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2019年1月 3日 (木)

IWC脱退と商業捕鯨再開に思う

 政府は26日、鯨の資源管理をしている国際捕鯨委員会(IWC)を2019年6月に脱退し、7月から日本の排他的経済水域内で役30年ぶりに商業捕鯨をすると発表した。

  再開される商業捕鯨は、山口県下関市を拠点とする沖合操業と、北海道網走市、釧路市、青森県八戸市、宮城県石巻市、千葉県南房総市、和歌山県太地町を拠点とした沿岸捕鯨が柱だ。

  私が育った南紀は、太地町の捕鯨が古くから有名である。湾にイルカを追い込む漁が反捕鯨国から非難された。

  高知のよさこい節には鯨取りが歌われているが、高知県には今は捕鯨拠点がないのだろうか。

  戦争中や戦後の食糧難のときに、勝浦町や太地町から魚を売りに来る行商のおばあさんたちがいた。頭の上に平たい籠を載せその中に魚を入れて歩いて売りに来た。そうした行商人の中に鯨だけを売る人もいた。

  その人たちの売り声は「イルカ要らんかのうし(イルカを要りませんか)」であった。「要るか要らんか」と掛けた言葉に響くのが面白かった。

  我が家や近所では行商のお婆さんからイルカやクジラの肉を買ったものだ。その頃肉と言えば鯨肉であった。ただ私たちはイルカも鯨の仲間だとは知らなかったので区別していた。

  本鯨の肉はイルカより高かった。つまりイルカの肉は下等だったのだ。我が家のような経済的に裕福ではない一般家庭は、イルカの肉を買うことが多かった。イルカの脂身などはおいしかったが、下等に扱われていたのは臭みがあったからだと思う。

  大学に入って家庭教師をした家で、鴨の肉料理を食べさせてもらったとき、イルカの臭みに似ていると感じた。鴨肉は高級だがイルカは下等に扱われている。たくさん獲れるということも関係しているのかもしれない。でも、イルカの肉は我々庶民の貴重なタンパク源であった。

  商業捕鯨が再開されたとしても、今は豚や牛などの肉が普通に出回っているので需要がないだろうと危惧されている。年3千トン~5千トン程度の消費だという。私などでも結婚したころは鯨肉のベーコンなどを食べたが、その後何十年も鯨の肉を食べたことがない。

  マルハニチロや日本水産など大手は捕鯨に参入するつもりはないといっているそうだ。またイオンなど小売店の関心も低いという。

  英米・オーストラリア・ニュージーランドなどは強行に反捕鯨である。日本やノルウェーなど捕鯨国は数で劣っている。いつも不思議なのは反捕鯨国は牛や豚や羊などを飼育して殺しているのに、鯨を殺すことはいけないと拘るのは何故かということだ。鯨が巨大だからだろうか。命という観点で見ればイワシも鯨も牛も同じである。

 人間も動物も他者の命を頂かなければ生存できないという矛盾を抱えている。シュバイツアー博士は悩んだ末、「生命への畏敬」ということに辿り着いた。日本には昔から「命を頂く」という考えがある。

 生きるためのどうしようもない矛盾だから「食品ロス」のようなことがあってはならないのだ。捕鯨国も反捕鯨国は「食品ロスゼロ」で動くべきであろう。

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