日記・コラム・つぶやき

2017年9月18日 (月)

子どもの頃の遊び―④―

 Dさんがメールで、子どもの頃やった遊びに「釘差し」があると書いてあった。それで、そういえば夢中になった遊びに「釘立て」があったことを思い出した。

 私が子どもの頃住んでいたのは、9軒の借家が向かい合いで並んでいて、その間が路地になっている、ふくろ小路だった。だから子供が遊ぶには格好の場所だったのだ。

  その路地のちょっと広くなったところで、私たちはラムネ(ビー玉)やシャッケン(メンコ)などをやったのだ。缶けりもそこでやった。路地の家と家の間に、人が通れるほどの間があり、隠れるのに好都合であった。

  「釘立て」は10cmぐらいの釘を使って、地面に打ち付け釘を立てるのだ。各自のホーム(その頃はホームなどという英語は禁止であったが)を決め、釘が立ったら線を引いて結ぶのだ。互いに他の子を線で閉じ込めるように釘を立てていくのである。閉じ込められたら負けである。

  また、うずまきを描いておき、その狭い幅の間を釘を立てながら進んで外に出るという遊び方もあった。

  釘立てでは、5mmもないような狭いところへ釘を立てる技術を持つ必要があった。そのためにいつもどうやって、どのくらいの力で釘を打つかを工夫しながらやった。

  夏になると、田んぼや野原に行ってヤンマとりをした。私が住んでいた南紀新宮では大人も子どもも夕方になると楽しんだものだ。

  そのやり方は、以前にもblogに書いたが、習字の反故紙を小さく切って、それに豆粒ぐらいの石を包んで、木綿糸の両端に括りつけるのだ。

  糸の真ん中あたりを利き手で持って、石をもう一方の手で持って、ヤンマが飛んでいる辺りに投げる。そうするとヤンマは餌が来たと勘違いをして降下して来る。糸がヤンマに絡んで石の重みで下に落ちて来るのである。

  この取り方は、母方の実家がある今の東海市では誰も知らなかったので驚いたことがある。こんな面白い遊びを知らなかったのだ。

  ヤンマには当然オスとメスがあって、オスは尻尾の付け根の辺りがブルーで、メスは緑色である。メスを獲った時は嬉しかった。なぜかというと、そのメスを笹の小枝の先に糸を結んで、その糸にヤンマを結んで頭の上で飛ばすのだ。そうするとヤンマのオスが見つけてさかり(交尾)に来る。交尾したところを捕まえるという寸法であった。これも実に楽しい遊びであった。

  魚の「かいどり」というのも面白かった。小川の流れを小石でせき止めるのだが、真ん中を開けておき、そこにタモ(網)を仕掛けるのだ。上流からバシャバシャと歩いて行くと、魚が下流に逃げてタモに入るのだ。

  田んぼや小川にはメダカがいっぱい泳いでいたが、私たちはメダカをバカにして誰も相手にしなかった。魚のうちには入れてなかったのである。

  山の小川の流れに行き、石をどけると沢蟹がいた。でも、だれも沢蟹を取って食べるものはいなかった。あの戦前戦後の食糧難のときでさえである。大人になってバーで沢蟹が出たことがあって、食べられるんだ!と驚いたものだ。

  これも以前に書いたことではあるが、熊野川には筏をもやってあって、その上に乗って手長海老を釣ったり、海老タモで掬ったりして獲った。でも、獲るのが楽しみでそれを家に持って帰り食べることはなかった。手長海老食べられることを知ったのは大人になって何十年もしてからのことだ。

  今思うと食糧難の時代に食べられるものはまだまだあったのだ。

  草を使った遊びもよくやった。一番よくやったのは「相撲取り草」と呼んでいた、花の部分が細長く5本ぐらいに分かれている野草で、その部分を結んで互いに引っ張り合って勝ち負けを競う遊びであった。

 葉が3枚あり可愛いピンクの花をつける草の、茎の部分の皮を剥いて糸にし、それを互いにからみあわせて相手の葉をちぎるという遊びもやった。糸のようになったものに土をまぶすと強くなると思ってやった。

