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2021年12月 8日 (水)

NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」で日米開戦について知った

 4日に放送されたNHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争 前編」が面白かった。

 1941年12月8日に始まった太平洋戦争。長きに渡った戦争で国は焦土と化し、日本人だけで310万もの命が失われた。なぜリーダーたちは判断を誤ったのか。そして、なぜ多くの市民が大国との戦争に熱狂したのか。
 

 それを解き明かすために研究者たちが注目したのが、戦時中に個人が記した言葉の数々「エゴドキュメント」である。日本人の心境の変化に迫ろうと、全国600か所の資料館や個人宅をまわり日記を探した。会社員・学生などの市民、国の指導者など、男女あわせて250人以上。12万件にも上るデータ。単語の数は630万に達した。

 その膨大なエゴドキュメントにある言葉をAIに読み込ませ、SNS上の「つぶやき」に見立てて解析AIで解析。激動の時代を生きた日本人の意識の変化を捉えようとしている。

 開戦の前年、社会には戦争とほど遠い空気が漂っていた。都市部ではアメリカブームに沸き、人々は、ハワイアンやジャズに夢中だった。アメリカ文化が流行し反米感情より、むしろ親近感を抱く市民も多かった。

 1940年の前半。市民の関心の最も多くを占めているのが「生活」だ。オムレツ、ポタージュ、アイスクリーム、マカロニ、そしてビフテキ。多彩なメニューを楽しんでいたことがデータからうかがわれる。

 しかし、この年の後半、食生活に変化が起こる。代用品、配給、外米。私は就学前だったが、これらの言葉を覚えている。衣料切符が配られ衣料品を買うのも自由ではなくなった。細長い米の外米はパサパサでまずかった。

 1940年9月27日日・独・伊3国同盟が結ばれた。このことも覚えている。太平洋戦争開戦の大きな要因となったとされる三国同盟。初めて知ったが、のちに真珠湾攻撃を指揮する山本五十六は『三国条約が出来たのは致し方ないが、かくなりし上は、日米戦争を回避する様、極力ご努力願いたい』と言ったというのだ。

 だが、市民の戦争への意識が高まらなかった。専門家が指摘したのは「言論統制」で、政府は三国同盟への批判的な意見を禁止。同時に、反米感情の高まりも警戒していたという。
東條ら軍の指導者たちは、この時点ではアメリカとの決定的な対立を避けようとしていたというのも知らなかった。すでに陸 軍は100万を超す大兵力を日中戦争に投じていた。その上、アメリカと対立する余裕はなかったからだという。

 日本とアメリカの青年たちによる卓球大会。日米親善がことさらに強調されていた。アメリカとの戦争を招きかねない三国同盟を結んだ日本。その一方で「親米」を演出するという矛盾に満ちた政策を推し進めていたという。これも意外であった。

 しかし、アメリカは厳しく中国からの日本の撤退を主張し、飛行機の燃料やくず鉄などの重要資源の輸出禁止が矢継ぎ早に決まった。

 1941年の年が明けると、日本はアメリカの経済制裁の影響であえぎ始める。国は不足した鉄などの資源を補うため、市民から供出させた。街中から金属が消え、経済全体が冷え込み始めていた。この金属供出のことも覚えている。母親が何を出したらよいか悩んでいた様子が目に浮かぶ。

 米国と日本の資源や戦力などの格差が大きいのにどうして軍部は日米戦争に突入したのかと不思議であったが、陸軍が極秘でアメリカとの戦力比較のシミュレーションを行っていたというのだ。『誰もが対米英戦は予想以上に危険で、真にやむをえざる場合のほか、やるべきでないとの判断に達したことを断言できる』というエゴドキュメントが残されているそうだ。

 資源豊富なアメリカとの戦争が2年以上に及んだ場合、日本側の燃料や鉄鋼資源が不足することが判明。これを受け、陸軍大臣・東條らは、日米戦争は回避すべきと判断した。アメリカとの決定的対立を避けるための外交交渉に乗り出そうとしていたという。

 しかし、ドイツが突如ソビエトへ侵攻し、独ソ戦が勃発。日本の運命を大きく左右することになったというのだ。

 独ソ戦により、日本にとって背後のソビエトの脅威がなくなった。その隙に、アメリカの禁輸政策のため欠乏する資源を手に入れようと、インド支那など東南アジアの資源地帯を押さえようとしたのだ。

 アメリカは強く反応し、日本への石油の輸出を止めた。石油の9割をアメリカからの輸入に頼っていた日本にとって、計り知れない打撃だった。軍の指導者たちは、アメリカがそこまで強硬に反応するとは想定していなかったという。

 石油が底をつけば戦争はできない。その強迫観念が指導者を戦争へと駆り立てようとしていた。

 国民の食料不足を補うため、政府がタンパク源として推奨したのは、昆虫食。カイコから絞り出した油を食用油に、絞りカスでうどんを。さまざまなレシピを発表していたという。

 その原因が米・英による経済制裁だから、それをやっつければ生活はよくなると国民が思ったのだという。そこに対米戦争を支持する国民の意識の変化が見られる。

 10月。開戦の2か月前。日米は対立を深めながらも、ぎりぎりの外交努力を続けていた。アメリカが日米交渉の条件として求めたのは「中国からの日本軍即時撤兵」。しかし、その要求は陸軍にとって受け入れがたいものだった。

 その理由は、日中戦争での戦死者18万人以上。東條たち陸軍首脳は、撤兵はその犠牲を無にするものとして受け止めていた。『みすみす撤退するのはなんとも忍びがたい。ただし日米戦となれば、さらに数万の人員を失うことを思えば、撤兵も考えねばならないが、決めかねている』

 10月18日。東條英機は内閣総理大臣となった。アメリカから再び、中国からの撤兵を求められた日本。指導者たちは開戦を決定した。多くの人たちが、新たな戦争は自らのうっ屈を晴らしてくれると信じた。

 東条が首相になったとき、天皇は日米交渉の継続を望んでいたという。アメリカに強く出るべきとする陸軍強硬派を、陸軍の東條に抑えさせる。それにより、戦争を避ける道を探ろうとしていたというのだ。

 この点に関して、12月5日の朝日新聞は一面に「昭和天皇 開戦『覚悟』の秋」という記事を載せている。当時の百武三郎侍従長の41年10月13日の日記に松平区内大臣から聞いた話として「切迫した時機に対し、すでに覚悟あらせられるようなご様子だ」と記載。天皇の気持ちが先行する様子を懸念したと見られる木戸内大臣の「ときどき先行するのをお引止め申し上げている」との発言を記しているという。

 NHKスペシャルの見方とは異なるが、百武日記の出現により専門家の研究で変わるかも知れない。

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