急がねど八十八年
「いそがねぞ五十九月日のはやくして をしむまもなきとしのくれかな」
この短歌は我が祖先の一人山内恵尊の詠んだ歌である。達筆で書かれた短冊は伯母が私にくれたものである。
これをもじって「いそがねど八十八月日のはやくして おしむまもなきとしのくれかな」である。
昨年数えの88歳で名古屋市から祝い金をもらったが、今日は満88歳になった。江戸時代は人生五十年もなかったかもしれないが、現代は人生百年時代である。88歳はまだ若いと言えるかもしれない。でも、88歳までよく生きてきたとは思う。
過ぎてみればあっという間であった。60歳定年まで、38年間勤めたが、定年後38年経ってしまった。定年後の人生はボランティアの日本語教師がメインで今も続けている。
現役の時は毎日児童のために懸命に働いた。児童言語教育研究会に属して国語教育を日夜研究し実践してきた。生涯平教員であったが、児童と共にあることを誇りとしていた。研究会の仲間もみな同じであった。
30代、40代のときは十二指腸潰瘍で入院したり、痔で入院したこともあったが、40代半ばからはランニングを始め、50代からウオーキングに切り替えた。以来今日まで続けているが、その距離は地球1周半以上となった。今思うとそれが健康維持に役立ったのだろう。
あとは英語会話クラブを作って仲間と40年ほど勉強を続けた。71歳で男声コーラスを作ってはや17年になった。趣味のマジックも40年ほど続けている。
ブログを始めて9年になるが毎日書くことを続けている。脳を使うのでボケ防止になっていると思う。
直腸ガンが見つかって、この先どのくらい生きられるのかは分からないが天命に従うしかないと思う。
平凡な88年であったが、戦争を経験し、戦後の物のない生活を経験し、その後バブル、テレビ、新幹線、パソコンやインターネット、そしてスマホなど大きな変化の時代を過ごすことができた。
戦後は日本は平和が続いているのが有難いことである。
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