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旅行・地域

2023年12月24日 (日)

松山にもコメダが

 2日目の朝、ある温泉に行くために知人の車で市内を走っていた。松山の温泉は何と言っても道後温泉が有名だが、知人の話しでは松山市内には温泉があちこちにり、これから行く温泉は泉質が道後温泉より良い温泉だそうだ。

 温泉の近くまで来ると、何と「コメダ」の看板があった。コメダが全国に展開していて、銀座や鳥取にもあることは知っていたが、松山にもあるのは知らなかった。

 私はコメダは名古屋の喫茶店だと話したら、知人はじゃあそこへ行こうと言った。コメダ喫茶店に入ると、あの赤いソファで座席の作りも店内の配置もまさにコメダであった。コメダは外観も店内も我が家の近くのコメダと同じであった。

 席に着くと店員が注文を聞きに来た。丁度モーニングサービスの時間だったので、コーヒーの値段でパンなどのサービス品がつくと言った。

 私たちは下の写真の様に丸いパンを選び、小倉餡とジャムを選んだ。コーヒーはレギュラーを選んだ。

 客はほぼ満席であったが、出る時には満席になっていた。私はコメダは全て名古屋の店と同じポリシーでやっているようだと話した。松山にはモーニングサービスというのがあるのかどうかは知らなかったが、他の地域に進出したのはモーニングの力も大きいと思われる。

 途中でトイレに行きたくなり行ったが、その配置もトイレの中もまさにコメダスタイルであった。

 コメダのいいところは、ソファーやモーニングだけでなく、何時間いてもいいというところだと話した。ネットニュースにはコーヒー喫茶の人気でコメダが一番、スタバが2番、ドトールが3番だとあった。

 結局コメダでモーニングを楽しんで温泉には行かなかった。

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2023年12月23日 (土)

魚の新鮮な居魚屋網元

 夕食の時知人がいい居酒屋があるからと言って連れて行ってくれた。居魚屋網元という変わった名前の店であった。船を持っていて取って来た新鮮な魚を出してくれるという。

 店内には下の写真のような水槽があって大きな魚が泳いでいた。テーブルは物凄く厚みのある無垢の木であった。

 カツオのたたきを注文したら、下の写真の様に火を燃やして炙って作りたてをだしてくれた。カツオは高知のを使っているようだ。

 松山は海に近いし豊後水道にも近いので関サバを使って刺身や炙りサバなどサバ料理がいくつかあった。

 最初の日はカツオのたたきとサバの刺身を食べた。カツオのたたきはとても分厚くて美味しかった。また、サバの刺身は普通は食べられないが、取れたての新鮮なサバなので安心して食べた。美味しかった。

 ご飯はミニ海鮮丼を注文した。小ぶりの茶わんに鯛の刺身などが載せてあった。
二日目もその店に行った。店員に聞いて貝の盛り合わせを食べた。普段見たこともない生の貝がいくつか盛り合わせてあった。新鮮なので安心して食べた。

 ご飯は焼きサバ寿司がお勧めだと言ったのでそれを注文した。大きな寿司で美味しかった。
魚が好きなので普段食べられない新鮮な魚などを食べられてよかった。熱燗の地酒も美味しく飲めた。

 この店はよく流行っているらしく、外には待つ客が座る椅子が並べてあった。

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            ミニ海鮮丼

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2023年12月22日 (金)

久しぶりに飛行機に乗ったが

 松山の知人の誘いで松山に行って来た。セントレア空港から松山空港までANAを利用することにしたのだが、久しぶりのエアライン利用なので航空券の買い方が分からなかった。ネットでは往復59800円というのがあったが、心配なので全日空で買おうと思ってネットで調べたら、九州福岡の会社が引っかかって来た。全日空の航空券も扱っている旅行会社のようであった。栄のJTBで買えることも分ったが、結局福岡のリバティウイングという会社で買うことにした。

 松山まで日にちの変更ができる券にしたので1300円ぐらい高くなり、片道が税込みで32780円であった。先払いで金を送ったら、A4の紙に「eチケットお客様控」というのが印刷されたのが送られてきた。それでチケットが入ってないと会社に電話をしたら、お客様控えを持って空港に行き手続きをするのだと言った。

