映画・テレビ

2017年1月20日 (金)

よかった「この世界の片隅に」

 「君の名は」というアニメ映画は騒がれているので知っていて見に行った。でも、大きく騒がれる理由が分からなかった。そのことをblogに書いたら、Tさんからメールが来て、Tさんの友人も「『君の名は』は面白くなかった。『この世界の片隅に』の方がよかったと言っていた」と書いてあった。それで「この世界の片隅に」というアニメ映画があることを知った。

  どんなアニメか観に行こうと思っていると、先日Yahoo newsで「この世界の片隅に」がキネマ旬報の昨年度第一位映画に選ばれたことを知った。それならなおのこと観に行かずばなるまいと思った。

  16日に丁度午後の予定がなかったので出かけた。朝は雪が凍り付いていた道路が溶けていたのでよかった。

  ミリオン座に着くと14時からの部の券を買った。52番であった。いい座席取れるかなと思いながら待っていた。番号順に呼ばれて入場すると、まだいっぱい席が空いていたので、6列目中央に座ることが出来た。

  ミリオン座は予告編が早く始まるのか「この世界の片隅に」は定刻14時に始まった。最初に画面に片淵監督が出てきて、「この映画は1944年と45年の普通の家庭に起きたことをを描いています」というようなことを言った。これまでにない演出であった。

  映画は1933年、主人公の「すず」が子どもの頃のエピソードから始まった。すずは広島に住んでいた。すずは大変絵が上手な子どもで、絵が苦手な同級生水原哲に宿題の絵を描いてあげるのだ。

  すずが18歳になったとき、縁談があり、どんな相手かも知らぬまま結婚式を挙げる。相手は北条周作という真面目そうな青年で、周作は海軍で事務をやっていた。すずは呉市の軍港が見える山の斜面に住むことになる。

  最初周作とはうまくやっていけるのだろうかと思って観ていたが、物語が進むと周作はすずを大変愛していることが分かった。周作にはしっかり者の姉の経子がいて、里帰りをしてきてすすにきつく当たる。しかし、離縁して娘の晴美を連れて実家に戻り、すずたちを暮らすことになる。周作の両親は優しい人ですずを大事にしてくれる。

  すずの家に近くからは軍港がよく見えて戦艦大和や武蔵なども見えるのだ。すずはそれを写生していて憲兵に見つかる。

  戦争が進むにつれて、物資は配給になり、食べ物も少なくなっていく。すずは道端に生えているたんぽぽなど食べられる草をつんで食べるのだ。生活が厳しくなる様子や米軍機が飛んで来て爆弾を落とす様子などが描かれる。

  呉は軍港の町だから容赦なく米軍の攻撃を受ける。すずが晴美を連れて義父の見舞に行った帰り、時限爆弾によって晴美は死に、すずも大事な右の手首を失うのだ。

  すずの家にも焼夷弾が落ちるが、不自由な手で何とか消し止める。呉の街は焼夷弾と爆弾で焼き払われてしまう。

  そして運命の8月6日。その日はすずは広島の実家に戻っているはずであったが、病院の診察日の関係で家にいた。そこでキノコ雲を見ることになるのだ。

  物語は20年の暮れまでが描かれる。終戦の20年を挟んで「世界の片隅に」起こったさまざまな出来事を詳しく描いているアニメである。映画のどこにも戦争反対とか平和とかの文言は出てこないが映画全体を通して訴えているのだ。

  私は映画を観ていて、戦時中の生活が思い出され、そうだそうだと思いながら観た。そういう意味では「君の名は」とは違い、高齢者には分かりやすいアニメ映画ではある。

  すずの声を「のん」が吹き込んでいるが、ぴったりの声である。片淵監督が「他には考えられない」と絶賛したそうだが、実にはまっている。

  風景の絵は「君の名は」ほどではないが細かくよく描けている。すずについては子どもの頃とあまり変わらないので成長が感じられなかった。

  興行収入的には「君の名は」が圧倒しているが、「この世界の片隅に」は温かく優しい心を持った人々が描かれていて、戦争について考えさせるものになっているのでよいアニメである。

 

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2017年1月 9日 (月)

超人気の「君の名は」を見に行ったが

 アニメ映画「君の名は」がものすごい人気だと聞いて、それなら見て見ようと思った。昨年暮れに映画館に電話をして尋ねたら、年内は満席だと言った。新年になっても上映するのかと聞いたら、1月はやる予定だと言った。でも正月明けまで満席だろうと言った。

  仕方がないので1月4日に券を買いに行った。もし、空いていたら見ようと思ったら、夜の部が少しあるだけだと言ったので諦めた。そして、6日の11時40分の券を買うことにした。驚いたことに席は一つも売れていなかった。よりどりであった。

