日記・コラム・つぶやき

2017年5月 5日 (金)

障子の張り替え

 障子が破れて放っておいたらひどくなったのでとうとう張り替えることにした。障子紙はずっと前から買ってあった。糊はホームセンターに行って買って来た。

 障子紙には張替のやり方が書いてあったがなんとなく不安であった。それで元建具屋のKさんに相談をした。私は襖とか障子の張り替えは表具屋がやるものだと思っていた。ところが建具屋も張り替えをやると言った。そして障子の張り替えをやってもよいと言ってくれた。

 念のために障子の張り替えはいくらくらいかかるか調べてみた。クリーニングの白洋舎とか葬儀屋の平安閣などでも張り替えの斡旋をしていることが分かった。畳屋の折り込み広告にも障子張り替えが書いてあった。

 障子1本1500円ぐらいからやるところもあると分かったが、普通は1本3000円以上のようであった。中には上質の紙を使うと6000円というのもあった。紙の質によっても違うことを知った。

 私は子どもの頃障子の張り替えを手伝った。昔は大掃除があってそのときに母が障子の張り替えをしたので手伝ったのだ。昔の障子紙は習字用紙のような幅の巻紙であった。和紙で地が厚かった。

 障子の紙を洗うのが大変であった。しっかりと取らねばならなかった。雑巾で桟をごしごしこすったものであった。田舎では小川に持っていって洗うところもあった。

 今の障子紙は障子より幅が広く長さも4枚分あって巻いてある。妻は「家にある障子紙は幅が広いから狭いのを買わないと駄目よ」と言っていた。でもカッターで切ると書いてあった。

 結局Kさんに頼むことにした。障子の桟をきれいにしてあればよいと言った。障子紙をはがすのは濡れぞうきんで濡らして5分ほど放置してはがせばきれいにはがれると分かった。

 Kさんがやってきた。刷毛も糊をとく器も紙を切る道具も持ってきた。ところがいざやり始めてみると糊は刷毛など不要で絞り出して桟に塗るだけであった。Kさんはこれは簡単で便利だと言って驚いていた。

 見ていると、糊を桟に塗って歯ブラシを使って糊をならした。その上に障子紙をそのまま載せて上の方から一番外側を抑えて行った。そして1mmぐらいの凹みに沿って指で押さえて行った。カミソリの刃で凹みに沿って切って行った。

 周りを切ると、次は中の桟を指で撫でて紙を密着させた。そのあと桟の周りに付着している糊を濡れた布でふきとっておしまいであった。昔は霧吹きで水をかけたのだが、今の紙はその必要がなかった。また、紙の質も12倍も強いとうたってあった。

 Kさんにやってもらって、手伝いながら障子の貼り方も勉強できてよかった。新しい紙に張り替えた障子は明るかった。

 

 

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2017年4月23日 (日)

3高4低という言葉を初めて知った

 19日の朝日新聞「声」欄の「どう思いますか」に、「3高4低の風潮いかがか?」という投稿があり、それについて4人の意見が載っていた。

  3高というのはかなり前から使われ新聞でもテレビデモよく見聞きしたから知っていた。女性が結婚する相手に望むのは「高身長」「高学歴」「高収入」ということである。誰でも3高がよいに決まっている。高学歴、高収入となれば医者、弁護士、会計士、一流企業、高級公務員ということになろう。でもそれは一部の人にしか望めないことだ。

  明治の頃は「学士様なら嫁やろか」と言われたのと同じようなものだ。戦後は学士が溢れてしまったから3高に変わったのだ。

  ところで「4低」というのは初めて知った。投稿によると女性にたいする「低姿勢」家事や育児を女性に任せず手がかからない「低依存」、リストラや心変わりのない「低リスク」、贅沢をしない「低燃費」の4つだという。いったい誰が言いだしたのか、女性週刊誌にでも出ていたのだろうか。

  私の若い頃は「亭主関白」という言葉がまだ幅を利かせていた。それで私も亭主関白に憧れみたいなものを持っていた。友人とも「俺たちは亭主関白だよな」などと話したこともある。

