すたれた獅子舞と門付け漫才
NHKで30日から再放送されている銀河テレビ小説「たけしくん、はい」を見ていたら昭和30年の正月の場面があった。獅子舞が来ているシーンを見て、そういえば昔は獅子舞が来ていたのを思い出した。
子どもの頃は正月になると獅子舞がやってきた。家々を回るのであったが私は怖くて窓からそっと覗いていた。その頃は獅子に子どもの頭を噛んでもらうと無病息災で過ごせると言われていて、子どもの頭を噛ませる親もいた。幸い我が家ではそういうことはなかったので覗いていただけであった。
裏の農家の家では広い場所があって、そこに獅子舞を呼んで舞ってもらっていた。私たちはそれを見させてもらった。もちろんただである。
獅子舞は「たけしくん、はい」に出てくる昭和30年ごろはまだ名古屋でも来ていた。
獅子舞の他に門付け漫才が来た。三河万歳か尾張万歳かは知らなかったが家々を回っていた。名古屋でも昭和45年ぐらいまでは来ていたように思う。
獅子舞とか万歳とかの正月の風物詩が消えてしまったのは残念な気がするが仕方がない。おそらく後継者がいなくて途絶えて行ったのだと思う。
今年の正月はオンライン初詣というのがあるとテレビで言っていた。ついでに獅子舞とか三河万歳とか尾張万歳もオンラインでやったらよいのにと思う。
※尾張万歳と三河万歳
万歳は新春に家々を訪れ祝言を述べる代表的祝福芸で、古くは千秋万歳【せんずまんざい】と呼ばれる芸能であった。
尾張万歳は仏教系でその起源は、地元の伝承によれば正応年中(一二八八-九八)に長母寺【ちようぼじ】開山の無住国師が「法華経【ほけきよう】万歳」を創始したのが始まりといわれるが、少なくとも室町期には長母寺領であった知多半島に伝わっていたものと考えられる。
その後江戸時代初期に四つの儀式的演目を加え、「御【ご】(五)万歳」と称して、尾張万歳の基本を成立させた。さらに近世を通じて、これらの儀式的な演目に、「福倉持倉【ふくらもくら】」「入込【いれこみ】」「三曲【さんきよく】万歳」「御殿【ごてん】万歳」などの娯楽的な演目を加えて、農民の農閑期の出稼ぎとして、主として関西・中部・関東を盛んに回国した。明治維新後は、これらの回国に加え、遊芸稼人の鑑札を受け、より演芸性を加えて各地を巡業する一座も出現するようになり、演芸としての万才成立の基礎ともなった。
三河万歳神道系は、家の繁栄と家族の健康を祈る寿詞(よごと)を太夫と才蔵の二人で述べる祝福芸として、江戸の大名家や、後の東京の華族の屋敷を訪れ、上がり込んで芸を披露した。
安城の三河万歳は、明治中期以降、尾張万歳の影響を受けた福釜(ふかま)万歳が主流となる時期があったが、昭和45年に三河万歳の正統を継承する別所出身で茨城県在住の若杉昇平から、神道三河万歳を伝授した。伝承演目としては、三羽鶴の舞、七草の舞、天の岩戸開きの舞からなる神道三河万歳、七福神の舞等を舞う御殿万歳、歌舞伎の名場面を題材とした三曲万歳が伝えられている。
芸態としては、神道三河万歳が太夫と才蔵の2人、御殿万歳が太夫1人に才蔵が6人、また三曲万歳は鼓、三味線、胡弓を加えて演ぜられる。
尾張漫才
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