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2019年8月

2019年8月31日 (土)

とんでもないところにアゲハの蛹

 我が家には花ゆずとキンカンの木がある。今年は久しぶりにたくさんの実がなったことは以前に書いた。柑橘の木があるのでアゲハ蝶やモンシロチョウなどが頻繁に飛んでくる。

 今朝、ウオーキングに行って帰ってきて玄関の戸を開けようとして驚いた。ドアノブのところにアゲハ蝶の蛹がとまっていたのだ。出かけるときに鍵をかけるときは見なかったから、ウオーキングに行っている1時間余りの間に、何処からか這ってきてドアノブノところまで登り、そこに体を固定したものらしい。よく見ると細い1本の糸で体を固定してあった。

 緑色の蛹はとてもかわいらしかった。そのままにしておこうか別の場所に移そうか迷ったが、妻に相談することにいしてそのままにしておいた。

 妻が起きてきたのでドアノブのところを見るように言った。妻は「うちに来たかったのだね。はっぱを取ってきて家に入れてあげる。外だと鳥に食べられるかも知れないから」と言った。

 妻は以前にも蛹を見つけて、リビングで保護して、蝶になるのを待って逃がしたことがある。昨年は蛹がどういうわけか蝶にならなかったので残念であったが。今年はうまく蝶になってくれるとよいがと思う。

 蛹はまだ緑色だがだんだん色が茶色になり、薄い色になって、蝶になるのは来年の春だろうか。私は教員をしているとき、理科の学習で教室に飼育籠を置いてモンシロチョウが蛹から蝶になるのを子供たちと観察したことがあった。蛹が蝶になるのを観察するのは楽しみである。

 高校生の時国語で「虫愛ずる姫君」というのを習ったが、青虫や毛虫などを大事にするきれいなお姫様がいて、どうしてそんなものを可愛がるのかと不思議がられて、これが綺麗な蝶になるのを楽しみにしているという話であった。

 キンカンの葉にのせて家の中にのせて家の中に置いた青虫は次の日の朝見ると写真のように蛹に変身していた。 青虫→蛹→蝶という変化がすごいと思う。無事に変化して飛びったってくれることを祈っている。

  

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2019年8月30日 (金)

天声人語の「陶磁器店に闖入した雄牛」が言いえて妙

 8月18日の朝日新聞天声人語は面白い言葉の紹介から書き始めてあった。その部分を引用する。「英語の言い回しに『陶磁器店に闖入した雄牛』というのがある。棚に並べられたカップやお皿は大丈夫か。危なっかしいことこの上ない。『なんでもぶち壊すような、はた迷惑な人』の意味でつかわれるこの言葉を欧州メディアで目にした」と書いてあった。

 面白い表現だ。日本では雄牛が陶磁器店に雄牛が闖入することはあり得ないだろうが、スペイン辺りならありそうな話だ。何しろ道路で牛を追い回す祭りまである国だ。

 この表現を英語でどう書くのかネットで調べてみたら、「like a bull in a china shop」と表すことがわかった。オックスフォード辞典では「Behaving recklessly and clumsily in a situation where one is likely to cause damage」と定義している。

 この表現が使われた対象は・・・? フランスで開催されたG-7サミットといえば、誰でもすぐに「ああ、あの人物だ!」と分かる。そう、トランプ米国大統領のことだ。彼の扱いについては、我が日本の安倍首相以外は、世界中の誰もがハラハラして、それこそ貴重な陶磁器を扱うような気持ちであろう。

 議長のフランスのマクロン大統領は首脳宣言を作らないことにした。昨年のカナダG-7のように、採択された宣言がトランプ氏によって後で否認されては面目丸つぶれだからだ。

 トランプ氏は気候変動を扱う会合には欠席したという。もともとパリ協定から脱退したのだから当然ではある。北極圏では犬ぞりが水の中を走っている映像があった。氷が溶けてしまったのだ。強烈な台風、大雨、逆に異常乾燥や異常高温など地球の気候は急激に変化しているのにそれを認めようとしないのだ。

 この雄牛と仲が良いことをアッピールしたのが、ポチの安倍首相であった。5年ぐらいは要すると予想されていた日米貿易交渉で大枠合意に達し、9月の国連総会中に首相が訪米し、協定書に署名する見通しだ。わずか半年足らずというスピードである。来年のトランプ氏再選戦略に協力したものと言われる。

 

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2019年8月29日 (木)

あおり運転を取り締まる法律を作るべきだ

 あおり運転で指名手配され逮捕された宮崎容疑者は、マンションを経営し、高級車に乗るなど派手な人物であったようだが、怒りっぽい性格でもあったようだ。この事件ではあおり運転をした挙句、道路に斜めに車を止めて相手の車に行き運転席の相手を数発殴った子様子がビデオカメラに捉えられていた。宮崎容疑視野が逮捕された理由は暴行であった。ネットで見ていたらあおり運転そのものでは立証が難しく逮捕にいたらないと書いていている人がいた。

 この事件であおり運転がクローズアップされたが、あおり運転ではずっと以前に九州の橋の上で大事故を起こし相手が転落して死んでしまった事件があった。あの事件以後あおり運転が注目されるようになったと指摘している人がいた。

 週刊誌の広告にあおり運転は年間1万件以上あると出ていたが、そんなにもあるのかと驚いてしまった。高速道路では毎日どこかで30件ぐらいのあおり運転が行われていることになる。これだけ騒がれているのに、あおり運転はなくならない。先日もこともあろうに僧衣を着た坊さんが捕まった。

 最近の車にはドライブレコーダーを載せている車が多いので、あおり運転が記録されやすくなったようだ。私は運転免許を返上して1年8か月になるから車の運転をしないので、あおり運転に遭うことはない。運転をしていたころは高速道路であおられたことは何度かあった。私は腕力がないのでおとなしくしているしかない。だからあおられても道をあけていた。

 どういう人間があおり運転をしやすいのか、研究をしている学者がいることだろうが、私の推測ではカッとしやすい人間が多いだろうと思う。それから宮崎容疑者のような上から目線の人間だ。「俺は偉いんだ。強いんだ」と自分を人の上に置いている人間だ。

 あおり運転を取り締まる法律はないとネットには書いてあった。その人は国会議員の怠慢だと言っていた。どうしてあおり運転を罰する法律を作らないのだろう。外国には非常に厳しい罰を課すところがあると聞いたことがある。日本でも早急に対策をとる必要がある。

 ※28日の朝日新聞に「あおり運転対策 罰則強化を検討」という記事があった。道路交通法にはあおり運転を取り締まる規定はないが、車間距離保持義務違反などの罰則を強化するようだ。また、新たな法整備の必要性についても検討するという。昨年警察庁は摘発を強化するように指示し、昨年の車間距離保持義務違反の摘発は前年の1.8倍、1万3025件に上った。

 現行法での取り締まりには限界があるから法整備をすべきだ。

 

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2019年8月28日 (水)

「いだてん東京オリンピック噺」視聴率5.0は当然だ

 NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリンピック噺」の8月25日放送第32回が視聴率最低の5.0%だった。2週前に放送された第30回が5.9%で、0.9%も下落したのだ。私はいつも見ていて面白くないと感じ、このblogでも2度取り上げたが、その後も改善されず、田畑政治の水泳監督版になっても描き方は同じである。

 このドラマを見ていて思うのは「本当はどうであったか」ということだ。阿部サダヲ演じる田畑政治が実際にあのようにドタバタの人間であったのだろうかという疑問がわく。ロスアンゼルス水泳競技の場面でもプールサイドで飛んだり跳ねたり走ったりの大騒ぎである。役所広司の嘉納治五郎も同様だ。大仰な身振りと大きな声の話し方だが実際はどうであったのか。その他の登場人物も同様である。静かなのは田畑と結婚した女性だけだ。

 「いだてん」は現代の実際にあった出来事を描いている。だからフィクションが付け加えられるとしても、事実をベースにすべきである。勝手に人物像が変えられたり、状況が変えられたりしてはいけないのだ。

 同時展開で進むたけしが演じる古今亭志ん生にしても実物とはかけ離れすぎている。吉本喜劇ならまだ目をつむって見ていられようが、NHKの大河ドラマである。脚本の宮藤官九郎も演出家ももっとじっくりとストーリーを描くべきである。NHK大河ドラマ史上最低を記録更新をまじめに受け止めたらどうか。

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2019年8月27日 (火)

台風10号で予期せぬ被害

 台風10号は大型でスピードが遅く西日本中心に被害をもたらし、新幹線が止まるなど生活にも大きな影響を与えた。ちょうど日光から帰る日で、東海道新幹線がどうなるのか不安であったが、北千住駅で新幹線が動いていることがわかり、切符を買うことができ名古屋に戻ることができた。

 台風は日本海に出て北上した。名古屋は大丈夫だと思って床に入った。疲れていたので朝までよくねむれた。起きたときは台風は離れていた。何事もなくよかったと思った。婿が起きてきて夜中に雨風がひどかったと言った。

 10時半ごろ朝食を食べていたら、婿が突然「大変だ!」と叫んでリビングへ飛んで行った。何事かと思って見ると天井の照明器具の中心から水が流れ落ちていて、下の机などがびしょびしょに濡れていた。水が止まったが、ポツンポツンと水滴が落ち続けた。

 大変なことになったとすぐに知り合いの業者に連絡をした。事態を察して工事担当者は忙しい中をすぐに駆け付けてくれた。照明器具から水が流れたのが不思議であったが、コードの穴を伝っておりて、器具に溜まってあふれたようであった。

