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2023年6月25日 (日)

初めて知ったペリーの鋭い眼力

 スマートニュースを見ていたら、次の記事のタイトルが目にとまった。

 「黒船」が日本にきたとき、実は「ペリー」もまた「驚愕」していた…彼が「日本人」について語った「驚くべき内容」というものだ。

 ペリーは当時の日本のどんなことに驚愕したのかと思って読んでみた。それは記事の最後の部分にあった。

 ペリーが驚いた日本人の技術力

 世界がヨーロッパの列強によって植民地化されていく中で、その動きから隔絶されたかのような「鎖国」という長い眠りについていた日本。ついにその波が到達したのは、1853年にペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船4隻が、江戸湾入り口の浦賀沖(現在の神奈川県横須賀市浦賀)に来航したことだそれまで交流のあった外国といえばおもには側の朝鮮や中国そして唯一の西洋国オランダであった。そこへ太平洋から突如、異国の船が出現したことは衝撃的であった。

 「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった4杯で夜も寝られず」という狂歌が作られたほどであった。

 日本の近代化はこのとき始まったといってもよいだろうと記事は言う。

 記事によると、ペリーには、長い歴史をもつ閉ざされた神秘の国の扉を最初に開けるのは、新興国の米国でありたいという強い意識があったようだという。ペリーは彼の個人的な願望で日本に来たとは思えないのだが、記事によると、日本についての資料を読み込んで研究したというのだ。そして、彼は、幕府を開国させるには毅然とした態度で圧力をかけることが必要であると確信し、多数の新式大砲を備え、防水・腐食のためのタールを黒々と塗った「サスケハナ」を旗艦とする大型蒸気船をそろえて視覚的にも威圧感を強めたのだという。

 旗艦の「サスケハナ」という名は如何にも日本的だが、調べてみたら、米国ペンシルベニアを流れる川の名で、「広く深い川」という意味だそうだ。この4隻の「黒船」により、日本は200年以上も閉ざしていた港を開かざるをえなかった。

 記事は続けて次のように書いている。ペリーの日本来航時のエピソードをまとめた『日本遠征関連逸話集』(在NY日本国総領事館のウェブサイト)によれば、ペリーは寺子屋や藩校などで学ぶ日本人の教育水準の高さや、職人の腕のよさ、礼節を尊ぶ国民性に感嘆しているという。
 

 中国や他の東洋諸国では女性が夫の従属物のように扱われ無知の中に放置されているのに対し、日本女性は夫の伴侶であり、教育や品位があるとし、既婚女性のお歯黒は奇異ではあるが一夫多妻制もない日本は、道徳や規範において東洋諸国のなかで異質であると、好感を表しているというのだ。

 とくにペリーは日本人が潜在的にもっている技術力の高さを見いだしたという。ペリーは次のように述べたという。

 「日本人は非常な精巧さと緻密さを示している。そして彼等の道具の粗末さ、機械に対する知識の不完全さを考慮するとき、彼等の手工業上の技術の完全なことはすばらしいもののようである。日本の手工業者は世界におけるいかなる手工業者にも劣らず熟練して精通しており、国民の発明力をもっと自由に発達させるならば、日本人は最も成功している工業国民にいつまでも劣ってはいないことだろう。他の国民の物質的進歩の成果を学ぶ彼等の好奇心、それらを自らの使用にあてる敏速さによって、日本国民と他国民との交通から孤立させている政府の排外政策の程度が緩和されるならば、彼等はまもなく最も発達した国々の水準まで達するだろう。日本人が一度文明世界の過去及び現在の技能を所有したならば、強力な競争者として、将来の機械工業の成功を目指す競争に加わるだろう」

 ペリーの見る眼は確かであった。開国をした日本はヨーロッパから工業技術や経済や法律や政治制度などを学んで取り入れて急速に欧米に追い付いたのであった。

 この記事を読むまではペリーのことは何も知らなかった。ペリーの凄さに驚くと共に、日本人であることを誇らしくも思った。

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