 当日空港の全日空カウンターに行き係の人に尋ねたら、器械に必要事項を打ち込むのだと言った。でも、係の人が操作をしてくれたので助かった。そして航空券をもらった。

 持ち物検査を済ませて搭乗の待合室に行った。搭乗時間が来てバスで飛行機まで行った。あとで分かったのだが、中部国際空港ではバスで飛行機まで運ぶが、松山空港では直接建物につながっていた。

 座席は8Bであったが、となりの8cの席が空いていたのでキャビンアテンダントがその席に替えてくれた。しかし、下の写真の様にプロペラの真横でやかましかった。アナウンスが聞き取れなかった。それで少し前の空いている席に勝手に移った。

 松山には1時間10分で行く予定であったが、10分も早く着いた。でも、帰りのときは同じ便が5分遅れであったので不思議だ。さらに言うと、帰りは名古屋から来たのに乗るのだが、5分遅れで出発したのに予定通りの時刻にセントレアに着いた。

 久しぶりに飛行機に乗ったので落ちないだろうかなどと心配したが無事であった。

 飛行機は乗ってしまえば速くていいのだが、乗るまでの時間が乗っている時間の倍以上かかるので大変だと思った。

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2023年10月 2日 (月)

ベトナムの中秋節

 日本語教室で私が担当している学習者に今期はベトナム人の男性ミンさんと女性のズンさんがいる。

 前日が仲秋の名月だったので、ミンさんがベトナムの中秋節の写真を見せてくれた。中村区の公園でやったそうだが、ぼんぼりや提灯などで飾って子どもも大人も赤い灯篭を持っていた。ミンさんは中国の担当し影響で赤い灯篭なのだと言った。日本の仲秋の名月は団子やススキなどを飾って静かに月を愛でるが、ベトナムではお祭りのようだという。食べ物などを用意して賑やかに楽しんだという。また、中秋節になると、大人と子供が灯篭を持ちながら、行列を作って村や街を歩き回る習慣があるという。特に子どもたちは楽しみにしているそうだ。

 ベトナムでは旧暦なので8月15日が中秋節だそうだ。でも、ベトナムでは雨が降ることがよくあると言っていた。

 ベトナムではクオイという名の男性が主人公の昔話をもとに、月には「クオイがガジュマルの木の下に座っている」と言われている。日本ではウサギが餅つきをしているというが。ズンさんがベトナムの伝説のなかの月の女性に扮した写真を見せてくれた。

 獅子舞いも中秋節の見どころの1つで、一般的に男性2人がそれぞれ獅子頭と胴体に分かれて被り物を被り、獅子の動きを表しながら踊るそうだ。ミンさんの写真にも獅子が写っていた。

 日本ではこの頃は名月を祝うという話を聞かない。私が子どもの頃は母が縁側に机を出して月見の飾りを載せていたものだ。今の子たちは月に関心を持たなくなっているかも知れない。

余談だが、私は竹取物語の話しをしてあげた。

 名月を取ってくれろと泣く子かな   小林一茶

 月々に 月見る月は多けれど 月見る月は この月の月(詠み人知らず)

 

2022年5月20日 (金)

山崎川沿いで見つけた花

 山崎川は名古屋の桜の名所である。3月末の桜の花が咲くときには花見の客で賑わう。でも、桜が終わってしまうと花は余り見かけなくなる。先日ウオーキングのとき歩きながら見かけた花をカメラに収めて来た。川沿いの家の花も含めてせいぜい10種類ぐらいであった。ゼラニウムやツツジは撮らなかった。名前を知らないはなばかりである。

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     枯れススキ

 

2022年1月13日 (木)

初めてのポタリング

 8日(土)の朝日新聞beに「ポタリング」という記事があった。「ポタリング?」って何だろうと思って読んでみた。自転車で散歩することであった。記者が元プロライダーの山田大五朗さんのガイドで博多の街をマウンテンバイクで回った体験を書いたものであった。

 ネットで調べたら、「ポタリングとは、目的地を特に定めることなく自転車で散歩するようにゆったり走ることを意味します。 のんびり過ごす、ブラブラするという英語の「Putter」から派生した和製英語で、省略して「ポタ」とも呼ばれます。」と説明してあった。

 beの記事によると、スポーツ自転車には、ロードバイク、クロスバイク、マウンテンバイクの3種類あるそうだ。ママチャリや普通の自転車ではいけないのかと思ったが何も書いてなかった。ネットによると「サイクリングとは自転車で走ること全般を表した総称です。そのため自転車でゆったり走るポタリングはサイクリングに含まれます。」とあった。

