日記・コラム・つぶやき

2017年11月10日 (金)

敬老パスを更新して

 先日敬老パスの更新手続きの案内が来た。名古屋市の敬老パスは昨年からICカードになった。それで更新はどうやるのかと思っていた。

  通知を見ると更新手続きができる場所として、駅の券売機、駅長室、交通局サービスセンター、区役所と支所、郵便局が書いてあった。

  これまでは郵便局で更新をしていたが、券売機でやれるというので近くの地下鉄駅へ行くことにした。

  御器所駅には券売機が2種類置いてあった。どちらでもやれるのかと調べたら、片方であった。そちらの券売機には「きっぷ」「ICマナカカード」「定期券」「敬老パス期限更新」と4つの表示があった。敬老バス期限更新の表示は茶色で目立つようにしてあった。年よりが間違わないようにという配慮であろう。

  その場所にタッチすると、「更新後の通用期間」が表示された。それを確認して「更新」ボタンを押した。すると負担金が表示された。現行の敬老パスと、私の場合は5000円だからその金額を投入した。投入額が表示されて確認して待っていた。しばらくすると敬老バスが出てきた。

  敬老パスの表示を調べると、有効期間や名前、発行駅、発効日が印刷してあった。いったいどうやって新しい券を券売機で作るのか不思議であった。IT技術が進んだとはいえ大したものだと感心した。

 前の敬老パスのマナカに入れてあった金はそのまま新しいカードに入っていたので安心した。名古屋の敬老パスはICカードになってとても便利になった。私は活用しているので5000円払っても非常に有難い。

 この敬老パスで使用頻度を調べれば何歳の人が何回利用したとか、どんな所へ行ったとかがデータとして集められるのではないか。いや、その位の事はすでにビッグデータとしてやっているかもしれない。

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2017年11月 7日 (火)

TOTOウオッシュレット6年間で5回故障、買い替えてパナソニックに

 我が家は45年ぐらい前からシャワートイレを使っている。今でこそシャワートイレは中国を始め外国でも人気の器具だが、当時はまだ使っている人が珍しかった。

  シャワートイレを使うことにしたのは、痔の手術で野垣病院へ入院したのがきっかけである。そのころ野垣病院のトイレにはイナックスのシャワートイレが完備していた。痔の手術で有名な病院なので率先してシャワートイレを導入したのであろう。

  使用感が大変よかったので退院後早速イナックスのシャワートイレを設置した。確か8万円余りかかったように思う。それから1回取り換えてずっとイナックスを使った。

  12年ぐらい前にエディオンでパナソニックの安い便座を見つけそれに変えた。確か3万円ぐらいだったと思う。

  そして2011年10月に風呂場などをTOTO製品でリフォームしたとき、ついでにトイレもリフォームした。そして使ったのがアプリコットFIというシャワートイレであった。暖房便座や壁式リモコンでいろいろ調節ができるものであった。

  ところがこのTOTOアプリコットF1は3年半の2015年5月に故障で修理をした。設置したときに5年の保険に加入していたので保険で修理ができてほっとしたものである。

  しかし、3か月後にまた不調になり、部品を交換しなければならなかった。さらに半年後には便座の動作がおかしくなりまた修理をしなければならなかった。

  そして半年後の2016年8月には着座センサーの交換をすることになった。これでしばらくはよいかと使っていたら、今年の10月半ばごろからシャワーの出方がおかしくなり、ボタンを押してもなかなか水が出なくなった。

  TOTOの修理を頼んだら、保険が切れているので有料修理になるということであった。有料だとかなり費用が掛かるので、新品の交換するのを勧めるという話であった。

  設置してから僅か6年の間に何度も修理を繰り返し、最後は新らしく買い替えよというのだ。私はTOTOといえば日本で一番のメーカーだから信用していたのだが、余りの酷さにガックリしてしまった。

  しばらく様子を見ながら使うことにして使っていたがシャワーは悪くなるばかりであった。それで11月3日にエディオン本店にシャワートイレを見に行った。事前に聞いたら本店には一番多く展示してあると言ったからだ。

  本店にはイナックス、パナソニック、TOTOの3社の製品が展示してあった。なぜか他のメーカーはなかった。

  店員にいろいろと説明を聞いてパナソニックの泡洗浄が出来る機種を買うことにした。泡洗浄がついてなければ2万円安いのだが、思い切ってついているのにした。

ネットで調べたら、同じ機種を16000円も安く売っていた。しかし、素人では設置が出来ないだろうと諦めた。

 さてこれはどのくらい持ってくれるだろうか?