 私の子どもの頃は、貧しかったが野、山、川、田んぼ、広場、路地など自然の中で飛び回っていろいろ工夫をして遊んでいた。懐かしい思い出である。

「ヤンマ 画像」の画像検索結果

                オス

 ※B玉について

  ソーダ飲料のラムネ口に入っている玉をA玉と言い、瑕があってはならないのだという。傷やいびつがあるのをB玉と言って、遊びに使われたのだという。(これはOさんから聞いた話しで、テレビで言っていたそうだ)

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2017年9月14日 (木)

子どもの頃の遊び―③

 私たちが子どもの頃によく遊んだ勝ち負けを競う遊びでは、「ラムネ」がある。これも一般的には「ビー玉」と言うようだが、私たちは「ラムネ」と呼んでいた。どうしてそう呼んだのかは知らない。その頃人気があった「ラムネ」という飲み物にガラス玉が入っていたことから来たのかも知れない。小さなガラス玉である。

  地面に畳一畳分ぐらいの四角を書き、一方の端にラムネ(ビー玉)を並べ、それに自分のビー玉をぶつけて、相手の玉に当たれば自分のものとすることができるのだ。

  これも遊び方がいろいろあり、「一歩」と言って玉を投げた後一歩足をフィールドに入れてもOKなやり方や枠外から投げる難しいやり方があった。

  ラムネ玉のサイズは大中小あり、一番大きいのは「大玉」と言って、それを取るには3回当てなければならなかった。

  この遊びも簡単ではなく、当てる技術を身に着ける必要があった。難しいがらそれを克服する面白さがある訳だ。模様が入った玉は2回当てであった。

  メンコと同じように相手のものを貰える「ホンコ」と、もらえない「ウソコ」があった。私はビー玉にも強くて、布の袋にいっぱい溜めていた。

 ビー玉の遊びにはこの他にも、地面に窪みを4カ所掘って、スタート地点から親指ではじきながら回るというのもあった。ゴルフに似ている遊びであった。

 勝負を競う遊びには、このほかにもバイ独楽があった。東京辺りではベーゴマというやつだ。子ども用には高さ2cm、直径3cmぐらいの漏斗状の独楽があったが、本格的なものは厚さが1cm弱の平たい独楽があった。

 バケツの上に布を張って、その上で独楽を回し、外にはじかれた独楽が負けであった。中学生以上の子たちは、本格的ベーゴマを使って勝負をしていた。向かいのお兄さんは上手で、独楽をやすりで磨いて調節していた。

 独楽と言えば、直径8cmぐらいで鉄の芯棒がある独楽を使ってよくあそんだ。地面で回すのは初歩で、掌の上に載せて回したり、紐の上を滑らせたりした。また、「肩掛け」と言って、紐の端を肩に掛け、独楽を受け止めて紐の上で回すとか、腰に紐を当ててその上で回すという高度な遊びもあった。

 独楽を手のひらの上で回し、回っている間に追っかけたり逃げたりする鬼ごっこもよくやった。

 缶けりも楽しい遊びであった。アメリカ軍の放出の缶詰めの空き缶で遊んだ。円を描いてその中央に缶を置き、かくれんぼをするのだ。鬼が見つけると、名前を呼び、缶に足をタッチすると捕虜になるのだ。助けるには、誰かが缶を蹴飛ばして、その間に逃げて隠れるのだ。時には上着を友だちと交換して鬼を騙すこともあった。大変スリルのある遊びであった。この遊びは女の子も一緒になってやった。

「ビー玉当て」の画像検索結果

「ベーゴマ 画像」の画像検索結果

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2017年9月13日 (水)

子どもの頃の遊び―②―

 安田武氏は、子どもの遊びは「勝ち負けを競うものではない」と言っているが、勝ち負けを競う遊びもいろいろあった。

 男の子の遊びで勝ち負けを競う最高のものは、「めんこ」であった。私たちは「シャッケン」と呼んでいた。四角い厚紙に相撲取りや侍や軍人などの絵、戦後は野球選手などの絵が書いてあった。丸い物もあり、金太郎などの絵が書いてあったと記憶する。