  6日になったので出かけた。券があるから慌てることはないと、開場時間ごろ着くように行った。始まってみると、何と席はほとんど埋まっていた。高齢者もいたが若い人が多かった。

  「君の名は」は中国でも大変な人気で、約62000館で上映され、観客動員も凄いという。中国語では「你的名字」というタイトルである。

  また、韓国でも上映が始まったが、これまでの記録を塗り替えたといい、これから大変な人気になるだろうとニュースに出ていた。

  そういう訳で、いったいどんな映画だろうと期待をして行ったのであった。ストーリーは難しいので、公式ホームページから転載する。

  「千年ぶりとなる彗星の来訪を1か月後に控えた日本。山深い田舎町に暮らす女子高校生・三葉は憂鬱な毎日を過ごしていた。町長である父の選挙運動に、家計の神社の古き風習。小さく狭い町で、周囲の目が余計気になる年頃だけに、都会への憧れを強くするばかり。

  「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!!!」

  そんなある日、自分が男の子になる夢をみる。見覚えのない部屋、見知らぬ友人、目の前に広がるのは東京の街並み。念願だった都会でも生活を思いっきり満喫する三葉。

  一方、東京で暮らす男子高校生、瀧も、奇妙な夢を見た。行ったこともない山奥の町で、自分が女子高校生になっているのだ。

  繰り返される不思議な夢。そして、明らかに抜け落ちている、記憶と時間。

  二人は気づく。「私/俺たち、入れ替わってる!?

  入れ替わる身体とその生活に戸惑いながらも、現実を少しずつ受け止める瀧と三葉。残されたお互いのメモを通して、時にケンカし、時に相手の人生を楽しみながら、状況を乗り切っていく。

  しかし、気持ちが打ち解けて来た矢先、突然入れ替わりが途切れてしまう。入れ替わりながら、同時に自分たちが特別に繋がっていたことに気付いた瀧は、三葉に会いに行こうと決心する。

  「まだ会ったことのない君を、これから俺は探しに行く」

  辿り着いた先には、意外な真実が待ち受けていた・・・・・。」

 結末はここには書かない。

  背景となる町は、高山の隣にある飛騨市古川のようだ。それで古川には「君の名は」の聖地を見ようという中国人観光客がたくさん訪れているという。

  私は古川に行ったことがあるが、「君の名は」に出て来るような大きな湖はなかったと思う。

  このアニメ映画の最大の良い点は、絵が非常に精密できれいであることだ。まるでカメラで撮ったような画面である。

  ただ、ストーリーはファンタジーであるが、私には分かり難くかった。三葉と瀧が入れ替わるのだが、それが分かり難いのだ。ドアが閉まるシーンがあり、それが変わるよという合図のようなのだが。

  ネットで調べてみると、「君の名は」は面白くないとか、感動できないとか、難しいというのもあった。私には分かり難い物語で、何がそんなに人気があるのか理解できないのも無理からぬことのようだ。娯楽アニメだから人それぞれに楽しめばいいのだ。

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2016年12月28日 (水)

つまらなかった1万人の第九ー国分太一の発見ーわけありクラッシック

 12月23日に放送された、「1万人の第九―国分太一の発見―わけありクラッシック」という番組を今年も観た。関西在住の友人が毎年1万人の第九に出ていて、観て欲しいとメールが来るからだ。

  「1万人の第九」は大阪で行われるのだが、出演希望者は全国から集まる。全国の40数か所で事前の合唱指導があり、本番には大阪に集まるのだ。指揮者が佐渡裕氏なので余計に人気があり、応募しても必ず出られるとは限らないようだ。

  「1万人の第九」はどんなものか、実際は出演しないととても分からないであろう。私も出演して見たいと思ったが、大阪では宿泊をしなければならないし、出演料も旅費もかかるので諦めた。それで今年もテレビで観ることにした。

  番組は、クラッシック音楽について、多くの人に興味を持ってもらおうということで企画されたようだ。クラッシック音楽は特別なものではなく、誰でも親しむことができるという誘い水である。

  57分の大半は、2択のクイズによるもので、ピアノの祖先は何かとか、ベートーベンがコンサートを最初にやったのだとか、第九が初演されたときベートーベンは何故激怒したのかとか、ベートーベンが家政婦のどんなことに怒ったのか、とかいうことを榊原郁恵さんやハリセンボンなどに答えさせるというものであった。

