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2021年8月21日 (土)

神も仏も同じー日本人の鷹揚な受け止め方

 日本では神社とお寺が共存し、神社の中に仏教関係のものが一緒になっているのをよく見かける。豊川稲荷、日光東照宮などがそうだ。

 どうして仏教と神社が共存できるのか不思議であったが、YahooニュースでAera dotの「お盆に考えたい不思議な日本人の宗教観 そもそも神と仏の違いとは?」という記事を見つけ、読んでみたら明快に説明がしてあった。

 「お盆で行うさまざまな行事は、仏教のものだと思いがちだが、実は元をたどるとまったく違うことがわかる。もともとのインド仏教には、偶像を作ることも祖先を敬う考えもなかった。」と書いてあるが、原始仏教に興味を持ち多少勉強していたのでその通りである。釈迦は偶像を崇拝すること、死後の世界のことなどは説かなかった。自分自身の心の持ちようについて悟りを開き、それを説いたのだと理解している。

 釈迦の教えは仏教として伝播していくうちにいろいろな物が付け加えられて変化していったのだ。記事では「インドから中国へ伝わった仏教は、儒教などの影響を受け、祖先崇拝の要素が取り込まれた。仏教が東アジアへ広がるにつれ、仏像が誕生し、祖先(自然も含む)を大事にすることで現在に福がもたらされる、といった教えに変化していくのである。」と述べている。

 祖先崇拝が儒教の影響であることは知らなかった。タイやベトナムやマレーシアなどで立派な仏像を見るが、ミャンマー、スリランカなども同じである。どこが仏像の発祥地なのだろうか。ネットで調べたら西北インドのガンダーラ地方もしくは北インドのマトゥーラ地方という説があるようだ。

 「仏壇に置く『位牌』も、本来は儒教の葬礼から派生したものだ。死者の『官位』を書く『牌』(ふだ)という意味から来ていて、日本で一般に広まるのは江戸時代になってからである」と説明している。江戸時代から普及したとは歴史が浅い。仏像は伝来以来作られているから、それまでは仏像を置いて先祖の供養をしていたのだろう。

 祖先崇拝は仏教が入って来る前から日本にはあったそうだ。縄文時代にすでにあったという。それで仏教が日本に入って来るともともと祖先崇拝はそのまま受け入れられたようだ。
 

 「仏教伝来当初は、排仏派(仏教反対派)の物部氏と崇仏派(仏教推進派)の蘇我氏(加えて聖徳太子)が争い、やがて戦にまで発展するほどだったが、次第に(平安時代にはすでに)仏教と神道は融合していき、神社とお寺の線引きはどんどん曖昧になっていく。」と説明している。

 釈迦が説いた仏教は偶像崇拝とか祈りを捧げるとか願望実現を託すと加護とか・・・そういったものには無縁であったのに、現世のご利益を託すものに変わってしまった。天然痘撲滅を祈願して聖武天皇が建立したと言われる東大寺は正式には金光明四天王護国之寺で護国を託している。神社はもともと祈りや加護の対象であるからいいが、仏教も神社と変わりがなくなってしまったのだ。

 神社もまた仏と融合している。八幡神社をは、ながく守護神は八幡大菩薩という名の仏さまだった。記事は次のように説明している。

 「つまり、江戸時代までは神さまでもあり仏さまでもあった。こうして日本では、神さまと仏さまは一体であり、別名をもつものと考えられてきた。天照大神は大日如来であり、素戔嗚尊(スサノオノミコト)は牛頭天王(ごずてんのう)、大国主神は大黒天というように、八百万の神々は仏の化身であるという考え方(これを本地垂迹〔ほんじすいじゃく〕説という)で吸収したのである」。日本史で習ったが忘れていた。何とも融通無碍な考えではないか。

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