芸能

2017年5月24日 (水)

第31回橘座公演―柳亭市馬独演会

 21日に第31回橘座公演があった。「柳亭市馬独演会」である。東京に行ったとき末広亭でもらったパンフレットには柳亭市馬は落語協会会長だと書いてあった。

  午後一時開演の開口一番は弟子の柳亭市坊が務めた。まだ若い落語家だ。落語では演題はめくりに書かないし、口でも言わないが、有名な「たらちね」であった。もともとは上方落語で「延陽伯」と言っていたものを、江戸に持ち込んで「たらちね」として演じられたのだ。

   ある長屋に住む独り者の八五郎。大家さんに呼ばれ、「店賃の催促かい?」と勘ぐりながら戦々恐々伺ってみれば、何と縁談話。相手の娘の『年は二十』で『器量良し』、おまけに『夏冬のもの(季節の衣類・生活道具)いっさい持参』という大盤振る舞い。

  独り者には願ってもない縁談、しかし話がうますぎる。不審に思った八五郎、大家さんに問いただしてみると、やはりこのお嬢さん『瑕』(きず)があった。

  厳格な漢学者の父親に育てられたせいで『言葉が改まりすぎて、つまり馬鹿丁寧になってしまい、言うことが何が何だかわからなくなった』。かく言う大家も、先だって彼女に道で出会った途端『今朝は土風激しゅうして、小砂眼入(しょうしゃがんにゅう)し歩行為り難し』とあいさつされ、仰天したらしい。

  初対面の八五郎が名前を尋ねると「自らことの姓名は、父は元京の産にして、姓は安藤、名は慶三、字を五光。母は千代女(ちよじょ)と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴を夢見て妾(わらわ)を孕めるが故、垂乳根の胎内を出でしときは鶴女(つるじょ)。鶴女と申せしが、それは幼名、成長の後これを改め、清女(きよじょ)と申し侍るなり

  単に名前を聞いただけなのに、両親の出自から自らの誕生秘話、幼名と改名に至るまで、全部漢文調でよどみなく並べ立ててのけたから大変である。八五郎はますますわけがわからなくなってくる。

  つまり江戸っ子の八五郎と嫁になった娘とのやりとりの滑稽さを笑いとした落語である。本当は長いのだが端折って話した。

  次は市馬の「お楽しみ」で、前半は師匠の柳家小さんにまつわるエピソードをいろいろ語って笑いをとった。長いのでそれで終わるかと思ったら、「粗忽の釘」という有名な落語に入った。

  この落語は末広亭に行ったとき聞いたが、そのときは米丸に時間をとられて、桂枝太郎の持ち時間が短くなって、かなり端折って話された。今回は前振りが長かったもの末広亭で聞いたのよりは長く演じた。

  もともとは 宿替え』(やどがえ)という上方落語の演目の一つ江戸落語では粗忽の釘』(そこつのくぎ)の名で演じられている 長屋慌てものが引越しをする際のドタバタを描いた作品で、全て演じ通せば長時間のネタとなるが、途中を省略、もしくは打ち切って時間調整をすることが可能な演目である。

  引っ越した長屋で女房に箒を掛ける釘を1本打ってくれと言われ、大工の亭主はいやいや8寸の瓦釘を打つ。ところが壁を突き抜けて隣家に出てしまう。それで謝りに行くが、最初はお迎えに行ってしまう。そこで女房との馴れ初めを話す。家を間違えたと知り、隣家へ行く。そのやり取りを面白く語って笑わせる。

  お仲入りの後は、市馬の「二番煎じ」であった。

 原話は、1690年元禄3年)に江戸で出版された小咄本『鹿の子ばなし』の「花見の薬」。これが同時期に上方で改作され、『軽口はなし』の「煎じやう常の如く」になり、冬の夜回りの話となった。

 はじめは上方落語の演目として成立した。東京へは大正時代に5代目三遊亭圓生が移したといわれる。

 江戸のある町内の番小屋で夜回りの人たちが酒やししの肉などを持ち込んで禁じられている酒盛りをする。そこへ役人がやってきて見つかってしまう。酒を土瓶でかんして飲んでいたのでそれは風邪薬だという。役人は風邪を引いているから飲ませろという。そして一人で飲んでしまう。たまらない町内の人たちは「もうありません」と言うと、役人は一回りしてくるから、「二番煎じを用意しておけ」というオチである。

