サツマイモの思い出
この頃のサツマイモは紅あずま、紅はるか、鳴門金時などみな赤い芋ばかりである。味は確かに甘くておいしい。子どもの頃は白い芋が多かったように思う。
戦時中戦後は食料難でサツマイモが主食であった。小学校の運動場も一面サツマイモ畑になったことがあった。
父は知りあいの山の梅林を借りて、そこでサツマイモを作った。私も畑を耕すのや芋の蔓を植えるのを手伝った。指で穴を開けて蔓の先を刺し、蔓をを置く溝を作って土をかぶせ、水を撒いた。
サツマイモの配給もあった。サツマイモは貴重な食料でしかも量が少ないので、父は棒で天秤量りとつくり、食事の時にその天秤で一人一人計って分けた。父は働くので一番多く、私は手伝うので兄弟の中で一番多かった。でも、小さなかけら3つぐらいだったと思う。
芋は白芋で、おかまで蒸した。少しべっちゃりした黄色い中身であったが甘みは薄かった。名前はあったが忘れてしまった。
たまに米があるとき、お釜で芋かゆを作った。少量の米、たっぷりの水、そしてサツマイモを切って入れた。
焼き芋にすることもあったが、薄く切ってフライパンで焼いた。これはおいしいと感じた。その味が忘れられなくて食物が豊富になった結婚したあとも時々焼いて作った。その後焼き芋が作れる鍋を買ってからは丸焼きの焼き芋を作っている。最近の紅あずま、紅はるか、鳴門金時などいずれもおいしい。
先日焼き芋の残りを妻が夕食に出したので、戦前戦後のことを思い出したのであった。
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