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日記・コラム・つぶやき

2024年10月12日 (土)

急に下がった気温

 10日の朝起きると温度は20度を切っていた。ウオーキングに出かける前にアプリを見たら名古屋の外気は13度と出ていた。これまでのように半袖シャツでは寒いかも知れないと思い、長袖シャツを出して着た。外に出ると長袖シャツでよかったと思った。

 早朝のジョギングやウオーキングをしている人は人それぞれで、半袖の人もいれば長袖の人もいた。

 歩きながら頭に古今和歌集の藤原敏行の「秋来ぬとめ目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」が浮かんだ。そしてパロディが浮かんだ。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども気温の下げに驚かれぬる」というのだ。

 前日ぐらいまで人と会うと「10月になっても暑いですね」と言っていたのに急に気温が下った。天気予報では長袖シャツや上着がいいと勧めていた。

 ウオーキングから帰って来ると、前は汗びっしょりだったのが汗はかいていなかった。これからは歩きやすくなるからいいと思った。


 10日の朝は、20日遅れのクリーム色の彼岸花が咲き誇っていた。彼岸花もやっと目を覚ませる気温になったのであろう。夏の猛暑といい、急に下がった気温といい、季節感を狂わせるこの頃である。これも地球温暖化によるものであろうか。

 日中に買い物に行くときも長袖で行った。これからはエアコンが要らなくなるから電気代が助かる。

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2024年10月11日 (金)

よかった、袴田さんの無罪確定

 10月9日の朝日新聞によると、袴田巌さんの無罪が確定した。検察が控訴をしないと発表したのだ。無罪確定までに逮捕から58年も要している。袴田さんは88歳だというから私と同年輩である。死刑が確定した身での長い拘禁生活で精神を病み意思疎通ができない状態にあるという。罪を犯していないのに死刑を言い渡され、再審請求などで長い年月が経過した。事実上の無期刑であった。

 そうなったのは再審裁判で、袴田さんの逮捕後に現場近くで発見された中心的な証拠「5点の衣類」について、「捜査機関が血痕を付けるなどの加工をして隠した」と指摘。衣類のうちズボンから切り取られたとされる端切れや、検察官が作成した自白調書と合わせ、3つの証拠を捜査機関による「捏造」と認めたのだ。これについて検察側は検事総長談話を出し、強い不満を表明した。

 捜査機関が犯人に仕立てるために証拠を捏造してまでやるとは恐ろしいことだ。そのために袴田さんは死刑を言い渡されたのだ。精神を病むのも当然であろう。日本の警察や検察がそういう無法のものであるとは!。これまでにも袴田さん以外に多くの冤罪を蒙った人がいたという。

 朝日新聞の社説のよると、ここまで長引いたのは、刑事訴訟法に再審手続きについての規定がほとんどないことが最大の原因だという。再審法制の不備を改めるべきだと指摘している。

 袴田さんの無罪確定まで闘って来た姉の秀子さんは本当に素晴らしい人だ。弁護団とお姉さんに負うところが大きい。

 58年の年月は取り戻せないが、残りの人生をゆっくりと過ごしてもらいたい。無罪確定を機に袴田さんの心の回復を祈ってやまない。

 

2024年10月 9日 (水)

遅い彼岸花の開花

 7日の早朝ウオーキングのとき、ウオーキングをしているお婆さんが「彼岸花があちこちにさいてますね。赤とか白とかいろいろあります。」と話しかけて来た。私は「今年は彼岸花の咲くのが遅かったですね。全国的に遅いらしいですよ」と言った。その人は「暑かったからね」と言った。クリーム色の彼岸花が固まって咲いていた。

 引き返す道で石川大橋のたもとにある私の彼岸花観測地点へ来ると、下の写真のように赤い彼岸花が咲いていた。中にクリーム色のも混ざっていた。

 ブログで最初に彼岸花のことを書いた彼岸の中日頃には全く彼岸花が出ていなくて、例年なら彼岸には必ず茎が伸びて咲くのに今年はどうしたのだろうと書いた場所である。

 3日前から雨などで歩いていなかったので、何日に咲きだしたのかは分からないが、多分前日か一昨日ぐらいではないか。それにしても例年より2週間も遅いのに驚いた。

 この日も歩いていて暑さを感じ汗をかいた。10月7日になったというのに異常気象である。とは言ってもすぐに寒さがやった来るだろうと思うが、気象予報では冬も気温が高いと予想されているのでどうなることか。

 このブログを書いている部屋に冷房を付けているが朝が滲み出ている。この暑さには彼岸花もびっくりしていることであろう。

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2024年10月 2日 (水)

山紫水明

 日本人は誰でも知っていて歌える有名な曲のナンバーワンは「ふるさと」である。この歌の3番の歌詞は、「志を果たしていつの日にか帰らん 『山は青きふるさと 水は清きふるさと』」である。これは「山紫水明」というフレーズから来ている。

