趣味

2012年12月22日 (土)

高齢者とカラオケ

 先日、妹の宅へ行った折に、妹が行くカラオケ店に連れて行ってもらった。名東区の上野にあるカラオケ喫茶である。

 妹の話では、「今日は混んでいるかもしれない。混んでるときは満席なの」ということであった。混んでいれば覗いただけで帰ることにして出かけた。

 駐車場には車が3台、自転車が3台停めてあった。これは混んでいるかも知れないと思った。覗くとそれほどでもないというので入ることにした。

 中にはテーブル席が5つとカウンター席があった。客は男女で7名来ていた。隅っこに小さなステージがあり、そこで歌っていた。その隣のテーブルが空いていたのでそこに座った。

 見ると高齢者ばかりで女性が3人であった。私も妹も高齢者だから人のことは言えないが。

 店に入ったのは2時10分ごろであった。その時間帯は一番混むのだという。男性が歌っていたがとても上手であった。

 ママさんはまだ若くて30代の半ばぐらいであった。コーヒー(500円)を注文したらちょっとしたスナックも付いてきた。チケットは10枚千円であった。(トイレに入ったら、夜は席料500円と書いて貼ってあった)

 高齢者ばかりだから演歌が多いだろうと思った。最初の曲は越路吹雪の「ラストダンスは私しと」にした。そして順番を待った。

 85歳ぐらいに見える女性は声も若々しく、歌い方も堂に入っていた。カラオケ大会などにも出場しているのだそうだ。他の男性もみな自分の持ち歌を上手に歌う人ばかりであった。妹は、みんな常連客でいつもここに来て歌っているのだと言った。

 自分の順番が来たのはかなり後であった。それから次の曲が来るまでに40分ぐらい待たされたので「どうなっているの?」とママに尋ねたら、客が入って来るのでと言った。確かに1人帰っても別の客が来るのだ。客は常に9人から10人であった。

 妹の話では近くのカラオケ店がつぶれたのでその客が来るのだと言っていた。結局2時間いて3曲歌っただけであった。カラオケ店で適正な人数は7人ぐらいだと思った。それより多いとなかなか順番が来ない。少なくても張り合いがない。

 妹は客のことをよく知っていて、あの人は独り者だとか、あの人は金持ちの未亡人だとか、教えてくれた。中には一社からベンツで来る女性もいた。さすがにベンツで来ると評判になるらしい。しかも、ボーイフレンドが一緒なのだそうだ。

 妹は、数歌えなくても、みんなが上手だから聴いているだけでもいいと言っていた。妹もそれなりにうまく歌っていた。私は大好きなWhite ChristmasとMy Wayを歌った。演歌ばかりでもないことが分かったからだ。

 この店で気が付いたことは、ステージが狭くモニターが低いので歌いにくいことであった。歌は下を向いて歌うのはよくない。

 私が行くカラオケ喫茶もやはり高齢者ばかりだ。特に配侶を失ってやることもなければ、カラオケはとてもよいpasttimeになる。それに常連になると話もできるし、何より健康のためにもよい。

 私もしつこく誘われて嫌々で始めたカラオケであるがいつの間にか7年経ってしまった。その間下手なりに少しは上達したと思うし、趣味の一つとしていいと思っている。

 

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2012年3月 4日 (日)

記憶力との戦い―カードマジック―

 40過ぎてマジックを教えてもらったことは以前にも書いたことがある。師匠の清水先生は、道具マジックが得意な人だったので、道具を使ったマジックばかりを習った。師匠と同じマジッククラブ、NAMCには、大矢先生というクローズアップの専門家がいて、当然カードマジックもお手の物であったが、師匠は「カードは見るだけ」を貫いた。

  NATCでは、道具の清水、カードの大矢と呼ばれ、双璧であったそうだ。大矢先生も近所に住んでおられたのだが、どういう訳か直接知り合う機会がなかった。

  その大矢先生と数年前に知り合うこととなった。近所のマジック研究会で一緒になったのが縁であった。当然、カードマジックである。それで私もカードマジックを覚えることになった。

