないかと思う。これを行うことによって、授業を受ける緊張感が作られたように思う。
 

 コロナ禍になって、外国では握手ができなくなり、握りこぶしをぶつけ合うようになったが、お辞儀は身体を触れないので心配がない。お辞儀は良い習慣だと思う。世界に広まるとよいと思う。

 

2022年6月13日 (月)

タクシーとハイヤー

 スマートニュースを見ていたら、「タクシーとハイヤーの違いとは?」という記事があった。
 

 私は若い頃にタクシーとハイヤーは違いがあるのだろうかと思っていた。育った南紀新宮ではタクシーとうよりハイヤーという方が多かったように思う、タクシーもハイヤーも区別していなかったと思うのだ。
 

 ハイヤーとタクシーは区別されると思うようになったのは40代頃だと思う。hireには雇うという意味があるから、ハイヤーは会社に電話をして頼んだ場合の呼び名だと思った。街を流しているのはタクシーだと理解していた。また駅などにはタクシー乗り場がある。ハイヤー乗り場はどこにもない。
 

 記事によるとハイヤーは、完全予約制だという。車体上部に社名表示灯ついているのがタクシーで、ハイヤーにはついていないという。
 

 完全予約制というが、タクシー会社にタクシーを頼むとタクシーがやって来る。ハイヤーを頼むには「ハイヤーを」というのだろうか。
 記事は「ハイヤーは格式ある乗り物というイメージもあるのではないだろうか。もちろん料金もハイヤーの方が高くなっている。」という。
 

 ハイヤーはどんな人がどんな場合に頼むのであろうか。その説明はなかったのが残念である。
 

 そこでGoogleに「ハイヤーとは」と入れて検索したら、もっと詳しいのがでてきた。ハイヤーは、タクシーと同様に、目的までお客さまを安全に送り届けるサービス。ハイヤーは運転手付きの貸し切り乗用車で、役員やエグゼクティブ向けの乗り物だという。
 

 ハイヤーは、乗車区間のみに料金がかかるのではなく、営業所を出て送り迎えが済んで営業所に戻るまでの運賃が請求される。もともと、ハイヤーは英語で言うと「hire」、つまり賃金を払って雇うことを指すとあった。

 「hire」から来ているのではないかと考えたのは間違っていなかったのだ。
 

 私は免許証を返納して早くも4年になるがタクシーの割引があるのに一度も利用したことがない。

 

2022年6月11日 (土)

ニイハオトイレ

 30年あまり前中国へ行ったとき、トイレに驚かされた。西安でデパートのトイレに入ったとき、小さな扉があるだけで、顔も足も丸見えであった。更に驚いたのはその扉を開けたままにして女性が用を足していたのだ。女性は隣のトイレの女性と話をしているのであった。

 小さくても扉があるのはまだましで、普通は扉はなかった。南京に行ったとき、トイレは昔の日本の男子便所のようなものであった。遮るものはなにもなかった。

 さきほどスマートニュースを見ていて、「かつて隣が丸見えだった…中国人が日本の「トイレ」でショックを受けた理由」という記事を見つけた。その記事によると丸見えトイレは「ニイハオトイレ」と呼ばれているそうだ。なるほど「ニイハオ」で挨拶をして会話が始まるのだ。

 この4年ほどは中国に行っていないので現在のトイレの事情は知らないが、記事によると2008年北京オリンピックぐらいから、都市部のトイレはかなり綺麗になったそうだ。

 その後中国全土で「トイレ革命」が推進され、トイレの近代化が急ぎ進められた結果、いまでは快適なトイレも増えているという。

 コロナ以前には中国人が大挙して日本観光に来ていた。彼らは日本のトイレが公衆トイレでも非常に綺麗で、中国のトイレと比べてショックを受けたという。

 そして日本で温水洗浄便座をたくさん購入し、親戚にも配る人がいたようだ。たしかに日本の温水便座は快適である。トイレに関して世界一の発明だと思う。

子どもの頃はボットン便所で農家の人がくみ取りに来て金を出して買っていた。便所は汚い、臭いものであった。

 今やどの家庭も水洗トイレでしかも温水便座である。中国は今でもトイレで使った紙を流せないところが多いようだ。

 