 亭主関白といっても共働きではなかったから、家事は妻任せであったということだ。男は外で頑張って働く、妻は内助の功と言われた時代であった。

 この頃はそうはいかない。収入が低いから共稼ぎでなければやっていけない人が多い。結婚がなかなかできないとか、少子化というのも収入と関係が深いであろう。

 共稼ぎなら当然夫婦がそれぞれ役割を決めて家事なども分担しなければならない。4低の中で「低姿勢」というのは理解しがたい。なぜなら「新婚さんいらっしゃい」を見ていると最近の若いカップルは女性の方が強いからだ。言葉遣いもきついし、態度もきつい。

 「3高4低」というのは女性の側からの見方だが、若い人たちは本当はどうおもっているのであろう?

 

 

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2017年4月20日 (木)

よく考えて名古屋市長選挙には必ず行こう

 名古屋市長選挙は23日投票で現在候補者たちは選挙運動中である。現職の河村氏と元副市長の岩城氏と会社員の太田氏の3人立候補している。

  新聞によると、現職の河村氏が先頭を走り、岩城氏が追っていて、太田氏は遅れているという。事実上の一騎打ちとなっている。

  大きな争点は、名古屋城天守閣の木造再建の是非と減税の可否である。朝日新聞の調査によると、木造化賛成が40%で反対が31%だという。

  私は以前から木造化には反対を唱えてきた。ざっと505億円と言われる建築費用だが、木造にしてどんな価値が生まれるのか疑問である。河村氏は外国人も含め観光客を呼べるという。たしかに最初のうちは物珍しさで見に来るであろう。しかし、姫路城とか松本城のような歴史的価値はゼロである。多額の費用を他に回せば市民の暮らしがよくなることがいろいろあるはずだ。

  もう一つの争点の「減税5%」だが、世論調査では64%が賛成で、反対は15%だという。でもよく考えてほしい。年金 210万円では0円、 年金220万円では年約200円、  年金230万円では年約1000円だと聞く。 実際に恩恵を受けるのは収入の多い人たちで、私も含めて市民の半数は何のメリットもないのだ。

 低所得層の人は、5%とという数字に惑わされることなく、自分が果たして減税してもらえるのかを見るべきである。

  天守閣木造化の無駄遣いをやめ、減税よりもその分の税収入を市民の暮らしに役立つ方に振り向けるべきである。

  私自身のことで言えば、国民保険料が増え、介護保険料が増えたことが身にこたえている。なぜなら年金が年々減らされているからだ。頼みとする年金が減る一方で国民保険料、介護保険料は増えるというのはたまらない。

  有難いのは敬老パスぐらいである。これは今後も継続してほしい。敬老パスがあるので杖をついたよろよろの高齢者も地下鉄や市バスでよく見かける。高齢者が気楽に外出できることは健康寿命を延ばすことになり、医療費の支出が減ることにつながるのだ。

  今後4年間の名古屋市のかじ取りをだれに託すかで市民の生活にも影響があるので、人気取りのスローガンやパフォーマンスに惑わされず、選挙公約などをしっかり検討して投票に行くことが大事である。

 富山市議会議員選挙では、政策費の不正をして辞職した人が再び立候補し、10人が当選し、2人落選しただけであった。投票率は前回より低く47%にとどまった。市民の意識の低さを物語るものだ。

 私の予想では名古屋市長選も投票率はよくないと思う。期日前投票もできるのだから市民みんなが投票行動を起こすことが大事である。必ず投票に行こうではないか。

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2017年4月 9日 (日)

岩倉桜まつりで五条川へ行く。見事な桜!!

 英国からわざわざ花見に来たディラムさんとマークさんを案内して8日に岩倉の五条川に行った。日本の桜を見たいというのは昨年から分かっていたことであった。それで桜を見るバスツアーに申し込んだが、その前に名古屋の近くの桜を見せたいと思っていろいろ調べた。

  愛知県で一番の花見の名所は岡崎の乙川沿いで、2番目が五条川であった。名古屋城もいいそうだが交通の便も考えて岩倉の五条川に決めた。

  8日はあいにく曇り時々雨の予報であった。上小田井駅で落ち合った。二人が泊まっているkさんも一緒であった。上小田井から岩倉までは準急で6分ぐらいで着いた。料金は240円であった。