  2択を出す役は渡辺直美という太ったピン芸人で、国分太一と共に番組の目玉であるようだった。佐渡裕氏もクイズの場には出ていたが、出題に関係しているようであった。

 肝心の1万人の第九の大合唱は、全部聴けるものと期待していたが、すぐに終わってしまった。それでおかしいと思い、録画を見直したら、何と放送されたのは、最初の「フロイデ」と「D」の「ダイネ ツァオベル」で始まる部分、「ヤー」で始まる部分と、「G」の「キュッセ」で始まる部分と、男声の部分と、第九のサワリの「フロイデ」で始まる部分と、最後の部分をつなぎ合わせたものであった。第九を知らない人が聴けばこれが第九の合唱だと勘違いしてしまうであろう。

 第九の合唱を全部放送しても、佐渡氏の指揮は速いので17分ぐらいであろう。トリビアな知識を売るクイズは減らして、合唱の全部を放送してほしかった。指揮者の佐渡氏は汗をぬぐいながらの棒振りで、終わった後は汗びっしょりであった。

 

 

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2016年12月15日 (木)

面白かった「古館伊知郎のトーキング・ヒストリー 忠臣蔵」

 新聞のテレビ欄で「古館伊知郎のトーキングヒストリー内蔵助」が面白いと、観ることを勧めてあったので、録画をしておいて観た。

  テレビ朝日と東映が協力して、太秦の撮影所に吉良邸のセットを作り、赤穂浪士の討ち入りを、事実に基づき詳しく検証するドラマを制作した。その事実というのは、中央義士会が、100年にわたり研究を続けてきたものをもとにしているのだという。そのドラマと解説のコーナーで構成されていた。

  解説のコーナーには、歴史学者の磯田道史氏、聞き手に伊集院光、名取裕子、乃木坂46の秋元真夏が参加し、古舘キャスターがMCを務めた。また、古舘キャスターはドラマの実況放送も担当した。ドラマに入り込んで、現地中継で実況放送をするという手法が面白かった。古館キャスターの滑舌を活かしたやり方であった。

 新忠臣蔵は、ポイントの場面ごとに、旧来の忠臣蔵はどう描かれていたかを示した後、その部分を再現した。

 さらに、忠臣蔵の大事な観点として、

①どうやって集結したのか。

②大石内蔵助の討ち入り作戦はどのようなものであったのか。

③吉良邸の全貌はどうなっていたのか。

をあげていた。

 また、四十七士は一人も死んでいないのに、150人いたと言われる吉良側は58人もの死傷者を出しているのは何故かも興味深かった。

 ①集結については、内蔵助たちは2年間にわたり、さまざまな職業をしながら、準備をしていったのだが、忍者と同じレベルの調査能力でいろいろ調べたのだという。

 集結場所として、吉良邸の近くの米屋に集まったのだが、その米屋も仲間の一人が経営をしていたのであった。何と吉良邸にまで米を売っていたという。

 集結は、町人の姿をした浪士たちが、バラバラに米屋に集まった。そこで着替えをして、蓄えてあった刀や槍などで武装した。ドラマにあるような名前を大きく書くことはせず、袖口に小さく名前を書いたのだ。

 大事なことは、槍は室内で使いやすいよう短くし、衣の下には鉄の網の物を上下につけて、切られても大丈夫なようにした。その重さは10kgにもなったという。

 討ち入りは、12月15日であったが、磯田教授はこの日しかなかったと指摘した。それは浪士たちにはもう金がなくなっていたのだという。

 また、15日は満月の夜で、運がよく晴れていたそうだ。だから月明かりで行動できたのだ。行動を開始したのは3時50分ごろであった。夜が明けるまでには事をすませなければならない。

 定番のドラマでは、討ち入りには、二人が塀を越え、門の閂を開けて全員が門から中にはいる。そして、吉良邸で内蔵助が陣太鼓を鳴らしたことになっている。しかし、実際は、門の前で二手に分かれ、主税が率いるグループは裏門を固めに行った。内蔵助たちの表門グループは全員が梯子を上って静かに中に入ったのだという。

 中に入った連中は、内蔵助たち数人を残して長屋に向かった。長屋には足軽や荷物運びなどの連中を含めて150人寝ていた。その連中を閉じ込めるために金づちでかすがいを打ち付けて出口の戸を全部塞いでしまった。

 そして大勢の人数が外にいるかのように、あちこちで声をあげた。それで足軽たちは戦意を喪失して出て来ず、士分の者だけが戦うことになったという。吉良側の戦力はそがれてしまったのだ。

 吉良の侍たち1人に対して、浪士たちは3人で対するという戦法をとった。周到な準備と戦法によって、浪士側の死者はゼロであったのだ。

 ところで、吉良邸は3000坪以上の広大なものであった。だから吉良上野介を探し出すのは容易ではなかった。上野介は台所の物置に護衛2人と隠れていた。

 その場面も従来のドラマでは、炭小屋に隠れていたのを見つけ出され、内蔵助に殺されることになっているが、実際は間次郎が戸の外から槍でついている内に槍がささったのだという。