 器具を外してさらに天井に張った壁紙もはがすと大きなシミができていた。天井に四角い穴をあけて天井裏を調べた。水がどのように流れてきたのかを探った。天井の壁紙はほとんどはがされた。すると3か所に過去に水が染みた大きな跡があった。

 屋根は古い鉄板の屋根の上に新しい鉄板の屋根をのせてあって、屋根は大丈夫だと思っていた。工事担当者の推定では台風10号は南から雨が吹き付けたので結合部分の隙間から入り込んだのではないかということであった。天井の上はちょっとした物入にしてあったのでそちらからも調べた。そして水の伝った痕跡を探した。

 水が入りそうなところにコーキングを施して 、雨が降るのを待って調べることになった。皮肉なことにそういう時はなかなか雨が降らなかった。時々ちょっと降った程度であった。それで3日目にホースで屋根に水を撒いて調べたがなんともなかった。皮肉なことに次の日は朝から雨が降った。夕方工事担当者が来てくれ、調べてくれたが水の影響はなかった。外回りを念入りに調べてくれて、3日後に天井の修復工事をしてくれることになった。

 我が家は、築50年余り、雨漏りがしたほうは建てました平屋部分で、それでも築40年もの古家である。手入れをしてきたので何とか持ってきたが、今回の水漏れで気が付かなかったと被害が時々起きていたことが分かった。そういう意味ではよっかったと思っている。木造の安普請でも手入れをしていくことが家の寿命を延ばすことになるのだ。私と妻が生きている間は持たせなくてはと思っている。

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2019年8月26日 (月)

セットアップに苦労

 新しいPC、dynabookを買ったことは一昨日書いた。22日に時間ができたのでセットアップを始めた。最初同梱されていたセットアップの仕方の説明をサラッと読んでやり始めた。驚いたのは音声で案内してくれることであった。こちらも音声で答えていくのであった。

 ところが、インターネットの接続をするところで、まずインターネットが使えるようにすることだと考えて、接続できるようにしたのがつまずきの始めであった。あとで手順を読み返してみたらそこはスキップして進めばよかったのだ。そうしなかったために進んでいくとマイクロソフトのIDとパスワードを請求された。

 メモを調べたが分からなかったのでそれから先ヘは進めなくなった。それでdynabookのサポートに電話をした。朝9時にすぐに0120で始まる番号に電話をした。サポートの希望の選択をして「ただいま大変混んでいます。待ち時間は30分以上です。そのままお待ちいただくか、後でおかけ直しください」というメッセージが流れた。時々流れるメッセージがだんだん待ち時間が長くなり、「1時間以上です」と言い出した。そのとき私はすでに40分も待っていた。

 パソコンはつけたままであった。そこでマニュアルを調べたら有料の一般電話番号があった。私のスマホはかけ放題なのでそちらに掛けてみたらすぐにつながった。無料通話は皆が利用するが一般電話は敬遠するのだ。

 遠隔操作によるサポートによってセットアップできたが、指示に従っていて自分一人ではとても無理だと知った。この他にwindowsのセットアップをしなければならないが、それはマイクロソフトのサポートがすることになっているのでdynabookサポートは電話番号を教えてくれるだけであった。

 マイクロソフトのサポートに電話をしたが、そのガイダンスの分かりにくいことに閉口した。何とか電話のサポートにたどり着いた。そしてその指示でwindowsのセットアップやofficeを使えるようになった。でも、まだメールの授受はできない。commufaのサポートに電話をしたら、その日は各地で雷による障害が発生して忙しいので、後日に予約してほしいということであった。

 dynabookでblogを書くことにして試しに書いたのが一昨日のblogであった。字をタイプする度に候補のボックスが立ち上がる。便利なようなわずらわしいような感じである。それはいいとして、書いている途中でカーソルが飛んだり、関係ないメッセージが現れたり、突然文が消えたりということが起きた。それで先ほどサポートに電話をして、遠隔操作で調べてもらったらタッチパッドが生きていて触ることで起きることが分かった。それでマウスを使っているときはタッチパッドが働かないようにしてもらった。

 以前のwindows7までは自分で簡単にやれたのだが、windows10ではコントロールパネルがどこに在るかが分からず、操作の変更をする場所もわからないところにあった。サポートがなければやれそうになかった。windows10を使えるようになるには大変だと改めて感じた。

 

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2019年8月25日 (日)

クリムト展

   5月に東京へ行ったとき上野の西洋美術館でクリムト展をやっていたが見損なった。残念に思っていたら7月から豊田美術館に来ることがわかった。主催は朝日新聞であった。我が家はずっと朝日新聞を購読しているので、販売店に招待券を欲しいと言ったらくれた。8月31日までの期間限定の招待券であった。早くいかなけらばと思っていたが、暑い日が続いたり、いろいろとやることがでてきたりでなかなか行く日がみつからなかった。

 23日に雨がぱらついていたが思い切って行くことにした。ネットで豊田美術館への行き方を調べたがわからなかった。名古屋からは地下鉄鶴舞線で行けるはずだと思っていたが、地図で見ると名鉄三河線とJR線しか載っていなかった。

 とにかく鶴舞線で豊田市駅まで行ってそこで行き方を聞こうと決めた。9時7分御器所発の電車に乗った。豊田市駅には40分ほどで着いた。駅に着くとホームの反対側に名鉄三河線の赤い電車が入ってきた。それで納得した。ここで三河線になるのだ。それならそれで何故地下鉄で行ける豊田市駅をネットの地図に表記しないのかと思った。

 駅で名鉄観光の女性に美術館への行き方を尋ねた。まっすぐに行けば表示が所々にあることが分かった。美術館方向を示す矢印に従って歩いて行った。大変親切に表示されていた。左手に松坂屋があるところで左折して階段を下りた。今度は地面に美術館の方向の表示があった。美術館までは表示を見ながら歩いて行ったが、100mごとに表示があった。

 美術館は駅からとても遠かった。近くに来たら名鉄三河線が走っていてそれに沿って行ったが、急な坂道で歩くのが大変であった。後ろから来る人に何人も追い抜かれた。10時開館にぎりぎりで着いた。もうたくさんの人が来ていた。

 入館すると音声ガイダンスを借りた。500円だと思ったら550円だった。高いと言ったら今回は550円値上げだと言った。

 展覧会は第1章が「クリムトとその家族」、第2章が「修業時代と劇場装飾」、第3章が「私生活 Klimt's Women and Children]、第4章が「ウイーンと日本1900」、第5章が「ウイーン分離派」、第6章が「風景画」、第7章が「肖像画」、第8章が「生命の円環」というように8章に分けて展示されていた。

 第2章では、クリムトが描いた少女の像が初めにあったがその精密な写実的な絵を見てクリムトは非常に優れた技法を身に着けていたことが分かった。その続きに真っ裸の男性裸体像が3点あった。男性のペニスをあからさまに描いた絵は初めて見たが、わいせつ物展示にひかからないのかと思った。非常にリアルな絵であった。

 クリムトは絵画の技法が高く評価されていたので、劇場や王室からも依頼があり、緞帳を作ったり、王妃の寝室の絵を描いたりした。また父親が彫金師であったので、彫金もできたからサチュロスとニンフという彫金の作品もあった。

 クリムトは生涯結婚をしなかったが、周りには常に多くの女性がいて、なんと14人もの子供を作っていたそうだ。モデルの女性も子供を産んだ人が何人かいたようだ。妊婦の絵も描いているがアトリエにはそういう女性もいたらしい。彼は「自分には関心がないが、女性が好きだ」と言っている。晩年といっても55歳で亡くなっているからまだ若いが、「生命の円環」にまとめられているように、生や死に関心をもったようだ。亡くなった老人の顔や女性の顔などを描いている。

 風景画を描くようになったのは、田園に避暑に行くようになってからで、印象派のような風景画を描いている。ウイーン分離派を作ってからはよりも自由な発想の絵を描いている。正方形の中に描かれているのが特徴のようだ。

 万国博覧会を機にジャポニズムが欧州で関心を持たれたが、クリムトの絵にもその影響と思われるものがある。金を使ったり、着物の柄のような模様や浮世絵風のデッサンなどがあった。

 肖像画の傑作は「オイゲニア・プリマフェージの肖像」だと思われる。右手に男の生首を持ち、左の乳をはだけて満足そうな眼付をしてながめている。ポスターに使われている肖像だ。

 クリムト展を初めて見たが、彼については何も知らなかった。多彩な活動をした優れた画家であることを知った。豊田美術館という不便なところへウイークデーに次々に来る人を見てその人気ぶりが分かった。土曜日曜を避けて行ったのに大変な混雑で意外であった。

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2019年8月24日 (土)

パソコンを買い替え

  これまで使っていたパソコンはWINDOWS 7で、来年の1月14日にサポートが終了することになっている。長い間使っているので動作が大変重くいつも苦労していた。しょっちゅうデスククリーニングをしたり、デフラグをしたりしていたが重たかった。そういうこともあって、この際思い切って買い替えようと思ったのだ。

 お盆にエディオンの広告が入り、パソコンの特売をするという。ちょうど婿がきていたので一緒にエディオンに見に行った。特売といってもどのパソコンも高い。これまで使っていたパソコンは一体型のデスクトップで、45000円で買った。この頃はそんな安いパソコンは売っていない。比較的安いのはIsusとかAserなどだが中国製や台湾製である。

 展示されたパソコンを見て回って、NECとdynabookに7万円台の値札が付いていた。スペックを見ても悪くはない。婿がdynabookがいいのではと言ったので結局それに決めた。ハードデスク容量は1Tバイトあるし、メモリも5000ある。officeも入っていた。私はblogを書くのとメールができればよいのでこれで十分なのだ。あとは写真を保存することぐらいだ。

