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2020年8月11日 (火)

安倍首相の長崎記念式典挨拶のいい加減さ

 安倍首相は長崎の平和記念式典で挨拶を述べた。その中で、「広島と長崎で起きた惨禍。それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に進めていくことは、我が国の変わらぬ使命です」と述べている。

 この部分を読んで違和感を覚えた。その一つは広島と長崎で「起きた惨禍」という部分だが、まるで天災事変のような表現である。広島と長崎では米軍によって原爆を落とされたのだ。しかも、開発した原爆の威力を試す実験として広島と長崎の2か所に落とされた。

 長崎の場合は当初の目的は小倉であったが、当日の天候の悪化で成果が確かめられないので急遽長崎に変更されたという。

 米軍は意図的に原爆を投下したのだ。雨のように自然に原爆が落ちて来たのではない。長崎の場合、6日に広島に原爆を投下したことで、その被害がどんなに酷いものかを知っていて、また投下したのだ。

 戦争を終わらせるためには原爆投下はやむを得なかったと信じている米国人が多いと聞くが、それはきれいごとである。1発でどんな惨禍が引き起こされたか、被爆した広島、長崎の市民が体験したところであり、日本国民の知るところである。

 改めて言う。原爆の惨禍は米国によって意図的に引き起こされたもので、自然災害ではない。この部分は「米国の原爆投下によって引き起こされた」とすべきである。

 「唯一の戦争被爆国として」という部分もおかしい。たしかに日本は米国によって無差別の都市攻撃を受け、無数の爆弾や焼夷弾によって全国の都市が壊滅的被害を受けた。トータルでいえば原爆何個分もの被害である。

 しかし、日本は、広島、長崎は原爆による被爆なのだ。「原爆被爆国」というべきである。この辺にも安倍首相やこの挨拶を書いた官僚の原爆へのいい加減さが露呈している。

 「二度と繰り返してはなりません」。これは広島、長崎の被爆者だけでなく、日本国民全体の決意である。それを国際社会の訴えて、先頭に立って核兵器廃絶を進めていくべきなのだ。その覚悟のほどが首相の挨拶から伝わって来ない。「『核兵器のない世界』の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に進めていくことは、我が国の変わらぬ使命です」と述べているが、例によって抽象的にきれいごとを述べているだけだからである。

 目の前にある「核兵器禁止条約」は棚上げされたままである。世界に恥ずかしいことである。

 また首相は「被爆者の心に寄り添い」と言いながら、長崎原爆資料館訪問は無視したままである。原爆資料館を訪問することが首相にとってどんな不都合があるのだろう。GO TO 長崎原爆資料館!!

 長崎の式典挨拶が広島の挨拶のコピペであったと批判されている。原稿は官僚が書くのだから、長崎の特徴に言及した原稿をつくらせればよいのだ。小沢一郎氏は「どうせ読んだだけ」と評したが、安倍首相の心がこもっていないことを暴露したと言えよう。

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戦争と平和」カテゴリの記事

コメント

長崎の記者会見のあとで、記者の質問事項とそれに対する回答が印刷された紙を見せてしまっている安倍首相の写真がネット上に出ています。
その写真は一瞬を切り取ったものとはいえ、痴呆老人と間違われてもおかしくないしまりのない顔です。
これだから、式典での首相の挨拶はNHKをはじめとしてテレビ各局のニュースでご丁寧に放送されていましたが、文字通り「心にもない」ことを垂れ流しているだけだったのも当然でしょう。
新型コロナ対策も、熱中症で死亡する人数のほうが多いとか、季節性のインフルエンザと大差ない、といった論調がマスコミで増えつつありますが、責任だけは取りたくないという安倍政権を忖度しているのでしょうか?
とにかく、やる気がないのであれば、サッサと辞めればいいだけです。

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