蝿、蠅取り蜘蛛
今日、ブランチを食べていたら、クッキングヒーターの辺りで蝿が飛んでいるようなブーンという音がしていた。妻が「何の音?」と聞いたので「ハエが飛んでいるのじゃないか」と答えた。よく聞くとハエの音であった。でも、ハエを見たことがないのでどこから入ってきたのだろうと思った。荷物を運び入れるとき、玄関の戸を開け放していたのでそこから入ったのかもしれないと思った。
果物ナイフを取りに行ったら、妻が「ハエがいる!」と言った。見ると食べたばかりの皿に金蝿が止まって皿をなめていた。ティッシュか何かで取ろうと思ったら、妻が「ハエたたきがあるよ。冷蔵庫の傍に」と言った。見るとハエたたきが掛けてあった。
ハエはまだ皿をなめていた。ハエたたきを近づけても逃げななかった。ハエたたきでそっと叩くと皿の上で気絶をした。ティッシュを取りに行っている間に動きだした。それでティッシュで取って捨てた。可哀そうだと思ったが仕方がなかった。
10日ほど前と1週間ほど前に蠅取り蜘蛛を見かけた。初めは台所、次は便所の壁にいた。妻は捕まえるように言ったがそのままにしておりた。ハエもいないのに蠅取り蜘蛛が入ってきたのが不思議であった。蠅取り蜘蛛はどこかへ行ったのか見えなくなった。
昔は、というか、以前はハエがたくさんいた。特に戦前戦後はハエに悩まされていた。食事をしているとご飯やおかずに蠅が止まった。食卓の上に食べ物を載せた皿や茶わんなどを置くときは、それを覆う傘にネットを張ったようなものを使った。また、食べ物を取っておくときは、扉がネットになっている蝿帳に入れた。
ハエたたきは必須品で、その他に天井から吊るす蠅取りや食卓に置く蠅取り紙などがあった。天井から吊るす紙や蠅取り紙には粘着性のものが塗ってあった。飛んでいるハエが止まろうとしてくっついて離れられなくなるのであった。
ハエは黒いハエが一番多く、金蝿や大型の蠅もたくさんいた。外で魚やイカの干物を作るために干しておくとハエがたかった。当時は汲み取り式の便所であったからハエは便所にもいて便に止まった。その足で飛んでくるのだから不潔なことこの上なかったがどうしようもなかった。隣の農家には牛がいて牛はいつも尻尾を動かしてハエを追い払っていた。
ハエがどこにでもいたから、蠅取り蜘蛛のたくさんいた。蠅取り蜘蛛がハエに近づいて巧みにハエを捕まえるのをよく見た。蠅取り蜘蛛は我々の味方であった。
あんなにいた蠅を見なくなったのはいつごろからだろうか。五月蠅と書いて「うるさい」と読むがそれも今は昔のこととなった。俳人の小林一茶は「やれうつな ハエが手をする 足をする」という句を残した。ハエの動作をよく見て詠っている。子どものころにはいつも見ていたものだ。一茶はハエにも命あることを心においていたのであろう。やさしさの溢れた句である。
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