ビューティ・トワレ DL-ACR200 製品画像

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2017年10月29日 (日)

スマホ育児が増えているとは!

 民間シンクタンクのベネッセ教育総合研究所が育児中の母親を対象とした調査で、「0歳児の20%がほぼ毎日スマートフォンで動画や写真を見ている」という結果がでたという。

 4年前の前回の調査から約6倍に増え、両親が手を離せない時などに乳幼児にスマホで遊ばせる「スマホ育児」が急速に浸透しているようだという。

 スマホを持っていた母親は92.4%で、その中で「子どもは家庭で1週間あたりどのくらい見たり使ったりしているか」を尋ねたところ、「ほとんど毎日」とこたえた0歳児の親は20%だったのだ。頻度にかかわらず子どもがスマホを使おうとしたのは71.4%もいたという。

 使う場面は、

  外出先での待ち時間→33.7%

  子どもが使いたがるとき→29.7%

  子どもが騒ぐとき→23.5%

  自動車、電車などの移動→21.6%

 40年ぐらい前だと思うが、「テレビ育児」が問題になったことがあった。今でもテレビ育児はあるのだろうが当たり前となって問題にされないのだろう。

 スマホ育児が取り上げられるようになったのは、テレビ育児に加えてスマホという便利な器具が普及したから、乳幼児でも持ちやすいスマホを与えてということになったのだ。

 若い母親は100%スマホを持って炒ると思ったらそうではないようだ。7%はガラケイなのか、ガラケイでは遊ばせられないのだろう。

 スマホを手にして育つ子供は将来どんな人間になるのであろうか。25年ぐらい先にならないと分からないことではある。吉と出るか凶と出るか。

 私は古い考えの人間かもしれないが、乳幼児にスマホを与えて遊ばせるより、自然に触れる機会を多くして、外遊びなどアナログな遊びの方が大切だと思う。前にも書いた様に、私たちは物がない時代に育ったが、少ない物を工夫して使ったり、田畑や野山を駆け回って、いろいろな発見をし、学んだものだ。

 今の子はコンクリートジャングルで隔離され、部屋の中でデジタル機器に向かい合う生活である。都会ではまわりに自然が少ないのはどうしようもないが、せめて休日ぐらいはどこか自然の中に連れていくなどの配慮が必要であろう。

「スマホ 画像」の画像検索結果

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2017年10月11日 (水)

ラスベガスの銃乱射事件、それでも銃規制できないアメリカ

 アメリカ・ラスベガスで男がホテルの部屋から野外コンサートの会場に向けて銃を乱射するという事件が起きた。乱射したのはスティーブン・パドック容疑者で、裕福な男であった。

  事件が起きた1日夜、現場では「ルート91ハーベストフェスティバル」が開催され、カントリーミュージックの人気シンガー、ジェイソン・アルディーンが演奏中だった。 

  この乱射によって58人が死亡し、500人以上が怪我するというアメリカ史上最悪の銃乱射事件となった。

  アメリカではこれまでにも毎年銃乱射事件が起きている。小学校や高等学校、大学などでも銃撃事件が起きている。

  これだけ銃撃事件が起きてもアメリカでは厳しい銃規制が行われない。共和党などが銃規制を拒むからだ。今回の事件では犯人は47丁もの銃を所有していたと言われる。ホテルに持ち込んだ銃は10丁あり、1秒間に150発も連射できるように改造してあったという。

