鯉のぼりを見なくなった
5月5日は子どもの日であった。スーパーへ行ったら、ちまきや柏餅などをたくさん売っていた。値段を見たら結構高かった。
昔は子どもの日と言えば鯉のぼりが空に泳いでいるのを見たものだが、いつのころからか見なくなった。今年も全く見ない。
アパートやマンションだと鯉のぼりを揚げることができないが、戸建の多い地域でも鯉のぼりを見ない。ある一軒の家の入口に高さ1メートル余りの鯉をぶら下げてあるのを見ただけだ。
私の住む近辺では子どものある家は2軒だけで、年よりばかりである。その年よりも施設に入っていて事実上の空き家になっている。
全国的にも子どもが減ってきているし、高齢者が増えているし、空き家も850万戸と言われる時代だ。鯉のぼりを見ないのも無理からぬ話である。
鯉のぼりを見るのは、テレビで川などにロープを渡して何百もの鯉を泳がせているのを見るくらいだ。要らなくなった鯉を集めたのだろうか。
愛知県岩倉市の五条川では鯉のぼりを川で曝しているのが風物詩であるが、いまもやっているのだろうか。鯉のぼりが売れなくなってやめたかもしれない。
ひな祭りの頃にはスーパーで「明かりあげましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花・・・」という童謡が流されるが、子どもの日のころは「屋根より高い こいのぼり 大きいまごいは お父さん ちいさいひごいは こどもたち おもしろそうにおよいでる」の童謡は流されていない。
ネットで調べてみたら、次の様な説明があった。
5月5日を端午の節句にしたのは、中国の漢(かん)の時代のころからで、 その頃の中国の人たちは、野原に出て、よもぎや菖蒲(しょうぶ)などの 薬草(やくそう)をつむ日にしていた。
そのならわしが、日本に入ってきて、菖蒲をさし、 武者人形(むしゃにんぎょう)を飾る日にかわり、 やがて「子どもの日」として、1948年から国民の祝日になった。
5月は菖蒲の花の咲く頃で「菖蒲の節句」ともいわれてきた。菖蒲は 尚武(しょうぶ)<武をとうとぶ>と 同じ発音なので、江戸時代の武士は、子ども達が、強くたくましく育つために、5月5日になると、家の中に、 よろいかぶと、太刀(たち)、太鼓、 それに金太郎や強そうな武者人形を飾った。
こいのぼりは、それに対抗して町の庶民(しょみん)がたてたのが始まりで、 これも江戸時代中期からのならわしである。
滝をのぼる本物のコイのように、男の子が元気に育つことを願ってたてる。
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