 大矢先生のカードは、テクニックを使うものではなく、高齢者でもできる手順のあるマジックであった。その上共に楽しむという演じ方を強調しておられる。

  それまでカードマジックは難しいと思っていたのだが、易しいマジックがたくさんあることに気付いた。それで2010年の8月に思い切ってカードマジックに挑戦する決心をした。その辺についてはその頃のblogで書いた記憶がある。

  その時にカードマジックを覚えるのは、記憶力との戦いだと思った。それで衰えた記憶力で覚えるには、時々確かめるための復習が大事だと考えた。

  最初からたくさん覚えるのは無理だから、まず3つか4つを目標にした。大矢先生に教えてもらった「どれかなどれかな」とか、「1から10のカードで何枚移動したかを当てる」ものなどであった。

  それらができるようになると、目標を7つか8つにした。次は、10種類に設定した。我が名古屋華マジカルグループでも、カードマジシャンのHさんが、「ジェニミツイン」や「4枚のA」や「天海ムーブ」などを教えてくれたし、S先生も「水と油」などをレクチャーしてくれた。

  その他に図書館の本などで易しいカードマジックを探した。「端のカードを覚えて」とか「4枚のAの出現」「選んだカードの出現」などがある。

  そのようにして15種類になり、20種類になり・・・と増えて行った。しかし、数が増えると復習が大変である。ときどき復習を延ばしていると忘れてしまうのだ。それと数が増えると手順が混同することがあり、それが失敗する原因になったこともある。

  種類が増えてくると、13枚のカードだけでやれるマジックがあることが分かった。それで13枚でやれるカードマジックを集めた。最初は、8つであったが、それが10になり、13になりと増えて行った。16種まで行ってもういいと思っていたら、最近20種類まで来た。

  それを「百円トランプ13枚で誰でもやれる20のカードマジック」にまとめた。その中には、プロの「くるわさん」に教えてもらったものもある。また、自分で改案したものも2つある。1つは中国の古いマジック「蘇賦牧羊」を元にしたものだ。

  テクニックの不要なマジックだが、人に見せると不思議がってくれる。テクニックのマジックは素晴らしいと思うが、プロでもテクニックのないカードマジックをやっている。プロがやると、上手に決まっているという先入観で見るから、簡単なマジックでも凄いと思ってしまうのだ。

  今では50種類余りに増えたが、その一方で手順を忘れるのもあるから、キープするのが難しい。復習しかないのだ。

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2011年10月14日 (金)

初めてリングを教えて貰った

 私がマジックを教えて貰った清水先生は、道具を使ったマジックがお得意で、マジックの道具も自分で作っておられた。それで私も手品道具を幾つも買って持っている。

 もちろん市販の道具も持っていて、その中の一つにリングがある。でも、リングは一度も教えて貰ったことはない。

 現在、清水さんの娘さんが主宰しているマジック研究会に大矢先生というクロスアップとカードの得意な方がいる。時々、その先生のところに遊びに行ってカードマジックなどを教えてもらうのだが、先日話の中でたまたまリングのことが出た。

 それで「実は私はリングを持っているのですが、まだ一度も習ったことがないのです。」と話したら、すぐにリングを出してこられて基本の動きをを見せて下さった。さすがに年季が入っているからスムースな動作きであった。それを見てすぐにリングを教えてもらうことをお願いした。

 家に帰って調べて見たら、リングはステージ用の6本リングと、サロン用の小型の5本リングとプラスチック製のカラーリングもあった。

 次の日、それらを持って大家先生の家に行った。3本リングが基本だから、それを習得すればよいと言われた。小型のリング3本で操作の仕方を教えてもらった。

 先生は、親切にもやり方を書いてAの紙にコピーをして下さった。

 家に帰って3本リングのやり方を復習したが、リングを落として一気につなぐところがなかなか難しい。でも、練習すればリングが何とかできそうなので嬉しくてならなかった。

 私が最初にリングを見たのは、まだ大学1年の頃で、大須演芸場に行った時に、色物としてリングのマジックが演じられた。大きな男の人が演じたが、6本のリングを巧みに操り、観客を驚かせた。リングの改めを観客にしてもらってもわからなかった。私は凄いマジックだと思い記憶に焼きついた。

 その後本で原理を知っり、リングを見る機会があったがいつ見ても不思議であった。そういうことがあっていつかは自分でも演じられるようになりたいと思っていたが、結局今日まで習う機会がなかったのだ。