  岩倉駅に下りると立派な駅になっていた。構内に岩倉桜まつり案内所があり、そこで素敵なパンフレットを貰った。日本語のバージョンしかないと思ったら、英語のもあった。

  駅から歩いて神明社の方へ行った。途中食べ物屋が並んでいて、ディラムさんは鬼まんじゅうが美味しいからと言って買った。Kさんは花見団子を買った。

  神明社に行くと山車が1台飾ってあった。それを見て境内を通り抜けて歩いた。雨が降った後らしくぬかるんでいた。境内にはテントを張った無料休憩所があった。

  五条川に出ると桜は前日に岩倉市役所に問い合わせた通り満開であった。私は以前にも3回見に来たことがあるので、ある程度土地勘がある。それでまず南へ歩いて行った。南の方へ行く人は少ないからいいと思ったのだ。ゆっくりと桜を楽しみながら、写真を撮りながら歩いた。

  信号のある大通りの城跡橋まで行きそこで折り返した。桜はその先も続いていた。一豊橋の近くだったと思うが、道端で甘茶を供しているところがあった。そこで甘茶を頂いた。小さなお釈迦様の像があり、頭から甘茶をかけていた。私たちも並んで甘茶をかけた。3度かけるのだそうだ。

  この日は4月8日でお釈迦様の誕生日だったのだ。タイやベトナムではお正月である。ディラムさんのスリランカでは5月にお釈迦様の誕生日があると言っていたので驚いた。

 その辺りから川沿いに屋台が続いていた。豊國橋の近くでKさんたちはちょっとした食べ物を買った。それを食べながら歩いた。その辺りから雨がぱらついてきた。傘を出して歩いた。

 岩倉橋を過ぎて川に下りる道があったので下りて行った。歩いている人はほとんどいなくて桜がとてもきれいに見ることが出来た。昭和橋のところに休憩所があったので、トイレに行った。道がぬかるんでいて滑って転びそうになった。トイレは仮設であった。

 平成橋まで歩いてその先まだかなりありそうだが引き返すことにした。以前来たときはそちら側に川にせり出した仮設食堂がたくさんあったが、そういうものはなくなったようだ。

 途中に新しい木造の喫茶店があったのでそこに入って休むことにした。ディラムさんが買った鬼まんじゅうを食べた。本当はいけないのだろうが店の人はだまっていた。

 雨がほとんどなくなった。岩倉駅まで800mという看板があったので親切だと思った。帰りにも神明社を通ると舞台が造ってあった。天気がよいと催し物をするのだろう。

 ディラムさんも五条川は初めてだと言い、Kさんも初めてだそうで、マークさんはもちろん花見は初めてなので、みなさんとても喜んでいた。私も久しぶりであったがずいぶん変わっていて新鮮であり五条川に来てよかったと思った。

ライトアップは今夜9時までである。

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2017年4月 8日 (土)

融通が利かない山崎川ライトアップ

 今年の桜は例年より遅く、名古屋でも開花が28日で、満開になったのが4月6日であった。毎朝山崎川沿いをウオーキングしているので、桜の咲き具合を観察した。開花はやはり3月28日であった。

 石川大橋のところに交通規制の看板が立っていた。それによると3月27日から4月4日までと書いてあった。また瑞穂球場近くに住むMさんは夜桜は4月4日までだと言っていた。

 4月4日に、英語クラブのみんなで夜桜を見に行った。昨年は大変な人出であったが、今年はまだ6分~7分咲きのせいか夜桜見物の人出は少なかった。満開には遠い桜であったが、それなりにライトアップされた桜はきれいであった。

 みんなは今夜でライトアップが終わるなんてどういうことだろうと言っていた。結局今年のライトアップは桜があまり咲かない間に実施されたことになる。誰が考えても融通のない役所仕事だ。

 昨年など9時近くに夜桜を見に行ったので、見ていると突然ライトが消えた。何事かと思ったら、Mさんが9時になると消されるのだと言った。近辺の住民のことを配慮してだそうだ。でも、夜桜を見に来た人は道や橋の上に溢れていたのだ。みんな驚いていたのを思い出す。