 こうして、2時間かかって夜が明けるまでに本懐を遂げ、浪士たちは主君の墓がある泉岳寺に向かったのだが、それも当初の計画にはなかったのだそうだ。近くの寺に断られて、10kmも歩いて泉岳寺に向かったのだという。だから着いたときは、みな疲労困憊していたという。また、この行軍を見るために多くの人々が集まったという。

 忠臣蔵の討ち入りの場面に特化して、実況放送を入れてのドラマは、大変面白かった。また、事実の方が、実に巧妙に、周到に準備をされていたことが分かり、成功した理由もよく分かった。

 江戸時代には仇討は「ご法度」であったが、明治になって息を吹き返し、「忠」ということを強調する教材となったことを指摘した。忠臣蔵も殺し合いの争いだと断じ、「復讐の連鎖はこういうことから起きる」とういう争いはいけないことだと言ったのがよかった。

 主君の無念を晴らすということは、江戸時代の人には自然の心情として受け入れられたという。しかし、300人いたと言われる浅野の家臣たちだが、脱落をする者が多く、やっと残ったのが47士であったという。忠義の美談として捉えられ、日本人に人気がある忠臣蔵も、所詮は武力による報復の物語であったと考えれば、現代のイラク戦争とかISとかの争いに通じる教訓として捉え直すことができよう。

 今年も討ち入りの日の朝は大変きれいな満月であった。それを眺めながらウオーキングをした。

 

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2016年12月 5日 (月)

面白かった「オケ老人」

 「オケ老人」という映画が人気が出ているとニュースで読んだのでミリオン座へ観にいった。

  映画はオーケストラのステージの終わりの画面から始まる。主演の杏が扮する高校数学教師の小山千鶴が、梅が岡フィルの素晴らしい演奏に感動する場面だ。千鶴は家に帰って、自分もオーケストラに入りたいと思う。千鶴は学生時代にバイオリンでオーケストラに参加していた経験があり、人生を豊かにするためにもう一度やりたいと思ったのだ。ネットで調べて電話をすると梅が岡交響楽団の指揮者の野々村(笹野高史)が直ぐに採用すると言う。

  千鶴がオーケストラの練習会場に行くと、10名ほどの老人ばかりの団員たちが「威風堂々」を練習していた。しかし、その演奏はてんでバラバラで、とんでもないものであった。指揮者を見ないし、一日に1ページほどしか進まないのだ。

  千鶴はがっかりする。千鶴が感動し、入りたかったのは、梅が岡フィルハーモニーであったのだ。梅フィルは、梅が岡交響楽団から若い優秀な団員たちが抜けて作ったものだということが、映画の中で分かる場面がある。残ったのは老人たちばかりであった。

  梅響で指揮者の野々村が病となり、千鶴が指揮を任される。でも、千鶴は何度か抜けようとする。梅フィルの募集で一旦は梅フィルい入ることができるが、結局ついて行けず、首を言い渡される。

  千鶴は考えを改め、梅が岡交響楽団をまとめようと努力するようになる。その過程で後輩の若い教師坂下君(坂口健太郎)に恋愛感情を抱く。その恋の指導を生徒の野々村指揮者の孫和音(黒島結奈)がしたりする。その和音は天敵の梅フィルのコンマス大沢義郎(光石研)の息子 コーイチ(萩原利久)と恋愛関係である。電気製品の修理の店を持つ野々村は大沢とは商売でも敵対関係にある。

  そんな中でフランスから、世界的指揮者のフィリップ・ローマン(フィリップ・エマール)が梅フィルにやってくる。それで、千鶴はローマンの指揮する演奏で出たいと練習に励んだのだが叶わなかったのだ。

  そのローマンが壊れたラジカセを持って野々村の店に現れ、野々村はそれを直した。それでローマンと梅響の関係ができるのだ。

 映画の1/3ほどまでは、退屈で面白くないが、次第に話が展開し面白くなった。千鶴の変化やオーケストラの老人たちとの関わり、二つの恋愛を織り込んで物語は広がる。学生時代にオケの経験があったとはいえ、指揮の経験のない千鶴が指導をし、ハチャメチャだった老人オケを見事に成長させるとか、団員が若い人も含め大幅に増えるとか、そんなことアリ・と思うようなところもあるが、それは物語だからと割り切るよりない。

 俳優たちが楽器の演奏をどのようにやるのか興味深く見ていたが、上手に扱っていた。音はそれぞれに多くの演奏者が作ってアテレコをしたのだ。

 

 最後に劇的に盛り上がることと千鶴の恋の意外な終局などがあって楽しめる映画になっている。世の中には、老人だけの合唱団とかオーケストラがあるが、老人がいつまでも輝て生きていくことの大切さを描いたよい映画だと思う。

