子どもの頃の夏の過ごし方
連日の真夏日、テレビでは高齢者は特に気を付けるようにと毎日注意を促している。熱中症にかかった人の半数は高齢者だという。私は高齢者だから注意に従ってエアコンやサーキュレーターなどを使っているが、エアコンをつけていても汗ばむ暑さだ。
そんな中、子どもの頃のことが思い出された。その頃は団扇と扇子が暑さをしのぐ道具であった。もっとも、子どもの頃と言っても国民学校1年~4年は戦時中であった。夏をどのように過ごしたかは覚えていない。太平洋戦争が始まってからは戦地の兵隊さんのことを思えば暑いなどと言えない時代であった。戦争が激しくなり、米軍のB29が毎日空を飛んで行くようになってからはそれこそ暑いなどと言うどころではなかった。
ネットで調べたら、8月15日の終戦の日は暑かったというが、それでも26度ぐらいであったようだ。その程度なら暑いとまではいかない。
戦後のことはよく覚えている。夕方母が沸かしてくれた湯をたらいに入れて行水をした。行水をすると汗がとれてさっぱりした。その後はパンツだけで裸で過ごした。
「夕涼みよくぞ男に生まれけり」という川柳があるが、男はみなふんどし1枚の裸であった。女性でも中年以後の人は腰巻だけで上半身裸の人が多かった。我が家の近所では女学校の校長先生の奥さんだけがシュミーズ姿であった。シュミーズというのも今では死語となったようだ。
夕食を食べた後は、近所の人や子どもたちが団扇を持って集まって夕涼みをした。9時過ぎになると少し涼しくなるので家に帰って寝た。
寝るときは蚊帳をつってその中に入って寝た。蚊を蚊帳の中に入れるといけないので団扇で蚊を追い払っておいて素早く潜って入った。
蚊帳の中は風が通らないので暑かった。我が家には小さな庭があって障子も雨戸も開けっ放しで寝たがそれでも暑かった。
当時は冷たいのは井戸水であった。近所に誰でも使える井戸があったのでバケツを持って行って井戸水を汲んできたものであった。
今から思うと信じられないような夏の過ごし方であった。
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