 4月5日に念のため瑞穂土木事務所に電話をして、4日でライトアップをやめた理由を聞いた。すると係は極めて事務的に「昨日、6日と7日にも点灯することを決めました」と言った。6日と言えば満開になると予想された日で、7日は金曜日である。

 満開の見ごろは土曜日、日曜も続くと思われるので、「どうして土曜、日曜までライトアップをしないのですか」と尋ねた。答えは、天気が悪くなりそうだということともう一つ大事なのは数か月前に「雑誌にライトアップの予定を発表してあることだ」と言った。

 雑誌に発表してあっても今年のように予想が大幅に狂うこともあるのだ。それに今はインターネットの時代である。パソコンやスマホで検索できるではないかと言ったら、みんなが持っているわけではない。雑誌で見た人たちがいると言って譲らなかった。

 いくら雑誌に予定を発表してあっても、ライトアップを延長するのは差し支えないではないか。しかし、警備の関係があって簡単に延長できないと言った。警備と言われるとそれもそうだと引き下がったが、年によって咲くのが違うのは当然なので、それも見越してライトアップの計画を立てるべきだと思う。

 とにかく役所仕事みえみえの杓子定規な対応でがっかりした。NHKは先の土、日辺りが見ごろだと予想していたが、それが大きくずれたのだ。NHKは当たりませんでしたで済むが、ライトアップを楽しみにしている我々としては融通性のある対応をしてもらいたかったと思う。

 ネットで調べたら、五条川のある大口町は、ライトアップなどの行事が変更になる場合があると断ってあった。それでいいのだ。状況に応じて柔軟な対応が大事なのである。

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                  3月27日ライトアップ交通規制開始日

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                        3月29日

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                        3月31日
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                         4月3日

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                4月4日ライトアップ予定最後の日

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2017年4月 7日 (金)

危うくひかかるところだった「てるみクラブ倒産」

 格安旅行会社「てるみくらぶ」が、資金繰りが悪化したため3月27日に破産を申請、東京地裁から破産手続き開始の決定を受けたと発表した。東京商工リサーチなどによると、旅行業界では過去4番目の大型倒産。負債は151億円の見込みで、約3万6000件(約99億円分)の旅行申込者が影響を受けそうだという。

 朝日新聞デジタルによると、1件に複数の参加者がいることが多く、影響を受ける旅行者は8万~9万人にのぼる可能性があるという。旅行業界の保険ではたった1%しかカバーされないので全体では1億円余りにしかならないようだ。

 てるみクラブという旅行社の存在を知ったのは、今年の1月のことであった。英語クラブの仲間がイタリア旅行に出かけるのに、非常に安いてるみクラブのツアーに参加するとトピックで話したのだ。確か8日間で13万円ぐらいだったと思う。

 そのとき、別の人が「私もてるみクラブを利用したことがある。安いよ」と言っていた。そしたらそれから間もなくてるみクラブの新聞広告が出てた。私は、みんなが利用するのなら悪くはなさそうだと思って、行きたいスペインのツアーに申し込もうかと考えた。確かに安くて13万円ぐらいであった。

 内容を見ると私の行きたいところが入っていなかったので、しばらく考えることにした。その内に阪急交通社やクラブツーリズムなどの広告も出て魅力的な内容があったが費用は高かった。結局迷ったあげくスペインツアーの参加は先延ばしにした。

 イタリア旅行に行った人たちは運よく何事もなく帰国した。それから間もなくであった。てるみクラブが破産したというニュースが流れたのは。

 英語クラブの1人は、てるみクラブの安いツアーがあるので、申し込もうと思っていたら破産でびっくりしたと言っていた。私も申し込んでいたら確実にひかかって16万円ほどの損害を蒙ったであろう。ほっと胸を撫で下ろしたことであった。

 Yahooニュースに、自称旅行のベテランが書いていた記事があった。「旅行会社の倒産は予知できるのか」というような内容であった。それによると事前に一般の人が情報を得ることは難しいと書いてあった。

