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2024年4月29日 (月)

がんで死ぬのが一番という記事

 スマートニュースを見ていたら、「じつは『老衰死』は悲惨…医師たちが『死ぬなら、がん』と口を揃えて言う『意外なワケ』」という記事があった。私もガンがあるので読んで見た。

 ポックリ死や老衰死は楽ではないという説明があって、その後にがんで死ぬのはなぜよいかということが書いてあった。

 まず、がんは治療さえしなければ、ある程度の死期がわかるので、それに向けて準備ができるというのだ。行きたいところへいったり、、会いたい人にあったり、食べたいものを食べたり、見たいものをみたり、聴きたいものを聞いたり、したいことをすることができるというのだ。

 己の来し方を振り返り、いろいろなことを思い出して、自己肯定したり、苦笑いしたり、感謝したり、自分をほめたりして、人生を慈しむ時間的な余裕もあるというあとは死ぬだけなのだから、何の努力も我慢も必要なく、自由気ままにすごせるという。

 その上、超高齢の不如意、不自由、情けなさに直面する危険も確実に避けられるからこんな安心なことはないという。

 医者はそうしたことを知っているから「死ぬならがん」と言うのは当然と言えるだろうという。

 がんで死ぬときに大事なことは、無理に治ろうとしないことだという。かつては、がんは治るか死ぬかのいずれかだったが、今は、治らないけれど死なないという状態が作られているといい、いわゆる「がんとの共存」なのだ。

 がんを根絶しようと思うと、過度な治療を受けて副作用で苦しんだり、場合によっては逆に命を縮めてしまったりする。過激な治療ではなく、ほどほどの治療でようすを見て、治療の効果より副作用のほうが大きくなったら、潔く治療をやめる。これががん治療の要諦だというのだ。

 治療をやめたら死ぬと思うかもしれないが、治療を続けても、さらにはがんを根絶しても、人は死ぬ。死にたくないと思うのではなく、上手に死ぬというふうに発想を変えれば、治療の中止も大いに好ましい選択であることがわかるだろうという。

 私も治療をしないのは、手術によって身体に大きな傷を作り人工肛門をつけたり、治療薬の副作用でQLOを失うことを避けたいからだ。
がんが進行するとどのような苦しみがあるのかは未知のことであるが、近藤誠医師や和田秀樹医師やこの記事のいうことを頼りにしてがんと生きて行きたいのだ。

 

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