2022年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

日記・コラム・つぶやき

2022年9月25日 (日)

台風一過の秋の空

 24日の朝台風の影響で雨が降っているか心配であった。起きたら雨はふっていないようであった。

 ウオーキングに出かけるために外に出たら、星が見えた。シリウスだと分かった。空を見上げると4時半なので真っ黒で星がたくさん光っていた。こんなにたくさんの星を見るのは珍しかった。東の空には下弦の月が出ていた。

 シリウスの上の方にオリオン座があった。オリオンもいつもよりはっきりと見ることができた。台風が過ぎて空がきれいになったので星がはっきり見られるのだと思った。

 前日は台風15号来るというので大雨警報がでていたが、雨は朝から小雨が降るだけで台風が来るのがウソみたいであった。結局台風が洋上を行ったためか風も吹かず雨も小雨で終わったようであった。

 帰りに5時半ごろ山崎川で見た空は下の写真の様な秋の空であった。

 家に帰ってテレビを見ていたら、浜松や静岡では線状降水帯が発生してこれまでにない雨量の雨で、被害も起きていると報じていた。大変気の毒だと思ったが、名古屋は何事もなく過ぎて有難かった。

 9時過ぎに外に出たら空は真っ青でほとんど雲がなかった。まさに「台風一過の秋の空」であった。

Img_4403

        白雲橋から南を見た空

Img_4404

          白雲橋から北を見た空

Img_4405

       9時過ぎに東を見た空

 

2022年9月23日 (金)

敬老金が頂ける

 9月19日は敬老の日であった。敬老の日と言っても私や妻には孫がいないので何もなかった。

 昔父母の時代には敬老の日には饅頭とか扇子などのお祝いがもらえた。我が家には頂いた扇子がいっぱいある。

 そういう市からのお祝いが廃止されたのはいつのころだろう。高齢者が多くなってお祝いを出すのが大変になったから廃止されたのだろう。

 働いている人には敬老の日は祝日で休みになるから有り難いだろうが、サンデー毎日の高齢者には休みは関係ない。敬老ではなくて、「軽老」だなどと一人でぼやいていた。

 敬老の日の翌日、「名古屋市からの重要なお知らせ。敬老金支給のご案内」という封書が届いた。敬老金?と思って開けてみたら、数えで88歳の人には3000円、数えで100歳の人には3万円の敬老金を支給すると書いてあった。

 本来なら民生委員が持ってくるのだがコロナの関係で振り込みにしたという。封筒の中には申込用紙が入っていた。必要事項を記入しておくると口座に振り込んでくれるという。

 ちょっと面倒だが敬老金が貰えることに驚いた。しかも数え歳なので満歳より1年早くもらえるのだ。数え歳などとっくに死語だと思っていたらこんなところで生きていたとは。きっと少しでも早くという名古屋市のはからいなのだろう。

 数えで88歳まで生きたのでやっとお祝いが貰えるということである。扇子や湯のみなどより現金の方がありがたい。

2022年9月14日 (水)

コロナ禍と円安で行けなくなった海外旅行

 コロナ禍で失ったものは多いが、その一つが海外旅行に行けなくなったことである。私の様な高齢になるといつ健康が悪くなるか分からないので、コロナ禍による3年間による機会ロスは本当に残念であった。

 そこへ追い打ちをかけたのが円安である。円安によって海外旅行の費用がものすごく高くなってしまった。以前アメリカに行ったとき、確か1ドルが125円だったと記憶している。その時も大変高いと思ったものだ。それが今や140円台になってしまった。

 先日羽鳥モーニングショーでハワイ旅行を例に挙げて取り上げていた。それによるとホテル代が2倍以上になったそうだ。ラーメンが1杯1400円もするとも言っていた。私はまだ1度もハワイに行ったことがないので、死ぬまでに1度行ってみたいと思っていたがそれも不可能になった。

 トルコとか北欧とかまだ行っていない国がたくさんある。でもこれほどの円安では行けなくなった。

 逆に外国の人は日本への旅行がしやくなったのではないかと思う。ただコロナのために入国が制限されているのが惜しい。
コロナが早く収束し、円高方向になって、最後の海外旅行に行けることを願っている。

2022年9月 9日 (金)

また起きた園児をバス内に放置死亡

 5日に静岡県牧之原市の川崎幼稚園の送迎バスの中で3歳の女の子が死亡する事件が起きた。女児は5時間も車内に放置されていて熱中症になったようだ。

 同様の事件は昨年7月に福岡県であり、保育園のバス内に朝から夕方まで取り残された5歳の男児が熱中症で死亡した。
それを受けて、文科省と厚労省と内閣府は昨年8月、都道府県や市町村に送迎バスの運行についての通知を出した。
 ・運転職員の他に子どもに対応できる職員の同乗。
 ・乗車時、降車時に子どもの人数を確認。
 ・座席に子どもが残っていないか確認。
 ・確認した内容を職員間で共有。