 主に使ったのは四角のやつで、地べたに置いてある相手の札を、自分の札を強く地面に打ち下ろして、風の勢いで相手の札をひっくり返す遊びであった。

 小さい木箱の上で争うやり方もあった。その場合は相手の札を箱から落としても勝ちなのだ。

 遊ぶとき「ホンケン」と「ウソケン」があり、ひっくり返した札を自分のものにできるのが「ホンケン」で遊んだ後で返すのが「ウソケン」であった。学校の先生はいつも「ホンケンをやってはいけない」と注意していたが、私たちはホンケンをよくやった。

 私はシャッケンが強くて、机の引き出しにいっぱい溜めていたくらいであった。シャッケンに勝つにはいろいろと考えなければならなかった。例えば、相手の札が地面との間にどのくらいの隙間があるかを見るとか、そのくらいの強さでどの辺りに打ち付けると相手の札をひっくり返せるか・・・などを絶えず考えてやっていた。

 相手の札の端に自分の札の端を打ち付ける技術も必要であった。そうすることで相手の札を飛ばすことができるのだ。

 また、札を対角線で折って中央を膨らませることも大事であった。何もしないで地面に打ち付けても風が強くでないのだ。膨らませてあると風が強く出たし、自分の札が地面にある時、密着性が高かった。

 たかがシャッケン(メンコ)、されどシャッケンである。私たち子どもは遊びを通じて自然に科学の勉強をしていたとも言えるのだ。

 私たちはシャッケンと言っていたが、名古屋の辺りではショウヤと言っていた。少年雑誌で東京の方ではメンコと言っていることを知った。ネットではメンコがヒットしたから、一般的にはメンコと言うらしい。しかし、この遊びも何時の頃からか遊ばれなくなった。それで担任しているクラスにシュヤを置いて放課に子どもたちに自由に遊ばせたことがある。

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2017年9月12日 (火)

子どもの頃の遊び―①

 9月10日の朝日新聞「折折のことば(鷲田清一)」は、次のようなものであった。

   遊びを遊ぶ    安田武

  凧あげ、蝉取り、竹馬、お手玉、綾とり、花いちもんめ。すっかり見かけなくなった昔の児戯には二つの特徴があった。自然を相手に「ゆっくりと、のびやかに」遊ぶこと。勝ち負けを競うものではないこと。遊びは「合理性を拒否する」ものなのに、余暇として計画したりすれば、遊びを再び合理性の中に閉じ込めることになると、評論家が一昔前警めていた。『遊びの論』から。

  私は「遊びの論」という本も安田武氏も知らないが、自然を相手に「ゆっくりと、のびやかに」遊ぶことはその通りだと納得できる。

  ここに挙げられているような昔の児戯は私の子どもの頃にはそれが当たり前であった。正月の頃は北風を利用して野原や田んぼの畔などで凧揚げをした。凧の足を新聞紙などを切って調節して空高く揚げた。

  蝉取りは夏の子どもの遊びの楽しみの一つであった。小さな虫かごとタモや時には、長い竹の棒の先に鳥もちをつけて持って行き、学校の庭の木などで鳴いている蝉を捕まえた。蝉が逃げるときに小便をかけられることもあった。

  お手玉は女の子の遊びであった。私はジャグリングのようにお手玉を操ることはできなかったが、畳の上で指をひろげてやる遊びはときどきやった。

  綾取りも女の子の遊びだが、ときには男坊主も交じってやったものだ。私は上手な方であった。取りあっこをするほかに、橋とか竹ぼうきなどの形を作って楽しんだ。 

 小川へ出かけて鮒などを取ったり、シジミを拾ったりするのも楽しかった。先だって旅行に行ったとき女性のIさんとそんな話をした。カラス貝というムール貝のような大きい貝があったがそれは誰も取らなかった。食べないからだ。

