映画・テレビ

2017年10月27日 (金)

楽しみな連続ドラマ「トットちゃん」

 メーテレで月曜から金曜日まで午後12時30分から20分間の連続テレビドラマ「トットちゃん」をやっている。この時間帯は以前倉本の「やすらぎの郷」をやっていた。高齢者を対象としたドラマで評判はよかったそうだ。その後番組である。

  「トットちゃん」といえば黒柳徹子さんが書いた「窓際のトットちゃん」が有名で、中国でも1千万冊以上売り上げた人気の本である。ドラマはその本やお母さんの「ちょっちゃんが来た」などをもとに大石静さんが脚本を書いたものだ。

  私は最初から観ているが、黒柳徹子というタレントがどのように成長して行ったのかを知りたいという、興味本位で観はじめたのであった。

  このドラマは黒柳徹子のお母さんがお父さんと知り合うエピソードから始まっている。本名で書かれているからおそらく事実を中心にしたフィクションなのであろう。

  北海道の無医村で開業し、村民から慕われている医者の一人娘が徹子の母の朝(チョウ)(松下奈緒)である。相手の黒柳守綱(山本耕史)は一流オーケストラのコンサートマスターである。朝は東京の音楽学校で学んだ声楽家だ。第九の合唱の一員として歌うのだが、黒柳に「声が大きいだけだ」とけなされる。それでもお互いに気になっていたのだ。

  朝の父は養子を迎えて門山医院を継がせようと考えていたが、黒柳守綱は朝に結婚を申し込み、二人は同棲を始める。父親には勘当されてしまうが二人は結婚して愛を貫く。

  徹子の母の朝は自由で旧習にとらわれない新しい考え方の優しい人である。父親の黒柳は音楽一筋の一徹なところもある人だが妻の朝を深く愛している。

  このドラマはそうした両親の馴れ初めから始まったところがいい。徹子ののびのびした好奇心旺盛は性格を暖かく見守って育てている様子がドラマで観ることができる。

  徹子が型破りなので公立小学校から退校させられる。その場面も当時の学校の規則づくめの窮屈な様子を描いている。そしてともえ学園という私立小学校に移るのだが、そのエピソードもおもしろいし、子役豊嶋花が好演である。また校長先生の竹中直人もはまっている。

 黒柳徹子の父親守綱は男の子を期待して「徹」という名を決めていたが女の子だったので「徹子」にしたという。

 昭和13年にともえ学園に入ったが、日本はだんだんと国家統制を厳しくしていく。そして日米開戦をしてますます国家総動員の体制になり、物資も欠乏する。そうした戦時中の生活を避けては通れないのだが、その時代の厳しさも織り込まれている。

 戦傷者の病院に慰問に行くがトットちゃんはみんなと一緒に歌えず、要望に応えて毎日歌っている食事の時の歌を歌うシーンもいい。兵隊たちは涙するがトットちゃんはどうして泣くのかしきりに考える。そしてどぶにはまる。助けてくれた近所見回りの人が「傷ついて帰ってくるような奴はろくな奴ではない」というところも戦時下の日本を描いていていい。

 トットちゃんが可愛がっていた犬のロッキーも徴用されてしまる。トットちゃんは毎日泣いて過ごした。

 クラッシック音楽は禁じられていたが、敵を欺くためにラジオで放送されていたというのは初めて知った。

最後の演奏会を指揮したのは、杉原千畝の命のビザによって日本に来た世界的指揮者アラン・ヴォルヴであったことを初めて知った。

 また徹子の弟が敗血症で亡くなったことやその後父親の守綱が出征したことなど、悲しいつらい出来事が描かれていた。

 黒柳徹子という今も実在の人物を描くドラマは興味津々であり、視聴率もあげそうだ。

 

 

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2017年9月23日 (土)

映画「ダンケルク」を観た

 9月18日の敬老の日に、山崎マザック美術館が敬老無料開放なので見に行った。その後、名古屋港水族館が半額だというので地下鉄でそちらに向かった。途中、名古屋港水族館の通常料金を調べたら敬老手帳を示せばいつでも半額だと分かった。それでミッドランドスクエアに映画を観に行くことにした。

  観たい映画は、「ダンケルク」と「関ヶ原」であった。関ヶ原は売り切れていたので、ダンケルクにした。この映画のことは8月の終わりごろ、NHKアサイチで取りあげていて、たまたまそれを見て興味を惹かれたのであった。

  14時からの部がまだ少し席があったのでよかった。コマーシャルや予告編のあと14時15分から上映が始まった。

  ダンケルクの街の中を一人の若い兵士が駆けて行くところからであった。銃声が響き敵が狙っていることが分かった。空からはビラが撒かれた。それには「完全に包囲された」と書いてあった。

  兵士は何とか海岸に出た。そこにはおびただしいイギリスの兵隊たちが集まって、何列もの行列を作っていた。救出の船を待っているのであった。一つの船に兵士たちが乗りこんだがドイツ軍の飛行機が襲撃してきた。

  船は被弾し傾いて行った。砂浜に並んでいた兵士たちは列を崩して逃げた。戦闘機が行ってしまうとまた集まった。

  イギリスの空軍戦闘機メッサーシュミットが敵機と闘っている場面になった。この映画にはストーリーという程のものはない。

  場面があるだけである。海岸で救助の船を待つ大群の兵士たち、イギリスの港をでてダンケルクに向かう徴用された一隻の民間の船。そこには船長親子が乗っている。その船での出来事が映画の骨格ともいえる。

