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面白い話題

2024年9月21日 (土)

文化庁の言葉の使われ方の調査

 メディアによると、文化庁の調査で、新しい擬音語・擬態語(オノマトペ)の浸透度が明らかになった。

 「時間や手間をかけずに終わらせる」という意味で「さくっと終わらせる」と使う人は56.2%だという。私は「さくっと」という語をこの記事で初めてしった。若者が使ってるのだろうか。

 「ふんわりと柔らかそうな」動物を「もふもふしている」と表現する人は52.6%だったという。私はこの言葉をテレビの動物番組で知った。いい表現だと思って我が家では夏寝るとき使うかけぶとんがもふもふしているので「もふもふ」と呼んでいる。動物以外にも使っている人はいるのだろうか。

 「筋金入りの車好き」という意味で「ごりごりの車好き」という人は20.0%にとどまったという。この言い方は知らなかったが、私には馴染まない。

 また、本来とは異なる言い方や意味で使われている言葉について、「間髪を入れずは本来「間、髪を入れず」とくぎるが、9割以上の人が区切らずに使っていたという。私もその一人で、若い頃から区切って言うのを聞いたことがないので区切らずに使っている。

 「綺羅星のごとく」も「綺羅、星の如く」と区切るのが本来の使い方だが、続けて言うひとが88.6%にたっしたという。私もその一人である。

 ちなみに、綺羅について調べたら、

 綺羅(きら)

 綺は綾織りの絹織物の意。羅は薄織りの絹織物の意。美しい衣服全般を指す。上記の意味から、美しい衣服で着飾っている人を指す。衣服だけでなく、権力者や優れた人に対しても用いる。

 上記のような人々が星のように多く集まっているのを形容して、「綺羅、星のごとく居並ぶ」と言う。「綺羅星のごとく」と綺羅と星をつなげて言うのは誤用であるが、現在では「綺羅星」と独立した単語として用いられる例も多数見られる。

 さらに、「失笑する」の意味については、本来の「こらえ切れずふき出して笑う」と答えた人が26.4%で、「笑いも出ないくらいあきれる」が67.0%もあったという。私は本来の意味で使っている。

 「悪運が強い」は、「悪い状況になってもうまく助かる様子」と答えた人が67.2%で、本来の「悪い行いをしたのに、報いを受けずにいる様子」とした人は24.3%だったという。これはどちらもよさそうな印象を受ける。

 言葉は時代と共に変化すうると担当者は言うがその通りであろう。

2024年8月24日 (土)

「彼の誰」と「誰そ彼」

 下の写真は22日の朝日新聞朝刊の「折々のことば」である。これを読んで”たそがれれ”というコトバの由来と、”かわたれ”というコトバがあることを知った。

 ”たそがれは”よく使われるので誰でも知っている言葉だと思う。でもそれが「誰そ彼」ということは知らなかった。人の顔を判別できないような夕刻どきからきているというのだ。面白いと思った。

 これに対し夜明け前の薄明を「彼は誰」(かわたれ)というのは初めて見る言葉であった。「たそがれ」と対になっているのも面白い。

 私は毎朝薄暗いうちにウオーキングに出かけるが、「かわたれどき」に行っているわけだ。このコトバは88歳も終わりごろになって初めて知ったのだが、どうして使われていないのだろう。夕刻は誰でも接するが早朝の薄明かりはなじみがないからなのか。それともたそがれに比べて語呂がよくないからなのか。

「山小屋の灯」という歌に「たそがれの灯はほのかにともりて・・・」と出て来る。また、私のような高齢者は神氏のたそがれともいう。

一方、「かわたれ」については以前早朝に乗鞍岳に行ったとき、山頂でご来光を待っているとはるか向こうの雲の縁が明かるくなり、朝日が昇って来たのがとてもきれいであったのを思い出す。

この二つのコトバによって、日本語の奥深さの様なものを感じた。知らない言葉はいっぱいあるのだろう。

 

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2024年8月17日 (土)

アゲハチョウと柑橘の木

 我が家にはハナユズとキンカンの木がある。毎日アゲハチョウが飛んでくる。アゲハチョウはハナユズがお気に入りのようだ。(下の写真)ハナユズの木に卵を産み幼虫(イモムシ)になり成虫(ナミアゲハ)になると飛んでいく。
 