 遅まきだがこれから練習をして人前で演じられるようにしたい。

  

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2011年1月25日 (火)

いつの間にかカラオケ8年半

 一昨日、今年になって初めてカラオケに行きました。私の行きつけのカラオケ店は「カラオケ村四季」です。桜山の南の藤成通5丁目にあります。

 このカラオケ店は、カラオケバーです。席はカウンターです。だいたい10人ぐらい入ると満席になります。ママさんは、インテリです。

 ママさんと話していたら、「カラオケを始めてこの7月で9年になるんですよ。」と言いました。私は、「エッツ?」と一瞬耳を疑いました。「9年?そんなはずがない。」

 私は、ママさんに、「そんなことはないでしょう?まだ5年余りでしょう?」と言いました。ママさんは、「いいえ、9年です。」と強く言いました。

 私の中では、どう考えても5年余りでした。4年ほどの差があります。「嘘でしょう?絶対5年ちょっとですよ。」と言いました。ママさんは、9年になると断言しました。

 「それじゃ、4年損したことになる。」と私は言いました。心の中では、4年も一気に進んだ感じでした。「まるでタイムカプセルに入っていたみたいだ。」と言いました。

 そもそも、私がカラオケに行き始めたのは、Oさんという私より若い友人が何度も強く誘ったからです。それで仕方なしに行ったのでした。

 それまでは私はカラオケが大嫌いでした。理由は、高い声が出ないことと、演歌を知らないことでした。演歌を知らないということは、カラオケで歌える歌を知らないということです。唯一歌えたのは、岸洋子の「希望」でした。

 Oさんについて、カラオケに行くようになって、カラオケではキーの高さを変えられることを知りました。そして、だいたい-2ぐらいにすると歌えることがわかりました。それで少しずつカラオケに慣れ、だんだんとはまっていきました。

 そのうち男声合唱団を作って参加し、さらに第九合唱をするようになり、徐々に声の出し方や腹式呼吸を学んでいきました。

 今でも高い音には苦労しますが、声は腹から出せるようになりました。レパートリーも少しずつ増やしました。カラオケではだいたい他の人は演歌を歌います。若い人は若い人の歌も歌いますが、私が行く店では、年配者が殆どですから演歌が主流です。

 でも、私は演歌をあまり好みません。それでオールディーズから主としてアメリカの歌やシャンソンなどを覚えました。

 英語の歌、中国語の歌も覚えました。「MY WAY」 はオハコです。昔、男性が「愛の讃歌」を歌うのを生で聞いたことがありますが、あのように歌えたらいいのに・・・・と思ったものです。それが今では、歌えるようになりました。

 女声の歌でも、越路吹雪や岸洋子や美空ひばりの歌はキーを下げなくても歌うことができます。

 私は、メロディのきれいな歌が好きです。ですから、昔の歌が好きなのです。そうそう、秋元順子の「愛のままに」もキーを変えずに歌えます。女性でも声が低いのですね。

 そういう訳でレパートリーも80曲ぐらいになりました。実際はもっと歌える歌があるのですが、演歌は殆ど歌いませんからそんなところなのです。

 かなり以前にバッグパックでカナダを旅行したときに、いろんな国から来た人と話したことがありますが、フィンランドとかノルーウエイとかの国にもカラオケがあることを知り驚いたことがあります。もちろん私はカラオケはやっていませんでしたが。

 カラオケは、各国の言葉にも入っているのです。日本のアニメと共に世界に広く受け入れられている日本発の文化なのです。

 という訳で、毛嫌いしていたカラオケに親しむようになってよかったと思っていますが、それにしても9年近くになるとは!

 ママさん、ホントに9年になるの?