  そうした銃を使ってホテルの32階の部屋からコンサート会場に向けて10分間も乱射したのだ。ホテルに銃を持ち込めるというのが理解しがたいが、銃所持が自由なアメリカだからできるのであろう。

  今回の事件を受けて民主党は連射装置禁止法案を出すそうだが、銃禁止ではなく何とも甘い法案だ。トランプ大統領は夫人とともに現場を訪れは哀悼の意を表明したが、銃規制についてはノーコメントであった。

  6日のNHK7時のニュースで、この事件に関連して、1992年のハローウィンの時射殺された留学生の服部剛丈さんの両親へのインタビューが放送された。両親は、あの事件以後アメリカの銃規制を働きかけたり、日本留学の米国学生を支援する基金を設けたり、自宅に留学生を招いて話をしたりしているという。

  アメリカ人は銃は絶対に必要だというが、日本は銃は全くなくても安全な生活を守っていると留学生に話していた。

  日本でもヤクザによる銃の発砲事件はあるが、それは密輸によって手に入れた銃であり、一般的には狩猟以外は銃は規制されている。それでも日本は世界の中でも安全な国だと言われる。

  いったい世界の国で銃の規制が厳しい国は日本以外にどんな国があるのかは知らないが、日本が銃に厳しいのは素晴らしいことである。米国は日本を見習うべきである。

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2017年9月22日 (金)

ホーキング博士の警告

 車椅子の物理学者として著名なホーキング博士が気になる未来予測を発表した。同博士の未来予測は、2017年6月15日のBBC放送のドキュメンタリー番組『新たな地球を求めての旅立ち』で紹介されて、世界各国で大きな反響を呼んだという。

 だが、残念ながら、日本ではまったく話題にならなかった。日本では森友学園や加計学園をめぐる「忖度問題」でマスコミは連日大騒ぎ。政治家も次の総選挙が近い、といった短期的視点に立っているため、ホーキング博士のような長期的問題提起には誰も関心を寄せないようだ。

  私もYahooニュースでこの記事を見つけるまでは知らなかった。日本のメディアはとりあげていなかったようだ。

  これまで、同博士は「人類の未来はあと1000年で終焉を迎える」との見通しを語っていた。
 ところが、この予測を全面的に見直した結果、「人類に残された時間は、せいぜい100年しかない」と軌道修正。なんと、900年も人類の未来を大幅にカットしてしまったのだ。

  100年というとすぐ来てしまう。しかも、100年後にそうなるというのではなく、100年後までにそうなるということなのだ。

 ホーキング博士曰く「人類は急いで別の惑星に移住することを考え、実行しなければならない。地球は生物が生存するにはあまりにも危険が大きくなり過ぎた」と言ったそうだが、そんなことが如何に科学が進歩したとはいえ可能なはずがない。一部の金持ちや権力者でも仮にロケットで他の星に行けたとしても自分たちだけでは生存できない。

 人類は2度の世界大戦は言うまでもなく、個人レベルでも地域間でも、些細ないざこざから流血騒動、そして人種や宗教が絡まり、紛争やテロが絶えない有様だ。

 こうした状況に加えて、人類が自ら首を絞めるような行為を重ねた結果、「地球温暖化」という脅威が出現した。トランプ大統領は「地球温暖化はフェイクニュースだ。そんなものは存在しない」と啖呵を切ったが、テキサス州を襲った前代未聞の大洪水やフロリダ州やカリブ海を飲み込むようなハリケーンは紛れもなく、温暖化のなせる業であった。

  日本でも今年になって雨が降るたびに「これまでに経験したことがないような豪雨」という警告が出されている。

 「知の巨人」と異名を取るホーキング博士が、この期に及んで、人類の未来を900年も短く予測せざるを得なくなったのは、偶然ではないだろう。昨年末からこの半年ほどの間に起った事態に原因があるということだという。

 その最たるものが北朝鮮の地下核実験やミサイル発射である。この間もミサイルが発射れされたし、核実験の準備が探知されたという。そしてトランプ大統領と金正恩委員長との「言葉のミサイル」が本物の核弾頭の撃ち合いになる可能性が高い、ということだ。