 以前妻が幼虫を捕まえてきてリビングに置いておいたら成虫になったことがあった。ナミアゲハであった。アゲハチョウはもちろん逃がしてやった。
 

 アゲハチョウはどうして柑橘系の木を好むのかと思い、ネットで調べた。
 

 アゲハチョウの幼虫であるイモムシは、私たちの目にはどんな草木の葉でもムシャムシャ食べているように見える。ただ、実は彼らはグルメだ。
 

 アゲハチョウの仲間にはたくさん種類がいるが、その中のナミアゲハの幼虫が食べている葉は決まってミカン科のもの。とはいえ、これは単に好みだけの問題ではない。多くの植物は昆虫に食べられないように、苦みや毒となる成分を蓄えたり、葉を硬くしたり、トゲや毛で覆って食べにくくすることで、昆虫から身を守っている。なので、植物を食べる昆虫は、限られた植物しか食べないものが多い。
 

 生まれてすぐのイモムシは行動範囲が限られるため、近くに食べ物がなければ生きていけない。となると、ナミアゲハのメスは、卵を産むためのミカンの木を探さなければならない。
 

 どうやって探すのかというと、最終的な決め手は「味」なのだという。ナミアゲハの前足には、植物に含まれる化学的な成分を感じ取ることができる毛が生えている。その特殊な毛を使って、幼虫の餌として適しているかを確認しているのだ。
 

 ミカンの木に飛んできたアゲハチョウは前足で太鼓を叩くようにバタバタと動かす。これはドラミングと呼ばれるもので、この動作によって、前足の毛を使い、ミカンの味を確かめているのだ。

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2024年8月 5日 (月)

エノコログサの群生地があった

 ウオーキングの道筋でエノコログサを見かける。繁殖力が強いのかコンクリートの道のちょっとしたところにも生えている。我が家の近所でもエノコログサがたくさん生えている。

 驚いたのは、山崎川沿いにある名古屋市か愛知県の造成地でエノコログサが群生していることである。グランドぐらいの広い土地にエノコログサが一面に生えているのだ。。(下の写真)

 エノコログサは猫じゃらしとも呼ばれ、子どもの頃にこの草で遊んだものである。猫をじゃらして遊ぶとおもしろい。エノコログサという名前を知ったのは大人になってからである。

 ネットで調べたら、中国語で狗尾草(イヌの尾の草)、英語ではgreen foxtail (緑色のキツネの尾の草)、奈良時代の平城宮東方官衙地区でも生えていたそうだ。 このエノコログサ、実は、中国の華北地方での代表的な雑穀であるアワの原種だという。

 食用とする場合、エノコログサは脱粒しやすいのではたきなどで叩き落とし、ざるで受けるのがよい。 脱穀したのちすり鉢ですりつぶし、水選する。 食べるときはアワと同様、粒のままでも製粉しても食べられるとあった。

 アワの原種だというが、あの食糧難の戦時中でも誰も食べなかった。食べられるとは思っていなかったのだろう。

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2024年8月 4日 (日)

2匹重なり合ったセミの脱皮

 今セミがかしましく鳴いて暑い夏を一層暑くあおりたてている。我が家の小さな庭には蝉が出た穴が地面のあちこちにある。
蝉は地中から出ると近くの木や鉢植えなどに上って脱皮をする。脱皮した後の抜け殻があちらこちらに見られる。中にはコンクリートの壁で脱皮するものもいる。

 そんな中で、面白い脱皮した抜け殻を見つけた。2匹のセミの幼虫が重なり合って脱皮していたのだ。しかも、そのすぐ近くにもう一組重なり合って脱皮した抜け殻があった。下の写真をよく見ていただきたい。

 これまでセミの抜け殻をたくさん見てきたがこういう2匹が重なっている抜け殻は初めてであった。どうしてこんなことが起こるのだろうと不思議でならない。

 たまたま同じころに地中から出てきたセミがもう1匹のセミの上に乗っかったのだろうか。

 クマゼミかアブラゼミかどちらかだろうが分からない。

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2024年8月 1日 (木)