 懇意にしている店員が税込みで7万円丁度にすると言ったので、クレジットで支払って持ち帰った。私が気に入らないのはOSがWINDOWS10であることだ。以前に知人のdynabookをWINDOWS10にアップグレードしたことがあるので、触ったことはあるがとても使いにくかった。

 これまでのOSで一番使いにくかったのはWINDOWS8でこれは評判が悪かったのですぐにWINDOWS10になったのだった。それでも10は使いにくい、インターフェースがガラッと変わってインターネットエクスプローラとかコントロールパネルなどがどこにあるのかわからない。不満だらけなのだがWINDOWS10しかないのだから仕方がなかった。

 今書いているblogが初めての使用である。どういう訳がタイピングをしている途中でカーソルが飛ぶのが不思議だ。

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2019年8月23日 (金)

突然壊れたキャノンのプリンター

 17日の午前にプリンターで写真を印刷していた。すると2枚入れた用紙の2枚目が出てこなかった。どこかに紙が詰まったようであったが、どこを探しても詰まっているところが分からなかった。

 マニュアルを引っ張り出して調べたら、プリンターの後部を開けて見るとよいらしいと分かった。それで開けて見たが何もなかった。フラッシュライトの光で探したら印画紙のようなものが見えた。それを掴んでそっと引き出したら詰まった紙であった。

 インクの青が無くなっていたので、青のインキを取り替えた。それで印刷できると思い、やってみたら下の写真のような状態で印刷された。プリントヘッドのクリーニングをやった方がよいと思いやった。そしてパターンチェックを印刷したら、欠損のある個所があった。

 もう一度クリーニングをして印刷してみたがやはり変わらなかった。仕方がないのでキャノンのサポートに電話した。でも、今は休み中だと言った。マニュアルには年中無休と書いてあるので不思議だった。

 仕方がないのでサポートは諦めた。その日はエディオンにアイロン台を買いに行くことになっていたので、印刷したパターンと写真をもって行った。

 店員に状況を話すと、プリンタを買った年月を調べてくれ、まだサポートの年数内だと言った。それで家に帰ってプリンターを持ってくることにした。

 婿がレンタカーを借りてあったのでそれでプリンターを一緒に運んでもらった。修理の窓口に出したら、以前に一度修理に出しているから有料になるかもしれないと言った。プリンターの定価までの金額内は延長保証されるが、それをオーバーするとダメだという。幾らかかるか見積もりを知らせてもらうことにして取りあえず修理に出した。保証料を1080円取られた。

 私のプリンターはCannon PIXUS Atelier MG7730Fだ。高い機種なのに今回で2回目の故障である。私はプリンターの最初からCannonである。信頼していたが今回の故障はがっかりであった。ちなみにこの機種に替える前の機種は知人に上げたが今も健在で動いている。どういうことなのか理解できない。

 Cannonのサポートが悪くなったことを店員に話したら、プリンターが売れなくなったので人員縮小をしているようだと言った。そういえば名古屋にあったCannonの修理所も無くなったと聞いた。

 値段が手ごろで信頼のおけるプリンターはないものだろうか?

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2019年8月22日 (木)

東京・日光旅行―⑦金谷ホテル、名古屋へ

 次の朝は雨が降っていた。朝食の前に土産物を買いに行った。ホテルの店なので種類は少なく、値段が高かった。朝食は前の晩と同じダイニングルームであった。朝はフランス料理か和食を選択できたが、私たちはフランス料理にした。卵料理はゆで卵かスクランブルかオムレツから選ぶようになっていた。私はフランス料理だからと思ってオムレツを選んだ。飲み物はパイナップルジュースを選んだ。パンは例によって焼きたてであった。最後はホットコーヒーにした。

 朝食後部屋に戻り荷物をまとめた。チェックアウトまで時間があるので、館内を見て回った。別棟の屋上にプールがあり、その隣が池であった。この池は冬季には凍結するのでスケートリンクになるのだ。朝早いからかプールには誰も来ていなかった。山の傍にあるのでプールからの眺めがよかった。

 ダイニングルームの隣の大広間を見た。結婚式などにつかうようであった。天井画があり、東照宮のような彫刻が欄間の辺りにあった。金谷ホテルの中には、至る所に東照宮を模した精緻な彫刻があり、眠り猫もあるという。ダイニングルームの主任に頼むともう一つの大きなダイニングルームに案内してくれた。その部屋にも立派な天井画があった。やはり彫刻で飾られていて、その中に東照宮の眠り猫のレプリカがあった。

 この日は雨なので二荒神社や輪王寺を見に行くのはやめて、11時のシャトルバスで東武日光駅まで送ってもらった。浅草終点の東部日光線で北千住まで行き、JRに乗り換えて東京駅へ行くことにした。最初に乗ろうと思った特急列車は運悪く満席で買えなかった。それで次の臨時特急きりふりにした。

 出発まで1時間半もあった。婿が湯葉を食べたいと言ったので、駅前の日光ホテルの隣の湯葉料理のレストランで食べることにした。私は湯葉丼にしたが予想外によい味であった。食べている間に雨が降り出したが、食べ終わるとやんだ。

 臨時特急きりふりは座席の間隔が狭くて窮屈な感じであった。北千住までは2時間であった。北千住は大きな駅であった。特別のチケット売り場があったので、名古屋までの新幹線切符を買った。自由席は座れないといけないので指定席にした。1万2900円であった。

 台風10号の影響をずっと心配していたが、新幹線は正常に動いていたのでホッとした。名古屋へは18時28分に着いた。雨が降っていたので鶴舞まで行ってタクシーで家に帰った。1330円であった。

 今回の日光旅行は婿が金谷ホテルに招待してくれた。由緒あるホテルに泊まってよかった。3回目の日光東照宮もこれまでと違いゆっくりと回ることができ、家康の墓所も見て初めて来た気分であった。

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                朝食のオムレツ

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          屋上にある温水プール

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            スケートリンクになる池

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          フィットネスの部屋

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        プールからの眺め 建物は金谷ホテル

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             プールからの眺め

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           眠り猫のレプリカ 目が少し空いている

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            ダイニングにある天女の彫刻

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               湯葉丼

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             終点 東部日光駅

 

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2019年8月21日 (水)

東京・日光旅行ー⑥金谷ホテル

 部屋でしばらく休憩したあと、シャワーで汗を取った。体がさっぱりした。それからギャラリーへ行って金谷ホテルの創業以来の写真を見た。金谷ホテルは明治6年に造られたのだが、交通の不便であったであろう明治に洒落たホテルを造り、そこには多くの外国人が訪れていた。

 ホテルの廊下にもホテルを訪れた有名人の写真が飾ってあったが、東北地方を旅行し旅行記を書いたイザベラ・バードの写真から始まって、夏目漱石や大西洋横断飛行をしたリンドバーグ、エレノア・ルーズベルト、湯川秀樹など内外の著名人が宿泊したことが分かる。

 本館の隣に昔の面影を残す旧館がありその中を見に行ったが、客室だけであった。ホテルの庭に森があって散歩道があったが、驚いたのは注意書きであった。「山ヒルがいるので気を付けるように」とあちこちに書いてあった。後で支配人に聞いて分かったのだが、福島の原発事故で150キロ圏内の日光辺りの鹿が獲られなくなり数が増えたのだという。その鹿に山ヒルがくっついて来るのだそうだ。

 細い道を気をつけて歩いた。下に降りると大谷川に出たが、一面に川霧が立っているのは変わりがなかったが、あのきれいな川の水が土色に濁っていた激しく流れていた。上流で大雨が降ったに違いない。婿は川まで下りて行ったが、私は「鉄砲水が来るかもしれないから川に近づかないように」と注意した。私は山ヒルに食われなかったが、婿は次の朝足に山ヒルが食いついているのを見つけた。

 ディナーはダイニングリームで18時からであった。私たちは18時に行った。外がよく見える席を取った。ディナーはフランス料理のコールで魚料理と肉料理があった。肉料理にも魚がつくというのでそれにした。メニューは下の写真を。私はビーフ、霧降高原フィレ肉のステーキ、婿はポークでひみつ豚のモッツァレラにした。「ひみつ豚ってなんだろう・」と思った。金谷ホテルのパンは焼き立てを出すと言っていたが美味しかった。

 ディナーの後、バーへ行った。60才ぐらいのバーテンダーが一人でやっていた。何でもシングルモルトのウイスキーが200種類くらいあるということで壁いっぱいにボトルを並べてあった。

 最初に氷室の氷の塊にマッカラン18年物のオンザロックを飲んだ。婿がもう1杯と勧めたので、隣の席の人が美味しいと言ったラフロイグ10年を飲んだ。婿は飲めないのでコケモモのミックスを飲んだ。バーテンダーは20年もやっていると言ったが、しゃべらない人で面白くなかった。

 

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2019年8月20日 (火)

東京・日光旅行ー⑤日光コーヒー店にアドバイス、氷室氷のカキ氷

 婿の説明によると日光には氷室に蓄えた氷があり、それを使って作るかき氷で有名な「日光コーヒー」という店があると言った。探しながら歩いていくとその店があった。

 店の前に順番を記帳するノートが置いてあった。店の女性が「1時間ぐらいの待ちです」と言った。「順番が来たら携帯電話でお呼びします」と言った。店の中には空いた席が3つあった。婿が何とかならないかと聞いたが、携帯に知らせるの一点張りであった。雨が降っているのでどこかを歩くのが嫌で店の中に立っていた。