 原作は、荒木源氏の「オケ老人」で、監督は、細川徹。杏に音楽の素養があるのかどうか知らないが、初主演で好演であった。笹野高史も存在感があったし、坂口健太郎もはまっていた。

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2016年10月 9日 (日)

シン・ゴジラは自衛隊が全面協力していたのだ

 人気映画「シン・ゴジラ」を観たことは前に書いた。シン・ゴジラでは陸・海・空の自衛隊が登場し、シン・ゴジラをやっつけるために大活躍をする。それでもシン・ゴジラはびくともしない。

  映画で陸・海・空の自衛隊が総動員で攻撃をする映像を見て、CGなのか自衛隊が協力しているのか、どっちなのかと思っていた。もちろん最後のタイトル画面には防衛省協力とあったから、協力があったことは分かったが、どこまでなのかは分からなかった。

  10月6日の朝日新聞「映画の自衛隊、変化するキャラ 背景に防衛省の協力」という記事を見て、防衛省の全面協力であると分かった。

  協力は自衛隊を国民に理解してもらうのが目的だという。1989年に協力第1作が作られ、これまでに47作品に協力してきたという。しかも協力は無償だという。映画製作側にとっては大変おいしい話である。

   同省は施設や装備の撮影許可のほか、対ゴジラ作戦で考えられる部隊編成や装備の配置などについて協力した。多摩川の河川敷を走り、ゴジラに砲撃を加える最新鋭の10式戦車、市街地上空を飛び、精密誘導弾で爆撃するF2戦闘機……。シン・ゴジラでは、自衛隊が実際に使っている装備を駆使し、ゴジラを攻撃する。非常にリアルに描かれている。

  映画を見たある自衛隊幹部は、無線のやりとりなど細部の描写がリアルなあまり、ドキュメンタリーを見ているような錯覚に陥ったという。

  2001年の同時多発テロ、自衛隊のインド洋やイラク派遣、03~04年には有事法制の整備・・・・この前後から、「自衛隊協力」は映画の宣伝材料になり始めたそうだ。そして、日本の防衛政策へのいらだちを表すセリフも登場するようになった。「亡国のイージス」には、反乱を起こした自衛隊の幹部が「撃たれる前に撃つ。それが戦いの鉄則です。それができない自衛隊に国を守る資格はなく、それを認められない日本に国家を名乗る資格はない」と言い放ち、専守防衛を批判する場面があるという。着々と集団的自衛権行使の道ならしをしてきたのだ。

 自衛隊と映画の関係を研究してきた筑紫女学園大学の須藤遙子(のりこ)准教授(メディア論)は、「防衛省が協力した映画では、自衛隊は善玉として描かれるのが前提。強くて優しく、法律を守るという模範的なイメージに少しずつ近づいてきた。シン・ゴジラはその路線の集大成」と話している。

 さらに度重なる北朝鮮の核実験やミサイル発射、中国の海洋進出などを背景に、英雄的に描かれる自衛隊を許容する風潮は強まるとみているという。「メディアリテラシー(メディアの特性を理解して情報を見極める力)を持って楽しむ必要がある」と語っているそうだ。

 自衛隊によい印象を持っている国民は、2015年の調査では92.2%になったという。阪神淡路大震災、東日本大震災と大津波、熊本大地震など度重なる大災害で自衛隊が救援に出動するのを見て自衛隊への見方が変わってきたのであろう。

 戦後警察予備隊から始まって、自衛隊を呼称や姿を変えたが、憲法違反の疑いが強い中、専守防衛を掲げて存在し続けてきた。いわば”実効支配”を続けているわけだ。安保法制によって世界の何処へでも出かけることができるようになり、11月にもその命令が出されようとしている。自衛隊は軍隊としての姿を見せるようになるのだ。

 ゴジラと戦う自衛隊はいいとして、実際に人間を相手に殺し合う戦闘に向かう自衛隊はこれまでとは全く違う次元に立つ訳である。その辺りのこともよく考える必要がある。

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2016年10月 1日 (土)

お笑い番組、何が面白いのか分からない

 私は落語や漫才などが好きで、10年ぐらい前に「エンタの神様」などのお笑い番組があるといつも見ていた。しかし、お笑い番組にも流行の波があり、その内にテレビではあまりやらなくなった。

  最近またお笑い番組が増えてきたようで、民放でよくやるようになったので見始めた。番組のタイトルは全く覚えていないが、BS朝日で木曜日にやるナイツが司会する番組とか単発のコントと漫才競争とか、最強のお笑い芸人出場と銘打ったものとか・・・・いろいろある。

