「どこ行くの?」という挨拶
3月15日の朝日新聞「折々のことば」(鷲田清一)は次の様なものであった。
人間は意味のないことをやりとりするときにこそ、仲がよくなる。
伊藤雄馬
タイの少数民族・ムラブリの言語研究者は、「どこいくの?」という挨拶一つとっても、声をかけあうこと自体に意味があって、正確な情報を求めているのではないと言う。むしろ返答は「テキトー」なほうがいいのだと。『ムラブリ』から。
そういえば私も若い頃、近所の一世代上の人と毎朝こんな挨拶をしていた。「どちらへ?」「「ちょっとそこまで」「早うお帰りやす」。
これを読んで、私も子どもの頃道で友達と遇うと「どこいくの?」と言っていたことを思い出した。大人の人も同じようなことを言っていた。
この他愛もない挨拶はどの辺りで使われていたのだろう。私が育ったのは南紀新宮市であった。鷲田さんは「早うお帰りやす」と言っているから京都あたりのようだ。
「どこいくの?」は大人になってからは使っていないから名古屋近辺では使われていなかったのか、それとも自然に消滅していったのかどちらだろう。
いつのころからか近所の人との付き合いもなくなった。よく知っている人とは「こんにちは」などと挨拶をするが、そうでない人とは挨拶をしない。「隣はなにをするひとぞ」である。
「どちらへ?」とか「どこ行くの?」などと挨拶をしていた時代は人との関係があって良き時代であったと思う。
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