 疲れてきたので隅の椅子に座ったら店員にそこは予約席だと言われた。客が来るまで座ってもよいではないかと思った。客は他に行っていて携帯に連絡があると戻ってくるのでテーブルは空いたままであった。かなり経って3人が来て6人のテーブルに座った。さらに時間が経って4人の席に2人が来た。少したって4人の席に2人が来て店内は満席となった。30分あまりたって4人席の二人の客が出て行った。そこへ2人の客が呼ばれた。

 結局小1時間待たされてやっと席に着くことができた。4人席であった。天井が吹き抜けでどこからか風が来るちょっと寒い席であった。カキ氷を食べる気にはならなかったが、珍しいかき氷だというので宇治金時を注文をした。他の客は食事をしている人もいれば、コーヒーとかジュースとかを飲んでいる人もいた。

 ウエイトレスが水を運んできたときに、その女性に言った。「店の前かどこかに待つ人のための椅子を置くこと。4人のテーブルだがみんな2人が多いのでテーブルを2人用にして、3人とか4人来たらテーブルをくっつければよい。また携帯に呼び出すのはよいにいしても遠くまで行っていて戻ってくるのに時間がかかる」とアドバイスをした。

 この店はインターネットなどで知られているらしく、繁盛していて、客が来ては店の外の順番待ちノートに名前を記していた。私たちが店に入る前から外でずっと待っている外国人女性が二人いたがその人たちは辛抱強く1時間も待っていた。

 このカフェは古民家を改造した感じで木造で梁などがむきだしであった。テーブルも古い裁縫台を転用したようであった。雰囲気としては5月にNHKハルさんのカフェで紹介された西荻窪のカフェに似ていた。しかし、西荻のカフェは外に椅子が置いてあり、テーブルは2人用のものが基本で4人のときはくっつけていた。私がウエートレスにアドバイスしたときに、その店のことも話した。

 ところで肝心のカキ氷だが、大きな器に細かく削った氷が盛ってあった。口に入れるとふわふわであった。ところがカキ氷は1分あまりすると半分ぐらい融けてしまった。融けるのが速くて味がついた融けた氷水を飲む感じであった。氷室の氷が売り物だが、値段は・・・・・何と1200円であった。人生で食べた一番高いカキ氷であった。

 店を出ると雨が降っているのでホテルに戻ることにした。国道に出ると相変わらず渋滞が激しかった。大谷川に沿って歩いていった。川は全面的に川霧が立っていて見事な光景であった。

 神橋まで来ると風鈴がぶら下がっている神橋を渡りたかったが、300円と書いてあったので諦めた。急な石畳の坂を上ってホテルに戻った。

 若い女性の係りが荷物を持って部屋へ案内してくれた。インターンシップ中だと話した。部屋のドアの鍵は鍵を回して開ける旧式であった。部屋は3階の11号室で窓からは右手にシックな旧館が見られ、下は芝生や林やプロムナードが見られた。そのむこうに遠く男体山などが望まれた。

 部屋は改装されたようだが、ところどころに以前のものが装飾的に使われていた。机は木製の古いものであった。外の緑あふれる景色と相まって落ち着ける部屋であった。

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2019年8月19日 (月)

東京・日光旅行ー④東照宮

 鳥居をくぐって進むと東照宮境内に入り、拝観受付のある山門をくぐった。歩いて行くと右手に象を描いた彫刻のお堂があった。想像で作った象という。左手に神厩舎という神馬を入れる建物があり、有名な「三猿の彫像」があった。サルは他にもいくつかあったが、「見ざる、言わざる、聞かざる」の部分がよく知られている。作者は左甚五郎といわれるが定かではない。

 鳥居をくぐって行くとあの有名な陽明門だ。陽明門に来るのは3回目であった。豪華絢爛で精緻な彫刻が施され、「日光を見ずして結構というなかれ」と言われている。東照宮の建物はこれ以外にも精緻な彫刻を持っている。唐門の前を通り、東回廊で眠り猫を見た。この猫は修復されたがそのとき修復師が目があることに気づきその通りにした。でも、目が開いているのはおかしいという意見が多く、眠っている目にされたという。眠り猫は小さい。その裏側に雀の彫刻があるのだが、行きには気づかずであった。

 その後家康公墓所のある奥社御宝塔へ向かった。最近公開されるようになったのだ。竜道という石段を登っていくのだ。全部で270段あると書いてあった。ふうふう言いながら一段ずつ登ったら、どこかの女性たちが私のほうを見て「頑張ってる」と感心していた。その女性たちもしんどかったようだ。

 そこからまもなく御宝塔前に出た。自動販売機があって婿がお茶を買ってくれた。ベンチが置いてあったのでそこに座り、冷たいお茶を飲んでほっとした。そばに冷たい山の水が出ている水槽があり、婿はそこで顔を洗って気持ちがいいと言っていた。270段の石段を登って着て自販機があるのは有難かった。

 建物の前では次々に来る人の流れを止めないために神官が「右へ進んでください」と誘導していた。それでそちらに進んだ。建物の裏側に御宝塔があった。一回りして元のところに戻った。

 帰りは下りだから割合よかった。小さな子供や赤ん坊を抱いた女性なども登っていて驚いた。竜道を下りると眠り猫があるところに来た。婿が雀の彫刻を教えてくれたので見ると雀が遊んでいた。猫の嫌いな雀が遊ぶのは平和なことを表しているのだとか。

 その後右手に進み拝殿に入った。中には50人ほどの人が座って説明を聞いていた。私たちは外で待っていた。堂内に入る人数を制限しているのだった。10分ほどで中に入れた。一番前に座った。説明によると、一番前の畳は80万石の大名が座れ、その次から10万石ずつ減っていくのだそうだ。説明が終わると言われるとおりに合掌をした。

 終わって一段下の本殿に行ったが、その部屋には御三家や御三卿しかはいれなかったそうだ。そこを通って下のところに戻った。回廊を回って陽明門に戻った。小便がしたかったのでお札を売っている人にトイレの場所を聞いた。仁王門の近くにあった。雨が降り出していたので、しばらくそこで雨宿りをした。目の前に五重塔があった。

 その後婿がカキ氷の有名な店に行きたいと言ったので輪王寺を見るのはやめて右手の間道へ向かった。地図によるとその方が近かった。

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                                 想像の像

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                   三 猿

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              陽 明 門

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          陽 明 門

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           眠り猫

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               雀

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           奥社宝搭

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2019年8月18日 (日)

東京・日光旅行ー③日光へ

 14日の朝4時半ごろに起きた。東京は曇りであったが、日光の天気はどうなのか気になった。タクシーは6時20分に迎えに来た。三鷹駅から新宿へ行った。新宿で東武日光行きに乗り換えた。「日光1号」という特急で成田線と同じホームから出た。この列車は成田エキスプレスの車両を改装したもので、華厳の滝や中禅寺湖をイメージしたブルーシートで座席の間隔が広くゆったりしていた。ちなみに奇数車両のシートは紅葉をイメージした橙色だ。シートは成田エキスプレスのグリーン車と同等だそうだ。東武日光駅まではちょうど2時間である。

 7時36分に発車した。日光1号はJR線を走り、途中栗橋で東武線に入るのだ。また栗橋では電流の交直切り替えがあった。沿線は栃木県近くまでは住宅が続いていたが栃木に入ると田園風景が見られ、遠くのほうに山並みも見られた。下今市で鬼怒川方面と東武日光方面に分かれていた。

 東武日光駅には9時36分に到着した。曇りだが暑かった。金谷ホテルの送迎車が来たので10時の出発まで車に乗せてもらった。ホテルへ行く客は私たち2人だけであった。

 その日中禅寺湖へ先きに行った方がよいか運転手さんに尋ねたら、道路が来るまで渋滞してほとんど走れないくらいだから時間がかかることを覚悟しなければならないと言った。それで中禅寺湖へ行くことは諦めた。

 ホテルまでの道も車が続いていて時間がかかった。10時40分ごろにホテルに着いた。ホテル正面のローマ字のKANAYA HOTELは明治6年の創業当時からのものであった。回転式のエントランスから入るとロビーは狭く、フロントも小さくて創業以来のものだと思われた。ベンチが置いてありそこでチェックインが済むのを待った。

 ホテルに荷物を預けて、外に出ると傘が置いてあったので有難かった。まだ雨は降っていなかったが、折りたたみ傘よりすっとよい。東照宮へ向かった。ホテルから道路まではかなりのきつい勾配の石畳の道であった。途中に星の宿というホテルがあり、ステーキハウスがあるのが不思議であった。

 道路に出ると車で渋滞していた。左へ曲がって歩いていくと赤い橋が川に架かっていた。後で分かったのだが「神橋」という東照宮へ行く重要な橋であった。橋には風鈴が吊るしてあり風鈴祭りとかいてあった。その橋を渡るには何と300円払わなければならないのだ。誰も渡っていなかった。

 私たち観光客は手前の橋を渡った。川は岩がいっぱいで傾斜があり急流であった。驚いたことに川霧が発生してとてもよい眺めであった。みんなは写真を撮っていた。橋を渡るとメーンロードで車が渋滞していた。信号があったが車が止まっているとき横断していた。

 東照宮の石碑が立っていて上り口だと分かった。人々が列をなして急な石段を登っていた。日光開山の勝道上人の像が立っていた。大きな道に出た。歩いていくと大きな御堂があり、さらに行くと石段の上に金堂があった。金堂を過ぎて大きい鳥居が見えた。東照宮の石碑が立っていた。鳥居への道は人の列が続いていた。雨が降っているのにずいぶんの人出だと思った。

