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2019年3月25日 (月)

いい映画だった「グリーンブック」

 アカデミー賞を3部門で受賞した「グリーンブック」を見たいと思って22日にミッドランドスクエアに出かけた。この映画は実話をもとに作られたということである。そして、黒人差別の酷かった時代を背景にしているということで興味を持ったのだ。
 映画が始まった初めの内は何のことか分からなかった。それは主人公のトニー・リップがニューヨークの「コカパバーナ」という一流のナイトクラブの用心棒として働いているということを描きたかったのだろう。そのクラブが改修で職を失ってしまう。トニーは大食漢なので家で家族と過ごして金を稼ぐために大食い競争に出たり、質屋で金を借りたりしている。
 そこへ「ドクター」から雇うから面接に来るように言われる。その「ドクター」が住んでいるところは何とカーネギーホールの上の階であった。ドクターというのは医者だと思っていたら医者ではなかったのだ。ドクター・シャリーと言って黒人の天才ピアニストであった。超豪華な部屋に住んでいた。後で分かるのだが大統領(実話ではケネディ)の前で演奏したこともあるという人物だ。それほどの人間だから高収入を得ることができたのだ。
 シャリーから南部への演奏旅行を頼まれるが嫌だと言って一旦は断る。しかし電話がかかって来てトニーの妻と話し引き受けることになるのだ。時は1962年であった。その頃は黒人差別が極めて厳しく特にアメリカ南部はその先鋒を行っていた。そんなところへ演奏旅行に行くというのであった。行く手には様々な困難が予想されたがシャリーはあえて向かったのであった。
 フォードかリンカーンか知らないが大きな車2台で出かけるのだ。1台にはシャーリーが乗ってトニーが運転をし、もう一台には彼のクルーのベースとチェリストが乗って出発した。
 運転手のトニーはイタリア系アメリカ人で人種差別の思想を持っていた。腕っぷしは強いが粗野で「Dear」を「Deer」綴るような教養の低さであった。一方シャリーは後で分かるのだが、音楽、心理学、典礼芸術の3つの博士号を持っているのでドクターと呼ばれていたのだ。
 彼は2歳で母親からピアノを習い、9歳でレニーグラード音楽院に入学している。教養が深く、礼儀正しく、紳士であった。この対照的な二人が人種差別が強烈な南部の諸都市を巡る中で、トニーはシャーリーの音楽にじかに触れ、素晴らしさに感動し、黒人差別の実態を実際に見てシャリーに対する見方を変えて行くのだ。
 シャリーは演奏では大歓迎をされるのだが、宿泊は黒人専用のホテルであったり、レストランも黒人用のものであったり、夜間外出も黒人は禁止されているなど人種差別をもろに受けるのだ。
 二人の南部旅行はクリスマスイブまでの8週間であるが、実話では1年間だったそうだ。二人はお互いに理解し合いイブにニューヨークに帰り、最後はシャーリーがイブを祝っているトニーの家を訪ねたところで終る。実話では二人は生涯の友となったそうだ。
 「グリーンブック」は1936年から1966年まで発行されていた黒人向けの旅行ガイドブックだそうだ。シャーリーが南部旅行をしていた時代、キング牧師やマルコムXなどが差別と闘っていたときでもある。日本人なども黄色人種として差別を受けていた。米国の人種差別は実に根深いものがあったのだ。その時代を描いて人種差別の今を考えさせる映画だとも言われている。


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映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

1960年代までは公立学校、バスの座席、公園の水飲み場、レストラン、バーなどあらゆる場所で公然と黒人差別が蔓延して、KKK(白人至上主義団体)による黒人の処刑や黒人の家に放火するなどひどい時代でしたね。キング牧師らの公民権運動で、大勢の人々がデモ行進などに立ち上がり、公共の場での差別は禁止されましたが、トランプ大統領になってからはまた差別主義を煽り、アメリカが分断されていると感じます。その影響は他の国々まで広がり、偏狭な国粋主義や外国人排斥が、また新たな戦争を生み出しそうで心配です。日本も決して例外ではありませんね。

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