 旅行費用を抑えたい私のような年金生活者は、どうしても「格安」に引かれてしまう。今回もそういう人がほとんどだったのではなかろうか。「格安」を選ぶときはそれなりの覚悟が必要であろう。

 旅行は終わって見なければ分からないので、安い料金のツアーで行っても満足の行くものもあることはある。以前に参加したジャンボツアーのエジプト旅行は初めて利用した旅行社で心配ではあったが、帰国してみると満足できるものであったのでよかった。

 旅行社には安心して安全に楽しく旅行できる誠意のあるツアーを企画して、適正料金で宣伝してもらいたい。てるみクラブのような惨めなことは2度と起こさないように願いたい。

 

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2017年3月30日 (木)

桜、森友、軍国主義教育

 名古屋も桜の開花宣言があった。山崎川沿いの桜も2.3の木が開花し始めた。満開になるのは開花から5,6日目だそうだから、次の日曜日は見ごろとなるであろう。桜の咲くころになるとなんとなく心がうきうきしてくる。梅の花も桃の花もよいが「花」と言えば桜をさすように、日本人にとっては春の花としては桜が待たれる。

  染井吉野より少し早く咲く河津桜は、花の咲いている期間が長くてよいが、染井吉野は「花の命は短くて・・・」と言われるように、「三日見ぬ間の桜かな」である。この時期、風が強いのも皮肉なものである。

  桜は散り際がよいとして「花は桜木、人は武士」などと賞されてきた。その桜は染井吉野で日本中に広がっている。染井吉野が広まったのは明治時代中ごろからである。

  明治維新以後、日本は富国強兵政策をとり、朝鮮、中国などに進出をはかり、日清戦争、日露戦争など軍事力で海外に伸びようとした。そして、染井吉野の華やかさと散り際のよさが軍人に合っているとされたのであろう。

 明治44年に作られた「歩兵の本領」という歌は、次の詞から始まる。「万朶のさくらか襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子に生まれなば 散兵綫の花と散れ」

 

  一旦緩急あれば義勇公に奉じ、天壌無窮の皇運を扶翼すべし」と教育勅語にあるように、天皇のために身命を投げ打つことを求められたのであった。このように桜は軍国主義と固く結びついていたのだが、戦後はそれは忘れられ、ただ花の美しさが愛でられた。

 

  ここに来て軍国主義を思い出させられたのは、あの森友学園の事件があったからである。塚本幼稚園児たちは、籠池園長の指導のもとに教育勅語を暗記させられ、天の崇拝を押し付けられ、軍事力の重要さを叩きこまれているのである。

 

  首相夫人の安倍昭恵氏はその教育が素晴らしいと感銘を受けて、安倍晋三記念學院(現瑞穂の國記念學院)名誉校長を受諾し、「晋三からです」と言って100万円を寄付したのであった。

 

  安倍首相も昭恵夫人もよいと認めた、戦前回帰の神道にもとずく天皇崇拝の軍国主義教育は、首相や籠池氏が所属する「日本会議」が目指すところでもある。

 

  私は小学校の頃は太平洋戦争が勃発し、まさに軍国教育一色であった。私が入学した時から1年生の国語教科書は、それまでの「サイタ、サイタ、サクラガ サイタ」から、「ススメ、ススメ、ヘイタイススメ」に変わったのであった。潔き桜でもよいのにそれでは不十分だと兵隊讃歌に変えたのだ。

 

  1年生の授業参観は忘れられない。私が隊長となって敵をやっつける「戦争ごっこ」を教室で演じたのだ。天長節や明治節、紀元節などの重要な旗日には隊列を組んで神社まで参拝に行った。そのとき列の前半と後半が交互に「万朶のさくらか襟の色・・・」と「歩兵の本領」を歌いながら行進をしたのであった。

  幼少期に天皇崇拝、軍国教育を叩きこまれ、戦争に負けるまではそれが正しいと信じていた。それを思うと塚本幼稚園の教育は恐ろしい偏向教育だと思うのである。ただ違っているのは周囲は今のところそうなっていないことだ。

  国中が日本会議や安倍首相らが目指す戦前の教育になってしまったら、かつての私の様に完全に洗脳されてしまうであろう。

 桜が軍国主義と結びつかないように心底から願っている。桜は桜としてその美しさを楽しむものでありたい。

 