 この噺は酒を飲むしぐさや肉やネギを食べる仕草がふんだんに演じられそれが見どころの一つとなっている。さすがに市馬は上手に演じていた。柳亭市馬は噺を語る時いつも笑顔をたやさないのもよい。

 落語は言葉で笑いをとるようにストーリーが巧みに作られていて面白い。また、演者によって違うから同じネタを何度聞いても面白く聞ける。橘座のお蔭で一流の落語家の噺を聞くことが出来るので嬉しい。

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2017年3月 7日 (火)

大須演芸場へ行く

 花橘というグループのSさんに誘われて3月3日の雛祭りの日に大須演芸場へ行ってきた。このグループが演芸場に行く目的は笑うことが健康によいというので笑いを求めてのことだそうだ。演目を見ると、落語が多いので私も参加することにした。

  11時開演ということで、バスと地下鉄で行き10時20分ごろ演芸場に着くと前で待っている人たちがいた。中に入るとグループで予約をしてあった。でも、右列の後方で団体予約してあるのに後ろの方なのでがっかりした。

  開演10分前に、マッハ金太郎というマジシャンがマジックをやった。番組外のサービスのようであった。簡単なマジックだがおしゃべりで笑いをとっていた。

  前座は林家染吉で上方の林家であった。南山大学卒業だという。落語研究会出身なのかもしれない。上手に話した。

  次が二つ目の林家はな平で9代目林家正蔵の弟子だそうだ。東京系の林家である。学習院大学卒業だという。最近は大学出身の落語家が多いようだ。小話をつないだ落語?であった。

  3番目は地元名古屋のよしもと所属のオレンジの漫才で名古屋弁を使っていた。

  4番目は落語で林家たけ平で林家こぶ平(現正蔵)の弟子だから東京系の林家である。東海大学出身だそうだ。小話や短い噺で上手に笑いを取っていた。

  ここでお中入で20分の休憩であった。

  5番目は、講談で旭堂鱗林という大阪系の女性講談師であった。名古屋出身だそうだ。講談で何を語るのかと期待していたが、世間話のようなものを話して終わったのでがっかりであった。

  6番目は紙切りの林家正楽でもちろん東京系である。40年ほど前にこの人(当時小正楽)の紙切りを末広亭で見たとき、似顔を切ると言ったので手を上げたら切ってもらえた。その作品は額に入れてずっと大事にしている。

  正楽は客の注文に応じて切ることを始めた人である。私は狙っていて大きな声で手を上げたら当たったので、「ひな人形」と言った。そして内裏様とおひな様を巧みに切ってくれた。

 トリは上方の林家菊丸で、本格的な人情落語の「幸助餅」を語った。数々の賞をもらっているだけあって上手であった。「幸助餅」は以前にも聞いたことがあるが、とても構成のよいすぐれた落語で、笑うところはあまりないが、心に響く噺である。

 1時半まで大須演芸場で寄席を楽しんだ。この日は万席のようであった。再建した大須演芸場の繁盛が続くとよいと思った。

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2015年11月11日 (水)

大須演芸場で寄席を楽しむ

 大須演芸場は一時は廃止という話もあったが、経営者が替わって引き継ぎ、リニューアルしてオープンした。

  大須大道町人祭りのとき、演芸場に入ったが、寄席は見たことがなかった。それでいつか行きたいと思っていた。Hさんの誘いで渡りに船と出かけたのだ。

  第一部は11時の開演ということで、10時半に演芸場前に着いた。Hさんが待っていて、今日は満員で立ち見しかない。11時ごろになったら立ち見の券を売ってくれるそうだと言った。

  みなさんは前売りの券を持ってきているらしく、どんどん入って行った。係りの人に聞いたら、立ち見は2000円にするがもう少し待って欲しいと言った。11時10分前ぐらいに午後の部の券はまだ少し残っていると言った。でも出直すのは大変なので、立ち見で見ることにした。

  立見席の人は15人ほどいた。中に入ると満席だったが、立ち見の人はどこで見てもよいというので横の前の方に行った。この日満席なのはトリに大助・花子が出るからであった。みなそれを目当てに来ているのだ。聞くところでは、大助・花子はスケジュールが詰まって、なかなか出演してもらえないのだそうだ。大阪が本拠地だから日帰りで来たのだろう。

