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2023年4月23日 (日)

仏教の葬儀法要は改革したらどうか

 先日は知人の葬儀で浄土真宗の葬儀に出た。今度は親戚の曹洞宗の法要があった。その時思ったのは、葬儀や法要で僧侶がお経をよむことについてであった。参会者は数珠を持って僧侶の読経の後ろの席に座っているのだが、僧侶のお経が鐘や木魚の伴奏で朗々と唱えられるのを耳にするだけで、意味が全く分からないのだ。

 真宗の場合、南無阿弥陀仏の部分はわかるが、曹洞宗の場合は全くちんぷんかんぷんである。

 長いお経の場合は僧侶は経典を広げて読んでいる。読んでいる当人は意味が分かって読んでいるのか、そんなことはお構いなしに読んでいるのだろうかと思った。昔の人はそういう読経を有難がって聞いたのだろうが、今の人たちはどう聞くのだろうと思った。

 ずっと以前どこかの葬儀のとき、参会者にも経典が配られ、それを見ながら読経を聞いたことがあった。いいアイディアだと思うが予備知識なしでいきなり経典を見ても意味は分からないのは同じであった。

 私の知り合いの人で、お経のCDを買って、それをかけて自分で法要をするという人がいた。それも一つのやり方かもしれない。

 この頃は葬式のやり方も変わってきて、近親者で済ませることが多くなった。以前は新聞に企業関係の訃報が載って大々的に葬儀が行われていたが、最近は全く見なくなった。有名人でも近親者でやるようである。

 葬儀のやり方も大きく変わる時代、葬儀の内容も変えるべきだと思う。分からないお経を聞かせるのではなく、意味の分かる現代語のお経にして読経をすると参会者にもよくわかり、退屈もしないのではないだろうか。

 私はキリスト教の葬儀は知らないが、テレビでドラマなどで見ると、カトリックの場合は讃美歌が流れたり、聖職者が聖書の一節をよむようだ。 讃美歌はお経と違って聴いていてとてもよい。

 日本ではキリスト教徒ではないのに結婚式はキリスト教会で挙げる人が多い。ネットで調べたら信徒でなくてもキリスト教的葬儀をする人もいるようだ。やがてはそういう人がふえるのではないだろうか。

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