暴力で保たれた日本海軍の規律
12日の朝日新聞朝刊連載小説「また会う日まで」に次の様な一節があった。この小説で「私」というのは主人公で海軍士官学校を出て、艦隊勤務をしている海軍士官である。その者の回想記という形で書かれている小説である。
【この艦についてあまり思い出したくないことに暴力がある。大きな艦ほどこの種の問題が多い。
艦内でしばしば頬を腫らした兵に出会う。青あざになったり、目が開かないほどになったりしながら、それでも何とか務めを果たそうとしている。何の失敗をしたのか、あるいは何を言いがかりにされたのか、上官の殴打を受けた者たちだ。
あるいは前屈みになってよちよち歩く兵がいる。精神注入棒という樫の木の太い棒で、壁に両手をついた姿勢で尻を叩かれた者だ。その晩は仰向けにでは寝られないほどの痛みだと聞いた。
こういうふるまいが合理的な意味もなく横行している。棒1本で海軍精神が注入されるはずがないと私は思った。部下を掌握するために暴力が要るなら、それは上官として何かと足りないものがあるからだ。
しかしこういうことは日本海軍に慣習として定着している。いつも艦の下の方、士官に見えないところで行われる。士官がいたところで大抵の場合は介入しないだろうし、自ら手を上げる者もいるだろう。
そうしなくては艦の規律がたもてないという。兵は殴られ、自分が下士官になると同じようにして兵を殴る。閉じた人間関係の中ではなかなか抑えが利かない。上級士官は黙認、見て見ぬふりをしている。】
この部分の描写を読んで改めて戦時中の軍隊の非情さを思った。精神注入棒のことは周りの大人から聞いていた。上官に殴打されることなども聞いていた。当時の人にとっては当たり前のことで疑問視することはなかったのだ。今ならパワハラなどと言われて問題になるところだ。ただ自衛隊ではどうなっているのかは全く知らない。
戦時中は小学校でも先生に殴打されることは普通で、精神注入棒を教室に置いてある先生もいた。
日本の軍隊の「規律?」というものが暴力と現人神「天皇」というつくられた権威によって保たれていたのだ。「天皇」は暴力装置の源であったと言える。
戦時中はまだ国民学校生であったのでそういう経験を免れて助かったと思っている。もし軍隊に行っていたらひとたまりもなかったはずだ。
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