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日記・コラム・つぶやき

2024年10月 2日 (水)

山紫水明

 日本人は誰でも知っていて歌える有名な曲のナンバーワンは「ふるさと」である。この歌の3番の歌詞は、「志を果たしていつの日にか帰らん 『山は青きふるさと 水は清きふるさと』」である。これは「山紫水明」というフレーズから来ている。

 私が育った故郷は南紀新宮市である。高等学校の校歌の中にも「山紫に水清く」と山紫水明が入っている。

 新宮はユネスコに登録された熊野古道の一部である。山紫水明の通り、熊野川という大きくきれいな川の河口にある。市街地は紀伊の山が連なるところと太平洋の間の狭い平地にある。市街地にも低い山がある。まさに山紫水明なのだ。高等学校もすぐ山ノ下にあるし、私の出た小学校も山の下にある。

 山を歩いたり、川で遊んだりしたものだ。熊野古道で駆け回ったのは今になると良い思い出である。小鮒を釣ったことはあるが、ウサギを追ったことはない。

 私は新宮で生まれたのではない。父親は仕事の関係での移住者であった。だからいつの日か帰ることはないが懐かしい土地である。歳を取って同級会も消滅したので訪れる機会がなくなったが思い出の中にあるふるさとである。「ふるさと」の歌の3番を歌うと蘇ってくるふるさとだ。

 9月29日のNHKテレビニュースで熊野古道を新宮市の速玉神社まで歩く企画を報じていた。100人ほどの参加を予定しているとか。画面に速玉神社が映ったが、懐かしい神社である。戦時中小学生の時は学校行事として毎年速玉神社まで行軍をしてお詣りに行ったものだ。私が3年生で級長のときはクラスのみんなの先頭に立って行進しのを思い出す。

2024年9月28日 (土)

公衆トイレで床にゴミを捨てるとは

 26日の朝5時半ごろ、ウオーキングの途中で田辺公園にある公衆トイレに入ったら、下の写真のように切った髪の毛が散乱していた。一体誰がトイレで髪の毛を切り床に放置しておくのだろう。髪の毛を切るのなら家で切るか、公衆トイレで切るにしてもプラスチックバッグなどを持って来てその中に入れて捨てるとか持ち帰ればよいいノニと思った。

 切った髪の毛が散乱していたのは2~3日前にもあった。まさか同じ人がやるとは思えないのだが。そういうことをする人が他にもいるのだろうか。

 このトイレにはパンの空き袋なども捨ててあり、いまだにそのままになっている。トイレの掃除は誰がやるのだろうか。公園を掃除するボランティアの人はやっていないようだ。
トイレの紙はいつも交換してあるので土木事務所の係の人がやっているのだと思うのだが、散乱した髪の毛やゴミの片づけはしていないのだろうか。

 山崎川に来る人の中にゴミをまき散らしていく不心得者がいるのだ。トイレの前の公園はボランティアが掃除をしたり、植物の世話をしたりしているというのに同じ場所にゴミまき散らし人間がいるのは残念でならない。

2024年9月26日 (木)

暑さ寒さも彼岸まで?

 秋分の日の朝ウオーキングに出かけたときはまだ暑さを感じたが、翌日の23日の朝玄関の外に出ると暑さを感じなかった。歩いていても風はなかったが暑くはなかった。途中でHさんに逢って話をしたとき二人とも同時に発した言葉は「暑さ寒さも彼岸までといいますが涼しくなりましたね」であった。

 24日のウオーキングの時も暑さを感じなかった。この日は風も少しあったのでとてもよかった。途中で遇ったストレッチ爺さんとも「暑くなくなりましたね」と言葉を交わした。

 昔から「暑さ寒さも彼岸まで」というが、今と違って昔は旧暦ではあったが彼岸を境に寒暖が変わるのが面白い。これからは気持ちの良いウオーキングができると思うと嬉しい。今はまだ半ズボンで歩いているが、そのうち長ズボンに替えなければならなくなるだろう。

 新聞によると今年の夏は昨年より暑かったと気象庁が発表したそうだが、本当に暑い夏であった。来年は更に暑くなるのだろうか。来年の夏も歩いているかどうかはわからないが。地球温暖化でどこまで暑くなるのだろう。