  空でのイギリス戦闘機の戦い、海岸での様子、救助された船が敵の飛行機に攻撃されて大混乱をする様子などが交互に描かれる。機銃の音、爆発の音などすざまじい。戦争とはこういうものだということを描いているようだ。

  この映画は「ダンケルクの奇跡」と呼ばれる英仏連合軍の撤退作戦の実話にもとづいて作られたのだ。それは1940年5月のことであった。40万もの軍隊が80万のドイツ軍に攻められて、最後はフランスのダンケルクという小さな港町に追い詰められたのだ。英国首相チャーチルは徹底抗戦をせずに撤退することを決断したのであった。この辺が日本軍の玉砕戦法とは真逆である。人の命を大切にしたことがわかる。

  撤退のために民間の船を徴用する命令が出された。漁民を始め船を持っている者は多くが自発的に危険な救出に向かったと言われる。全部で900隻の船で救出作戦が行われたのだ。救出されたのは33万人と言われる。この33万の兵力を失わなかったことで、後のノルマンディーの史上最大の作戦がやれたのだという。

  この映画にはそのような説明は一切ない。私が映画を観た後ネットで調べて知ったことである。映画を観る前に、史実を調べておくとよいと思った。

  映画を観ながら思ったのは、水や食料はどうしたのだろうということや、海水に浸かった鉄砲は使えるのだろうかということや、海水でずぶぬれになったから気持ち悪いだろうな・・・というようなことであった。

  船に助けられた兵士にジャムを塗った食パンが1枚ずつ支給される場面があったが、その途中で爆撃を受け船は沈んでいき、兵士たちは海に飛び込む。怪我をしていない者や体力のある者はよいが、そうでないものは死ぬしかないのだ。

  この映画では敵のドイツの名や敵の顔や姿などは出てこない。イギリス側からの視点で作られている。臨場感を増す為なのかもしれない。

 この映画の監督は、クリストファー・ノーランで、すごいのはCGを使わずに実写で撮っていることだ。どうやって撮影したのかと思う。素晴らしい迫力とリアリアティである。

 

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2017年9月16日 (土)

北朝鮮ミサイル発射に見るNHK放送の異常さ

 9月15日朝7時前に北朝鮮がまたまたミサイルを発射した。NHKの7時のニュースを見始めたら、最初のニュースが終わって7時2分ごろ急にJアラートに切り替わった。北海道と東北各県になぜか長野県が警戒地域に入っていた。

 そして「ミサイルが発射されたから建物の中か地下に避難してください」と言った。その警報が何度も繰り返された。

 7時14分ごろに、政府の発表でミサイルが北海道を通過したから避難しなくてもよいとアナウンスされた。ところが字幕では「建物か地下に避難してください」という警告がずっと続いたのだ。7時半にBSに切り替えるまで続いていた。

 NHKのニュースは、ミサイルのJアラート関連ばかりで、ときどき菅官房長官が官邸に現れたとか、防衛大臣が官邸に現れたとか、どうでもよいことを報じていた。

 先日国連安全保障理事会で、北朝鮮への新たな制裁が全会一致で採択されたばかりだが、今回の北朝鮮のミサイル発射はそれに対抗するものだろう。今回の発射は平壌の近くからで、飛行距離も前回より長かった。

 しかし、NHKの放送の異常さは何だろうと思った。執拗にJアラートを繰り返していた。他にニュースがなかったとは思えないのだが、30分以上も繰り返すのはどういう意図があったのか。

 ゲスの勘繰りでいうと、危機感を煽って国民に北朝鮮への恐怖感を抱かせようということだと思う。北朝鮮がやっていることにはもちろん反対である。しかし、いたずらに恐怖感を煽るというのはいかがなものか。もっと冷静に対応してしかるべきであろう。

 安倍内閣はこんなに一生懸命国民のことを考えているのだよという印象操作が感じられる。その先兵としてNHKが働いているのだ。

 ミサイルの発射はこれまでに何度もされているが、最初の頃は何も警告はなかった。それがだんだんとエスカレートして来て、前回は迎撃装置の配置や避難訓練まで行われた。そして、昨日の異常なまでの放送である。

Jアラートの避難を呼びかける文言は、前日の14日に改められた。8月29日の発射の際は「頑丈な建物や地下に避難してください」というメッセージであった。それが15日には「建物の中、または地下に避難してください」に変わったのだ。

 建物の中でも、鉄筋の頑丈なマンションやビルならよいだろうが、戸建ての木造住宅ではあまり意味がないであろう。

 一部にトランプ大統領は北朝鮮の危険な行動を利用して日本や韓国に核兵器を配備させたいという狙いがあると言う人がいる。そんなことは絶対にあってはならないことだ。今度核戦争が起きたら地球は破滅に向かうであろう。

 金正恩にもトランプにもそういう狂気をさせてはならない。

 

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2017年8月 6日 (日)

終戦の日関連TV番組

 終戦の日に関連したTV番組の一覧が送られてきました。興味を引く番組ばかりです。番組が「三多摩平和交流ネットワーク」に掲載されていたのを横田忠夫さんがコピペされたものです

 

  

/6(日) 

 

NHK総合 後1:05~1:48

 