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           日光1号

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           日光金谷ホテル

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            神橋と大谷川の清流

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         日光の開山 勝道上人像

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                金 堂

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               東照宮鳥居

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2019年8月17日 (土)

東京‣日光旅行ー②末広亭

 永田町駅から地下鉄で新宿3丁目まで行って、地上に出ると末広亭はすぐ近くにあった。12時ギリギリに着いた。窓口で席があるか尋ねたら2階席と1階のパイプ椅子の席があると言ったのでパイプ椅子にした。案内されたら舞台下手の最前列左端であった。かぶりつきのようなものであった。

 すでに前座の落語が始まっていた。二つ目で春風亭昇太の弟子の様だ。この日の昼席のおおとりは昇太であった。2番目のピロキは他の人に替わっていた。大阪から来た国分健二の漫談は初めてであったが、大阪人の面白さをいろいろ紹介して面白かった。8月中席の出演者は知らない人が多かった。落語家では春風亭柳好、昔々亭桃太郎と春風亭昇太ぐらいであった。

 落語家は700人ぐらいはいると言われるから、 知らない落語家が多いのは当然で、どんな落語を聞かせてもらえるか楽しみであった。一番変わっていたのは夢花で京言葉と江戸言葉の会話を対比させていた。話の途中で「あー」と大声を出してのけぞり、背中を床につけるという動作を6回ほど繰り返していた。こんな落語は初めてであった。

 おおとりの春風亭昇太は、自分の結婚で笑いを取り、小泉進次郎とクリステルの結婚発表で関心がそちらに移ったと喜んでいた。落語は古典落語であったが、大げさな身振りと噺方で笑いをとっていたが面白かった。

 色物では太神楽の鏡よし乃を初めて見たが上手であった。大ベテランの東京太ゆめ子の夫婦漫才がさすがであった。いつも東洋館を舞台のテレビで見ているがやはり実演はよかった。歌謡漫談の東京ボーイズは昔からの手慣れたネタを披露した。

 末広亭はお盆だからか立ち見の人が一杯で出演者たちもみな喜んでいた。国立演芸場に行くことができなかったのは残念であったが末広亭で16時半まで暑さを忘れて楽しむことができた。後ろの席の客がちょっとしたことでも大声で笑っていたので驚いた。単純に笑えるなんて幸せな人だと思った。

 末広亭を出ると3丁目からJR新宿駅まで地下道を歩いた。以前にも歩いたことがあるので何となく分かった。その夜は娘の家に泊まって次の朝早く起きて日光行きだ。日光へは3回目になるがどう変わっているかも楽しみだ。

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2019年8月16日 (金)

東京・日光旅行ー①国立演芸場

 7月の末に婿から電話があり、お盆休暇の間に日光へ行かないかと誘いがあった。1泊2日で行き金谷ホテルに泊まるというのであった。日光金谷ホテルの名は聞いたことがあったが、その程度であった。次の日14日の日光金谷ホテルの予約が取れたと電話があった。宿泊費は負担するから交通費だけ自分で払ってということであった。有難い招待で楽しみであった。

 8月に入り、台風9号が発生した。その後すぐに10号が発生し、大型台風でノロノロと進み九州・四国辺りに向かいそうであった。連日台風の情報が放送され、お盆ごろに日本に来そうだということであった。

 せっかく東京へ行くのだから12日に行きたかったが、コーラスの総会があったのでやむなく13日に行くことにした。ますます台風の影響をうけそうであった。

 13日の朝7時半ごろに家を出た。8時半ごろの東京行き「のぞみ」に乗った。自由席はガラガラであった。台風の影響もあるのかも知れないと思った。東京は雨が降っているとLINEがあった。

 のぞみの中でスマホで国立演芸場について検索した。雨が降っているので歩き回るのは嫌だから落語を聴きに行こうと思ったのだ。池袋演芸場と国立演芸場はまだ行ったことがなかった。池袋演芸場は小さいので入れないかもしれないと思い、250名あまりのキャパのある国立演芸場に決めたのだ。

 国立演芸場はメトロ半蔵門線の半蔵門駅近くにあることは分かったが、いろいろと調べたが東京駅からどうやって行ったらよいのかがわからなかった。1時間あまり調べていたら、偶然親切なブログを見つけた。東京駅から国立演芸場への行き方を懇切丁寧に書いてあった。それを読んで頭の中に入れた。

 東京駅に着くと、思い出しながら歩いた。丸の内口に向かって表示を見ながら歩いた。分かりやすかった。丸の内口改札を出るとまっすぐに地下へ降りて東京メトロ丸の内線へ向かった。その線に乗って次の大手町で半蔵門線に乗り換えた。後で分かったのだが、大手町まで歩いて行けば半蔵門線に乗れたのだ。

 半蔵門で降りて演芸場の案内表示を探したが国立劇場の案内しかなかった。国立劇場の一角にあることは分かっていたのでそちらの歩いていった。雨は降っていなかったが蒸し暑くで歩くのが苦しかった。国立劇場という大きな矢印の指すほうに曲がると国立演芸場があった。どうして演芸場の案内を路上に表示しないのか、その不親切さが頭にきた。

 演芸場の入り口の「満員売り切れ」の札が貼ってあった。チケット窓口で聞くとやはり売り切れだと言った。はるばる名古屋から来たので何とかならないかと言ったがどうにもならなかった。暑い中を苦労してたどり着いたのにがっかりであった。

 仕方がないので新宿末広亭に行こうと思い、行きかたを尋ねた。永田町まで歩いた方が近いと言ったのでそちらへ行った。途中警視庁があった。暑くなければその辺りを歩いてみたかったが、その元気はなかった。平河町というのがあった。たしか自民党本部があるはずだと思った。

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2019年8月15日 (木)

軍国少年

 昭和16年12月8日に日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し米国との戦争が始まった。その次の年の4月に私は国民学校に入学した。日本は戦線を南洋と言っていた地域に拡大していた。学校では天皇のために命を捧げる教育がされ、やがては軍人として国に奉仕することが美しいことだとされた。だから私は幼心に将来は海軍士官となる夢を抱いた。以前にも書いたが、友人の前田君の兄が海軍士官で、格好良い写真を見ていたからだ。短剣を腰に差した紺色の軍服は本当に恰好がよいと思った。そこへ行くと陸軍の軍服はださく魅力がなかった。

 私は真面目であったから先生などの教えをしっかりと守った。1年生の最初の授業参観では戦争ごっこのようなものをやらされた。私は一つの班の隊長として玩具の軍刀をもって先頭に立って机の間を走り回ったことを覚えている。

 祭日に熊野三山の1つの速玉神社へ参詣に行くことがあった。そのときは隊列を組んで歩調を取って歩いて行った。私はその先頭に立った。体育の時間にはきれいに隊列を組む練習や膝を上げて歩く練習が繰り返された。子どもだから鉄砲こそもっていなかったが軍隊式に歩くのであった。指令台の上には校長先生が立っていて、その前を歩くときは「頭右(かしらみぎ)」をして敬意を表した。

 紀元節や天長節などの祭日には必ず講堂で式があり、前にも書いたように天皇・皇后の御影(ギョエイ)が開けられ、校長によって教育勅語が恭しく読まれた。天皇・皇后の写真の前では頭を下げさせられたのでまともに見ることはなかった。

 国民学校1年の国語の教科書の最初は「ススメ ススメ ヘイタイススメ」であったか、それとも「ヘイタイサン ススメ ススメ チテ チテタ トタ テテ タテタ」だったか思い出せないが、いずれにせよヘイタイがあったことは確かだ。国語の教科書にも軍事色が持ち込まれたのだ。ネットで見ると、そんなことぐらいで軍国教育にはならないという意見があったが、私は十分に影響を与えたと思っている。

 いろいろな機会を捉えて戦争に協力する国民が作られて行ったのだ。私たちは「少国民」と呼ばれていた。そして私はいつしか立派な軍国少年となっていたのである。

 ただ運がよかったと思うのは、少年兵などになる前に戦争が終わったことであった。もし軍隊などに入ったら私などは劣等兵か丙種合格ぐらいだったと思う。何故なら運動神経がからきし駄目で、体力もなかったからだ。海軍士官など夢のまた夢であったのだ。軍国少年として意気だけは高かったのだが、からきし弱虫の少年であった。 

 

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2019年8月14日 (水)

ビッグデータの安全性に懸念という記事

 ビッグデータという言葉が登場したのはいつごろからだろうか。今では当たり前のように使われている。マーケティングなど幅広い分野で活用されている。個人のスマホなどのメールアドレスに、知らないところからセールスなどのメールが送られて来ることがしょっちゅうある。明らかにビッグデータを使って個人の好みや傾向を調べていると思われる。

 ビッグデータは企業など第三者に提供・販売されているのだ。アンケートに答えると「知り得た情報が特定のところに提供されることがある」などと書いてあってそれを認めるように要求される。ビッグデータさまざまな形でさまざまな場面で集められているのだ。

 スーパーなどでの品物の購入履歴は見事に詳細に記録されている。マナカなどで地下鉄に乗った記録も詳細に記録されていて履歴を印刷すると見ることができる。ATMで金の出し入れをした時も同じだ。インターネットだけでなく、日常生活のあらゆる場面でビッグデータが収集されているのだ。

 それを可能にしたのがコンピュータやAIの発達である。この30年ほどで私たちの生活はずいぶんと便利になったが、その反面個人のプライバシーが無くなった。街を歩いていると至る所に防犯と称するカメラが設置されており、事件があったときにはそこに写された映像によって容疑者が特定される。我々は監視社会の中で生活しているということだが、それは防犯カメラだけでなく、ビッグデータによっても行われているかもしれないのだ。

 今回の英国とベルギーの研究チームが、英科学誌ネイチャー・コミュニケーションに発表した「ビッグデータなどで活用される匿名化された大量のデータの安全性に疑問を投げかける研究結果」が、匿名でも個人の特定が可能だとしている。なんと米マサチューセッツで99.98%の個人を特定したというのだ。

 使われた公開データは、性別、郵便番号、人種、住宅ローン、学歴、結婚歴、車の所有状態、市民権の状態、生年月日、職業など15種の属性だという。組み合わせる属性が多いほど特定できる度合いが高まる。 

 先にも述べたようにデータはあらゆる場面・形で集められているから、利用できる属性は増えるばかりだ。現代社会に生きる我々は見えない檻の中で生活をしているようなものだ。すべて誰かにお見通しの状態なのだ。中国のように国家がデータを把握するようになると自由も人権もない。日本はどうなっているのであろうか?