 不思議でならないのは、乗車字や降車時に子どもの人数を点検することや降車後に子どもが残っていないかを確認することは基本の基であるはずなのに再びこういう事件が起きてしまったことだ。

 私は教員をしていたが遠足や社会見学や修学旅行等で外に出かける時には、人数の点検はしょっちゅう行っていた。クラスを6つぐらいのグループに分け、班長を決めて、子ども同士にも確認をさせて、全員が揃っているかを確認した。これは当たり前のことなのだ。

 驚いたのは6日の羽鳥モーニングショーコメンテーターの山口弁護士が、このような事件が欧米でも頻繁に起きていると言っていたことだ。日本だけの得意な事件かと思ったらそうではないというのだ。

 子どもを集めて集団で行動をする時は、絶えず人数を確認することを怠ってはならないのだ。

2022年9月 5日 (月)

とみに遅くなった歩く速度

 この10日ほど前から歩く速度がとみに遅くなった。5kmの道のりを1時間18分前後で歩いたいたのが、1時間26分から28分もかかるようになってしまったのだ。

 背が低いお婆さんが普通に歩いているのに後ろから追い越されるとか、追いつこうと思っても追いつけないのである。自分は出せる最高の速度のつもりだが、ゆうゆうと歩いている人を追い越せなので、毎回歯がゆい思いをしている。神様がわざとそうさせているのかと思ったりする。

 以前にも書いたが、毎朝のウオーキングの距離は、自宅から瑞穂スタジアム前の瑞穂橋を折り返して5kmで、41年間変っていない。若い頃と言ってもジョギングをウオーキングにしたのが52歳ごろであったから、そんなには若くはない。その頃は50分ぐらいで歩いていた。それが1時間かかるようになったのはいつ頃のことかおぼえていない。多分70歳ごろではないかと思うのだが。75歳、80歳、85歳と歩く速さが遅くなり今ではお婆さんより遅くなってしまったのだ。

 どうして速く歩けなくなったのか理由が分からない。誰か専門家に調べてもらおうかと思うくらいだ。

 歩いていると後から来た人に次々と追い越されるから、毎日情けない思いである。どうしようもないのだから諦めて自分のペースで歩くしかないと思う。

 歩く距離は同じで時間だけが長くなったのだが、運動量としては変りがないのであろうか。

2022年9月 1日 (木)

指揮者が決まって久しぶり公式練習

 私が所属する昭和男爵合唱団はコロナのために2年半余り公式練習ができなかった。2か月に一度ぐらい集まって自主練習をしていた。

 ところが指揮者が辞めることになった。ピアニストの先生に頼んで後任の指揮者を探してもらっていたのが決まり、29日に新しい指揮者とピアニストが来て公式練習が始まった。

 長い間歌ってなかったので声が出なくなっていた。久しぶりにピアノの伴奏で指揮者の指揮で歌ったら、段々慣れてきて声もある程度は出るようになった。

 やはりピアノの伴奏で歌うのはいいものだと思った。歌っていてとても気持ちがよかった。

 新しい指揮者も女性で定年後中学の講師をしている先生だが、気さくな感じで楽しく歌えそうな予感がした。Kさんがいい先生だねと言っていた。

 前の指揮者は外国で本格的な指揮法を学んだ先生で、歌いやすくきちんとした指導をして下さった。その指揮者の下で13年ぐらい歌って来た。ボイストレーニングなどもして下さり、其れなりに声がでるようになっていたのだが、コロナのために2年半余り練習ができず、声が出にくくなってしまったのであった。

 私たちは高齢の合唱団なのでコロナで長い間歌えなかったのは実に残念でならない。今度新しい指揮者になって練習ができるようになったのは嬉しい。

 練習ではマスクかフェイスシールドをしてデイスタンスを取っている。コロナに負けずに練習をしていきたい。

2022年8月31日 (水)

NTP会議決裂

 国連本部で4週間にわたって開かれていた核不拡散条約(NPT)の再検討会議は、最終日の26日になって、突然ロシアが反対を表明したために、最終文書を採択できずに決裂した。

 ロシアのやり方は卑劣である。スラウビネン議長はNPT体制の堅持を優先し、全会一致の合意を取り付けようと、反対意見のあった部分を削ったり、表現を改めたりした。3日間の非公開協議と2度の修正を経て、25日夜に最終的な文書が出来上がっていたのだ。それはロシアに配慮する内容であったという。それなのに26日昼になって、ロシアは突然、文言の大幅な修正や追加を要求したというのだ。

 ロシアはウクライナにある欧州最大といわれるサポリージャ原発を占拠していてヨーロッパに不安を与えている。

 ウクライナ侵攻を正当行為だと主張するロシアはやりたい放題、言いたい放題である。NTP条約再検討会議の最終文書を不成立の追い込んだのも、他国が悪いとロシアを正当化している。

 日本の岸田首相は核兵器禁止条約には参加せずNTP再検討会議を重視する立場をとっている。今回の会議でも演説をした。「核なき世界」を重要な政権課題に掲げる岸田首相は今回の結果でどうするのであろうか。

 核兵器や原発などの人間が発明した悪魔の道具を、すぐにでも地球上からなくすことが重要な課題だが、それができない人間は何と愚かなものか

2022年8月22日 (月)

熱中症?