 北朝鮮の核保有をアメリカが認めることになった場合、韓国や台湾、そして日本も核保有の道を歩むことになる可能性が出てきた。それに言及する評論家や議員も出てきた。いわゆる「核兵器の拡散」というドミノ現象が広がり、何らかの判断ミスや操作ミスによって、地球全体が核爆発に飲み込まれる恐れも大きくなったということである。

  ホーキング博士の警告を一笑に付すのか、真剣に受け止めるのか。耳を傾けるべきであろう。

  (このニュースは国際政治経済学者 浜田和幸氏によるものである。)
 

 

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2017年9月18日 (月)

子どもの頃の遊び―④―

 Dさんがメールで、子どもの頃やった遊びに「釘差し」があると書いてあった。それで、そういえば夢中になった遊びに「釘立て」があったことを思い出した。

 私が子どもの頃住んでいたのは、9軒の借家が向かい合いで並んでいて、その間が路地になっている、ふくろ小路だった。だから子供が遊ぶには格好の場所だったのだ。

  その路地のちょっと広くなったところで、私たちはラムネ(ビー玉)やシャッケン(メンコ)などをやったのだ。缶けりもそこでやった。路地の家と家の間に、人が通れるほどの間があり、隠れるのに好都合であった。

  「釘立て」は10cmぐらいの釘を使って、地面に打ち付け釘を立てるのだ。各自のホーム(その頃はホームなどという英語は禁止であったが)を決め、釘が立ったら線を引いて結ぶのだ。互いに他の子を線で閉じ込めるように釘を立てていくのである。閉じ込められたら負けである。

  また、うずまきを描いておき、その狭い幅の間を釘を立てながら進んで外に出るという遊び方もあった。

  釘立てでは、5mmもないような狭いところへ釘を立てる技術を持つ必要があった。そのためにいつもどうやって、どのくらいの力で釘を打つかを工夫しながらやった。

  夏になると、田んぼや野原に行ってヤンマとりをした。私が住んでいた南紀新宮では大人も子どもも夕方になると楽しんだものだ。

  そのやり方は、以前にもblogに書いたが、習字の反故紙を小さく切って、それに豆粒ぐらいの石を包んで、木綿糸の両端に括りつけるのだ。

  糸の真ん中あたりを利き手で持って、石をもう一方の手で持って、ヤンマが飛んでいる辺りに投げる。そうするとヤンマは餌が来たと勘違いをして降下して来る。糸がヤンマに絡んで石の重みで下に落ちて来るのである。

  この取り方は、母方の実家がある今の東海市では誰も知らなかったので驚いたことがある。こんな面白い遊びを知らなかったのだ。

  ヤンマには当然オスとメスがあって、オスは尻尾の付け根の辺りがブルーで、メスは緑色である。メスを獲った時は嬉しかった。なぜかというと、そのメスを笹の小枝の先に糸を結んで、その糸にヤンマを結んで頭の上で飛ばすのだ。そうするとヤンマのオスが見つけてさかり(交尾)に来る。交尾したところを捕まえるという寸法であった。これも実に楽しい遊びであった。

  魚の「かいどり」というのも面白かった。小川の流れを小石でせき止めるのだが、真ん中を開けておき、そこにタモ(網)を仕掛けるのだ。上流からバシャバシャと歩いて行くと、魚が下流に逃げてタモに入るのだ。

  田んぼや小川にはメダカがいっぱい泳いでいたが、私たちはメダカをバカにして誰も相手にしなかった。魚のうちには入れてなかったのである。

  山の小川の流れに行き、石をどけると沢蟹がいた。でも、だれも沢蟹を取って食べるものはいなかった。あの戦前戦後の食糧難のときでさえである。大人になってバーで沢蟹が出たことがあって、食べられるんだ!と驚いたものだ。

