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2019年5月12日 (日)

連休後半の東京、人人人!!―⑥―西荻窪・国立西洋美術館

 東京最後の日は、西荻窪と上野の国立西洋美術館へ行った。西荻窪は以前にNHKテレビで骨董の街として紹介された。また、5月2日の「ハルさんの休日」で古民家を改造した「RE:GENDO」という和風レストランが紹介された。そういうことで西荻窪へいくことにしたのであった。

 西荻窪は吉祥寺の次の駅で調布からはすぐであった。娘が西荻の美容院を利用しているので詳しい。それで案内をしてくれた。駅を南出口に出ると細い商店街を通って、神明通りに出た。西荻には人はあまりいなかった。しばらくその辺を歩いて、元に戻った。そしてテレビで見たRE:GENDOを探した。駅からすぐのところにあった。

 テレビで見た通りの木の塀の外観であった。開店は11時からで10分ほど待った。予約なしの人は私たちの他に前に3人いた。あとの人たちは予約をしていた。

 11時になって中へ入った。テーブル席は全て予約されていた。私たちはカウンター席に案内された。私たちより後に来た高齢の婦人は外で待たされた。一人だが席がないのだ。

 このレストランは古民家を改造したもので、テーブルは京都の西陣の模様を作っていた板を利用していた。テーブルの足は、何と鉄道のレールであった。オーナーは鳥取から出てきてこのユニークなレストランを作ったのだという。

 料理は創作の寿司で、ムラサキ米を使って一口おにぎりのようにめるめ、上に魚ではなく、ノビル、そら豆、キノコ、パプリカ、アスパラの5種類の野菜を載せてあった。下の写真のように味噌汁や漬物、ニンジンの和え物などがついて1500円であった。値段は安くないが予約で来るところを見ると店の雰囲気と味がよいからであろうと思った。

 RE:GENDOを出たら南のアンチーク街へ行った。途中の店で地図をもらい歩いた。西荻窪は杉並区で静かな住宅街があった。西洋のアンチークの店で婿はいろいろと説明を受けた。気さくに話してくれる店主であった。娘はガラスのインク壺を買った。土の中から掘り出されたのだという。

 西荻窪には駅の北にも骨董街があるが、時間の都合でそちらには行かなかった。駅に戻ると総武線で秋葉原まで行き、山手線に乗り換えて上野へ行った。上野駅は大変な混雑であった。

 婿が国立西洋美術館でやっているル・コルビジェの展覧会を見るというのでついて行った。以下美術館の説明を引用する。

 ーー20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)が設計した国立西洋美術館本館は、2016年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。開館60周年を記念して開催される本展は、若きシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエの本名)が故郷のスイスを離れ、芸術の中心地パリで「ピュリスム(純粋主義)」の運動を推進した時代に焦点をあて、絵画、建築、都市計画、出版、インテリア・デザインなど多方面にわたった約10年間の活動を振り返ります。

 第一次大戦の終結直後の1918年末、ジャンヌレと画家アメデ・オザンファンは、機械文明の進歩に対応した「構築と総合」の芸術を唱えるピュリスムの運動を始めました。そして、絵画制作に取り組みながら新しい建築の創造をめざしたジャンヌレは、1920年代パリの美術界の先端を行く芸術家たちとの交流から大きな糧を得て、近代建築の旗手「ル・コルビュジエ」へと生まれ変わります。

 本展はル・コルビュジエと彼の友人たちの美術作品約100点に、建築模型、出版物、映像など多数の資料を加えて構成されます。ル・コルビュジエが世に出た時代の精神を、彼自身が作り出した世界遺産建築の中で体感できる、またとない機会となるでしょう――

 私はコルビジェのことは全く知らなかったが、「音声ガイド」を借りて要所で説明を聞きながら見たので彼の功績やピュリズムのことがよくわかった。印象的だったのは、彼と絵の師匠のオザンファンと瓜ふたつの絵を描いていたのが、1920年ごろにピカソのキュビズムの影響を強く受け、ピュリズムが変って行ったことであった。そして親友であったオザンバンともたもとを分かつのだ。

 コルビジェ展を見たら常設展の部屋につながっていたので常設展も見た。ピカソ、マチス、ドガなどの他に、ルノー、セザンヌ、モネ、コローなど印象派の絵がたくさんあり、ロダンの彫刻など見ることができた。

 美術館を出ると東京駅へ行った。ものすごい混雑であったが、帰りの指定券は買ってあったので構内で休憩をすることにした。パン屋の前にテーブルと椅子があったが既に座っていた。ただ、椅子の上に荷物を置いている人がたくさんいた。それで店の人に注意をしてくれるように頼んだが、そこは店のスペースではなく、無料休憩所だと言った。店の前にあり一見cafeのように見えたのだ。やむなく店内の席が空くのを待った。

 帰りの新幹線は東京駅からはガラガラであったが、新横浜からほぼ満席になった。隣の席が中年の女性で、話しかけたら応じてくれたので名古屋まではあっという間であった。途中富士山が見られたのもよかった。もっていた手品を見せて3つほど上げた。

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              RE:GENDOレストラン

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                     創作寿司

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                親切に説明をしてくれた

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     コルビジェの絵

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      コルビジェ設計のサヴォア邸

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      エスプリ・ヌーボー館

 

 

 

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コメント

近代建築の巨匠と言われるル・コルビュジェですが、私のような門外漢には、西洋美術館をはじめとして、「近代的高床式倉庫」くらいにしか見えず、日本の建築家が圧倒的な影響を受けたというわけが見えてきません。
ところで、どこにそれだけのお金があるのか、日本各地の大都市では今も次々と巨大ビルが建設中のようです。
それにつけても不思議なのは、これほど横並びになるのが大好き、一色にそまるのを好む日本人が、ことビル建築、街造りとなると、統一性も何もない、てんでんばらばらであることに平気だという点です。駅の乗り換えが悪くなるとさすがに少しは不満が出るようですが、後の祭りです。
テレビでヨーロッパの街並みを見てますと、大都会でもビルの高さは5階くらい、しかも壁材や色まで統一されている所が多く、日本とのあまりの違いにおどろきます。
今回の旅日記で笑ってしまったのは、木久扇師匠が弟子たちに「木久蔵ラーメン」を大々的に売らせていたという話です。
「うちの弟子は咄を覚えなくても木久蔵ラーメンを千個売れば真打になれます」とテレビで時々笑わせていますが、まんざら洒落ではなさそうな・・・

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