「”原爆の絵”は語る ~ヒロシマ 被爆直後の3日間~」

 

 あの惨禍を生き抜いた被爆者たちは、後世に伝えるため、自らの体験を「原爆の絵」に描き残した。およそ4200枚が原爆資料館に所蔵されている。今回、超高精細カメラで絵の細部まで丹念に撮影し、被爆直後の壮絶な3日間を時系列に沿って再構成することで、絵に刻まれた真実を追体験するようにたどっていく。

 

/6(日)

 

NHKEテレシアター 後2:30~4:45

 

「これはあなたのもの 1943ーウクライナ」

 

 1981年にノーベル化学賞を福井謙一氏と共に受賞したアメリカの化学者・ロアルド・ホフマン(1937~)は劇作家でもある。彼の作品『これはあなたのもの』が新国立劇場で上演された舞台を放送する。かつてはポーランド領であったウクライナに、ユダヤ系ポーランド人として生まれたホフマン氏が、母とともにウクライナ人の屋根裏にかくまわれていたという実体験を戯曲にした作品である。

 

/6(日)

 

NHK総合 後9:00~9:49

 

NHKスペシャル「原爆死ホットスポット~ビッグデータで迫る72年目の真実~」

 

 1945年8月6日から今に至るまで広島市が蓄積してきた約56万人に及ぶ被爆者たちの記録『原爆被爆者動態調査』。被爆直後、作成された検視調書や救護所がまとめた死没者名簿の上に、戦後、市が集めた戦災調査や個人データも加え、今も更新が続けられている超一級データだ。NHKは、初めてこのデータを市から入手し解析した。すると、特定の被爆地や死没地、死因に極端な死者数の偏りがある”原爆死ホットスポット”の存在がわかった。知られざる被爆の真実に迫る。

 

/6(日)

 

NHK BS1 後10001049

 

「74年目の郵便配達」

 

 戦地と故郷を結ぶ唯一の手段だった「軍事郵便」。アジア・太平洋戦争中、その多くをアメリカ軍は戦地で押収し分析し諜報活動に利用していた。そして今、その手紙は、アメリカ国内で死蔵されていたり、オークションで売買されたりしている。「今ならまだ宛先に届けることが出来るかも知れない」。番組では、手紙を収集し、宛先をたどって届けることを始めた。激戦地ペリリューから長野県の家族に宛てた手紙。ガダルカナルで書かれた宛先不明の遺書。果たして手紙は届くのか。手紙の向こうにあるはずの家族の物語を追い始めた配達の記録である。

 

/6(日)

 

NHK総合 後10001050

 

NHKスペシャル「沖縄と核」

 

 一昨年、アメリカ国防省は「沖縄に核兵器を配備していた」事実を公式に認めた。これを受け、機密文書の開示が相次ぎ、元兵士たちも重い口を開き始めた。そこで浮かび上がってきたのは、実に1300発もの核兵器が置かれ、危機的な状況に置かれていた沖縄の実態だ。そして、この「核」の存在こそが、沖縄への米軍基地集中をもたらすひとつの要因となっていたという新事実。新資料と関係者の証言から、沖縄と「核」の知られざる歴史に光を当てる。

 

/12(土) 

 

NHK総合 後7:30~8:45

 

土曜ドラマスペシャル「1942年のプレイボール」

 

 戦争の時代に翻弄されながら、ただひたむきに野球を愛し、全員がプロ野球選手となった4兄弟の物語。

 

/12(土)

 

NHK総合 後9:00~9:50

 

NHKスペシャル「本土空襲~日本はこうして焼き尽くされた~」

 

 アジア・太平洋戦争で米軍が行った日本本土への空襲。その全貌を解き明かす新資料や映像が、いま相次いで発掘されている。これらの映像や資料を分析する中で、史上初めて「軍用機の戦争」と化したアジア・太平洋戦争が、なぜ無制限にエスカレートし、多くの命を奪う道をたどったのかが浮かび上がる。

 

/12(土)

 

NHK BSプレミアム 後9001029

 

スペシャルドラマ「返還交渉人ーいつか、沖縄を取り戻すー」

 

外交官、千葉一夫。戦時中、海軍の通信士官だった千葉は、沖縄を圧倒的な武力で攻撃する米軍の無線を、ただ傍受することしか出来なかった。戦後、本土から切り離され、アメリカ統治下となった沖縄。アメリカと外交交渉を重ねながら、何度も沖縄に足を運び、人々の苦悩に真摯に耳を傾けた千葉。その信念の奥底にあった、想像を絶する体験とは。実話に基づいた物語を、井浦新、戸田菜穂らが演じる。

 

/12(土)

 

NHK BS1 後9:00~9:49

 

BS1スペシャル 「長崎 幻の”原爆ドーム”」

 

かつて長崎にも”原爆ドーム”があった。爆心地から500mで廃墟と化した浦上天主堂だ。長崎市は、原爆の悲惨さを伝えるために廃墟を保存する方針を示していたが、戦後13年目の春、突如取り壊されて姿を消した。アメリカ外遊から帰国した市長が取り壊しを支持したことからアメリカの関与も疑われた。なぜ長崎は原爆の象徴を「残さない」という決断をしたのか。”幻の原爆ドーム”の謎に迫る。

 

/12(土)

 

NHKEテレ 後11001159

 

ETV特集「原爆と沈黙~長崎浦上地区の受難」

 

