鉄道開業150周年 汽車の思い出
10月14日は日本の鉄道が新橋と横浜の間で開業してから150年になる。「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として」で始まる鉄道唱歌は子どものころ自然に覚えた。ただ、この歌が334番まであるのは今知ったことである。歌っていたのはせいぜい10番ぐらいまでであった。
子どもの頃は鉄道と言えば汽車であった。南紀の新宮に住んでいたので新宮駅から大阪の天王寺までと三重県の木の本町まで鉄道があった。動力は勿論蒸気機関車であった。新宮駅は紀勢線の事実上の終点であったので操車場もあった。駅に行くといつでも蒸気機関車が煙を吐いているのを見ることができた。
中学生になると夏には毎日のように海水浴に行ったが、隣の駅の三輪崎とか4つ先の宇久井まで汽車で行った。その頃は蒸気機関車が引っ張る汽車しかなかった。気動車はなかったと思う。
汽車に乗ると窓を開けておくと煙が入ってきて煤が目に入ることがあった。大阪までは10時間ぐらいかかったと思うのだが、それだけ長時間乗ると顔が煤で黒くなった。
戦時中は和歌山に近い下津だったと思うが、そこを通るときは窓にブラインドを下すことになっていた。何でも要塞があるということであった。
汽車の時代でよかったのは、座席が向かい合いの4人席になっていたので見知らぬ人と知り合いになることであった。
大学に入ったとき、名古屋から東海道線で新宮に帰る時、自転車を製造会社の社長と一緒になり、話をしているうちに自転車が欲しければいつでも来なさいと言ってくれた。それで名古屋に戻ると自転車を買いに行った。時価よりも安く買えたのを覚えている。その自転車は大事な交通手段となった。
同じ席で知り合うと食べ物をもらうとか情報がえられるとかいろいろいいことがあった。あの頃の汽車の旅は本当に良かったと思う。
「汽車 汽車シュッポシュッポ シュッポシュッポシュポポ 僕らを乗せてシュッポシュッポ シュッポポ スピード スピード窓の外 畑もとぶとぶ 家もとぶ 走れ 走れ 走れ 鉄橋だ 鉄橋だ たのしいな」と童謡の汽車ポッポにも歌われているように子どもたちも大好きであった。
石炭を燃やして走る上記機関車は重量感があったが、今では電車にとってかわられた。公害をまき散らすということで存続できなくなったのだろう。
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投稿: たりらりら | 2022年10月12日 (水) 11時22分