旅行・地域

2017年9月10日 (日)

北陸旅行―⑤―北前船主屋敷・蔵六園

 朝食のバイキングはいつものようにいろいろな種類のものを取って食べた。珍しかったのは加賀あんころ餅があったことだ。金沢の辺りはあんころ餅が名物である。みんなにも勧め自分は2個食べた。

  この日は旅行第3日で、朝食の後解散なのだが、関西の連中が少しどこかを見たいと言った。フロントでは加賀温泉駅付近には美術館ぐらいしかないと言っていた。U君が「加賀周遊バスCANBUS」のパンフレットを持っていた。それによると柴山潟周辺を回るバスや山代温泉方面を回るバスがあることがわかった。

  一日周遊券は1000円で乗り降り自由であったが、バスの時刻表を見ると1時間に1本で不便であった。それでまず加賀温泉駅まで送ってもらった。

  案内所で聞くと、好きな場所で1回だけ乗降できるeco切符があることが分かった。それでお勧めの場所を聞いて、「北前船主屋敷」に行くことにした。そこにはお勧めの料理店も近くにあるということであった。

  私たち名古屋・三重組は14時13分の「しらさぎ10号」に乗ることにして切符を買った。関西組はサンダーバード、東京組は金沢から新幹線であった。周遊バスまでの時間があったので駅のコンビニの休憩室で座っていた。

 海周り周遊バスは柴山潟を一周する。私たは「北前船主屋敷」前で降りた。狭い路地を入って行くと、船主屋敷があった。500円の入館料だが敬老割引で少し安くなった。

 屋敷は大変広荘で高価な調度品がいっぱい置いてあった。それぞれの部屋に陶器とか北前船のレプリカとか写真とか資料を展示してあった。蔵が二つあり、その中も展示室になっていた。

 船主は1回の航海で莫大な金を儲けたが、船員たちは船頭も含めて実に安い賃金であったそうだ。船主に搾取されていたのだ。

 ただ、航海中に嵐に遭って大損害を蒙ることもよくあったそうだから大変な航海であったようだ。

 その後、近くの料理店に行ったが、予約をしていなかったのでダメだと言われた。その辺りには食事をするところがないのでがっかりであった。15分ほど歩きまわって探したが、閉店していた。

 仕方がないので、近くの蔵六園を見に行くことにした。600円の入館料で敬老割引はなかった。ここも北前船の船主酒谷氏の屋敷で、庭と建物が国の文化財になっていると言っていた。建物は紅がらを施してある。部屋にはいろいろな調度品を展示してあり、グッズを売っていた。抹茶などを提供していたのでS君たちは飲んでいた。

 料理店で断られたことを家主の奥さんに話すと、大変残念がっていた。夫婦でやっているとてもいい店で是非食べて欲しかったと言っていた。

 蔵六というのは亀のことで、手水の石が亀に似ているところから大聖寺藩主前田利幽によって付けられたのだという。また庭の石は北前船で全国から運んだ珍しいものだと言っていた。

 蔵六園を見た後周遊バスで残りの部分を回り、加賀温泉駅に戻った。そこで気が付いたのだが、駅の後ろの丘にとても高い観音像が立っていた。建てた人は破産したが観音は残っているのだそうだ。

 コンビニで寿司を買って車内で食べることにした。柿の葉寿司を買った人、笹の葉寿司を買った人がいた。私は「ますの寿司」を買った。名古屋駅には16時49分に着いた。行きあたりばったりだが、楽しい、余裕のある旅が終わった。

 その夜9時間も寝て、さらに午後1時間40分も昼寝をした。でも、女性のOさんやIさんはメールで疲れが取れ元気で趣味の活動をしたと言っていた。

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                    北前船主屋敷入口

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                        屋敷の中

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                       蔵六園の蔵

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                         亀 石
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                     蔵六園石の橋

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                      蔵六園庭園
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                       蔵六園庭園

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                   加賀温泉駅の後ろに観音像

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2017年9月 9日 (土)

北陸旅行―④―21世紀美術館,武家屋敷、加賀観光ホテル

 次は、能楽堂と21世紀美術館があるところへ行った。能楽堂と21世紀美術館は隣り合わせである。それぞれが見たい方へ行くことにした。

  私は21世紀美術館へ行った。「雪の女王」の展覧会をやっていたが興味がないので他の展示室の方へ行った。途中の展示室に入ると昆虫をかたどったオブジェをいっぱい並べた展示がしてあった。川越ゆりえという作家の「弱虫標本」という作品であった。