  太鼓が鳴ってしばらくすると幕が開いた。開口一番は地元で活躍する林家まめ平の落語、「転失気」であった。古典の有名な落語だが元気よく演じていた。

 2番目は、オレンジというコンビの漫才で結成10年ぐらいと言っていたように思う。「エンタの神様」に出たと言っていたが、知らなかった。面白く笑わせていた。

 3番目は、雷門幸福の落語で、新作落語のようで日常のことをもとに笑いを取っていた。雷門だから獅篭と同門なのだろう。でも、若くはなかった。

 4番目は笑組の漫才で芸歴30年と言っていた。面白かったが中身は覚えていない。

 その後仲入りで、立ちっぱなしであったので、外に出て「天丼」を食べに行った。戻って来るとすでに落語が始まっていた。仲入りは15分ぐらいだったようだ。演者はかなり年配の噺家で、林家源平といい、演目は「蝦蟇の油」であった。蝦蟇の油は大道芸にもいつも来ている人がいて聞いたことがあった。ただ落語だからストーリーがあって笑いを取っていた。

 源平とまめ平は林家だから、林家一門なのかなあと思った。

 最後は客席を満員にした大助・花子であった。テレビで何度も聞いたことがある、大助が倒れた話や二人のなれそめなどの話などを組み合わせたもので、ネタには新鮮味はなかったが、おそらく何百回、いやもっとそれ以上に話してきた持ちネタだから、息が合っていて、笑いの取り方もうまく、特に間が絶妙であった。笑って涙がでて来た。

 やはり生はいいと思った。テレビで見るのとは、伝わり方がまったく違うのだ。20分ほどの時間であったが、立っている疲れも忘れて見ていた。

 大須演芸場は入場料は3000円(前売り2800円)だが、この日のように盛況の日が多いといいと思った。大助・花子のように客を呼べる芸人を毎回1人連れて来ることができるとよいと思った。

 雷門幸福が、以前は客が2~3人ということもあったと言っていたが、この日は立ち見が出る満員で、芸人たちもやりがいがあったと思う。

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2015年7月23日 (木)

也留舞会狂言を鑑賞

 知人のYさんが出演する狂言グループの発表会、「也留舞会」の案内をもらったので、見に出かけた。海の日の20日、午前十時開場としてあったので、並ぶことを覚悟で早めに家を出た。暑い太陽が照りつけていた。

  会場の名古屋能楽堂に9時45分ごろ着くと、意外にも並んでいる人は2人しかいなかった。その人に聞くと、やはりたくさんの人が並ぶと思って早く来たのだと言った。10時の開場時刻には15人ぐらいであった。

  中に入ると正面の最前列中央左の席に座った。後で分かったのだが、演じる人が、左前に出てきて演じることが多いので、その席がよかったのだ。

  開演の10時半になっても観客は100人もいなかったように思う。いくらでもよい席があるのになぜか後ろの方にいる人もいた。下手正面には4人しかいなかった。

  也留舞会の案内は昨年ももらったのだが、他の予定と重なって見に行くことができなかったので楽しみであった。というのは狂言はあまり見たことがないからだ。能、狂言、文楽など古典芸能は余り見たことがない。

  今回は発表会だから、下記のように第一部8演目、第2部9演目もあった。途中1時過ぎから2時までの昼食タイムを除いて4時間半もあった。私は興味があったので最後まで観た。狂言のストーリー立てや演じ方などを知るまことによい機会であった。

  言葉は現代人の我々になじみのない文語で、なかには現代語と異なった発音もあったが何とか聞き取ることができた。

  私は落語が好きだが、落語は演者は座ったままで、動かずに噺のなかで人物を巧みに動かす「動」だが、狂言は逆に、舞台を線で動きながら演じるが、演じ方や言葉は「静」だと思った。表情や動作は抑制されているのである。

  落語と狂言の共通点は、オチがあることと常識の外れた面白さを描くことだと思った。狂言の場合多くは主人公と相手との滑稽噺である。

  出演者は小学3年生、5年生、6年生や大学生から高齢者までいた。時々セリフを思い出せない人もいて後ろの黒子が教えていた。長いセリフは覚えるのが大変である。でも、みなさんは一生懸命に演じていて楽しむことができた。