 近くにどぶ川が流れていて、そこには蛙か一杯いた。溝蕎麦の葉っぱを相撲取り草の先に巻き付けて蛙釣りをした。蛙がとびついて釣れるのが面白いのであった。

 男の子の遊びに山や林に行って女郎蜘蛛を見つけて持ち帰り木の棒の上で闘わせるのも面白い遊びであった。

 こうした遊びは、確かにゆっくりと、のびやかなものであった。遊びの中で子どもは知恵を出し、頭を働かせていたし、自然に理科の勉強にもなっていたのだった。

 今の子たちには、都会にいる限りそうした遊びの機会はほとんどなくなってしまった。私が住んでいた田舎の町でもおそらく同じことであろうと思われる。 

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2017年9月 2日 (土)

北朝鮮はミサイル発射で自己破産しないのか?

 北朝鮮が29日にまた北海道襟裳岬辺りを通る弾道でミサイルを発射した。ミサイルを作るのに一基いったいどのくらいのコストがかかるのか、ネットで調べてみたが確かなことは分からない。

 日本経済新聞によると、韓国の試算として、「韓国政府の推定によると1回の弾道ミサイル発射費用は約8億5千万ドル(約690億円)。大半の住民に1年間最低限の食料を配給できる金額だ。故金正日総書記は不法な武器輸出だけで年1億ドル以上の外貨を稼ぎ、核・ミサイル開発に多額の資金をつぎ込んできた。」と書いている。

 ミサイルと言っても大きさによりかかるコストはことなるが、大きなものだと住民1年間の最低限の食料を配給できる金額だというのだ。今年になってからでも何発も発射しているから、それを食糧に向ければ、これまでに300万人も餓死したと言われる住民を救えたはずである。

 ミサイル1発と何十万人もの住民の命が引き換えられている構図が浮かびあがってくる。高英起氏の記事によると、北朝鮮では、軍隊ですら飢えに苦しんでいるという。それで飢餓に苦しむ兵士たちは、共同農場を襲撃し、農作物を略奪する事件が頻発しているというのだ。

 飢えた兵士たちは、中国にまで侵入して強盗をしているそうだ。まもなく収穫を迎えるので農民たちは昼夜を分かたず厳戒態勢をしいているというのだ。でも、武装した集団に襲われればなすすべもないのだ。軍が絡んでいるので警察に訴えてもどうにもならないのだという。

 農民たちは「あんな土匪みたいな奴を使ってどんな戦争ができるのか」と嘲っているという。

  金正恩の前では猛烈な拍手を強制され、もししなかったり、いい加減なやり方をしたら、死刑になるかもしれないという程、徹底した抑え付けで秩序を保っているかに見える軍が、農民を苦しめるほど堕落しているとは信じられないが。

  軍紀の乱れた北朝鮮軍。腹が空いた北朝鮮軍。先軍節などで見る一糸乱れね行進からは想像もつかないが、そこまで食糧に悩まされているのにどうして金が掛かるミサイルを惜しげもなく打ち上げるのだろうか。

 トイレの付いた高級車で移動し、贅沢の限りを尽くしている金正恩には国情がつかめているのであろうか。

 かつての日本がそうであったように、身の程を知らぬやり方で圧政を進めていたのでは、やがて自滅する他はないと思われるのだが。

 可哀そうなのは、そういう政治指導者を頂いた国民である。

 

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2017年8月11日 (金)

自動車を修理して

 私の車はトヨタのラウムだ。今年の2月に車検をやって乗っていたが、ときどきカタカタとうるさい音がするので調べてもらった。原因は詳しく調べないと分からないが大丈夫だろうというのでそのまま乗っていた。

 

 車を運転するのはせいぜい週に1回、しかも往復で6km程度のスーパーまで行くだけである。だからバッテリーはしょっちゅうあがってしまう。カタカタ音は気にはなるが辛抱して乗っていた。

 