  ネットで調べると、「『人の感情の蠢きを虫にしたら』と発想し、心の動きを仮想の虫の姿態に呼応させて、幻想的な世界を表現します。」と書いてあった。

  仮想の昆虫の姿をカラフルな色を使って表現してあるユニークな作品であった。

  その後、他の展示室も見たかったが、先に偵察に行ったU君がどこも行列でとても見られないと言ったので、他の人たちは出て行った。私は、見る物を音に変えるという展示が面白そうなのでそこに並んだ。

  黒いベルトのような物を頭につけて眼を塞ぎ、天井から下がっている立方体や▽などのモノの方を向くと小さな音が聞こえてきた。でも、何のことか分からなかった。

  小さいプールのようなものがあって、その傍に行くと、水面の下に人が歩いているのが見えた。下の展示室の人の動きをあたかも水の中の動きに様に見せているのだった。

  時間がなくなったので、バスに戻った。O君だけがいないのでU君が探しに行って見つけて連れて来た。

  金沢見物の最後は、長町武家屋敷跡であった。武家屋敷があったところに昔の土塀が残っているのだが、中の建物は改築されたものが多かった。通りの雰囲気を見るということであった。

  急流の用水が屋敷の前を流れていた。その前にある和菓子店でみんなはソフトクリームを買ったので、私も買って歩きながらバスに戻った。

  後でパンフレットを見て分かったのだが、金沢で回った観光スポットは、定番コースと書いてあった。これに「近江町市場」へ行けば完璧であったのだ。近江町市場に行けなかったのが残念であった。

  16時半ごろ、バスが出発して今夜の宿泊地、片山津温泉の加賀観光ホテルに向かった。片山津温泉には勤めている頃2回来た覚えがある。その頃は歓楽温泉であった。

  片山津温泉は大きな柴山潟の周りにホテルが建っている。源泉の温度は75度と石川県では一番高い温度だそうだ。

  加賀観光ホテルも大きなホテルで、中は何度も迷うほどであった。7階の部屋からは柴山潟が一望できた。柴山潟には漁船がなぜか一艘もなかった。浴場も規模が大きかった。

  夕食は畳の部屋でお膳であったので、正座が苦手な私は小さな椅子を頼んだ。

  ◎青葉会席

  食前酒  季節の果実酒

  旬彩    旬彩盛り合わせ 四季豆腐 美味だし 筍松風 もろこし見立て

         野菜串 和え物

  造り    季節の鮮魚盛り  鯛 鮪 間八 甘海老 あしらい一式

  吸い物   小鍋仕立て 鯛潮汁 白髭葱 酢橘

  炊合せ  四季饅頭玉〆 天盛 青味 餡かけ

  焼肴    西京焼き 目鯛 空豆甘煮

  令肴    麺料理 加賀白山蕎麦 薩摩揚げ

  進肴    サラダ仕立て ローストビーフ

  酢物    切かに酢 蛇頭胡瓜 レモン

 食事    石川県産こしひかり米

 留椀    赤だし つみれ 浅葱 粉山椒

 香の物   4種盛 大根切漬け ワイン落橘 青菜漬け 添え物

 水菓子  グレープフルーツムース 添え物

 この献立も量が多くて食べきるのが大変であった。

 食事の後カラオケルームを2750円で1時間だけ借り切ってカラオケを楽しんだ。私は「風の盆」をうたった。女性のTさんはとても上手であった。

 最後は部屋に集まって飲みながら談笑した。

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                    川越ゆりえの「弱虫標本」

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                      水の中を歩く人

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                      長町武家屋敷跡
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                       急流の用水

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                    窓から柴山潟を望む

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2017年9月 8日 (金)

北陸旅行―③―金沢へ、東茶屋街・兼六園・金沢城

 9時10分にホテルのバスで魚津駅まで送ってもらった。駅に着くと「あいの風とやま鉄道」で金沢まで直行するか、富山まで行って新幹線「つるぎ」に乗り換えるか話し合った。そして、あいの風とやま鉄道は各駅停車だが安くつくのでそれで行くことに決まった。