  出演者のなかに格別発声のよい人がいたが指導者のようであった。朗々と響く素晴らしい声の出し方であった。

  演目の中に狂言小謡とか狂言小舞とかもあってよかった。次に演目を書いておく。

第1部  

  引括、  盆山、 竹生島参、  薩摩守、  清水、  雷、  地蔵舞、 

  蟹山

第2部

 重喜、  口真似、  魚説法、  貝尽、  番匠屋、  尼崎、  雷、  鐘の

 音、  長光、

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2015年6月 2日 (火)

橘座公演 林家菊丸襲名披露公演

 5月30日に、楽しみにしていた第27回橘座公演があった。今回は林家染丸一門の林家染弥が菊丸を襲名した披露の公演であった。13名いる林家染丸一門から染二、染左、愛染と師匠の染丸が来演した。

 開口一番は林家愛染の「ミカン屋」であった。今でいうニートの男に親戚の者が紀州から到来のみかんがたくさん来たから売りに行って来いという。ところが元値の1円で売ってしまう。それで売り方をこんこんと教えてまた売りに行かせる。この男は教えられたとおりのことをしゃべりながら売る。そのやり取りが笑いを誘うのだ。

 次が林家染左で、「豊竹屋」という落語。文楽の浄瑠璃語りを趣味とする男が日常の生活を浄瑠璃の節にのせてしまう。そこへ口三味線の上手い男が来て一緒にやろうという。その掛け合いの面白さを見せるものである。

 3番目は一番弟子の林家染二で「茶屋迎い」という噺であった。商家の息子が茶屋へ行って帰ってこないので主人は、小僧から手代、番頭と迎えに行かせるがラチがあかない。結局自分が手代に化けて行く。ところがばれてしまう。茶屋の女将は結婚前に好きあった女であった。そこで話している内にお互いが今も気があることが分かり仲良くなるという噺だ。

 20分ほどの仲入りのあと、襲名披露口上があった。染左が司会をして高座には林家菊丸を挟んで師匠の染丸と兄弟子の染二が上った。そこで染丸が最近脳梗塞を患ってうまくしゃべれないことが分かった。呂律の回らない舌で簡単にしゃべった。そして菊丸本人もしゃべった。

 後半は染丸の出演であるが、うまく話せないので染左が助けて「絵ばなし」をした。スケッチブックに絵が描いてあり、その絵が何を意味しているかというクイズのようなものであった。ただみんな小話になっていてオチがついていた。

 1枚目の紙に小石と幟と松の絵が描いてある。京から九州に行った夫に妻が出した手紙だという。その意味は、「恋しいから上りを待っている」ということだ。それに対して夫が書いたのは、火の見やぐらのそばで男が立っている絵だ。カギは火の見に半鐘がないことだ。その意味は「金がないから上れない」だそうだ。

 「種や」という噺は、種やが種を売っている。1枚目には目が二つ描いてある。「芽が出ます」と掛けたものだ。2枚目には歯が見えた口が描いてある。「葉がでます」という意味だ。3枚目は鼻が描いてある。「花が咲きます」という意味だ。4枚目には顔が描いてある。「買おか」という意味だ。

 噺家は呂律が回らなくなったらどうしようもない。早く回復されることを祈る。

 最後は菊丸で、「幸助餅」という噺だ。大黒屋という米屋が相撲の谷町として雷という力士が駆け出しの頃から支援をしてついに財産をなくしてしまう。妹が茶屋に身を置き30両の借金をするがその金を持って出たときバッタリと雷に会う。そこで雷に30両をやる羽目になる。叔父が来て金を返してもらおうとするが、雷は返さない。

 仕方なく茶屋の女将に借金を頼むとまた30両貸してくれた。それを元手に昼夜働いて3年後幸助餅という餅屋で大成功をする。そこへ雷が現れて餅を1個買いたいという。幸助はお前のような奴に売る餅はないくれてやるという。すると雷は30両出してこれでどうだという。

 そこへ女将が現れて、雷が30両を女将に託していたことや幸助餅を広めて買ってくれていたことなどを話す。それで幸助は雷の本当の人間性を知り仲直りをするという人情噺である。それを菊丸は熱演した。