 また「スポーツバイクに限らず、ママチャリやミニベロ(小径車)などどんな自転車でもポタリングは可能です。」と書いてあった。

 beの記事ではスポーツ車がよいように読み取れるが、どんな自転車でもよいのだ。要するに自転車散歩なんだから。目的があっても無くても関係ないそうだ。

 そういうことかとポタリングについて納得したので、買って間もない愛用の電動アシスト自転車でポタリングに出かけることにした。10日の成人の日は素晴らしい天候で、青空が広がり、風もなく暖かい日よりであった。こんな良い日に出かけない手はないと2時過ぎに家を出て、気ままに走って行った。

 目的地があった方がいいと思い、千早にあるイオンタウンに行くことにした。正月に娘夫婦が行ったら丸善書店があったと言っていたのでそれを見たいと思ったのだ。

 そこまでの道はなるべく通ったことがない道を走った。永六輔氏が「知らない横丁を曲がればそれは旅」という名言を残しているのを思い出した。車道を走るときは自動車に気を付けた。歩道を走っていて、一度予期せぬ段差にぶつかり、転倒しそうになった。知らない道を走るのはいいものだ。まさに旅であった。

 イオンタウンまでは20分かかった。1階で東北物産展をやっていた。丸善書店は2階にあった。そこで「ニュースなカラス 観察奮闘記」という本を見つけた。鳥類研究者の樋口広芳氏の著作であった。

 イオンタウンの中を少し見て、物産展で福島の赤唐辛子沢庵と山形のさくらんぼ羊羹を買った。あとで秋田の「いぶりがっこ」も買えばよかったと後悔した。

 帰りは大通りを走った。マックスバリューへ立ち寄り帰宅した。初めてのポタリングであったが、電動アシスト自転車ならちょっと遠くへでも、坂があるところへでも行けるので、これからもポタリングを楽しもうと思う。

2020年7月21日 (火)

自転車は便利

 14日の朝日新聞に新型コロナウイルス禍の影響で3密を防ぐために自転車通勤が増えたという記事があった。記事によると自転車のシェアを進める会社もできたという。

 専用アプリで駐輪場の場所や使える台数を確認でき、車体のQRコードを読み取ってロックを解除するのだそうだ。ITもこんな使い方があったのかと感心する。

 使用料は最初の10分間は100円で、その後は1分で15円かかる。30分借りた場合、400円ということになる。駐輪場をどんなところに設置してあるのか知らないが、家かの近くに駐輪場があればよいがそこへ行く歩く時間、会社の近くに返す駐輪場があるかどうか、そこでの歩く時間も見ておかなければならない。便利さやコストはどうなのか、20代~40代に利用者が多いという。新しく自転車を買って通勤に使う人もいるだろうが、そのばあいも自転車を保管する場所か必要だ。

 自転車は確かに便利で、私は学生時代から自転車を愛用してきた。名古屋を横断してアルバイトに行くとき、学校に行くときなどいつも自転車で駆け回った。就職してからも自転車で通勤し、片道1時間ほどでも自転車で行った。

 65歳になって敬老パスが貰えるようになり、地下鉄が使えるところへは電車で行くようになったが、近場は今でも自転車を使っている。でも、以前の様にどこにでも自転車で行ってやろうというエネルギーはなくなった。最近は電動アシスト自転車をよく見るので、そろそろ1台買いたいと思うことがある。

 私の自転車は退職後は8000円ぐらいで買っていた。その後値上がりしたので11000円程度になったが、安い婦人乗り自転車である。1回買うと4年や5年は乗れるから、年に2000円ぐらいのコストである。

 名古屋市は保険が義務になったので自転車もカバーする損害賠償保険に入っている。車両代と含めて年に3800円ぐらいだから安いものである。保険が掛けてあるからと言って乗るときは慎重に運転している。この歳になると速く走る体力がないのでノロノロ運転である。

 スーパーで食料品などをたくさん買ったときは、段ボール箱に詰めて荷台に括り付けて運ぶ。もちろん前かごもついている。同じ婦人乗り自転車でもシティーサイクルというのは荷台がついていないので買わない。そういう自転車に乗っている人を見ると使用価値が少ないのにと思う。

 親戚の叔母は歩くのは不自由であったが、95歳で亡くなるまで自転車で動き回っていた。歩けなくてもペダルさえ漕げれば死ぬまで乗れるのだと知った。

 何といっても自転車はエコロジーである。排気ガスが出ないから環境に優しい。それに自転車の乗ることで健康にもよい。

2019年11月19日 (火)