  なくしたスマホを金沢駅まで貰いに行くU君は、往復の切符を買っていたし、スマホを受け取らなければならないので先に行った。

  残りの我々は時間があるので駅前で喫茶店を探した。たった一つだけ店が開いていた。その店に入ると、面白い冗談を言うマスターがいた。コーヒーを今どき珍しいサイフォンで炒れていた。重要有形文化財だとマスターが笑って言った。コーヒーは確かにおいしかった。

  あいの風とやま鉄道はICカードが使えるのがよかった。ローカル列車だがかなり混んでいた。U君が戻ってきたスマホで電話をしてきた。

  12時ごろに金沢駅に着いた。新幹線の関係と思われる工事をしていた。U君の案内でバスが待っているところまで行った。小型のバスを借り切って回るのだ。

  最初に「東茶屋街」へ行った。昔茶屋があったところのようだ。今はいろんな店になっていた。加賀友禅、九谷焼、輪島漆器、金箔などがメインであった。建物だけは昔の風情を残していた。紅がら格子の家も残っていた。

  金箔細工の店が二つあったが、その内の一つに入った。金沢は金箔を使った工芸品が名産である。計画を立てながら手術で来られなかったS君のために1品買った。

  その後私は1人で見て歩き、反対側にある通りも見た。人は少なかったが紅がら格子の家が並んでいた。運転手さんに聞くと、「西茶屋街」というのもあると言っていた。

  駐車料金は40分ほどで1980円もした。この後兼六園に向かった。私は兼六園には何度か来たことがある。兼六園の石川入口でバスを降りた。向かい側に金沢城があった。

  U君が入場券を買いに行った。私は敬老料金があるかもしれないと思って掲示を見たら、75歳以上は証明できるものがあれば無料と書いてあった。それでU君に伝えて、1人ひとり買った。310円が無料になった。

 貰った地図を片手に歩いた。明治記念の碑のところで、女性のOさんが「琴柱灯籠」を見たいと言った。それで探しながら戻って行った。通った道にあったのだが、気が付かなかったのだ。

 地図を見ながら歩いたのだが、入口の石川門の方向が分からなかった。試行錯誤をして何とか見覚えのあるところに来て石川門に出た。兼六園は1時間ほどで切り上げた。

 女性のTさんが「いつもこれが最後だと思いながら見るの」と言っていたが、天下の名園の兼六園に再び来ることはないかもしれない。

 石川門を出てすぐ前の金沢城址石川櫓に行った。中に入ると休憩所があり、ボランティアの人がいた。話しをすると、この日は石川櫓の中を特別公開中だと言った。それで見たい人はそちらに行くことになった。

 中は広間のようになっていて、窓のところに石を落す仕掛けがあった。見る物は部屋とその仕掛けぐらいであった。外に出ると城の方に行った女性たちが戻ってきた。

 金沢城址はこれと言って見る物はなかった。30分で城を後にした。

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                     コーヒーサイフォン

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                       紅がら格子
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                        琴柱灯籠

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                         石川櫓

 

 

 

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2017年9月 7日 (木)

北陸旅行―②―金太郎温泉

 八尾の町民広場には次々とバスが入ってきて、客を降ろして出て行った。やはり夜の踊りを目指して来るのだ。17時前に来るのは街を散策して夜に備えるためであろう。なぜなら17時から19時までは踊りがないからだ。夜は大変な混雑だろうと想像した。

 我々は17時に町民広場を離れた。向かうのは魚津市にある金太郎温泉だ。今夜はそこに泊まるのだ。八尾から60分ほどで着いた。

 大変大きなホテルで、金太郎温泉という看板が目立っていた。バスの運転手の話しでは魚津には温泉はここだけだそうだ。

 風呂がいろいろあったがその夜は大浴場に行った。大きな浴槽が4つもありその他に小さな浴槽やサウナも付属していた。湯は白く濁った硫黄のような匂いのするのや透明の湯があった。なめてみると塩辛かった。

