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2018年12月26日 (水)

23日の「折折のことば」から

 朝日新聞23日の「折折のことば」は、井上ひさしの言葉を取り上げていた。それは「作文の秘訣を一言でいえば、自分でしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということなんですね」という言葉であった。出典は「井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室」

  彼はまた、生前よく、「むずかしいことをやさしく、やさいことを深く、深いことを面白く」と語っていたと書いてあった。

  「誰にでも分かる文章で書く」ということに我が意を得たりと思った。私は教員として在職中に様々な文章を書いてきた。なかでも保護者に出す文章や学級通信の文章では、誰が読んでも分かる文章を書くように心がけて来た。

  大人の保護者と言っても一律の教養レベルがあるはずがなく、いろいろな人がいる。だからどんな人が読んでも理解できるような文章が大事だと考えたのだ。

  思い起こすと、私が高校、大学生の時分は、難しい文章がよい文章だという風潮があった。難解な文章を苦しみながら読むのがよいというのだ。だから使われる語句も語り口も難解なものが多かった。

  高校の教師で難解な詩を書く人がいて、ときどき聞かされたが、その当時はサッパリわからなかった。

  また当時の翻訳書は非常にわかりずらかった。どうしてこんな言葉遣いをするのだろうと思った。もちろんこちらの理解レベルも低かったのであろうが、「だれにでもわかる」からは程遠かった。

  私が国語教育の師と仰ぐ大久保忠利先生は、文章を書くには、いつでもどこでも書くことが大事だと言っていた。そして「書きなれノート」というのを推奨しておられた。

  私はblogを初めて10年ほどになるが、毎日書き続けることを守ってきた。大久保先生の言葉が頭にあったからかもしれない。それ以前に現職の間は毎日文章を書いていたから、作文歴は相当なものである。

 小学校の頃「綴り方」という時間があってときどき書かされたが、非常に苦手て困っていた。でも成長につれて自然に直っていった。

 教員になってからはいつも書くので、文章を書くのは苦手ではなくなった。でもエッセイストや小説家などの文章を読むと自分の文章は稚拙だと痛感する。

 書き続けているのは一種の「脳トレ」だと思っている。認知症の予防にはなるだろうぐらいに考えている。

 

 

 

 

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