 

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2017年3月20日 (月)

テトロン

 今朝いつものように朝早く起きトイレをすましたら、突然頭に「テトロン」という語が浮かんだ。何の脈絡もなく突然であった。

  「テトロン」製品は昔はずいぶん人気があって服などに使われていた。私は高校に入った時、母方の祖父がサージの学生服を送ってくれた。それは中古品であったが、とても嬉しかったことを覚えている。

  その頃はまだ制服はなくて、何を着て行ってもよかった。というか戦後でまだみんながまずしくて服どころではなかったのだ。最初に買ってもらった学生服は麻のようなごつごつの布地で作られたものであった。

 大学に入った時、テトロンの学生服を買った記憶である。サージの学生服と見劣りはしなかった。

 調べてみたら、次のように書いてあった。

 テトロンとは (tetoron) A. ポリエステルの商標で 主に繊維や布生地(布地 服地)やロープ フィルムなどに使われます。 東レ(株)と帝人(株) が日本にポリエステル糸を導入した時に 共同でブランド名を作ろうとしてテイジンとトウレの頭文字を1つずつとって ナイロンをもじってつけたと言われています。

 日本の絹糸が世界で愛用されていたが、戦後入ってきたナイロンにおされて、安くて丈夫なナイロンが使われるようになり、女性のストッキングはナイロン製になってしまった。

 釣りをやるようになったとき、釣り糸にもテトロンがつかわれていたように思う。テトロンはずいぶん使わせてもらったが、今はどうなっているのだろうか。最近は何でもプラスチックというからナイロンもビニロンもテトロンもプラスチックでひとくくりにされてしまったのだろうか?

 ふと浮かんだ「テトロン」から昔を思い出した一コマであった。

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2017年3月 1日 (水)

9時間もかかったe-tax

 年が明けると確定申告の時期が来る。1月15日から3月15日が申告の期間だと思ったが、なかなか踏み切れず、やっと27日に取り掛かった。

 いつもe-taxで確定申告をしているのだが、だいたい6時間ぐらいかかっていた。それは操作が分かり難いからであった。毎年操作の仕方が変わるのと1年たつとやり方を忘れてしまうのが原因だと思う。

 今年のこの地方のe-taxのキャンペーンは、レスリングの吉田沙保里さんが半田税務署でコンピュータを使って申告書をつくり、大変簡単だと宣伝をしていた。

 今年は少しはやりやすくなったのかと思い、それでも最悪6時間は見ておこうと覚悟をしてやり始めた。朝の8時にパソコンに向かった。

 今年からマイナンバーを記入しなければならないが、これまでの住民基本台帳カードに変わってマイナンバーカードを前もって作っておかなければならなかった。それには1か月くらい要するというので昨年のうちに用意をしておいてあった。

 国税庁のホームページに入ろうと思ったら、確定申告の案内のサイトがたくさんありどれがよいか迷ってしまった。結局これらのサイトは人を呼び込んで申告のためのソフトを売ろうというものらしかった。

 国税庁のHPを見つけて開始したが、まずセットアップをしなければならなかった。それはマイカードになったので、再登録をしなければならないのであった。やり始めたが、暗証番号を求められてハタと困った。どの暗証番号を使うのかが分からないからであった。

 サポートに電話をすると「利用者識別番号」の暗証番号であることが分かった。それならそうと書いてあれば戸惑うことがなかったのにと思った。

 その後も先へ進もうと思ったが進めなかった。それでまた電話をした。サポートの電話はナビダイアルで3分10円ていどかかる。でも仕方がなかった。

 仕訳書を作成するのに一苦労をして1時間ぐらいかかって作り、保存をした。ところが保存をしたファイルがどこにあるか分からなかった。仕方がないのでサポートに電話をした。スタートボタンから入って「検索」のところに「.data」と入れると拡張子がdataのファイルを探すことができるというのでやってみたが、どこにあるのか分からなかった。いろいろ試してダメなので初めからやり直すしかないことになった。