 開田高原、奈良井の宿バス旅行―②―

 開田高原の後、中山道の奈良井の宿に向かった。奈良井の宿は19号線を通るときいつも通過したが、中山道に残る江戸時代の街並みを見たことはなかったので、楽しみであった。奈良井へ行く19号線の両側の山はどこもかしこも見事な黄葉であった。 

 19号線に平行して奈良井川が流れ、その向こうにJR中央線が走り、その向こうに重要伝統的建造物保存地区の街並みがあった。説明のよると、奈良井の宿は木曽路の中でも最大の難所、鳥居峠の北に位置し、土豪奈良井氏が居館を構えていた。交通のかなめとなる宿として繁栄した。徳川家康によって 中山道の宿駅が定められ、幕府関係者など公用旅行者や参勤交代の大名通行のために人馬を常備し、要請に応じて提供したり、通信の業務を果たした。その街並みが住民の努力で保存されたので、昭和53年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

 バスは手前の権兵衛橋を渡った駐車場に入り、バスを降りて街並みへ歩いて行った。一見して江戸時代に戻った雰囲気で、奈良井駅まで続く街並みであった。見物時間は70分ほどと短かったが、私はゆっくりと歩いて左右の建物を見て歩いた。表札に「○○屋」という屋号が付いていた。帰りに立ち寄った店の主人に尋ねたら、この辺りは職人が多く、屋号を付けていたが、ない家も屋号を付けるようにしたのだと言った。

 通りには観光客は少なかったが、外国人もちらほら歩いていた。彼らはどうやって知って来たのだろうと思った。両側の家は、土産物店の他に民宿や旅館も見られた。店は檜物細工、塗り物、塗り櫛、塗り箸などの木工製品が多かった。近世よりそれによって生計を立てていたのだ。木曽谷の住民に尾張藩より下賜された白木御免木6000駄中の1/4、1500駄が奈良井に充てられていて生産量は群を抜いていたのだそうだ。

 百草丸を売っている店も多く、百草丸本舗という店があったので、尋ねたら、創業者の出身地だそうだ。現在の会社は木曽福島の方にあるという。私も百草丸を愛用し旅行には携行している。よく効くと思っている。

 所々に、清水を飲めるところがあった。たいていは寺や神社の入り口であった。曹洞宗、臨済宗、本願寺の寺があった。木曽の大橋の近くまで行き渡ろうと思ったが、遠かったのでやめて引き返した。

 途中でソフトクリームを売っている店があり、「さるなしのソフトクリーム」としてあった。その店に入りソフトクリームを食べた。1個300円であった。「さるなし」というのはどういう植物かと聞いたら、キウイの元祖で、日本や中国にある「さるなし」という果物が、ニュージーランドに行ってキウイになったのだという。初めて知った。「さるなし」は日本に今もあるが、最近では野生は少なく、栽培していると言っていた。

 「そば茶」というのを売っていたので、珍しいので買った。蕎麦で作ったのだそうだ。帰宅してそば茶を飲んだら香りがつよく独特の味わいがあった。蕎麦の実も食べられ健康にもよいと感じた。

 時間があれば中村屋などの建物の中に入って見学したかったが、できなかったのが残念であった。奈良井の宿に行くまでに有名な南木曽の街並み保存地区があるが、奈良井の宿もそれに劣らぬよい景観であった。

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2019年11月18日 (月)

開田高原、奈良井の宿バス旅行―①―

 12日にvita主催の恒例のバス旅行に参加した。今回の目的地は木曽の開田高原と奈良井の宿であった。朝、8時に出発した。名古屋から東名、中央道を通って、中津川から国道19号線に下りて開田まで走った。19号線は車があったころよく走ったが、久しぶりであった。見覚えのある風景が懐かしかった。

 開田高原には40年ぐらい前に、教育の勉強会の夏の合宿でよく行ったが、その時は一番奥の西野であった。今回は手前の開田高原観光案内所などがある末川へ行った。11時過ぎに昼食を摂る「つたや季(とき)の宿 風里(かざり)」という変わった名の旅館へ着いた。木でできた旅館でテーブルなど木でできた和食のレストランでの食事であった。

