文化・芸術

2016年12月20日 (火)

昭和文化小劇場のこけら落とし

 名古屋市の昭和区に新しい文化小劇場が造られた。地下鉄鶴舞線川名駅からすぐのところで、川名公園の一角にあり、交通の便もよい。

 私は買い物に行くとき、いつもその前を自転車で通り、建造の様子を見ていた。昭和区には昔から鶴舞公会堂があるので、文化小劇場の建設は最後になったようだ。

 その杮落としが15日から19日の月曜日まで開催された。「はじまりをたのしもう!区民ふれあい芸術祭」というタイトルであった。

 私が所属する昭和男爵コーラスも早くから参加の申し込みをしていた。そして、16日の午後3時56分からの出演が決まった。

 昭和文化小劇場の内覧会があったのだが、都合が悪くて行けなかったので、内部を見るのは初めてで楽しみであった。

 当日は、文化小劇場では声だしができないので、昭和生涯教育センターで発声などをしてから文化小劇場に行った。

 控室が空くまで、客席でオカリナの独奏とスイートポテトの女声合唱を聴いた。ステージは天井が大変高いので意外であったが、反響板がつけてあるようであった。客席も傾斜はそれほど急ではなくいいシートであった。

 控室へは舞台裏を通って行ったので驚いた。演劇の上演ができるように広い舞台裏になっていた。ただ、控室は正式のものが一つしかないみたいで、我々は物置が控室になっていた。控室の前が廊下で、そこからすぐに舞台の上手に出られるようになっていた。

 我々の演奏は、「風」、「夏の思い出」、「いい日旅立ち」、「昴」の4曲であった。客席は空席が目立ったが、出来立てのステージで歌うのは気持ちがよかった。ピアノは河合のグランドピアノであった。

 演奏が終わると、次のホットスルーズの混声合唱を聴いた。その後、桜花学園合唱部の女声合唱で、クリスマスキャロルやよく聴く曲を歌ったが、見事なハーモニーと歌声でびっくりした。指揮者は男性の先生であった。

 そこまで聴いて、休憩になったので帰ることにした。ついでにトイレにも行ったが、入口の傍の便利なところにきれいなトイレがあった。

 昭和文化小劇場は便利なところにあるし規模も手頃なのできっと多くの利用が見込まれるであろう。

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2016年12月 9日 (金)

第16回全国障害者美術・文芸作品展を見た

 7日に名古屋市民ギャラリー・栄に行ったら、7階で「騒げ、感性。」というパンフレットを渡された。何のことだろうと思って尋ねたら、12月9日(金)から11日(日)まで、「第16回全国障害者芸術・文化祭あいち大会が開催されるというものであった。

 そして、3日から11日までは、市民ギャラリーの7階で「美術・文芸作品展をやっているということであった。偶然に知ったのであったが、見ることにした。

 知的障害、身体障害、精神障害を持った人たちの作品で、全国から来たものであった。年齢は幼児から80歳台の人まで幅広いものであった。中には生まれつきではなく、途中で障害者になった人たちも含まれていた。

 作品は、絵、デザイン、陶芸、パッチワークや編み物等、書、俳句、写真・・・などいろいろあった。どれも心に訴えるよい作品ばかりであった。障害を持ちながら作品を作る喜びに溢れていた。根気よく描きこんだり、作りこんだ作品もあり、素晴らしいと思った。

 俳画は、「わが庵に 鳴く鶯の 初音かな」

       「冬隣り 暮れゆく庵の たたずまい」

       「一人居を 楽しむ老いの 夏点前」

       「朝靄の 川面に鴨の 浮寝かな」

 写真を撮らせてもらったので下に紹介する。

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                      雨蛙がかわいい

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                      すばらしい俳画

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                    素敵な陶器のフィギュア

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                   細かい描写の抽象画
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                       シーサー

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2016年11月12日 (土)

第7回アジア文化芸術祭を見る

 11月6日午後15時半から、愛知県芸術劇場大ホールで「第7回アジア文化芸術祭」というイベントが開かれた。

 前日にKさんから電話があり、見に行かないかと誘われた。主催はワールドリンク株式会社で、その社長のサマラクーンさんからこの催しのことを聞いていたのだ。私も一度見てみたと思っていたので出かけることにした。