 

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2010年10月19日 (火)

ミニ・コンサートからLlVEで1曲―「雪の降る街を」

 10月17日に、昭和生涯教育センターで、センター祭りの一環としてミニ・コンサートを開いたことは昨日のblogに書いた。

 そのとき、ICレコーダーを持ち込んで、会場である視聴覚室の一番後ろにそれを置いて録音をした。ICレコーダーによるミニ・コンサートの録音は第一回からやっており、昨年は中止でできなかったので、今回で3回目である。

 4年ほど前に買ったICレコーダーであるが、デジタル録音なのでボディは小さくても意外なほど音を録ってくれる。昨日の朝、おそるおそる聴いてみたらまあまあの録音ができていたのでよかった。

 早速それをパソコンに取り込み、CDにして聴いてみた。BOSEのステレオで聞いたら、音は高音がキンキンしているが聴くに耐えた。

 前にも書いたように3回目の録音であるが、聴いてみて男声合唱を結成してこの3年余りの間に進歩したことが自分でも分かった。

 ジョイントでやった女声のスイート・ポテトと両方を一つのCDに収めることができた。スイート・ポテトの代表の方に電話をして、1枚進呈すると言ったら喜んでいた。あちらは従来のテープに録音したが音がよくないと言っていた。その点ICレコーダーは小さくてもよい音で録音が出来るし、音をよく拾うのでありがたい。

 CDにすれば、コンサートに来てもらえなかった人にも聴いてもらうことができる。便利な時代になったものである。

 下に、「雪の降る街」を載せておく。クリックして聴いてもらいたい。1曲しか載せられないのは、blogの容量がが1Mbまでだからだ。

「2.WMA」をダウンロード

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2010年10月18日 (月)

気持ちよく歌えたコンサート

 10月17日(日曜)に昭和生涯教育センター祭りの一環として我が昭和男爵コーラスも参加した。同じセンターで活躍する女声コーラスのスイートポテトとのジョイントであった。

 昨年は、創設者のピアニストの急病でコンサートがキャンセルになったので、今年はどうしても成功させたいと思っていた。

 10時半からスイートポテトが歌った。このグループは結成して29年になるそうで上は80代から下は40代まで17名の団員がいる。車椅子の人と椅子に座って歌った人もいた。

 曲は、次の6曲。

 まっしろいこころ  阪田寛夫作詞 いずみたく作曲

 夕顔         金子みずず作詞 木下牧子作曲

 こがねむし     野口雨情作詞  中山晋平作曲 岩崎佳子編曲

 いっぱいとひとつ まどみちお作詞  中田喜直作曲

 小さな世界     R.M.Sherman & R.B.Sherman詩曲

 童神~天の子守唄~  古謝美佐子作詞 佐原一哉作曲

 小品ばかりであったがきれいな曲で、きれいに優しく歌った。

 11時15分から、私たち昭和男爵コーラスの出番であった。外に整列をすると団員はみな緊張をしているのか、顔が赤らんでいた。開始時刻になると会場は満員になった。合唱台の上から眺めたら、私が呼びかけた人たちもたくさん来てくれていた。それで緊張がました。

 代表が挨拶と指揮者、ピアニストの紹介をしたあと、最初の曲の「世界で一つの花」を歌った。歌い出しはちょっと硬くなった。でも、終わると指揮者が指で丸を作ってくれた。

 次の曲は、「Dona Nobis Pacem」で、和音のきれいなカノンであった。

 3番目は、モーツアルトの有名な「Ave Verum Corpus」でこれもハーモニーのきれいな曲だ。昨年歌う予定の曲であった。

 この曲からは、団員が一人ずつ交代で前に出て曲の解説をした。この解説が大変に好評であった。どの解説もよく出来ていたという評を頂いた。

 4番目は、私が説明を担当した。最後に「こんな女性に愛されたい。」と言って笑いをとった。曲は、「水色のワルツ」。きれいな曲だ。

 5番目は、「島原地方の子守唄」でこれもハーモニーの美しい曲だ。

 6番目は、「雪の降る街を」で、リズムを大切にして歌った。男声合唱らしい音が出せたと思う。

 7番目は、「上を向いて歩こう」で、指揮者の編曲で坂本九とは違ったリズムで歌った。

 最後の8番目は、「夜明けの歌」で、団員のSさんが特別に指揮をし、最後に1番を会場の人たちと一緒に歌った。とてもよかった。

 アンコールには、「ヴォカリース1,2」を身振りをつけて歌った。会場からは手拍子が沸き起こった。

 歌い進むにつれて緊張も和らぎ歌に乗って歌えた。隣のSさんとEさんに挟まれて2人の声を聴きながら、指揮者に注目をして暗譜で歌った。これまでになく自分の声が他の人の声とハモッているのがわかりとても気分がよかった。