好評分譲中

 毎朝ウオーキングをする山崎川沿いに、2年余り前に建物が壊され、更地になった土地がある。更地になると同時に、「好評分譲中」の幟や看板が立てられた。

 それから長い間売れなかったが1年ぐらい経って一区画売れた。しかし、その後は売れていない。

 好評分譲中の幟は風に倒されたままで、誰も立てに来ない。最初のうちは倒れたらすぐに立てられていたのだが。売れないのでどうでもよいと思っているのだろうか。

 「好評分譲中」というコトバは売り地や新築分譲住宅でよく見かける。いつもそれを見て思うことは、新築住宅が売りに出されたらすぐに「好評分譲中」とはりだされるのだが、「好評」ということは評判が良いという意味だから、売りに出されてすぐに好評かどうかは分からないはずである。

 また、今回の土地のように長い間売れ残っても「好評」はおかしい。好評ならとっくに売れてしまわなければならないからだ。

 不動産業界の「好評分譲中」は実に不可解なセールス言葉である。「好評」としておけば見た人は「評判がいいのだな」と思うだろうと考えているのだろう。

 

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  売り出し時に建てられたもの

 

 

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        最近のもの

2024年7月29日 (月)

メールの初めに入れるコトバ

 ネットニュースを見ていたらプレジデントニュースに、【「お世話になっています」よりずっと効果的…「センスのいい人」が書いているメールの挨拶文】という記事があった。有川真由美さんという作家が書いた「センスがいい人がしている80のこと」という本から取ったものである。

 有川さんは、【「お世話になっています」というメールの書き出しをやめて、久しくなります。なぜ書かなくなったかというと、空々しく感じるし、情緒もないから。もちろん、「お世話になっている」という感謝の気持ちはあり、折に触れて感謝も伝えます。しかし、いつでも、どこでも、だれに対しても、まず「お世話になります」では、言葉と気持ちのズレがあり、違う気がするのです。冒頭の言葉はとても大事。その人に向けてのオリジナルな言葉があるはずです。

 定型文のほうがラク」と思われるかもしれませんが、むずかしいことではありません。会話をするように「こんにちは。雨が続きますね」「風薫る季節になりました」「先日はランチをご一緒できてよかったです」など、なんだっていいのです。】と書いている。

 私はいつも日本語語教室の事務局とかクラブの代表宛てに出すメールには「いつも逢世話になります」というコトバで書き始めている。本当にお世話になっていると思っているので定型のコトバだが使っているのだ。ただ、このコトバを使うとなんか冷たいような感じはする。

 たしかに有川さんのいうように、その時々にあった他のあいさつ文を使った方がよいようには思う。ただ、結びの言葉には、「寒くなりましたのでご自愛ください」のように時節にあったものを書いている。
「虎と翼」の佐田寅子のように「はて?」と思うか、星判事のように「なるほど!」と思うか。

 

2024年7月22日 (月)

あんアンかクリームパンかという記事

 20日の朝日新聞be between欄に「あんぱんとクリームパンどっち好き?」という記事があった。

 あんパンが71%でクリームパンが29%で断トツにアンパン派が多かった。

 理由は餡子が好きが圧倒的で、味がいいが続いた。クリーム派はカスター後クリームが好きが一番多く、次いで味がいいであった。

 私も断然アンパン派である。毎日食べるトーストを食べるときは餡子をペーストして食べている。トーストでない場合はアンパンを買っている。クリームパンはほとんど食べたことがなく、むしろジャムパンの方がいい。

 アンパン派が大福とアンパンとどちらが好きかという質問には、大福が94%であった。私も大福が好きで、東京の巣鴨へ行ったとき大福の店がいくつかあったので買って食べた。

 記事によると、日本初のアンパンは銀座のアンパン屋、四丁目の木村屋総本店が作ったとされるそうだ。明治8年に明治天皇に献上したら大変喜ばれたそうで、それがきっかけで日本中にあんパンブームが起こったという。銀座に行って時この店には気づかなかったが、日暮里から上野へと歩いたとき美味しいあんパン屋を見つけて買ったことがある。