 前売り券を買ってなかったので、芸文プレイガイドに電話したら、当日券を大ホール入口で14時から売ると言った。それで14時までに行って券を買うことにした。

 少し早めに着いたが、すでに並んでいる人たちが20名ぐらいいた。聞いてみると券は持っているが並んでいるのだと言った。開場1時間以上も前から並ぶので驚いた。

 14時になってもすぐに券を売らないので尋ねたら準備中だという。何とものんびりしたものだと思った。

 3時開場なのでずっと並んで待たなければならなかった。後ろにはスリランカの若い女性が6人いた。聞いたら実習生だと言った。3時になってもすぐには開場しなかった。並び疲れたので早く開けてほしいと思った。

 中に入ると正面扉から入ったがそこは2階の席であった。脇の階段で1階に降りて行くと折角待っていたのに遅れてしまった。でも舞台から7列目の通路のところの席を取ることができた。招待席のすぐ前であった。

 15時半の開演近くになって会場を見渡したが、意外にも席はがらがらであった。こんなことなら1時間以上も前に来て並ぶ必要はなかったとがっかりした。

 プログラム1番は日本の獅子舞で、岐阜県岩村の郷土芸能の「悪魔払い」というものをやった。女性の格好をしていたが男性であった。

 次はスリランカから来た舞踊団の踊りで、スリー・パーダ・ヴァンダナという釈迦に関係のある踊りであった。チャンナ・ウプリ舞踊団という男女合わせて11名の舞踊団であった。

 スリランカの舞踊はタイやヴェトナム辺りの舞踊と似たところもあり、掌、腕、動きなどに特徴がある。

 3番目は「5本の柱」という踊り。

 4番目は一宮の旭雅楽会による雅楽と踊りで、「君が代」と「舞楽・陵王」であった。君が代を雅楽で演奏すると趣が違ってすてきであった。

 5番目はスリランカ舞踊を学ぶ上で必須となっている「ヴァンナムへの招待」で、自然、歴史、伝説、宗教、芸能、神話にもとづいたヴァンナムと呼ばれる詩歌を基底に据えたものである。「5・6・8・9」「自然界で自由を謳歌」(孔雀)、「大きな牙を探して歩く(象)が演じられた。

 20分間の休憩のあと、後半は、

 9番 「デヴォルとパッティニ(二つの女神の踊り)」行く手を妨げる7つの火山を創出した女神パッティニにより、試練を課せられたデヴォルテ神が、それらの火の障害を乗り越え、スリランカに迎え入れられた様を描いた舞踊。

 10番 「ターラ」 キャンディ地方に伝承される、農耕の女神へ豊作を祈願する儀式に基づく踊り。

 11番 「安珍・清姫 恋の緋鹿の子」 日本舞踊の西川長秀とジャズダンサー麻生ユカたちのコラボという珍しい踊り

 12番 「カンノドゥ」 「眼を用いる」を意味するタミール語。目の動きで即興的に言葉を交わすことで愛を探求する試みを描写する。

 13番 「フェニックスの飛翔」  オーストリアのホップす歌手コンチータ・ヴェルストが歌った「フェニックスの様に立ち上がれ」を舞踊にした。内戦や津波などで蒙った挫折を克服すべく、スリランカの人たちの間に強い共感を呼んだ。

 13番 「Circuration~循環~」  フラメンコダンサー加藤おりはとギタリストとパーカッショニストのコラボ

 14番 「太鼓乱打」  ゲタ・ペラヤ(結び目のある太鼓)という、右の皮は猿かトカゲ、左は牛皮を用いた太鼓。聴衆も手を鳴らして楽しんだ。

 15番 最後は 「砂漠の薔薇」 英国のアーティスト、スティングがアルジェリアのアラブ民族音楽歌手シェブ・マミとデュエットしたものに振付けた。

 この文化芸術祭はスリランカの舞踊がメインで、それに日本の演者が友情出演した形であった。ヴァラエティに富んでいて3時間の演技も飽きさせなかった。

 スリランカはギリシャ、インド、アラブ、エジプト、ペルシャなどいろんな文化の影響があるように見受けられた。宗教は仏教徒が多いが、イスラムやヒンズーもいる。踊りの最後に両手を合わせるのは仏教のものであろう。

 腕を広げたり、掌を巧みに動かしたり、膝を曲げて立ったり、飛び跳ねたり、顔の動きも独特のものがある。音楽もリズムがはっきりしていて踊りはリズムに乗っているように感じた。