 菊丸というのは大名跡で115年ぶりの襲名だそうだ。現菊丸は四日市市の出身で大須演芸場にも出たことがあると話していた。

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2014年11月19日 (水)

第26回 橘座公演―春風亭小柳枝独演会

 第26回 橘座座公演が愛知産業大学工業高校であった。今回は「橘町町名拝領350年記念ということで、岐阜聖徳学園大学名誉教授の安田徳子氏の「橘座の成立と変遷」という講演があった、その後に落語の公演があった。

  安田名誉教授は、安田文吉教授の奥さんであった。この日の朝のテレビで安田文吉教授が出ていた。

  橘座は現在の愛知産業大学工業高校のある場所にあったのだ。「寛文4年、(1664年)11月、2代目尾張藩主光友の命により、名古屋の南端、美濃路沿いにあった千本松原が切り開かれ、橘町と命名された。ここの住人に古鉄古道具の専売が認められた。この新開地住人への藩主の優遇処置として、願いによってその裏に芝居地が下し置かれ、常芝居が認可。さらに、芝居が不繁盛の時、芝居を休業した時、無利息の借金も認めた。」と古文書にあるという。

  その後、7代藩主宗春時代の芝居王国到来の最初は、享保16年8月15日の京下りの大芝居一座であった。宗春も観賞した。元文4年(1739年)正月、宗春が失脚、芝居は全面禁止となった。

  享和以降、文政元年を頂点に名古屋芝居は繁盛を極め、その後も天保の改革の規制も短期間で、東西の芝居が規制にあえいでいた時期も活発な活動をしていたが、橘町芝居は幕末の政変で影響を受けたか、沈滞した。

  明治3年7月に橘町での芝居興業を許可し、芝居小屋を2か所に建てた。また寺社境内での芝居は禁止となった。

  江戸時代、若宮神社やお寺など芝居をするところは最盛期には60ぐらいあったそうだ。しかし、幕府の規制や禁止によりすたれたときもあった。

  講演の後、落語の公演が行われた。前座は春風亭昇太の弟子の春風亭昇吾の開口一番で、ナンセンス落語で笑いを取った。

  春風亭小柳枝の落語は、2番あり、最初はチラシには「2番煎じ」となっていたが、以前に誰から演じたことがあるというので、急きょ入れ替えられた。長屋に住む器量よしの娘が殿様に見初められ、側室となり、世継ぎを生んだので、兄が殿様に呼ばれる。しかし、町人の兄は侍言葉が分からず、頓珍漢なやり取りをするというもので、結局妹のおかげで出世したという噺であった。

 この噺の前振りで、面白いことを言った。「カタカナのトという字に一を加える。上に加えると『下』となる。下の者は一が邪魔して上の者が見えない。下に加えると『上』となり上の者は下が見えない。」というようなことを話した。うまく言い表しいると感心した。

  お中入りの後の噺は、有名な「文七元結」であった。腕のいい左官がばくちに溺れ、着るものもないくらいになる。娘のお久は家出をしてしまう。行った先が吉原の女郎屋で女将に呼び出される。女将から説教をされるが、1年の期限をつけて50両貸してくれる。

  帰る途中、橋の上で身投げをしようとする若者を見て止める。若者は掛け金をもらってきたがスリに取られてしまったと話す。事情を聞いて50両を若者にやる。

  若者は文七といい、店(鼈甲屋)に帰って金を差し出すと、主が金は返ってきたという。文七が囲碁に夢中になって金を忘れてあったというのだ。

  主は文七を連れて吉原の店に行き、左官の住所を聞いて左官の家に行く。そして礼を言い50両を渡そうとすると、左官は50両はやったものだから受け取れぬと変な意地をはる。そこで金が返った祝いだと言って50両を渡し、酒も渡す。その後で酒の肴もどうぞと言う。

  酒の肴は?娘のお久である。何と鼈甲屋の主が身請けをしてくれたというのだ。そして何年か経って、その若者は元結を商売にし、めでたくお久と結ばれるという人情噺である。

  江戸っ子の左官も、女郎屋の女将も、鼈甲屋の主もみな気風のいい、情の厚い人間として描かれているいい噺だ。小柳枝はそれぞれをうまく演じ分けて話していた。

  橘座で落語を聞くのは年に2回の大きな楽しみである。来年は誰の落語が聞けるのだろうか。今から楽しみにしている。

 