 ちなみに、クリームパンは新宿中村屋が作ったとされる。創業者がシュークリームを食べたとき、アンパンの餡子の代わりに用いたらと閃いたそうだ。アンパンより30年遅れて発売されたという。

 日本には菓子パンがいろいろあるが、外国にはあるのだろうか。アンパンはフランスでも人気が出たと以前に新聞かテレビで知った。バケット好きのフランス人にも愛されているようだ。

2024年7月16日 (火)

「遊ばなくなった子どもたち」という記事

 14日の朝日新聞に「遊ばなくなった子どもたち」という記事があった。「子どもの外遊びや体を動かす機会が減っている理由、原因と感じるものを選んでください」という選択肢があり、
ゲーム機やスマホなどに時間を割いているからだ一番多く、次が公園や学校で自由に遊べなくなったから、そして習い事や熟など他の活動に時間を割いているからと僅差で続いた。

 私が勤めていた40年以上前はゲーム機が普及し、それが問題になっていた。今の子は小さいときからスマホがあり、スマホでは何でもできる。スマホは高いがみんなが持っているのだろうか。

 私が子どもの頃は家の近所の人通りの少ない道路や学校の校庭で遊ぶことができた。三角ベースという野球の様なもので遊んだ。ゴムまりを木の棒で打ったり、時にはハンドベースと言って手で打つやり方もしていた。

 マリつきやかくれんぼや缶蹴りや私たちはシャッケンと言っていたがショウヤもよくやった。女の子は縄跳びやマリつきなどをしていた。路地で遊んでいても近所の人に怒鳴られることはなかった。

 田舎だったので公園などというものはなく、田や畑や山や川などの自然が遊び場であった。

 室内の遊びは男子は将棋、女子はお手玉や綾取りであった。塾と言えば算盤と習字の塾が主流で学習塾などというものはなかった。テレビはなく、ラジオであった。

 私が勤めていた頃は外で、自然の中で遊ぶことを勧めていた。放課になると校庭に出て遊ぶことを勧めた。ゲーム機などを学校に持ってくることは勿論禁止されていた。

 テレビが普及していたのでテレビ視聴が問題視されていた。

 塾は学習塾、習字塾、水泳塾などが主流であった。

 今にして思うと私たちの世代はよかったと思う。自然があり、人とのつながりがあり、ラジオ以外の器械に惑わされることもなかった。

 今は運動会も縮小されているというが、私の子どもの頃は運動会が大イベントで親たちもご馳走を作って弁当を持って観に来ていた。

 私が勤めた頃でも運動会が終ると村の人達と一緒に宴会をやったものであった。

 

2024年6月25日 (火)

扇子か携帯扇風機か

 暑くなってきて地下鉄に乗ると携帯扇風機を持っている人を見かけるようになった。私も2年ほど前に携帯扇風機を買ったのだが、使っていない。

 今日取り出してみたが使っていなあったので充電できないのではないかと思う。

 22日の朝日新聞「be」の「読者とつくる」欄に「この夏もつのは扇子?携帯扇風機?」というアンケート記事があった。
それによると扇子派が89%で携帯扇風機派の11%を圧倒していた。理由は扇子派は軽くてコンパクトが2133人、電気をt買わずエコが1032人であった。

 携帯扇風機派は疲れないし便利が209人、近年の暑さは扇子では不十分が135人であった。もちろんどちらも他の理由もあるが割愛した。

 私は高校生の頃扇子を持つのが夢で祖父から扇子を貰った時は嬉しかった。夏にはいつもズボンの尻のポケットに入れて使っていた。

 扇子と言えば、何十年か前までは県や市から貰える敬老の祝い品が紅白饅頭と扇子であった。そういう関係で我が家には敬老祝いの扇子がいっぱいある。

 私が敬老祝いを貰える歳になっても米寿になってやっともらえたが祝いが3000円であった。

 友達から贈られたのも含めていい扇子がたくさんあるのだが、私は今は扇子を持ち歩いてはいない。
でも、この記事を読んで扇子を持ち歩くのもありかなと思った。

 昨今男性も日傘をさす人が出始めたが、日傘を持ち歩く気にはなれない。

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