 19時から食事をした。300人は入れるという大広間を仕切って小部屋が作ってあった。畳敷きの上にテーブルだったので有難かった。

 仲居さんが1人ついて世話をしてくれた。鍋が二つ載っていた。

 おしながき

 先付 もろこし豆富 オクラ モロヘイヤ 打ち明姜 旨出し汁

 前菜 旬菜盛り合わせ 

 向附 造り盛り合わせ 妻一色

 炊合 茄子 海老吉野煮

 強肴 白海老彩々 煎酒

 台物 海鮮陶板

 冷皿 ローストビーフ

 鍋物 薬膳鍋風 冬瓜 名水ポーク くこの実 白木茸

 酢物 太刀魚南蛮漬け

 留椀 清知る仕立て

 食事 富山産こしひかり

 香物 盛り合わせ

 果物 ガトーショコラ 季節の果物 

 食事の量は多かったが2時間かけて完食した。生ビール中ビンを3杯飲んだ。高校時代の同期なので、その頃の話しや同期生の消息などで話がはずんだ。

 カラオケをやるはずだったが、12500円と高いのでやめにした。食事の後は部屋に集まって缶ビールと焼酎で談笑した。私は10時には部屋に戻って寝た。

 翌朝今度は岩風呂に行った。中に入って驚いたのはどでかい岩を組んで積み上げてあったことだ。露天風呂も更に大きな岩を組んであった。いったいどうやって運んできたのだろうと思った。これまでに入った露天風呂で一番大きな岩風呂であった。

 朝食はバイキングであったが、種類が多かった。私は例によっていろんな菜を少しづつ取って楽しんだ。珍しかったのはゲンゲ、ニギス、ホタルイカの干物であった。

 金太郎温泉はあの昔話の金太郎とは全く関係がない。風呂に入ったときは客はそれほどいないと感じていたが、朝食の時は満席に近かった。中国人客はここにも来ていた。

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2017年9月 6日 (水)

北陸旅行①―おわら風の盆

 昨年榊原温泉で高校の同期の会をやったとき、来年は「おわら風の盆」に行こうと決まった。S君が中心になって企画してくれた。「おわら風の盆」は毎年9月1日~3日にかけて開催される。おわら風の盆は非常に有名で、一度は観たいと思っていたので、ずっと楽しみにしてきた。

  ところが8月の末にS君が手術をすることになり、参加できなくなった。それで相談した結果、大阪のS.S君が幹事を引き継ぐことになり、予定通り実行することになった。

  高山線の特急「ひだ」で富山まで行き、富山駅で関西や東京の連中と落ち合って、チャーターしたバスで八尾に行く計画であった。

  私と女性二人は「ひだ」で行くことにして切符を買った。指定席で7650円であった。一人は「ジパング」で買ったので、5300円であった。もう一人N君はバスで行くと言った。バスだと3000円ほどなのだそうだ。

  9月1日の8:43分名古屋駅発の「ひだ」に乗った。朝が早いので駅の売店で駅弁を買った。女性はビールも買っていた。Iさんが私にもくれた。

  岐阜を過ぎしばらくすると川が現れては消える沿線風景になった。飛騨川であった。ずっと車窓から飛騨川の景色を楽しむことが出来た。高山を過ぎると神通川に変わったと思う。だが、やはり川がずっと続いた。高山線は川に沿って走っているのでとてもいいと思った。

  富山の手前の停車駅が「八尾」であった。私たちはここで降りれば運賃が安く済んだのにとちょっと残念であった。

  富山駅に着くと関西や東京の連中は来ていた。バスで来るN君だけが来ていなかった。U君が新幹線の中で携帯電話をなくしたといっていた。その時はまだ見つかってなかったが、後で金沢駅まで行ったことが分かったが、次の日金沢に行くのでそこでもらえばよいのでよかった。

  そんな騒ぎもあったが、小型バスは予定通り、13時半に富山駅を出発した。運転手は女性であった。おわらの近くは渋滞しているかもしれないから到着が遅れることもあると言った。

  立山連峰を遠くに見ながらバスは田園地帯を走った。富山平野は収穫間近の色づいた稲の田んぼが広がっていた。

  心配した渋滞はなくバスが現地に着いた。町民広場というグランドのような広い場所があってそこで降車し、バスは別の場所に行って駐車して、後で迎えに来るのだ。バスの駐車料として貸切バス料金52400円の外に、何と40000円も取られたのには驚いた。

  降車した場所に沿って川が流れていて横の道を歩いて行った。コースは北回りと南回りがあり、私たちは南回りを取った。しばらく行くと禅寺橋という橋がありその辺りまで踊りが来るようであった。

  橋を渡ると長い坂があった。禅寺坂というのだ。坂道に沿って左側は崖のような垂直になっていて丸い石を積んだ見事な壁が続いていた。街はその何十メートルも上にあるのだ。この地は川が多くしばしば氾濫したのでだんだんと土地を髙くして行ったという。

