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2019年8月12日 (月)

夕涼み

 「夕涼み」という言葉はおそらく死語となっているであろう。タイトルにもってきたが「?」と思われるに違いない。ここまで書いてネットで見たら「夕涼みイベント」がいろいろあることが分かった。

 このところずっと続く猛暑でテレビでは「熱中症にご注意ください」とやかましく、実際熱中症で救急搬送される人が増えていて、亡くなる人もいる。幸い現代はエアコンがあり、わが家にも3台あって、日中はそのうち1台をつけっ放しにして暑さを凌いでいる。

 そんなとき、ふと頭に浮かんだのが「夕涼み」という言葉であった。夕涼みは大平洋戦争が始まるとできなくなり、戦争中はそれどころではなかったが、戦争が終わると夕涼みができるようになった。

 戦前、戦後の子どもの頃は扇風機がある家はお金持ちの家だけで、一般の家庭では団扇を使っていた。今でも街へ行くと紙の団扇が配られるところに出くわすが、そんな団扇ではなく、竹を細く薄く裂いて作った骨の上に、紙を貼って作ったしっかりしたものであった。暑い夏は団扇を手にしてパタパタと煽いで風を送ったものであった。

 夕方になると「たらい」にお釜で沸かした湯を入れて行水(ぎょうずい)をした。「たらい」も「行水」も死語となったであろう。行水をすますと汗が取れさっぱりとした。

 夕食後は団扇を持って外に出た。近所の家の人たちも同様であった。一か所に集まって大人も子供も夕涼みをするのだ。近所の家の中には縁台を持っている家があって、そこに集まったのだ。暑い時は打ち水をして気化熱を利用して気温を下げた。

 子どもたちは裸で、パンツ一枚であった。大人も男は裸だった。「夕涼み よくぞ男に生まれけり」という榎本其角の有名な川柳がある。たしかに男の特権?ともいえるものであった。でも、女性でも熟年の人には半裸の人もいた。浴衣などと言うものはまだ買えなかったのだ。

 この川柳はネットでは男尊女卑の差別語だと書いているサイトがあってびっくりした。。差別用語ではなく、江戸時代から続いた庶民文化だと思うのだ。

 縁台には蚊取り線香が炊かれ蚊の襲来に備えた。それでも蚊がとんでくるので団扇で追い払った。夕涼みの楽しみはそこでお喋りをすることであったが、将棋盤を持ち出して将棋をするのも楽しみであった。誰か二人が対戦するのをみんなが囲んで見ながら、いろいろと講釈をした。「岡目八目」という囲碁の言葉があるが、将棋も同じで見ていると意外と分かるのだ。

 夕涼みは9時ごろまで続いた。その時刻になると暑さが少し和らいでいた。みんなは「お休み」と言ってそれぞれの家に戻った。

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