  またお笑いではないが、マジックの番組もよく放送される。マジックの場合は不思議さが売り物なので、凄いなあとかどうやってやるのだろうタネを知りたいなど、それなりに観ての満足感はある。

  ところがお笑い番組は、いくら「大爆笑」とか「必ず笑わせます」などと新聞の番組欄に書いてあっても、観終わって面白かったと満足できるかどうかは全く分からない。最近のお笑い番組を観て満足できなものは一つもないのだ。

  観ながらどうして面白くないのか、笑えないのか・・・・いろいろと考えながら観ることもあるのだが、面白くない原因が分からない。

  大須演芸場が再開したときに大助・花子がオオトリのものを観に行ったことがある。さすがは大御所でこの二人だけで立ち見が出た。でも、その漫才はいつもテレビで見るネタでありながら面白く笑って観ることができた。

  ずっと昔には横山エンタツ・花菱アチャコがいた。ラジオで聴いたのだが面白かった。大阪にはしゃべくり漫才があって、その後も漫才は言葉のやり取りの行き違いや聴く方の勘違いや意外なるオチなどで笑わせていた。夢路いとし・喜味こいしなどは大好きであった。横山靖・西川きよしなどは大人気であった。オール阪神・巨人は現役であるが相変わらずである。

 東京でも獅子てんや・わんや、春日三球・照代、あした順子・ひろしなど話のやり取りで笑いを取るのが上手な漫才師がたくさんいた。

 エンタの神様の頃もそうであったが、コントとかピン芸人などが増え笑いを取る新しい芸を競うようになった。

 この頃のお笑い番組を観ると、裸を売り物にしたり、大声を売り物にしたり、身体の動きを売り物にしたり、一人で二役やったり・・・・等々変わり種も多い。

 コントにしても、ピン芸にしても、漫才にしても、会場にいる人たちや司会者などが大笑いをする映像が流される。そういうのを見て、私は今の何処がそんなに面白いのかといつも思うのだ。テレビを観ていて面白いと笑ってしまう場面はほとんどないのだ。これはテレビは間接映像だからライブで観るのとは違うのかと思いながら観ている。

 視覚に訴える芸が多くなったので、ライブとテレビ画面との落差が大きいのかも知れない。昔は言葉が主流で、笑いのツボがあってそれを心得た造りをしてあった。だからやり取りの会話で笑うことができた。

 最近の芸人を観ていると笑いのツボを練り上げた芸が弱いか全くないかである。だから若い女性は大笑いをしていても、私のような高齢者には笑えないのであろう。タケシは最近の芸人は凄いと褒めたらしいが、私には全くわからない。

 落語は古典がたくさん残っているし、新作でも現代社会をよく観察して作られたものがあるので笑うことができる。落語は言葉で笑わせる伝統芸だからだ。

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2016年9月19日 (月)

シン・ゴジラを観たが

 朝日新聞に9月12に日、「『シン・ゴジラ』快進撃のわけ 幅広い観客を魅了」という記事が載った。それによると、「映画「シン・ゴジラ」の進撃が止まらない。東宝によると、封切り45日の興行収入は65・6億円。延べ450万人の観客を集め、平成ゴジラシリーズ以降の記録を更新した。なぜ幅広い観客を夢中にさせるのか。「エヴァンゲリオン」シリーズで知られる庵野秀明総監督らが作ったコンセプトに秘密がありそうだ。」とあった。

  当初は男性の観客が多かったが次第に女性や子供にまで広がって行ったという。

 そんなに人気があるのなら観に行く行くに如かずと思い、16日に観に行った。そんなに人気があるのなら早く行かないと席がないだろうと、1時間以上前に映画館に行ったが、まだ空席ばかりで拍子抜けがした。4列目の真ん中の席を取った。

  映画は字幕が多用され、登場人物の役職などが書いてあったが、直ぐに消えるので全部を読み取ることはできなかった。主役の長谷川博巳が演じる矢口蘭堂が内閣官房副長官であることは最後まで分からなかった。

  ストーリーは単純で、ゴジラが突然東京湾に出現し、東京を目指し始めたので、内閣が巨大不明生物緊急対策本部を設置して、ゴジラをどう排除し都民を守るかということである。

  私の感想は荒唐無稽のストーリーだということである。巨大なゴジラが突然現れるというのがそもそも不自然である。しかもそのゴジラの生長が非常に速く、2回目に出現した時には巨大化しているのだ。

  荒唐無稽なのはまだある。その不死身振りである。内閣はゴジラを退治するのに自衛隊を総動員し、陸、海、空の精鋭部隊を動員して、最新兵器で攻撃するのだが、ゴジラはびくともしないのだ。生物なのにそんなことがあるだろうか。しかもゴジラは核廃棄物を食べたことで核反応をエネルギーにしているというのだ。