 先日娘と婿が来たときに、婿に車を貸した。そしたら後で運転中の音は調べてもらった方がよいと強く勧められた。それで自動車屋に電話をして、もう一度調べてもらうことにした。婿が東京から電話で自動車屋と話をして、結局修理をしてもらった方がよいということになった。

 

 見積もりは部品交換を含めて10万円くらいだといった。10万円は大きな出費なので、本当はやりたくなかったが、もし事故でも起こしたら大変だと脅すので修理に出した。

 

 この車にはほとんど乗らないので、走行距離は4万キロ程度である。買ってからまだ9年経ったくらいかと思っていたら、何ともう11年以上になるというので驚いた。

 

 ショックアブゾーバーあたりのゴムが劣化して、金属部分が当たるので音が出るのではないかという話であった。11年経つとあまり動かしてなくても部品が劣化するのかと思った。

 

 修理には部品取り寄せなどで6日ほど要した。平坦な道路を走行する限りでは音はなくなったように感じた。ただバンプのあるところでは前部に音が出る。オートマ関係のゴムがすり減っているのだということを言っていた。もしそちらも部品を交換すると30万円ぐらいになるので合わせて40万円にもなるから、車を買い替えた方がよいと言った。

 

 結局部分的修理をしてもらった。請求書はつぎのようになっていた。

 走行中異音修理一式          50000円

 

 FロアアームLH交換           19600円

 

 タイロッドエンドアウター交換      2740円

 

 FロアアームLH交換ショックLH交換  17200円

 

                    合計  89540円

 

        消費税7163円で  総計 96703円

 素人には車の修理のことはサッパリ分からない。ハイそうですかと聞くだけである。それにしても動かさなくても車が傷むのだと知った。これまでは10年くらいで新車に替えていたので気が付かなかったのかも知れない。もう免許証を返納した方がよいと思っているので買い替えはしないつもりだ。

 

 

 

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2017年7月22日 (土)

梅雨開けて我が家の庭にも蝉の声

 我が家の小さな庭には7月の10日ごろから地面に穴が開き始めた。蝉の幼虫が土から出た跡である。そして花柚子の木などに蝉の抜け殻がくっついているのも見た。地面に落ちている抜け殻もあった。

 

 でも、蝉の声を聞くことはなかった。いったいどこへ行ってしまったのだろうと思った。一昨日妻が「裏でセミが鳴いているよ」と言ったので窓を開けたら裏の家の木でセミが鳴いていた。

 

 昨日東海地方も梅雨が明けたようだと天気予報で言っていた。今年は空梅雨というのか、名古屋ではほとんど雨が降らなかった。梅雨明けの2日前の19日に夜8時半ごろ雷が鳴って少し雨が降った。

 

 梅雨明けの前には雷が鳴るというのは昔からの民間の言い伝えである。そして20日に梅雨明け宣言があったのだ。

 

 21日の朝、庭に面した雨戸を開けると蝉がけたたましく鳴いていた。見ると金木犀の枝に蝉が止まって鳴いていた。クマゼミであった。我が家の庭の木で聞く初めての蝉の鳴き声であった。

 

 毎朝のウオーキングで山崎川に行くと、アブラゼミの死骸が道に落ちているのを見ることがあった。でも、近年はアブラゼミは少なくなって、クマゼミが増えていると聞いたことがある。

 

 子どもの頃は、クマゼミを見つけると嬉しかったことを思い出す。あの透明な羽を震わせてけたたましく鳴くのがよい。やかましいと言えば確かにそうだが、暑い夏の風物詩として蝉は欠かせない。

 

 蝉を取りに行ってよく小便をかけられたものだ。飛び立つときにピッと小便をするのだ。そんなこともはるかな昔の楽しい思い出である。

 

 蝉の声といえば、この20年以上右耳の中では年がら年中蝉がないている。中国の蘇州にある有名な寒山寺に行ったとき、鐘楼の中に入ったのだが、鐘を見ている時突然一人の中国人が鐘を鳴らしたのだ。それが右耳のすぐ近くであったのでしばらくは呆然とした。それが原因でそれ以後右耳に蝉が住みついたのだ。