 テレビで暑さにやられた果物とか逆に暑さで育ち過ぎた野菜を取り上げていた。また乳牛も暑さ対策で大変だと言っていた。ただ暑いだけでなく農作物などでも人間の生活に大きな影響が出るので怖い。

2024年9月25日 (水)

トイレの水の節約

 我が家はシャワートイレの出始めから使っている。リクシルの前身のイナックスが最初に売り出したのである。ちなみにシャワートイレはリクシルでウオッシュレットはTOTOである。

 痔で野垣病院に入院した時シャワートイレだったのでいいなと思って退院してがらシャワートイレを買ったのだ。何しろイナックス1社の販売だったので当時はとても高かった。

 その後TOTOやパナソニックなどが作るようになった。現在はパナソニックの物を使っている。

 直腸がんになってからトイレに行く回数が増えたので、トイレットペーパーの使用量と流す水の使用量が気になるようになった。それでトイレの水を流すときは「大」と「小」を使い分けている。

 ネットニュースを見ていたら、その使い分けが正しいことがわかった。「大」は大便用ではなく水量が多いことを表し、「小」は小便用ではなく水量が少ないことを表すのだそうだ。

 トイレの水を流す回数を節約するにはどうしたらいいかという記事によると、か?節約に

  ・レバーの「大」「小」を使い分ける

  ・水を流すのは一度だけにする

  ・お風呂の残り湯をトイレの流し水として再利用

とあった。
 

 水道代の相場は、1Lあたり0.1円〜0.2円(自治体による)で、 この金額に当てはめると、トイレの水道代は一回につき0.6円〜1.8円となるそうだ。 仮に小を1日3回、大で1回流したとすると、一日およそ2.6円〜5.2円だという。
 

 私は1日に12回以上流すので1日20円以上になるようだ。節約に努めなければと思うが生理現象はどうしようもない。

2024年9月24日 (火)

今年は見られない山崎川の彼岸花

 山崎川のウオーキングで楽しみにしているひとつは彼岸花の開花である。彼岸花の名の通り、彼岸の中日近くになると突然茎が伸びて出て赤い彼岸花もしくは白っぽい花を咲かせる。

 山崎川の石川大橋を上流に通りすぎたところに、毎年彼岸花が咲くところがあるのだが、今年はそれらしい気配も見ることができない。おとといは彼岸の中日なので例年なら見ることができるのだが、咲いていなかった。

 おそらく、山崎川沿いの雑草を刈り取っている業者が彼岸花を球根ごと抜き取ってしまったのではないかと推察している。

 この日のサンデーモーニングでは大きな彼岸花をあしらっていた。彼岸花は曼殊沙華という素敵な名を持っているが不吉なイメージも与えられている。それは古くから墓地の近くで植えられてきたからだと言われる。たしかに子どもの頃住んでいた新宮市では広角の山に大きな墓地があり、そこに彼岸花が咲いていた。

 また、食べると死後の世界に行ってしまうという迷信が存在するのも不吉の原因になっているともいう。

 彼岸花は毒を持っていると言われるが、毒は球根にあるようだ。食べることはないと思う。こどものころかぶれると言われたことがあった。実際に彼岸花を摘むことはなかったのでかぶれたことはない。あの赤い花がいろいろな説をうむのであろう。

 彼岸花を逆手にとって名所にしたところが愛知県半田市の矢勝川ぞいにある。新見南吉の有名な「ごんぎつね」の里である。土地の人たちが彼岸花を育てて人が見に来るようにしている。ちょうど今は見ごろだと思う。私も昔行ったことがあるが添てもきれいな眺めであった。

 

2024年9月23日 (月)

食料品の値上がりが大変だ

 スーパーへ買い物に行くたびに、食料品が値上げされていると感じる。今日もトマトを買おうと思ったがテニスボールより小さいトマトが1個200円もした。それでミニトマトにしようと思ったが、親指の爪ぐらいのトマトが10個で200円であった。トマトは食卓に欠かせないがこんなに高くては買うのをためらわざるをえない。

 ほうれん草も以前は100円ぐらいで買えていたのが260円もする、小松菜も160円もしていた。ブロッコリーもよく買うのだが、今は時期外れなのか小さいのが1個280円もしていた。

