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2019年8月15日 (木)

軍国少年

 昭和16年12月8日に日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し米国との戦争が始まった。その次の年の4月に私は国民学校に入学した。日本は戦線を南洋と言っていた地域に拡大していた。学校では天皇のために命を捧げる教育がされ、やがては軍人として国に奉仕することが美しいことだとされた。だから私は幼心に将来は海軍士官となる夢を抱いた。以前にも書いたが、友人の前田君の兄が海軍士官で、格好良い写真を見ていたからだ。短剣を腰に差した紺色の軍服は本当に恰好がよいと思った。そこへ行くと陸軍の軍服はださく魅力がなかった。

 私は真面目であったから先生などの教えをしっかりと守った。1年生の最初の授業参観では戦争ごっこのようなものをやらされた。私は一つの班の隊長として玩具の軍刀をもって先頭に立って机の間を走り回ったことを覚えている。

 祭日に熊野三山の1つの速玉神社へ参詣に行くことがあった。そのときは隊列を組んで歩調を取って歩いて行った。私はその先頭に立った。体育の時間にはきれいに隊列を組む練習や膝を上げて歩く練習が繰り返された。子どもだから鉄砲こそもっていなかったが軍隊式に歩くのであった。指令台の上には校長先生が立っていて、その前を歩くときは「頭右(かしらみぎ)」をして敬意を表した。

 紀元節や天長節などの祭日には必ず講堂で式があり、前にも書いたように天皇・皇后の御影(ギョエイ)が開けられ、校長によって教育勅語が恭しく読まれた。天皇・皇后の写真の前では頭を下げさせられたのでまともに見ることはなかった。

 国民学校1年の国語の教科書の最初は「ススメ ススメ ヘイタイススメ」であったか、それとも「ヘイタイサン ススメ ススメ チテ チテタ トタ テテ タテタ」だったか思い出せないが、いずれにせよヘイタイがあったことは確かだ。国語の教科書にも軍事色が持ち込まれたのだ。ネットで見ると、そんなことぐらいで軍国教育にはならないという意見があったが、私は十分に影響を与えたと思っている。

 いろいろな機会を捉えて戦争に協力する国民が作られて行ったのだ。私たちは「少国民」と呼ばれていた。そして私はいつしか立派な軍国少年となっていたのである。

 ただ運がよかったと思うのは、少年兵などになる前に戦争が終わったことであった。もし軍隊などに入ったら私などは劣等兵か丙種合格ぐらいだったと思う。何故なら運動神経がからきし駄目で、体力もなかったからだ。海軍士官など夢のまた夢であったのだ。軍国少年として意気だけは高かったのだが、からきし弱虫の少年であった。 

 

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