  少し息を切らしながら坂を上ると宗禅寺という寺があり、しばらく行くと通りに出た。その辺りは西町というのだ。14時ごろに着いたが、昼の踊りが始まるのは15時からで、まだ時間が早いので人は少なく、車が走っていた。

  踊りの衣装を着た若い子にどこを通るのか尋ねたら、通りを指さしてあっちの方と言った。要領の得ない返事であった。店の人に聞いたら東町の方に行くことを勧めたので西町に残る組と東町に行く組に分かれた。

  道端の石に腰かけて待った。そこに坐っていた男の人が詳しくは知らないがと言いながら説明してくれた。前に蔵があるので珍しいと思ってよく見たら、宿屋であった。蔵の宿屋は面白いと思った。

  その脇に細い道があり、どうやらそちらの方に小学校があるらしかった。八尾小学校のグランドが「おわら演舞場」となっていて、指定席が3600円、自由席が2100円と書いてあった。

  15時近くになって公民館の前に人が集まった。踊りとお囃子の人たちが並んだ。15時になるとお囃子と踊りが始まった。歌い手が交代で歌った。踊り手は黄色い着物を着て編み笠を被った女性、赤い着物を着て編み笠を被った女性、男性は黒の法被であった。小さな子供たちも並んで見よう見まねで踊っていたのは微笑ましかった。

  三味線、胡弓、太鼓、笛などのお囃子で、越前おわら節に合わせて踊られた。聞いたところでは、全部で11の支部があり、踊りも歌も支部によって違うところがあるのだという。

  東町を見た後西町に戻ったが、もう一つの組はそこにはいなかった。電話があって禅寺橋のところで見ていると言った。そちらに行くことになって西町の通りを歩いて行った、かなり歩いた下新町公民館前の道で踊っている支部があったのでそれを観た。

  川が見えたので見に行くと、禅寺橋が見えたがそこではもう踊っていなかった。それで電話をして、こちらに上がって来るように言った。石垣の橋のところで狭い階段があったのでそれを伝えた。

  それから少し戻って広場に行くと、N君とU君がいた。U君は我々を探しにきたようであった。R君が体調を崩して女性たちと休んでいると言った。それで橋の方に行くことにして歩いて行ったら別の支部が踊っていた。

  それを見てさらに歩いて行くと、若い女の子たちのグループが休んでいた。八尾高校芸能部のようであった。傍の女性に話しかけたら部活担当の先生であった。中学生までは編み笠を被れないが、高校生になると被れるそうで、ここにいる1年生たちは初めて被るのだと話した。

  黄色い着物を着ている人が上手な人で、と赤い着物を着た人は若い女性かと尋ねたら、そうではないと言った。25歳までが揃いの着物を着られるようだ。高校生たちは上手に踊って通りを進んでいた。

  その後バスが迎えに来る17時までは時間があったが下に下りて行った。橋のたもとの警護所のテントで女性たちとR君が休んでいた。

  結局私たちが見たのは、15時から16時15分ぐらいまでの僅かな時間であった。夜の踊りを見られなかったのが非常に残念であった。

 なかにしれい作詞、作曲、菅原洋一が歌う「風の盆」の歌詞には、次のような言葉がある。

 1番 日が暮れた坂道を 踊るまぼろし 影法師

 2番 あんな哀しい夜祭が  世界のどこにあるだろう

     足音を忍ばせて 闇にしみいる 夜泣き歌

 3番 哀しい人はみんな来い

     八尾の町に泣きに来い

     夜流しを追いかけて 下駄の鼻緒も 切れるだろう

  おわら風の盆 行事運営委員会ガイドブックには、「3日間いつ見ても同じです。」と書いてあったが、やはり「おわら風の盆」は夜に見るべきであった。

 ただ天候に恵まれたのはよかった。雨が降ると中止になるからだ。

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2017年8月30日 (水)

河口湖・西湖旅行―⑩―ホテル源吾

 今回の河口湖・西湖旅行では、宿泊にホテル源吾を使った。初めにも書いた様に、イギリス在住のDilumさんがネットで見つけ、私が電話で確認をし二人で相談をして決めたのだ。

  「源吾」という名前はホテルにはふさわしくない感じなので行くまではどんなホテルだろうと思っていた。

  行ってみたら、河口湖へ行く幹線道路沿いにあって、「乳ケ崎」というバス停がすぐ近くにあった。向かいに大きな「OGINO」というスーパーがあり、付近にはガストなどレストランがいくつかあった。