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2019年8月13日 (火)

森友学園問題予想通りの帰着

 権力を持つ者は強い。あれほど騒がれ疑惑に満ちた森友学園問題だが、司法の場では不問に付された。森友学園への国有地売却や財務省関連文書の改ざんをめぐる問題で、大阪第一検察審査会が「不起訴不当」と議決した佐川宣寿元財務省理財局長ら10人を再捜査していた大阪地検特捜部が9日、再び全員を不起訴処分としたのだ。

 再捜査の対象は、

①財務省近畿財務局がごみの撤去費用8億円余りを値引いて国有地を森友学園に売却し,故意に国に損害を与えたとする背任容疑。

 検察審査会が再捜査に「客観性のある試算」を求めていたが、特捜部は値引きが不当とまでは認められないとして、試算をしたかどうかは「差し控える」として説明をしなかった。

②決裁文書を改ざんした有印公文書変造・同行使容疑。

 決済文書から安倍首相の妻昭恵氏や政治家の名前が削除された。検審は「常識を逸脱した行為」「大幅な削除により、原本が証明した内容が変わった」と指摘。これに対し特捜部は文書の内容や趣旨が大きく変わったわけではないと判断した。

③財務局が学園側との交渉記録などを国会で問題になった後に廃棄したとする公文書毀棄容疑。

 特捜部は財務省の規則が保存期間を「1年未満」とする点を重視し、起訴しなかった。

 一般国民の常識からすると森友問題は起訴されてしかるべきであり、疑惑とされる点は徹底的に調査して明らかにされるのが当然である。それをすべてうやむやにして理由も説明せずこの問題に蓋をしてしまった。これで安倍政権は安泰である。ホッと胸をなでおろしていることであろう。当事者の一人、籠池氏は「首相を守るために忖度した判断だ」と述べたそうだがそうであろう。

 朝日新聞は「第三者委員会を設けて調査をするように」と述べ、政府と国会は徹底的検証をと求めている。与党一強の国会でそれができるとは思えないし、政府はもちろんやるはずがない。それでいいのか。何とも後味の悪いことである。

 

 

 

 

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2019年8月12日 (月)

夕涼み

 「夕涼み」という言葉はおそらく死語となっているであろう。タイトルにもってきたが「?」と思われるに違いない。ここまで書いてネットで見たら「夕涼みイベント」がいろいろあることが分かった。

 このところずっと続く猛暑でテレビでは「熱中症にご注意ください」とやかましく、実際熱中症で救急搬送される人が増えていて、亡くなる人もいる。幸い現代はエアコンがあり、わが家にも3台あって、日中はそのうち1台をつけっ放しにして暑さを凌いでいる。

 そんなとき、ふと頭に浮かんだのが「夕涼み」という言葉であった。夕涼みは大平洋戦争が始まるとできなくなり、戦争中はそれどころではなかったが、戦争が終わると夕涼みができるようになった。

 戦前、戦後の子どもの頃は扇風機がある家はお金持ちの家だけで、一般の家庭では団扇を使っていた。今でも街へ行くと紙の団扇が配られるところに出くわすが、そんな団扇ではなく、竹を細く薄く裂いて作った骨の上に、紙を貼って作ったしっかりしたものであった。暑い夏は団扇を手にしてパタパタと煽いで風を送ったものであった。

 夕方になると「たらい」にお釜で沸かした湯を入れて行水(ぎょうずい)をした。「たらい」も「行水」も死語となったであろう。行水をすますと汗が取れさっぱりとした。

 夕食後は団扇を持って外に出た。近所の家の人たちも同様であった。一か所に集まって大人も子供も夕涼みをするのだ。近所の家の中には縁台を持っている家があって、そこに集まったのだ。暑い時は打ち水をして気化熱を利用して気温を下げた。

 子どもたちは裸で、パンツ一枚であった。大人も男は裸だった。「夕涼み よくぞ男に生まれけり」という榎本其角の有名な川柳がある。たしかに男の特権?ともいえるものであった。でも、女性でも熟年の人には半裸の人もいた。浴衣などと言うものはまだ買えなかったのだ。

 この川柳はネットでは男尊女卑の差別語だと書いているサイトがあってびっくりした。。差別用語ではなく、江戸時代から続いた庶民文化だと思うのだ。

 縁台には蚊取り線香が炊かれ蚊の襲来に備えた。それでも蚊がとんでくるので団扇で追い払った。夕涼みの楽しみはそこでお喋りをすることであったが、将棋盤を持ち出して将棋をするのも楽しみであった。誰か二人が対戦するのをみんなが囲んで見ながら、いろいろと講釈をした。「岡目八目」という囲碁の言葉があるが、将棋も同じで見ていると意外と分かるのだ。

 夕涼みは9時ごろまで続いた。その時刻になると暑さが少し和らいでいた。みんなは「お休み」と言ってそれぞれの家に戻った。

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2019年8月11日 (日)

蚊にはもてる男

 梅雨があけて以後連日猛暑日またはそれに近い日が続いている。小さな庭は土がからからにかわいている。毎朝ホースで育てている植物や植木鉢に水をかけている。本当はジョロで丁寧にやるとよいのだが、庭に出るとたちまち蚊が寄って来て足や腕など露出したところをさされてしまう。だからホースで水を雨のようにばらまくのだ。

 それでも今朝も足に止まった蚊を6匹ほどたたき殺した。しばらくするとかゆみが出てきてかゆみ止めを適当に塗った。蚊は水のあるところに卵を産んで育つのだが、庭には水のあるものは置いていない。いったい蚊はどこに潜んでいるのだろうと不思議である。とにかくすぐに私を見つけてどこからか飛んでくるのだ。

 蚊は皮膚から出る炭酸ガスを察知して寄って来るのだということをどこかで読んだ覚えがあるが、その察知能力には驚かざるを得ない。蚊が血を吸う速さが半端ではない。あっという間に腹が赤くなるほど血を吸う。手で叩き潰すと赤い血が広がる。

 蚊に刺されやすい人と刺されにくい人がいると言われる。どうして違うのか知らない。蚊が刺すのは雌の蚊だということを聞いたことがある。卵を育てるために血を吸うのだというのだがこれも定かではない。雌だとすると俺は蚊には大もてだということだ。有難迷惑である。もてるなら人間の女性の方がよいが、こちらには全く縁がない。

 ずっと以前「探偵ナイトスクープ」で蚊に刺されない人があるということで、ビニールで囲った中にその人が入り、無数の蚊を放つという実験をやったことがあった。その無数の蚊は蚊を研究使用に飼育しているところから持ってきたのだ。蚊を研究している人で蚊を腕に止まらせて観察している映像を見たことがあるが、とても真似はできない。

 私が子供の頃は周りに田んぼやどぶ川や小川があり、その上戦時中‣戦後は防火用水というのがあった。そこには蚊の幼虫のボウフラがうようよと泳いでいた。ボウフラは水面に上がったり、深く沈んだりを繰り返すので面白くて見ていたものであった。蚊はどこにでもいて蚊の中で暮らしている感じであった。

 夜寝るときはどこに家でも蚊帳というのを吊ってその中に布団を敷いて寝た。蚊帳に入るときは裾を少し持ち上げて体をかがめて中に入った。上手に入らないと「蚊が入るよ!」と母親に叱られたものであった。そんなに用心をしていてもたまには蚊が入ることがあった。

 家の中では蚊取り線香という渦巻型の線香を燃やして蚊を退治した。金鳥蚊取り線香の発明品で除虫菊を元に作ったのだと言っていた。フマキラーという噴霧式の蚊を退治するものがあった。30cmぐらいの大きさのピストン式のもので薬を噴霧させた。現在は小さなスプレーでシュッと一吹きするだけでよいのだから大した進歩である。

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2019年8月10日 (土)

奥歯の治療をした

 3月だったと思うが、食事をしているとき右下の奥歯が欠けた。以前にセラミックで治した歯であった。欠けた次の日かかりつけの歯医者へ行って診てもらった。その歯医者は大変人気があって全国から患者が来るくらいである。それで治療は7月に歯の型を取り、8月にはめることになった。医者は欠けた状態で普通に食べても大丈夫だと言った。

 それから4か月、長かったがやっと7月23日に麻酔をして型をとった。そして8月7日にやはり麻酔をして歯に被せた。昔のように金属を被せるのだと思っていたが、家に帰って鏡で見たらセラミックのようであった。奥歯3本のうち前の2本には昔治療したときの金属が被っている。一番奥が今回治した歯で普通の歯のように乳白色であった。

