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2019年12月28日 (土)

安倍首相の大失言という記事

 YAHOOニュースを見ていたら、面白い記事があった。安倍首相が歴史的儀式で「『已む』を読めなかった?驚きの大失言」をしたというのだ。
 

 4月30日、「退位礼正殿の儀」で、安倍晋三首相はおそらく歴史に残る大失言をしてしまった。それが起きたのは「国民代表の辞」のほぼ末尾の部分であった。
 

 「天皇、皇后両陛下には末永くお健やかであらせられますことを願っていません」と読んでしまったというのだ。「願っていません?」とんでもない読み間違いである。これでは、国民の大多数の願いとは全く逆だ。
 

 文書として公表された「国民代表の辞」には当然、「願って已みません」と書いてあった。なぜこんな間違いが起きたのか。安倍首相は懐から出した文書を読み上げたのだが、「あられますことを願って」まで進んだところで一瞬口ごもり、その後で「あらせられますことを願っていません」と発言したというのだ。動画で確認するとそうなっているという。
 

 原稿は教養のある官僚が漢字で「已みません」と書いていたため、なんと読むか分からず、その部分を誤魔化して「願っていません」と言ってしまったらしい。
 

 憲政史上初重要な儀式の場で、国民を代表し、天皇、皇后両陛下に直接あいさつをするのに、下読みもしてなかったのだろうか。

 この漢字は高校の時習ったが、「已む」と書く。「己」や、十二支の「巳」と紛らわしいので間違えないようにと強く念を押されたことを覚えている。安倍首相の学校では習わなかったのだろうか?

 記事はさらにこんな例も挙げている。「安倍氏は2017年1月24日、参議院本会議で蓮舫議員に対し『訂正でんでんという指摘は全く当たりません』と答弁した。これは『云々』を、『伝々』と誤って覚えていたようだ。」と。
 

 (この記事はジャーナリスト田岡俊次氏が5月20日のAERAに寄せたものである)

 

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コメント

国連で安倍首相が演説をした時には、英文にふりがなを付けるばかりか、「ここで間を置く」「聴衆を見る」などとト書まで入れた側近がいるというのに、どうして日本での演説や答弁の原稿を書いた側近が手を抜いたのか、まことに不思議です。
古今東西を通じて現在の日本語ほど摩訶不思議な表記体系の言語はないはずです。
出版される日本語にはもう少しふりがなを増やしてほしいものだと常々思っています。
川端康成の小説『雪国』の冒頭に出てくる「国境の長いトンネルを」の「国境」の読み方に定説はないものの「くにざかい」が有力だと今年になって知り、少々おどろいたものです。
「国境なき医師団」や「国境警備隊」が「くにざかい」と読まれるのを一度も聞いたことがないように川端も「こっきょう」と書いたものだと思いこんでいたからです。
それにしても、だんだん視力が衰えてきているのか「IR」も「JR」も「JP」も同じように見えることがある今日このごろです。

先日、ネットの記事で安倍政権首脳は学歴コンプレックスが底流にあるという興味深い話しが載っていた。それによると安倍総理は成蹊大学、麻生財務大臣は学習院大学、菅官房長官は法政大学、二階幹事長は中央大学、萩生田文科大臣は明治大学等々、勿論これらの大学もそれなりの評価はあるが、受験エリートの目指す大学ではない。一昔前の東京大学オンパレードとは様変わりになったとはいえる。東京大学出身者が必ずしもいい政治をしてくれるとは限らないので出身大学は関係ないとも言える。しかしながら、最近の麻生大臣、二階幹事長のインタビューを聞いているとその言葉使いはまるで反社のボスの様な恫喝口調で聞くに耐えない。知性の片鱗も感じられない。麻生氏と同じく世襲で政治家になった安倍総理に読めない漢字があっても少しも不思議ではない。政治家に知性や品性を求めるのは八百屋に行って魚を求めるようなものである。これは日本だけではなく世界的な傾向であるようにも思えるが、、。

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