  ホテルは鉄筋3階建でお客も思ったより泊まっていた。イタリア人とか中国人など外国人も多かった。70代のオーナーと奥さん、娘さん、そして1人か2人のお手伝いさんの、いわば家族経営のようであった。

  オーナーは源吾という名前のような朴訥農夫という感じの人で「酒とタバコが飲めなくなったら死んだ方がまし」と言っていた。また、「英語はサンキューとグッバイとイエス、ノーしか知らん」と言っていた。それでもネットで外国から受け入れているのがすごい。

  料金は私たちが泊まったのは、2泊朝食付き3人で、税金など含めて34000円余でリーズナブルであった。朝食が大変ヘルシーな献立で、野菜、海藻、魚、味噌汁、卵焼き、納豆など十分であった。食事はテーブルの部屋と大広間とがあった。

  浴室は1階に大浴場があり、朝は6時~9時半まで、夕方は16時~22時半まで入れた。ただ難点はトイレが共同であることだ。

 他に良い点は、コーヒーとお茶がフリーで、夏場はかき氷もフリーであった。河口湖駅まで送迎をしてくれたのもよかった。

 Dilumさんもいいホテルだと言っていた。交通の便がよいしサービスもよく、宿泊料が高くないのでお勧めのホテルである。

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                      ホテル源吾オーナー
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                       一日目の朝食

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2017年8月29日 (火)

河口湖・西湖旅行―⑨―ミューズ館

 西湖の砂浜を見た後、西湖にさよならをして河口湖岸の「ミューズ館入口」でバスを降りた。湖の向う側に昨日行った場所が望見された。湖を見ながら歩いて行くと、「河口湖ミューズ館」があった。館の前にはきれいな花がたくさん咲いていた。

  ミューズ館は布人形作家与(あたえ)勇輝氏の作品を展示している美術館だ。私は以前に名古屋の高島屋百貨店で展覧会を観たことがあり、たいへん魅了されたのを覚えている。河口湖にその美術館があるのは知らなかった。

  他の二人に聞いたら見たいと言うので入ることにした。この美術館は周遊券での割引がなかった。ホテルで割引券を貰って来ればよかったと思った。一般は600えんだが、ここでもDilumさんは学生並みの540円の料金であった。

  館内には布で作った精緻な表情豊かな人形が展示してあった。昭和、大正などの衣装を再現してあり、子どもや娘さんなどの仕草がとてもよく表現されていた。与氏の人形は本当に癒しのにんぎょうである。

  奥にはビデオルームがあり、制作過程などを説明していた。頭部はどのようにして作るのかとか布の収集なども分かった。

 ※公式ホームページアドレス

 http://www.fkchannel.jp/muse/author/

 ミューズ館を出てバス停に戻った。少し時間があったので傍の喫茶店に入ったが、食べたいものがなかったので出て、次のバスで戻ることにした。

 ホテルに戻ると、預けてあった荷物を貰い、ロビーで無料のコーヒーを飲んだ。ホテルのオーナーに無料サービスのかき氷を頼んだら作ってくれた。甘い物好きの河村さんは煎じを3杯も掛けて喜んでいた。

 ホテルに同宿していた中国人の若いカップルが富士山に登るのだと言った。こんなに天気が悪いのに大丈夫かと心配であった。そのカップルと一緒にオーナーが河口湖駅まで送ってくれた。

 17時に河口湖駅を出る名鉄バスに乗った。途中富士宮近くで渋滞があり、名古屋のバスセンターに着いたのは30分遅れで9時50分ごろであった。

 今回は天気に恵まれず富士山を見ることができなかったのが非常に残念であったが、河口湖・西湖周辺は見るものがたくさん用意されていて、美術館だけでも6つぐらいある。その他にも楽しめるものがあるのだ。自動車で行けば回るのは楽だと思うが、2日間周遊券を1300円で買って回るのもよいものだ。バスは1時間に4本あるから、それほど待たなくてもよい。

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                        ミューズ館
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                       ミューズ館ガーデン

                   
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2017年8月28日 (月)