 20日のことである。前日と前々日は雨でウオーキングに行かなかったので、この日はいつもより力を入れて歩いていた。暑いことは暑いがそれまでよりは気温は低かった。気温は多分22度台であったと思う。汗拭きのタオルハンカチで汗をぬぐいながら歩いた。

 いつものように瑞穂スタジアムで折り返して戻って行った。体は若干えらいと感じていたがペースを緩めることなく歩いた。

 田辺公園をすぎて石川大橋に来た辺りから疲れを感じ始めた。家まで2.5kmぐらい残っていた。次の向田橋辺で身体が前傾姿勢にかわり、そのためかちょっと速くなった。いつもの歩きに戻そうとしたがどういう訳が戻らなかった。

 山崎川を離れる頃さらに身体がしんどくなった。電柱などがあるとそれにつかまってちょっと休んでまた歩いた。

 藤成通をすぎるとさらにえらくなり、10mぐらい歩くと電柱などにつかまって休んだ。

 家まで残り300mぐらいの地点で疲れはさらにひどくなった。家まで戻れるか心配になった。谷田歯科の所で休み、3mぐらい歩いて休み、何とか家までたどり着こうと必死であった。車が来ると乗せて行って欲しいくらいであった。

 倒れそうになるのを必死で我慢して何とか家に着いた。いつもより2分ほど早く18分であった。もし休んでなけらば14分ぐらいであったかもしれない。すぐに水を飲んで顔を水で洗った。

 きっと熱中症だと思った。倒れないだけよかったと思った。体を冷やしシャワーを浴びたら何とか回復した。41年間歩いてきたがこんな経験は初めてであった。これも高齢のせいだろうと思った。

2022年8月14日 (日)

川遊びー昔と今

 毎年夏になると水難事故が多くなる。特に川遊びでの事故が多いようだ。先日のニュースでは水深50cmあると川で流されると危険だと言っていた。子どもの場合はもっと浅くても転倒などで流されることがあるだろう。

 12日のNHKのニュースではライフジャケット(救命胴着)をつけるように運動をしている女性の活動が紹介されていた。5歳の長男を川遊びで亡くした女性はライフジャケットをつけることの大事さをいろんなところで訴えて活動して成果を上げているそうだ。

 その他にもライフジャケット着用運動をしている男性も紹介されていた。このニュースを見たとき、自分の子どもの頃とは大きく変わったのだと思った。

 私が子どもの頃は新宮市に住んでいたので和歌山県と三重県の境にある熊野川で遊んだ。熊野川には川上から運ばれてきた筏がたくさん係留されており、そこで遊ぶことが多かった。

 水泳を覚えたのも筏と筏の間であった。子どもたちはみな熊野川の筏で泳ぎを覚えたのであった。

 熊野川では毎年水難事故で死ぬ子がでた。学校では筏の下に引き込まれると危険だから注意するようにやかましく指導された。

 熊野川で遊ぶとき子どもたちはみな小さな褌をつけいるだけであった。その頃はライフジャケットなどというものはなかった。今から見ると大変に危険なことであった。

 私も弟も熊野川で溺れた経験がある。おそらく誰でも一度は溺れたことがあるのではないかと思う。

 今も新宮市の子どもたちは熊野川で遊んでいるのかどうかは知らない。筏もなくなっていると思う。子どもたちの水泳は学校のプールで覚えるのであろう。

 今の子どもたちは川遊びの危険や怖さを知らないのかもしれない。昔は大人たちや遊び友達から安全な遊び方を習っていたし、遊ぶ中で自然に学んで行ったのだと思う。

 

2022年8月13日 (土)

物忘れが多くなった

 85歳をすぎた頃から物忘れがとみに激しくなった。何かをやろうとして今やろうとしたことを忘れてしまう。冷蔵庫の扉を開けてそこで何しに来たのかと考えるのだ。何かを取りに来たはずなのだがその品を忘れているのだ。

 今日もちょっと遠くの食品スーパーへ買い物に行ったのだが、買ったものの中からデラウエアと花を忘れてきてしまった。家に帰って食事をして品物がないことに気がついた。

 すぐに店に電話をして調べてもらったら店が預かっていてくれたことが分かりホッとした。買った品物を忘れることはこれまでにも何度かあった。

 買い物に行くときは小さな紙にメモをして持っていく。頭の中に記憶して出かけるといくつかの品を買い忘れてしまう。

 妻に電話をして買うものを確かめるのだが、妻も忘れることがあるのでどうしようもない。

 タレントや有名人の名を思い出せないことはしょっちゅうである。後から思い出すこともあるが、思い出せないときはスマホで検索をして思い出す。

 予定はカレンダーに記入して毎朝確かめることにしている。それでも確かめることを忘れてしまうことがたまにある。
こういう物忘れは認知症が始まっているサインなのかどうか。自分ではわからない。

より以前の記事一覧