  これも以前に書いたことではあるが、熊野川には筏をもやってあって、その上に乗って手長海老を釣ったり、海老タモで掬ったりして獲った。でも、獲るのが楽しみでそれを家に持って帰り食べることはなかった。手長海老食べられることを知ったのは大人になって何十年もしてからのことだ。

  今思うと食糧難の時代に食べられるものはまだまだあったのだ。

  草を使った遊びもよくやった。一番よくやったのは「相撲取り草」と呼んでいた、花の部分が細長く5本ぐらいに分かれている野草で、その部分を結んで互いに引っ張り合って勝ち負けを競う遊びであった。

 葉が3枚あり可愛いピンクの花をつける草の、茎の部分の皮を剥いて糸にし、それを互いにからみあわせて相手の葉をちぎるという遊びもやった。糸のようになったものに土をまぶすと強くなると思ってやった。

 私の子どもの頃は、貧しかったが野、山、川、田んぼ、広場、路地など自然の中で飛び回っていろいろ工夫をして遊んでいた。懐かしい思い出である。

「ヤンマ 画像」の画像検索結果

                オス

 ※B玉について

  ソーダ飲料のラムネ口に入っている玉をA玉と言い、瑕があってはならないのだという。傷やいびつがあるのをB玉と言って、遊びに使われたのだという。(これはOさんから聞いた話しで、テレビで言っていたそうだ)

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2017年9月14日 (木)

子どもの頃の遊び―③

 私たちが子どもの頃によく遊んだ勝ち負けを競う遊びでは、「ラムネ」がある。これも一般的には「ビー玉」と言うようだが、私たちは「ラムネ」と呼んでいた。どうしてそう呼んだのかは知らない。その頃人気があった「ラムネ」という飲み物にガラス玉が入っていたことから来たのかも知れない。小さなガラス玉である。

  地面に畳一畳分ぐらいの四角を書き、一方の端にラムネ(ビー玉)を並べ、それに自分のビー玉をぶつけて、相手の玉に当たれば自分のものとすることができるのだ。

  これも遊び方がいろいろあり、「一歩」と言って玉を投げた後一歩足をフィールドに入れてもOKなやり方や枠外から投げる難しいやり方があった。

  ラムネ玉のサイズは大中小あり、一番大きいのは「大玉」と言って、それを取るには3回当てなければならなかった。

  この遊びも簡単ではなく、当てる技術を身に着ける必要があった。難しいがらそれを克服する面白さがある訳だ。模様が入った玉は2回当てであった。

  メンコと同じように相手のものを貰える「ホンコ」と、もらえない「ウソコ」があった。私はビー玉にも強くて、布の袋にいっぱい溜めていた。

 ビー玉の遊びにはこの他にも、地面に窪みを4カ所掘って、スタート地点から親指ではじきながら回るというのもあった。ゴルフに似ている遊びであった。

 勝負を競う遊びには、このほかにもバイ独楽があった。東京辺りではベーゴマというやつだ。子ども用には高さ2cm、直径3cmぐらいの漏斗状の独楽があったが、本格的なものは厚さが1cm弱の平たい独楽があった。

 バケツの上に布を張って、その上で独楽を回し、外にはじかれた独楽が負けであった。中学生以上の子たちは、本格的ベーゴマを使って勝負をしていた。向かいのお兄さんは上手で、独楽をやすりで磨いて調節していた。

 独楽と言えば、直径8cmぐらいで鉄の芯棒がある独楽を使ってよくあそんだ。地面で回すのは初歩で、掌の上に載せて回したり、紐の上を滑らせたりした。また、「肩掛け」と言って、紐の端を肩に掛け、独楽を受け止めて紐の上で回すとか、腰に紐を当ててその上で回すという高度な遊びもあった。

 独楽を手のひらの上で回し、回っている間に追っかけたり逃げたりする鬼ごっこもよくやった。

 缶けりも楽しい遊びであった。アメリカ軍の放出の缶詰めの空き缶で遊んだ。円を描いてその中央に缶を置き、かくれんぼをするのだ。鬼が見つけると、名前を呼び、缶に足をタッチすると捕虜になるのだ。助けるには、誰かが缶を蹴飛ばして、その間に逃げて隠れるのだ。時には上着を友だちと交換して鬼を騙すこともあった。大変スリルのある遊びであった。この遊びは女の子も一緒になってやった。