 どこかでタイ、インドネシア、ヴェトナム、カンボジア、スリランカ、ミャンマー、インド、マレーシア、ラオスなどの踊りを一堂で見せてくれるといいのにと思った。

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                       雅楽 陵王
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                        ゲタ・ペラヤ

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2016年10月 7日 (金)

「夏目漱石の妻」を見て驚いた

NHKで毎週土曜日夜、4回に分けて放送されている「夏目漱石の妻」を見ているが、2回目の放送を見て非常に驚いた。それは、夏目漱石が、子供や妻に対して大暴れをするシーンが描かれているからだ。
 

妻の鏡子は、漱石に出て行けと言われて実家に戻るが、医師に、漱石は病気なのだと告げられて、漱石のもとに戻り、介護をしようと決意する。その辺は、鏡子は大変立派であると感心した。
 

  戻ったあとも、漱石はどうして戻ってきたと言って時々妻に怒鳴ったりする。漱石の病気は、ロンドンに留学した間に発病したと考えられている。そして病名は、神経衰弱と言うことになっている。
 

私は、漱石が体が弱いことや胃に問題を抱えていたことは知っていたが、ドラマで見るような時々激しい怒りの姿を見せる病気なのは知らなかった。
  調べてみたら、いろいろな人たちが漱石のこの病気について研究している事はわかった。病名についていろいろ言われているが、鬱とか躁うつ病などと言う人もいる。私の見たところでは、今で言う統合失調症(当時なら精神分裂病)だったのではないかと思う。
 

  私は高校生の頃夏目漱石が大好きで、学校の図書館に行っては、漱石が書いた小説を借りてきて読んだものである。どの小説を読んでも、漱石があのような精神病患っていたとは全く思えなかった。どの小説も、素晴らしい感銘を受けるものばかりであった。
 

夏目漱石は明治、大正を代表する大文豪として1,000円札の顔になったりしている。それだけにドラマによって、妻から見た漱石が描かれ、漱石の狂気な姿が浮かび上がらせられたのは衝撃であった。
 

しかし、漱石があのような病気であったとしても、それがために漱石の価値は寸毫も下がるものではない。ただ、非常に驚いたと言うだけのことである。
  世の中には、精神の病を持ちながら素晴らしい活動して、素晴らしい作品を作っている人たちがたくさんいる。そうした人たちへの励みとなり、偏見をなくすのに役立つかもしれない。そうなることを願っている。

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2015年12月29日 (火)

日本舞踊稲垣流「豊美会」を鑑賞

 暮れも押し詰まった27日、熱田のセンチュリーホールで日本舞踊の公演があった。「第65回記念 日本舞踊 稲垣流 『豊美会』」の公演であった。

 知人のSさんが稲垣流名取なので、毎年案内を頂いて見に行っている。昨年、一昨年は名古屋能楽堂で開かれたが、今年はセンチュリーホールという大ホールであった。多分65周年という節目だからであろう。

 少し遅れて会場に行くと前の方の席はほとんど詰まっていた。それで15列目ぐらいに座ったが、そのうち少し前の席が空いたので移動し、3つほど演目を見たら通路側の席が空いたのでそこに座った。

 こういう会は知り合いの人の出番が終わると帰る人が多いので座りたい席は見つかるのだ。

 プログラムは、4部に分かれていて、第1部は歌謡・民謡・童謡の部、第2部は古典の部、第3部は歌謡の部、第4部は古典の部であった。

 第1部と第2部には子どもも出演した。驚いたのは可愛い3歳の女の子、4歳の子が踊ったことであった。歌舞伎などでは3歳でデビューするようだから不思議ではないのだろう。3歳の子はお姉ちゃんの踊りをみながら、上手に踊っていた。

 今年の踊りは演技時間の長いものが多かったように感じた。舞台装置が大掛かりで演目ごとに大きな書割が取り換えられていた。本格的な舞台装置でプロと同じであった。下司の私はこれだけのものを作るとお金が相当かかるだろうなと思った。

 とくに大和楽「あやめ」、清元「お祭り」、長唄「近江のお兼」、清元「玉や」、長唄「菊づくし」、長唄「連獅子」などが舞台いっぱいの大きなものであった。

 踊りそのものは、舞台の中央で踊り、余り大きく動かないのが多いのであるが背景が立派だと踊りも映える。中には「近江のお兼」のように相手役がトンボを切るものや「お祭り」のように長い指物を使って捕り物をするのもあった。

