タイ旅行―⑧―
JEATH MUSIUMの次はセミトリーに行った。そこには連合国軍の犠牲者6700名の墓があった。タイの人々によって造られたものだという。
英国、オーストラリアなどに分けてあった。墓碑には埋葬されている人の事績が簡単に記してあった。
こうしたセミトリーはもう一か所あるそうだ。しかし、10万人を超すと言われるアジア人犠牲者は今も密林の奥深くに眠ったままだという。泰緬鉄道(死の鉄道)は多くの犠牲やによって造られたが、アジアからの強制労働者の墓地がないということはどういう差別かと思う。昭和19年に日本軍によって建てられた慰霊碑があったが、それだけで済まされないと思う。
戦争とはいえ人権を無視した非道な扱いに心胸が痛んだ。日本人もソ連によるシベリア抑留など非道な扱いを受けている。改めてもう戦争をくりかえしてはならないと思った。
次はクワイ川にかかる鉄橋を見た。今見る景色はゆったりとした川の流れ、のどかな風景で平和そのものであった。ここで悲劇の建設があったとはとても想像ができなかった。
映画「戦場にかける橋」は早川雪舟主演の名画であるが、あの有名な音楽「クワイ川マーチ」しか覚えていない。もう一度観てみたいと思う。
鉄橋は歩いて渡ることができ、時間が少しあったので途中まで歩いた。本当に美しい景色で心が休まった。橋のたもとに駅があり、その前に露店が並んでいた。クワイ川観光記念の帽子が一個100バーツで並んでいた。私はガイドさんに言って負けてもらえないか聞いてもらったら、即座に80バーツにしてくれた。他の人たちも80バーツで買った。
しばらく待っていると列車が入ってきた。私たちは3号車で指定席であった。客車が13両ぐらいつながっている長い列車であった。
鉄橋を渡ってミャンマーの方向へ向かった。畑が広がる平原を進んだ。サトウキビ、バナナ、米、その他の畑が次々に現れた。遠くの方には面白い形をした山が望まれた。
30分ぐらい走ったであろうか。そこで降りた。店や食堂などがあった。降りて洞窟を見に行った。中には金色の仏像が安置されていた。外に出ると川がありその辺りは難工事であったようだ。仏像は慰霊のためなのか聞き洩らした。
大きな食堂でバイキングの昼食を食べた。鉄道は現在タイの国営だという。1日に1本だけ走っているのだそうだ。乗客は観光客ばかりで、観光列車である。車内では物品の販売や写真を撮影して到着までに売るというものもあった。私以外の人はみな写真を買っていた。
泰緬鉄道が今はミャンマーとの交通ではなく、観光のために利用されているのが不思議であった。
帰りはそこまで来ていたバンであった。バンコクまで3時間余りかかった。車の中でうつらうつらしていた。
セミトリー右半分
セミトリー入口
日本軍による慰霊碑
難工事の付近
バイキングの食堂
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