2022年6月 2日 (木)

早朝ウオーキングで出会う人

 私はウオーキングには雨が降りそうなときは歩きにいかない。傘を持って歩くのが嫌だからだ。でも、これまで40年間余、早朝ウオーキングを雨で中止にしたことは月に1~2回ていどである。早朝は意外と雨が降らないようなのだ。

 31日のことである。夜中に雨が降っていたが4時に起きたときはほとんど降っていなかった。スマホのアプリで調べたら5時ごろ降り出すと出ていた。

 5時ごろ再び調べたら「45分後に降り始める予報です」と変わっていた。外に出ると雨は降っていなかった。念のために傘を持って出かけた。

 1.5kmぐらい歩いて瑞穂区に入ると雨が少し振って来た。どうしようかと迷ったが、そのままウオーキングを続けて他の人たちの様子を見てみようと思った。

 私はいつもウオーカーやジョガーを見ながら歩いている。そして印象に残っている人にはあだ名をつけている。

 ジョギングをしている若い女性の「スリムチャン」は真っ先に逢ったが、いつもより遅い時間であった。毎朝出合う人は出発の時間がいつも同じと思われる人と私のように決まってない人がいる。スリムチャンは決まってないタイプだ。

 時間が決まっていると思われる「ちび爺」には逢わなかったから、雨で休んだのかと思った。歩いて行くと「タートルネックおばさん」が傘をさして歩いてきた。見るのは2か月ぶりぐらいであった。いつもは速い時刻なのにこの日は遅かった。

 「フー爺」が靴底をチャラチャラ鳴らしながら傘なしで歩いてきた。いつもより早い時刻であった。歩いて行くと予想通り「うっぜー」と名付けた男性が来た。皮をさして歩いていた。この男性は往きと帰りに必ず挨拶をするので「うっぜー」としたのだ。

 そのあとに「しず女」が傘をさして歩いてきた。雨が降っても歩いているのだと分かった。歩き方がしずしずとしているので名付けた。ちなみに「うっぜー」と「しず女」とこの日はまだ遭っていない「胸張りばあさん」は冬の時期は歩いていない。

 瑞穂スタジアムで折り返して戻って行った。反対側の道を傘をさして歩いて行く「ひんばあ2」と「あさい爺」を見かけた。この二人は雨でも歩くのだと思った。

 田辺公園のところには「変爺1」がいた。雨でも出かけてきて座っているのだと分かった。1年中早朝に来て、座ってカラスやスズメに餌をやっている。公園を掃除している人がいるが変爺は掃除はしない。

「西から爺」も歩いてきた。反対側の道を「胸張りばあ」と「キラキラばあ」が歩いていた。この二人はたいてい二人で大きな声でしゃべりながら歩いている。

 この日は首を傾げて歩く「葉山もどき」には逢わなかった。また、中年女性の「ボニイちゃん」も見かけなかった。ボニイちゃんは凄く痩せているのだ。ちなみスリムチャンとボニーちゃんの他に「スリムチャンもどき」の若い女性が2人いていずれもジョギングをしている。

 まだあだなをつけていない高齢男性で障害のためか左足を横にして歩く人も歩いていた。反対側を「デコちゃん」となずけた若い女性が走っていた。この人は気まぐれでいつもコースが決まっていない。

 こまかい雨が降っているのに歩いている人やジョギングをしている人は多かった。そのほとんどが新しい人たちであった。よく見かける人にはあだ名をつけてあるので区別がつく。

 いつの間にか顔を見なくなる人も結構いる。40年余歩いているが20年も見かける人はいない。でも、新顔が次々に現れる。高齢者もいるが若い人もいる。早朝ウオーキングではウオーカーやジョガーを観察するのも楽しみの一つである。

 

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