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2012年10月31日 (水)

第22回橘座公演「春雨や雷蔵独演会」

 年に2回、春と秋に開催される愛知産業工業高等学校の橘座公演が楽しみで案内を頂いたので出かけた。

 案内の葉書には「春雨や雷蔵」とあったが、私はその名前を知らなかった。テレビでも新聞でもこれまでに見たことがなかったのだ。落語家は400名以上いるといわれるから知らない人がいても無理はない。

 橘座公演は開場まえより並ぶので用心をして早めに行ったら、この日は雨なのですでに開場していてかなりの客が入っていた。持っていった本を読みながら13時の開演を待った。

 意外にも開演時にも席は少し残っていた。”春雨や”をやはり知らない人がいるのだと思った。

 前座は古今亭半輔という若手で、なんでも介護士から落語家になったのだと自己紹介していた。元気のよい話し方で有名な「初天神」を演じた。

 ◎初天神の落語http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/hatsutenjin.html

 春雨や雷蔵の第1席は、「天災」でこれも以前に聞いたことがある古典落語だ。心学の先生と八五郎のやり取りが面白い落語である。人生の教訓にもなっている。あらすじは下記で見られる。

 http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2005/05/post_ba6c.html

 中入り後は俗曲で桧山うめ吉が三味線を弾きながら歌った。彼女の日本髪は自分の髪の毛で、自分で毎日結うのだそうだ。人間文化財みたいな人だ。私は都都逸は分かるが、小唄、端唄、新内などの違いを知らない。調べてみたら次のように書いてあった。

 「日本音楽の分類用語明治初年の新造語で,雅楽に対して民謡端唄長唄,義太夫などの三味線音楽や,流行歌(はやりうた),箏曲など庶民の音楽を指した。明治中期以降は,寄席で演じる音曲代名詞となった。代表曲は《深川》《奴さん》《大津絵》《かっぽれ》など。1950年代になって,端唄,うた沢,小唄など小歌曲の総称として,放送局が便宜的に用いたこともある。」

 うめ吉は可愛い声で小唄や端唄を歌った。最後に瓜と茄子の踊りを踊った。寄席での「うめ吉」は下記で見られる。

 http://www.youtube.com/watch?v=cVkt6h5Te0E

 春雨やの2席目は、「寝床」であった。大店の主人が大の浄瑠璃好きで、語るのをだれかに聴いてもらうためにご馳走を用意して長屋の者を集める。しかし、ひどい声なので誰も聴きに来たくない。それでも番頭に何とか集めさせたが・・・・というこれも有名な落語である。

 Youtubeで今は亡き桂枝雀の寝床をたっぷりと見ることができる。

 http://www.youtube.com/watch?v=1fQ_nl1Y-HU

 ちなみに春雨や雷蔵は下記で芸歴などを見ることができる。何度か賞を受賞している。

 http://www.geikyo.com/profile/profile_detail.php?id=70

 春雨や 雷蔵

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2012年6月12日 (火)

第21回橘座公演 柳家花緑独演会を聞く

 楽しみにしていた第21回橘座公演が、6月9日に、愛知産業大学工業高校のたちばなホールであった。

 12時にボランティアを終えると、すぐに地下鉄で会場へ向かった。愛知産業大学工業高校に着くと、前方に並んでいる人の列が見えた。そちらに行くと、開場5分前だったがすでに60名ぐらいが並んでいた。列の中に知人のOさんの顔があった。まだ良い席が取れると思いながら並んだ。

 12時半に開場してホールへ入って行くと、どういう訳かほとんどの席が詰まっていた。先に入った人が知人の分も確保するからのようであった。右の前の方に何とか席を見つけて座った。早く入ったO さんは中央の席に座っていた。

 演者は柳家花緑なのでいつもより早く客が来たのであろう。1時丁度に会が始まった。

 前座に弟子の柳家花どんという若手が上った。題名は分からないのだが、子どもが小遣い銭を欲しさに上手に父親を操って小遣いをせびる様子を面白く語る落語であった。この落語は何度も聞いたことがある。