 終わってから、聴きに来てくれた人たちに挨拶をして感想を聞いたが、みなさんがとてもよかったと褒めてくれたので嬉しかった。センターの人たちも上手だったと褒めてくれた。

 3年数ヶ月の間の進歩があったわけで、これも指揮者や亡くなった先生やピアニストの先生のお陰である。

 

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2010年10月 3日 (日)

シラハエに恋して―④ウグイを釣る

 シラハエを釣りに揖斐川に通ったが、時に大きなウグイやアマゴを釣ることもあった。

 最初にウグイを釣ったのは、弟と一緒に揖斐川の荒瀬のところで釣っていたときのことであった。なかなか釣れなかったが辛抱強く流していると、いきなりガクンとまるで岩に引っかかったような手ごたえがあり、竿がしなった。そっと引いてみると岩ではなくて何かがかかっているようであった。手繰り寄せてみたら、体長が30cmぐらいの大きなウグイであった。

 ウグイは臭いので嫌われ食べる人がいない魚である。それで猫またぎという異名があるくらいだ。猫でも食べないという意味だ。唯一、ウグイを食べるのは信州である。信州は海から遠いので貴重な蛋白源として食べるのかもしれない。

 それでも折角釣ったので持って帰り、妻が辛めに味付けをしてくれて食べた。匂いはあるが食べられないことはなかった。

 それからしばらくはウグイの手応えに魅せられてウグイを狙った。揖斐川町にかかる橋があって、その橋の下の大きな岩がごろごろしているところが絶好の釣り場であった。

 岩の陰を流すとガクンと来て大きなウグイが食いついた。その頃小学校2年生であった息子にも味合わせてやろうと思い、連れて行ったことがある。運よく息子もウグイを釣ることができた。

 シラハエもウグイも産卵の時期になると、オスはきれいな婚姻色になる。オスはおしゃれをしてメスの気を引かなくてはならないのだ。

 土地の人はウグイを釣らないからかウグイは結構釣れた。ときにはアマゴがかかることもあった。ウグイと違ってアマゴを釣ったときは嬉しくてたまらなかった。

 

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2010年9月11日 (土)

シラハエに恋して③―桐田師匠

 シラハエ釣りを始めて、岡崎の巴川とか矢作川などにも出かけていた。あるとき新聞の釣り情報欄に頻繁に投稿している人がいることに気がついた。

 その人は、大垣に住んでいて、地元の揖斐川を釣り場としているようであった。相当に上手な人らしく、釣果はいつも素晴らしいものであった。それでその人に会いたいと思うようになった。

 新聞社に頼むと、その頃は今のように個人情報提供にうるさくなかったので住所や名前を教えてくれた。そこで大垣のその人の家まで出かけた。

 その人は桐田さんといい、60歳ぐらいの人であった。気さくな人ですぐに私の頼みを受け入れてくれた。

 桐田さんは、いつもバイクで釣りに行っていた。私は車を運転していたので桐田さんを乗せて揖斐川まで出かけた。

 シラハエを釣るには入漁証を買わなければならない。桐田さんは、年間の鑑札を持っていた。私は入漁証を売っている店を教えてもらい雑魚の1日券を買った。

 揖斐川の支流の川で揖斐川と合流する地点に案内された。そこで餌のクロカワムシの取り方から教えてもらった。大きな石を裏返すとクロカワムシがくっついていた。

 桐田さんのシラハエの釣りは、瀬釣りであった。流れのちょっと急なところを狙って特製の浮きを流して釣るのである。特性の浮きはキビガラを使って黄色く色をつけてあった。その浮きの芯に釣り糸を通して使うのだ。

 浮きが流れて行くと、急に浮きの動きが変化するときがある。その瞬間を狙って竿を上げるのだ。きれいなシラハエが糸の先に踊っている。

 瀬釣りはとても気持ちがよい。一日中釣っていても気分が爽快である。桐田さんを知ってシラハエ釣りを教えてもらい、瀬釣りの楽しさに魅せられてそれ以後はいつも揖斐川まで通った。途中大垣の桐田師匠の家に寄って車に乗せ一緒に揖斐川に行くのであった。

