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2018年11月16日 (金)

タイ旅行―⑩―

 5日の朝食は初めてゆっくりと摂ることができた。私はバイキングが好きなのでいろんな種類の食べ物をとってくる。ヨーグルトもたっぷり食べた。果物はスイカ、パイナップル、メロンだった。自動コーヒーサーバーがあることを初めて知った。レギュラー、カフェラテ、エスプレッソなど6種類選べた。

  イチローさんはみんなが食べ終わるのに来ないので、電話をしたら時間を間違えて部屋で過していたと言った。

  チェックアウトを済ませて荷物はホテルに預けた。この日はサリーの提案でジム・トンプソンの家に行くことになった。BTSに乗って駅から歩いた。写真のような入口があった。

  案内をしてくれるというので、日本語を選んだ。中に入ると繭の見本が置いてあった。写真のように赤茶色の素敵な建物であった。

  ジム・トンプソンはアメリカ人で、第2次世界大戦以前は建築家であった。それで彼は、タイの古い建築様式を多く取り入れ、チーク材でできた家を6軒集めて造ったのだ。大部分は100年から200年以上経ており、何軒かはアユタヤから運んできたという。

  昔の建築法に従って復元したが、シャンデリアだけが電化されている。そのシャンデリアは18世紀から19世紀のものだという。メインの部屋に大きなシャンデリアが下がっていた。

  最初日本語の案内で回り始めたが、分かりにくいというので戻って英語の案内に代わった。英語の案内は30分ほど待たされた。サリーには英語の方がよかっただろう。聞き取れないところもあったが、リスニングの勉強と思った。

  案内の内容は日本語と英語では違っていることが判った。日本語では前を流れる運河の大切な役目やその向こうにある家にイスラム教徒が住んでいてその人たちが繭から絹をとったり加工しているのだと言っていたが、英語ではなかった。

  ジム・トンプソンは34歳のとき、アメリカ陸軍に志願してヨーロッパに行き、第二次世界大戦の終了間際にOSSの情報将校としてタイに派遣され、退役後はタイに永住した。

 彼は家内産業であったシルクの手織りに興味を持ち、その普及に没頭した。彼はデザイナーとしても染色家としても、才能を持っていたので、プリント模様のシルクを生み出し、タイシルクの名を世界に広めたという。

 けれは1967年3月26日、マレーシアのキャメロン高原で休暇中、謎の失踪を遂げた。未だに手がかりもつかめていないという。生きていれば120歳だとか。

 寝室や食堂や居室などを見て回った。質素な暮らしをしていたようだ。彼が収集した古美術品も展示されていた。室内は撮影禁止なので見て回っただけで残念であった。

 戻ると男の人が繭から糸を引くのを演じていた。非常に工夫されているので驚いた。シルク製品の展示販売場があり、覗いたが値段がべらぼうに高くてただ見ただけであった。

 帰る時電気トゥクトゥクで送ってくれるサービスがあるというので駅近くまで送ってもらった。

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                                         ジム・トンプソンハウス入口
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                        珍しい花

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                         繭の見本

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                       バナナの花
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                         英語ガイド

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                          糸繰り

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                       展示販売場

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