 私は、花緑が3席ももやるとは思っていなかったが、その後は花緑の独演会であった。

 中入り前に続けて2席のせた。最初は、「高砂や」で店子の大工が大家のところに行き、伊勢屋さんから仲人を頼まれたのでいろいろと教えて欲しいというのであった。伊勢屋の息子の恋を大工が取り持ったので仲人を頼まれたということであった。

 話を聞きながら、大家は羽織・袴などやかみさんの衣装まで貸すことになる。そして仲人のマナーも教えるのだ。仲人は高砂を謡わなけらばならないと言ってそれを教えるのだがなかなかうまくいかない。その過程が面白おかしく語られる。

 そして本番だが案の定うまくできない。そのやり取りが面白いのだ。

 「高砂や」が終わると、落語を聞くとき、上手な人と比べて聞いてはいけない、その噺家の中によいところを探すとよいというような話をして、次の「天狗裁き」に入った。

 これは女房が亭主に、今見た夢の話をせよというのに対し絶対に夢を見ていないと言い張るので夫婦喧嘩になる。止めに入った友人ともどんな夢か教えろ、見てないでいさかいになる。そこへ大家が止めに来てまた夢を聞かせろ見てないと争う。とうとう大岡越前守の裁きになる。裁きのあと越前が俺には夢を教えというがやはり見てないと言い張る。

 そこへ一陣の風が吹いて来て天に舞い上がり高尾山に落ちる。そこに天狗がいて・・・・・という話しである。それがすべて夢の中の出来事であったという落ちである。

 これはテレビで聞いたことがあるが、テレビの場合は途中を簡略にしてあるので全部を聞いたのは初めてであった。

 中入り後は、祖父の人間国宝柳家小さんが大変な物覚えのよい人であるというエピソードなどを話した。落語家が600人ほどいる中で落語家の2世、3世は22名しかいないと言っていた。政治家と比べると大違いであると感心をした。また、600名もいるというのにも驚いた。

 最後は「明け烏」であった。これは先日立川談志が亡くなったとき、確かBSプレミアムでやっていたように思う。

 超堅物の若旦那が19歳になっても本ばかり読んでいる。それで商売人の親は心配をして吉原へ遊びに行かせようと画策をする。出入りの大工と左官に誘うように頼む。

 超真面目人間だから、お稲荷さんへお参りに行くということにする。そしてお籠りをして来いという。

 超堅物の若旦那を何とか吉原に泊らせようとする。その顛末が面白いのだ。この落語は花緑は大好きで、よく演じるのだと言っていた。談志とは全く違った演じ方で聞かせていた。

 柳家花緑を直接聞くのは初めてであった。我が家の近くにある花屋の看板に「花緑」と書いてあるので、通るたびに柳家花緑のことを思い出していたのだが。

 落語家は親が素晴らしい落語家であっても必ずしも優れた落語家になるとは限らないが、同じ人間国宝の子どもの桂米朝の子どもの桂米團治と共に3世、2世で実力を発揮しているのは素晴らしいことだ。親の七光りで政治家になれるのとは大違いである。

 

 

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2012年4月23日 (月)

民謡 剣持会 第24回を聴く

 民謡の剣持会の第24回演奏会が港文化小劇場であったので聴きにいった。知人のSさんも歌と三味線合奏に出演したからのだ。11時半の開会であったが、挨拶が終わるころに会場に入ることができた。会場は満席で、後ろから3列目にやっと席を見つけることができた。

  今年は東北の震災を思って東北地方の民謡をたくさん取り入れたということであった。小学校の子どもたちが歌うプログラムもあったが、とても上手なので感心した。5年生の男の子が三味線で津軽甚句を弾いたのにも驚いた。

  でも、それ以外は高齢者が多く、しかも女性が目立った。私は民謡は歌わないが聴くのはよい。三味線の音、太鼓、尺八、そして高い声で歌われる民謡はどこか私たちの体の中に馴染んでいるのだ。東北地方は民謡の宝庫と言われるが、さまざまな民謡をたっぷりと聴くことができた。

  しかし、休憩なしの5時間はさすがに疲れた。だいたいクラッシクでも2時間ぐらいである。次々と歌い手が変わって曲も変わるのだが、やはり疲れた。どうして休憩時間を設けないのかと思った。

