良妻賢母という思想
「良妻賢母」というコトバは昔はよく見たり聞いたりしたが、いつの頃からかあまり見聞きしなくなった。
8月28日の朝日新聞の「1920s~2020s」という記事の中で、京都大学の落合恵美子教授(家族社会学)が「家事と育児を担い、家庭を守るのが女性の最も大切な役割だとする良妻賢母思想は、明治期に西洋から入っていた『ハイカラ』な考えだったのです」というコトバが引用されていた。久しぶりに見るコトバであった。
良妻賢母という思想が西洋から移入されたものであることは知らなかった。日本の儒教から来たものだと思っていた。
ネットには別の解説もあった。(ソフトブレーン)
「実はこの『良妻賢母』こそ、大いなる誤解です。皆さんはご存じないと思いますが、この『良妻賢母』のもとは中国にあり、語源は『賢妻良母』なのです。なぜか日本では都合よく逆に変えられたのです。」とあった。
さらに「中国では奥さんとは夫、子供、そして家族や親戚との関係を上手く処理し、孟母三遷が示すように教育にも深い理解があり、旦那の良き理解者でありながら耳に痛いアドバイスも上手くできる人のことです。このような役割は企業の副社長や専務と同じであり、自分の価値観をしっかり持ちながらも矛盾やトラブルを解決する賢い人でなればとても勤まりません。」と続けてあった。
良妻賢母は中国とも関係がありそうだとわかったが、この思想は女子が尋常小学校卒業後に進んだ高等女学校の教育目的になった。
文部大臣の樺山資紀が明治32(1899)年の地方視学官会議において,「高等女学校ノ教育ハ其生徒ヲシテ他日中人以上ノ家二嫁シ,賢母良妻タラシムルノ素養ヲ為ス二在リ」と述べており,高等女学校には,良妻賢母の育成が期待されていたことがわかる。
ここでは「賢母良妻」と「賢母」が先に使われている。「良妻賢母」なる言葉はいつどのようにして広まったのであろうか。
私の母はまさに高等女学校で良妻賢母の教育を受けた最初の頃の世代であった。主婦として家事の切り盛りをし、私たち子どもを教育した。戦時中は良妻賢母は忠君愛国のように大切な女性のモラルであった。
戦後は新憲法によって男女平等がうたわれたが、真の意味の男女平等の思想が普及するには長い時間を要している。その時間の中で「良妻賢母」はフェイドアウトして行った。
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