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2019年6月26日 (水)

久しぶりに「御真影」という言葉を見た

 23日の朝日新聞朝刊に「戦火の沖縄 いのちより『天皇の分身』という記事があった。リードの部分は、太平洋戦争末期の沖縄戦で、天皇を筆頭にした皇族の写真「御真影」を戦火から守るための部隊があった。「御真影奉護隊」。山中には今も御真影を隠した号が残り、子どもたちの命より「天皇の分身」を優先した時代を伝えている。23日、沖縄は令和最初の「慰霊の日」を迎える。と記事は書いている。

 「御真影」という言葉をおそらく73年ぶりに目にしたと思うのだが、私の脳裏には記憶されていて直ぐにこの言葉が出てきた。それほど強烈に記憶された言葉なのだ。

 記事は、御真影は戦前、文部省から教育勅語とともに全国のほとんどの学校に配された。「奉安殿」と呼ばれる建物に収められ、児童は前を通りだけで深々と敬礼をしなければならなかったと書いている。

 「奉安殿」も鮮やかに脳裏に浮かぶ。小学校の正門を入ったところにコンクリートの建物があり、頑丈な扉がついていた。職員室の前にあったが、私たちはその前を通らないようにしていた。ものすごく畏れ多いという気持ちであった。

 講堂で式がある度に、教頭先生が勅語を黒塗りの盆に入れて恭しく捧げて運んできた。私たちは全員頭を下げて下を向いていなければならなかった。講堂の舞台の正面には御真影を飾る場所があって、式のときに御簾を開けていた。

 その前で校長先生が重々しく教育勅語を奉読するのであった。「朕想うに我が皇祖皇祖・・・・」と。紀元節、天長節など祭日には必ず聞かされたのであった。

 記事によると、文部洋画1943年に通達した「学校防空指針」では、空襲の際に教師がとるべき行動は、第一に「御真影、勅語謄本、詔書謄本ノ奉護」、第二が「学生生徒及び児童ノ保護」とされた。

 沖縄では44年10月に大規模な空襲を受け、本島の学校の御真影を集めて守る方針を決定。校長や教師ら9人による「奉護隊」をつくったのだ。

 文部省が学生生徒及び児童の命より天皇・皇后の写真を守ることを優先せよと命じたのだ。たかが写真でいくらでも複製できるのに現人神とされた天皇の写真が大切だとされたのであった。

 今から思うと実に馬鹿げたことであったが、戦前は軍の力が強くなり軍国主義国家と変わっていく中で、批判する者はすべてアカだと抹殺され、メディアも従ってしまったのだ。

 憲法改正をめぐって大日本帝国憲法を懐かしみ、回顧する動きが盛んだが、少しずつ少しずつ巧みに変えようとしていることに注意を払わなければならない。ノーモア・ヒロシマという言葉があるが、ノーモア・軍国主義だ。

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