長崎で原爆が炸裂したのは、浦上地区の上空だった。キリスト教徒と被差別部落の人たちが暮らす地域だった浦上では、およそ1万人のクリスチャンと被差別部落の人々が命を落とした。生き残った被爆者たちは、その体験を語らずに封印した。戦後72年の歳月を経て、沈黙を守っていた浦上地区の被爆者たちも、重い口を開き語り始めた。また、被差別部落出身者の、40時間にのぼる被爆体験の証言が見つかった。いま、浦上出身の若者たちが、祖父母、親世代の体験について真剣に対話を始めようとしている。

 

/13(日) 

 

NHKBS1 後10001149

 

BS1スペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米軍幹部が語った”真相”~」

 

アジア・太平洋戦争末期、日本の敗戦が濃厚となる中、なぜ米軍は空爆を続けたのか。米軍関係者を取材する中で、貴重な史料が見つかった。日本爆撃を実行した米空軍100人の幹部の「肉声テープ」だ。米空軍の野望や焦りが語られる。「B29で結果を出したい。何も成果を上げてなかった」当初は予算も少なく、開戦時2万人だった航空軍は、終戦時には200万の巨大組織に急拡大し、米軍の中核となっていく。番組は、4年間の戦争の中で変貌していく航空軍を通して、戦争の怖ろしさの本質に迫る。

 

/14(月) 

 

NHK総合 後8:00~8:43

 

NHKスペシャル「証言ドキュメント 忘れられた戦場~樺太・40万人の悲劇~」

 

北海道の北に位置する巨大な島サハリンは、かつて樺太と呼ばれ、40万人の日本人が暮らしていた。8月15日、玉音放送で敗戦を知った将兵たちのもとに「自衛戦闘ヲ敢行スベシ」という命令が届いた。武装解除に応じるのか、戦闘を続けるのかをめぐって混乱する中、各地でソビエト軍との交戦が続き、兵士と民間人50006000人が犠牲となった。なぜ戦闘が続けられることになったのかを示す資料は失われ、これまで真相は闇に包まれていた。今回、NHKは、日本軍の内部資料や幹部たちに関する史料を発掘した。さらに、100人を超える樺太元住民や軍関係者の証言や手記を集めた。ここから見えてきたのは、東京の参謀本部ー札幌の司令部ー樺太、というピラミッド構造のもと、上部組織の命令の真意が問われることなく、理不尽な判断が繰り返され、兵士や住民にしわ寄せが及んでいく実態だった。番組では、ソ連侵攻後、終戦をはさんで2週間続いた樺太戦の全貌を描き出し、悲劇の実相に迫る。

 

8月15日(火) 

 

NHK総合 後7:30~8:43

NHKスペシャル「全記録 インパール作戦」

 

 補給線が断たれ、無謀な戦いで甚大な死傷者を出したインパール作戦は、旧日本軍の体質をさらけ出したとされている。インドとミャンマー両政府との長い交渉の末に、今回初めて現地取材が可能となった。さらに新資料や作戦を指揮した将官の肉声テープなどから、「インパール作戦」の全貌をあきらかにし、決して忘却してはならない惨禍の記録を未来へと継承する。

 

8月19日(土) 

 

NHK Eテレ 後11001159

 

ETV特集「戦時中の暮らしの記録~名もなき庶民が綴った1763通の手紙~」

 

50年前「暮らしの手帖」編集長花森安治は、戦争中の”庶民の暮らし”を特集号として出版した。読者から寄せられた未掲載文も含む1763通の手記は、今も大切に編集部に保管されている。そこには、苛酷な暮らしにも楽しみや生きがいを見いだし、命をつなぐ知恵を絞る、人々のたくましさやしたたかさが綴られている。番組では、投稿を寄せた本人やその家族を訪ね、あの戦争を”人びとの暮らし”に徹底的にこだわって見つめ直す。

 

<<平和と戦争を考えるテレビ番組(民放編)>>

 

/6(日) 

 

日本系  深夜055

 

NNNドキュメント

 

4400人が暮らしていた町~吉川晃司がたどる平和公園」

 

広島市の平和公園は、かつて多くの民家があり4400人が暮らしていた町だった。ここにあった旅館をルーツに持つ被爆2世の吉川晃司さんが、失われた町の記憶を求め、平和公園のいまと過去をたどる。(広島テレビ制作)

 

/13(日) 

 

日本系 深夜055

 

NNNドキュメント「奉納写真」

 

戦争中、ひそかにけ神社と呼ばれた神社が全国各地にあった。山口県の神社では、「戦地に行った肉親に弾が当たらないように」と、家族は本人に内緒で写真を奉納した。お国のためにと万歳三唱で送り出された兵士たち。その陰でひそかに奉納された写真に託された思いとは。(山口放送制作)

 

/27(日) 

 

日本系 深夜055

 

NNNドキュメント「なぜアメリカ人はヒロシマに?」

 

72年前、世界で初めて原爆が投下された広島。その広島を訪ねる外国人で一番多いのは、核を投下した当事匡であるアメリカからの観光客だ。なぜアメリカ人は広島を訪ね、平和公園・原爆資料館を巡るのか?番組では、広島を訪れたアメリカ人夫妻に密着取材を行った。(広島テレビ制作)

 

 

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2017年8月 2日 (水)

映画には、世界を必ず平和に導く美しさと力がある―大林監督―⑤―

◆若い人たち、俺の続きをやってよね

 