 やむなく内閣は安保条約に基づいてアメリカの協力を仰ぐことになる。アメリカは核兵器で攻撃をするという。

 矢口官房副長官は、アメリカなどが核攻撃をする前に、何とかゴジラを薬物で退治しようとする。そしてきわどいところでそれが成功する。

 結局この映画は時の政権の危機管理について描き、それを巡る人の考え方の違いや動きを描いているのだ。しかし、自衛隊が前面に出、日米安保が発動される。そして自衛隊の決死の活躍でゴジラをやっつけるという、自衛隊賛美のスペクタクルと言ってよい。

  ネットで見たら安倍総理や菅官房長官もいい映画だと言ったそうだ。さもありなんという映画である。

  危機管理であるが、内閣と行政の動きだけが描かれて、市民の動きがほとんど描かれていない。巨大なゴジラが東京の住宅や高層ビルなどをなぎ倒して行くのだが、切実感が全く感じられない。もし本当なら東北大地震の津波や熊本大地震などの比ではない。日本中が大パニックになるはずである。その辺のことが一切無視されているのだ。

  だいたい矢口たちが立川に避難するのに車で移動するというのもおかしな話である。道が完全に塞がれているのに車はありえない。そうかと思うと総理大臣や官房長官など内閣の中枢がヘリコプターで避難しどこかに消えてしまうのも不自然である。

 東京都民360万人を短時間で避難させるというのも成功したことになっているが、実際ならできないであろう。

 巨大災害についての危機管理を描くのであれば、例えば日本の原発がまた大災害で破壊されるというような想定で描いてほしかったと思う。こちらはゴジラのように荒唐無稽ではなく、いつ起こってもおかしくない現実性があるのだ。もしもう一度原発第事故があれば今度はどうしようもない打撃を受けることは間違いないのだ。

 

ポスター画像

 

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2016年9月 6日 (火)

悪をのさばらせる結末が気に入らない映画「後妻業の女」

 たまたま見た9月2日の「NHKアサイチ」に豊川悦司が出ていた。後で分かったのだが映画「後妻業の女」に結婚相談所長として出たのであった。大竹しのぶが後妻業の女を演じる喜劇だというので観に行くことにした。

  結婚相談所長柏木(豊川悦司)と早くに夫を亡くした小夜子(大竹しのぶ)という美貌で奸智にたける女が手を組んで、結婚相談所にやってくる金や資産がありそうな男を陥れ、結婚または内縁の形で一緒になり、資産を狙うのだ。

  ドラマは9番目の夫となる、津川雅彦演じる元大学教授中瀬耕三とその次女朋美(尾野真千子)、長女尚子(長谷川京子)を巡る部分が中心となる。

  小夜子は耕三が脳溢血で入院し危篤となったとき、しめしめと思う。そして必死になって金庫の鍵を探すが見つからない。柏木に鍵師が紹介してくれという。柏木は立ち会うことと取り分の半分を貰うことを条件に鍵師を紹介し、金庫から通帳などを取り出すのに成功する。

  ところが耕三は奇跡的に持ち直す。そこで柏木は濡れタオルでもかぶせて殺せという。小夜子は点滴の管に空気を入れる。それで耕三は亡くなる。葬式では小夜子は喪主を務める。

  柏木とその知人のクラブ経営者を証人に作成してあった公正証書によって小夜子は遺産を全額相続すると宣言する。それについて疑問に思った次女の朋美はクラスメイトの弁護士に相談をする。弁護士は元警察官だという興信所探偵の本多(永瀬正敏)を紹介する。

  本多はいろいろと調べ小夜子が関係した9回の結婚について調査をまとめる。その過程で小夜子のこれまでの後妻業としての悪事の実態が解って来る。柏木と小夜子は少なくとも3人は殺しているのだ。だが本多はそれを弁護士に報告せず、それを元に柏木に5千万円で資料を売ることにした。柏木は本多を殺すことにし、小夜子の息子にそれをやらせる。

  息子は本多を殺すことに失敗する。そして母親の小夜子の所から逃走の金を取ろうとしたのを見つかり母親ともみ合いになる。そして小夜子は死んでしまう。柏木は小夜子をスーツケースに入れて捨てようとし、二人で車に積む。そこへパトカーが通りかかり不審に思われる。万事休すというときにスーツケースが動き出す。開けると何故か生き返った小夜子が現れる。

  娘の朋美は偶然に父親の引き出しから遺言書を見つける。そして遺留分としての遺産が貰えるので喜ぶ。

  最後は小夜子と柏木が元のように結婚紹介をするところで終わっている。

  この映画は、小夜子が10回の結婚詐欺を柏木と手を組んでやっていく過程の様子を喜劇タッチで描いている。また、登場人物が本多や鍵師や獣医などみな一癖ある人物ばかりで、女好きの柏木に絡む女も自分の利益を第一に考えている連中である。10番目鶴瓶が演じる不動産屋も一筋縄ではいかない男で、小夜子はやられてしまう。