 金属の歯を被せるのは良くないと言われている。それでセラミックでやったくれたのだと思った。歯の治療代は欠けた歯に保険のようなものがついていたそうで無料でやってもらえた。歯の神経は残っているしセラミックを被せたので多分死ぬまで大丈夫であろう。ちなみに私は8020の表彰を受けており、その後も3年7か月歯は健在である。

 

 

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2019年8月 9日 (金)

茗荷の花と百合

 我が家の庭の片隅に茗荷が生えている。妻がいつも上手に茗荷を見つけて取って来る。先日、たくさんの茗荷の花を取って小皿の上にのせて食卓の飾りにした。花が終われば残った実を食べるそうだ。下の写真のようにクリーム色の割合大きな花が咲く。知人に送ったら何の花?という質問があった。茗荷の花を見ることはないからだろう。

 茗荷は多分根で増えるのだと思うのだが、庭のあちこちに飛び火して生えている。不思議だ。

 もう一つ、花の話題だ。百合である。百合といえば6月頃がシーズンだと思うのだが、8月になって写真のような百合を2か所で見つけた。一つは家と家の狭い間に何故か百合がいっぱいあった。日も当たらないのにどうしてそんなところに百合があるのか不思議だ。

 もう1か所は山崎川の土手で、6月頃百合が咲いたのだが、この時期にまた百合が咲いている。何という百合か名前は知らないが、6月に咲いた百合と形や色はよく似ている。

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2019年8月 8日 (木)

米国で連続で起きた銃乱射事件―トランプ大統領の責任重大

 米国テキサス州エルパソで3日に、オハイオ州デイトンでも4日に連続して銃の乱射事件が起きた。テキサスでは20人が死亡し、26人が負傷した。オハイオでは9人が死亡し16人が負傷した。

 京アニが焼かれた事件ではガソリンであったが、日本は銃所持が規制されているから銃の乱射はやくざの喧嘩ぐらいだ。米国では学校内での銃乱射事件も度々起きている。

 今回の乱射事件は、ヘイトクライムだと言われている。そして米国のメディアの中にはトランプ大統領がメキシコとの国境に壁を築くとか、イスラム教徒やラテンアメリカ系の入国を制限するなどでヘイトを煽っているのが影響していると指摘しているのがあるという。

 私もこのニュースを知ったとき、すぐに頭に浮かんだのはトランプ大統領のヘイト行為であった。今回のテキサスでの乱射事件の犯人は、移民を中傷し、ネットで「移民は米国の未来にとって有害になりかねない」と書いていたと言われる。

 乱射事件のあったエルパソは人口68万人ののうちヒスパニック系が8割を占めるという。オハイオの乱射はヘイトかどうかは不明だがヘイトではないかとニュースでは言っていた。

 日本ではヘイトは言葉で行われるが、銃の乱射をして無差別に人に危害を加えるというのは信じられない行為だ。テロといい、乱射といい、無差別に人を殺す人間がいるのは残念でならない。

 今の銃は弾を機関銃のように連発できるから何十人も殺したり負傷させたりできるのだろう。そういう銃を野放しにしている米国人はどうして銃規制に動かないのだろう。トランプ大統領も銃規制には反対の様だから困ったものである。

 

 

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2019年8月 7日 (水)

サンマが大不漁とは!!

 「公海 サンマがいない?」という記事が朝日新聞に載っていたので「エッつ?」とびっくりした。サンマは大好物の魚で子どもの時から食べてきた。育ったのが南紀新宮市なので大平洋でサンマが獲れ、漁港のある勝浦などから行商のお婆さんがサンマを売りに来ていた。また行きつけのハマノ鮮魚店でサンマを買うこともあった。

 あの辺りは「サンマ寿司」が名物で、正月の欠かせない料理であった。土地の人たちは年末にサンマを仕入れて甕に入れて寿司用のサンマを用意した。ときどきスーパーなどでサンマ寿司を買うことがあるが1匹分で700円前後はする。

 サンマは煮たり焼いたりして食べ、その他に干物のサンマが丸干しと開きと2種類あった。それでシーズンにはサンマを朝食に食べて夕食時にまた食べることもあった。

 三陸の方からサンマは太平洋を南下してきて南紀で秋の終わりごろから獲れるようになるのだ。サンマ寿司にできるのは油が少ないからだと言われる。あの目黒のサンマのように油が滴るのは北の方のサンマである。

 その大好きなサンマが大不漁だというのでがっかりである。サンマのことを英語でsauryというが、発音はソーリーでsorryと同じだ。サンマが獲れないなんてソーリーである。

 サンマが獲れなくなってきたのは以前から言われていたことだが、年々漁獲が減り今シーズンは最悪だというのだ。太平洋の公海で台湾や中国の漁船が獲れるだけ獲ってしまうのだ。サンマが夏から秋にかけて、公海から南下して日本近海にやってくる。その前に彼らは獲ってしまうのだ。記事によると日本に来るサンマがいるはずの公海にサンマの姿が少なくなったという。何とかならないものかと思う。

 新宮市出身の文豪佐藤春夫は有名な「秋刀魚の歌」という詩を書いた。

あはれ
秋風よ
情〔こころ〕あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり
さんまを食〔くら〕ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は
小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝〔なれ〕こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証〔あかし〕せよ かの一ときの団欒ゆめに非〔あら〕ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。

 

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2019年8月 6日 (火)

原爆殺人とガソリン殺人

 京都アニメーションにガソリンを撒いて火をつけ35人の死者と35人の傷害を負った犠牲者が出た事件。京アニが失った貴重な人材とこれまで築いてきた貴重な資料などが失われた。犯人はまだ回復せず事の真相は不明のままだ。

 今日は広島に原爆が投下された日。1945年8月6日に米空軍の爆撃機が広島の上空で原子爆弾を投下し、一瞬にして広島は焦土と化した。30万人近い人命と建物と財産とすべてが失われた。

 京アニの事件と比べると原爆の被害は天文学的なものだ。方や一人の男がガソリンを撒き、他方は国家によって原爆が落とされたのだ。ところが原爆投下は戦争の中で行われたのでその罪は不問にされている。無差別に人を殺し、モノを破壊する行為が戦争なら許されていいものか。

 おそらく原爆を投下した米国が戦勝国であったからその罪を問われることがなかったのであろう。負けていたら戦争裁判により厳しく裁かれたに違いないと思う。アメリカの博物館に展示されている原爆を見たことがあるが、何の反省もなく展示しているいる無神経さであった。

 以前にも書いたが、原爆は一瞬にして大都市を壊滅させる悪魔の兵器だ。しかし、B29による日本全国の都市への無差別絨毯爆撃も原爆に劣らない仕業であった。一か所に対する規模が小さいだけでその卑劣さは原爆と同じである。

 原子爆弾は人類の発明した最悪の武器だが、火薬や化学兵器もそれに劣らない武器である。今も地球上で戦争が行われ、殺しあいや破壊をしている。そして核兵器や通常兵器の製造をしている。各国は膨大な金を使って軍備を拡張しているのだ。

 何という愚かなことだ。いったいいつになったら人類は目覚めるのか。目覚めることなく自滅への道を突き進むのであろう。

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2019年8月 5日 (月)

トリエンナーレ「表現の不自由展・その後」が見られなくなり残念

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が75日間の予定がたった3日で見られなくなった。河村市長が抗議をしたという新聞記事を見たときすぐに見に行けばよかったのだが、あいにく他用があって行けなかった。次の日の新聞には一面トップニュースとして、テロ予告や脅迫が相次いで中止になったと出ていた。

 電話やメールによる抗議や脅迫は、1千件以上あったという。中には京アニ事件に悪のりしたガソリンを撒くというファックスまであったそうだ。こうした抗議や脅迫は、そうすることを楽しむという連中も結構いるのではないかと思った。

 抗議の対象は不自由展のどの展示なのかは新聞では分からないが、記事から推察すると、韓国の慰安婦を表現した少女像や作品に憲法九条を守る趣旨の紙をつけて東京都美術館から撤去を求められた作品、昭和天皇を含む肖像群が燃える映像などのようだ。

 こうしたことから考えるとネトウヨやそれに類する人たちの起こした抗議・脅迫のように思われるがどうであろうか。それにしてもこうした展覧会が脅迫によって中止に追い込まれるというのは残念でならない。

 見る機会を失ったので展示内容のことは全く分からないが、各地公共施設で展示できなかった作品を集めて「表現の不自由」を考えてもらおうというのは良い企画だったと思う。それを気に食わないからと脅迫でやめさせるというのはまさに表現の自由が危機的状況に来ていることを示唆している。

 日本ペンクラブの「同感であれ、反発であれ、創作と鑑賞のあいだに意思の疎通し合う空間がなければ、芸術の意義は失われ、社会の推進力たる自由の気風も萎縮させてしまう」という声明に賛成ある。声明は河村名古屋市長が展示中止を求めてことについて「行政に要人によるこうしたはつげんは政治的圧力そのものであり、憲法21条2項が禁じている『検閲』にもつながる」と指摘しているがもっともである。

 見る機会を閉ざされたことが非常に残念でならない。

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2019年8月 4日 (日)

蝉の大合唱、蝉の小便、そしてミミズの「自死?」

 6号台風が行ってから梅雨があけ、晴れた暑い日が続いている。8月1日の朝、いつものようにウオーキングに行った。山崎川沿いの桜並木を歩いて行く。蝉の鳴き声が絶え間ないが、桜の葉がよく茂っているところは蝉の鳴き声が特に激しく、ジャージャーとうるさい。「蝉しぐれ」という言葉がふと頭に浮かんだ。

