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2020年7月 5日 (日)

ラムネ玉(ビー玉)遊びの思い出

 最近の子どもたちはビー玉で遊ぶのかどうか知らない。多分遊ばないのだろうと思う。100円ショップに行くと綺麗なビー玉を見かけることがあるが、その数は僅かである。

 私が子どもの頃はビー玉遊びが盛んであった。ただ住んでいた南紀新宮あたりではビー玉という言い方はしなかった。「ラムネ玉」と言っていた。

 当時ラムネというサイダーに似た炭酸飲料が人気であった。厚いガラス瓶で首のところにくぼみがあり、そこにラムネ玉が入っていて、炭酸飲料が出てくるのを塞いでいた。道具でラムネ玉を押して下げるとプシュッと音がして、飲み物が玉と瓶の隙間から出てくるのであった。

 遊びに使ったのはその玉ではなくて「一文菓子屋」という子ども向けの駄菓子屋で売っているラムネ玉(ビー玉)を使った。ラムネ玉と呼んでいたのは炭酸飲料のラムネの瓶のものと同じだったからだと思う。

 ビー玉という呼び方を知ったのは当時の少年雑誌の記事に、東京の方ではビー玉と呼んでいると書いてあったからだ。

 ラムネ玉には通常の大きさの玉に2種類あり、ガラスの色だけの普通のものと、中に模様が入ったマーブルと呼ぶものがあった。その他に大きな大玉があった。

 私たち子どもはラムネ玉で遊ぶとき、その頃は道路は土であったから、釘などで遊ぶ場所を畳の大きさぐらいに仕切って、片方の端に玉を並べ、反対の端から相手の玉に投げて命中すれば貰えるのであった。普通の玉は1回当てであったが、マーブルは2回当てで、大玉は3回当てなどであった。

 「一歩あり、一歩なし」というルールがあって、距離が遠いときは投げたとき1歩進んでもよかった。小さい子が一緒の時は「一歩」を許して一緒に遊んだのだった。

 ラムネ玉遊びには「本チャン」と「うんちゃん」があり、「本チャン」は当てた球を自分のものにもらえるが、「うんちゃん」で遊ぶときは遊び終わったら返さなければならなかった。

 学校の先生からは「本チャン」で遊ぶのは禁止されていたが、そんなことのおかまいなく「本チャン」で遊んだものであった。

 私はラムネ玉遊びには強くて、そろばん袋の古いのにいっぱい貯めていた。ラムネ玉遊びはちょっとした路地でやれるし、楽しい遊びであった。

 ラムネ玉を使った遊びには「玉に当てる」以外にゴルフのような遊びもあった。ちょっとしたくぼみを4つか5つ作っておいてそれを一回りして元に戻ってくるのであった。

 右手の親指と人差し指で玉を持って、左手を添えて地面につけ玉を送り出す。そしてくぼみに入れたら次に進めるのであった。一周する速さを競ったのであった。

 先日の「チコちゃんに叱られる」だったと思うのだが、ビー玉という呼び方はどこからきたのかというのがあった。ガラスを意味する「ビードロ」というポルトガル語から来ていると言っていた。

 ラムネ玉遊びで玉を当てるスキルなどが磨かれてよい遊びだと思うのだが、今の子たちはそういうアナログな遊びができる土のあるところがないのでやらないのであろう。 

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