河口湖・西湖旅行―⑧―いやしの里と西湖の岸辺

 富岳風穴の次は「西湖いやしの里根場」へ行った。バス停付近に売店が並んでいた。Dilumさんたちは焼きトウモロコシを買った。私は隣の店で茹でたトウモロコシを買った。半分に割って交換をした。焼いたのは香ばしいが茹でた方が甘みがあると言った。

 トウモロコシを齧りながら入口の方へ歩いて行った。途中に見事なへちまがたくさんぶらさがっている畑があった。台湾の人たちは写真を撮っていた。

 入場料は350円だが周遊券で300円だった。中に入ると、白川郷のようなわらぶきの建物が並んでいた。特産品加工の建物で河村さんたちは土地の産物を買った。

 台湾の人たちが写真を撮っていたので一部の人と一緒に撮ってもらった。

 くつろぎ館でお茶を飲んだ。その建物の持ち主に聞いたら、いやしの里の建物は40数年前に建てられたものだそうだ。それ以前に「かぶと造り」の建物が並ぶ集落であったのが、昭和41年の台風で壊滅的被害を受けたのだと言う。

 合掌造りに似た建物が山の斜面に21棟あり大変風情を感じさせた。それぞれの建物に異なる展示物を置いてあった。

 砂防資料館、炭焼き小屋、水車小屋、ごろ寝館、匠や、火の見屋、見晴らし屋、紙や、陶と香、大石紬と布・・・。

 ぐるっと一周して、外に出た。バス停のところでもっていたパンを食べていたら、店の人が蜂蜜をくれた。それで河村さんは蜂蜜を1瓶買った。

 次は、Dilumさんが西湖の砂浜に行きたいと言ったので、バスに乗る時運転手に聞いたら、「12ケ岳登山口」で降りるとよいと言った。バス停からすぐにキャンプ場があって、多くの若い人たちが大きなテントを張ってキャンプをしていた。大きなテントはちょっとした家ぐらいの大きなものであった。若ければキャンプもいいだろうなと思った。

 西湖の砂浜までおりていって、写真を撮った。水遊びをしている親子がいた。西湖の水はぬるかった。

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                       大ひょうたん

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                        ごろ寝館

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                      台湾の女性と

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                         西 湖
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2017年8月27日 (日)

河口湖・西湖旅行―⑦―富岳風穴

 ホテルのオーナーが、「富士五合目は雲しか見られないよ」と言ったので、諦めて西湖へ行くことにした。バス周遊券を買ってあったのでその方がよかった。

 ホテル近くのバス停で待っていると緑色の大型バスが来た。西湖方面はバスが大きいのだ。バスに乗るとすぐに2人の女性が席を譲ってくれた。お礼を言って台湾の方ですかと中国語で尋ねたら、台湾からだと言った。前日から来ていて河口湖を巡ったと言っていた。 

  以前に台湾に行ったとき、よく席を譲ってもらったことを思い出した。台湾の乗り物lには高齢者や妊婦などに席を譲ろうと大きく書いてあった。台湾ではそういうのがかなり浸透しているのかもしれない。

  富岳風穴は周遊バスの終点で、そこからバスは一筆書きのように違う道を続けて戻って行くのだということが地図を見て確かめてわかった。乳ヶ崎から河口湖のふちを通って西湖へ行く。小さな湖である。

  富岳風穴で私たちが降りると台湾の人たちも降りてきた。やはり富士風穴に行くのだと言う。グループの中に大学生の女の人がいてDilumさんと英語で話していた。グループの中の1人の女性が日本語で話しかけてきた。少しできるのだと言った。

  バス停から風穴まではすぐである。青木ヶ原の中にあった。富士山が爆発したときのガスが抜けたという穴があった。その前の辺りの木の根のところに河村さんは持って来た2CCほどのご主人の灰を埋めた。

  河村さんが特許を売ろうとすると、ご主人がよく「青木ヶ原にいってやる」と言ったそうだ。だから青木ヶ原に遺灰を持ってきたのだそうだ。

  風穴に入る券を買うところでヘルメットの着用を勧められた。穴の天井が低いところがあって頭を打つと言うのだ。ヘルメットはたくさん置いてあった。私たちは勧めに従って被った。

  富岳風穴は天然記念物だそうだ。富士山が世界遺産になった条件の一つかもしれない。風穴に入って行くとひんやりした。少し行ったところで前頭部をしたたか打った。もしヘルメットをかぶっていなければ大変な怪我をするところであった。