  そうしたあわよくば騙してやろうと言うあくどい人間関係を面白く描いているのだが、結末が殺人の悪事を働いた柏木と小夜子やそれにつけ入った本多が法的に処罰されるのではなく、逃れてまた悪事を働く道にいることが納得できない。してやったりという終わり方なのである。

 婚活という言葉を聞くようになって久しい。今では若い人だけでなく、熟年、高齢者のための婚活も増えている。結婚相談所は全国に4000社、利用者は60万人と言われている。

 「熟年離婚」が増える一方で、未婚の中高年男性も急増してる。50歳の時点で一度も結婚経験がない男性は、2010年時点で5人に1人、1995年から2倍以上も増加したという。

 また、65歳以上の一人暮らしは約600万人、男性の5人に1人、女性の2人に1人が独身だそうだ。それで、50代以上の世代による「熟年婚活」が急増しているのだ。離婚後のセカンドライフを楽しみ新たなパートナーを望む人々や、未婚の中高年男性をメイン顧客とした熟年層向けの結婚相談所や婚活サービスが増えている。

 そうした風潮をうまく利用して、結婚相談所で効率よく相手を見つけ、資産を狙って結婚詐欺を働く犯罪が現れた。それを“後妻業”といい、それをテーマにして作られたのが「後妻業の女」である。京都で起きた事件は誰の耳にも記憶されていよう。

 大竹しのぶ、豊川悦司らも好演である。熟年、高年婚活へのある意味で警鐘を鳴らした映画だともとれなくはないが、悪が懲罰されず生き残る描き方には賛成できない。

 ここまでで終わるつもりでいたが、たまたま書店で「後妻業の女」という文庫本を見つけた。映画の原作になったもので著者は直木賞作家の黒川博行の受賞第1作である。

 結末がどうなっているか気になったので最後の方を読んでみたら、何と小説では、柏木がパトカーに見つかったときに逃げようとしたが捕まったのだ。そしてスーツケースを開けると、中から小夜子の死体がでて来たのだ。

 小説はそこで終わっているが、それが普通というものであろう。映画ではどうして小夜子を生き返らせ、柏木たちものさばらせたのであろうか?鶴橋康行監督が結末を変えたのであろう。原作者はどうして不自然な結末を許したのであろうか。

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2016年8月17日 (水)

詰まらないテレビ番組その②

 つまらないテレビ番組のその②は8月14日に放送された「たけしのTVタックル」である。日曜日でたまたま暇があったし、「小池都知事VS田島陽子」というサブタイトルに惹かれて期待を持って観ることにした。

 私の予想では、スタジオに小池知事が出演し、田島陽子と渡り合うことであった。田島陽子が参議院議員であったときに小池百合子とスタジオで対決したことがあったので、今回はそれ以来だという前振りがあった。

 ところが対決というのは、臨時TV記者となった田島が、小池知事の最初の記者会見に乗り込み質問をするということであった。その質問たるや、「小池知事の都議会幹部での挨拶には95%が男性であったが、女性を増やすことを考えているか」というものであった。記者会見の質問は一人1回と限られているそうだが、田島はそのことも知らずに臨んだというお粗末なものであった。

 結局スタジオに集まったのは、たけし、MCの阿川佐和子、大竹まこと、自民党松田衆議院議員、小池を応援して名を売った自民党若松衆議院議員(元特捜部検事)、北川元三重県知事、宇都宮健児、もう一人若手の男、そして田島陽子であった。

 話し合われたのは、小池知事が都政改革をできるかということ、自民党都議会のドン内田氏のこと、自民党が流した小池を応援した者ははとこまで罰するという文書ついて、森オリンピック会長と小池知事がうまくやれるかということ、オリンピックの利権の疑惑や小池知事がどこまで透明性を確保できるかということ、などであった。

 参加者は勝手に持論を主張するだけで、議論の深まりは全くなかった。いったい何を明らかにするために集まったのか疑問だらけであった。ただ「たけし」という冠番組に時間を金を使っただけであった。たけしはたまに口をはさみ茶化すだけだ。

 「この後田島陽子が吼えます」という大げさなサブタイトルがあったが、田島が言ったのは1年後を見るしかないということであった。

 「小池都知事VS田島陽子」は羊頭を掲げて狗肉を売るの類で実に無駄な面白くない番組であった。こんな番組を作るようではテレビ離れが進むのも無理がない。大矢壮一の「一億総白痴化」から何十年、来るところまで来たという感じである。

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