 私が育った故郷は南紀新宮市である。高等学校の校歌の中にも「山紫に水清く」と山紫水明が入っている。

 新宮はユネスコに登録された熊野古道の一部である。山紫水明の通り、熊野川という大きくきれいな川の河口にある。市街地は紀伊の山が連なるところと太平洋の間の狭い平地にある。市街地にも低い山がある。まさに山紫水明なのだ。高等学校もすぐ山ノ下にあるし、私の出た小学校も山の下にある。

 山を歩いたり、川で遊んだりしたものだ。熊野古道で駆け回ったのは今になると良い思い出である。小鮒を釣ったことはあるが、ウサギを追ったことはない。

 私は新宮で生まれたのではない。父親は仕事の関係での移住者であった。だからいつの日か帰ることはないが懐かしい土地である。歳を取って同級会も消滅したので訪れる機会がなくなったが思い出の中にあるふるさとである。「ふるさと」の歌の3番を歌うと蘇ってくるふるさとだ。

 9月29日のNHKテレビニュースで熊野古道を新宮市の速玉神社まで歩く企画を報じていた。100人ほどの参加を予定しているとか。画面に速玉神社が映ったが、懐かしい神社である。戦時中小学生の時は学校行事として毎年速玉神社まで行軍をしてお詣りに行ったものだ。私が3年生で級長のときはクラスのみんなの先頭に立って行進しのを思い出す。

2024年9月28日 (土)

公衆トイレで床にゴミを捨てるとは

 26日の朝5時半ごろ、ウオーキングの途中で田辺公園にある公衆トイレに入ったら、下の写真のように切った髪の毛が散乱していた。一体誰がトイレで髪の毛を切り床に放置しておくのだろう。髪の毛を切るのなら家で切るか、公衆トイレで切るにしてもプラスチックバッグなどを持って来てその中に入れて捨てるとか持ち帰ればよいいノニと思った。

 切った髪の毛が散乱していたのは2~3日前にもあった。まさか同じ人がやるとは思えないのだが。そういうことをする人が他にもいるのだろうか。

 このトイレにはパンの空き袋なども捨ててあり、いまだにそのままになっている。トイレの掃除は誰がやるのだろうか。公園を掃除するボランティアの人はやっていないようだ。
トイレの紙はいつも交換してあるので土木事務所の係の人がやっているのだと思うのだが、散乱した髪の毛やゴミの片づけはしていないのだろうか。

 山崎川に来る人の中にゴミをまき散らしていく不心得者がいるのだ。トイレの前の公園はボランティアが掃除をしたり、植物の世話をしたりしているというのに同じ場所にゴミまき散らし人間がいるのは残念でならない。

2024年9月26日 (木)

暑さ寒さも彼岸まで?

 秋分の日の朝ウオーキングに出かけたときはまだ暑さを感じたが、翌日の23日の朝玄関の外に出ると暑さを感じなかった。歩いていても風はなかったが暑くはなかった。途中でHさんに逢って話をしたとき二人とも同時に発した言葉は「暑さ寒さも彼岸までといいますが涼しくなりましたね」であった。

 24日のウオーキングの時も暑さを感じなかった。この日は風も少しあったのでとてもよかった。途中で遇ったストレッチ爺さんとも「暑くなくなりましたね」と言葉を交わした。

 昔から「暑さ寒さも彼岸まで」というが、今と違って昔は旧暦ではあったが彼岸を境に寒暖が変わるのが面白い。これからは気持ちの良いウオーキングができると思うと嬉しい。今はまだ半ズボンで歩いているが、そのうち長ズボンに替えなければならなくなるだろう。

 新聞によると今年の夏は昨年より暑かったと気象庁が発表したそうだが、本当に暑い夏であった。来年は更に暑くなるのだろうか。来年の夏も歩いているかどうかはわからないが。地球温暖化でどこまで暑くなるのだろう。

 テレビで暑さにやられた果物とか逆に暑さで育ち過ぎた野菜を取り上げていた。また乳牛も暑さ対策で大変だと言っていた。ただ暑いだけでなく農作物などでも人間の生活に大きな影響が出るので怖い。

2024年9月25日 (水)

トイレの水の節約

 我が家はシャワートイレの出始めから使っている。リクシルの前身のイナックスが最初に売り出したのである。ちなみにシャワートイレはリクシルでウオッシュレットはTOTOである。

 痔で野垣病院に入院した時シャワートイレだったのでいいなと思って退院してがらシャワートイレを買ったのだ。何しろイナックス1社の販売だったので当時はとても高かった。

 その後TOTOやパナソニックなどが作るようになった。現在はパナソニックの物を使っている。

 直腸がんになってからトイレに行く回数が増えたので、トイレットペーパーの使用量と流す水の使用量が気になるようになった。それでトイレの水を流すときは「大」と「小」を使い分けている。

 ネットニュースを見ていたら、その使い分けが正しいことがわかった。「大」は大便用ではなく水量が多いことを表し、「小」は小便用ではなく水量が少ないことを表すのだそうだ。