 さて日本の作品。これ正直一番甘かったです。切迫感がありませんでした。世界中の作品がそれぞれの立場において今の世界の、メキシコとの国境問題であるとか、あるいは極めて芸術的でアーティスティックな独裁者が作ったような殺人の映画とか、いろいろヒリヒリとするような時代を描いておりましたけれども、日本は、やっぱりそういう情報で甘やかされた国なんでしょうかね。この日本の作家たちに特に申し上げます。

 しかし、そのなかにも優れた作品がございました。私が感動したのはね、あの若い女性が友人の男の子2人とニューヨークで暮らしている。その彼らの生活をキャメラでとっているのですが、キャメラマンとしてではなく、友達の視点として撮っているという作品なんですね。そしてそのことによって「ああ日本の若者たちも健全に育っているな。こういう人たちが21世紀を表現していってくれれば素晴らしいな」と思いつつ、やはりその危機感のなさに怯えておりました。

 賞を獲りましたゴリさんの作品ですか。私もびっくりしました。この日本の同じ民族のなかにまだ風葬という習慣が残っていて、洗骨ということがある。なんと日本人でありながら私自身が日本のことをこんなに知らないのか。しかもそこに嫁いできた1人の嫁さんがそういう夫の故郷に帰って洗骨をするってのは大変なことでありますがアッと思いましたね。

 このお嫁さん。女へんに家と書きますよ。そんな時代ですか。みんな夫と妻になっているはずですが未だにこのお嫁さんは家に嫁いでるんです。家に嫁いでいるから夫の里の嫌な洗骨まで立ち会うんですが、しかしその洗骨をすることによって我が家の、我が里の、我が家庭の、私自身のアイデンティティがそれによってわかっていく。「そこにいまの日本の、まさに結びつかないバラバラの日本のなかで、日本人の血が絆を求めて結びついていく1つのヒントがここにあるのではないか」そういう意味でジャパン部門の優秀賞にさせていただきました。

 1つだけ私は残念でした。ここにいらっしゃるかな。『人間ていいな』という作品だったかな。あるクラスで、思春期のクラスで、不思議な暗い少年がいます。その少年みんなから疎んじられているんですけどね。友達ができるんです。で、その友達が彼の肌に触れるとその肌がポロっと落ちたり、最後に握手しようとすると手がポロっとおちるんです。ここまでの演出力、演技力、映像の表現、見事でした。

 ここで終わっていれば私は断然グランプリにしました。ところが残念なのは、この作品、ゾンビは他人で、ゾンビが人間社会に入って幸せになっていきますよ。だから人間はいいなっていうゾンビコントになってしまったんですね。ここに日本の作家に考えてもらわなきゃならない自分のアイデンティティ、自分はゾンビなのか。ゾンビを映画の素材としておもしろく描くのが映画か。それでは単なる映画です。自分がゾンビだと自覚するところから映画は庶民のジャーナリズムになります。

 そう、ジャーナリズムとはまさに庶民11人が語るもの。民主主義の多数決なんかじゃありません。少数者の意見が尊ばれることこそが、健全な正気の社会です。そういう意味で全世界の少数者の一人ひとりであるみなさんが、自分自身の現代のヒリヒリとする感覚、結ばないものをなんとか結びつけて、なんとか戦争の世紀を映画の世紀にとどめようじゃないかと、その意図に黒澤オヤジが生きていらっしゃればきっと拍手をされてると思います。そ

 して私たちはそういう映画に、「映画とは風化せぬジャーナリズムである」「映画とはメイクフィロソフィー」「自分自身を確立する手段である」とそういう意識をもって生きていってほしいなと。長くなりましたが、黒澤明先輩が私個人にとどめた「俺の続きをやってよね」という言葉をみなさんに送って終わらせていただきます。若い人たち、俺の続きをやってよね。ありがとうございました。

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2017年8月 1日 (火)

映画には、世界を必ず平和に導く美しさと力がある―大林監督―④―

 

◆今の時代の危険は、すべてが他人事になってしまったこと

 

 さて、そういう危機感の中で、今年の「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」、とてもすばらしゅうございました。20年前にアメリカ帰りの別所さんが「日本でこんなものをやりたい」とおっしゃって、「できればいいな」と私も願っていました。しかし参加をさせていただいたのは今回が初めてです。

 別所さんにもお伝えします。黒澤明先輩の映画へのリスペクト、映画への誇り、映画を信じる力、つまりそれは世界への平和を我々がたぐり寄せるんだという力、どうかそれを信じて、大いなる虚構のエンターテインメントの中、映画を作り続けていただければと思います。

 楽しい作品がたくさんございました。今年を象徴するものとしてはね、運転手さんとタダ乗りの乗客の、友情と裏切りと、人と人とはどうやって繋がり合うのかという作品がありました。そう、人と人とはどうやって繋がり合うのか、あるいは繋がり合えないのかという希望と絶望との間にさまようのが、今年の作品でした。

 しかしこの作品はあまりにもウェルメイドでね。この今の不幸な時代にこのウェルメイドはちょっと時代が違ったなという、つまりウェルメイドが存在しない時代です。したがって作品は暗い不幸な影に導かれておりました。

