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2020年5月30日 (土)

「エール」の気になる描き方

  NHKの連続テレビ小説「エール」を見ている。作曲家古関裕而氏とその妻金子さんをモデルにしたドラマだ。
 

 「エール」を見ていて気になることがある。それはコメディを意識して作られているのか、時々ドタバタ喜劇の場面があることだ。
 

 例えば、祐一が川俣銀行に勤めたとき、支店長以下同僚が祐一を誘ってカフェーに連れて行ったり、作戦を練って祐一と女給をくっつけようとするとこだ。設定では頭取の養子になり将来は頭取になるだろうと期待されている祐一を、他の行員たちがよってたかってあのように扱うであろうか。
 

 音が姉の見合いに同席した場面で、突然激しく相手の男性を攻撃した場面があった。(金子)音がかなり活発な元気のよい人間であったとしても、あの時代にあのようなことができたであろうか。
 

 祐一が豊橋に音を尋ねたとき、後を追って来た父親と音の母親が結婚のことで話し合う場面で、音の母親が激しく言い募ることがあった。これもあり得ない話である。
 

 早稲田の応援団が応援歌の作曲を依頼に来た場面でも、応援団が玄関からいきなり部屋の中に上がり込み、応援団長が祐一と鼻を突き合わせて頼んでいる。いくらバンカラな応援団だとしてもあのようなことはあり得ないはずだ。

 音が勉強のためにカフェの女給として働く場面でも、祐一の幼馴染の友人との場面でもドタバタがあった。音は気が強いが物おじしない人柄として描かれているが、実際の金子はどうであったのだろうか。

 他にも思い出せないがドタバタ描写がいくつかあった。こうしたドタバタ喜劇調の作り方は古関裕而と金子にはふさわしくないと思うのだ。
 

 古関裕而は子どもの時は非常におとなしい子であったと言われ、ドラマでもそのように描かれている。
 

 ところが大人になってからの祐一はどちらかというとコミカルな言動をすることがよくある。NHKのビッグショーを見たら、古関裕而はとてもシャイでほとんど話さなかったとコメントされていた。ドラマの祐一はそういう古関裕而とは相当かけ離れた人物として描かれている。

  その他にも山田耕作との関係について、古関裕而は少年の頃から耕作に手紙を送り曲も送っていたと言われる。そうしたことがあってコロンビアレコードに推薦されるのだが、ドラマではその辺りが抜けている。志村けんの耕作に会いに行っても鼻であしらわれているが本当はどうであったのだろう。
 

 もう一つ知りたいのは、小学校時代の「大将」と「ボッチャン」が共に作詞家と声楽家として出会うが、実話でもそういう奇跡的なことがあったのであろうか。
 

 ドラマだから題材として実在の人物を取り上げてもフィクションがあるのは当然だが、あまりにもかけ離れていると見ている方は気になる。
 

 「エール」は6月27日で休止となり、それ以後はこれから制作されるようだが、ドタバタ喜劇は止めにして欲しい。なるべく実物を損なわないように描いてほしい。

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コメント

『エール』に続く番組の冒頭で華丸・大吉が「いつ、いつもの志村さんに変わるんでしょう」とたびたびコメントしていますが、早稲田の第一応援歌の座を奪われて益々表情は硬くなるばかりです。
それとは対照的に祐一たちの演技はドリフの大爆笑的といいますか吉本新喜劇的な味付けになっているのは、久しぶりに朝ドラを良く見ている私も気に入りません。
前年の大河ドラマも、嘉納治五郎がわめきすぎる等々おかしな演出であると何度か記事にされていましたが、NHKのこの路線は変わりそうもありません。
安倍首相がPCR検査を1日に2万件にすると繰り返し口にしても、ますます減らす一方の路線が変わらないのと好一対です。

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