 

 蝉は夏のしばらくの間だが、私の中の蝉は年中鳴きっぱなしである。

 

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2017年7月18日 (火)

国民健康保険と介護保険の納付額決定通知書がきて

 私と妻に後期高齢者医療保険と介護保険の29年度納入決定通知書が届いた。それによると両方を合わせて僅かな二人の年金収入の16%ほども納めなければならない。介護保険料が上げられたのは聞いていたが、実際に金額を示されるとガックっとする。

 年金は毎年減らされ、退職当時より40万円以上少なくなった。その一方で健康保険料や介護保険料は増えてきた。その他にも住民税などを納めなければならない。可処分所得は減る一方なのだ。

 私たちは、幸い、二人とも介護保険料は納めるだけで利用することはない。健康保険の方は、私は目の持病がある上に、脊椎管狭窄症とか逆流性食道炎が発症することがあり、歯科へ歯のクリーニングに年4回行くなど保険を使うことはあるが、それでも納めた料金を使うほどではない。

  妻の方は高齢者の無料検診にさえ行かない頑固な医者嫌いなので困っているが、そういうわけだから保険料は納めるだけである。いろいろ身体の不調はあるのだが、入院とかで強制的に医者に掛からなければならない状態にはなっていないので医者に行かずに済んでいるだけだ。

  先日も介護施設へマジックのボランティアで行ったが、さまざまな高齢者がいた。私の場合、慰問に行く側だから有難い話しである。年齢からいえば介護施設の世話になってもおかしくないのだが。

  これも毎日早朝にウオーキングを続けて40年近くになる効果かも知れないと思っている。前にも書いたことがあるが、この頃歩くスピードが落ちて、昨年よりも2分から3分長く掛かるようになった。5kmの道のりを1時間で歩けなくなったので残念である。

  朝出会う人の中にはよぼよぼと歩いたり、杖をついて歩いている人も見かけるが、私は今のところ遅いだけで普通に歩くことができるので有難いことである。

  税金と健康保険料と介護保険料は納められることが幸せというべきであろう。自分は使わなくても他の人に貢献しているのだから。

 

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2017年6月23日 (金)

嘘?真?

 一国の首相、特に安倍首相の様に数を恃んでやりたい放題の政治をして、立憲主義を破壊し、安保体制を強化し、特別秘密保護法や共謀罪法で自由と民主主義を奪い、人権を無視し、監視社会の戦前日本回帰を目指してきた者には、毀誉褒貶が飛び交う。

 このところメディア各社の世論調査では内閣支持率が急降下した。都議選では自民党の中にさえ安倍首相の応援は歓迎されない空気だという。

 そんな中とんでもないニュースが飛び込んできた。知人が送ってくれたものだが、信憑性のほどは不明である。たた週刊新潮も健康問題を取り上げたように、このところ安倍首相の健康不安説が流れているのは事実である。

 思えば安倍首相が第二次政権になって急ピッチで強行採決を繰り返して前述のような悪法をつくってきたのは、歴史に名を残したいという焦りであったのかもしれない。その願いはほぼ達成できたと言ってよい。

 さて、真偽のほどは分からないニュースを下に紹介する。

 

 板垣英憲氏、マスコミに出ない政治経済の裏話」より
 安倍晋三首相は、慶応大病院で精密検査、「肺ガンの末期(ステージ4)、リンパ節、脳幹に転移、余命3か月」と告知される
 「肺ガンの末期(ステージ4)、リンパ節までに転移しており、脳幹までの転移するのは時間の問題、余命3か月」-安倍晋三首相は6月17日午前、母・洋子夫人(安倍晋太郎元外相の妻、岸信介元首相の長女)に付き添われて慶応大病院で精密検査(MRI検査など)を受けた。
 この結果を、こう告知された。安倍晋三首相本人も、主治医も、「肺ガンが末期」になるまで気づかなかったのは、「潰瘍性大腸炎」に気を取られて、胸にまで気が回らなかったからだったという。
 東京・六本木のホテル「グランドハイアット東京」内の「NAGOMⅠスパアンドフィットネス」の個室で主治医の診察を度々受けていても、ここでは、精密検査(MRI検査など)を受けることができなかった。
 そのせいか、6月19日午後6時から、通常国会の閉幕を受けて首相官邸で記者会見したときの安倍晋三首相の表情は、精彩を欠き、覇気がなかった。元気がなかったのは、主治医から「多臓器不全」(潰瘍性大腸炎)により、ドクターストップ(6月10日)をけられていたためではないかと受け止められていたけれど、「手遅れで、余命3か月」と告知されたのが、原因だった。
 このことを耳にした麻生太郎副総理兼財務相が、「ポスト安倍」狙いで、自民党内に言いふらしており、衆参両院議員は、安倍晋三首相亡き後の身の振り方に悩み、右往左往しているという。
 