 その今の作品の代わりに現れたのは、「窓」。窓とは世界を見渡す視点ですね。そこに過去にしかそのことのできない大人と、これから未来を生きる子どもとが、そしてその2人が繋がらないのか繋がるのか。繋がれば、きっと戦争の世代から平和の世代に行くでしょう。しかしそこが繋がらなければ、別の世界として終わってしまう。繋がるのか繋がらないのかというところに危うい期待をかけた作品がインターナショナルのプログラムにありましたね。

 そしてアジアインターナショナル。これもすばらしゅうございました。今私たちはテレビ社会、情報社会のなかにおります。これはとても危険なんです。情報社会では情報が切り売りされてね、すぐ善悪で判断されてそれで終わってしまうんです。

 となると、トランプの問題も、我が日本の政権の問題も、あるいは学園問題も、誰かが浮気をしたっていう問題も、巨人が連敗しているっていう問題も、等しく5分くらいの切り売り情報になりまして、等価値になってしまうんですね。で、是か非で終わっちゃうと。つまりは他人事になるんです。

 今の時代の危険は、すべてが他人事になってしまったこと。こんな無責任な社会はない。そこでね、映画という力は他人事を我が事に取り戻す力です。このアジアインターナショナルの作品は、なんとテレビを捨てて、ジャングルに戻っていこうと。これは1つのユートピア幻想のようでもありますし、今私たちが切実に考えなきゃならないテーマかもしれない。

 この作品が決定した後ろには、テレビ人の小倉さんがいらっしゃったということにも、大変切実な問題がございますけれど。

 と同時に我々はジャングルに帰るだけじゃダメだ、原爆をやめるならサルに戻れと。3.11の前に遺言のように言われて亡くなられた我らの先人の哲学者の言葉を借りつつ、この科学文明のなかで生きて来た人間の幸せはどこまで私たちが責務を持って辿らなければならないのかということを、科学文明の落とし種、映画を作る我々は、切実に考えなければならないと思います。

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2017年7月31日 (月)

映画には、世界を必ず平和に導く美しさと力がある―大林監督―③

 

◆「まさに映画とは、大嘘つきです」

 例えば、戦争も理屈があります。これも外交手段の1つですからね。おまけに戦争をすれば、経済も高まるというふうな説もあります。いろんな理屈があって、戦争が再び起きるということは十分にあるわけです。

 しかし、より強い国の核の下に入ったら守ってくれるというけれど、実際に守ってくれたことがありますか? 今後も決してありません。自国は自国のためにだけ戦争をします。あるいは抑止力なんてありますか? 抑止力なんかあった試しがございません。そういう戦争の理不尽をよく知っていた私たちがいなくなってしまったこと。この断絶が怖いです。

 私たちは支配者を選びますが、当然選挙によって選びますから、支配者は私たちの代表です。代表である支配者が良き支配を行ってくだされば安心なんですが、その支配者であられる人たちが戦争の実態をもう誰も知らない。

 第一次・第二次大戦のあの悲劇の虚しさ恐ろしさを、理不尽さを生身で知って、「何が何でも戦争なんて嫌だ! 嫌だ! 金が儲かろうと、嫌だ!」そう言い切れる人がどんどんいなくなって、支配者たちが行う政治が本当の人間としての責任を持ちえないものになってくるのではないかという怯えが私にはあります。

 黒澤さん自身もね、そういうことの中で晩年、核の問題や戦の問題を描かれていましたけれども、その黒澤さんが遺言におっしゃったことはこういうことです。「大林くん、人間というものは本当に愚かなものだ。いまだに戦争もやめられない。こんなに愚かなものはないけれども、人間はなぜか映画というものを作ったんだなあ。映画というものは不思議なもので、現実をきちんと映し出す科学文明が発明した記録装置なはずだったんだけれども、なぜか科学文明というものは年中故障する。故障ばっかりするのが科学文明だ。

 でも故障したおかげで、記録が正確じゃなくて、人物がすっ飛んだり、とんでもないところに飛んでいったり、おかしな映像がたくさん生まれたぞ。そしてそれを生かしていけば、事実ではない、リアリズムではないけれども、事実を超えた真実、人の心の真が描けるのが映画ではないか」。

 そう、嘘から出た真。まさに映画とは、大嘘つきです。しかしその嘘をつくことで世の中の権力志向から、上から下目線というものが全部壊されて、でんぐり返って見えてくるものがある。

 例えば、今私たちが正義を信じていますね。「私の正義が正しい。敵の正義は間違っている」。一体正義ってなんでしょう。私たち戦争中の子どもはそれをしっかりと味わいました。私たちも大日本帝国の正義のために戦って死のうと覚悟した人間でした。しかし負けてみると、鬼畜米英と言われた側の正義が正しくて、私たちの正義は間違っていた。なんだ正義とは、勝った国の正義が正しいのかと。それが戦争というものか。じゃあ自分の正義を守るためには年中戦争してなくてはいけないのかと。そうだ、だから戦争をするんだよという人もいるでしょう。

 しかし日本は、負けたおかげで憲法9条という、奇跡のような宝物を手に入れました。もし世界中の国全部が憲法9条をもっていたら、世界から戦争はなくなっちゃうんですよ。こんな不条理ともいえる、夢ともいえる、世の中の現実とも合わないといえる、まさに事実には合わない憲法だけれども、真には合う。それを信じることが映画の力なんですね。

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2017年7月30日 (日)

映画には、世界を必ず平和に導く美しさと力がある―大林監督―②

 