 「時雨」は秋の末から冬の初め頃に降る雨で、蝉の合唱を降ったりやんだりする時雨に例えたものであろう。昔の人は味な言葉を残したものだ。だが、この時期の蝉の鳴きようは時雨なんてものではない。汗をかきながら歩いていると煩さは頭に響き余計に暑くなる。

  そんな蝉の大合唱の中を歩いていたら、鼎橋の辺りで急に頭に水がかかった。咄嗟に「蝉の小便だ」と分かった。子どもの頃よく蝉取りをしに行ったものだが、蝉が飛び立つ瞬間に小便を掛けていくことがあった。それが脳裏をよぎったのであった。蝉に小便をかけられても少しも涼しくはない。

 「蝉の小便」を検索したら、飛び立つときに体を軽くするためという説や膀胱が弱いからという説があるようだ。体内の余剰水分や消化吸収中の樹液を外に排泄しているだけで、外敵を狙っている訳ではない。蝉の尿はほとんど水で無害だという。

 道の上にはときどきアブラゼミやクマゼミの死骸が落ちていた。最近はクマゼミが増えているようだがアブラゼミもいることが分かる。でも、蝉の鳴き声はクマゼミが多いように聞こえる。田辺公園の近くでクマゼミが数匹落ちているのを見た。

 田辺公園と言えば、左右田橋からの路上にはミミズの死骸やまだ生きているミミズをいっぱい見た。例年暑いこの時期に大量のミミズが死んでいる、または死にかかっているのを見る。これまでもblogで取り上げたことがあった。

 どうして梅雨明け近くから明けて暑くなる頃ミミズが路上に出てきて「自死」をするのか不思議でならなかった。ミミズは細い若いミミズも、太くて長い主のようなミミズもいる。なぜコンクリートの上で死ぬのか?大きな疑問であった。

 ネットで調べてみたら、ミミズがコンクリートの道の上で死ぬことを取り上げたサイトがいくつも見つかった。その理由を探っている人もいるのだ。それによるといろんな仮説があってまだ定説はないようである。

 東京学芸大学の藍名誉教授の説では、「環形動物のミミズは、呼吸のための装置を持っていません。それで、体の表面全体で呼吸をしている訳です。つまり”皮膚呼吸”です。」皮膚呼吸が原因で、地中から地上に逃れてしまうのだという。どうしてか?「呼吸器が無いために、雨水が溜まった土のなかではやがて息苦しくなります。また、土が太陽光で熱くなったとき、体温調節のできないミミズは必死で地上に這い出てしまいます。いずれも目のないミミズにとっては、もっとも危険な生きるための逃避。それが生命を落とすことになるという訳です」

 また、こんな説明もあった。土が雨でしめってしまうと土の中の酸素の量が少なくなり苦しくなってそとにでてくるというのだ。外に出て土の中に戻ろうとしても、つい分がどんどん乾いていくので、地面が固くなって戻れなくなる。そのうちに体の水分も乾いてしまい身動きが取れなくなってしまうのではないかという説である。

 梅雨が終わるころから死骸を見るのが多くなるのはそういうことかと思った。

 

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2019年8月 3日 (土)

女性の働き手が3千万人突破というニュース

 7月31日の新聞に「女性の働き手 初の3000万人突破」という記事が載っていた。総務省が30日に発表した6月の労働力調査だ。前年より53万人増えて3003万人となった。とうとう3000万人を超える女性が働きに行く時代となったのかと思った。

 「専業主婦」という言葉があり、いろいろと問題になっていたが、今はそんな時代ではなくなったのだ。我が家の場合妻はずっと専業主婦であった。パートにも出たことがない。贅沢はできないけれどそれでも何とか子育てもできた。共働きの友人は定年後は経済的に楽にくらしている。うちのようにそうでない家庭は私だけの僅かな年金ぐらしである。今更愚痴っても仕方がない。

 バブル期の1989年6月の女性の就業者数は2553万人で、20年間で450万人も増えたことになる。その理由として、記事は女性の社会進出に加え、人手不足の企業が女性の積極採用にかじを切ったことがあるとしている。

 自営業主や会社役員を除いた雇用者に占める非正規率は、男性が約23%、女性は約55%だそうだ。女性が圧倒的に多いのは当然だ。昔は男性が働いて一家を養うというのが当たり前のことであったが、昨今は若い男性の収入が低くて、世帯をもつととても家族を養っていけないので、女性がパートに出るなどして働きだしたのだ。

 先日PTA活動に参加できる人が少なくなっているとか、学校の家庭訪問や個人面談も困っているという記事があった。専業主婦が少なくなってそういうところにも影を落としているのだ。

 安倍首相がいう「女性が活躍する社会」をヨイショするわけではないが、女性の社会進出はよいことだし、人手不足が言われる中で女性も高齢者も動ける人は働くことが望まれる。

 ただそのためには、経済面、福祉面など働きやすい環境を整えることが大事で、ただ戦力としてこき使うようでは駄目だ。本当に女性が活躍する時代はまだ先のことだ。

 

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2019年8月 2日 (金)

子どもに大きな影響を与えた3つのエポック

 子どもに大きな影響を与えた情報手段として画期的な製品を作り出したエポックが戦後3回あった。その第一はテレビジョンの出現。次がテレビゲームや携帯ゲーム機など。3番目がスマホの出現である。

 テレビ放送が始まったとき、評論家の大宅壮一氏が「一億総白痴化する」と指摘したのは有名な話だ。彼が心配した通りテレビにくぎ付けとなった子供や大人にテレビは麻薬のように働いた。米国ではテレビの子供への影響を憂慮した本が書かれた。また、「テレビに子守をさせないで」というフレーズも現れた。

 民間放送はスポンサーがつくかどうかが重大事なので、テレビ番組はどうしても視聴率稼ぎになってしまう。その結果出演者だけがガチャガチャと騒いで楽しむ、どうでもよい番組が多く作られた。PTAから眉を顰められる番組もたくさんあった。

 その次がテレビゲームなどの出現で、今から30年近く前であろうか。子どもたちはゲームに夢中になった。任天堂の携帯ゲーム機は大変な人気で、修学旅行にまで持ってくる子供さえいた。ゲームは大人も夢中にさせたが、私はゲームをやったことがない。

 3番目に現れたのがスマホで、携帯電話のときはそれほどの影響はなかったが、スマホが普及すると子供もスマホをほしがり、ゲームだけでなく、SNSに夢中になり勉強がおろそかにされるようになった。中には赤ん坊にスマホを与えてベビーシッター代わりにする親さえ現れた。子どものSNSではイジメガ問題にされるようになり、自殺をする者さえ現れている。

 国立情報学研究所社会共有知研究センター長の新井紀子教授は、「AIvs教科書が読めない子どもたち」で子どもの読解力の低下を指摘している。小学校から英語やプログラミングが導入され、国語の時間に影響が出ている。国語の学力は一番の基礎なのだが、読解力の低下は由々しき問題である。

 インテリジェンス(情報)・リテラシーという言葉があるが、これはテレビが始まったときから問題にされるべき概念であった。身近な便利な情報や機器に惑わされない力をつけることが望まれるのだ。

 

 

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2019年8月 1日 (木)

福島第一原発は未だコントロールされておらず!

 安倍首相が東京オリンピックの招致演説で「状況はコントローるされている」と大見得を切って招致に成功したが、トランプ大統領と同じ大嘘を平気でついたのであった。実情は原子炉建屋などの地下に溜まる高濃度汚染水はなお約1万8000トン。汚染水対策はコントロールできていないのだ。東京オリンピック開幕までについに1年を切り、東京丸の内には電光掲示板が設置されたというが、福島原発のこの状況を海外の人たちはどうみているのであろうか。

 28日の朝日新聞「汚染水 制御しきれず」によると、事故当初、1~4号機の原子炉建屋とタービン建屋の地下に溜まっていたのは約10万トン。東電は、井戸から地下水をくみ上げたり、建屋の周りの土壌を凍らせる「凍土壁」をつくったりして地下水の流入をへらしながら、地下の汚染水の水位を徐々に下げてきた。事故から8ねん、1万8000トンになったのだが、20年度中に6000トン減らして、最下階の床をほぼ露出させる目標だという。しかし、水位が下がらない部分があって原因さえつかめない状況である。

 その他に巨大津波対策も遅れがちで津波時に汚染水が海洋に流出するルートになりうる開口部を約50か所閉じる工事は21年度末までかかる見込みだという。想定されている千島海溝の巨大地震の津波を防げる防潮堤の増設は20年度上半期までかかるそうだ。

 安倍首相は五輪招致で「汚染水による影響は、港湾内の0.3平方キロの範囲内で完全にブロックされている」と述べたが、これも嘘であった。

 農水省によると、原発事故を理由とする水産物の輸入規制は22か国・地域で今も続いている。海外の目は厳しいことが分かる。

 原子力発電はいったん事故を起こすと汚染水対策だけでなく、廃炉への長い工程と技術が必要で、そちらの目途も立っていない状況にある。要する費用と人手は計り知れないものになっている。歴代政権は「原子力安全神話」を信じ込ませて原子力発電を推進してきた。それは大東亜戦争を推進するために、神国日本という神話を信じ込ませて来たこととダブる。

 原子力発電が如何に危険で厄介なものであるかが、誰の目にもはっきりわかったのに、未だに原子力発電を止めようとしない。何という愚かなことであろうか。

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