敬老の日について
16日は敬老の日であった。65歳以上の高齢者人口は昨年より325万人増えて、3880万人となったとテレビで言っていた。世界でも有数の高齢人口の多い国なのだ。敬老の日の朝日新聞をつぶさに見たが、どこにも敬老の日について触れた記事はなかった。一字もないのだ。
高齢人口うが増えているので、今更「敬老の日」などあってもしょうがないということなのだろうか。敬老というのは老人を敬うということだが、昔のように高齢者が少なかったときは敬う価値があったが、どこを見渡しても高齢者が目に入る時代になったので、目障りになったのかもしれない。最近では高齢者の介護なども問題がいろいろあり、高齢者は厄介な存在になってきているのかもしれない。
父や母の頃は高齢者が少なかったので、敬老の日には市や県からお祝いが贈られた。たいていは扇子であったようで、いまでも扇子がいっぱい箱の中にしまってある。使わない扇子を貰っても嬉しくもないが、私はいまだに何ももらったことがない。今は100歳でないとお祝いがないのかもしれないと思う。
私の祖父が生きていたころは高齢の老人には自然に敬意を持っていた。何故かというとそれまで生きてきた経験から学んださまざまな知識を持っていたからだ。若者は老人からいろいろと学ぶものがあった。敬老などと言わなくても尊敬されていたのであった。
敬老の日が制定されたのは1965年(昭和40年)の祝日法改正によるというが、1964年とか1966年とかネットにはいろいろあってどれが本当わからない。
何歳から祝うのかについても諸説あり、還暦説、年金支給年齢説、初孫誕生説など定かではない。多分前期高齢者入りが65歳であるから65歳でよいのではないかと思う。
私の養父は45歳で引退し隠居生活に入ったと言っていた。私の父の頃は退職年齢が50歳であった。その後55歳、60歳と変わり、私は60歳で退職した。
敬老と言っても時代によってその時の事情で変わるわけで、今は一体いくつなのかと思う。私には孫がいないから、これまでに「おじいさん」と言われたことはない。敬老の日とも全く無縁である。金を稼ぐ仕事はしていないが、ボランティアとして活動しているので現役気分である。
◎ウオーキングで見た月 詠んだ句 敬老や 有明の月 ほほ笑みて
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4人に1人が65歳以上という超高齢者社会になれば高齢だけで尊敬されることはありえない。将来敬老という言葉は死語になると思う。歳を取るとより分別がついて円熟味を増すというのは、一部そういう高齢者もいるかもしれないが、むしろ逆のことが多いという。高齢になると本来、持っている本人の資質がより顕著に表れる。即ち、短気な人はより短気に、頑固な人はより頑固に。
役所の窓口で大声をあげるのは、若者より高齢者の方が多い。
暴走老人、万引犯の高齢化、高齢者の交通事故の増加、貧困老人
の増加とネガティブな情報には事欠かない。如何に社会にご迷惑をかけずにこの世に去るかは大問題になった。
投稿: Toshi | 2019年9月18日 (水) 08時17分