  もう一つの疲れる原因に思い当たった。それはホールのサウンドが大変大きくてその音を5時間浴び続けたからだ。

  トイレに行きたくて演奏中に廊下に出たら、ずらっと並んで弁当を食べていた。みな、適当に外に出ては休んでいるようであった。やはり、適当に外に出て休むのが正解だ。

  Sさんは北海浜節という長い民謡を堂々と歌った。16人の三味線の合奏も見事であった。

  賛助出演は相馬二遍返し、特別出演は秋田音頭、正調生保内節、嘉瀬の奴踊りが歌われた。さすがに聴かせるものがあった。

  剣持一家の歌もよかったが、何と言っても「音心伝心」と題した、剣持雄介会主と橋本大輝と米谷大輔のコラボが抜群であった。剣持雄介の三味線はとても響きがよい。最後のプログラムなのでそれまでの聴き疲れがかなりとれた。

  剣持雄介は先月の28日にコロンビアからデビューしCDを「音心伝心」というタイトルで出したのだそうだ。ルックスがよいので民謡の氷川きよしだと自称していた。

  最後に福引があり、44本の酒が賞品であった。私の前後と隣の人はみんな当たったのに私は籤運がないことをまたも証明してしまった。

 最後に4つ注文をつけたいことがある。1つはフラッシュ撮影を禁止すること。2つ目は休憩時間をつくること、3つ目は演奏中の私語は慎ませること。4つ目は地下鉄の何番出口かをチラシに書くこと。

  私の周りのおばあさんたちは演奏中もおしゃべりをやめないのでとうとう睨んでやったらやっと少し静かになった。

  来年は25回で記念の発表会だそうだ。2013年4月21日(日)に、金山の中京大学市民会館中ホールでやる予定だという。素晴らしい民謡グループなので聴きに行かれるとよいだろう。

 

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2012年1月 7日 (土)

NHK恒例・初笑い東西寄席

 1月3日は、毎年午後12時のNHKニュースの後「初笑い東西寄席」がある。私は寄席が好きなので、毎年見ることにしている。

 東京は浅草演芸場、新宿末広亭、大阪は千日前グランド花月と通天閣演芸場の4元中継である。

 メインの進行は、末広亭の爆笑問題で、グランド花月は桂仁鶴がいつも担当している。

 今年は浅草演芸場から始まり、末広亭で終わった。出演者は、私の知らないお笑い芸人が多かった。レギュラーで出演しているのは、ケーシー高峰、のいるこいるなど数人であった。

 トリの落語で「夕立ち」を語った柳家小分枝が枕で語った小話が面白かったので採録する。

 お日様とお月様と雷様が旅に出て宿屋に泊った。次の朝、雷様が目を覚ますと、お日様とお月様の姿が見えない。それで宿の主人に尋ねると、「朝早く出立されました。」と言った。それを聞いて、雷様は、「月日のたつのは早い。」とつぶやく。

 宿の主人が、「雷様はいつたたれますか?」と聞くと、雷様は「夕立ち」と答えた。

 もう一つ、浅草演芸場の出演者がその場で浅草にちなんで作った小話の中で、桃源庵白酒(はくしゅ)が作ったのがよかった。

 「浅草寺にお参りに行きたいが、雷門を通るのは嫌だ。」「どうして?」「におうもん}(仁王の像が立っているので匂うと掛けた洒落だ)

 これを聞いて、「仁王門通りに行くのは嫌だ。」「どうして?」「におうもん}とすれば、名古屋でも使えると思った。

 オール巨人・阪神の漫才で、巨人が、飲酒運転はいけないという中で、「昨年の暮れに酒を飲んで酔っ払って車に乗った。」阪神が、「今、飲酒運転はいかんと言ったばかりなのにどういうこっちゃ。」と言うと、「タクシーに乗った。」と答えて笑わせた。

 落語にはこの手の言葉を使って笑わせるものが多いが、漫才でもやはり言葉で笑わせるのがよい。そういう漫才では、亡くなった喜味いと・こいしは優れていた。オール巨人・阪神もその部類に入れてよいだろう。

 

 ただ、落語にしろ小話にしろ、文字で書くと笑えない。語りによって面白くもなりつまらなくもなるのだ。

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