  中は寒いのでDilumさんと河村さんは持っていた上っ張りを羽織った。私はそのままで進んだ。途中氷の山が堆積しているところがあった。寒いはずだと思った。まるで冷蔵庫の中に入ったみたいであった。一番奥には木の実や蚕の繭を保存しているところがあった。天然の冷蔵庫である。

 出て来るときにまた頭を打った。ところどころ天井が低いのだ。係りの勧めに従っておいてよかったと思った。

 外に出ると、台湾の人たちも出てきたところであった。少し話しながら歩いた。彼女らは次は「西湖いやしの里根場」に行くと言った。私たちは昨年白川郷を見たので似たようなものだと思ったが、Dilumさんが見に行くと言ったので行くことにした。

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                    風穴売店
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                     青木ケ原

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                     風穴入口

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                      天然氷

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                       溶岩

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                     出入り口
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                     出口近く




 

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2017年8月26日 (土)

河口湖・西湖旅行―⑥―灯籠流し

 オルゴールの森美術館を出るとまだ小雨が降っていた。バスは出たばかりでしばらく待った。次は灯籠流しの大石公園まで行くのだ。

 終点の河口湖自然生活館で降りたらそこに灯籠流しの会場があった。3時だったが受付に行くと、16時からだと言った。ホテルの主人が早めに行った方がよいと言ったので早く来たのだが、仕方がなかった。

 店が並んでいてその一つで団子を売っていた。大きな団子が3つついて350円だという。少し高い感じなのでやめた。自然生活館に入ると、カフェがあったのでコーヒーを飲むことにした。席はほぼ一杯であったが3人連れの家族が相席させてくれた。

 河村さんはその人たちにタラの木のことを話し始めた。話している内に関心を示し始めて熱心に聞いていた。その人たちは高橋さんと言って、浜松から来たのだと言っていた。16時に近くなったので受付に行ったら長い列ができていた。

 河村さんとDilumさんは灯籠流しをするセットをもらった。登録もなく無料であった。それを持って灯籠を組み立てるところへ行くのだ。

 半透明のプラスチックの板に書きたいことを書いて、船の形をしたハッポウスチロールの板に載せて四角の形を作り、中に小さなデジタルの明かりを入れるのだ。

 隣で台湾から来た人たちが灯籠に書いていたが、四面にぎっしりと書いていた。親戚の先の一人ひとりの名前とどうして死んだかなどであった。

 灯籠を作ると灯籠の受付に行った。今年は河口湖の水位が低いので自分たちでは流せないのだという。係りの人が代わりに流してくれるのだそうだ。湖水まで行けないのが残念であった。

 私たちはセレモニー会場まで戻ったが、そこここに置かれたベンチはみな占拠されていた。係りの人に聞いたらもうベンチは無いと言った。困っていたら、偶然カフェで一緒になった高橋さんが声を掛けてくれた。ベンチを確保して置いてくれたのだという。親切に感謝をした。

 頂いた名刺には「社団法人日本善行会浜松支部常任理事」と書いてあった。裏に、

 ~善は愛から勇気から~と書いてあり、昭和12年設立としてあった。「目的」は善行の表彰並びに善行精神の普及と実践活動を通じて、明るい住みよい社会環境づくりに努め、もって国の発展と国際親善に寄与する、とあった。全国で3500人余りの会員がいるそうだが、こういう会があるのは知らなかった。

 18時半からセレモニーが始まった。会場には大きなスクリーンが設置してあり、それに映していた。僧侶の一団が登場し、来賓が入場した。どうやら僧侶と言うのは真如苑の僧侶らしかった。

 オーケストラの演奏で始まり、その後「声明(しょうみょう)」をオーケストラの伴奏で唱えた。声明の途中のある文言のところに来ると会場の人々が唱和をした。それでこの灯籠流しは真如苑が主催しているのだと分かった。

 台湾や中国やヨーロッパなどからも灯籠ながしに来ているのできっと信者が参加しているのだろう。それを河口湖町と共催して一般の参加も認めているのだと思った。

 帰りのバスの関係で19時に会場を出て湖まで行った。暗くなったので沖の方に灯籠の灯りが浮かんでいるのを見ることができた。残念なことに富士は雲の向うであった。

 帰りのバスは河口湖駅まで直行で河口湖大橋を渡ったので早かったが、料金は別で470円であった。駅からはタクシーで帰った。料金は730円であった。

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