映画「この道」を観て―②―
白秋の元には、石川啄木、高村光太郎など旬な歌人が集まり、日本文学の未来について語り合っていた。
明治44年(1911年)初夏。「邪宗門」に続く白秋の第二詩集「思ひ出」の出版記念会が盛大に開催され、与謝野鉄幹、高村光太郎、萩原朔太郎、室生犀星らに祝福される。そうそうたる詩人、歌人たちが登場したので驚いた。
出版記念の会のスピーチで与謝野鉄幹は白秋の「曼珠沙華」を朗読し、「彼の詩にはリズムがある。流れるような、弾むような、温かく命がある。生きている」と絶賛する。
一躍人気詩人となった白秋は得意の絶頂にいた。だが、大正元年(1912年)夏、白秋と俊子は、俊子の夫から姦通罪で告訴され、逮捕されてしまう。このスキャンダルで白秋の名声は一気に墜ちてしまう。
大正7年(1918年)に鈴木三重吉(柳沢慎吾)が「赤い鳥」を創刊。三重吉に誘われて白秋はこの児童文芸誌を舞台にさまざまな童謡を発表し、新境地を切り開いた。
三重吉の仲介で山田耕筰と出会った白秋。一度は大喧嘩をして別れる。そこへ大正12年(1923年)の関東大震災が起きる。被災した白秋を訪ねて来た耕筰は「僕の音楽と君の詩とで、傷ついた人々の心を癒やす歌がきっとできるはずだ」という。耕筰の言葉で、二人は意気投合する。
小田原の山道を二人は歩き、語り合う。そして耕筰の話しから「からたち」の着想を得る。
大正14年(1925年)、日本初のラジオ放送が始まる。そこで白秋作詩、耕筰作曲の「からたちの花」が演奏された。
「からたちの花」に続いて発表された「この道」も大評判となり、白秋、耕筰コンビの人気はますます高まる。「この道」は「からたち」の妹だと白秋は言う。
昭和も10年を過ぎる頃から日本はだんだんと変わりとうとう治安維持法が作られ、自由な創作活動が制約を受けるようになる。白秋も耕筰もいやいや軍の要請を受け入れ戦争に協力させられる。
白秋は糖尿病で失明をする。耕筰は白秋を訪ねて「いつか思いのままに詩や音楽が作れる時代が来るからその時まで生きよう」というが、白秋は亡くなってしまう。
耕筰は白秋が亡くなってから以前のようなよい曲が作れなくなったと語る。
「この道」と「からたち」を軸にして白秋と耕筰の堅い結びつきを描いた作品である。
朝日新聞の記事で、瀬戸内寂聴は「白秋と3人の妻」という小説を書いて小学館文庫に収められていることを書いていた。
白秋を演じた大森南朋も耕筰を演じたエグザイルのAKIRAも知らないが、知らないだけに本物らしく感じることができた。好演であった。羽田美智子の与謝野晶子や白秋3人目の妻菊子を演じた貫地谷しほりもよかった。
白秋は女性遍歴のあと菊子という好き糟糠の妻と出会うのだ。また白秋が酒におぼれていたことも初めて知った。それが原因で糖尿病になり失明するのだが。
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