 特別に注文したコース料理で、残念ながらお品書きはなかったが、写真のような料理が出た。レンコンを摺って作ったものとか、サツマイモをもとに作った小さなサツマイモとか、紙に包んで焼いた地元の鱒とか、いろいろと手の込んだ料理が出た。メインは飛騨牛をテーブル鍋で煮るもので、野菜が何種類も入っていて汁がとてもおいしくなった。

 刺身やサラダにかけるソースも凝った手作りのものであった。ご飯は炊きこみご飯で、デザートはブドウやブルーベリーなどを少しずつ盛り合わせてあった。

 こんな山奥のところに、和食を提供する素敵な料理屋があるのは意外であった。

 宿からは正面に御嶽が望まれた。残念ながら頂上付近には雲があってはっきりとは見えなかった。昼食後は外に出て散策をした。紅葉というか一面黄葉であった。宿の人に聞いたら、白樺やダケカンバ、カラマツなどだそうだ。今年の紅葉は気温の関係で10日ほど遅かったが、そのおかげで今紅葉が真っ盛りでよかったと言っていた。散策する道筋にも黄葉した白樺がたくさんあった。

 近くには木曽馬の里があったが、時間がないので見に行けなかったのが残念であった。木曽福島からバスはあるようだが、車がないと行きにくいところであった。天気に恵まれて、御嶽や全山黄葉を見ることができてよかった。

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2019年8月22日 (木)

東京・日光旅行―⑦金谷ホテル、名古屋へ

 次の朝は雨が降っていた。朝食の前に土産物を買いに行った。ホテルの店なので種類は少なく、値段が高かった。朝食は前の晩と同じダイニングルームであった。朝はフランス料理か和食を選択できたが、私たちはフランス料理にした。卵料理はゆで卵かスクランブルかオムレツから選ぶようになっていた。私はフランス料理だからと思ってオムレツを選んだ。飲み物はパイナップルジュースを選んだ。パンは例によって焼きたてであった。最後はホットコーヒーにした。

 朝食後部屋に戻り荷物をまとめた。チェックアウトまで時間があるので、館内を見て回った。別棟の屋上にプールがあり、その隣が池であった。この池は冬季には凍結するのでスケートリンクになるのだ。朝早いからかプールには誰も来ていなかった。山の傍にあるのでプールからの眺めがよかった。

 ダイニングルームの隣の大広間を見た。結婚式などにつかうようであった。天井画があり、東照宮のような彫刻が欄間の辺りにあった。金谷ホテルの中には、至る所に東照宮を模した精緻な彫刻があり、眠り猫もあるという。ダイニングルームの主任に頼むともう一つの大きなダイニングルームに案内してくれた。その部屋にも立派な天井画があった。やはり彫刻で飾られていて、その中に東照宮の眠り猫のレプリカがあった。

 この日は雨なので二荒神社や輪王寺を見に行くのはやめて、11時のシャトルバスで東武日光駅まで送ってもらった。浅草終点の東部日光線で北千住まで行き、JRに乗り換えて東京駅へ行くことにした。最初に乗ろうと思った特急列車は運悪く満席で買えなかった。それで次の臨時特急きりふりにした。

 出発まで1時間半もあった。婿が湯葉を食べたいと言ったので、駅前の日光ホテルの隣の湯葉料理のレストランで食べることにした。私は湯葉丼にしたが予想外によい味であった。食べている間に雨が降り出したが、食べ終わるとやんだ。

 臨時特急きりふりは座席の間隔が狭くて窮屈な感じであった。北千住までは2時間であった。北千住は大きな駅であった。特別のチケット売り場があったので、名古屋までの新幹線切符を買った。自由席は座れないといけないので指定席にした。1万2900円であった。

 台風10号の影響をずっと心配していたが、新幹線は正常に動いていたのでホッとした。名古屋へは18時28分に着いた。雨が降っていたので鶴舞まで行ってタクシーで家に帰った。1330円であった。

 今回の日光旅行は婿が金谷ホテルに招待してくれた。由緒あるホテルに泊まってよかった。3回目の日光東照宮もこれまでと違いゆっくりと回ることができ、家康の墓所も見て初めて来た気分であった。

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                朝食のオムレツ

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          屋上にある温水プール

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            スケートリンクになる池

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          フィットネスの部屋

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        プールからの眺め 建物は金谷ホテル

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             プールからの眺め

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           眠り猫のレプリカ 目が少し空いている

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            ダイニングにある天女の彫刻

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               湯葉丼

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             終点 東部日光駅

 

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