 リンゴもボツボツ出始めたが1個300円近くもする。柿も出始めたが種なし柿が1個160円だった。

 米は新米が出始めた。5kg入りを買ったが3380円であった。魚や肉類も高い。仕方がないのでサバのフィレの干物を買っている。生の魚ではブリやハマチが何とか買えそうな値段であるが1切れ250円もする。肉は高いので細切れとか切り落としを買っている。

 昨年はまだこんなに高くはなかったと思うのだが、今年は便乗して値段を上げているのであろうかと思う。もしそうならスーパーは儲かってウハウハであろう。

 長い間デフレで物価があまり上がらなかったので、年金生活には有難かったが、これからは値上げが続くので大変である。テレビでは数千品目も値上がりしていると言っている。与野党の政治家には庶民の生活苦が分かっていないようだ。特にキックバックや裏金の抜け道がある自民党には全く分からないであろう。

2024年9月20日 (金)

仲秋の名月

 9月17日は今年の仲秋の名月の日であった。この日は天気が良かったので名月が見られると楽しみにしていた。

 夕方陽が沈む頃になると東の空に大きな月が上って来た。天気は快晴であった。月は見ている間ほんの少しずつ上がっていくのがわかった。月が出てしばらくの間は大きな月である。上空に来ると小さくなる。

 子どもの頃は縁側に机を置いて一升瓶にススキを挿して、団子などを母が飾っていたのを思い出す。昔は名月を楽しむ習慣が残っていた。大人になってからはそういう楽しみ方はしなくなった。

 子どもができてからも昔のような名月の鑑賞はしなかった。ただ月を眺めるだけである。

 昨年も仲秋の名月を眺めたことを思い出す。我が家の前の道路に出て眺めたり、庭に出て眺めたりした。今年も同じであった。

 私には短歌や俳句を読む才がないので、眺めるだけである。今はロケットで月に行き人が降りたつようになったので、月の眺め方も変わったように感じる。昔の人のようにロマンチックな気分は無いように思う。

 それでも快晴の空に仲秋の名月を眺められたのはよかった。

 

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2024年9月17日 (火)

高いサンマを買って

 スーパーへ行くたびにサンマを見かけるが、今年のサンマは小さくて細いような気がする。それなのに値段が高い。2匹で400円ぐらいのことが多い。

 15日にスーパーへ行ったときサンマを売っていたので思い切って買うことにした。写真のように細くて小さいサンマが316円で売っていた。

 私は大人になるまで南紀新宮市に住んでいたので、魚と言えばサンマであった。現地ではサンマとは言わず、「サイラ」と言っていたと記憶する。ネットで調べたら関西では「サイラ」というようだ。

 サンマが獲れるようになると行商のおばさんが毎日サンマを売りに来た。我が家では魚屋やでもサンマを買っていたので毎日サンマを食べていた。1日に2回食べることもあった。

 近くの太平洋で穫れたサンマは油が少なかったが、そのためにサンマを酢に漬けて置いてサンマ寿司が作られていた。特に正月にはどこの家でも暮れのうちからサンマ寿司を作っていた。友だちの家に行くとサンマ寿司が出された。今はサンマ寿司は熊野名物としてスーパーでも売っているので買うことができる。

 子どもの時からサンマを食べて育ったので、サンマが大好きである。だからサンマを見ると食べたくなるのだが、高いので躊躇してなかなか買えない。

 我が母校新宮高校の前身の新宮中学出身の文豪佐藤春夫には有名な「秋刀魚の歌」という詩がある。
 

 佐藤春夫  秋刀魚の歌 

  あはれ

  秋風よ

  情〔こころ〕あらば伝へてよ

  ――男ありて
 

  今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり

  さんまを食〔くら〕ひて

  思ひにふける と。

  さんま、さんま

  そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて

  さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。

  そのならひをあやしみてなつかしみて女は

  いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。

  あはれ、人に捨てられんとする人妻と

  妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、

  愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は

  小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ

  父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。

  あはれ

  秋風よ

  汝〔なれ〕こそは見つらめ

  世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。

  いかに

  秋風よ

  いとせめて

  証〔あかし〕せよ かの一ときの団欒ゆめに非〔あら〕ずと。

  あはれ

  秋風よ

  情あらば伝へてよ、

  夫を失はざりし妻と

  父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ

  ――男ありて

  今日の夕餉に ひとり

  さんまを食ひて

  涙をながす と。

  さんま、さんま

  さんま苦いか塩つぱいか。

  そが上に熱き涙をしたたらせて

  さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

  あはれ

  げにそは問はまほしくをかし。

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2024年9月15日 (日)