 
 
 安倍晋三首相は、「余命3か月~6か月」と見て、「秋の衆院解散・総選挙、憲法改正案の賛否を問う国民投票」を画策している
 「命は長くない」とドクターストップがかかっている「多臓器不全」(潰瘍性大腸炎)の安倍晋三首相は6月安倍晋三首相の表情が芳しくない。内閣不信任決議案が否決され、「共謀罪」法案が成立したにもかかわらず、である。
 それは、祖父・岸信介元首相がやり残していた自主憲法制定は無理でも、「第9条1、2項をそのままに、3項を付け加える」加憲を成し遂げ、憲政史上に名を残すまでは「死んでも死ねない」と執念を燃やしているからである。
 この「加憲案」だけなら、衆参両院の各議院が、「3分の2」以上の賛成を得て、憲法改正発議ができる。このため、安倍晋三首相は、「余命3か月~6か月」と見て、「秋の衆院解散・総選挙、憲法改正案の賛否を問う国民投票」を画策しているという。これは、安倍晋三首相にごく近い筋の情報である。
 

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2017年6月 5日 (月)

シーズン到来なのにビール値上げとは

 5月の終わりごろ、スーパーヤマナカに行ったら、6月からビール類が値上げになるので今のうちに買って!と大きなよび掛けがつるしてあった。そういえば新聞で読んだことがあったような気がしたが、その時は買わなかった。

 次の日、スーパーマックスバリューに行ったが、ビール売り場には何も値上げの予告はなかった。6缶入りの第3のビールを買って帰った。

 6月2日の朝日新聞朝刊を見たら、ビール類が値上げされたと書いてあった。東京のある酒の店では6缶入りのビールが150円も値上げされていたという。酒類の安売りを禁止する酒税法の改正でビール類が値上げされたのだ。しかし、音を上げるのは我々貧乏庶民である。

 私のような年金生活者は普段ビールを買うことは滅多にない。買うのは第3のビールである。このことは以前にも書いた様に思うので二番煎じになるかもしれないが。

 昔は発泡酒を買っていたが、ビール会社の企業努力によって第3のビールが次々に造られるので買うのは第3のビールである。味もいろいろと工夫されておいしくなった。外国のビールと比べても第3のビールの方が美味しいと思うものもある。

 リキュール類に分類される第3のビールは、値段も手ごろで大変有難いのだが、政府はそこに目をつけて、もっと税金をとろうと酒税法を改正したようだ。安倍政権は庶民の楽しみまで奪ったのだ。政治家どもは料亭などでいくら高くても本物のビールや高級ワインなどを味わえ、しかも懐を気にする必要はない。だから庶民の懐のことなど気に掛けないのだ。

 エンゲル係数のように収入対比でいうと、貧しいものほど係数が高くなるのだ。しかし、政治家どもはそんなことはまるで配慮しない。貧乏人からも取れるだけの税金は取ってやれなのだ。

 新聞によると酒税の値上げでビール類離れが進むかもしれないという。そりゃあそうだろう。これからがシーズンというのに値上げされたのだ。タイミングも最悪である。政治というものは民の心を慮ってやるべきであるのに何とも冷酷なやり方である。

 

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