 トイレの水を流す回数を節約するにはどうしたらいいかという記事によると、か?節約に

  ・レバーの「大」「小」を使い分ける

  ・水を流すのは一度だけにする

  ・お風呂の残り湯をトイレの流し水として再利用

とあった。
 

 水道代の相場は、1Lあたり0.1円〜0.2円(自治体による)で、 この金額に当てはめると、トイレの水道代は一回につき0.6円〜1.8円となるそうだ。 仮に小を1日3回、大で1回流したとすると、一日およそ2.6円〜5.2円だという。
 

 私は1日に12回以上流すので1日20円以上になるようだ。節約に努めなければと思うが生理現象はどうしようもない。

2024年9月24日 (火)

今年は見られない山崎川の彼岸花

 山崎川のウオーキングで楽しみにしているひとつは彼岸花の開花である。彼岸花の名の通り、彼岸の中日近くになると突然茎が伸びて出て赤い彼岸花もしくは白っぽい花を咲かせる。

 山崎川の石川大橋を上流に通りすぎたところに、毎年彼岸花が咲くところがあるのだが、今年はそれらしい気配も見ることができない。おとといは彼岸の中日なので例年なら見ることができるのだが、咲いていなかった。

 おそらく、山崎川沿いの雑草を刈り取っている業者が彼岸花を球根ごと抜き取ってしまったのではないかと推察している。

 この日のサンデーモーニングでは大きな彼岸花をあしらっていた。彼岸花は曼殊沙華という素敵な名を持っているが不吉なイメージも与えられている。それは古くから墓地の近くで植えられてきたからだと言われる。たしかに子どもの頃住んでいた新宮市では広角の山に大きな墓地があり、そこに彼岸花が咲いていた。

 また、食べると死後の世界に行ってしまうという迷信が存在するのも不吉の原因になっているともいう。

 彼岸花は毒を持っていると言われるが、毒は球根にあるようだ。食べることはないと思う。こどものころかぶれると言われたことがあった。実際に彼岸花を摘むことはなかったのでかぶれたことはない。あの赤い花がいろいろな説をうむのであろう。

 彼岸花を逆手にとって名所にしたところが愛知県半田市の矢勝川ぞいにある。新見南吉の有名な「ごんぎつね」の里である。土地の人たちが彼岸花を育てて人が見に来るようにしている。ちょうど今は見ごろだと思う。私も昔行ったことがあるが添てもきれいな眺めであった。

 

2024年9月23日 (月)

食料品の値上がりが大変だ

 スーパーへ買い物に行くたびに、食料品が値上げされていると感じる。今日もトマトを買おうと思ったがテニスボールより小さいトマトが1個200円もした。それでミニトマトにしようと思ったが、親指の爪ぐらいのトマトが10個で200円であった。トマトは食卓に欠かせないがこんなに高くては買うのをためらわざるをえない。

 ほうれん草も以前は100円ぐらいで買えていたのが260円もする、小松菜も160円もしていた。ブロッコリーもよく買うのだが、今は時期外れなのか小さいのが1個280円もしていた。

 リンゴもボツボツ出始めたが1個300円近くもする。柿も出始めたが種なし柿が1個160円だった。

 米は新米が出始めた。5kg入りを買ったが3380円であった。魚や肉類も高い。仕方がないのでサバのフィレの干物を買っている。生の魚ではブリやハマチが何とか買えそうな値段であるが1切れ250円もする。肉は高いので細切れとか切り落としを買っている。

 昨年はまだこんなに高くはなかったと思うのだが、今年は便乗して値段を上げているのであろうかと思う。もしそうならスーパーは儲かってウハウハであろう。

 長い間デフレで物価があまり上がらなかったので、年金生活には有難かったが、これからは値上げが続くので大変である。テレビでは数千品目も値上がりしていると言っている。与野党の政治家には庶民の生活苦が分かっていないようだ。特にキックバックや裏金の抜け道がある自民党には全く分からないであろう。

2024年9月20日 (金)

仲秋の名月

 9月17日は今年の仲秋の名月の日であった。この日は天気が良かったので名月が見られると楽しみにしていた。

 夕方陽が沈む頃になると東の空に大きな月が上って来た。天気は快晴であった。月は見ている間ほんの少しずつ上がっていくのがわかった。月が出てしばらくの間は大きな月である。上空に来ると小さくなる。

 子どもの頃は縁側に机を置いて一升瓶にススキを挿して、団子などを母が飾っていたのを思い出す。昔は名月を楽しむ習慣が残っていた。大人になってからはそういう楽しみ方はしなくなった。

 子どもができてからも昔のような名月の鑑賞はしなかった。ただ月を眺めるだけである。

 昨年も仲秋の名月を眺めたことを思い出す。我が家の前の道路に出て眺めたり、庭に出て眺めたりした。今年も同じであった。

 私には短歌や俳句を読む才がないので、眺めるだけである。今はロケットで月に行き人が降りたつようになったので、月の眺め方も変わったように感じる。昔の人のようにロマンチックな気分は無いように思う。

 それでも快晴の空に仲秋の名月を眺められたのはよかった。

 

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