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2021年7月 7日 (水)

東日本大震災の津波から村を守った村長がいたことを知った

 16日のNHCの講話であの東日本大震災による大津波から村を守った水門があることを初めて知った。テレビや朝日新聞で東日本大震災の大津波の被害については繰り返し見て来たが、全く被害がなかった村があることは知らなかった。

 日経新聞が報じたのをもとにした話だと聞いたので、帰宅後ネットで調べたら記事が出て来た。

 その村は岩手県普代村で最北端に位置する村だという。普代村は普代川の河口を中心にしており、1896年の明治三陸地震の津波でも大きな被害を受け、死者と行方不明者は1000人以上にのぼったそうだ。

 それを家族から聞いて育った元村長の和村幸得氏が15.5mという高さの水門を作ったのだ。

 和村村長は10年間村長を務め、国や県に水門の必要性を繰り返し主張。約40年前、県と村が35億円を支出し、巨大な水門を建設することが決まった。

 しかし村民は猛反対をしたという。明治時代に大被害を受けたとはいえ、いつ来るか分からない次の大津波に備えるより、その金を他のことに回してやって欲しいことがいろいろあっただろう。しかし和村村長は村を救うという強い信念で断固として譲らなかったのだ。

 明治三陸地震の津波の高さは約15メートルであったが、村長は15.5メートルにすることを貫きとおした。

 東日本大震災の津波で水門をわずかに超えたそうだが民家に被害はなかった。海に近い土地には小中学校の校舎もあった。もし水門がなければ流されていたであろう。

 長さ約200メートルの鋼鉄製の水門は87年に完成。和村元村長は津波の14年前に88歳で亡くなった。もし長生きして水門が村を救ったことを知ることができたならどんなに良かったかと思うのだが。

 でも、反対をした人も含めて村の人たちはみなどんなに感謝をしていることであろうか。凄い村長がいたことを初めて知って深い感銘を受けた。

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