パソコンが起動しなくなって

 13日金曜日にパソコンを起動しようとしたら、電源が入らなかった。いろいろ調べて何とか電源が入った。ところがキーボードのNum Clockキーが点灯しない。点灯しなければ使用できない。困ってしばらく放置しておいた。

 困ったのはブログを書けないことだ。古いパソコンを使おうと思って起動しようといろいろやってみた。ブログを書くサイトを立ち上げようとしたが旨く行かなかった。スマホでブログを書くことはこれまで一度もなかったが、試しにスマホを使って見ることにした。IDやパスワードを入れて立ち上げた。

 スマホはラインメールなどは音声でやっているのでブログも音声で書くようになっていた。とりあえずブログを休止しなければならないかもしれないと書いた。

 そうこうしているうちにパソコンが起動できた。それでスマホで書いたブログは取りやめにしてブログを書きはじめた。今書いているのがそれである。

 最近パソコンの調子がよくないので、またこうしたことが起きるかもしれない。もし、ブログがアップロードされてないときはブログを書けなかったということである。

 今日は13日の金曜日。ゲンをかつぐわけではないが、私にはまさに災厄が降りかかった日であった。

 私がパソコンを使うのは文書をかくときとメールの送受信だけである。だから新しいパソコンを買うのはもったいないと思ってためらっている。そしたらこういう羽目になってしまった。

 スマホでブログを楽に書くことができるかを試してみる必要があることが分かった。

2024年9月13日 (金)

楽しみな1日1合の日本酒

 私の楽しみは1日1合の日本酒を夕食時に飲むことである。以前は毎日2合ほど飲んでいたが、1年ほど前から量を1合に減らした。もちろん健康のためである。

 夏でも日本酒を冷やしておいて飲んでいる。ビールも冷蔵庫にあるがほとんど飲まないん。外出してとても暑いときだけビールを飲む。

 秋になり涼しくなるともちろん燗をして飲む。夏でも燗をして日本酒を飲むというひともいるが、私は冷酒である。知人の中には日本酒は飲まない、焼酎を飲むという人もいる。私は焼酎はあまり飲まない。日本酒に比べて味わいが少ないからだ。

 酒を居酒屋で飲むのが好きな人もいるが、私は家呑みである。居酒屋へ行くと金額がかさむ。手酌で家で飲むのは年金生活には適している

 1合の酒だが、高齢になってアルコールに弱くなったのか十分に酔える。私は酔うために飲むのではなく酒の味が好きなのだ。酔うのは副産物である。私の父も酒が好きで晩酌をしていたが、高齢になると酒の量をを減らした。そのころは感心して見ていたが、今思うとアルコールに弱くなったからできたのだとわかる。

 日本酒は通信販売でいろんな酒を唎酒師が選んだという酒を5本組、6本組で売っているのでそれを買っている。大吟醸でも5本1万円以下で買える時もある。今飲んでいるのは大吟醸だ。暑いときは冷やして飲むので大吟醸は適している。

個人の好みにもよるのだろうが旨いと思うときもあれば旨くないと感じる時もある。

 孔子は「酒は量なし。乱に及ばず」と言ったが、孔子もさけがすくであったようだ。ただ酒と言っても中国の酒と日本酒とは全くちがうが。私も孔子ではないが生涯で一度も乱に及んだことはない。おとなしく嗜む酒である。

 ※蛇足

 タイトルを最初『楽しみは1日1合の日本酒」としていたが、「は」を「な」に替えて「楽しみな1日1合の日本酒種」に変更した。理由は「は」と「な」の1字で意味がガラッと変わるからだ。「は」だと楽しみは1合の酒だけとなったしまうが、「な」では他にも楽しみがあることになるからだ。日本語の妙である。

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