 長唄では舞台の上手に10人とか10数人の演奏者が壇にならんで、三味線、鼓、笛、太鼓などの演奏をし、歌い手が長唄を歌った。それで舞踊だけでなく、日本の古典音楽のコンサートを楽しむことができた。

 観ながら思ったのは、江戸時代にすごい和服の衣装を作り、長唄や清元や常磐津などを作ったことは何と素晴らしいことだということである。日本舞踊は当時はどこで踊られたのであろう。お座敷だけであったのだろうか。

 江戸の文化を今に伝えて素晴らしい舞踊公演であった。

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2015年6月14日 (日)

たかが折り紙、されど折り紙ーその進歩に驚く

 2月14日にNHKで放映されたスーパー・プレゼンテーション「The Math and Magic of Origami]を録画しておいて、やっと見た。

  このプレゼンテーションは、Robert Langという科学者によってなされたものである。驚いたのは、複雑な形をした、とても折り紙では折れないようなものー例えば、カマキリとかクワガタとか―まで折り紙で折ることができるということである。それを可能にしたのは、何と数学と結びつけたことであった。

  Robertはカルフォニア工科大学を卒業し、半導体レーザーの研究で博士号を取っている。彼は6歳の時、学校の先生から折り紙の本を与えられて、虜になったそうだ。10代前半から創作折り紙を始めて、大学でも創作と研究を続け折り紙作家でもある。

  折り紙は江戸時代に日本で始まり、日本人なら誰でも子供の頃に折り紙を習っている。中でも折り鶴は日本の折り紙の象徴でもある。

  折り紙を飛躍的に発展させたのは、Robertによると日本人の吉原章さんで、彼は2万もの折り紙を作り出したそうだ。彼の功績は折り紙の折り方を本できちんと説明したことで、それによって世界に広がることになったのだ。オリガミは今やカラオケのように世界で通じる言葉である。

  Robertは折り紙を数学と結びつけて、コンピューターで折り方のデザインをし、線にもとづいて折っていくと出来上がるようにした。ライオン、ニワトリ、クワガタ、ピアノを弾く人などをプレゼンの中で見せてくれた。

  折り紙のもう一つの素晴らしい成果は、それが人工衛星の太陽電池を折りたたんで運ぶことや大天体望遠鏡をたたんで運ぶことなどに応用されていることである。 

 少し前に折り紙を使ってある国の極貧の子どもたちを元気にしているという日本女性のニュースを見たが、折り紙がいろんな形で使われていることを誇らしく思う。

 ●スーパープレゼン

 http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/150204.html

 

 ●Robertの作品と本人の出演

 https://www.youtube.com/watch?v=xzcaYbSfkTs

●無料公開している展開図の検索

  robert lang origami daiagramで検索するといっぱい出ている。

「robert lang origami diagrams」の画像検索結果  「robert lang origami diagrams」の画像検索結果

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2015年5月21日 (木)

昭和区平和美術展

 5月16日に、ボランティアに行った帰りに、名古屋市博物館に立ち寄って「第9回昭和区平和美術展を見てきた。主催したのは昭和区九条の会であった。

  この美術展の特徴はジャンルが幅広いことだ。絵画や書や写真だけでなく、木工や洋服や着物から折り紙まで展示してあった。本当のケーキかどうかは分からないがケーキのようなものもあった。

  それともう一つ、出品者の年齢層が幅広く、幼稚園児から高齢者までが出品していた。さらに昭和区だけでなく、他の地域からの出品もあった。米国在住の方の母親の肖像は素晴らしい作品であった。幅広さは出品料が1点500円という安さも関係しているのかもしれない。

  まだあった。それはプロから素人まで出品していたし、身体障害者も多数出品していてとてもいいことだと思った。

  会場の入り口に展示してあったダウン症の人の「きららハウス」のみなさんの「春の絵手紙」はいきなり目を引いた。巧まざる色や形がとてもよい。こういう絵手紙もあるのかと思った。

 会場の一番奥の部屋には、名古屋大空襲についての詳しい資料が展示してあった。それを見て今住んでいる我が家の場所は、3月12日の空襲で焼けたらしいと知った。空襲で焼けて今も庭を掘ると瓦礫がいっぱい出てくるが、何時焼けたのかは祖父母から聞いてなかったので知らなかったのだ。

 一般市民が住んでいる住宅地を、無差別に焼夷弾で焼き尽くしたアメリカの非道さは、南京大虐殺以上の酷さだと思う。日本全土の都市を見差別に爆撃したアメリカは鬼畜としか言いようがない。その点では、「鬼畜米英」は正しかったと言える。