◆戦争を忘れてしまっているという悲劇

 はい、私、「じじい」と言いましたけど、その意味はここでは戦争を知っている、体験した世代ということでございます。私のね、23つ兄貴の世代が、しっかりそこを頑張って、いろいろ伝えて表現してくれていたんですけれども、やはり物事は順序でこの23年でみんなあの世に逝ってしまいました。

 思えば私がその世代を知っている最後の弟分になりました。なのでそのことをみなさんにお伝えしたいと思います。

 さて、みなさんね、戦争というとどうなんでしょう。今は平和でそんなものなくて、今とは全く違って戦争の時代っていうとなんか時代劇を見ているようなはるか昔の自分とは関係ないような時代だとお思いでしょうけど、戦争というものはね、ここにあったんですよ。ここにあったんです。この日常のなかにあったんです。

 どういうかたちであったか。そう、私はまだ子どもでしたけどね、例えば日本が真珠湾奇襲攻撃をした時、私たち少年は「日本勝った! 敵負けた! ルーズベルトとチャーチルをやっつけた! 日本の正義はたいしたもんだ!」といってね、提灯担いでみんなで浮かれたもんですよ。

 しかしたった4年間で情勢はどんどん変わりましてね。我が家は古い港町の医者の家でね。医者の家っていうと、当時の、まあ町の権威の象徴でありまして、長とつく人がみんな集まりましてふんどし1本になりまして、天下国家を論じる場所でした。

 そういう未開の広場に集まる大人たちに向かって私たち子どもは、階段を忍びあがって、大人たちの様子をそれはしっかりと伺っていたものですけどね、私のような子どもが入っていくと大声で話していた大人たちが急に、悪いこと言って聞かれるんじゃないかって感じで黙り込んじゃうんですよ。

 そこに制服姿の若い兵隊さんがいましてね。憲兵さんでしたけれど。憲兵さんといえども、医者の長であるうちの爺さんにはかないませんから、おとなしくお話を拝聴させていただきますといってかしこまっていましたけど、その横に彼と同年配の私の叔父がいまして、これは肺病を病んでいて戦争にいくことができない、兵隊になることができない、国家のために命をささげることができないから、非国民、国民にあらざる者、人間にあらざる者というように蔑まれていたんですがね。

 その叔父が、「もう日本は負けるよ、負けたほうがいいよ」なんてつぶやいていました。翌日いなくなりまして、3日後に青あざだらけでその憲兵さんに背負われて帰ってきました。その時の憲兵さんも全く違った顔してましたね。人間の顔ってこんなに権力によって違うものかっていう顔をしてました。

 そしてそれから日本は敗戦に向かうわけですが、私は原爆が落ちた広島の近くの生まれですし、私の妻は同年配で東京大空襲で310日に死ぬ思いをしたのですが、なんと妻の父親は逃げも隠れもせず2階の窓を大きく開いて娘に、「見なさい。花火のように綺麗だろう。しかしこの花火の一つひとつの下で、今、人が首をもがれ手足をもがれ、命を奪われていってるんだぞ、よく見ておけ! 人間というものはこんなに愚かしい生き物だぞ。よく見て覚えておけ!」と言ったそうです。そうしているうちに、ご近所はみな焼けて、うちの妻は死にもの狂いで逃げ延び助かったようです。

 義父はそのまま田舎に引きこもりました。愛する息子を海軍の予備隊で亡くしておりまして、人生の夢すべてを失いました。戦争とは、人が人であること、人の人生、命、全てを失ってしまう。こんな理不尽な無益な恐ろしいものは決してあっちゃいけないということがたった70年前までみなさんここにあったんですよ、何の不思議もなく。

 しかしそのことを私たちが今忘れてしまっている。この忘れてしまっていることがね、今の時代の大変な悲劇になっていると思います。

 

 

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2017年7月29日 (土)

映画には、世界を必ず平和に導く美しさと力がある―大林監督―①

 2017611日東京・明治神宮会館にて開催されたショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2017 アワードセレモニーでの大林監督のスピーチを友人が送ってくれた。オフィシャルコンペティションの審査員・大林宣彦監督が、平和を守る存在としての映画の価値について、会場に集まった若い制作者たちに語ったものである。

 末期ガンで余命宣告を受けている大林監督は、映画祭としては異例とも言える30分に渡るスピーチを行い、故・黒澤明監督から受け継いだ「映画で平和をつくる」という理想を、次の世代に託した。

 

◆晩年の黒澤明の言葉

大林宣彦氏 ハリウッドならば、アカデミー賞ならば、ここでIts show timeというところで、私がタップダンスをひとつご披露できればいいんですけれども、齢80にならんとする、じじいでございます。

 このじじいがなぜここに出てきましたかといいますと、私ごとながら、去年の8月に私の映画人生76年の集大成として、映画を作ろうとしたその前日に、肺がん第4ステージ余命3ヶ月という宣告を受けまして、本当はいまここにいないのですが、まだ生きております。

 そんなわけで生きてるならみなさんに、映画ならではのエンターテインメントを1つお伝えしたいと思いまして、私がひそかに大事にしておりました、黒澤明、世界を代表する黒澤明監督、私のちょうど親子ほどの年齢ですが、晩年大変かわいがっていただきましてね、私を含め、未来の映画人に遺言を残されております。

