生まれて初めて能楽堂でのライブの「能」を観た
知人の吉村さんが松月会という能と囃子の公演の案内を送ってくれたので観に行ってきた。プログラムは新聞紙1枚ぐらいの大きなものであった。そこに演目と出演者がぎっしり書いてあった。開催日は勤労感謝の日の23日で、午前9時半上演開始で終演が午後7時であった。
吉村さんが出るのは11時40分ごろからなので開始からそれまでの演目を観るつもりで出かけた。会場の名古屋能楽堂に着くと新型コロナウイルス対策で受付に住所氏名電話番号を記入し、手の消毒をして、大きなモニターで体温を計った。36.4度であった。それを記入した。
会場に入ると、観客はまだパラパラであった。椅子には1人おきに座るように指示がしてあった。私は正面の3列目に座った。
これまで吉村さんは狂言で出演をしていたのでいつも狂言を観に来ていたが、今回は小鼓を打つということであった。
私は日本の伝統芸の能については、恥ずかしながら全く知識がなかった。ライブの能は以前に栄で「薪能」を観たことがあっただけで、能楽堂での能は観たことがなかった。だからある意味で興味深々であったが、分かるかどうかは非常に不安であった。
9時半になると最初の演目「高砂」が始まった。太鼓、大鼓、小鼓、奏者が正面に並び、右手に謡の人が5人並んで演じられた。あの有名な「高砂やこの浦・・・」が聞こえて来た。プログラムには「囃子」と書いてあった。
続いて習の独鼓五段、独鼓鮎の段、私でも名前だけは知っている「敦盛」「羽衣」「四海波」…と続いた。謡独特の素晴しい声で、女性も交じっていた。
バチで叩く太鼓は日本舞踊でも使われている。大鼓(大つづみ)は高い音でよく響いた。小鼓は低い音であったがいずれも大河ドラマなどで聴くあの音である。
「蝉丸」のときは笛も加わったがピーッツという独特の音であった。謡は鼓などの伴奏で謡われるのだが、言葉が聞き取れないことが多く一種の音楽として耳に入って来た。
時間が押して、吉村さんが小鼓で出る「清経」は12時ごろから始まった。能面を付けた女性と男性、それに清経に仕える男性の3人が登場する能であった。清経は1時間も続いた。予め吉村さんが粗筋を送ってくれたので何となく分かった。清経を演じるのは当代屈指の能楽師梅若万三郎師、大鼓は師匠の河村真之介師で、吉村さんはその中で小鼓を担当したのであった。全曲を打つのは初めてであったそうだ。
吉村さんのお陰でよい勉強をさせていただくことができた。私は疲れたので清経を観たら帰った。あとで分かったのだがこの日「能」はもう一つ「葵の上」があったのだ。「清経」の前ぐらいに行って「葵の上」まで見ればよかったのだ。残念であった。
高砂 囃子
清経 能
清経の妻
清経に仕える男
清経の登場
清経
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