 思えば、天竜川で最初にシラハエに出会ったのも瀬釣りであった。そしてまた瀬釣りに戻ったのだ。

 桐田師匠に教えてもらって、私のシラハエ釣りの腕はめきめきと上がった。それで前にも書いたように、雲津川の淵釣りでも大いに釣果が上がったのである。

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2010年8月23日 (月)

シラハエに恋をして

 天竜川で釣りをして、たまたま釣った2匹のlシラハエの美しさに魅せられて、何とかしてまた釣ってみたいものだと思った。

 その話を同僚にしたら、一度釣りに行こうと言ってくれた。たまたま、出入りの商人に釣りの大好きな人がいて、しかもシラハエを釣るのが上手だとわかった。それで、3人でシラハエを釣りに行こうという話しになった。

 彼は、とてもよく釣れる釣り場があると言って、三重県の松阪市の向こうにある雲津川に案内してくれた。

 美杉村を少し行ったところに雲津川があった。岩場があり、淵もあって格好の釣り場になっていた。後で分かったのだが、かなり遠くから釣りに来ているのであった。

 途中の釣具店で、シラハエを釣る餌のウジを買った。蝿のウジがシラハエつりの餌であった。もちろん栗虫の方がいいのだが高いので買わなかった。

 釣りを始めたが、案内してくれた人はさすがにベテランで次々と面白いように釣っていた。同僚もときどき釣り上げていた。ところが私は釣れなかった。ほぼ同じ場所で竿を出しているのに釣れないのだ。結局、夕方までいて数匹しか釣れなかった。その時のことは今でもはっきりと覚えている。

 でも、シラハエが数匹釣れたのでよかった。

 それから、何とかしてシラハエ釣りがうまくなりたいと日曜ごとに雲津川に通った。東名高速道路を通って行くので、通行料金も馬鹿にならなかったが、シラハエ釣りの上達を目指したのだ。

 いつの頃からシラハエがたくさん釣れるようになったのか覚えていないが、そのうちに面白いほど釣れるように上達した。

 今でも覚えているのは、ある日、いつものように釣っていたら、京都からはるばると釣りに来た人たちがいた。ポイントの岩場に陣取ってかなりのベテランのようでよい釣果を上げていた。私は、近くの瀬に立って釣っていた。しかし、私の方が竿をあげる回数が断然多かった。釣ったシラハエを入れる大きな網の袋を腰につけてそこに入れていたのだ。京都から来た人たちは、私の方を見て、「どうしてあんなに釣れるのだ。」と言った。私の方は所謂入れ食いというものであったのだ。夕方止めるころまでにはおそらく500匹近く釣ったように思う。

 

 

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2010年8月20日 (金)

釣りとの出会い

 今はやらないが、一時釣りに凝ったことがあった。釣りを始めたきっっかけは、40歳ごろだったと思うのだが、天竜川の畔の宿に1泊したことであった。

 妻が子どもを連れて広島の友人のところに出かけたので、私も一人で駒ケ岳に出かけた。そのとき、天竜川の川辺に宿をとった。

 その宿は民宿のようなもので、入り口のところに竹の釣り竿が何本か立てかけてあった。宿の主人に聞くと、宿泊した人に貸すために用意したあるのだと言った。それで、一度天竜川で釣りをしてみようと思い立った。

 竿を借りて天竜川に下りて行った。天竜川はかなり流れのきつい川であった。浅瀬のところで教えてももらった餌の川虫を探した。確かクロカワムシといった。体長が2cmぐらいの黒っぽい水生昆虫であった。

 石を起こしてその虫をつかまえて針先につけて釣りを始めた。辺りには自分以外には釣りをしている人はいなかった。流れに沿って餌を流していたが簡単には釣れなかった。

 かなり時間がたって手元に手ごたえを感じた。さっと竿をあげると、体長6cmぐらいのきれいな魚が陽をあびてキラッと輝いた。何というきれいな魚だろうと思った。

 その日、魚は2匹釣れただけであったが、大変に満足をした。釣った魚は持って帰るわけにはいかないので逃がした。

 後で分かったのだが、その魚はシラハエ(学名オイカワ)であった。

 そのときの魚の美しさは今も脳に焼き付いている。それがきっかけでその後何とかしてまた釣ってみたいと思うようになった。

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