 その遺言を私はただ1人胸に温めていましたので、今日それをみなさんにお伝えしようとして、命がけでここに今立っております。

 さて、黒澤明さんもね、実はアマチュアの大先輩なんですよ。黒澤さんも東宝という日本の映画界の会社の社員でございましたから、自由に映画を撮ることはできなかった。会社という制度の中で、その商品としての映画を作るために黒澤さんは自分の自由と、自由な表現と闘いながらすぐれた映画を残していらっしゃった。

 しかしそれは非常に不自由な映画製作でした。晩年黒澤さんが東宝を離れて黒澤プロダクションという自由の身になられました。その時のことを黒澤さんは私にこう言いました。

「大林くんなあ、僕も東宝という会社制度から離れてようやくアマチュアになれたよ。アマチュアというのはいいねえ。どんな制度にも、俺たちは国家の戦争という制度にもしばられて、なんにも表現の自由がなかったけれども、今や僕はアマチュアとして自由に僕が表現したいことをやるんだ」と。

 そして黒澤さんは核の問題、原爆の問題、戦争の問題、さらにはご自身が少年時代にあった戦争の暮らし、そういうものに正直に胸を開いてきちんと映画化されながら、亡くなっていかれました。

 その大先輩の遺言を最後にお伝えするためにこれから少し時間を頂戴してお話させていただきます。

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2017年1月20日 (金)

よかった「この世界の片隅に」

 「君の名は」というアニメ映画は騒がれているので知っていて見に行った。でも、大きく騒がれる理由が分からなかった。そのことをblogに書いたら、Tさんからメールが来て、Tさんの友人も「『君の名は』は面白くなかった。『この世界の片隅に』の方がよかったと言っていた」と書いてあった。それで「この世界の片隅に」というアニメ映画があることを知った。

  どんなアニメか観に行こうと思っていると、先日Yahoo newsで「この世界の片隅に」がキネマ旬報の昨年度第一位映画に選ばれたことを知った。それならなおのこと観に行かずばなるまいと思った。

  16日に丁度午後の予定がなかったので出かけた。朝は雪が凍り付いていた道路が溶けていたのでよかった。

  ミリオン座に着くと14時からの部の券を買った。52番であった。いい座席取れるかなと思いながら待っていた。番号順に呼ばれて入場すると、まだいっぱい席が空いていたので、6列目中央に座ることが出来た。

  ミリオン座は予告編が早く始まるのか「この世界の片隅に」は定刻14時に始まった。最初に画面に片淵監督が出てきて、「この映画は1944年と45年の普通の家庭に起きたことをを描いています」というようなことを言った。これまでにない演出であった。

  映画は1933年、主人公の「すず」が子どもの頃のエピソードから始まった。すずは広島に住んでいた。すずは大変絵が上手な子どもで、絵が苦手な同級生水原哲に宿題の絵を描いてあげるのだ。

  すずが18歳になったとき、縁談があり、どんな相手かも知らぬまま結婚式を挙げる。相手は北条周作という真面目そうな青年で、周作は海軍で事務をやっていた。すずは呉市の軍港が見える山の斜面に住むことになる。

  最初周作とはうまくやっていけるのだろうかと思って観ていたが、物語が進むと周作はすずを大変愛していることが分かった。周作にはしっかり者の姉の経子がいて、里帰りをしてきてすすにきつく当たる。しかし、離縁して娘の晴美を連れて実家に戻り、すずたちを暮らすことになる。周作の両親は優しい人ですずを大事にしてくれる。

  すずの家に近くからは軍港がよく見えて戦艦大和や武蔵なども見えるのだ。すずはそれを写生していて憲兵に見つかる。

  戦争が進むにつれて、物資は配給になり、食べ物も少なくなっていく。すずは道端に生えているたんぽぽなど食べられる草をつんで食べるのだ。生活が厳しくなる様子や米軍機が飛んで来て爆弾を落とす様子などが描かれる。

  呉は軍港の町だから容赦なく米軍の攻撃を受ける。すずが晴美を連れて義父の見舞に行った帰り、時限爆弾によって晴美は死に、すずも大事な右の手首を失うのだ。

  すずの家にも焼夷弾が落ちるが、不自由な手で何とか消し止める。呉の街は焼夷弾と爆弾で焼き払われてしまう。

  そして運命の8月6日。その日はすずは広島の実家に戻っているはずであったが、病院の診察日の関係で家にいた。そこでキノコ雲を見ることになるのだ。

  物語は20年の暮れまでが描かれる。終戦の20年を挟んで「世界の片隅に」起こったさまざまな出来事を詳しく描いているアニメである。映画のどこにも戦争反対とか平和とかの文言は出てこないが映画全体を通して訴えているのだ。

  私は映画を観ていて、戦時中の生活が思い出され、そうだそうだと思いながら観た。そういう意味では「君の名は」とは違い、高齢者には分かりやすいアニメ映画ではある。

  すずの声を「のん」が吹き込んでいるが、ぴったりの声である。片淵監督が「他には考えられない」と絶賛したそうだが、実にはまっている。

  風景の絵は「君の名は」ほどではないが細かくよく描けている。すずについては子どもの頃とあまり変わらないので成長が感じられなかった。

  興行収入的には「君の名は」が圧倒しているが、「この世界の片隅に」は温かく優しい心を持った人々が描かれていて、戦争について考えさせるものになっているのでよいアニメである。

 

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