 ここまで3時間ほど経っていた。また一からやり直し、30分でやって保存をした。ところがまた再読み込みができなかった。拡張子がdataのファイルは3つもあるのだが、呼び込もうとしても「ちがいます」とメッセージが出るのだ。

 仕方がないからまた電話をした。サポートの人もいろいろと調べてくれて、結局コピーをしてデスクトップに置き、それを読みこむことにした。それがうまく行って再読み込みができた。

 そこから申告書の作成をしようとしたのだが、どうやれば作成画面に行けるのかが分からない。いろいろやってダメなのでまた電話をした。すると素直にはいかなかった。「次へ」で前に進んだり、「戻る」で戻ったりをくりかえして、やっと作成画面が現れたのだ。 でも、作成画面は昨年とは全く違っていた。

 年金の支給額を入れたとき、「支給額が記入されていません」が出て前に進めなくなった。また電話をした。サポートが調べている内に、ひらめいてリセットして再記入したらうまく行った。

 その後も各所でトラブルが続いた。印刷をしようとしたが「確認・印刷」というところをクリックしても印刷ができなかった。どうやって印刷するのかすったもんだしてやっとやり方を見つけた。

 マイカードを要求されたとき、セットしてあるのに「カードがありません」とメッセージが出た。カードを入れ直したりいろいろやってやっと認識してくれた。

 確定申告を完成してインターネットで送ることができたのは5時半であった。食事時間の30分をひいて、なんと9時間もかかったのであった。電話代は数百円にもなった。

 最後にアンケートがあったので、恨みつらみを書いて送った。

 

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2017年2月24日 (金)

星空はなぜなくなったのか?

 毎朝暗いうちにウオーキングに出かけて、暗い空を見上げて星を探すが、見えるのは木星だけである。その木星の少し下にかすかな光の星がある。あとは東の空に星が見られた。

  冬の空はオリオン座をはじめ星がよく見えるはずなのだが、この冬は残念ながら先に書いた星しか見ることができない。夕方西の空に明るく見えるのは金星である。それ以外は見えない。

  3年前にiphoneを買ったとき「星座表」というアプリを入れた。このアプリは便利なもので星に向かってスマホを掲げるとその星や星座の名前を教えてくれるものである。

  その頃はまだ少しは星を見ることができた。北極星や北斗七星などは見られなかったが、オリオン座は見られた。もっと以前は夏には南の空にさそり座も見られたものであった。

 子どもの頃を思い起こすと、夜になると満天の星で天の川が見事な弧を空に描いていた。北斗七星、オリオン座など学校で習った星座を見つけるのが楽しみであった。銭湯に行った帰りとか夜外に出たときなど星に手が届きそうな感じであった。空に星を散りばめた夜空は今でも脳裏に焼き付いている。

 当時は戦争中で燈火管制もあり、外は真っ暗ということもあってその分夜空は輝いていたのだ。戦後も毎晩停電するような電力事情もあって、街は暗く、夜空の星はきれいであった。

 現在はというと、小学校の理科で星の名前や星座について勉強しても、実際の空で観察するのは不可能である。名古屋の場合は、科学館のプラネタリュウムを見に行けばよいが、それでは本当の観察学習にはならない。

 経済が発展するにつれて都会で星が見られなくなったのは、おそらく都会の夜がそれだけ明るくなったからであろう。外国へ行って夜帰って来ると飛行機から見る地上は光で輝いている。

 あの忌まわしい福島第一原発事故の後電力消費の節約が要請された。それでも夜空に見える星の数は増えなかった。

 今冬星が見られなくなったのは、都会の照明が明るくなったからに違いない。LED照明が普及して電力消費が少なくて済むようにはなったが、逆に明るさは増したのだと思う。それは至るところでLEDが使われ、一般の家庭でも家のそとをLED電球で飾るところがあるくらいだからだ。中国には遠く及ばないが、ビルや商店などでもLEDで飾っている。テレビ塔やお城などのイルミネーションも華やかだ。

 一度、夏でもいいから「燈火管制」の日を設けて1時間ぐらい照明を暗くしたらどうであろう。「星空観賞タイム」とでも名付けて、みんなが星空を眺めて宇宙の彼方に想いを馳せるのも一興だと思うのだが。

 

 

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