「ビー玉当て」の画像検索結果

「ベーゴマ 画像」の画像検索結果

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2017年9月13日 (水)

子どもの頃の遊び―②―

 安田武氏は、子どもの遊びは「勝ち負けを競うものではない」と言っているが、勝ち負けを競う遊びもいろいろあった。

 男の子の遊びで勝ち負けを競う最高のものは、「めんこ」であった。私たちは「シャッケン」と呼んでいた。四角い厚紙に相撲取りや侍や軍人などの絵、戦後は野球選手などの絵が書いてあった。丸い物もあり、金太郎などの絵が書いてあったと記憶する。

 主に使ったのは四角のやつで、地べたに置いてある相手の札を、自分の札を強く地面に打ち下ろして、風の勢いで相手の札をひっくり返す遊びであった。

 小さい木箱の上で争うやり方もあった。その場合は相手の札を箱から落としても勝ちなのだ。

 遊ぶとき「ホンケン」と「ウソケン」があり、ひっくり返した札を自分のものにできるのが「ホンケン」で遊んだ後で返すのが「ウソケン」であった。学校の先生はいつも「ホンケンをやってはいけない」と注意していたが、私たちはホンケンをよくやった。

 私はシャッケンが強くて、机の引き出しにいっぱい溜めていたくらいであった。シャッケンに勝つにはいろいろと考えなければならなかった。例えば、相手の札が地面との間にどのくらいの隙間があるかを見るとか、そのくらいの強さでどの辺りに打ち付けると相手の札をひっくり返せるか・・・などを絶えず考えてやっていた。

 相手の札の端に自分の札の端を打ち付ける技術も必要であった。そうすることで相手の札を飛ばすことができるのだ。

 また、札を対角線で折って中央を膨らませることも大事であった。何もしないで地面に打ち付けても風が強くでないのだ。膨らませてあると風が強く出たし、自分の札が地面にある時、密着性が高かった。

 たかがシャッケン(メンコ)、されどシャッケンである。私たち子どもは遊びを通じて自然に科学の勉強をしていたとも言えるのだ。

 私たちはシャッケンと言っていたが、名古屋の辺りではショウヤと言っていた。少年雑誌で東京の方ではメンコと言っていることを知った。ネットではメンコがヒットしたから、一般的にはメンコと言うらしい。しかし、この遊びも何時の頃からか遊ばれなくなった。それで担任しているクラスにシュヤを置いて放課に子どもたちに自由に遊ばせたことがある。

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2017年9月12日 (火)

子どもの頃の遊び―①

 9月10日の朝日新聞「折折のことば(鷲田清一)」は、次のようなものであった。

   遊びを遊ぶ    安田武

  凧あげ、蝉取り、竹馬、お手玉、綾とり、花いちもんめ。すっかり見かけなくなった昔の児戯には二つの特徴があった。自然を相手に「ゆっくりと、のびやかに」遊ぶこと。勝ち負けを競うものではないこと。遊びは「合理性を拒否する」ものなのに、余暇として計画したりすれば、遊びを再び合理性の中に閉じ込めることになると、評論家が一昔前警めていた。『遊びの論』から。

  私は「遊びの論」という本も安田武氏も知らないが、自然を相手に「ゆっくりと、のびやかに」遊ぶことはその通りだと納得できる。

  ここに挙げられているような昔の児戯は私の子どもの頃にはそれが当たり前であった。正月の頃は北風を利用して野原や田んぼの畔などで凧揚げをした。凧の足を新聞紙などを切って調節して空高く揚げた。

  蝉取りは夏の子どもの遊びの楽しみの一つであった。小さな虫かごとタモや時には、長い竹の棒の先に鳥もちをつけて持って行き、学校の庭の木などで鳴いている蝉を捕まえた。蝉が逃げるときに小便をかけられることもあった。

