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2021年4月26日 (月)

COVID-19と死

 新型コロナウイルスの蔓延が留まるところを知らず、24日午後8時現在で感染者が56万9575人となり、死者は9980人となった。

 東京、大阪、京都、兵庫の4都府県には3回めとなる緊急事態宣言が出された。我が愛知県も特別蔓延等防止措置の最中にある。

 新型コロナウイルスは感染力の強い変異株が主力に代わってきており、若い人たちにも感染が広がっている。飲食店、特に酒を提供する店は提供をしないようにとか、百貨店なども営業短縮をするなど、人の流れを出来るだけ抑える様な要請が出されている。

 そうした中で、誰がいつ感染するかわからないのが不気味で、知人との会話でも「コロナに気を付けましょう」と言ってもなんだか虚しい感じが否めない。

 毎日額に手を当てて熱があるかどうか確かめ、ときには体温を計ったりしている。体温が低ければほっとした気分になる。
店などに入るとき出るときは手指の消毒をし、マスクもしているが、それでも感染するかもしれないと思うと不安な毎日である。

 先日、知人が行くデイサービスで感染者が出たので、全員PCR検査を受けたそうで、知人は陰性であったと言っていた。

 PCR検査はまだ1度も受けたことがないが、これは行政の怠慢だと思っている。以前にも書いたが、無料で何度でもPCR検査を受けられるようにすべきだと思うのだ。

 PCR検査を受けられず、いつ、どこで感染するか分からない状況の中で、大阪のように医療現場が逼迫してくるとコロナに感染したらおしまいということになる。

 名古屋でも感染をするとすぐに入院したり、治療を受けられるという保証はないと思われる。

 運が悪ければ、「死」が待っているかも知れないのだ。日本でも25日には死者1万人を超すものと思われる。もし新型コロナウイルスがなければ1万人の人は死ななくて済んだはずなのだ。

 運が悪ければと述べたが、絶対効果的な対策がない以上「運」としか言いようがない。そしてそこにあるのは「死」である。我々生あるものは必ず死ななければならないが、それが目の前に来ているかも知れないのだ。コロナによって人間は死と無向き合わされているのだ。そのことを自覚している人がどのくらいいるであろうか。

 ワクチンを接種すればある程度は「死」から逃れられられるかもしれないが、そのワクチンも優先接種の高齢者さえどうなるか分からない状況である。菅首相は7月には高齢者接種が終わると言っているが当てにならないし、64歳以下の人はそのあとである。COVIDー19による「死」と隣り合わせに生活していることを直視しなければならないのだ。

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