 もう一つ目を引いたのは、ピカソのゲルニカを新聞紙を使ってみんなで作ったという作品だ。中日新聞にも紹介されたものだ。

 今安保法制整備の法案11本が国会に提出されて、安倍政権はせっかちに今国会で成立させようとしている。その時期に平和美術展が開催され、戦争と平和について喚起したのは大変よいことである。しかもそれを平和な時代でないとできない美術展という形やられたのは素晴らしい。そういう意味でも今年の美術展は大きな意味を持っていると言えよう。

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                    きららハウスの絵手紙

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                      共同作品ゲルニカ

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                 紙雛とパッチワークとありんこの絵

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                         書

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                        折り紙
         

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                          写真




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2014年10月31日 (金)

安藤日出彦回顧展

 畏兄安藤日出彦が亡くなり、その回顧展が10月30日から11月3日まで、gallery White Cubeで開かれている。場所は、地下鉄丸の内駅3番出口から出て、桑名町通を北に100mぐらい進んだところにある。ホテル123の向かい側、ビッグベン丸の内の4階である。2番出口からも行くことができる。

   彼は私の従兄弟で、広告デザイン専門学校の創設者である。(広告デザイン専門学校のURL:http://www.kdps.ac.jp/episode/2014031212214891.html

  多くのデザインの道を志す若者を育てる傍ら、自らも絵筆を執って作品を創作した。彼は生涯戦争を憎み平和を大切にし、それを作品によって表現して訴えたユニークな画家でもあった。

 一番強い感銘をうっけたのは、太平洋戦争で米軍機によって無差別爆撃を受けた犠牲者の名を刻んだ絵である。分かっている1人ひとりの名を刻んで行くという大変な仕事で、腱鞘炎になったと話していた。

 私は彼のその作品を見て、米軍の無差別爆撃が人道に反するものであり、それについて日本政府も国民も非難してこなかったことに気づかされた。以来私は米軍の無差別爆撃を機会があるごとに取り上げてきた。

  また、彼は憲法九条の条文や憲法前文をキャンバスに記し、それを絵として表現した。回顧展会場には憲法九条に関する絵が展示されている。

  安倍政権によって集団的自衛権行使が閣議決定されたことを扱ったものと思われる「阿修羅九条」という作品が大小2点展示してある。

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                       空襲で焼けた生家

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                    歳とって見える自画像

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                       阿修羅九条小

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                題名不明(米軍爆撃で燃え上がる街?)

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                      阿修羅九条大

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2014年8月23日 (土)

国字と和製漢語

 日本の家庭では子どもの躾がやかましく言われた。戦前は特に「あそこの家は躾がなっとらん」とか「躾が行き届いている」とかよく聞いたものである。この「躾」という字は実によくできた字で「身を美しく」である。この漢字は中国にはない。躾に近い単語は「教育」または「教養」である。この漢字は国産(made in Japan)なのだ。「国字」という。

 中国伝来の漢字では表しにくいものを、新たに漢字もどきを創ることで表現を豊かにしたのだ。いったい誰がどのように創りだしたのか知らないが素晴らしい創造力である。

 峠という字もよくできた字だ。凪もそうである。風が止まると凪だ。日本では神道が上古からあるが、榊はいつごろ創られたのであろうか。神に捧げる木とはうまい。

 国字は1500ぐらいあると言われるが、人によっては2500もあるという。多いのは木偏の字で、次に多いのが魚偏の字だそうだが、山国で四季がある日本では木偏の字が多いのは頷けるし、魚を食して来た日本で魚偏が多いのも納得である。寿司屋へ行くと魚偏の字を茶碗に書いたのを置いてある店もある。

 中国の康熙辞典には6万もの字が収録されていると言われるが、その上に更に適切な字を作り出した日本人は素晴らしい。

 日本人の素晴らしいのはもう1つ、新しい漢語を作り出したことである。主に幕末以降西洋の科学や経済や法律などを輸入したときに翻訳するために創りだされたもののようだ。

 文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、階級、分配、宗教、哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、物理、化学、分子、原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、美術、喜劇、悲劇、社会主義、共産主義・・・・など。

 これらの多くの和製漢語で留学生らによって中国に持ち込まれたものがたくさんあり、中国の「漢語外来詞詞典」には、中国で定着した和製漢語が900語近く収録されているという。(日本語は天才であるP.52)

