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2019年12月26日 (木)

「お正月」という唱歌

 正月が近づいてきて頭の中に「お正月」の歌が浮かぶようになった。

   もういくつねると  お正月

   お正月には   凧あげて

   コマをまわして  遊びましょう

   早くこいこい   お正月

 

   もういくねると  お正月

   お正月には   まりついて

   おいばねついて  遊びましょう

   早くこいこい   お正月 

 ネットで調べたら、詞は東くめ、曲はあの有名な滝廉太郎であった。滝廉太郎が作曲した童謡であることは全く知らなかった。詞といい、曲といい童心を現したとてもいい歌である。

 この歌が世に出たのは1901年(明治34年)である。その頃の子どもは正月にこの歌にある遊びをしていたことが分かる。私が子どものころは戦争向かい、太平洋戦争の時代なので、この歌にあるような正月はなかった。戦後少し落ち着いてから凧あげやコマ回しをし、女の子は羽根つきやまりつきをするようになった。

 凧は買って来たが、足の長さなどをいろいろ工夫して、よく上がるようにしたものであった。中学生になると自分で凧を作ってあげたこともあった。コマ回しも得意で掌の上にコマを載せて鬼ごっこをしたり、綱渡りを競い合ったりしたものであった。

 今の子どもたちの正月はどんな遊びをするのだろう。スマホでゲームでもするのだろうか。

 お正月の楽しみは一番がお年玉がもらえることであったが、その他に一張羅と言っていい服を着せてもらえることであった。もっとも一張羅と言っても、今から見れば粗末なものではあったが、子ども心に嬉しいものであった。

 戦後しばらくまでは餅は手に入らなかった。我が家の裏が農家で暮れに餅つきの音が聞こえてきた。その音を聞いて父が「隣の餅つき杵の音、一つ食いたいのう 爺さ」と言ったのを覚えている。

 餅米が配給されるようになって、近所の人と餅つきをしたことも思い出す。我が家は四角い切り餅にしたが、関西なので土地の人たちは丸餅であった。

 平和でなければお正月は祝えない。戦後75年、この平和がいつまでも続いてほしい。いや、憲法9条を守って続かせなければならない。

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