  お手玉は女の子の遊びであった。私はジャグリングのようにお手玉を操ることはできなかったが、畳の上で指をひろげてやる遊びはときどきやった。

  綾取りも女の子の遊びだが、ときには男坊主も交じってやったものだ。私は上手な方であった。取りあっこをするほかに、橋とか竹ぼうきなどの形を作って楽しんだ。 

 小川へ出かけて鮒などを取ったり、シジミを拾ったりするのも楽しかった。先だって旅行に行ったとき女性のIさんとそんな話をした。カラス貝というムール貝のような大きい貝があったがそれは誰も取らなかった。食べないからだ。

 近くにどぶ川が流れていて、そこには蛙か一杯いた。溝蕎麦の葉っぱを相撲取り草の先に巻き付けて蛙釣りをした。蛙がとびついて釣れるのが面白いのであった。

 男の子の遊びに山や林に行って女郎蜘蛛を見つけて持ち帰り木の棒の上で闘わせるのも面白い遊びであった。

 こうした遊びは、確かにゆっくりと、のびやかなものであった。遊びの中で子どもは知恵を出し、頭を働かせていたし、自然に理科の勉強にもなっていたのだった。

 今の子たちには、都会にいる限りそうした遊びの機会はほとんどなくなってしまった。私が住んでいた田舎の町でもおそらく同じことであろうと思われる。 

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2017年9月 2日 (土)

北朝鮮はミサイル発射で自己破産しないのか?

 北朝鮮が29日にまた北海道襟裳岬辺りを通る弾道でミサイルを発射した。ミサイルを作るのに一基いったいどのくらいのコストがかかるのか、ネットで調べてみたが確かなことは分からない。

 日本経済新聞によると、韓国の試算として、「韓国政府の推定によると1回の弾道ミサイル発射費用は約8億5千万ドル(約690億円)。大半の住民に1年間最低限の食料を配給できる金額だ。故金正日総書記は不法な武器輸出だけで年1億ドル以上の外貨を稼ぎ、核・ミサイル開発に多額の資金をつぎ込んできた。」と書いている。

 ミサイルと言っても大きさによりかかるコストはことなるが、大きなものだと住民1年間の最低限の食料を配給できる金額だというのだ。今年になってからでも何発も発射しているから、それを食糧に向ければ、これまでに300万人も餓死したと言われる住民を救えたはずである。

 ミサイル1発と何十万人もの住民の命が引き換えられている構図が浮かびあがってくる。高英起氏の記事によると、北朝鮮では、軍隊ですら飢えに苦しんでいるという。それで飢餓に苦しむ兵士たちは、共同農場を襲撃し、農作物を略奪する事件が頻発しているというのだ。

 飢えた兵士たちは、中国にまで侵入して強盗をしているそうだ。まもなく収穫を迎えるので農民たちは昼夜を分かたず厳戒態勢をしいているというのだ。でも、武装した集団に襲われればなすすべもないのだ。軍が絡んでいるので警察に訴えてもどうにもならないのだという。

 農民たちは「あんな土匪みたいな奴を使ってどんな戦争ができるのか」と嘲っているという。

  金正恩の前では猛烈な拍手を強制され、もししなかったり、いい加減なやり方をしたら、死刑になるかもしれないという程、徹底した抑え付けで秩序を保っているかに見える軍が、農民を苦しめるほど堕落しているとは信じられないが。

  軍紀の乱れた北朝鮮軍。腹が空いた北朝鮮軍。先軍節などで見る一糸乱れね行進からは想像もつかないが、そこまで食糧に悩まされているのにどうして金が掛かるミサイルを惜しげもなく打ち上げるのだろうか。

 トイレの付いた高級車で移動し、贅沢の限りを尽くしている金正恩には国情がつかめているのであろうか。

 かつての日本がそうであったように、身の程を知らぬやり方で圧政を進めていたのでは、やがて自滅する他はないと思われるのだが。

 可哀そうなのは、そういう政治指導者を頂いた国民である。

 

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