 共産や人民共和国が和製漢語であるというのは面白い。毛沢東は和製漢語容認派であったからだろうか。

 日本人は明治時代ぐらいまでは論語など漢籍の素養が重視され、漢語が多用されたが、明治以降本場の中国に和製漢語が輸入されて使われているというのは興味深いことだ。そのお蔭で我々は簡体字を習えば漢字から何となく意味が分かる場合があるし、中国人も日本の字を見て分かる場合が多い。

 以前にも書いたことだが、韓国とベトナムが漢字を廃止してなければ大変便利であったろうにと思うのである。

 いずれにせよ、日本人は漢字を自家薬篭中のものとして使いこなしてきた訳で、柳瀬氏はそれを「日本語は天才である」の理由の一つに挙げているのだ。

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2014年8月22日 (金)

平仮名と片仮名の創作

 万葉仮名を使って大和言葉を書き表しているうちに、いつのまにか片仮名カタカナと平仮名ができた。一般に片仮名の方が早くできたとされているようだ。800年頃と言われる。平仮名は900年頃と考えられているそうだ。

 片仮名はイ→伊、ロ→呂、ニ→仁のように漢字の一部分を切り取って作られた。そして僧侶が漢文を読み下すときの助けとして使われたという。

  平仮名は、漢字を速く書くためにくずして草書で書くうちにできたものだ。あ→安、い→以、う→宇のように。片仮名も平仮名も音標文字で音を表すだけである。「あ」の音を表す漢字は「安」の他に「阿」とか「亞」などあるが「安」になったのはどうしてだろうか。

 平仮名は、平安時代に上流の女性の間で使われている間に定着したものであろう。和歌を書いたものを見ると、「か」は「加」からできたのだが、他に「可」も使われているし、「の」は「能」も使われている。変化を持たせる美学からそうしたのであろう。

 二種類の仮名文字の創作は日本語にとって画期的なものであった。もし、今も万葉仮名が使われていたら・・・・大変だということがよく分かる。

 ハングルは人工的に作られた音標文字だが、それより以前に片仮名、平仮名という音標文字を作りだしたのだから、平安時代の日本人は実に素晴らしい文化遺産を作ってくれたといえる。

 漢字かな混じり文によって、書きやすくなっただけでなく、読みやすくなり、表現の幅もグーンと広がった。

  中国語では、英語などの外来語表現が非常に苦手である。ケンタッキーを「肯徳基」と近い音で表したり、パイナップルを「鳳梨」のように名づけをして表したりしている。そこへ行くと日本語はかなり近い音を表せて大変便利である。しかも現代では外来語はカタカナで表すことになっているから分かりやすい。この容易さが外来のローンワード(借用語)がやたらに多い原因になっているのかもしれない。

 小学校の1年の4月で平仮名を覚えることになっているが、平仮名を覚えた子どもたちはすぐに作文を書くことができるようになる。それが平仮名の素晴らしいところである。外国人が日本語習うときも平仮名を覚えればすぐに単語や短い文を書くことができる。

 英語などはたった24のアルファベットを覚えるだけだという人がいるが、とんでもないことだ。単語の一つひとつのスペルを覚えなくてはならないのだ。そこへいくと日本語は頭の中にあるものを平仮名に置き換えるだけでよいのである。

 平仮名やカタカナがあることでルビを振ることができる。朝日新聞に連載中の夏目漱石の「こころ」にはたくさんの難しい漢字が使用されているが、ルビが振られているので読むことはできる。私などは中学、高校の頃明治時代の文豪の作品を読んだものだが、このルビでどれだけ助かったか知れない。

 ただ、「宅」を「うち」、「原」を「もと」のように読ませている場合があるからそれが正しい読みだと信じてしまうと大変な間違いになる。あくまでも漱石の表現法に過ぎないのだから。

 平仮名は藤原行成などが書いた和歌を見れば分かるように連綿に適している。昔は縦書きであったから続けてサラサラと書くにはまことに具合がよかったのである。日本では中国や韓国にはない「かな書道」が発達したのも平仮名があったお蔭である。

 表意文字の漢字と音標文字の仮名を適当に混ぜて書かれる日本語は大変便利な言語である。一時ローマ字表記にせよという主張をする人がいたが、とんでもない話である。しかし、アルファベットでローマ字表記も可能というのは凄いことである。

 

 

 

 

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